第11話 青春にも光の一面はある(極小だが)
「はあ……はあ……。どうにか逃げられたみたいっスね……」
「……だな。今のところ、追ってくる様子もないし……」
肩を上下させながら話しかけてきた大空に、俺も息を切らせつつ応える。
空き家からおよそ一キロ程度離れたマンションそばの公園──そこで俺たち四人は遊具のタイヤに腰掛けながら、それぞれ呼吸を整えていた。
「怖かった……本当に怖かった……!」
落ち着きを取り戻して、先ほどまでの光景がフラッシュバックしてきたのか、自分の体を抱きながら大粒の涙を流す水連寺。
男が苦手な水連寺にしてみればトラウマになりかねないほどの体験だったに違いないし、この件がきっかけでさらに深刻な男性恐怖症に陥ったとしても不思議ではない。
そして、光守の方も相当ショックがでかかったのか、タイヤに座ったまま悄然と項垂れていた。
まあ、あんなことがあったあとではな。当然といえば当然のリアクションか。
「……先輩」
ややあって、しばらく警戒を怠らないよう周囲に目を光らせていた大空が、ようやく気を緩めたように大きく一息をついたあと、おもむろに俺の前に立って言った。
「先輩、いつからこうなるって予想していたんスか? 催涙スプレーを用意していたってことは、デートをする前から危険だって、あらかじめわかっていたんスよね?」
「まあな。ゴミ女の裏垢を調べていた時に、あのカズっていうアウトローな存在も臭わせていたし。子分のこともツイッターでそれとなく触れていたから脅迫めいた行為をしてくる可能性は事前に考えていた」
二股以外の悪事は呟かれていなかったので──おそらく警察の目に触れるようなことはなるべく避けていたのだろう──あくまでも推測の域は出なかったが。
そこまで口にした俺に、大空にしては珍しく「だったら!」と怒声を飛ばして、
「だったら! どうしてもっと前に言ってくれなかったんスか! 先輩が早めに教えてくれていたら、あんな危険な目に遭わずに済んだかもしれないんスよ!?」
「一応忠告はしたはずだぞ。もう尾行はやめておけってな」
「あれだけじゃわからないっスよ! もっと具体的に言ってくれていたら、自分はもちろん、光守先輩や水連寺先輩も最初から行かなかったっスよ!」
「確証がなかったから言いたくても言えなかったんだよ。裏垢であいつらのことを呟いてはいたが、さっきも言った通り、犯罪に繋がりそうなことまでは伏せていたみたいだったからな」
「じゃあ二股の件だけでも教えてくれてもよかったじゃないっスか」
「正直に話したところで、お前らは信用したか? あのゴミ女のバックに不良らしき奴がいて、そいつと付き合っているだけじゃなく、他にも二股をかけている男がいるかもしれない──なんていう話を」
「それは……」
その先は続かず、大空はぎゅっと口を噤んだ。どうやら図星だったようだ。
まあカラオケで会った同い年くらいの女子が二股をかけていただけでなく、あんなろくでもない連中と関わっていたなんて普通は思わないか。
「でも、だったらデートをする前にそのことを姫奈さんに言えばよかったんスよ。証拠写真もあったんスから、それを見せたら素直に身を引いたはずなんじゃないんスか?」
「あんなもの、従兄弟だとかなんとかどうにでも言い逃れできるだろ。腕を組んでいるだけで、恋人同士だっていう確かな証明とは言えないんだからな。実際お前らも、あの写真をもっと前に見ていたら、同じことを口にしていたんじゃないか?」
「…………………………」
今度は黙ってしまった。反論すら思いつかなかったらしい。
「……けど、あの大きい男に問い詰められた時は、姫奈ちゃん、正直に二股を認めていたよ……?」
と、いつの間にか泣き止んでいた水連寺が、頬に涙の跡を残しつつも大空に代わって質問してきた。
「あのクズと一緒に証拠写真を見せられて、気が動転していたんだろうな。ま、あえてそれを狙ったというのもあるが、向こうも絶対にバレないって自信があっただけに、二股の件が白日の下に晒されて頭が真っ白になったってところだろ。白日なだけに」
