第1話
朝は憂鬱だ。休日ならともかく、平日の朝というのは苦痛でしかない。
どうして世の中には学校や会社なんてものがあるのか。せっかく気持ち良く微睡んでいる時に、決まった時間に起床しなければならないなんて苦行以外のなにものでもない。むしろ拷問と言っていいくらいだ。
思うのに、現代人はもっとおおらかに生きるべきだと思う。日々時間に追われてせかせか生きるなんて、どう考えても健康的じゃない。ストレスばかり溜まる人生に一体なんの意味があるというのか。
朝だからって無理して起きる必要なんかない。二度寝三度寝だっていいじゃないか。
遅刻上等。惰眠バンザイ。睡眠こそ神が人間に与えた唯一の救いなのだ。
「そんなわけで、バイバイさようなら。また会う日まで」
「また会う日まで、じゃないよ! ほら起きて起きて! 学校に遅刻しちゃうよ!」
頭まで被っていた布団をひっぺがされ、僕はわずかに開かれたカーテンから差し込む朝日に顔をしかめた。
「あ~。朝日で目がつぶれる~っ」
「これくらいでつぶれるわけないでしょ! もう、いちいち大げさなんだから」
呆れたように唇を尖らせながら、僕の幼なじみである
少し茶が混じった黒髪のポニーテール。目鼻立ちは整ってはいるが、元が童顔なせいか、僕と同じ高校二年生には見えない。一応、学校指定の夏用セーラー服を着てはいるが、校章さえ隠せば中学生にしか見られないことだろう。実際、中学生に間違われることも多いらしい。
まあ、それは決して見た目だけの問題ではなく、ちょっと落ち着きがないというか、キャンキャンうるさい犬みたいな性格をしているので、そういった部分も起因しているのだと思う。本人にその自覚はないみたいだが。
「せっかく良い天気なんだから、もっと太陽の光を浴びて爽やかになろうよ!」
未だ布団でぐずる僕に、遥がカーテンを全開にして陽気に声を発する。確かに晴天ではあるけれど、その実、六月中旬という暑苦しい日差しが襲うばかりでまったく爽やかでもなんでもなかった。
「……遥、僕の話聞いてた?」
「全然。どうせまたつまらない屁理屈ばかり言ってたんでしょ」
「屁理屈って。僕は現代人の生活を憂いてだな……」
「難しいこと言ってるけど、単にあーちゃんが低血圧なだけでしょ」
ほんと世話がかかるんだから、と遥は柳眉を立てて僕の机をあさり始めた。僕の鞄を用意してくれているのだ。
ちなみに、あーちゃんというのは僕の愛称である。
「いつもすまないねぇ、お前さん」
「そう思うなら、ちゃんと自分で起きれるようになってよね。だれのおかげで毎日遅刻せずに済んでると思ってるの」
「我ながら、自分の目覚めの良さに惚れ惚れとするね」
「……だったら、明日から自分で起きる?」
「すんませんマジ調子こきました。これからもなにとぞよろしくお願いいたします」
速攻で謝った。
そこに迷う要素など微塵たりともなかった。
父さんも母さんも長期出張でだれも家にいない中、朝の弱い僕を起こしてくれるのは遥しかいない。持つべきものは近所に住む幼なじみである。
「ほら、早く顔洗って着替えきて。その間に朝ご飯の準備しておくから」
うーい、とおざなりに返事をして、僕は緩慢に立ち上がった。
○
僕と遥は生まれた時からなにかと縁がある、いわゆる幼なじみというやつだ。
元は父さんと母さんの結婚を機にこの町へ移り住んで、それからご近所付き合いが始まった仲なので、単純な年月で言えば五十嵐家の方がずっと長くこの町に住んでいる。移り住んだ当初はさほど交流があったわけじゃなく、僕らが生まれてからだんだんと会話が増え、同時期に第一子が生まれてから、より交流が深くなったらしい。お互いに小さい子を持つ親としてなにかと話が合ったのだろう。
