第5話
一番手であるたい焼き屋は、牧田高校から徒歩二十分程度のところにあった。僕と遥は帰り道が逆なのでほとんど行ったことがないが、学校から割と近いのもあって、牧田高の生徒がよく立ち寄っているという話をあちこちから聞く。一個百円というお財布に優しいお値段も人気の一つだ。
そしてお店の裏手には、藤林さんが持ってきた地図のように林が広がっていた。店先からでは、林の向こうに野原があるかどうかなんてわからなかった。
「林の向こうに一本だけ生えている木があるかどうかだって? もう二十年近くここで商売やってるけど、そんなの聞いたこともないね~」
伏見先輩の質問に、カウンターでレジを担当しているおばちゃんはそう訝しげに眉を曲げて答える。もう一人は旦那さんなのか、ごつい体をした中年男性が一心不乱にたい焼きを作っていた。どうやら二人だけで切り盛りしているらしい。
それよりも、おばちゃんは客になりそうな人間が僕らしかいないので、「で、あんたら、たい焼き買うのどうなの?」と言いたげな視線を数回投げてきた。その内遥とかが買うと思うからもう少しだけ辛抱しておくれ、おばちゃん。
「では、実際に行かれたことは?」
「そりゃ何度かあるさね。うち、犬がいるからね。もう何度となく散歩に連れて行ったもんさ」
「その頃から、野原の中に生えた木なんてなかったと?」
「そうさ。だだっ広い野原が広がっているだけ。他にはなにもなかったよ」
「そうですか……」
ここではなかったか、と伏見先輩がか細く呟く。おばちゃんに聞かれないようだいぶ声量を抑えてあったので、本当にそう呟いていたかどうかは判然としないが、口の動きを見るに多分そう言ったんだろうなという予想は付いた。
「違ったみたいだねー」
「そのようですね……」
遥が隣りにいる藤林さんに囁く。遥はそうでもないが、藤林さんはどこか落胆の色が窺えた。
このままたい焼きを買って移動かな、と他のお客さんが来た時に邪魔にならないよう離れた位置で伏見先輩とおばちゃんのやり取りを眺めていると、
「──あれ、遥じゃないか」
「え、お父さんっ?」
後方から聞こえてきた野太い声に、遥はすぐさま振り返って驚きの声を上げた。
そこには四十代くらいの男性が、ワイシャツの襟を暑そうに掴んでしきりにパタパタと空気を送り込んでいた。遥のお父さんだ。
大学時代ラグビー部だったせいなのか、全体的に体系ががっしりとしている。ここ最近腹が出てきたとこの間嘆いていたけど、見た目は筋肉質なおじさんとしか思えない。そのせいか、そこらにいる若者よりもよっぽどエネルギッシュに見えた。
「お父さん、なんでここにいるの?」
「おお、ちょうど仕事回りで近くに立ち寄る用があってな。ついでにたい焼きでも買って食おうかと思ってたんだよ」
でもまさか、そこに遥もいたなんてなあ、とおじさんが快活に笑って言う。相変わらず陽気な人だ。
「お父さんずるい! 仕事中にたい焼き食べるとか!」
「ばっかお前、疲れた体に糖分は必須だろうがよ。だいいち、お前だって友達と一緒に来てる──って、お? おおっ?」
僕の姿を見たおじさんが、異星人と遭遇したかのように両目を見開いた。
「在もいるじゃねぇか! どうした、ぐーたらなお前がこの暑い中外にいるなんて一体全体どんな心境の変化なんだ? しかもこんな可愛い子たちを白昼堂々とはべらせやがって。もっとも遥は生まれる前から超可愛いかったけどな! がはははははっ!」
「お父さん、恥ずかしいからそういうこと大声で言わないで……!」
人目を憚らず娘自慢を始めたおじさんに、遥が顔を真っ赤にして憤慨する。生まれる前から可愛かったとか、どんだけ親バカなんだこの人。
「別に遊びで来てるわけじゃありませんよ。部活動の一環です」
「ん? そうなのか? ああでもよくよく考えりゃ、在が好き好んで外を出歩くはずがねぇわな。隙あればすぐ怠けようとするお前さんが、恋愛だなんて重労働をするはずがねぇわ」
まったくもってその通り。今だって許されるならとっとと帰りたいくらいだ。
遥に手伝うと言ってしまった手前、自分から帰るような不義理な真似はしないけど。
「しっかし在。なんだかんだちゃんと部活してんだなあ。遥と同じ部活に入るって聞いた時は、絶対三日坊主で終わると踏んでたのに」
「ええ、まあ……」
おたくの娘さんに脅されてましてね。
なんて本当のことは言わず、歯切れ悪く相槌を打つ。正直に話したら、あとで遥にどんな報復をされるかわかったもんじゃないし。