そっか、と悲しげな表情で相槌を打つ水連寺。あっさりジョークを流されてしまった俺も微妙に切ない気分になった。いや、まあ別にいいけども。
「ねえ、影山くん。いつから姫奈ちゃんのことを疑っていたの? あんな証拠写真を見つけてくるくらいなんだから、こうなるずっと前から色々調べていたんだよね?」
「そんなもの、あいつに会った時からに決まっているだろうが」
俺の返答に、水連寺は「えっ」と驚きの声を上げた。
「最初からって……。ど、どうして? どこが怪しいと思ったの?」
一瞬言うべきかどうか逡巡したあと、俺は一拍間を空けて、
「………………これは俺の信条に関わる話でもあるんだが」
「信条……?」
「ああ。中学生時代の経験でな、ああいう手合いは最初から疑うように決めているんだ」
そう──あの嘘告白の一件から、俺はある信条を内に掲げるようになった。
それは──
「『俺に言い寄ってくる女は信用するな』。俺にとって座右の銘みたいなもんだ」
「なんだか、悲しい座右の銘だね……」
うるせぇわ。ほっとけ。
けどまあ、あれからなんでも人を疑うようになったし、昔に比べて狡猾になったというか、なにかと謀略をめぐらすようになったという意味では、だいぶ歪な人間になってしままったと言えるのかもしれない。
それを「悲しい」と捉えるか「成長した」と捉えるかは個々によるだろうが。
「だから姫奈ちゃんのこと、最初から全然信用していなかったんだね……」
そういうことになるな、と首肯する俺。そうでなかったら、貴重な睡眠時間を削ってまで奴のプライベートなんぞわざわざ調べるはずもない。
「姫奈ちゃん、男の人に殴られていたけど、あれからどうなっちゃったのかな……?」
と物憂げに目線を伏せながら、水連寺は脈絡なく話題を変えてきた。
「どうにか大きなケガもせずに無事でいてくれたらいいけれど……」
「あんな奴のことを心配しているのか? 俺たちを陥れようとした奴だぞ?」
「それはそうだけど……でもやっぱり心配だよ。女の子だし。今からでもどうにかしてあげられないかな?」
「さっき匿名で通報はしておいた。あとは国家権力に任せておけ」
「けど、その間になにかあったら? もしも手遅れにでもなっていたらどうするつもりなの……?」
「知らん。こっちは助けてやる義理なんてないんだからな。それともお前は、今から俺だけで助けに行けっていうのか? あんな巨漢を相手に?」
「先輩ならどうにかできたんじゃないっスか?」
それまで俺と水連寺との会話を腕組みしながら静聴していた大空が、不意に疑問をぶつけてきた。
「だって催涙スプレーなんて用意していたくらいなんスから。他にも武器を持っているとか、どうにでもできたんじゃ……」
「なくはない。それこそ、法に触れそうなやつとかな。けどあの場を収めるほどの武器じゃないし、そもそも、刺し違えてまであのゴミ女を助けようとは思わない。お前だって、仮に俺と二人がかりだったとしても敵う相手だとは思っていないだろ? 催涙スプレーを目に受けた奴らもそろそろ復活している頃だろうし」
「……拳一発で人の体をソファーごとぶっ飛ばすような怪力っスからね。体格差もあって、自分みたいな武道経験者でも勝てる気はしないっス。大した武器もないのなら、ああいうのは逃げるのが一番っスね」
「殊勝な心掛けだな」
「とはいえ、今回みたいに人質を取られたら、そうもいかないっスけれど」
それは確かに。たまたま大空のような武道経験者がいたからどうにかなったものの、そうでなかったら全員で逃げることも叶わなかったかもしれない。
「……でも影山くんは、一人でもあんな危ない場所に行こうとしていたんでしょ? そうでなかったら、私たちを途中で帰そうとはしなかったはずだよね……?」
静かな口調で問いかけてくる水連寺に、俺は無言で耳を傾ける。
「どうして? どうしてそんな危険なことをしようと思ったの? 一歩間違えたら、ケガだけじゃ済まなかったかもしれないんだよ……?」
