第6話



 祭囃子の音が木霊する。神社の境内へと至る道に様々な屋台が並んでおり、あちこちから良い香りが漂っている。町内の人間の含め、余所の地区から来た人たちも思い思いに着飾って大変に賑わっていた。

 夕刻を少し過ぎた程度の時間だったが、空はぼんやりと夜陰の影を忍ばせていた。しかしながら至るところに設置された灯籠からこぼれる光源によって、足元をすくわれる客もおらず、スムーズに祭りの中を歩いている。とはいえ薄暗いのに変わりはないので、浴衣に合わせてサンダルを履いている女の子などは幾分注意を払っていた。

 そんな雑踏の中を僕は手持ち無沙汰に立ちながら、ぼんやりと人を待っていた。

「早く来ねぇかな……」

 煩わしい人混みに辟易しつつ、そんな不満を漏らす。

 うちの地区にある神社はそりゃ市内でも一番大きいところではあるけど、ここまで詰め寄せるほどのもんだろうか。たかが夏祭りだぞ。花火くらいは近くで上がるけど、それ以外に目ぼしいものなんてないし、花火だって言うほど大層なもんじゃないぞ。こいつら全員暇なのか?

 あー、いかんいかん。普段こんなリア充スポットなんて来ないからつい苛立ちが。自分が発端とはいえ、早く用を済ませて帰りたい。というか帰っちゃおうかな。具合が悪くなったとか言ってバックレようかな。今ならバレないんじゃないかな。

 などと夏祭りの活気に当てられてだいぶ弱りきっていた時に、その声は響いた。

「あーちゃーんっ。お待たせ~♪」

 と。

 ちょうど参道の入り口付近にいた遥が、後ろにいる伏見先輩と藤林さんを伴って大きく手を振ってきた。

 見ると、三人共色鮮やかな浴衣を身に纏っていた。

 遥は薄いピンクの生地に紅い荻と蝶をあしらった浴衣で、髪型もいつものポニーテールではなく、後頭部付近で団子風にまとめ上げている。いかにも女の子女の子した装いだ。

 藤林さんは白地に赤と青の薔薇が刺繍された浴衣を着ていて、とても上品な雰囲気を醸し出している。こちらは長い黒髪を後ろですくい上げて、黄金色のかんざしで束ねてあった。藤林さんらしい清楚な浴衣姿だ。

 そしてトリである伏見先輩は、黒地に牡丹をあしらった浴衣を着ていた。大人っぽい容姿の伏見先輩にとてもマッチした格好だ。

 髪は頭頂部でまとめてあり、玉かんざしを挿して艶やかさを演出している。よく胸の大きな人は浴衣が似合わないとは言うが、伏見先輩に限って言えば、それは当てはまらない気がした。むしろ窮屈そうにしているのが逆にすごく色っぽい。伏見先輩だからこそここまでの妖艶な雰囲気を漂わせているのだろう。写真に収めてずっと眺めていたいくらいだ。

 なんて思っていたら、僕の元に来る道中で、遥が首から下げた一眼レフで伏見先輩と藤林さんを何枚か撮っていた。あとで僕も一枚もらうとしよう。いくらで売ってもらえるかな?

「あーっ。あーちゃんがゲスい顔してる~。どうせ伏見先輩を見てやらしいこと考えてたんでしょ?」

「あはははなにをバカなあははは」

 僕の正面へとやって来た遥が、柳眉を立てて図星を突いてきた。

 くっ。鋭いなこいつ。笑ってごまかしてみたが、絶対に確信を抱いてるんだろうな。さすがは僕の幼なじみだけのことはある。

「あ、でも、伏見先輩を見て驚いたのは事実かな。てっきり制服で来るものとばかり思ってたから」

「私は制服でいいと言ったんだがね……」

 伏見先輩が恥ずかしそうに目線を逸らして言う。その滅多に見られない可愛いらしい仕草に思わず胸がドキッと跳ねた。

「え~? ダメですよー。せっかくお祭りに出るんですから浴衣ぐらい着ないと。萌ちゃんも貸してくれるって言ってくれたんですから」

「よくお似合いですよ」

 藤林さんが伏見先輩の浴衣姿を見やりながらにこりと笑って言う。

「貸してくれるって、ひょっとして遥のもか?」

「うん! 本当はレンタルにしょうかなって思ってたんだけど、萌ちゃん家が呉服屋やっててね、ただで貸してくれるって言ってくれたの~」

 喜色満面に語る遥に「皆さんにはとてもお世話にいますから」と返す藤林さん。なるほど、呉服屋だったのか。どうりで佇まいがきちんとしているわけだ。親御さんの躾がいいんだろうな。