「するってぇとあれか、ここにいる子はみんな同じ部活仲間か」
「うん。萌ちゃんだけ違うけどね」
「萌ちゃんって、お前の背中に引っ付いている大人しそうな子か?」
言って、おじさんは遥の後ろにいる藤林さんを指差した。
「は、はじめまして。同じクラスの藤林萌です」
「おお、そうかそうか。これからも遥と仲良くしてやってくれ。がはは!」
呵々大笑とするおじさんに、藤林さんも苦笑を浮かべながらぎこちなく頷く。そりゃこれだけの巨漢(百八十センチ以上はある)の男と相対したら、藤林さんでなくとも怯むよな。僕だって初対面だったら絶対ビビる。
「で、あそこでたい焼きを買ってるのが私たちの部長さんだよ」
「ほう、こりゃまたえらい別嬪さんだな!」
たい焼きを人数分購入してこちらへと戻る最中だった伏見先輩を見て、おじさんが驚嘆の声を漏らす。
伏見先輩もおじさんの存在に気付き、
「はじめまして。都市伝説研究部兼カメラ部部長の伏見凛々華です。お話は遠くから聞かせていただいておりました」
と会釈した。
「いやいや、こちらもうちの遥がお世話になっております」
折り目正しくお辞儀する伏見に、おじさんも低頭になって応対する。おじさん相手にまるで怖気もせず平然と挨拶できるなんて、肝っ玉が太いというか神経が図太いというか、さすがの貫禄だ。
というか、伏見先輩ってこんな態度も取れるんだな。なんとなくだれに対しても尊大なイメージがあったから、なんか意外だ。
「ずいぶんと礼儀正しいお嬢さんじゃねぇか。遥からカメラ部と都市なんたらとかいうわけわからん部活が合併すると聞いた時はどんなもんかと心配していたが、こんだけしっかりした部長さんがいるなら安心だな!」
「お父さん! 伏見先輩の前でなに言っての!」
歯に衣を着せないおじさんの物言いに遥が動揺を露わに立腹するも、「構わないよ」と伏見先輩はたおやかに微笑んでたしなめる。
「大事な一人娘なんだ。父君の懸念は至極真っ当だよ」
「で、でも……」
「結果的には認めてくださっているんだ。私から言うことはなにもないよ。それに、この程度の偏見ならとっくに慣れっこさ。だからどうか怒らないであげておくれ」
「……伏見先輩がそう言うなら」
伏見先輩に諫められ、不承不承と頷く遥。一方のおじさんはというと、
「はー。よくできた娘さんだなあ」
などと感嘆したような声を漏らしていた。いやおじさんが発端で遥が憤怒する形になってしまったのだが。さてはおじさん、まるで堪えてないな?
「それでは、我々はこれにて。遥くんは私が責任を持って監督しておきますので、五十嵐さんは安心して仕事に励んでください」
「おうおう、こいつはご丁寧にどうも。そちらさんも事故やケガに気を付けてな。遥、くれぐれもみんなに迷惑をかけるんじゃないぞ?」
「わかってる! もう! 早く仕事に行きなよ!」
「冷たいなあ遥は……」
寂しそうに眉尻を下げるおじさんを残して、僕らはたい焼き屋を後にする。少し気になって後ろを振り返ってみると、出会い頭に話していた通り、喜色に満ちた顔でたい焼きを購入していた。なんだか子供っぽい。
「なかなかユニークな父君だったね」
抱えていた紙袋から僕らにたい焼きを手渡しつつ、伏見先輩が可笑しそうに口許を緩めつつ言う。
「全然ユニークなんかじゃないですよ。ああいうのはがさつって言うんです。ね、萌ちゃん?」
「はは……」
明言を避けるように、藤林くん微苦笑を浮かべてごまかす。そりゃよそ様の父親の悪口なんて、冗談でも言えんわな。藤林さんみたいな優しい人ならなおさらに。
「僕は良いと思うけどな。遥の親父さん」
受け取ったホクホクのたい焼きを咀嚼しつつ、僕は思ったままを口にする。パリパリの皮と程良い甘味の粒あんが絶妙に合わさって美味しい。あ、これ中にお餅が入ってんな。どうりで食感が良いわけだ。
「どこが~? デリカシーの欠片もないし暑苦しいし、それに加齢臭もだんだんきつくなってきたし!」
加齢臭は許してやれよ。歳を取った男の抗えぬ運命なんだよ……。
「でもさ、付き合いやすいじゃん。裏表がないって言うか、明け透けな性格しててさ」
「おや、アールくんにしては珍しい意見だね。君はああいうアクティブな人間は苦手だと思っていたのだが」
小鳥がついばむようにちょこちょことたい焼きを食べていた伏見先輩が、意外そうな顔をして僕に話しかける。ていうか食べ方可愛いなこの人! めちゃくちゃ写メ撮りたい!
