第4話



 夢を見ていた。

 そこは近所にある、小さい頃よく遊んでいた公園だった。

 やたらカラフルなブランコ、ゾウの形をした滑り台、スコップやバケツが放置されたままの砂場。そんな見慣れた遊具が視界に映る中で、僕はなにをするでもなくぼんやりと突っ立っていた。

『ひっく……ひっく……』

 と、その時、どこからか幼い子のすすり泣くような声が聞こえてきた。

 周りを見ても、人影なんてどこにも見当たらない。なのに僕は、始めからその子がどこにいるのかをわかっていたかのように滑り台へと一直線に向かう。

 滑り台の下、子供二人分は悠々と入れる空洞の中で、その女の子はひざを抱えてボロボロと大粒の涙を流していた。

『見つけた』

 僕の声に、女の子が伏せていた顔をゆっくり上げて、こちらに濡れた瞳を向ける。

『帰ろう。みんな待ってるよ』

 そう言って差し伸べた手を、女の子は逡巡しつつもゆっくり握ろうとして──



「あーちゃんっ。朝だよ! 早く起きて!」

 頭まで被っていた布団を、突如勢いよくはがされた。

 カーテンを全開にされた窓から、容赦なく朝日の暴力的な光が僕を襲う。外からスズメの囀る鳴き声が響き、否応なく今が朝だということを知らされる。

 心地よく微睡んでいた中を強制的に覚醒され、僕は恨みがましく遥を睨みつけた。

「お前……今日は日曜日だぞ? 平日じゃないんだぞ? 休日の日まで起こしに来るとかなに考えてやがんだ。なめとんのか」

「……あーちゃん、今日はなんの日?」

「あん? だから日曜日だろ?」

「それ以外は?」

「は?」

「だから、それ以外」

「それ以外って、他になにがあるって……」

 と。

 そこで初めて、今日が伏見先輩たちと調査に出かける日だってことを思い出した。

 どうしよう。冷や汗が止まらない。

 それ以上に、遥の貼り付けたような笑顔がめちゃくちゃ怖い!

「あーちゃん」

「はい」

 いつもなら低血圧で動けないのが嘘のように、僕はすぐさまベッドから降りてカーペットの上に正座した。

「あーちゃん、この間私に言ってたよね? 当日起きれないかもしれないから、朝の九時になっても連絡がなかったら起こしに来てほしいって」

「はい。仰る通りでごさいます」

「それで、本当に時間になっても連絡が来ないから約束通りにこうして起こしに来たんだけど、私、なにか間違ってることしてる?」

「いいえ。なに一つとして間違っておりません」

「で、なにか言いたいことは?」

「本当にすみませんでしたあああああああああっ!」

 カーペットに額をこすり付けて、僕は土下座した。

 そこにプライドなんてものはどこにもなかった。

「もおおおおおお! ほんとにあーちゃんは! いつもいつも毎回私に起こされて情けないとは思わないの!?」

「思ってますですはい……」

「じゃあ、ちょっとくらい起きれるように努力をしなよ! 昨日だって、次の日が調査に出かける日だって覚えてはいたんでしょ? だったら寝坊しないように少しは工夫しなよね!」

「工夫って、たとえばどんな?」

「どんなって……。目覚まし時計は……ダメか。あーちゃん、いくら買っても毎回寝ぼけて壊しちゃうもんね……」

 そうして、遥はしばらく小難しそうに唸った後、

「だったら、いっそのこといっぱい寝ちゃうっていうのはどう? 九時間とか十時間くらいとか。ちなみに、昨日は何時間寝たの?」

「十三時間くらいかな」

「寝過ぎだよ! むしろそれだけ寝てるのにどうして朝起きれないの!?」

 どうしてだろうね。不思議だよね。

「はああああ。どうして朝からこんなに疲れないといけないの……」

 そう盛大に溜め息をついて、遥は僕のベッドに腰を下ろした。

「あーちゃんといいお父さんといい、男の人ってみんなこうなのかな……」

「ん? おじさんがどうかしたのか?」

「それが聞いてよあーちゃん!」

 僕が疑問を投げた途端、遥が瞬時に身を乗り出して至近距離まで迫ってきた。疲れたとか言っておきながら全然元気じゃん……。

「お父さんったらね、私が毎回ポケットにティッシュとかレシートとかを入れたまま洗濯籠に入れないでねって言ってるのに、この間も入れっぱなしにしたまま洗濯籠に入れるし、食べ終えたお弁当をよく忘れて鞄の中に入れ忘れたままにするし、一昨日だって会社の帰りにお米を買ってきてって言ったのに、そのまま飲み会に行って結局お米を買い忘れて家に帰ってきちゃうし! 一体だれが家事をしてると思ってんのよもう!」

