第10話 恋愛脳を嘲笑う



 そこはショッピングモールから徒歩で三十分ほど──先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返った、若干寂れた住宅街の外れにあった。

 けっこう歩かされたあとに目の前にあったもの……それは生活感がまったくないと言っても差し支えないほど荒れた住居だった。

 というか、どう見ても空き家だった。

「えへへ~。びっくりしたでしょ~?」

 どう反応していいかわからず、空き家の前でただ立ち尽くしていた俺に、姫奈は悪戯が成功した幼子のように表情を崩した。

「ここ、ヒメのお気に入りの場所なんだ~。男の子って、こういう秘密基地みたいなところ、好きなんでしょ~?」

「一般的にはそうかもしれんが、少なくとも俺は興味ないぞ」

 昔からインドア派だったし。

「それよりもあんた、たとえ空き家でも、関係者以外の者が勝手に出入りしたら捕まりかねんぞ。住居不法侵入罪でな」

「ここ、ヒメのおじいちゃんが昔住んでいたところだから大丈夫だよ~。たまに使わせてもらっているんだ~」

 言いながら、いつの間にか手に持っていた鍵を使って、空き家のドアを開ける姫奈。

「はい。これでヒメが関係者だってわかってくれたでしょ~? こうして鍵も持っているし~」

「……みたいだな」

 どうしてこんな空き家にわざわざ出入りしているのか、という疑問までは拭えないが。

「それよりもほら、早く入って~。見た目は汚いけど、中はそんなに汚れてないから~」

「中に? なんで?」

「んも~。そんなこと、女の子に言わせる気~?」

 なぜか照れたように頬を両手で覆う姫奈。いや、意味がわからん。

「中に入ればすぐにわかるから~。きっとすごく良い思い出になると思うよ~」

 ほらほら、と急かしてくる姫奈に、俺は溜め息を吐きつつ言われた通りに玄関へ入る。どうせ拒否しても聞きやしないだろうし、ここで押し問答をして時間を無駄にするくらいなら、さっさと中に入った方が話も早い。

 それに、どうやらここが今日の分水嶺になりそうだしな。

 俺にとっても、こいつにとっても。

 そして、どうせ今も付いて来ているであろう光守たちにとっても。

 それはさておき、実際玄関先から中の様子を覗いてみると、姫奈の言っていた通り、そこまで汚れてはいなかった。

 いや、もちろん埃などは所々散見できるし、いつも土足で上がっているのか、廊下には靴跡が付いていたりもするが、壁や床が朽ちているわけではないし、空き家にありがちなゴミや窓ガラスの破片がそこら中に散らばっているわけでもない。雨宿りする程度であれば、案外普通に過ごせるレベルだとは思う。

「影山くん、先に居間の方に行ってくれる~? 一番奥のドアがそうだから~」

「あんたはどうするんだ?」

「ここ、開けるのは簡単だけど、閉める時は立て付けが悪くて大変なんだよ~」

 あとでヒメも行くから~、とドアノブを握りながら言う姫奈に、俺は無言で頷いて土足のまま廊下に上がる。

 そうして指示通りに奥へと向かい、ドアを開けた。


「はい、お疲れ~。ここまでご苦労さん」


 そいつは、脈絡もなく俺に話しかけてきた。

 薄暗い中、目の前のソファーでふんぞり返っていたその大男は、金色に染めた短髪を撫でながら、ニヤリと口端を歪めた。

「ようこそ、オレの城へ。ちょっと汚いが、隠れ家としては悪くないだろ?」

 足を組み換えながら依然として下卑た笑みを浮かべる大男。見た目は二十代前半くらいで、筋骨隆々とした体躯や、あちこちに彫ってある刺青や全体的に派手な色合いの服装からして、素行が悪そうなのは目に見えて明らかだった。

