第3話
「
所在なさそうに廊下に立つ萌とかいう少女に、遥が嬉々とした表情で抱き付く。対する少女も遥と親交があるのか、
「遥さん、苦しいです」
と苦笑しつつも、嫌がる素振りは見せなかった。
前髪だけ切りそろえた、肩に届くかどうか程度の黒髪。目鼻立ちはくっきりしているが、一つ一つの所作が楚々としているせいか、どこぞのお嬢さまかと思わせるだけの気品がある。大和撫子ってこういう人のことを言うんだろうなあ、と言った感じだった。
「知り合いかい、遥くん」
「はい! 私のクラスメートなんです。萌ちゃんっていうんですよ」
「は、はじめまして。
遥に紹介され、藤林さんがおずおずと頭を下げる。声量が小さいせいか、見た目以上に繊細そうに見える。落ち着きのない遥とは大違いだ。
「でもなんで萌ちゃんがここに? 都市研に興味なんてあったっけ?」
「えっと、それは……」
「ひとまず中に入ったらどうだい。話はそれからでも遅くはないだろう」
「は、はい。それじゃあ失礼します……」
伏見先輩に促され、藤林さんがおそるおそる室内に足を踏み入れる。そして「私、お茶入れるねー」と台所に向かう遥を横目に気にしつつ、藤林さんは僕の正面よりやや横、遥が座っていた位置より若干離れた位置に座った。
「こ、こんにちは……」
「どうもっす……」
互いにぎこちなく挨拶を交わす。普段絶対関わるようなタイプじゃないので、正直対応に困る。
それは向こうも同じのようで、挨拶を済ませた後すぐに視線を逸らした。人見知りの激しそうな子だし、無理もないか。
「さて藤林くん。改めて都市研にようこそ。私がここの部長をしている伏見だ。すでに知っているかもしれないがね」
「はい、よく存じております……」
そうだろうな。伏見先輩ほど目立つ人なんてなかなかいないし。むしろ知らない人を探す方が難しいくらいだ。
「遥くんとは顔見知りみたいだし、改めて紹介する必要もないね。となると、あとはアールくんだけか」
「……アールくんって、そこにいる北瀬くんのことですよね?」
まだ名乗っていないにも関わらず、藤林さんは僕の方を見てそう口にした。
あれ? 僕は覚えがないけど、どこかで会ったことあったっけ。それとも噂かなにかで顔を知られているのだろうか。二組の北瀬っていう奴が超怠け者で~、とかなんとか。現実味があり過ぎて否定しづらいな……。
「ん? アールくんのことまで知っているのかね?」
「はい、遥ちゃんからよく北瀬さんの話を聞かされていましたので、多分そうなんじゃないかと思って言ってみたんですが」
「あー、そういえば萌ちゃんによくあーちゃんの愚痴言ったりしてたね」
「おい待て。愚痴ってどういう意味だ?」
藤林さんに紅茶を届けに来た遥に、僕は半眼になって問いただす。懸念していた悪評からのものでなかったのは朗報ではあるが、別の看過できない疑惑が浮上した。
「どうもこうもそのままの意味だよ。あーちゃんの寝起きが悪くて困ってるとか、怠け者過ぎて困ってるとか、たまに冷凍イカと見分けが付かない時があるとか」
「最後、愚痴じゃなくて単なる悪口じゃねぇか」
こいつ、裏で僕のことをそんな風に言ってやがったのか。
つか、冷凍イカと見分けが付かないってなんだよ。僕、軟体動物(しかも死体)と同レベルなのかよ。
「ごめんね藤林さん。遥のしょうもない話に付き合わせちゃって」
「いえ、わたしは別に……。遥ちゃんとお話するの、すごく好きですから……」
「ありがとう萌ちゃん! 萌ちゃんは本当に良い子だね!」
感極まったように藤林に全力で抱きつく遥。いちいちリアクションがオーバーなやつだな……。
「でも、正直ウザいなあとも思ってるでしょ? しょっちゅう遥の愚痴に付き合わされたりしてさ」
「ちょっとあーちゃん! 私たちの友情をぶち壊すようなこと言わないでよ! だいたい、いつもあーちゃんの話ばかりしてるわけじゃないし! 週に五日程度の頻度でしかしてないし!」
「ほぼ毎日じゃねぇか」
「こらこら君たち、痴話げんかはそのへんにしておきたまえ」