「たとえ俺一人でもあの場を逃れる算段はあったし、もとからそのつもりでもあった。まあでも、相応のリスクは覚悟の上だった」
「だったら、なんで最初から行くのをやめなかったのよ……」
と。
終始顔を伏せるばかりで一言も発しなかった光守が、ここにきて細々と口を開いた。
「危険だって始めからわかっていたのなら、適当なことを言ってサボればよかったじゃない。そうすれば、わざわざ危険なことに足を突っ込む必要なんてなかったはずでしょ?」
「お前たちとの勝負さえなかったら、俺だってこんな面倒事に関わろうとは思わなかったよ。二股の件を伝えようにも、勝負を反故にするつもりだと思われるのが関の山だったろうし、どのみちああするしかなかったんだよ。少し荒行ではあったけどな」
「そう……要は、あんたの思惑通りだったってわけね」
そう言って、光守はようやく顔を上げて俺をじっと見た。
見るからに憔悴しきった──ともすれば今にも折れそうな自嘲的な笑みを浮かべて。
「で? あんたはこれで満足した? 友達だと思っていた子に騙されて、萌や空まで危険な目に遭わせちゃった、こんなバカなウチの姿を見て」
「そうだな。お前はバカだ」
「……っ!? 影山くん、そんな言い方──」
「大丈夫よ、萌。ウチのことはいいから」
非難の声を上げようとした水連寺を穏やかな表情で諫める光守。が、すぐに感情をなくしたような空虚な瞳を俺に向けて、
「……続けて。遠慮はいらないから」
ふん。罪悪感で押しつぶされそうなのを、他人に叱責されることで癒されたいってところか。自傷行為によるストレスの発散となんら変わらないと思うが、本人が望むならその通りにしてやろうではないか。それで光守の気が済むのなら。
「お前は人を信用しすぎなんだよ。いや、人というよりは恋愛や友情といったものを信仰しすぎというべきか──世間が綺麗だというものをそのままの意味で受け取りすぎだ。無知で無垢な幼児じゃあるまいし、もっと裏を読めるようになれ。今回みたいな事態を招きたくなかったらな」
「無知で無垢な幼児、か……。だったらこんなウチなんか助けずに放っておけばよかったじゃない。もしあのまま乱暴されていたら、部室の取り合いもなくなって、あんたにとっても都合がよかったはずなのに……」
「本当にバカだな、お前は」
自暴自棄なことを口走る光守に、俺は冷ややかに告げる。
「あそこでお前らを見捨てていたら、俺のプライベート情報を無理やり吐かされて、余計面倒なことになっていただけだっつーの。そうでなくても世間体が悪いし、佐伯先生にもどんな罵詈雑言をぶつけられるか、わかったもんじゃない」
「だったら、どうしろっていうのよ……」
俺の言葉に、光守はタイヤの上に座りながら肩を震わせた。まるで今になって恐怖が蘇ってきたかのように。
「親友や後輩に怖い思いをさせて、あんたにもとんでもない迷惑をかけて……。ウチはなんて詫びたらいいの……? なんて言ったら、みんなに許してもらえる……?」
「それ、俺たちに許してもらいたいんじゃなくて、自分を許したいだけだろ?」
「──っ」
俺の指摘に、光守は頬肉を噛むようにきつく口を閉じた。この反応、図星と見た。
「これは慰めじゃなく、あくまでも事実として伝えるが、別にお前が謝る必要はないぞ。きっかけそのものはお前にあるが、恐喝と詐欺まがいなことをしたのはゴミ女たちの方だ。法的にはこっちに過失はない。それでも自分を責めたいのなら好きにしろ。反省すべき点がないわけじゃないからな」
「そうね……全部あんたの言う通りだわ……」
それは、さながら敗北宣言のようだった。
いつしか流れていた涙を拭うこともせず、雨でも降っているかのような濡れた瞳を俺に向けて、光守は唇を震わせた。
「ほんと、全部のあんたの言う通り……。ウチがバカだったせいで、みんなをこんなことに巻き込んじゃった……。あんなに『恋愛は最高』とか『友情は素敵』とか言っていたくせにね……。もう二度と友達を悲しませるようなことはしないって誓ったはずなのに、結局また辛い目に遭わせちゃった……。ほんと、ウチってバカ──あの頃はなにも変われていない大バカよ……」
