第7話
ひと気のない暗い森の中を、僕らは縦一列に並んで前進する。一番前に伏見先輩、次いで藤林さん、遥、僕といった順だ。
森は事前に調べてあった通り、大して密集していなかった。サンダルを履いている遥たちでもまったく苦にしていないくらいだ。
それでもそこそこ奥深く、夜の帳も下りているせいもあって全然先が見えなかった。伏見先輩の話じゃ十五分程度で着くという話だったけども、なんだかもう少しかかりそうな気もする。
こんな森の中に入ったことなんて今までなかったので、近所に住んでいるにも関わらず、大冒険しているような気分になる。生粋の怠け者なので、胸はこれっぽちも弾まないが。
「でも、なんでわざわざ暗い時を選んだんですか? 明るい方が進みやすかったのに」
つまようじでたこ焼きを食している遥が、先頭に立つ伏見先輩にそう訊ねた。顔なじみの店主にたこ焼きをおまけに二個もらったからなのか、終始上機嫌だった。この食いしん坊め。
余談ではあるが、あのお好み焼き屋の店主も来ていた。たこ焼き屋の店主をすごく慕っているらしく、前に会った時のべらめぇ口調をひそめて低頭している姿がなんだか可笑しかった。
「私もできたら明るい内に行きたかったのだがねー」
後ろを振り向かず、ずんずんと懐中電灯を手に進みながら、伏見先輩は返答する。
「念のため祭りの準備中にも一度訪れもしたのだが、どこも看板らしき物がなくてね。やむなく祭りが始まるのも待つしかなかったのだよ」
うちの地区だけかもしれないが、ここのお祭りではギリギリにならないと調理もしないし看板も立てないルールになっている。さすがに調理器具くらいは前もって準備してあるが、四十以上も並ぶ出店を一つ一つ除き見るわけにもいかないし、なにより不審者だと誤解を受けかねない。だから伏見先輩も断念して、看板が並ぶ夕刻過ぎまで待つことに決めたのだろう。
つまりは、もしも明るい内に看板が立てられていたら、伏見先輩の浴衣姿も見られなかったわけだ。うちの地区グッジョブ。そして浴衣を着ることを勧めてくれた遥にもグッジョブ。待たされた甲斐があったというものだ。
「せめて地図に描かれていた通り、宝の在り方を示す木が一本だけだったなら良かったのだがね……」
一切方向を変えず、たこ焼き屋から出る道を直進しながら、伏見先輩は独りごちる。地図通りの道筋だ。
もしも地図の通りに木が一本だけ生えていたのなら、適当に森を抜けても簡単に宝の場所を発見できたのだが、そうは問屋が卸さず。
実はこの森、地図通り奥に野原が広がってはいるのだが、なんと何本か木が生えているらしいことが、後に判明したのだ。
とどのつまり、お宝を掘ろうと思ったら、どうしても地図通り進むしか方法がなかったのである。
「それって、地図の描き方が間違ってるってことになるんですか?」
「ありえるだろうね。筆跡からいって幼児だろうし、どこまで正確に描かれたものなのか確かめようがないのだから」
それ以前に、場所自体が違うという線もあるが。
そう遥に答えつつ、伏見先輩は突き進む。たまに蚊柱が出て鬱陶しそうに手で払う場面もあったが、歩行に問題はなさそうだ。
「萌ちゃんはなにか見覚えはないの? お祭りの時はピンと来なかったみたいだけど」
「こんな森を歩くこと自体、初めてなので……」
時折飛来する虫に肩をビクっと跳ねつつ、藤林さんは首を横に振る。
「じゃあやっぱりハズレなのかなー?」
「ハズレかどうかはじきにわかるよ。ほら、目的地が見えてきた」
そう言って、伏見先輩は前方を指差した。
森を越えた向こうに、わずかながら野原らしきものが見えてきた。
そのまま少し歩いたのち、僕らは暗い森を抜け出した。
「わあ、綺麗~!」
視界に広がる景色を見て、遥がそんな感想を漏らす。それは僕も同じで、瞳に映る景色に思わず感嘆の吐息を零した。
そこには地図の通りに野原が広がっていたのだが、それだけでなく、夜の町並みまで一望できたのだ。
「すごーい。こんな場所があったなんて、私近所なのに全然知らなかった……!」
「ふむ。なかなかものだね」
さっそく写真を撮り始める遥の横で、伏見先輩も感じ入ったように目を細めて呟く。
祭りの開催場である神社が元々小高い丘の上にあるので、僕も長い石段の上から町を眺めたことは何度かあったが、こんな障害物もない絶好の夜景を見たのは生まれて初めてだった。
