第2話
僕らの所属する部活、都市伝説研究部兼カメラ部は、文化棟一階の一番奥に位置しているところにある。文化と都市伝説が一体なんの関係があるんだという話ではあるけれど、まあ、そういうのは考えたら負けだ。中には女子力研究部なる変な部活もあるくらいで、文化系と見なされたものは全部文化棟に部室を設置されるのである。
ところで、なぜ都市伝説研究の後ろにカメラ部と付くのかというと、元々遥が所属していたカメラ部が廃部寸前だったことが端を発している。
遥のいたカメラ部は、入った当初から最上級生しかおらず、今年の卒業と共に廃部寸前に陥ってしまったのだ。
そこで拾い上げてくれたのが伏見先輩──都市伝説研究部部長だったわけだ。
補足しておくと、部室のナンバープレートに都市伝説研究部兼カメラ部と記載されているが、僕と遥の間では正式名称では言わずに都市研と省略して呼んでいる。実質都市伝説の研究しかしていないので、呼称としては間違えてはいないのだが、それでいいのかと思わなくもない。
なんてことをこの間遥に話してみたら、
『私はカメラさえ学校で使える大義名分があればそれでいいし、それに都市伝説の研究も楽しいから、結構満足してるよ?』
とのことだった。
まあ、本人がそれでいいのなら僕から言うことはなにもない。
ただ一つ、無所属だった僕を巻き込まさえしなかったら、という話ではあるが。
「つまり君は、部活を今すぐ辞めたいと、そう言いたいのかね?」
と。
のべつまくなしに語った僕に対し、伏見先輩は特に怒るでもなく呆れるでもなく、事実確認だけをしているのかのような平坦とした声音でそう問うてきた。
本名、
成績優秀、容姿端麗、運動神経抜群といった、まさに才色兼備を形にしたような女性である。
特にその頭脳は牧田高始まって以来の秀才と呼ばれており、教師達の期待も厚く、学校中にもその名が知れ渡っている有名人でもある。
主に、都市伝説をこよなく愛している変人……という意味ではあるが。
「いやー、辞めたいというかなんつーか……」
言葉を濁しつつ、僕の横でワーキングチェアに座りながら雑誌(どうせ都市伝説関連だろう)を開いている伏見先輩の顔色をそれとなく窺う。
ボブショートの艶やかな黒髪。肌は透き通るように白く、その手足はとてもしなやかでモデルばりに整っている。
顔付きは遥と違って可愛いというより綺麗で、どれだけ見ていても飽きない。雰囲気的には、頼りたい系お姉さんと言った感じだろうか。こんな女性が上司だったら、さぞや仕事がはかどることだろう。
ついでに言うと、すごく胸が大きい。
それはそれは大きい。
大事なことなので二回言いました。あと三回くらいは言える。
「はっきりとしないね。アールくんは一体なにが言いたいのかね?」
伏見先輩は僕を呼ぶ時、必ずこう言う。なんでもこっちの方が言いやすいからという理由らしいが、普通に名前だけで呼んだ方が言いやすくないかとも思わなくもない。なんか外国人みたいな呼び方だし。
「部活内容に不満があるわけじゃないですけど、僕、ここにいる意味ってあるのかなってふと思っちゃいまして……」
「ふむ……?」
僕の言葉に、伏見先輩は読んでいた雑誌から顔を上げて、その切れ長の瞳をこちらに向けてきた。
「意味というのは、微塵たりとも都市伝説に興味もないのに、ただの数合わせで入った自分になんの価値があるのかと、そう言いたいのかな?」
「端的に言えば……」
「なんだ。それなら私とそんなに変わらないじゃん」
正面のソファーに座る遥が、カメラの手入れをしながら僕に声をかける。
ちなんでおくと、僕も対面に同素材のソファーに座っており、とても快適に過ごさせてもらっている。目の前のテーブルには遥が用意してくれた二人分の紅茶が置かれており、ハーブの豊かな香りが部室に充満していた。なんだかアフタヌーンティーをたしなむ欧米人にでもなったような気分だ。