 そんなヤンキーじみた大男がこんな空き家にいるというこの状況。

 これが一体どんな事実を指しているのかなんて、もはや言うまでもないだろう。

「で、だ。影山くん……影山くんで合っているよなぁ?」

「……………………」

「おい。黙ってないでなんとか言えよ。しばくぞボケ」

 メンチを切って来る大男に、俺は肩を竦めながら口を開く。

「……それで合ってる」

「そうかそうか。てっきり姫奈から聞いていた話と違っていたのかと思ったぜ。これからお金をもらう奴の名前を間違えるわけにはいかないしなぁ」

 やっぱり、そういうことか。

 つまり、こいつ……否。こいつらは──


「んもー。あっさりバラさないでよ。ヒメが先にネタばらしするつもりだったのにぃ」


 と。

 俺の背後から居間に入ってきた姫奈が、さも当然とばかりに大男の横に座って、その太い腕に抱き付いた。

「あーあ。ヒメも影山くんの驚く顔を直接見たかったのにな~。カズがヒメの楽しみを奪うから~」

「悪かったってヒメ。こういうのは昔から苦手なんだよ。お詫びにあとでたっぷり可愛いがってやっから、それで許せって」

 などと耳元で言う大男──もといカズという名の不良に対し、姫奈は顔を赤らめながら身をよじらせて、

「もうカズったら。人前でそんなこと言われたら恥ずかしいでしょー」

「いいじゃん。聞かせてやりゃあ。だいたい、これより恥ずかしいことなんて、今までもさんざんしてきただろ? たとえば、先週のアレとか……」

「もう。だからダメだってば。ほんと、カズってエッチなんだからぁ」

 姫奈に指で小突かれながら、ゲラゲラと下品な笑い声を上げるカズ。

「おっと。つい影山くんのことを放置しちまったぜ」

 ひとしきり笑ったあと、カズは俺に向き直って言った。

「それでよぉ、影山くん。俺らを見て、なんか言いたいことはあるか?」

「大変仲が睦まじいようで、実に微笑ましいかぎりだよ」

 俺の返答に、カズは興味深そうに「ほー」と目を眇めた。

「この状況でよくそんな軽口が叩けるな。普通なら好きな女に別の男がいるとわかってブチ切れるか、落胆するかのどっちなのによー」

「もしかして影山くん、ショックすぎてまともなリアクションもできないとか? そんなにヒメのことが好きだったんだ~。でもごめんね? ヒメにはカズっていう心に決めた人がいるから♪」

「そういうこと。つまりお前は、人の女を勝手に取ろうとしていたってわけだ」

 そこまで言って、カズは組んでいた足を床に下ろし、値踏みするように俺を睨み上げた。

「で、影山くんよぉ。どうやってこの落とし前を付けるつもりだ? まさか謝って済むとか思ってねぇだろうな?」

「カズってば怖い~。でも、そういうところも好き☆」

「おいおい、照れるだろ~。まったく、姫奈は可愛い奴だな~」

 なんて、じゃれ付く姫奈の頭を撫でながら上機嫌に言うカズ。今しがた、俺を睨み付けていたとは思えないくらい、目許をだらしなく緩めながら。

「あ。一応言っておくけど、別にヒメ、影山くんと付き合いたいなんて一言も口にしてないからね? 影山くんが勝手にヒメを好きになって、ここまで付いて来ただけだから。つまりヒメはなんにも悪くないから、そこのところ、誤解しないでね?」

 以前の間延びした口調なんて最初からなかったと言わんばかりに滔々と語る姫奈に、カズはニヤニヤと卑しく口角を吊り上げる。

「だってよ。まあ姫奈は前から思わせぶりなところがあったからなあ。しかも可愛いし、勘違いするのも無理はねぇ。だがそれはそれ、これはこれだ。さっきも言ったが、きっちり落とし前は付けねーとなあ。人の彼女を取ろうとしておいて詫びもないなんて、いくらなんでも道理が通らないだろ?」

