scene 04 : 余地のない選択肢
「それって仕事の依頼だよな?」と自称殺し屋、実態人殺しの文野さんは言う。
「内部的なものだし、むしろ君のしでかした事態の後始末という側面が強いが――まあそうなるね」と傘鷺さんは言う。
「具体的なプランは?」
わたしもいるのに話し出そうとするので、口が出た。「わたしが聞いてもいい話なんですか?」
そこで思い出したように、傘鷺さんはわたしを見る。
「よくはないよ。だけど、この文野史織と関わった時点で、君も当事者だ」
そんな暴論、と叫びたくなった。そうしなかったのは、すでにわたしの頭はキャパシティを超えていて、熱暴走を起こしかけていたからだ。余力がなかった。使っている言語は同じはずなのに、専門外すぎて、追いつけない。
「そうだね、先に君の今後について話そう」傘鷺さんは言う。
運命を呪うしかなかった。
「文野史織と関係を続けるか、それとも逃げ出すか」彼はピースサインを作る。何が平和だ、とわたしは内心で毒づく。「まずは前者だが、普通の女の子である君にとっては、現実的でないだろうね。人殺しと一般人――ただの友人という形式はありえない。簡単に言えば、僕たちの組織に属してもらうことになる。殺し屋の手伝いをする道だ」
そんな就職プランなんて、今まで考えたこともなかった。
殺し屋という仕事の実態なんて知らない。
彼女のようになるということだろうか、とわたしは文野さんを見た。
彼女は唇を尖らせて、窓の外を見ていた。右手が動いていた。サマー・パーカーのボタンを外すような仕草だった。わたしは連想する。パーカーの下、胸の横、革製のホルスター、回転式の拳銃。
「君の安全は、僕や文野史織が保全に努めるが、敵対組織に狙われる可能性も出てくる。君の家族も標的になるかもしれない。はっきり言って、オススメはしない。僕らとしても、一般人の君を巻き込みたくはないからね。お互い、住んでいる世界は分けた方が良い。世の中はそのようにして運営されている」
彼は中指を折り曲げる。
人差し指の可動域を試すように反らしながら、彼は続ける。
「次に、後者の場合だ。君は踵を返して、この場を立ち去る。そうすると、僕らとしてはやや困ったことになる。君が警察に逃げ込まないとも限らないし、他の殺し屋が君を狙わないとも限らないからだ。君が口を滑らせない保証はどこにもない。僕は、我々の組織を守るためにも、文野史織に命令することになるだろう――内容は言うまでもないよね?」
「わたしを殺すんですか」
「それが確実な選択肢だ」と傘鷺さんは答える。「確かに、文野史織は君を”気に入った”と言った。彼女は”気に入らない”という理由で人を殺す。しかしながら、そういう基準を抜きにしても、君を殺すことくらいは簡単なんだ。それが仕事なら、文野史織はちゃんと完遂する」
わたしは文野さんを見た。
文野さんはわたしを見ない。
そこには無言の肯定があった。明確な否定はない。
「もっとも、これもやはり現実的ではないだろうけどね」と傘鷺さん。「実現可能だが、可能性だけで人の世は回らない。君だって無為に死にたくはないだろう?」
「それは、そうです」とわたしは答える。
誰だって、無為には死にたくない。みんなそうだ。だからわたしもそれに則る。
彼はは人差し指も倒した。残っているのは、柔らかく握られた拳だけだ。わたしの命はその中に握られていた。
「僕としても、本来無関係の人間を、文野史織の気まぐれでもって巻き込んだ挙句、さらに殺すという選択肢は選びたくない。なぜなら、非道で、格好悪いからだ。自分に制御できないからって車を破壊する奴ほど、道理の通らない人間にはなりたくない――だから、第三の選択肢を示そうと思う」
彼はパッと手を開いて、指鉄炮のような形を作る。親指、人差し指、中指。計三本。
「間を取った方法だ。少しの間だけ文野史織との関係を保ち、けれども結局は関係を断つことになる。言ってみれば、パートタイム・ジョブ、アルバイトだよ」