都会のきらびやかな夜景に比べたら雲泥の差なんだろうけど、ぽつぽつと灯る光源がまるでホタルの群れを思わせるようで、とても神秘的だった。
「わたし……この夜景をどこかで見たことがあるかもしれません」
だれもが陶然とする中で、一番後ろにいた藤林さんが夢心地にも似た呆然とした表情でボソッと呟いた。
「それは本当かい藤林くん?」
「え? でも萌ちゃん、ついさっきまで見覚えがないって……」
「はっきりと覚えているわけではないんです。むしろ初めて見た光景のはずなのに、いつかだれかとこの夜景を見たことがあるような……そんな気がしてならないんです」
デジャヴというやつだろうか。初めて体験したことであるはずなのに以前にも似た体験をしたことがあると錯覚してしまうという、いわゆる既視感。
しかしながらそのデジャヴは、他の可能性も示唆している可能性もあるわけで。
「これはビンゴだったかもしれないな」
藤林さんの反応を見て、伏見先輩がニヤリと笑う。
きっと伏見先輩も気付いたのだ。
藤林さんが、かつて消失症候群で消えた人間の記憶を断片的ながら思い出しかけていることに。
「となると善は急げ。さっそく掘るしかないな!」
そう力強く言って、伏見先輩は懐中電灯を持ち替え、空いた手で手提げ鞄からスコップを取り出した。
そうして、野原の中をいくつか侘しく生えている木……その中でも一際でかい大木へと歩んだ。
そこはちょうどたこ焼き屋から見て直線上の道。
宝の地図で丸印が振られていた木だ。
「ふむ。これは桜の木だね」
「え、咲いてもいないのにそんなことがわかるんですか?」
件の木に触れながらそう断定する伏見先輩に、僕はそう訊ねる。
「まあね。ほら、枝が横に広がっているだろう? それと樹皮に発芽や葉っぱがある。桜の木の特徴だよ」
へえ、と僕の感心の吐息を漏らす。都市伝説だけでなく、そんな雑学まで知っているのか。博識だなあ。
「で、この木のどの辺にあるんですかね?」
「あの地図を見る限り、手前の幹付近に印が振ってあったから、おそらくそこだろう」
僕の質問に答えつつ、伏見先輩は一旦手提げ鞄を地面に下ろして「よし」と袖をめくり始めた。
「あ、待ってください伏見先輩!」
スコップを手にしゃがもうとした伏見先輩を、遥が慌てて呼び止めた。
「あーちゃん、代わりに掘ってあげて」
「え、僕? なんで?」
「だってあのままだとせっかくの浴衣が汚れちゃうでしょ?」
「あー、それもそうか。伏見先輩、僕がやりますよ」
「いいのかい? それじゃあお任せしようかな」
伏見先輩はそう言って、スコップを僕に手渡した。面倒くさがり屋な僕ではあるけど、女の子に汚れ仕事を任せるほど男をやめてない。
そうしてスコップを片手に、根っこ部分の近くを掘り返していく。
ややあって、スコップにカツンとなに硬い物が当たった感触がした。
傷付けないよう慎重に周りの土を掘りつつ、ゆっくり埋まっていた物を取り出す。
それは、お土産コーナーなどで売られているようなクッキーの箱だった。
持ち上げてみると、本当に中身が入っているのかと疑いたくなるほど異様に軽い。なにかしら音も立たなかったし、少なくとも硬質的な物が入っていることはなさそうだ。
「うわー、土まみれだねー。あーちゃん、それって開けれそう?」
「ん、ちょっと待ってくれ」
とりあえず土を払ってから、蓋に手をかけた。
長年閉じられていたせいか、蓋は思っていたより硬かった。
それでも少し力を加えると、バコッという音と共に、蓋が外れた。
「藤林さん。中身を見ても大丈夫?」
「は、はい。お願いします」
緊張した面持ちした首肯する藤林さん。それを見届けてから、僕は蓋を開けた。
「これは……紙、か?」
懐中電灯によって照らして出された物を見て、僕は訝しげに呟いた。
そこにはビニール袋に入れられた二枚の画用紙が、それぞれ可愛いらしいリボンで巻かれて包装されていた。
そしてそのリボンには、誕生パーティーなどで見られるメッセージカードがそれぞれ添えられていた。
「なにか書いてあるねー。えっと……『おとなになったもえちゃんへ』に……『おとなになったまなちゃんへ』……?」
遥がメッセージカードを読み上げる。どうやら中身はタイムカプセルだったようだ。それも未来の自分に宛てたものでなく、友人同士で宛てた手紙らしい。
つまり、過去に藤林さんはだれかとここへ訪れたことがあるというわけだ。そこで藤林さんはだれかと一緒にタイムカプセルを埋め、消失症候群の影響を受けて記憶の一部を失くしてしまったと言った感じか。