親同士が繋がれば、当然遥との触れ合いも増えるわけで、いつしか僕らは暇さえあればしょっちゅう遊ぶ仲になっていた。昔は泣き虫で内気だった遥を外へ連れ回しては、他の子供達も誘って友達を作ってあげたものだ。今となっては自分から積極的に友達を作ろうとして、逆にインドア派となった僕を毎日外へ連れ出そうとしているのだから、人生なにが起きるかわからないものである。
もっともそれは、僕が消極的というか、昔に比べて物ぐさな性格になってしまったからというのもあるのだが。これも全部中学校に上がる前ぐらいに突然低血圧気味になったせいである。おのれ低血圧め。
そうして僕は次第に朝が大の苦手になってしまい、危機感を覚えた母親が苦肉の策として、遥に息子を毎朝起こしてくれるよう頼み込んだのだった。
本来なら他人の手を煩わせず、家族内で解決(というか、自分で起きろよという話ではあるけども)すべきことなんだろうけど、両親共に出勤時間が早く、寝起きの悪い僕のことなんていちいち構っていられなかったのだ。母さん曰く、遥に頼み込んだ時は情けなくて涙が出そうな思いだったらしい。自分で言うのもなんだけど、手のかかる息子で申し訳ないと思う。改心する気は毛頭ないが。
そんなこんなで遥が僕の家に通うようになり、最終的には両親の長期出張が決まって一人暮らしを余儀なくされ、なんだかんだ今に至っている。
○
「ふぅあ、ねむ……」
あくびを噛み殺しつつ、僕はだらだらと通学路を歩く。
朝だというのに梅雨明けの日差しが容赦なく照り付ける。まだ六月だというのに、これからますます暑くなるのかと思うと嫌気がさす。クーラーのある自室が恋しくてたまらない。
それは僕ら以外の道行く人も同じなようで、この熱気に大抵の人が不快そうに眉をしかめていた。元気なのは、この暑い日でもそこらを駆け回る小学生ぐらいだ。
「もう、だらしがないなあ。髪の毛だってぼさぼさのままだし」
隣を歩く遥が、僕の髪を見て苦言を呈する。まるでオカンみたいな言い草だ。
実際、朝僕を起こしに来るだけでなく、衣食のことまで世話を焼かせているので、あながち間違いとは言えないけれども。
「ちゃんとしたらけっこうイケメンな方なのに、もったいないなあ」
「髪なんてどうでもいいよ。それよりもどれだけ長い時間寝られるかの方が重要だ」
手で顔を扇ぎながら、僕は煩わしげに言葉を返す。衣替えしたばかりの半袖のカッターシャツが肌に貼り付いて気持ちが悪い。後で制汗スプレーを吹きかけた方がいいかもしれない。
「あーちゃんは根っからの怠け者だなあ。周りの目とか気にならないの?」
「ならないね。というかそれを言うなら、そっちの方がよっぽど目立つじゃん」
「これはいいの。私の一部みたいなものなんだから」
言って、遥は首からぶら下げている一眼レフカメラを愛おしそうに撫でた。
それは五年前に病死したおばさん──つまり遥の母親が生前遥に渡した遺品だったりする。
おばさんはわりと有名な写真家で、過去に何度か個展も出しているなにげにすごい人だった。遥を生んでから写真家を辞めて主婦に専念するようになったらしいけれど、それでもカメラを手放したりはせず、日常的に写真を撮っていた。
おばさんはとても個性的な人で、被写体を選ばない人だった。人や風景はもちろん、どこにでもあるような路傍の石を撮ったり、果ては公園にあるゴミ箱も撮ったりしていた。世界広しと言えど、ゴミ箱を撮影する写真家なんておばさんぐらいだと思う。
そんな奇天烈なおばさんではあるけれど、写真以外は普通に優しい良い人だった。毎日のように五十嵐家に押しかける僕を笑顔で出迎えてくれたし、遥と一緒によく遊んでもくれた。その時撮られた写真は今でも僕の家にあって、大切に保管されている。