「だ、だれが夫婦ですか! あーちゃんは私にとって弟みたいなもので……!」
ちょいと遥さんや。否定するならもっと毅然としていてくれ。
そんな顔を真っ赤にされたら、こっちまで照れてしまうだろうが。
「とりあえず座れよ遥。立ったままだと藤林さんも落ち着いて話せないだろ」
「むー! わかってるよ!」
言って、八つ当たりするかのように遥は藤林さんの隣にばふんと音を立てて座った。
危ない危ない。これ以上遥に話をさせたら、変な地雷を踏んでこっちまで飛び火するところだった。
「さて、場も落ち着いたところで改めて聞かせてもらおうじゃないか。君がなにをしにここへ来たのかをね」
まあ見る限り、入部というわけではなさそうだが。
そう言って、優雅に紅茶を口に含む伏見先輩。いちいち所作が絵になる人だ。
「は、はい。実は今日ここに来たのは、とある依頼をお願いしたくて……。学校に貼ってあるポスターを見たんですけど、奇妙な出来事ならなんでも相談に乗ってくれるんですよね?」
「多少例外もあるが、まあそうだね。都市伝説と言わず、オカルト系ならなんでも受け付けているよ」
藤林くんの問いに伏見先輩は笑顔で頷く。名前こそ都市伝説研究部ではあるけれど、不思議なことならなんだっていいのだ、伏見先輩は。
「じゃ、じゃあ──消失症候群の話でも問題ないんですよね?」
「ほほう! 消失症候群の依頼ときたか!」
伏見先輩の目の色が見るからに変わった。あからさま過ぎる。
「あれ? でも消失症候群って、まだこの町じゃ報告例があがっていないはずでは……?」
「それはここ数年の間では、という話だよアールくん。それより前となると、実は何件か報告例があったりするんだ。なにか、誤解を与える言い方をしてしまってすまないね」
「ああいえ、全然オーケーです。というか、一応この町でも消失症候群で消えた人っていたんですね」
てっきり、この町には関係のない話だとばかり思っていた。
でも、よくよく考えればそう不思議なことでもないか。消失症候群自体、数十年前から全国規模であった都市伝説だし、過去に被害者がいたとしてもおかしな話ではない。
それよりも本当、伏見先輩は消失症候群となると姿勢が全然違ってくるな。他にも僕が知らないような情報を色々握っていそうだ。
「察するに、藤林くんの依頼も過去に起きた消失症候群に関する依頼ではないかね?」
「はい。その通りです……」
首肯する藤林さん。
「その依頼というのが、信じてもらえるかどうかわからないですけれど、消失症候群で消えたわたしの大切だったかもしれない人を調べてほしいんです」
「んん? え、どういうこと萌ちゃん。どうして消失症候群で消えたってわかるの?」
僕も真っ先に抱いた疑問を、遥がいの一番に訊ねる。
「消失症候群って、消えた人の記憶が丸ごとなくちゃうんでしょう? だったらその人が消失症候群で消えたとは限らないんじゃない?」
「それに大切だったかもしれない人という曖昧な言い方も引っかかるね。藤林くん、順を追って説明してもらえるかね?」
「上手に話せるか、自信はありませんが……」
「構わないよ。君なりの言葉でゆっくり伝えてくれればそれでいい」
伏見先輩の言葉にゆっくり頷いた後、藤林さんは気持ちを整理するように深呼吸し、滔々と語り始めた。
話は数週間前にさかのぼります。わたしの家では年に数回親戚同士で一堂に会する機会がありまして、わたしもその集まりに参加していた時でした。とある親戚の方から掃除中にわたしの古い写真を見つけたとかで、それを譲ってくれたんです。
その写真には確かにわたしの幼ない頃の姿が写し出されていました。どこかお祭りにでも行っていたのでしょう。可愛いらしい浴衣を着て、満面の笑みを浮かべてピースサインをしていました。
だけれど妙なんです。そこにはわたしひとりしか写っていないのに、その親戚の方がいうには、もう一人同じ年頃の女の子がいたような気がすると言うのです。
聞くと写真を見つけた時からずっとそんな奇妙な感覚につきまとっておられたみたいで、ずっとわたしから話を聞きたがっていたようでした。