「なるほど。もっともな意見だ」

「だろ? まあ、オレもそこまで心の狭い奴じゃねえ。慰謝料として五万ほど払ってもらえれば、今回は見逃して……」


「──が、俺には全然関係のない話だな」


 俺の返答に、姫奈もカズも揃って意表を突かれたように口を大きく開けた。

 そんなあっけに取られている二人に対し、俺は毅然と言い放つ。

「そいつが美人局だってことは、最初から気付いていた」

「つ、つつもた……?」

 言葉の意味がわからないとばかりに訊き返す姫奈……否。こんな奴、ゴミ女で十分か。

 そんなゴミ女に向かってこれ見よがしに肩を竦めながら、俺は説明する。

「恐喝まがいの詐欺行為を働く女のことだ。つまり、お前みたいな女のことだな」

「あ? なんだてめぇ。急にイキりやがってよぉ」

 思っていた反応と違って勘にでも障ったのか、カズ──いや、こいつもクズでいいな。響きもそっくりだし──改めてクズは腰を浮かせて俺に肉薄してきた。

「デタラメ言ってんじゃねぇぞ、このホラ吹きが」

「デタラメじゃない。でなきゃ、こんな空き家に好き好んで入るわけがないだろ」

「だ、だからそれはヒメに誘われたからでしょ? ここでヒメとエッチなことができると思って……」

「その時点でまずおかしいだろ。この間会ったばかりの男にあっさり体を許すなんて、普通に考えてめちゃくちゃ怪しいわ。まして、お前みたいなギャルが俺みたいな根暗に媚を売るなんて、絶対裏があると思うのが自然だろ」

 マンガやアニメじゃないんだからな。

 そこまで言った俺に、ゴミ女は露骨に顔をしかめて「オタクっぽい見た目のくせに」と舌打ちした。

「だったら、どうして今日一日ヒメに付き合ったわけ? 最初からヒメを疑っていたのなら、わざわざこうして誘いに乗る必要なんてなかったはずでしょ?」

「こっちにも色々事情があってな。だから渋々お前らの遊びに付き合ってやったんだよ」

「ああ? あんま調子に乗んなよ? しまいには殺すぞ?」

 怒りが臨界点に近付きつつあるのか、俺の胸倉を掴んで凄むクズ。

 そんなクズに、俺は「へっ」と鼻で笑って、

「忠告しておくが、ここで殴らない方が身のためだぞ」

「あん?」

「今まで言わなかったが、実は朝からずっと俺たちのことを尾行していた奴らがいてな。今ここで暴力を振るったら、そいつらに通報されかねないぞ?」

 胸倉を捕まれながらも、横手にある薄汚れた窓へ目を向ける俺に対し、クズは少し驚いたように、あるのかないのかよくわからない細眉を上げた。

 そして不意に俺の胸倉から手を離したあと、クズは自分の口許へと手をやって「くく」と不気味な笑いをこぼした。

「くくく。尾行……尾行か。それがお前の切り札ってわけか?」

「……? だとしたらなんだ?」

「ほー。だったら良いものを見せてやるよ」

 そう言って、趣味の悪い花柄のジャケットからおもむろにスマホを取り出すクズ。

 それからどこかに電話をかけたかと思えば、唐突に俺の横を通り過ぎたあと、居間のドアを開けてこっちを振り返った。

「それって、こいつらのことか?」

 まるで示し合わせたように、クズの問いかけと同時に開かれる玄関のドア。

 そこには──

「カズく~ん。言われた通り、連れてきたぜ~」

「大漁大漁~。しかもこんな可愛い子が三人もとか、マジ興奮するわ~」

「それな。カズくんに付いて来てほんとによかったわ~」

 へらへらと笑いながら玄関に上がる男三人組──その腕の中には、光守、水連寺、大空がそれぞれ一人ずつ拘束されていた。

「影山……」

「影山くん……」

 俺の顔を見て、光守と水連寺が憔悴しきった表情で弱々しく呟く。

 服装は乱れていないところを見るに、暴力を振るわれたというわけではないようだが、おそらく男たちから逃げようとして全力で抵抗した末に、あえなく捕まってしまったと言ったところか。

 しかし腑に落ちない。光守と水連寺はともかく、大空は武術を習っているはずだ。そんな大空が簡単に捕まるはずがないと思うのだが……。

 という俺の視線に気付いたのか、大空は悔しそうに歯噛みしながらこっちを見て、

「……自分が追い払う前に、光守先輩と水連寺先輩が人質に取られてしまったんスよ。だから自分もおとなしく捕まるしかなくて……」

「そーゆーこと。いやー、まさかこんな可愛い子たちをゲットできるなんて、カズくんに言われた通りにここまで来てよかったわ~」

 大空の肩を抱きながら、ニヤニヤとチェシャ猫じみた笑みを浮かべる赤髪の男。片側の空いている手にはナイフが握られており、逃げようとしたら刺すと言外に見せびらかしていた。