「そういうアールくんはジャージなのだな。それもこの間とは違う種類のようだ」

「何着か種類別であるんですよ。着心地が良いんでいつもジャージなんですけど、毎日同じやつというのもどうかと思ったんで」

「あーちゃんも甚平とか着てくればいいのに、洋服ですらないんだもんなあ……」

 遥が僕を見ながら不満そうに口を尖らせる。

 別にいいじゃんか服くらい。それにこの前の黒地と違って紺と橙のストライプだぞ。十分オシャレだろうが。

「それよりもあーちゃん。私たちを見てなにか言うことはないの?」

 ほらほら、とこれ見よがしにその場でくるくる回る遥。あれか、褒めろってか。

 遥の言葉に触発されてか、伏見先輩と藤林さんも期待するように前髪をいじり出す。この状況で面と向かって褒めるとかなんの試練なんだ。こっちまで恥ずかしくなるじゃないか。

 などと心中で不満を漏らしつつも、言わないといけない雰囲気になってるし、なにより他の二人もそれとなく期待しているみたいだし、どのみち逃げ場なんてなさそうだった。なにこの公開処刑……。

「あー、まあ、伏見先輩と藤林さんも良く似合ってますよ。すごく綺麗です」

「あ、ありがとうアールくん……」

 と、伏見先輩は顔を赤くして、

「ふふ。ありがとうございます」

 と藤林さんもほんのり頬を染めて礼を述べた。どっちも可愛い反応だけれど、特に伏見先輩の照れ具合はレア度も高くて破壊力抜群だった。お持ち帰りしてぇ~!