「都市伝説に興味がないわけじゃないけど、私だってカメラを学校に持ち込みたくて合併に了承したようなものだし、気にすることないんじゃない?」
「というわけだアールくん。なんら気兼ねすることなく部室にいればいい。スマホで遊ぶも良し。マンガを持ち込んで読むも良し。好きに過ごすといい」
「はあ……」
伏見先輩の言葉に相槌を打ちつつ、もう何度も目にしている部室を改めて見回す。
ワンルームアパートと同程度の広さ。奥には部長専用のシステムデスクが日当たりの良い南側に設置されており、中央には僕と遥が使っているソファーが二脚、その中心に丸テーブルが置かれている。部室に入ったすぐには、簡易型のキッチンまで用意されているという厚遇ぶりだ。
壁には本棚がずらりと並んでおり、どれも民俗学とかオカルト系雑誌とかで溢れている。胸が躍らないことこの上ない。快適ではあるが、楽しく過ごそうと思ったら、伏見先輩の言う通り、スマホをいじるかマンガを持ち込むなりする必要があった。
「うーん、好きに過ごしていいって言われても、やっぱり我が家の比じゃないな。自分の家が一番だ」
「ええ~? どうせあーちゃん、家でだらだら過ごすぐらいしかすることないじゃん。それなら私達に協力してよ」
「できれば私もそうしてもらえると助かるかな。なるべく部活動に参加してもらわないと、教師陣がなにかとうるさくてね」
不満げに眉根を寄せる遥に、伏見先輩は困ったように苦笑して僕を見やる。
牧田高校の部活は三人以上いて始めて成り立つ規則になっているので、あまりサボると職員会議にかけられて部活動を停止させられる可能性がある。二人はそれを危惧しているのだろう。
元を正せば、都市伝説研究部は伏見先輩一人で立ち上げたもので、僕と遥が入部するまでだれも部員がいなかった。
ならなぜ伏見先輩しかいない部員が認められたのかというと、伏見先輩の優秀な頭脳があったからに他ならない。
牧田高校初となる東大合格者も夢じゃないと噂されるほど、担任の先生はおろか校長まで持て囃しているのだ。そんな伏見先輩が頼み込めば、部活設立ぐらいわけなかったことだろう。
しかし当然のことながら、それを快く思わない生徒がいたらしく、今更になって規定通り伏見先輩を含めた三人以上の部員を集めてほしいと学校側からお達しが来たようなのだ。
そうして伏見先輩は同じように廃部寸前だったカメラ部に目を付け、巻き込まれる形で僕も半ば無理やりに入部させられたのである。
少しくらいは毎日世話を焼いている恩を返せ、なんて遥に言われたら、僕としては黙って従うしかなかった。
どうしよう、これからもこんな風に脅される日々を送るのだろうか。自業自得とはいえ、先が思いやられる……。
そういったわけで、僕にしてみれば都市研は、居心地の悪い場所でしかないのだ。
そりゃまあ、他の部活に比べれば暇な方だし、なにがなんでも退部したいというわけでもないけれど、どうせなら勝手知ったる我が家にいる方が断然良い。向こうにはマンガもお菓子もあるしな。
「それに今でこそ君らを持て余しているが、依頼があった時などは別だ。遥くんにもアールくんにも、結構期待しているのだよ?」
「期待……ですか」
繰り返しつつ、僕は面映ゆく頭を掻く。
依頼とは、都市研が学校中に流布しているもので、ありとあらゆる不思議な出来事を募集し、場合によっては解決に導くというものである。
僕が都市研に入ってまだ二か月あまりだが、これまでも何件か依頼をこなしていたりする。そのほとんどが幽霊の正体見たり枯れ尾花といった具合にただの自然現象だったり、だれかの悪戯だとかしょうもない真実ばかりだったけれど、伏見先輩はそれでも満足しているらしく、
『真相が科学的に判明したからといって、すべての都市伝説がまやかしと決まったわけじゃないからね。それに正体がわかったということは、もうだれも惑わされる心配はないというわけでもあるし。なにも残念がる必要はないさ』