「決して得意ってわけでもないですけどね。でも腹の内を読まなくていい相手とか、僕からしたらすごく楽なんで」
「なるほど。アールくんらしい見解だね」
「え~? 私にはよくわかんないなあ」
そんな他愛のない会話を交えつつ、四人で固まってひたすら街路樹が並ぶ道を歩く。
次なる目的地は、ここからもっとも近いもんじゃ焼き屋だ。
○
結論から言えば、もんじゃ焼き屋もその次の今川焼屋もハズレだった。
地形自体はあのクレヨンで描いた地図と似通っていたのだが、肝心の一本だけの木というのが見当たらなかったのだ。
元々幼児が描いた地図だし、どこまで当てにしていいかわからない上での調査だったのだ。こうなることはある程度覚悟していたとはいえ、やはり落胆は大きい。最悪、全部ハズレの可能性もあるわけで、そうなるとこれまでの道のりも骨折り損のくたびれ儲けになってしまう。それだけはどうしても避けたい。
でないと僕が──自他共に認める怠け者な僕が、一体なんのためになけなしの克己心を奮い立たせてここまで来たというのか。結果に繋がらない労働なんてこの世でもっとも忌むべきことだと思う。
「次で最後か。今度こそ有力な手がかりが見つかるといいのだが……」
道中で買った今川焼を手にしつつ、伏見先輩が眉根を寄せて呟く。思い出したように今川焼へと口をつけてはいるが、食べるスピードが極端に遅いせいもあって、食べきるにはまだまだ時間はかかりそうだ。
「だ、大丈夫ですよ! きっと次で見つかります!」
こちらはすでに今川焼を食べ終えた遥が、空元気を装って声を張り上げる。
「だから萌ちゃんもそんなに落ち込まないで! もう見つからないって決まったわけじゃないんだから!」
「……はい。そうですね……」
そう囁くように返しつつ、藤林さんは曇った笑みを見せる。その手に握られている一口も食べていない今川焼が、藤林さんを心情をなによりも物語っていた。見た目通り小食という線も捨てきれないけれど。
時刻はすでに午後一時を回ろうとしていた。たい焼きやらもんじゃ焼きやらを途中で食べていたのでさほど空腹は感じていないが、どことなく物足りない気もする。
やっぱご飯とかパンとかでないと満足感は得られないな。女子勢は至って平然としているが、これも男女間の違いというやつなんだろうか。
まあまだお好み焼き屋もあるんだし、そこでたらふく食べればいいか。
そこはかとなく重い空気が流れる中、そんな詮ないことを考えつつ、僕らは最後のポイントであるお好み焼き屋へと向かう。ここまで交通機関はもんじゃ焼き屋の帰りでしか利用していない。もんじゃ焼きが店内で食う物だったのとは事情が違い、たい焼きと今川焼は食べ歩きしていたので、バスなどを使うわけにはいかなかったのだ。
そうこうしている内に、ラスト候補であるお好み焼き屋へと到着する。
そこも一応は宝の地図と似た立地で建てられていた。つまり後方に森ないし林が生えている状態。今回は森の方だ。
店自体はさほど大きいものではない。店員も店主と思わしき中年男性と数名のおばちゃんぐらいしかおらず、どう見ても中で飲食できる仕様になっていない。その代わり外に差されたパラソルの下に、木製のテーブルと丸太の椅子がいくつか設置されていた。
そこにお客さんも何人かいて、紙の受け皿に乗ったお好み焼きをお店で販売しているジュースをお供にして美味しそうに食していた。逆にお持ち帰りしたい時は透明のパックに入れてもらえるらしく、小さな子供連れの若奥さんがお好み焼きが入った袋を下げて帰ろうとしている最中だった。少しお昼は過ぎてしまったが、あれが今日の昼食なのかもしれない。
「それでは行こうか」
最後のお客さんがはけたのを見て、伏見先輩が僕らを先導してカウンターに向かう。
「はい、いらっしゃい。なにになさいますか」
「ああ、申しわけありません。一応客ではあるんですが、その前に訊きたいことがありまして」
「訊きたいこと……?」
売り子をしているおばちゃんが怪訝に眉をひそめる。それでも露骨に追い返そうとしなかったのは、事前に客ということを提示したおかげだろうか。
「お時間は取りません。手短に済ませますので」
「はあ。私でわかることなら」