「あーちゃん私は私はっ?」

 照れた表情を見せる二人を見て、遥が自身の顔を指差して僕に詰め寄る。

「……遥」

「う、うんっ」

「馬子にも衣装だな」

 持っていた巾着袋で頬を殴られた。

「あーちゃん、私は?」

「……ニアッテルヨー。スゴクカワイイヨー」

「ありがとうあーちゃん! すごく嬉しいっ! わざとらしいのが癪だけど!」

「こほん。さて全員揃って、少しだけ祭りを楽しむとしようか。宝を掘るのはその後でもいいだろう」

 伏見先輩が携えていた手提げ鞄を掲げて見せて言う。持ち上げる時にガチャンと金属的な音がしたので、多分あの中にスコップが入っているのだろう。

「やったあ! 萌ちゃん、りんごアメ食べようりんごアメ!」

「あっ。待ってください遥ちゃん!」

 嬉々として藤林さんの手を引く遥の背中を見送りつつ「落ち着きのないやつだな」と僕は一人ごちる。まるで子供そのものだ。

「あはは。良いじゃないか。元気なのは素晴らしいことだよ」

 キャッキャと笑声を上げながら藤林さんと一緒に屋台に向かう遥を見やりつつ、伏見先輩が穏やかな笑みを浮かべて言う。

なんだかこうしていると、妹の面倒を見るお姉さんみたいだ。さしずめ僕が弟といったところか。こんな美人なお姉さんなら大歓迎だ。ちょっと趣味嗜好に難ありだが。

 気が付けば、伏見先輩と二人だけでお祭り客で賑わう参道を歩いていた。別段誘ったわけではないけど、自然と伏見先輩と一緒に並んで当てどもなく辺りを散策する。

 遥と藤林さんはというと、他の屋台に目移りしたのか、すでに視界から消えていた。まああらかじめ場所と時間を指定しているので、心配する必要はないだろう。

「……見つかりますかね。消えた人の手がかり」

 見るともなしにお祭りの様子を眺めながら、僕はなにげなく呟く。

「見つかるさ。君の推論は間違っていないよ」

「でも、大した根拠はありませんよ?」

「前にも話したろう? 私は君を信じると。だったら、私はそのために行動するだけさ」

「…………」

 僕の目をじっと見据えて言う伏見先輩に、なんだか面映ゆくなってこっちの方から視線を逸らした。

 本当に伏見先輩には敵わないな、などと苦笑を漏らしつつ、僕はこの間のことを反芻する。

 先週、お好み焼き屋で二人っきりになった時の記憶を──。



  ○ 



「ひょっとしてあの地図って、たこ焼き屋を描いたものなんじゃないですかね?」

 レジでの清算を終え、受け取った小銭を財布に仕舞おうとしていた伏見先輩に、心持ち上擦った声で僕はそう切り出した。

「たこ焼き屋……だって?」

 意表を突かれたように、伏見先輩が目を白黒させて訊き返す。

「はい。多分ですけど……」

「ふむ。とりあえず聞くだけ聞いてみようか」

 伏見先輩が腕を組んで話の先を促す。

 両手がいやに汗ばむ。お好み焼きが入ったトレーを持っているからだと思うが、きっとそれだけじゃない。いつになく早鐘を打つ胸の鼓動が全身にも伝って熱を発生しているかのようだった。

「えっと、あの地図に描いてあった『十ここやきやさん』ってやつなんですけど……」

 緊張を悟れないように、ともすれば真実に近付いて浮わついていると思われないよう必死に感情を内に秘めつつ、自分の推理を説明する。

「あの『十ここ』という最初の三文字なんですけど、あれって『たこ』って読むんじゃないかと思いまして」

「たこ……?」

「はい。つまり十というには漢字じゃなくて、ひらがなの『た』の一部分だったんじゃないかと」

「あ……ああっ!」

 そういうことか! と伏見先輩は合点がいったように手を打ち鳴らした。 

「つまり我々が勝手に読んでいた『十こ』という文字は、ひらがなの『た』が離れてそう見えていただけだったのか!」

「そういうことです」

 思えば、そこまで深く考える必要なんてなかったのだ。

 あの地図を描いた子の具体的な年齢はわからないがけれど、おそらく筆跡とクレヨンという道具から考えて、五、六歳程度の幼児である可能性が高い。そんな子供が描いた文字が、十なんて漢字を使うだなんて考えにくい。だからあれは、純粋に全部ひらがなで書いたものではないのかと思ったのだ。

「迂闊だった。なんでもっと早く気付けなかったのか……」

「仕方ないですよ。僕らからしたら、どう見ても『たこやきやさん』とは読めませんし」

 描いた本人の癖も強かったせいもあるのだろうけど、漢字を知らない幼児ならばともかく、漢字を学んでしまっている僕たちからしたら、そう誤解したとしても無理からぬ話だ。

「しかし、君もよく気が付いたね。あれがひらがなであると」

「や、単なる直感です。そんな深く考えてのものではないですよ」

「謙遜しなくていい。君は私なんかよりも早く解答にたどり着いたんだ。むしろ私は自分が恥ずかしいよ。教師から秀才だなんだと持て囃されておきながら、この様だよ。情けない限りだ」

「そんな、卑下し過ぎですよ伏見先輩……」

 僕なんて本当に勘で気付いたようなものだ。伏見先輩みたいな思慮深い人間と比べるのもおこがましい話である。

「それよりも伏見先輩、この辺でたこ焼き屋のあるところって知ってますか? もちろん地図と似た条件ではありますけど」

「それはないだろうね。ネットで『~焼き屋』と名の付く場所は徹底的に調べたが、たこ焼き屋で条件に合いそうな場所はなかったから」

「ということは、市外……」

「それもどうだろうね。あの地図を見た限りは行き慣れているような印象を受けたし、市内であると考えた方が妥当じゃないかな」

「だったら、一体どこに……」

 他になにか見落としている場所はなかったか。なんでもいい。なにか特定に至れそうなものはなかったか。

 思索の淵に没入する中、ふとある写真が頭を過った。

 それは、藤林さんが一人で写っていた──みんなして気味悪がっていたあの写真。その背景に写っていたもの……。

「伏見先輩! 夏祭りですよ! ほら、藤林さんが一人で写っていたやつ!」

「──そうか、屋台か! あれは町内のどこかにあるたこ焼き屋を描いたものでなく、夏祭りに出る屋台を描いたものだったのか!」

 思い返せば、情報はすべて手元に揃っていたのだ。

 ただ、僕らがそれに気付けなかっただけで。

「待て。確か夏祭りと言えば……」

 僕の言葉になにか思うところがあったのか、急に考え込むように眉根を寄せた後、

「店主! 最後に一度だけ訊ねたいことがあるんですが!」

 と伏見先輩は声を張り上げて、奥に引っ込んだ店主を再度呼びつけた。

「なんでぇ。またそんな大声出しやがって」

「申しわけない。だが、どうしても確かめたいことがありまして」

「しゃあねぇなあ。ほら、はよ言ってみい」

「先ほど、来週行われる夏祭りにたこ焼き屋を出店すると仰っていましたが、もしかして店の裏手に森や林があったりしませんか? それも毎年同じ場所で」

「おう、よく知ってんな。本来ならくじ引きで決めるらしいんだが、手伝いをするたこ焼き屋の主がそこの地主と顔が利くみたいでな、客に覚えてもらえるよう毎年同じ場所に陣取ってんだよ。おかげで毎年売り上げも上々さあ」