消えた子の思いを残すように、タイムカプセルとその在り方を示す地図だけがこの世界に留まって。
「『もえちゃん』が萌ちゃんというのはわかるけど、『まなちゃん』っていうにはだれなんだろうね?」
「藤林くん、この名前に覚えは?」
「いえ……。でもどこかで聞いたことがあるような、懐かしいような気がします……」
伏見先輩の質問に、藤林さんは当惑した面持ちで返答した。
きっと藤林さん自体も混乱しているのだろう。見聞きした覚えのない名前のはずなのに、心だけは反応しているという奇妙な状態に。
「ひとまず画用紙を広げてみようか。私はこの藤林くんの物と思われる画用紙を開くから、遥くんはこの『まなちゃん』とやらが差出人の画用紙を開いてくれるかい?」
「あ、はい。わかりました」
懐中電灯だけ借りますねと言って、遥は伏見先輩の鞄から懐中電灯を取り出して、藤林さんと一緒に画用紙を広げ始めた。
僕は僕ですでにリボンを解いていた伏見先輩の横から画用紙を、横から覗き込むように見る。
そこには青空の下、二人の少女が手を繋いでいる様が色鉛筆で描かれていた。
そして画用紙の上部に書かれた『わたしたちは、ずっとおともだちです』という拙い文字。
一人はおかっぱの黒髪なので多分藤林さんだろうということは把握できたのだが、もう一人の子供──赤毛のツインテールに八重歯らしいものが生えている少女に、これといって見覚えはなかった。まあ、藤林さんとは最近知り合ったばかりなので、彼女の交友関係なんて知らなくて当然と言えば当然ではあるんだけども。
他に特筆すべき点はない。せいぜいが、藤林さんらしい温かみのある柔らかいタッチで描かれているなということぐらいだ。
「伏見先輩、この絵になにか変なところとかありました?」
「いや。なんの変哲もない、児童が描いた絵としか思えないな。しかしながら、この赤毛の子が消失症候群で消えた子と見て間違いないだろうね」
不謹慎ながら、私は感動しているよ。消失症候群が本当にあるのだと知って。
そう言って、伏見先輩は体を震わせた。表情こそ微笑程度に抑えているが、だれもいなかったら哄笑しそうな危うさがあった。
ようやく消失症候群の実例と言うべき物証を発見して歓喜しているのだろう。ずっと都市伝説を、特に消失症候群を追いかけていた伏見先輩にとって、これほどの喜びに勝るものは他にないのかもしれない。でも傍から見てたら不審者でしかないな、これ。
そんな伏見先輩に若干引きつつ、もう一枚の方はどうなのかなと一番反応が気になる藤林さんの方を見やると、
泣いていた。
溢れる涙を拭いすらせず、藤林さんは憑かれたように画用紙を見つめていた。
「萌ちゃん、どうしたの……?」
「思い……出しました」
心配そうに声をかける遥に、藤林さんが落涙しながら囁くように呟いた。
「思い出したって、それは本当かい藤林くん!?」
「はい。ほんの少しだけですけれど……」
「わ、私にも見せてくれたまえ!」
驚愕を露わに、伏見先輩が藤林さんの前に立って上から覗き込む。僕も後を追うようにその横から覗き見た。
「これって……」
その絵を見て、僕は思わず目を見開いた。
クレヨンで元気いっぱいに描かれた二人の少女の絵。使われた画材やタッチこそ違うものの、それは藤林さんが『まなちゃん』とやらに宛てた手紙まったく同じ構図で描かれていた。
そしてその上部には、やはり藤林さんと同じように『うちともえちゃんはおとなになってもずっとなかよし!』と書かれていた。
「まなちゃんは同い年の親戚の女の子で、すごく仲が良かったお友達だったんです」
粛々と語り出す藤林さん。その目は懐古心に満ちていながらも、言外に悲哀を滲ませていた。
「どこに行く時も一緒でした。仲良く手を繋いで色々な所に駆け回って。この夏祭りにだって何度か来たことがあったんです。きっとこれも、その時にまなちゃんと一緒に埋めたのでしょうね」
愛おしそうに画用紙を撫でながら、藤林さんは言の葉を紡ぐ。
「もう本名も顔もよく思い出せませんけれど、一緒に遊んだ記憶もかすれてきてしまっていますけど、でも確かにいたんです。内気で友達も少なかったわたしのために、いつも無邪気な笑顔を浮かべてずっと一緒にいてくれていたんです……」
ぎゅっとそこで画用紙を抱いて、藤林さんは頬を涙で濡らしながら嗚咽を漏らした。