「実を言うと、ウラランたちの尾行ならとっくに気が付いてたんだよね~」

 と、それまでソファーに座りながら俺たちの成行きを静観していたゴミ女が、悠然と立ち上がってクズの横に寄り添った。

「だから影山くんをここに連れ込むついでにカズに連絡して、ああして捕まえてもらったの。ちょうどいい余興になるかなって思ってー」

「がははっ。可愛い見た目に反して、なかなかえげつないことを思い付きやがるぜ。まあ、そこがお前の良いところなんだけどなー」

 ゴミ女の肩を慣れた手つきで抱き寄せながら、クズが高らかに笑う。

「で、影山くんよぉ。これでお前の切り札も封じられてしまったわけだが、今どんな気持ちだ? 唯一の助かる道がなくなってしまった気分はよぉ?」

「………………………………」

 挑発するような口調でゴミ女と共に詰め寄ってくるクズに、俺は黙って見据え返す。

「おいおい、だんまりか? さっきまでの威勢はどうしたよ?」

「きっとカズのことが怖くてなにも言えなくなっちゃっているんだよー。ウラランたちが捕まる前はあんなに強気だったのにね。あはっ。可笑しい~」

「どうして……どうしてなの、姫奈ちゃん……?」

 と。

 俺を嘲るゴミ女に対し、長髪の男の腕に拘束されながら、光守が悲愴な表情で訊ねる。

「カラオケで会った時、すごく楽しそうにお喋りしていたじゃない。LINEだって交換して、今日のデートだってウチに相談してくれたのに、どうして……?」

「あー、あれ?」

 光守の切実な問いかけに、ゴミ女はクズに寄り添ったまま軽々に答える。

「ウララン、会ったばかりの人間をあっさり信用しすぎ~。あんなの、金づるになりそうな男をゲットするための演技以外になにがあるって言うのー?」

「演技って……じゃあ紗雪は? 紗雪はウチたちと知り合う前からずっと仲良しだったんでしょ? このこと、紗雪は知っているの? いや紗雪だけじゃなくて、こんなことをして周りの人が悲しむとは思わなかったの……?」

「サユ? あー、サユねー。確かにサユとは仲良しだけど、別にお互いのプライベートに口出しするほど深い関係ってわけじゃないしー。だいたい、友達でもないウラランにそんなことを言われる筋合いないんですけれどー?」

「そんな……」

 けらけらと心底可笑しそうに嘲笑するゴミ女に、光守は涙目で項垂れた。相当ショックがでかかったらしい。

 まあ少なくとも光守はゴミ女を友達と思っていたようだし、無理からぬ話ではあるが。

「あれー? ウララン、泣いちゃったの? マジでウケる~」

「ひどい……ひどいよ、姫奈ちゃん」

 と、坊主頭の男に両肩を掴まれながら、水連寺は悲痛に訴える。

「麗華ちゃんは本当に姫奈ちゃんのことを友達だって思っていたのに……。今日だって、影山くんと姫奈ちゃんのデートをすごく応援していたのに……」

「やだー。モエモエも泣いちゃったの~? 可愛い~。もっと泣いてみて~?」

「あははははは! ほんと姫奈は鬼だな~。でも最高!」

 まるでパーティーでもやっているかのように盛り上がるゴミ女とクズ。実際こいつらにしてみれば、パーティーでもしていているかのような気分なのだろう。

 中学生時代、俺に嘘の彼女を作らせて心底バカにしていたクソどものように。

「でもさカズくん。おれら、こんなことして本当に大丈夫? あとでこいつらに通報されたら色々やばくね?」

 長髪の男からの当然とも言える質問に、クズは「ばーか」と一笑に付して、

「そんなもの、通報できないようにしてやればいいだけだろうが。そこの女どもの身ぐるみを剥いで、恥ずかしい写真を撮るとかな。そうすりゃ、反抗する気なんて失せるだろ」

「マジで? そこまでやっちゃっていいの?」

「カズくん、マジ天才!」

「で、そのあとはこっちの自由にしちゃっていいわけ?」

「ああ。犯すなりなんなり好きにしろ」

 カズの言葉に『やりぃ!』と狂喜する野郎三人組。そんな浮足立つ野郎どもに、それまでさめざめと泣くだけだった光守と水連寺がビクっと怯えるように肩を跳ねさせた。

 一方の大空は、赤髪に腕を拘束されながらも、機を狙うように双眸を尖らせていた。隙あらばこいつらを撃退するつもりでいるのかもしれないが、光守と水連寺という人質もいる上で、男四人を相手にするのはさすがに現実的ではない。ましてクズは野郎どもに一目置かれている。おそらくこの中で一番腕が立つと考えて間違いないだろう。