しかしながら、わたしにはそのような記憶はありませんでした。幼少の頃というのもあるのでしょうが、同い年の子とお祭りで遊んだという記憶すらすでに残っていなかったのです。
ですが、それはそれで疑問でした。その親戚にはお子さんがおらず、なぜわたし一人だけの写った写真を所持していたのか、まったく見当がつかなかったのです。
その親戚の方には良くしてもらっていた覚えはありますし、何度か遊んでくれたりもしました。
しかし、決してわたしの写真を欲しがるほどの愛情はありませんでした。こう言っては悪い方に聞こえるかもしれませんが、あくまでも親戚として横の繋がりを大事にしているといった、比較的ドライな方だったはずなんです。そんな方がどうしてわたしの写真を持っていたのか、わたしには不思議でなりませんでした。
奇妙なのはそれだけではありません。写真以外にも別の紙……折りたたまれた画用紙も一緒に出てきたらしいのです。
それはどうにも地図のようで、小さな子が走り書きしたような稚拙なものだったんですが、どこかになにかを埋めたような記述がなされていました。
そしてその画用紙の裏には、わたしの字ではない筆記で『ちず』とだけ書かれていました。
記憶はありませんが、どうやらわたしはだれかとなにかを埋めたようなんです。
わたしはその地図を親戚中に見せて、心当たりがないか訊いて回りました。
ですが、だれ一人として覚えていませんでした。知っている人がいるとしたら、親戚の方ぐらいしかいないと思っていたのに。
その後、奇妙な写真と謎の地図だけが手元に残りました。
正直どう扱えばいいかわからず、しばらく持て余していた頃、ふと最近話題になっている消失症候群の話を聞いてはっと気づいたんです。
ひょっとしてこれは、消失症候群のせいなんじゃないかって……。
「そんな時に都市研のポスターを見て、ここに調査依頼に来たってわけなんだね?」
藤林さんの話を聞き終え、伏見先輩は興味津々といった態でそう確認した。
「仰る通りです。状況からいって、もうそうとしか考えられなくて……」
「うわー、やっぱ本当にあるんだ。消失症候群って……」
藤林さんの話を聞いて、遥が顔を引きつらせる。
ほんと遥って、こういうオカルト話が苦手だよなあ。
「だが、今の話だけでは断定しかねるものがあるね。藤林くん、件の写真と画用紙は手元にあるかね?」
「あ、はい。鞄の中に……」
言いつつ、藤林さんは足元に置いてあった鞄を手繰り寄せ、その中から写真と二つ折りにされた画用紙を取り出した。
「これです」
席を立って写真と画用紙をわざわざ届けてくれた藤林さんに「すまないね」とねぎらいつつ、伏見先輩は先に写真を手に取って矯めつ眇めつ眺める。
「ほほう。これはこれは」
手渡された写真を見て、伏見先輩はいかにも楽しそうに目を細めて微笑を浮かべた。
「藤林くんの言う通り、これは奇妙だねぇ」
「……? どんな風に奇妙なんですか?」
「それは君自身の目で確認してみるといい。その方がより実感もわく」
なんでも楽をしようとするのは感心しないな、と伏見先輩が写真を持った手を僕に伸ばす。うっ。余計な手間が増えてしまった……。
仕方がないと嘆息しつつ、「よいしょ」と腰を上げる。そして伏見先輩から写真を受け取った。
写真は話にあった通り、浴衣を来た幼い頃の藤林さんが満面の笑みで写っていた。
それ以外は、別段おかしな点は見当たらない。なにかの屋台と行き交う人々を背に、わたあめを持った藤林くんが正面に写っているだけの普通の写真だ。
「これのどこがおかしいんです?」
「気付かないかい? 一目瞭然だと思うんだがね」
「どれどれ、私にも見せて~」
熟考する僕に、いつの間にか背後に来ていた遥が首を伸ばして覗き込む。
「あ、ほんとだ。これは確かに変だね」
「さすが遥くん。カメラマンなだけのことはあるね」
「え、どういう意味ですか?」
カメラマンだったらすぐに気付けるようなものなのか?