「…………」

 言ってることが思いっきり母ちゃんのそれだった。

 まあ、おばさんが亡くなってからは、遥が家事を一挙に引き受けてるしなあ。色々とストレスも溜まってるんだろうなあ。原因の一端が僕にもあるわけだけれども。

 それにしても、おじさんが完全に復活してくれたみたいで、本当に良かった。おばさんが死んだ時、周りには気丈に振舞っていたけれど、傍目にはかなりショックを受けているみたいだったしなあ。遥の話じゃ一時期ご飯もろくに喉を通らなかったみたいだし、元気になってくれてなによりだ。

 おじさん、すごく気さくで良い人だし、願わくば、おばさんの分まで幸せになってもらいたいものだ。

「まあまあ遥。おじさんも夜遅くまで働いて生活を支えてくれているわけだし、そこは理解してやらんとな。もちろん遥だって学校に通いながら家事までしているわけだから、十分に偉いと思うけどさ」

「うん……」

 僕の言葉に少しは溜飲が下がったのか、遥は怒りを鎮めてぺたんと女の子座りになった。

 そりゃ長年一緒に暮らしてたら色々と不満も出るよな。僕は物心付いた頃から両親が仕事で家を空けることが多かったし、別段一人でいることにも慣れていたから気楽ではあるけども、そういった家族の当たり前にあるやり取りが羨ましいと思わなくもない。

「そうだよね。家族は私だけなんだし……」

 ようやく気持ちが落ち着いてきたのか、遥は「よしっ」と気合いを入れて姿勢良く立ち上がった後、にかっと相好を崩した。

「うん! 私がいないとお父さん、家事なんてなんにもできないしね。私がしっかりしなきゃ!」

「その意気だ遥。引き続き僕の世話も頼むぞ」

「いや、その理屈はおかしいよ!」

 くっ。上手く流れになって僕の世話も今後も変わらずやらせる算段だったのに、こうもあっさり見抜いてくるとは!

「はあ。今ので一気にバカらしくなっちゃった……」

 そう嘆息して、不意に遥は踵を返した。

「朝ご飯の準備だけしてあげるから、早く着替えておいでよね」

「あ、待って遥」

 僕の部屋から出ようとする遥を寸前に呼び止める。

「最近さ、なにかすごく落ち込むようなことってなかったか?」

「落ち込むようなこと?」

 きょとんとした顔でオウム返しに呟く遥。

「別にないかな。テストの点が思っていたより悪かった時とか、欲しかった雑誌がお店になかった時とかはちょっと落ち込んだりもしたけれど。でも、それがどうかした?」

「いんや、なんでもない。呼び止めて悪かったな」

「……? 変なあーちゃん」

 怪訝に眉をひそめつつ、遥はドアを開けて部屋から退出していった。

「……………………」

 その後ろ姿を見送って、僕は釈然としない心持ちで頭を掻く。

 だったらなんで、今さらあんな夢を見たのだろう──?



  ○



「あーちゃんって、ほんと服装とか見た目に無頓着だよね……」

 待ち合わせ場所である牧田高校へと向かっている最中だった。

 僕の服装を一瞥した遥は、そんな呆れた口調で話題を切り出してきた。

「無頓着って、一体どこが?」

「仮にも女の子と出歩くっていうのに、ジャージ姿で来るところとか」

「いいじゃん。楽だしさ」

 言いつつ、僕はジャージの裾を掴む。

 それはスポーツ用品店などで売られているような、町中でもちょくちょく見かけるタイプのありふれたジャージだった。今日も暑いのでさすがに上はTシャツだか、靴は履きなれたスニーカーだし、パッと見はジョギングかなにかしらスポーツをやろうとしている少年としか思われないだろう。