ついにはしくしくと顔を両手で覆ってしまった光守に、水連寺も大空も駆け寄るような真似はせず、沈痛な面持ちで視線を逸らした。
自分自身を責めてしまっている以上、下手な慰めは光守を余計に傷付けるだけだしな。対応としては間違えてはいない。
間違えてはいない、が──いつまでも湿っぽい空気はごめんだ。こちとら色々あって疲労も半端ないし、さくっと切り札を使わせてもらうとしよう。
正確には、切り札の方からこっちに向かって来ている状態ではあるのだが。
「まあ恋愛はともかくとして、友情の方まではそこまで否定的にならなくてもいいんじゃないか?」
という俺の唐突な問いかけに、光守だけでなく水連寺と大空まで「え?」と不思議そうに顔を上げた。
「心配そうにお前を見つめているこいつらにしてもそうだが、お前が今まで築いてきた友情は決して無意味でも無価値なものでもなかったと思うぞ。ほら見てみろ、その証拠に──」
そこで言葉を切って、俺は公園沿いの横道からまっすぐこちらに駆けてくる人影に指を差した。
その指の先を辿るように、光守はゆっくり道路に視線を向けて──徐々に両目を見開いた。
そこには光守の友人……紗雪がドレス姿で疾走していた。
「はあはあ……よかった……。麗華たち、こんなところにいたのね……」
やがて俺たちの前まで来て、呼吸を乱しながら安堵の表情を浮かべる紗雪に、光守は依然として瞠目したまま「どうして……?」と疑問を口にした。
「そこにいる影海くん……影川くんだっけ? まあどっちでもいいけど、ともかくそこにいる男の子からLINEが届いたのよ。ひょっとしたら麗華たちが危ない目に遭うかもしれないって、ここの地図も一緒に送付してきて……」
「か、影山くん。どういうこと……?」
「保険をかけておいたんだよ」
紗雪の天然なのか冗談かわからないボケをスルーして、俺は水連寺の質問に答える。
「あのままだとマジで危険なことになっていたかもしれなかったからな。警察に通報しようにも、まだ事件が起きてもいない時点で相談に乗ってくれるとも思えなかったから、いざって時にはこいつに通報してもらおうと思って、あの空き家に行く前にメッセージを送っておいたんだよ。二時間以上経ってもなにも連絡がなかったら、迷わず警察に通報してくれってな」
もしもヤバい連中に絡まれていた場合、通報している余裕なんてないだろうからな。
とはいえ、本当に助けてくれるかどうかは正直賭けだった。知り合って間もなければ大して会話もしなかった相手の言葉を信用してもらえるかどうかなんて未知数だったし、ましてこんな風に駆け付けてくれるとは思ってもみなかった。自分から危険な場所に……それも助っ人もなしに一人で来るなんて、普通ならしないはずだからだ。
にも関わらず、こうしてドレス姿で汗だくになりながらも助けに来てくれたということは──
「……けど紗雪、確かお姉さんの結婚式だったはずじゃ……」
「バカ! あんたが危ない目に遭っているのかもしれないっていうのに、結婚式なんて出ていられるわけがないでしょ!」
そんな風に叱声を飛ばして、紗雪はがばっと光守に抱き付いた。
「もー! 本当に無事でよかった~! 二時間経ったら通報してくれって話だったけど、めちゃくちゃ心配でおとなしく待っていられる気分じゃなかったし、地図はもらったけれど、あんたたちがどこにいるかまではわからなかったから、あちこち走り回される羽目になっちゃうし! おかげでドレスが汗まみれよ~!」
「ご、ごめん紗雪。心配かけちゃって……」
「それはこっちのセリフだし~! 姫奈があんな危ない子なんて知らずに紹介しちゃって、マジでごめん~! ちょー反省的な~!」
「紗雪……。ううん、心配してくれてありがとう……」
泣きながら抱擁する紗雪に対し、光守もそっと肩を抱き寄せて柔和に涙を流した。
そばにいた水連寺や大空に優しく見守られながら。
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