「あーちゃん、よく見て。この写真、萌ちゃんの写り方が妙だって思わない?」
「んん? いや別に。しいて言うなら、少し横寄りに写ってるぐらい……?」
「そこだよあーちゃん」
ぴっと指を立てて、遥が得意げに説明する。
「普通写真って、被写体を中心にして撮るものでしょ? でもこの写真は、まるで萌ちゃんの隣りにだれかがいるみたいに撮影されてなくない?」
「ああ、なるほど……」
言われて初めて気付いたが、確かにこの構図は妙だ。
横に障害物があるなら別だけど、藤林さんのそばにどこにもそんな物はない。だのに中心からずれた位置で撮影されている。
あたかも、隣りにだれかがいたかのように……。
「さっきまで半信半疑だったけど、こういうマジっぽい証拠を見ちゃうと、背筋がゾッと寒くなるものがあるな……」
「心霊写真を見つけた人って、みんなこんな感じなのかもね……」
「二人共、あまり依頼者を不安がらせないように」
伏見先輩に注意され、僕も遥も慌てて藤林さんを見やると、真っ青とは言わずとも血の気が引いたように顔色を悪くして慄いていた。
「え……。ひょっとしてそれ、心霊写真かもしれないんですか……?」
「違う違う! 違うよ萌ちゃん!」
「そうそう! あくまでもそれっぽく見えるってだけだから!」
二人して必死に釈明する。
やっべ。本人が一番怖いだろうに、愚行にも藤林さんの恐怖をあおるような真似をしてしまった……。
「安心するといい藤林くん。体の一部が消えるという話はよく聞くが、人物そのものが消えるといった心霊写真は聞いたこともない。その写真を見るに、霊以外の超常的な力が働いて、隣りにいた人物が写真から消えたと考えた方が自然だろうね」
怯えた様子を見せる藤林さんに、伏見先輩が絶妙なフォローを入れる。
「ほ、本当ですか?」
「本当だとも。それとも、なにか心当たりがあるのかい?」
「いえ、全然……」
「なら心配する必要はない。少なくともこれは、不幸が降りかかるような類いではないと思うよ」
「そうですか……」
伏見先輩の言葉に、ほっと胸を撫で下ろす藤林さん。
よかった。泣かれでもしたらどうしようと思った。
ありがとう伏見先輩!
そしてごめんなさい藤林さん!
「でも不思議ですよね。だれも写真のことを覚えていないだなんて」
定位置(藤林さんの隣り)へと戻った遥が、言葉通り小首を傾げて疑問を呈ずる。僕もソファーに座り直し、紅茶を飲みつつ耳を傾ける。
「十年近く前というのもあるのだろうが、消失症候群の影響だと考えるべきだろうね」
「消失症候群になった人は、周囲から忘れられてしまうってやつでしたっけ。それに合わせて、その私物までこの世から消えてしまうという……。そうなると、今ある手掛かりはこの写真と伏見先輩が見ている画用紙だけってわけか」
「そうなるね」
二つ折りにされた画用紙を広げて、伏見先輩が肯定する。
大きさはB4サイズ程度。結構年月が経っているせいか、本来ある白さがどこにもなく、時を刻むように変色していた。
「あの、その画用紙からもなにか気付いた点ってあったでしょうか? わたしのなくした記憶に繋がるようななにかが……」
「いや、藤林くんの話にもあったが、隠し物を示す地図という以外、なにも読み取れるものはないな……」
眉根を寄せながら、伏見先輩が藤林さんの問いに答える。
こんな小難しそうにする伏見先輩、久しぶりに見るな。頭脳明晰と言えど、相手が超常現象となると、そんな簡単に解明とはいかないか。しかも今回はマジっぽいし。
「伏見せんぱ~い、私にも見させてもらっていいですか?」
「もちろんだとも。ぜひとも君たちの意見も聞かせてほしい」
元気良く手を挙げた遥に、伏見先輩は笑顔で快諾し、一番近くにいる僕へと腕を伸ばす。あ、僕が取りに行かなきゃいけないわけね……。
何度も席を立つことに辟易としつつ、伏見先輩の意思をくみ取って画用紙を取りに向かい、それをソファーの前にあるテーブルへと広げてみせる。
それは、いかにも幼児が描いたような地図だった。
画材は昔懐かしいクレヨン。下部辺りに家屋らしき図形と、その真ん中に『十ここやきやさん』という謎の文字が横書きで踊っている。
中央は森を表しているのか、ほぼ緑で埋め付くされており、上部は……野原か? 森を越えた先は黄緑のクレヨンで殴り描きされていて、その端にある一本の木に、宝物を示すように黒いクレヨンで大きくバッテン印が振ってあった。