 仮に俺という戦力を増やしたところで、それでも四対二。大空と違って俺は武道経験者というわけでもなければ、ケンカ慣れしているわけでもない。力で解決できるような状況でないのは火を見るよりも明らかだ。

 そう、力だけならば。

「じゃ、お前らはお前らで好きにしていてくれ。オレは影山くんと遊ぶからよぉ」

 言って、ゴミ女を片腕に抱いたまま、俺の肩に手を置くクズ。

 そしてそのまま威圧するように力を込めたあと、クズはヤニ臭い口で宣った。

「そんなわけだから、そろそろ落とし前付けてもらおうか? なに、金さえ払ってもらえれば乱暴な真似はしねぇよ。金さえ払ってもらえればなぁ。あ、もちろんこれは初回料だから、勘違いするなよ?」

「安心して、影山くん。これからもヒメたちにお金をくれたら、なにもしないから。あ、もちろんだれかに告げ口されないように、ウラランたちみたいに恥ずかしい写真を撮らせてもらうけどー」

「そういうこった。さあ、どうするよ? ん?」

「ふ……ふ……」

「おん? 急に顔を伏せてどうしたよ、影山くんよぉ。あ、まさかお前まで泣いちまったとか? おいおい、男のくせに情けねぇなー。せめてそういうのは女の前以外で──」


「ふ……ぷぷぷぷぷぷぷぷぷくけけけけけけけきゃはははははははははははははは!!」


 唐突に響き渡る、狂気に満ちた哄笑。

 それはだれあろう──俺の口から放たれたものだった。

「な、なんだこいつ……? 恐怖で気でも触れたか……?」

「うわ、キモ……」

 腹を抱えて哄笑する俺に、クズとゴミ女が揃って当惑するように顔を引きつらせた。

 一方、光守たちをどこかに連れ込もうとしていた野郎たちも、唖然とした面持ちで足を止めていた。

 しかも光守たちまであっけに取られたような顔をするものだから、余計笑いがこみ上げてきた。いやはや、こんなに笑ったのなんて、一体何年ぶりだろうか。

「かっはっはっ。あー、笑いすぎて腹がいてぇ~」

「ああん? なにが可笑しいってんだ、てめえはよぉ」

「なにが可笑しいかって? こんなの、笑わずにいられる方が無茶って話だろ。草どころか草原が生えるわ」

「だから! なにが可笑しいんだって訊いてんだよ! ぶっ飛ばされてぇのか!?」

 またしても胸倉を掴んできたクズに、俺は仕返しとばかりにニヤリと笑んだ。


「あんたが今までなにも知らずにそこの二股女とよろしくやっていたのかと思うと、滑稽で仕方がないって話だよ」


 そう言って、クズのすぐ後ろにいるゴミ女を指差す俺。

 そんな俺に対し、クズはもちろんゴミ女も同調するように「はあ?」と眉を曲げた。

「ちょっとなに言っているのかわからないんですけどー? 影山くん、本当に頭がおかしくなっちゃった? 救急車でも呼ぼうかー?」

「だってよ、影山くん。妄想も大概にしておけよ、キモオタくん?」

 ニヤニヤと嘲笑を浮かべるクズとゴミ女に、俺は肩を竦めつつスマホを取り出した。

「おい。いきなりなにしてんだ? もし通報したらぶっ殺すぞ?」

「落ち着けよ。ほら。これが証拠の画像だ」

 言いながら、俺はとある画像を表示させて、スマホの画面をクズに向けた。

 瞬間、双眸を剥きながら食い入るようにスマホの画面を凝視するクズ。そばにいたゴミ女も面白いくらいに両目を見開いて、よろめくように覚束ない足取りで後ずさった。

「な、なんでそれ……。だれにも話したことなんてないのに……!」

「へー。じゃああんたと一緒に写っているこの男って、やっぱりもう一人の彼氏だったってわけか」

 俺の確信を突いた一言に、ゴミ女はしまったとばかりに慌てて口を塞ぐ。

 だがもう遅い。さっきの発言にしても、すでに二股を認めたようなものだ。言い逃れは不可能。

 さて、ここでネタ明かしといこうか。


