scene 03 : UMAみたいな組織
「ようこそ、慎ましき我が家へ」と文野さんは言う。
「ここに住んでるの?」
「他に住所もないからね」オフィスルームの奥を指差し「あっちが一応、あたしの部屋。見る?」
人殺しの部屋を見てみたくないか、と問われれば、好奇心は動く。
「あ、でもその前に所長に報告しないと、か」
「社会人みたい」
「仕事なんだからそうさ」と彼女は言って、先ほど差した部屋の向かい側を示す。簡単に言うと、この部屋は蝶みたいな見取り図をしているらしい。「あ、違うか。今回のは反射だもんな。反省文コースかな」
丁寧に「所長室」と書いてあるドアをノックする。
三回。タンタタン。
「どうぞ」と中から声がする。低い男性の声だった。「その子が電話で話してた子かな?」
皺に縁取られた細い目がわたしの方を見ていた。口元には微笑を湛えているが、明らかに作り物だった。わたしのものとは種類が違う。ビジネス用のスマイル。声音も真っ直ぐで、元来のものなのか矯正されているものなのか区別がつかない。全体的に細すぎる。四十代とか五十代。もっと年上かもしれないし、老けて見えるだけで、もっと若いのかもしれなかった。仕事盛り、という印象も特に受けなかった。結論、大人の男性の年齢なんて、よくわからない。
ひとのことを言えた側ではないが、フェアじゃなかった。自分の表情は隠すくせに、相手の心の内を読んでくるような印象。
「そ、隅方いい子さん」と文野さんは言う。下の名前も把握されていた。クラスメイトなのだから不自然ではなかったが、彼女がという意外性はあった。普段の感じからは、周りのひとになんて興味がなさそうなのに。「殺人現場を見ても悲鳴ひとつ上げず、遺体放棄の手伝いもしてくれた、心の強い子だよ」
そういう紹介のされ方って。
「隅方いい子さんね……」と彼は言う。「ああ、自己紹介が先だったな。僕は
性的関係なんて言葉は聞きたくもなかった。
他人のそういうことにはまるで興味もない。
傘鷺さんは、わたしの反応を見ていた。悪戯心からではない、単にわたしがどういう人間なのかを測るための質問だった。驚いたとすれば、メンタルケアを売りにしているとか聞いていたからだ。今の質問のどこにメンタルを気遣う要素があるのだ。はっきり言って不快だった。
が、これも表には出さないように努める。わたしの快・不快など、コミュニケーションには何の意味もなさない。
やはり、人殺しを扱う組織などには、論理や倫理といった常識は期待できそうにない。
ここはわたしの知らない世界、いわばこれまでの日常系に対する敵地なのだ。
「隅方いい子さん。悪いけど、君のことは調べさせてもらったよ」再び、探るような視線。文野さんと会話を交わしたのは、ついさっきなのに、そこからここまでの間で何を調べたというのだろう。「経歴からすると、普通の女の子みたいだね?」
「そのつもりです」
「普通の子は悲鳴あげるんだけどな」と文野さんは言う。
傘鷺さんは意に介さず続ける。
「生まれから育ち、学校の成績まで一般女子高校生だ。強いてあげれば、英語の成績が平均より上みたいだけど、好きなのかな?」
「外国語は、好きです」とわたしは考える。傘鷺さんの考えていることが分からなかった。「本質的なところは似ているのに、表れている形が違いますから」
「シニフィアンとかシニフィエの話だね」
「よくわかりません。フランス語ですか?」
「それは分かるんだね」傘鷺さんは何かを了解したように、頷く。「君の言っていることは、なんとなく分かるよ、隅方さん。あくまで、なんとなくのイメージだけどね。同じありがとうを言うときも、日本語には色んな言い方があるし、たとえば英語だってそうだ。あまりに多彩で、一対一で紐づけられるものではない。単語一つを取ってもそうだ。重なるところはあるが、重ならない部分もある。そういうところは、ある種、希望足りうるかもしれないね? 理解のできない部分がある――魅了されるに十分だと思うよ、僕はね」