「……うん。どこをどう見ても宝物の地図って感じだよね。私とあーちゃんもちっちゃい頃にこんな地図描いて遊んだことなかったっけ?」
「ああ、あったな。僕の家でチョコレートを隠して、見つけた頃には溶けて大惨事になった記憶が」
あの時は押し入れにある布団の中に隠してしまったせいで、母さんに烈火のごとく叱られたんだよなあ。まあ僕が主犯だし、自業自得ではあるんだけど。
「萌ちゃんはこれに見覚えはないの? 自分で描いたやつじゃないって言ってたけど」
「……はい。その頃わたし、クレヨンがどうにも苦手で……それで多少使いづらくはあったんですけど、色鉛筆で絵を描いていたんです。ですので、この画用紙を見つけた時も一目でわたしのではないとわかったんです。でも、それが以外にはなにも……」
「そっかー。やっぱ萌ちゃんの親戚の子か、それかお友達が描いた物なのかなー?」
「絵柄といい、写真と一緒にされていたことといい、その線で間違いないだろうね」
遥の言葉に同調するように、伏見先輩が僕らへと視線を向けて言う。
「ただ、それだけでは藤林くんが忘れてしまったかもしれない人物を特定するまでには至らないね。せいぜいが、絵柄を見るに藤林くんと近しい年頃の子であった可能性が高いということぐらいなものかな」
「そう、ですか……」
伏見先輩の言葉に、藤林さんが消沈したようにうつむく。
「もし本当にだれかが消えていたのだとしたら、わたし、すごくひどいことをしているんじゃないかってどうしてもそればかり考えてしまうんです。その人が忘れちゃいけないような大切な人だったら、なおさらに」
「それは仕方ないよ。だって消失症候群の影響かもしれないんだよ? 萌ちゃんはなにも悪くないよ」
「ありがとうごさいます遥ちゃん。でも、わたしはこう思うんです」
伏せていた顔を上げて、藤林さんはまっすぐ遥を見据えてこう言った。
「大切だった人を忘れるなんて、大切なだれかに忘れられるなんて、そんなの、すごく悲しいじゃないですか……」
「萌ちゃん……」
哀愁に満ちたその言葉に、遥も伏見先輩も、そして僕も、なにも言えずに目許を翳らせて口を閉ざした。
なんとかしてあげたいとは思う。無気力で無関心な僕ではあるけども、きっと当事者になったら藤林さんと同じ思いを抱くだろうから。
けれど、情報が決定的に少な過ぎる。残念ではあるけれど、役に立てなくて申しわけなく思うが、これだけではさすがにどうすることも……。
「──探そうよ、私たちでこの宝物をさ」
重苦しい空気が流れる中、遥だけが陰鬱とした雰囲気を吹き飛ばすように、確かな決意をたぎらせて声を上げた。
「探すったってどうやって? 地図は大雑把だし、この『十ここやきやさん』って文字も意味不明だし、手がかりが少な過ぎるぞ。それとも遥は、このわけがわからん地図が読めるのか?」
「そ、それはわかんないけど! けど手当たり次第に探せばいいじゃん! その文字だって、きっとなにかの焼き物屋さんであるのは間違いないだろうし、関係のありそうなお店にこの絵を見せて回って心当たりがないか訊けばいいんだよ! たいやき屋さんとかすき焼き屋さんとか根性焼き屋さんとか!」
「根性焼きはタバコで押し付けた時にできる火傷のことだぞ」
タバコで火傷を負わせてくる店なんて近寄りたくないぞ。どんな拷問だ。
「とーにーかーくー! その地図を描いた子が宝物を隠したのなら、きっと消えた子を思い出すような物が埋めてあるよ! 多分だけど……」
自身はないのか、最後の方だけ尻すぼみになって遥が言う。
「いや、いくらなんでも捜索範囲が広過ぎだし、それに、消失症候群の影響で消えている可能性だって──」
「あーちゃん」
遥が僕をじっと見据える。
幼少の頃のような、僕にすがるような潤んだ瞳で。
「萌ちゃんに協力してあげて。私、このまま見過ごすことなんてできない」
「………………」
ああ、もう。
まったく、こいつは。
今さら僕に、なにを期待しているんだ。
昔の僕と違って、ひたすら怠けたいだけの、どうしようもないダメ人間だというのに。
でも。
でも、昔からこの瞳で見つめられると、断る気分なんてすぐに失せてしまって……。
「わかったよ……」