などと語っていた。
なんというか、本当にタフな人である。
とはいえ、そういった活動が原因で周りから変人扱いされてしまっているので、手放しで喜べることはばかりではない。本人は一切意に介していないが。
都市伝説が絡むと、なんでも首を突っ込みたがるところもあるしな、伏見先輩って。
ほんと、良い人ではあるんだけどなあ。この変な趣味さえなければ、僕のストライクゾーンど真ん中なのに。
まあそんな変人のそばにいながら、僕や遥に対する周りの評価は存外悪くないので、それだけでももっけの幸いとでも思っておこう。
「期待されるほど、大したことなにもしてない気がするんですけどねえ」
「いやいや、アールくんは十分役に立っているよ。荷物を運んでもらったり荷物を運んでもらったり、それと荷物を運んでもらったりしているじゃないか」
「パシリ要員なだけじゃないっすか」
僕の存在価値、荷物運びなだけかよ。
「あはは。冗談だよ。本気にしないでくれたまえ」
伏見先輩にからかわれ、僕は「はあ」と溜め息に近い声を漏らす。向こうは冗談だと言っているが、事実荷物運びばかりしている気がするので、あながち冗談とも思えなかった。
荷物運びと言っても、校内に貼るポスターだとか部費で取り寄せた都市伝説関係の書籍だとか、そう重い物ばかりでもなかったのだが。
「荷物運びもだけど、男手があるだけでもだいぶ違うからね。それに今は無事に済んでいるけれど、この先危ない目にも遭わないとも限らない。そういう時、そばに男の子がいるだけでも頼もしく思えるものさ」
「そうだよあーちゃん! あーちゃんみたいなもやしっ子でも、私達の盾ぐらいにはなれるよ!」
「おいこら、遥このやろう」
思わず某たけしさんみたいな怒り方をしてしまった。
いや、本人は一言も口にしたことがないらしいけれど。
「まあなにはともあれ、君を頼りにしているのに変わりはないよ。少年はもっと胸を張っていいと思うがね」
「……都市伝説になにも興味が持てなくても、ですか?」
「個人的には興味を持ってくれた方が嬉しいが、無理強いするものでもないからね。興味が持てないなら、それならそれでいいさ」
いつか好きになってもらえるのを気長に待つよ。
そう言って、伏見先輩はフッと老成な笑みを浮かべた。
いつか好きに、か──。
「伏見先輩は……」
気が付くと、勝手に口が開いていた。自分ではそれほど気にしていたわけじゃないつもりだったが、なにげに伏見先輩の言葉が胸に刺さっていたのかもしれない。
「伏見先輩は、どうしてそこまで都市伝説が好きなんですか?」
「どうして、か。うーん、そうだねぇ……」
僕の質問にすぐには答えず、伏見先輩は考えを巡らすようにしばし瞑目した後、こう疑問を投げかけた。
「アールくん、女の子のおっぱいは好きかね?」
「…………は?」
言われた意味がわからず、僕は口をポカンと開けた。
いや好きかどうかと言われたら好きだけど、むしろ愛しているけれど、なんだったら伏見先輩の巨乳を凝視しているまであるけれど!
けれど、どうしてそこでいきなりおっぱいという単語が脈絡なく出てくるのだ。どう答えたら正解になるんだ、こんなもん。
「なに、小難しく考えなくてもいいさ。君の素直な気持ちを聞かせてくれたらいい」
「……そりゃまあ、男の子なんで?」
言われた通りに素直な意見を述べると、
「あーちゃん、最低……」
と軽蔑するような視線を遥に向けられた。
……いやそうじゃないんだ。これは伏見先輩に言わされたようなもので──
「では、なぜ好きなのかを具体的に答えられるかね?」
遥に対する弁明を必死に思案している内に、伏見先輩が鷹揚に腕を組んでそう再度訊ねてきた。
これ以上まだ、僕に追い打ちをかけるつもりなのか伏見先輩よ!