 その言葉を聞いて。

 僕と伏見先輩は、弾かれたように顔を見合わせた。



  ○



「でもまさか、あの地図がうちの区の祭りを示していたとは全然思わなかったなあ」

 散策途中で購入した唐揚げを食しながら、僕は伏見先輩と連れ立って参道を歩く。

「灯台下暗し、というやつなんだろうね」

 だれに聞かせるでもなく漏らした僕の呟きを、伏見先輩が耳聡く拾ってコメントを乗せる。

 そして、僕と同じように屋台で買ったチョコバナナをちょろちょろと舐めながら、伏見先輩はこっちに視線を向けて、

「藤林くんから聞いた話だと、ここのお祭りには何度か参加したことがあったらしいんだ。もっとも小さい頃の話だったようで、記憶にはほとんど残っていないようだが」

「ということは、やっぱりここであの写真を撮影した可能性が高いってことになるんですかね?」

「おそらくはね。藤林くんの両親も過去にこの夏祭りに来たのは事実らしいのだが、やはりあの写真に見覚えはないようだよ。カメラ自体持っていなかったとも言っていたみたいだし、少なくとも藤林くんの両親が撮影したという可能性はゼロに近いだろうね」

 うーむ。親戚中の人間も見覚えがないらしいし、一体だれが撮影したのだろう。もしかしたら消えた側がカメラを所持していて、それで通りがかりの人に頼んで撮影してもらったとか?

 でも、それだとにわかに疑問が残る。カメラを所持するくらいだからそこそこの年齢でないと扱えないだろうし、そうなるとあの稚拙な地図と妙にそぐわない気がする。よほど字や絵が下手か、精神年齢が極端に低いとかでない限りは。

 そう伏見先輩に話すと、

「まあ、元々雲を掴むような話だからね」

 と苦笑を浮かべて答えた。

「消失症候群で消えた人を見つけたなんて報告は一度もないし、消えたと同時にその人に対する記憶も私物をも消えてしまう。言ってしまえば、濃霧の中で目的地を目指すようなものなのだよ」

 そもそも物品が残っているだけ、ラッキーな話なのさ。

 そう言い締めて、伏見先輩はチョコバナナの先端を齧った。ほとんどバナナだけになってしまっているけれど、あれじゃあチョコとバナナと別々で食べているのと変わらんな。食べ方がエロいせいで、僕としては眼福ものだけど。

 それはともかく伏見先輩の言葉に則って言うなら、さながら濃霧の中で見えた一筋の光明を目指して歩いていることになるんだな、僕たちは。

「さて、あと十五分もすれば七時だね。時間には早いけど、もうたこ焼き屋に行っておこうか。特にすることもないし」

 手提げ鞄の小物入れからスマホを取り出した伏見先輩は、待ち受け画面の時計表示を見てそう呟く。

 そうですねと同意して、待ち合わせ場所であるたこ焼き屋へと向かう。

 元々近くまで来ていたので、数分とかからずに到着した。

 遥と藤林さんはまだ来ていない。まあこっちが早過ぎたせいもあるけど、どうせあいつのことだ。時間ギリギリまで祭りを楽しむに違いない。昔から祭りとかイベント事が好きなやつだったしなあ。なにかと忙しないやつである。

 そうして、しばし伏見先輩と談笑(ほとんど都市伝説ばかりだった。苦痛だった)して時間を潰していると、ややあって「お~いっ」と視界の先で遥が手を振っているのが目に映った。隣りには藤林さんもいる。しかも二人共わたあめを持って。思いっきり満喫しとるな。