溜め息混じりにそう呟いて、僕は遥を見つめ返す。
「僕も手伝う。正直、僕なんかじゃ手助けになれるとは思えないけども」
「そんなことないよ! ありがとう、あーちゃんっ」
ぱあっと向日葵が咲いたように破顔する遥に、僕は浅く呼気をこぼして苦笑する。
ちくしょう。反則だよなあ。
こんな無防備な笑みを見せられたら、後悔する気も起きないじゃないか。
「ふむ。どうやら話はまとまったようだね」
それまで僕と遥のやり取りを静観していた伏見先輩が、タイミングを見計らったように口を開いた。
「遥くんもアールくんも、藤林くんの依頼を進んで受けたいと思っていると、そう考えていいんだね?」
「ええまあ。幼なじみの頼みは断れない性分でして」
そうおどけて見せて、僕は先を紡ぐ。
「それに、伏見先輩がいくらダメだと言ってもこいつは絶対やめませんよ。僕の幼なじみは言ったら聞かないタイプの人間なんで。そうだろ遥?」
「もちろんだよ! 決定的な手がかりが見つかるまで絶対諦めたりなんてしないんだから!」
奮起したように遥が両腕を上げて宣言する。もう放課後だというのに、元気があり余って仕方ない様子に見えた。なんか小学生男子みたいなテンションの高さだな。
「ほほう。それは心強い。二人がやる気になってくれるなら、私としても余計なことを気にせず調査に集中できるよ」
「え、だって伏見先輩、この依頼断るつもりでいたんじゃあ……」
「私がいつ断ると言ったのだアールくん。調査は難航するかもしれないみたいなことは言ったかもしれないが、断るなどとは一言も口にしていないぞ」
けろっとした顔で言いやがりましたよこの人は。ずっと小難しそうな顔をして黙っていたものだから、てっきり断るとばかり思っていたのに。
じゃあ、なんだ。僕も遥もわざわざ意見を対立する必要なんてどこにもなかったんじゃないか。
「えっ。そ、そうだったんですか? やだ、なんか私、すごく恥ずかしくなってきちゃった……」
「言うな。僕も恥ずかしくなってきたから……」
ついついマジになってしまった反動が今になって押し寄せてくる。
うあー、なんか全身が熱い。いつになく青春くさいことをしてしまったせいで体中がオーバーヒートしそうだ。
「ていうかですね、それならそうと先に言ってくださいよ。部長の命令とあれば素直に……とまではいきませんけど、しぶしぶながらも指示に従っていたのに」
「だからこそだよアールくん。今回の依頼は多分長丁場になる。その上である程度積極的に取り込んでもらわないと、調査も思うように進まなくなってしまう。だからあえて口を挟まずに静観していたのだよ。自ら行動してくれるのを願いつつね」
それに、と一拍置くように紅茶を一口飲みつつ、伏見先輩は微笑を浮かべてこう続けた。
「アールくんは一つ大きな見落としている」
「見落とし、ですか?」
「うむ。私が、都市伝説研究部部長たるこの私が、こんな興味深い案件を前にして潔く諦めたりするはずがないだろう!」
舞台役者のごとく両手を広げて大袈裟なリアクションを取る伏見先輩に、僕はなんとも言えない溜め息をついた。
そうだ。そうだった。
よくよく考えなくても、この人が少しくらいの逆境で引いたりするはずなんてなかったのだ。
なんせこの人は、牧田高始まって以来の秀才にしてドの付く変人。
都市伝説とあればなんにでも飛びつく伏見先輩が、目の前の極上の餌に食いつかないはずがないのだから。
「あ、あの、本当によろしいんでしょうか……?」
それまで場の張りつめた空気に出方を窺っていたのか、藤林さんがおそるおそるといった調子で手を上げた。
「なんだか、思っていたよりだいぶ負担をかけてしまうような話になっているみたいで、すごく申しわけない気が……」
「君が気に病む必要はないさ。我々は好きで首を突っ込んでいるのだから」
「伏見先輩の言う通りだよ! 萌ちゃんは大船に乗ったつもりでどーんと構えてて!」
「まあ、なにがどこまでできるかはわからないけどね」
「伏見先輩、遥ちゃん、北瀬さん……」
僕たちの言葉に、藤林さんは感激したように瞳を潤ませる。なんつーか、妙に照れくさいなこれ……。
「ありがとうございます、皆さん。なんてお礼を言ったらいいか……」
「お礼を言うのは良い知らせが届いてからにした方がいい。結果的には、手放しで喜べるハッピーエンドとはいかない可能性の方が高いからね」