 俺のスマホに表示されている写真──それは先の言葉にもあったように、ゴミ女がクズ以外の男と腕を組んで町中を歩いているところだった。


 しかもご丁寧なことに、まるで変装しているかのように清楚系のファッションに身を包んで。今のギャルギャルしい見た目とは打って変わって、ずいぶんと気合いの入った装いである。

「この男、国立大の医学生なんだろ? しかも大学内で開かれたイケメンコンテストで準優勝に選ばれたくらいの。外見も将来性も申し分なし……あんたみたいな欲深い女にしてみれば、そりゃあ自分からこんな好物件を手放すような真似なんてするわけないよなー」

 それこそ、そこにいる図体と態度がでかいだけのクズと比べるまでもなく。

「ど、どうしてそこまで……。まさか、こっそりヒメたちのことを隠し撮りしていたっていうの!? ありえない! だってそれ、あんたと初めて会う前に行ったデートのはずなのに……!」

「ばーか。よく見ろ。これはとあるインスタからコピーしてきただけの写真だ。俺が撮ったわけじゃない」

「インスタから……?」

 と驚愕に顔相を歪ませながらも、俺のスマホを再度確認するゴミ女。

「ほれ。どこかの店内の窓越しから撮影されているのが、画面の隅には写っているテーブルとその上に置かれている紙コップからわかるだろ。紙コップに印字されている模様からして、たぶんスタバだな。そのスタバの店内の窓越しから、お前が彼氏と一緒に歩いているのを偶然見かけただれかがスマホで撮影して、それをそのままインスタに上げたんだろうな。そういえば、さっき俺が言った大学のイケメンコンテストで準優勝したことや、医学生で最近一人暮らしを始めたことまで詳細に書いてあったぞ。ひょっとしたら、お前の彼氏と同じ大学にいる隠れファンのインスタだったのかもな」

「ウソ……。で、でも、どうやってそれを見つけたっていうの!? 偶然!?」

「そんなわけあるか。お前のツイッターやインスタを色々探っている内に、この写真まで辿り着いたんだよ」

「そんなのおかしい! だってあの時のデートはヒメのツイッターやインスタには一切上げてないはずだもん! 絶対辿り着けるはずがない!」

「そうだな。裏垢以外では」

 俺の言葉に、それまで憤怒で赤くなっていたゴミ女の顔色がさあっと青褪めた。

「お前、ツイッターで裏垢を使っていただろ? アカウント名は当然別にしてあったが、お前の本垢として使っているツイッターと見比べたらすぐにわかったぞ。文章の癖がそっくりだったからな。おかげで胸焼けしそうなど『好き』だの『カッコいい』だの、医学生の彼氏を褒めちぎる文を読むことになってしまったけれどな」

 他にも見覚えのある市内の写真をいくつか貼ってあったので、特定は簡単だった。裏垢そのものを探すのは、ちと骨が折れたが。

「あとはお前の裏垢の投稿から、なにか怪しさを匂わせる文章をピックアップして、そこから時間と場所が書いてあるのを集中的に検索すればいいだけの話だ。それで見つかったのがこの写真だよ。どうせだれにも気付かれないと思って、裏垢でツイッターを使ったんだろうが、爪が甘かったな」

 これだからネットは怖いのだ。些細な情報でここまで調べ上げることができるのだから。

 いや、怖いのは俺の方かもな。ゴミ女の化けの皮を剥がすために、毎日夜通しでパソコンの前にへばり付いていたのだから。おかげですっかり寝不足である。

 それにしても、本当に間抜けな奴だ。本命とデートができて舞い上がっていたのだろうが、それを裏垢とはいえネットに上げてしまうとは。このクズも見るからにあんまりネットに精通していなさそうだし、余計なことさえしなければ、このまま二股を続けられていたかもしれないというのに。俺にちょっかいをかけてしまったのが運の尽きだったな。