 言わずもがな、怠ける者たる僕にそんな無駄に疲れるだけの趣味なんて持ち合わせていないが。

「だいたい、今日は調査の一環だろ? デートじゃあるまいし、遥みたいにばっちり決める必要ないだろ」

 朝は色々あって意識しなかったが、今日の遥はいかにも夏らしいファッションで決めていた。

 上は鮮やかな花色柄のタンクトップに、下はデニムのショートパンツ。靴は清潔感のある白のサンダルで、他にも手首などが寂しくならないよう、各種簡単なアクセサリーも身に付けている。肩にはとあるマスコットキャラを模したポシェットがかけられており、今から友人たちと買い物にでも行きそうな出で立ちだった。当然のように首から一眼レフが下げられていなかったらの話ではあるが。

「わかってないなあ、あーちゃんは。女の子はね、周りにいる子たちの服装も気にかけるものなんだよ。みんな可愛い格好してるのに、自分だけダサい格好なんてしてたら恥ずかしいし、周りにいる子たちにも申しわけないでしょ?」

「そういうもんか?」

「そういうもんなんだよ」

 う~ん。女子の考えてることはよくわからん。

「そういう意味で言うと、あーちゃんはダメダメだね! なんでもっとオシャレしてこなかったの? 遠出用の服ぐらいはちゃんとあるんでしょ?」

「あるにはあるけど、着るの手間だし。ジャージならすぐに着られるし」

「あーちゃんはそれでいいかもしれないけど、そばにいる女の子に恥をかかせちゃうじゃん!」

「寝癖だけでも直したんだから十分じゃね? 遥に言われてだけどもさ」

「寝癖だけじゃ意味ないよ! そもそも、あーちゃんはなにかと物ぐさすぎ──」

「あーはいはい」

 耳をふさいで遥の小言を遮断する。つくづくお節介なやつだなこいつは。

 手の隙間からでも入る遥のお説教を聞き流しつつ、通学路でもある小高い坂を上る。

 休日ということもあって、時折小学生のくらいの子が外を駆け回る姿が散見できる。ここら一帯は住宅街でもあるから、きっと近くの子なんだろう。その様子を見守りつつ子持ちと思われる主婦たちが井戸端会議を始めていた。実に牧歌的な風景である。

 そうこうしている内に坂を越え、幅の広い一本道に出た。この道をまっすぐ進めば学校だ。

 しばし歩くと、牧田高校の校舎が目に映った。

 視線を正面に向けると、校門のそばに一人の少女が姿勢良く立っているのが見えた。藤林さんだ。

「萌ちゃーん!」

 スマホをいじるでもなく楚々と佇む藤林さんに、遥が手を上げて呼びかける。

「北瀬さん、遥ちゃん。おはようございます」

 僕らに気付いた藤林さんが、温和な笑みを浮かべて挨拶を述べた。

「おはよう、藤林さん」

「おはよう萌ちゃん! わあ、今日の服すごく似合ってるね! 可愛い~っ」

「そ、そうでしょうか?」

 遥に褒められ、藤林さんは照れたように頬を赤らめて前髪をいじった。

 実際今日の藤林さんは、思わず溜め息がこぼれそうなほど可憐だった。

 膝下まである純白のワンピース。上に桃色のカーディガンを羽織っており、とても女の子らしい格好をしている。頭には紫外線対策なのか、つばの広いハット帽子を被っていた。清楚な藤林さんによく似合う、お嬢様然とした服装だ。

「そういう遥ちゃんも、よくお似合いですよ」

「ありがとう! よくよく考えたら私たちって、私服で会うのは初めてだよね」

「そうですね。今年同じクラスになってから何度か学校の帰りに遊んだことはありますが、休日に会うというのは初めてかもしれません」

「だよねー。もし良かったら、これからも休みの日に遊んだりしようよ!」

「はい。こちらからもぜひ!」

 なにやらガールズトークが始まってしまった。この場唯一の男である僕としては、所在なく立ちつくすしか他ない。そして一旦ガールズトークが始まると、なかなか終わらないんだよな、これが。