先ほどの弛緩していた空気を再び引き締めるように、伏見先輩は真剣な表情で言葉を返す。
「それは、どういう……?」
「消失症候群にかかった人間はね、ただの一人も生還者が出たという報告例がないからだよ」
神妙に問う藤林さんに、伏見先輩が容赦なく告げる。
「だから、私は今一度問いたい。これから調査をしていく上で、君にとって良くない話ばかりが耳に入ってくるかもしれない。あわよくば記憶を取り戻せたとしても、それは思い出さない方がいいことばかりかもしれない。とても残酷な真実ばかり目の当たりにするかもしれない。それでも藤林くんは、そんな辛い現実と向き合うだけの覚悟ができているのかい?」
「………………」
射抜くような伏見先輩の鋭利な視線に、藤林さんは若干怯みを覗かせつつも、
「だ、大丈夫です」
と毅然とした態度で答えた。
「このままうやむやになんてしたくはないんです、たとえ辛い真実が待っていたとしても、ちゃんと納得した上で明日を生きていたいと思うから」
「素晴らしい心がけだ。藤林くんはとても勇気のある女の子だと、私はそう思うよ」
藤林さんの強固な意思を聞いて、伏見先輩が満足げに頷く。逆に藤林さんは照れたように頬を紅潮させて前髪をいじり出した。
藤林さんの依頼を聞くことばかり考えていた僕と遥ではあったけど、伏見先輩はちゃんとその先まで考えてくれていたんだな。変人だけれど、そういった点はやはり年長者といったところだろうか。素直に感心する。
「でも、具体的にはどうした方がいいんでしょうね? 気兼ねなく調査できるようになったところまではいいですけども」
「だからそこは、後ろに『~焼き屋』ってつくお店を探し回ればいいんだよ、あーちゃん!」
「いや、それ自体には異論はないけど、効率が悪いのは否めないだろう? もっと手っ取り早い方法があればいいんだけど……」
「うっ。それは一理あるけどさ。けどそんな方法なんて……」
「心配ないよ。すでにいくつか候補は上がっている」
考え込む僕と遥に、伏見先輩があっけらかんとした口調でそう呟く。
「えっ、候補ってどうやって……」
「ん? ネットでだけど?」
しれっと言って、伏見先輩はスカートのポケットからスマホを取り出した。
「君たちが言い争っている間にネットで条件を絞って探っていたのだがね、どうやらその地図と合致しそうなお店が四軒ほどあるのがわかったのだよ」
言いながら、スマホを僕らに向ける伏見先輩。見ると、スマホの画面にここら一帯の地図が表示されており、伏見先輩の言う通り四軒ほど赤い丸印が振られていた。
というか僕らが言い争っている間にそんなことをしていたのか。抜け目ねぇ。
「もっとも、その宝の地図と必ずしも合致するとも限らないがね。十年近く経っているから、立地条件が違って検索されていないだけの場所もあるだろうし」
「でもでも、これで宝物を見つけられる可能性がぐんと高くなりましたよ! 伏見先輩すごい!」
伏見先輩の提示した情報に、遥が見るからに浮足立つ。
「さっそく探しに行きましょうよ! この赤い印のあるところに!」
「いや、それはやめておいた方がいいだろうね。もう夕方だし、今からだと夜中までかかってしまう。また日を改めよう。できたら休日などに」
「だったら今度の日曜日にしましょう! その日なら私、用事もないし!」
「うむ。今度の日曜日か。その日なら私も空いているしね、ちょうどいいかな」
遥の提案に頷いて、次に伏見先輩は「藤林くん」と声をかけた。
「君はどうかね?」
「え? わたしもですか?」
「無論だ。すべての鍵は君の記憶にある。あちこち巡っている内になにかの拍子で思い出すかもしれないしね」
「あ、そうですね。はい。その日なら大丈夫です」
「よーし。それじゃあ今度の日曜日、みんなで集合だね!」
「あれ、僕だけなにも訊かれてないんだけど……」
「あーちゃんに用事なんてあるわけないでしょ?」
「アールくん。世の中には訊かずともわかることがごまんとあるのだよ?」
「……………………」
選択権すら与えられていない、過酷な労働環境がそこにあった。
……まあ、その通りではあるんだけどもさ。
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