「アルバイト……」
「賃金は支払わないが、ちゃんと見返りはある。もしこの提案を飲んでくれるなら、君と君の家族は今まで通りの生活を続けることができる。日常は破壊されない。記憶までは消せないが、そこは悪夢を見たと思って諦めて欲しい」
いまいち、要領を得なかった。わたしが得るものは明らかだったが、あくまで額面だけのように見えていた。天秤の上の重しの気分だった。釣り合う先の秤の上に、どんな重量が来るのか分からない。わたしは今、何と対決しているのだろう、と少し不安になった。それは知らなくても良いことだ、と勘は告げるが、予感だけでは安心できない。わたしは階段話が苦手だ。
「つまりどういうことなんですか?」
「そうだね。もう少し説明しよう」と彼は言って、ペンを手に取った。何を書くでもなく、ただ手持ち無沙汰だからという理由のようだった。「問題は、文野史織がこの是奈市に実在すると知られてしまったことにある。そしてその実在を知る人間が――君のことだよ、隅方いい子さん――同じ街に住んでいるということにあるんだ」
コツコツとデスクの上を突きながら。
「この問題をどう解決するか? 対応は単純だ。君に転校してもらうか、うちの文野を転校させれば良い。その上で、君と文野史織の関係性を余すところなく抹消する」
「そんなことができるんですか?」
「これもまた、”実現可能”だ」
つまり、可能性はあるが、実際にできるかというと別ということだ。何らかの制約がある。
「しかし、莫大な費用がかかる。達成は容易じゃない」彼はため息をついて見せる。額を抑えて頭痛を装う。すべてがポーズだった。「文野史織が転校するとなると、僕はこの街での事業を断念し、せっかく構築したネットワークを放棄して、新たに全てを作り直さなければならない。一方、君が転校するとなると、家族の転勤なども絡むだろうし、不自然にならないよう、根回しやら、動機づけやら、色んなことを丁寧にやっていく必要がある。はっきり言って、無駄な出費だ。両方は満たせない」
ここで傘鷺さんは、一度だけ文野さんの方を見た。事態の発端は、彼女の気まぐれにあるのだから、その視線は当然とも思えた。けれども、彼は取り立てて責めているようには見なかった。あらかじめ、そういうリスクも踏まえて彼女を利用しているようだった。
「しかしその上で、君が餌になってくれるなら、うちの文野史織を転校させてもいい」
「ちょっと待てよ」と文野さんが割り込んできた。「こいつを巻き込むのか?」
「そう言っている」と傘鷺さんは答える。「もともと彼女を巻き込んだのは、君だよ――文野史織。自分の衝動性をコントロールできなかった君が、すべての原因だ。元凶と言ってもいい。君に抗弁する権利はそもそもない。それでも納得いかないなら、せめて君が彼女を守れ。それともできないのか? 文野史織ともあろう者が?」
「できないわけないだろ」と文野さんは言う。
傘鷺さんは頷いて、「とのことだ」と言う。「君と文野史織は身長が近い。体格も似てないこともない。君には文野史織のフリをして、文野史織を狙ってくる奴を誘き寄せる役をやってもらう。たったそれだけだ。それだけで、殺し屋文野史織とその一味は、この是奈市から出ていく。君の命も、君と君の家族の生活も、今まで通り進行する。かなり人道的な提案だと思わないかな?」
たとえば、ひとの心が読めたとして、わたしにはそれを動かす力がないのだと思い知った。そんなこと、今更考えるまでもなく、分かりきっていたことじゃないか。わたしには、小石を持ち上げるくらいの能力しかない。自分の非力さが悲しくなった。否定することすら、拒絶することすらできない。
せめてこの人たちには、気に入られなければならなかった。
こうしてわたしは囮になり、引き続き人殺しの片棒を担ぐことになった。
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