「わたし、どうして今までこんな大事な思い出を忘れていたんだろう……! ずっと一緒にいたのに、すごくすごく、大切なお友達だったはずなのに……っ!」
「萌ちゃん……」
泣き崩れる藤林さんの肩を、遥が優しく寄り添う。
とその時、遠方からなにかが大きく弾ける音が響いた。
それは断続的に響き渡り、真っ黒に染まった夜空を色彩豊かにに彩っていた。
「花火のようだね……」
神社のある方角から少しだけ外れたところで打ち上げられる花火を眺めながら、伏見先輩が楚々と呟く。
かつて藤林さんとまなちゃんとかいう子も、ここで花火を眺めていたのだろうか。毎年夏祭りになると打ち上げられる恒例の花火ではあるけれど、いつも自宅からも見えるそれが、今日だけは不思議と違って見えた。
○
「本当に良かったのかい? あのまま埋め直してしまっても」
神社へと戻って、再び気分を変えて屋台を巡っている時だった。今度は四人一緒になってフランクフルトなどに舌鼓を打っていると、不意に伏見先輩が横に並ぶ藤林さんにそう訊ねた。
花火はすでに終わっていた。けれど祭りの喧騒は未だ収まらず、多くの人で賑わっている。一応終了時間は設けてあるらしいが、まだまだこの流れは続きそうだ。
「はい。もう決めたことですから」
伏見先輩の問いかけに、藤林さんが金魚の入った袋を手に頷いた。ついさっき、遥と一緒になって取ったものだ。
「でも大切な友達と一緒に描いたやつなんでしょ? 持って帰って大事に保管しておかなくていいの?」
「一度はわたしもそう考えたんですけど……」
伏見先輩とは逆隣りに並ぶ遥に答えつつ、一拍考えるように間を置いた後、こう先を継いだ。
「あれはまなちゃんと一緒に埋めたタイムカプセルなので。わたしだけで掘り返しても意味がないんです。だから大人になるまで待つことにします。今度こそ、まなちゃんと一緒に見られるように」
「そっか……」
藤林さんの言葉に、遥は微笑みながら相槌を打った。伏見先輩も同様に、祈りを込めるような表情で穏やかな笑みを浮かべた。
やがて女子三人姦しく会話を始めた様子を後ろから眺めながら、僕は無言で付いて行く。
僕の両腕には、遥たちが輪投げゲームなどで得た景品で溢れていた。つまりは、態の良い荷物運びと化してしまったのだ。なんたることぞ。
「ほらあーちゃん、ちゃんと歩かないと置いていっちゃうよ。もっときびきび歩く!」
「アールくん、男の甲斐性を見せるところだよ。頑張りたまえ」
「すみません。荷物を任せる形になってしまって……」
足取り重く後を追う僕に、三者三様のエールが送られる。いやこれ、普段の部活動となにも変わらない立ち位置じゃん。用が済んだらさっさと帰れると思っていたのに!
……まあいっか。結果的には藤林さんの満足のいく形(まだ消えてしまったまなちゃんをどうやって探すかという課題は残っているものの)で依頼も終えたし、変に長続きしなかっただけで良しとしておこう。願わくば、今後一切似たような依頼が舞い込まないことを祈るばかりだ。
そうしてそろそろ腕が痺れてきた頃、その子は不意に姿を現した。
「えっ──?」
見覚えのない──けれどどこかで見たことがあるような気がするその子に、僕は意表を突かれたように足を止めた。
六、七歳程度の女の子。水玉模様の浴衣に、赤毛のツインテール。
そしてその顔には、弾けるような満面の笑みと共に、可愛いらしく小さな八重歯をちらっとだけ覗かせていて……。
「あーちゃん、なにしてるのー? 本当に置いていっちゃうよ~?」
遠くから聞こえた遥の呼び声に、僕ははっと我に返った。
「ま、待ってくれ! 今そこに──!」
遥にそう叫んで、もう一度赤毛の少女の方を見やると、
「あれ? いない……?」
つい先ほどまでいたはずの少女が、忽然といなくなっていた。
雑踏に紛れてしまったのだろうかと、行き交う人々の波をくまなく見渡してみるも、影も形も見当たらない。
さながら、幻だったかのように。
あの女の子は一体なんだったのだろう。なにかに見間違いか、単なる思い過ごしか。
はたまた──。
「あーちゃんっ、一体なにをきょろきょろしてるの~っ?」
「悪い。なんでもない……」
聞こえるどうかもわからない声量で、僕はそう返事をする。
終始狐につままれたような心境になりつつも、僕は遥達のいるところへと急いで駆けた。
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