 しかし医学生という本命がいながら、どうしてこんな社会の最底辺と付き合ってしまったのかという件だけがどうにも釈然としない。至極謎である。

 ま、別にどうでもいいか。こいつの男の趣味なんて微塵も興味がないし、こいつらがあとでどうなったところで知ったことじゃない。

「で? まだなにか言いたいことはあるか?」

 二股をバラされて愕然とするゴミ女に、俺は口角を上げながら続ける。

「あるわけないよなー。こんな証拠写真を見せられたら。なあ、どんな気持ちだ? 罠に嵌めようとしていた男に、こうして逆にしてやられた気分は?」

「うぅ……うううううぅぅ……っ」

「あれ? あれれー? 泣いちゃったー? さっきまでの威勢の良さはどうしちゃったのかな~? もう観念しちゃったのかな~?」

 ついに目尻に涙を溜めて腰を落としたゴミ女に、俺は追撃をかける形で高らかに言ってやった。



「ざまぁみやがれ、この恋愛低能女がああああああああああああああ~!!!!」



 くぅ~! ちょー気持ちいい!

 自分を格上だと思い込んでいる奴の鼻っ柱を折るのは、最高に気持ちいいわ~!

 だが、ショーはこれで終わりではない。

 本当のクライマックスは、まだまだここからだ!

「──おい、姫奈」

 と。

 それまで口も開かず硬直するだけだったクズが、停止していた扇風機が復帰するかのようにゆっくりゴミ女の方を振り返った。

「てめぇ、よくもこのオレをコケにしやがったな。しかもこんな人前で」

「ち、違うのカズ……!」

 荒ぶる獣のように苛烈な双眸を向けるクズに、ゴミ女はそれまで漏らしていた嗚咽を止めて、勢いよく顔を上げた。

「二股をしていたのは事実だけど、本命はカズだから! あの人、確かにイケメンで国立大に通っている医学生ではあるけど、貧乏暮らしで金もないし、それにカズみたいに強くもなくて、冗談ひとつも言えないつまらない人なんだよ? だからカズとこうして小遣い稼ぎしていた方が断然面白いから!」

 ああ、だからこんな畜生にも劣るクソ虫野郎と付き合っていたのか。要は金目的だったってわけね。ほんと、つくづくゴミみたいな女だな。

 まあそういう意味ではお似合いのカップルかもしれないな。名前を合わせたらゴミクズになるし。売れないお笑い芸人みたいなコンビ名ではあるが。

「ね? だからやり直そう? 医学生の彼とはちゃんと別れるし、もうカズを裏切ったりはしないから! ヒメ、これからはカズのことだけを見るから!」

 なんて、この期に及んでまだ都合のいいことを抜かすゴミ女に、俺は唾を吐き捨てたい衝動に駆られた。あざとく上目遣いで懇願するあたり、実に小賢しい。自分が可愛い女子だと思っていないかぎり、なかなか取れない態度である。いっそ清々しさすら感じるな。

 しかしながらゴミ女の言うことを真に受けるほど、クズもバカではなかったようで、

「ああ? んなもん、今さら信用するわけねぇだろうがよぉ」

 こめかみに青筋を浮かせて凄むクズに、ゴミ女は怯えた表情で「ひぃ!」と尻餅を付いた。さながらヘビに追い詰められたカエルのように。

 どうやら、ようやく理解したみたいだな。

 ゴミ女に味方する奴なんて、ここにはだれ一人としていないっていうことに。

「オレはなぁ、人をコケにするのはいいが、コケにされるのは大嫌いなんだよ。お前もそれはよくわかっているはずだよなぁ?」

 ずいぶんと手前勝手なことをほざきながら、ゴミ女の髪を乱暴に掴むクズ。

 そして「い、痛い! やめてカズ!」と悲鳴を上げるゴミ女に委細構わず、そのまま強引に髪を引っ張って無理やり立たせた。

「やめろだぁ? オレは他人から命令されるのも大嫌いなんだよっ!」

「あびぇ!?」

 まるで北斗神拳を食らった三下みたいな悲鳴を上げながら、顔面を殴られて後方に吹っ飛び、そのままソファーに直撃するゴミ女。

 だがそれだけで終わらず、クズは床に転がるゴミ女にすぐさま近寄って、男女平等なんて知ったことかと言わんばかりに勢いよく蹴りを入れた。

「このアバズレが! 死ねやオラァ!!」

「ぐふぅ! や、やめて! 痛いの! 本当に痛いの! いやあああ! せめて顔だけはやめて! お願いっ!」

 悲痛に顔を歪ませながら懇願するゴミ女に対し、クズは容赦なく何度も何度も足で踏み付けていく。なんだか害虫でも退治しているかのような有り様だな。実際害虫みたいな女なので、あながち的外れな表現でもないが。