ありがとうございますと伏見先輩は頭を下げて、「それでは」と話を切り出す。
「この店の裏手にある森ですが、その先に野原ってありますか?」
「えー? どうなのかしら? 私ここで働き始めてからまだ日が浅いから、この辺のことってあんまり詳しくないのよね~」
「そうですか……」
「あ、でも店長なら昔からここに住んでいるからなにか知ってるかも。ちょっとそこで待ってね。店長! 店長~!」
「なんでい。さっきから騒がしい」
おばちゃんに呼ばれ、奥で背中を向けながら鉄板の掃除をしていた店主が、妙にべらめい口調でカウンターへと歩み寄った。
「この子らは客かい? 注文がまだ入ってねえみてぇだが、冷やかしならとっとと帰って……って、遥ちゃん!? 遥ちゃんじゃねぇか!」
「おじちゃん!? なんでおじちゃんがここに!?」
「おや、知り合いかい?」
互いの姿を見て驚きの声を上げる二人に、伏見先輩がそう訊ねる。
「はい。よくうちの町内の夏祭りで屋台をやってるおじちゃんなんです。でもなんでおじちゃんがお好み焼き屋に? おじちゃん、夏祭りの時はたこ焼き売ってるよね?」
「ありゃ知り合いの手伝ぇだよ。昔、かなり世話になった人でなあ。祭りの日だけたこ焼き屋の手伝いをしてんのさ」
「そうなんだー。じゃあ本業はお好み焼き屋なんだね」
「おうよ。しっかしおどれぇたよ。まさか遥ちゃんがここに来るなんてなあ」
「うん。私もここでおじちゃんと会うなんて思わなかったよ」
「すみません店主。少しよろしいですか?」
遥と店主の会話を遮る形で、伏見先輩が不意に挙手する。
「店主はこの土地に詳しいと窺ったのですが、あの森の先になにがあるかご存知で?」
「ん? ああ、あの森かい? あの向こうにはなんもねぇぞ。原っぱだけさあ」
「では、大木が一本だけ生えているということも?」
「大木ぅ? 知らねえなあ。あそこは小せぇ頃から俺の遊び場だったが、木なんざ一本たりとも生えたことなんてねぇぞ。それがどうしたってぇんだい?」
「いえ、ご協力感謝します」
「いいってことよ。なんかよくわかんねぇが、お得意様である遥ちゃんの知り合いとあっちゃ無碍にはできねぇしな」
呵々と笑うと店主に、伏見先輩も営業スマイルを浮かべつつ、
「本当にありがとうございます。それではせめてもの恩返しに、お好み焼きを二皿分ください」
と注文した。
「君たちは先に座っているといい。私はここでお好み焼きができあがるのを待つよ」
「わかりました。行こう、萌ちゃん」
「はい……」
意気消沈している藤林さんを連れ立って、遥がフードコートへと歩む。僕は残留だ。
「うん? アールくんは一緒に行かないのかい?」
「ええ、まあ。伏見先輩だけだと運ぶのも大変でしょうから」
それに、と席に着いた遥と藤林さんを見やりながら僕は言う。
「あんな状態の藤林さんに、なんて声をかけたらいいかわからないですから。むしろ下手に僕が声をかけるより、仲の良い遥に任せた方がいいかと思いまして」
あからさまに落ち込んだ様子の藤林さんに遥が懸命に励ましているようだが、反応は芳しくない。これで消失症候群で消えた(かもしれない)人間を探しだす唯一の道が断たれてしまったわけなのだから、気持ちはわからなくもないが。
「なるほど。どうりで面倒くさがり屋の君が私の手伝いを願い出たわけだ。二つの意味で機転が利くね」
「単に逃げてきただけっすよ。そんな深い思慮があってのことじゃないです」
「素直じゃないな君も。私はアールくんのそういうさりげなく優しいところ、割と評価しているのだぞ? というより、うん。正直かなり好意に値する」
「えっ。そ、それってまさか僕のことが──」
「部活をやっていく上で仲間との連携は必須だからね。君のそういった気遣いの上手さは美点であると私は思う」
「あ、ああ。好意ってそういう……」
なんだ。告白とかじゃなかったのか。臆面もなく好きみたいなこと言っちゃうもんだから、内心かなり焦った……。
それは店員のおばちゃんたちもそうだったみたいで、僕らの一連の会話を聞いて露骨に残念そうな顔をしていた。
ごめんよおばちゃん。この人、恋愛なんかよりも都市伝説の方が好きっていう変人さんだから……。