僕はね、と言われた。
君はそう思わないかい、と彼は暗に尋ねているようだった。違うかもしれない。そう思うのかい、他のみんなはどう思うんだろうね、どうとでも捉えられる質問のし方だった。彼はあえてそういう言い方をしている。わたしに共感しようとしてのことではなく、これもまた反応を見るための言葉だった。
嫌な気分だった。
空調は回っているのに、息が詰まりそうだった。
「なんの話をしてるんだよ」と文野さんは言う。「わたし、人を殺したんだぜ」
話題を変えるにはパンチのありすぎる台詞だった。
「ああ、その件ね」と傘鷺さんは手を鳴らして、揉み合わせる。要らなくなったメモ帳を丸めるような動作。「いつも通り、処分は滞りなく済ませたよ。警察の方にも話はつけておいた」革張りの椅子を反らしながら、「というか、正確には、つけるまでもなかった。もみ消しも何も、事態はもっと大変なことになっているんだからね」
どういうことだろう、とわたしは思った。
「何が起こったんだ?」と文野さんは言った。
「あの先生ね、ちゃんとした警察が到着した時には、頭部が持ってかれたあとだったんだ」世界のどこかで誰かが老衰で亡くなりました、というような口ぶりだった。これは日常茶飯事で、本編には一切関わりがありません。そのため詳細は省きます、といった感じだ。「本当に恨みを買っていたんだろうね。それもちゃんとした殺し屋が雇われる程度に」
「遅かれ早かれ、あいつは誰かに殺されてたってことか」
「そして、君はそいつの仕事を奪ったってことになる。先に殺しちゃったんだからね」
「わたしは感謝されるべきじゃないのか? そいつの手間を省いてやったことになる」
意味のわからない会話だった。頭が少しクラクラする。
どうしてこうも、さも当然かのように話が進んでいるのだろう。
「君の言う通りかもしれない。事実、死を証明するために頭を切断して持ち去ったとも言えるわけだからね」
「煮え切らないな」
「あの体育教師の死を望んでいた者がいた、という事実はひとまず置いといてだね。結果、彼が亡くなったというのも置いておくとしてだ。突発的に殺してしまった、という証拠が持ち去られたのは少々困る」
傘鷺さんは、心なしか鋭い目つきを文野さんに向ける。
「よくあることだろ」とそっぽを向く文野さん。「大抵の殺人事件は衝動性だ」
「君は、その素質をコントロールしなければならないんだよ、文野史織。我々がこういうビジネスをやっていく以上、衝動性で事態が出来上がってしまっては困る。それは仕事とは言えない。ちゃんとした依頼があって、ちゃんとした契約があり、その上で人は殺されなければならないんだ」
ぶっ倒れたい気分だった。
この部屋には、傘鷺さんが座っているもの以外の椅子はなく、わたしは体を休めることも叶わない。
「しかし、すでにそういう殺し屋がいることは、すでに
「……わたしもちょっとは名が知られてると思ってたんだけどな」
「単なる噂だったものが、この是奈市に、実在していると知られるのは、大違いだよ」一節ごとに釘を刺すように傘鷺さんは言った。「日本国内であれば、特定できない。ニンジャ、ゲイシャ、ツチノコ、文野史織――
「じゃあ、どうしろって言うんだ?」
「殺し屋は競合を避ける」と傘鷺さんは明言する。「適材適所、予算や知識などの制約条件、さまざまな理由があるから、通常は自然に回避されるものだけどね。しかし、こうもバッティングしてしまうと、事態は違う。文野史織、君は、これから頭を持ち去った殺し屋に命を狙われる」
「ハッ」と彼女は笑う。「上等じゃん」
何がだ、とわたしは困惑する。
「君には、そいつを返り討ちにしてほしい」
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