 それはさておき──ゴミ女の二股が発覚し、すっかり制裁というか残虐シーンを始めてしまったクズではあるが、その金魚のフンであるところの野郎三人組はどうしたのかというと、

「お、おい。どうするよ、あれ……?」

「どうするって……さすがに止めた方がいいんじゃね? 下手したらマジで殺しかねないぞ……」

「止めるって言ったって、一体どうやって? お、おれは絶対に嫌だからな!?」

「そんなの、こっちだって死んでも嫌だぞ! あんなのを相手にしたら、命がいくつあっても足りねぇわ!」

「そもそもあのカズくんを相手にするなんて、たとえ三人がかりでも無理じゃね……?」

 などと、瞠若をあらわにああでもないこうでもないと揉め始めていた。完全に腰が引けているあたり、本当にクズの腰巾着でしかなかったらしい。というよりは、コバンザメに近いか。残飯だけが目当てのアホボケカスってところだな。

 で、そんなアホボケカスに未だ捕まったままの光守たちはというと、クズの暴行を前にして、恐怖に身を震わせながら瞼をぎゅっと閉じていた。特に男が苦手な水連寺なんかは、顔面を蒼白にさせていた。

 この機を逃すまいと、険しい目付きで野郎三人組を睥睨している大空だけを除いては。

 ふむ。これは都合がいい。大空だけは戦意を削がれていないようだし、これならなんとかこの場を抜けられそうである。

 それにはまず、光守と水連寺を救出しないといけないな。

「おい」

 と。

 背後で未だに言い合いしている野郎三人組──その中の光守と水連寺を捕らえている坊主頭もといアホと長髪もといボケに声を掛けたあと、俺は踵を返して歩み寄った。

「お前ら、ちょっといいか?」

「あん!? なんだよ!?」

「てめぇの相手をしている暇なんて──」

「隙あり」

 言うが早いか、俺はズボンのポケットに忍ばせておいた小型の催涙スプレーを素早く取り出して、アホとボケの両目に噴射してやった。

「ぎゃあああああああ!? 目が! 目があああああああ!?」

「痛いぃぃぃぃぃ!! 目が抉れるように痛いぃぃぃぃぃぃ!!」

 催涙スプレーを吹きかけられ、目を押さえながら床をのた打ち回るアホとボケ。そんな二人からようやく解放された光守と水連寺はというと、なにがあったのかわからないとばかりに両目を見開いて放心していた。

 ほんと目を閉じていてよかったな、お前ら。でなきゃ巻き添えを食らっていたところだったぞ。

 そんな二人とは対照的に、大空は俺の突飛な行動に瞠目しつつもとっさに身を翻して、赤髪もといカスに上段回し蹴りを繰り出していた。

「──せやあっ!」

「げはっ!?」

 悶絶するアホとボケを前にして驚愕していたカスの頭に、大空の流麗で強烈な蹴りが見事ヒット。カスは受け身も取れず、白目を剝いたまま卒倒してしまった。

 うーむ。話には聞いていたが、まさかここまで武道に秀でていたとは。こいつだけは絶対怒りを買わないように気を付けておくとしよう。

「よし。今の内に逃げるぞ後輩! そこでぼーっと突っ立っている二人を連れてな!」

「ら、ラジャーっス! ほら行くっスよ! 光守先輩! 水連寺先輩!」

「へ? あ、うん……!」

「ま、待って……! 自分で歩けるから……!」

 大空によって強引に手を取られて走らされる光守と、自分の足で逃げようとする水連寺の背中を見届けたあと、俺も玄関先へと急ぐ。

 未だにゴミ女に蛮行を働くクズと、汚い床で倒れ伏せるアホボケカスには目もくれずに。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る