「なぜって言われても……。健全な男の子なら当然というか、遺伝子に刻まれた男の性というか、改めて理由を訊かれても適切な言葉が思い浮かばないっす」
「要は、そういうことだよ」
真意が読めず、首を傾げる僕に「好きなものだからと言って、必ずしも確固たる理由が付いてくるとは限らないということさ」と伏見先輩は続けた。
「私もそうだ。きっかけ自体はあるけれど、気が付けば都市伝説にのめり込んでいた。だからなぜ好きなのかと問われても、正直答えに窮する。そういった意味では遥くんのカメラに対する思い入れも共通しているのでないのかね?」
「え? 私ですか?」
それまで僕に冷たい眼差しを向けていた遥が、唐突に話を振られて目を白黒とさせて自身を指差した。
「あー、でも、言われてもみればその通りかも。お母さんが写真家だったからっていうのもあるけど、私もいつの間にか好きになってたし。理由なんて訊かれても上手く答えられそうにないかな」
「そういうわけだ。答えとしては不十分かもしれないが、それでもあえて言うなら、好きなものに理由なんていらないって感じだろうか。抽象的で申し訳ないがね」
「ああいえ、とても参考になりました」
詫びる伏見先輩に、僕は頭を下げて礼を述べた。
そうか。みんながみんな、理由ありきで趣味や仕事に打ち込んでいるわけじゃないんだな。
理由もなく熱中できるもの、か。
僕にも来るのだろうか、そんな日が。
一心不乱に自分のすべてを注げられるようななにかが。
「アールくんにもきっとできるさ。私や遥くんみたいに、好きなことに打ち込めるなにかがね」
物思いに耽る僕に、伏見先輩が穏やかな笑みを浮かべて声をかけた。
こんな無気力人間であるところの僕を、本当にそうなることを信じてやまないような真摯な表情で。
「あーちゃんの場合、怠けるのがライフワークみたいなものだよね」
「遥さーん。ちょいと僕を小馬鹿にし過ぎじゃないっすかねぇ?」
さっきから僕の扱いが酷すぎるぞ、こいつ。言ってることは割と的を射てはいるけれども。
「いいじゃないか。人間だれしも怠け心はある。むしろその怠け心のおかげで今の電化製品が生まれたと言っても過言ではない。冷蔵庫しかり電子レンジしかりね。だからアールくんの怠け心も、いつか偉大な発明する才能の一つなのかもしれないよ?」
「そんな頭脳があったら、とっくの昔にもっと良い学校に行ってたと思いますけどね」
そう肩を竦めて僕は答える。どちらかというとその偉業は、伏見先輩にこそ相応しいと思うのだが。
「まあ、どうするかはアールくん次第だ。親類でもない私がとやかく言うつもりはないよ。ただ怠けるのが好きなのだと言うのなら、この先の部活動はある程度覚悟しておいた方がいいかもしれないね」
「え、どういう意味ですかそれ?」
カメラの手入れをしていた遥が、その手を止めて伏見先輩に問いかける。
「ここ最近、消失症候群の報告例が全国で増えてきているのは君たちも存知だろう? 真偽は定かでないが、つい数日前も隣町で神隠しのごとく忽然と消えた人間がいるらしい。しかも今回が初ではない。今はまだこの町で人が忽然と消えたという話は聞かないが、しかし時間の問題だろうね」
「あ、やっぱりもう知ってたんですね。隣町の話」
僕の言葉に「もちろんだ」と胸を張る伏見先輩。ちょうど遥とも話していた件ではあるが、さすがは伏見先輩。キャッチが早い。
都市伝説をこよなく愛している伏見先輩ではあるが、特に消失症候群のこととなると異様な関心を見せるのである。それは本棚に並ぶ山のような消失症候群関連の書籍を見るだけでも一目瞭然だ。
「じゃあ伏見先輩は、この町にも消失症候群が起きると思っているんですか?」
「無論だアールくん。というよりこの町だけなのだよ。わが県で消失症候群に発症したという人間がいないのは。なら私たちだけ無事に済むという保証はどこにもないだろう?」
「やだ~。怖いこと言わないくださいよ~」
遥が怯えたように自身の体を抱いて顔を強張らせる。
「すまないすまない。なにも怖がらせようと意図して言ったわけじゃないんだ。ただそういった依頼が今後続々と舞い込んでくる可能性があるから、心構えだけでもしておいてほしいと言いたかっただけなんだよ」」
「ということは、仕事が増えるかもしれないのか~。イヤだなあ」
「……あーちゃん、心配するのそこだけなの?」
引きつらせた顔を、今度は軽蔑するようにしかめて僕に言う遥。怠ける時間が減るかもしれないんだから、当然の流れだろうよ。
「今すぐ依頼が来ると決まったわけじゃないがね。だからそれまでは、存分に英気を養っておくといいさ」
言って、伏見先輩はデスクトップに置いてあるティーカップに手をつけた。遥が用意した、伏見先輩用のカモミールティーだ。
僕も喉の渇きを覚え、ハーブティーを口にする。
そうか。こんなまったりとした時間も長くは続かないのかもしれないのか。元々やりたくてやっている部活ではないが、そう思うと今の内に堪能しておきたいという気分にもなるな。
しかしながら。
そんな穏やか時間も、不意に響いたノック音によってあっさり終わりを告げることとなる。
「おや、お客さんかな。遥くん、応対してもらえるかい?」
「はーい」
一旦カメラをテーブルに置いた遥は、言われた通りに部室の引き戸を開け放つ。
果たして、そこには。
「こ、こんにちは……」
とても大人しそうな、日本人形みたいな女の子が立っていた。
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