「お待たせ~」

「お待たせいたしました」

 雑踏の中を抜け、遥と藤林さんが僕らの前にたどり着く。一生分お祭りを堪能したと言わんばかりの輝かしい笑みも添えて。

「どうだい? 祭りは楽しかったかい?」

「すっごく楽しかったです! 射的もしたよね萌ちゃん?」

「ええ。わたしは一つも取れませんでしたが」

 伏見先輩の問いに、二人が笑顔で答える。

「じゃあ遥はなにか取れたのか?」

「うん! 見て見て!」

 喜色満面にそう言って、遥は巾着袋からとある物を二個取り出した。

 それはペンギンの形をしたキーホルダーだった。しかも夏祭りなだけに涼しげな白地の浴衣を着ている。女子の目から見たらさぞや愛くるしく映ることだろう。

「伏見先輩にも一個あげますね」

「いいのかい? 私がもらっても?」

「はい。四個も当てちゃったんで。一個萌ちゃんにもあげたんですよ」

「可愛いですよ」

 言いながら藤林さんは自宅の鍵と思われる物を取り出して、遥からもらったというキーホルダーを掲げて見せた。

「え、もしかしてそれだけ?」

「そ、そうだけど……仕方ないじゃん! キーホルダーしか落ちなかったんだもん! 他のに当ててもどうしてか落ちなかったんだもん!」

 僕の指摘に対して、そういきり立つ遥。

 いやキーホルダーしか落ちない射的って。それどう考えても詐欺だろ。キーホルダーしか落ちない時点でやめとけよ……。

「まあ余っているというのなら、ありがたくいただくよ」

「はいどうぞ! あーちゃんにも一個もあげるね」

「え? 僕にも? 正直いらないなあ……」

「えー? せっかくお揃いにしようと思って頑張ったのに~」

 伏見先輩にキーホルダーを手渡した遥が、ご立腹だと言いたげに頬を膨らませた。

 だってビジュアル的にどう見ても女の子向けだし。それに、キーホルダーとか普段からあんまり付けたりしないし……。

「いいじゃないかアールくん。これも記念だよ」

 さっそくなにかの鍵(形状から言って家のやつかも)に取り付けた伏見先輩が、キーホルダーをつまみながら僕に言う。

「記念っすか……」

「うむ。普段部活でしか会わないような関係だからね。こうして一緒に遊べるなんて貴重な機会だと私は思う。そうした思い出を形として残しておくのも一興ではないかな」

「伏見先輩の言う通りだよ! ほらほらあーちゃん!」

「わかったわかった! だからそんな近寄んな!」

 ほのかに甘い香りがしてきてドキドキするんだよ!

 などと本心はもちろん明かさず、遥からキーホルダーを乱暴に受け取って、とりあえずポケットに仕舞う。

「ちょっと~。すぐに付けてくれないの~?」

「当たり前じゃん。面倒くさい……」

「んもう。あとでちゃんと付けてよねっ」

「はいはい。伏見先輩、もう行きましょう」

 小うるさい遥を手であしらって、伏見先輩に声をかける。

「そうだね。たこ焼き屋の店主にはすでに許可は取ってあるし、そろそろ行こうか」

 首肯して、伏見先輩は手提げ鞄から懐中電灯を取り出した。

 そういえば、暗い森の中を歩くんだっけ。色々調べてそこまで密集した森じゃないことは事前にわかっていたので足場は気にしてなかったけど──遥たちが浴衣を着てくるくらいだし──よくよく考えれば灯籠から離れてしまうわけだから、明かりが必要になるんだよな。完全に失念していた。

 それは僕以外にもいたようで、

「あ、どうしよう。私、懐中電灯のことなんて考えてなかった……」

「わたしもです……」

「問題ないよ。もう一つ持ってきてあるから。それでも足りなかったらスマホの電灯アプリでもダウンロードすればいいさ」

 ああ、それもそうか。というか、もう一つあるだなんて準備がいいなあ。さすがは伏見先輩だ。

「それでは、みんな、私に付いてきてくれ」

「あ、少しだけ待ってください!」

 勇み足でたこ焼き屋の裏手へと回ろうとした伏見先輩を、遥が慌てて呼び止めた。

「ん? なにか問題でもあったかい?」

「はい。とても重要なことを……」

 なんだろう。必要な物は伏見先輩がだいたい用意してくれたし、森の深さや危険な箇所なども調査済みだ。虫よけスプレーなんかも持ってきてあるし、他に怠った点なんてないような気がするが……。

「私、たこ焼きを買うのをすっかり忘れてました!」

 くっっっっそどうでもいい理由だった。


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