「それにしても、藤林さんってすごいですよね」
「すごい、とは?」
「いや、改めて言葉にするのも難しいんですけど……」
頭を掻きながら、必死に語彙を思い浮かべつつ僕は続ける。
「一途というかなんというか、記憶にもない人のために──本当に消えたかどうかもわからない人のために、あそこまで真剣になれるなんて。僕だったら覚えのない人のためにあんな一生懸命になれないですよ」
「きっと心が覚えているんじゃないかな」
ジュワ~という音が不意に耳朶を打った。
鉄板の上から大量のキャベツが入ったネタが投下され、食欲をそそる香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。
「具体的な記憶はなくとも、その人と会った時の感情がどこかに残っていて、それでいても立ってもいられないんじゃないかと私は考えている。事実、消失症候群の人間と関わったものは、大抵心の中にぽっかり穴が空いたような感覚を味わうらしいんだ」
「心に穴……」
「うむ。だから藤林くんも親戚の家に残されていたという写真や地図を見て、どこか懐古心じみたものを感じたんじゃないかな。理屈じゃないんだよ、こういうのは」
「…………」
理屈じゃない、か。
でもまあ、そうだな。
心を突き動かすようななにかがないと、ここまでしようだなんて、普通思わないよな。
「しかし、とは言え、ここでふりだしに戻ってしまうだなんてね」
若干嘆息混じりにそう呟いて、伏見先輩は見るともなしに軒先を仰いだ。
「地図に合う条件の場所をリストアップしたつもりだったが、まさかすべて違っているとは。これは今までにない難件になりそうだ」
「実はあの地図が市外で描かれたという可能性はないんですか? ひょっとしたら県外という線も……」
「それは考えにくいと思う。前に藤林くんから訊いたのだが、今までに転居経験なんてないらしいし、旅行に行くにしても、浴衣姿で祭りに参加した経験も一度としてないと語っていたからね。写真が見つかったという親戚の家も市内にあるらしいから、幼少の頃の藤林くんの行動範囲を推察するに、市内のどこかと考えた方が妥当だ」
「けど結局見つからなかったと。うーん、やっぱ昔と今じゃ地形が変わってんのかなあ」
「なーに眉間にしわ寄せてたんだお二人さん」
良い考えが浮かばず、二人して渋い顔をしていた最中、店主が完成したお好み焼きを二皿分持って僕らの元へと運んできた。しかもけっこうボリュームがある。間食したばかりなのであえて人数分でなくその半分の量で頼んだんだろうけど、これでも食べきれるかどうかわからない量だ。
「ほらよ、これでも食べて気分変えな」
「あ、ありがとうございます」
手渡されたお好み焼きを受け取って、僕は苦笑いを浮かべる。まだまだ食べれるとばかり思っていたけど、こりゃお持ち帰りコースかもしれんな……。
「にいちゃんにいちゃん。遥ちゃんに伝言があるんだけどよ」
「遥に、ですか?」
清算を伏見先輩に任せて(割り勘である)フードコートへと赴こうした際、店主に呼び止められて僕は動きを止めた。
伏見先輩が店員のおばちゃんにお金を渡す様を横目でちらっと見つつ「なんですか?」と訊ね返す。
「遥ちゃんに言っておいてくれや。来週やる夏祭りにまたたこ焼き屋やるからよろしくなってな」
「ああ、あいつ常連なんでしたっけ」
僕は夏祭りなんて小さい頃を除けば一切行かない(面倒だから)ので全然知らなかったが、毎年のようにたこ焼きを買ってるのなら、きっと今年もまた行くのだろう。わざわざあんな人混みの中を行くだなんて物好きなやつだ。
「はい、わかりまし──」
と。
そこで頷こうとして。
さながら天啓のように、全身に電流が走った。
ちょっと待て。まさかあれって……。
多分そうだ。根拠があるわけじゃないけど、これなら辻褄が合う!
「伏見先輩!」
「わっ! な、なんだね。らしくなく大声なんて出して……」
びっくりしている伏見先輩に構わず、僕はふと浮かんだ考えを吐露する。
「ひょっとして、あの地図って──」
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