 ぼんやりと青空を眺めつつ、早く伏見先輩来てくれないかなーと切に願っていると、

「やあやあ三人共。揃っているようだね」

 僕と遥が来た道とは逆の方、こちらから見て真向かいの方向から、伏見先輩がそう声をかけてマイペースに近付いてきた。

「どうやら私で最後のようだね。てっきりアールくんが最後に遅れてくるとばかり思っていたのだが、どうやら予想と違ったようだ」

「ふふ……伏見先輩。人は常に成長する生き物なんですよ」

「あーちゃんってば嘘ばっかり。結局寝坊して私に起こしてもらったくせに」

「おいバカ遥。本当のこと言うなよ。せっかく僕の株を上げて色々融通を利かせるチャンスだったのに」

「どのみち今の言葉で、私の中のアールくんの株は大暴落だがね」

「くっ。これが俗に言う誘導尋問か……!」

「単なる自滅でしょ」

 ばっさり切り捨てる遥。悲しいもんだな。だれ一人として弁護してくれる人がいないというのは……。

「そんなことより伏見先輩。どうして制服なんですか?」

 遥の疑問に「ん? これかい?」と伏見先輩はいつも着ている制服のスカートを軽くつまんだ。

「恥ずかしい話だが、ファッションというものにどうにも疎くてね。だから外出する際はいつも一番無難な制服を着ているのだよ」

「えーっ。もったいないですよ。伏見先輩、すごく綺麗なのに!」

「そう言われてもね……」

 遥の言葉に、伏見先輩は困ったように苦笑を浮かべる。こんな伏見先輩を見るのは珍しい。

「他に服って持ってないんですか? 私たち花の女子高生なんですよ? ビッチャビチャの乙女なんですよ? もっとオシャレしましょうよ!」

 ビッチャビチャて。その言い方だと常時汗まみれっぽく聞こえるぞ。常に汗まみれの女の子とか、なんかイヤだ。

「あるにはあるけど、アールくんが着ているようなジャージしかなくてね。今回は激しく運動するわけでもないから制服を着てきたのだよ」

「え、伏見先輩もジャージ愛好家だったんですか?」

 なにそれちょっと嬉しい。こんな身近に同士がいただなんて!

「僕、伏見先輩とならジャージだけで三日三晩は語り明かせる自信がありますよ。むしろ今から語り合いたいくらいです!」

「いや、別にそこまでジャージが好きというわけではないんだが……」

「ダメだよあーちゃん! 伏見先輩は私と洋服を買いに行くんだから!」

「あの、依頼の件はどうなっているのでしょうか……?」

 藤林さんの言葉に三人共「あっ」と小さく声を漏らした。

 そうだった。今日は遊びに来たわけじゃなかったんだった……。

「そ、そうだったね。すまない。つい脱線してしまった」

 そう藤林さんに詫びて、伏見先輩はきりっと顔を引き締めた。

「今日の目的は、藤林くんが持ち込んできた地図を頼りに隠された物を見つけるというものだ。調べた結果、地図と相似した場所は四点。そこで我々は、その四つのポイントに赴いて、藤林くんの失くした記憶を取り戻す。以上でなにか質問はあるかね?」

「はいはい!」

「なにかね遥くん?」

 元気よく挙手した遥に、伏見先輩が指を差して質問を促す。

「この間は訊かずに流してしまいましたけど、その四つのポイントって具体的にどこなんですか?」

「ああ、そういえば話してなかったね」

 言って、伏見先輩はスマホを取り出し、なにやらちょこちょこと操作した後、地図を表示した画面を僕に向けた。

 それは前にも見せてもらった画像なのだが、この間と違って赤い丸印の上にそれぞれの店名となんのお店なのかまで書いてあった。

「近い順で言うと、たい焼き屋、もんじゃ焼き屋、今川焼屋にお好み焼き屋といった感じになるかな」

「じゃあ最初はたい焼き屋になるんですね」

 遥の言葉に伏見先輩は黙って頷く。

「ちょうどどこも食べ物屋だ。調査がてら昼食もそこで取ればいいだろう」

「調査というか、食べ歩きツアーになりそうっすよね」

 しかも四軒ある内の二軒は甘味処。藤林さんはどうかは知らないが、遥も伏見先輩も甘い物が大好きなスイーツ女子。果たして誘惑に勝てるだけの自制心が二人にあるのかどうかが問題である。確実に太るラインナップだねこりゃ。

「まあ店主に話を多少なりとも訊くことになるだろうし、訪ねておいてなにも買わないというのも、ね。だから少年の言も当たらずとも遠からずではあるかな」

「必要経費だよ必要経費! それに歩いてる内にカロリーも消費してくれるよ!」

 始めから食う気満々だった。デブるぞ。

「さて、確認も済んだところで、早速行こうか」

「はい。よろしくお願いいたします皆さん」

「うん! 頑張ろうね萌ちゃんっ」

「歩くの面倒だなあ……」

 そんなこんなで。

 僕たちは、意気揚々(僕を除いて)と調査に乗り始めたのだった。



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