だからおばさんが不治の病で亡くなった時はとても悲しかった。遥なんて言わずもがな、あまりの落ち込みようにおばさんの後を追ってしまうんじゃないのかとかなり心配したぐらいだ。
けれど、遥はそんな真似は決してしなかった。きっとそれは、おばさんが遺した最後の言葉(僕は直接聞いたわけじゃないけれど)のおかげだと思う。
『世界はまだまだ嬉しいことや楽しいことでいっぱい溢れてる。だからどんな一瞬でも世界から目を離さず、その心に収めなさい。そしたら絶対、私みたいに生きてて良かったって言える人生になれるから』
その言葉を胸に、今日も遥は精一杯生きている。
どんな一瞬も見逃さないよう、おばさんの形見を常に携えて。
いつかおばさんのような、立派な写真家を夢見て。
「つーかそのカメラ、いつも肌身離さず持ってるよな。学校にまで持って来るやつなんて遥ぐらいなもんじゃないか?」
「そうかもね。今時、スマホがあればカメラなんて必要ないだろうし」
カメラ好きとしては複雑だけどね、と遥は寂しそうに言う。
それはそうだろう。一眼レフなんて本格的なものを使っている人なんて、それこそカメラマンぐらいしか聞かない。一般の人はみんなスマホで撮影する時代だし、遥のように日常的にカメラを持ち歩く人間なんてごく少数だろう。
「けどさあ、あんまり見せびらかさない方がよくないか? けっこう高価なやつなんだろそれ? 詳しくは知らないけど」
「大丈夫だよ。こうやって首からずっとぶら下げてるし」
それに、と遥は僕の前に出て、はにかみながらカメラを掲げてこう言った。
「いつ良い画が撮れるか分からないでしょ?」
「良い画ねぇ……」
呟きつつ、胡乱げに周囲を見渡す。
見渡す限りの田んぼ道。障害物もなく全面から吹き抜ける風。遠くを見渡せば、いくつにも連なった山脈が見え、空を仰げば名前もよく知らない野鳥が悠々と飛翔しており、いかにものどかな田舎といった景色が目の前に広がっていた。
が、田舎は田舎でも中途半端というか、車で十五分ぐらいした所に大きいショッピングモールがあったり、わりと近くにコンビニやスーパーもあったりして、豊かな自然をアピールしている所に比べたらバランスが取れていない。正直、ちぐはぐとしているのだ。
これから都会化が徐々に進んでいくと言えば聞こえは良いけど、僕が小さい頃からずっとこんな感じだったので、その望みは薄い。一体わが町はどこへ向かおうとしているというのか。疑問でならない。
いや、決して見どころがないわけじゃない。それなりに自然はあるわけなんだから場所によっては良い画が撮れるポイントもあるし、ごくまれにカメラを構えた人(遥も含む)も見かけたりもする。ただ長年に住んでいる身から言わせてもらえば、ここのどこに写真に収めるだけの価値があるのか、まるでわからなかった。
こんな半端な田舎を撮影するくらいなら、都会の夜景だとか、もっと田舎の雄大な自然でも撮った方が有意義なんじゃないかと言いたいぐらいに。
「この町じゃ難しいんじゃないか? 町を一望できるアングルから撮っても、マンションとかが邪魔で景観失うし」
「そんなことないよ。それは単純に、あーちゃんが世界に目を向けてないだけ」
「そういうもんかね……」
世界、ね。おばさんみたいなことを言うな。
どんな一瞬でも世界から目を離すな、か。
「だからあーちゃんは、もっと周りにアンテナを張るべきなんだよ。ただでさえあーちゃん、無気力人間なんだからさ」
「あー、僕って低血圧だからなあ。血と一緒にやる気も精製されにくいんだよね」
「低血圧って関係あるかなあ。というかあーちゃん、そう言うならもっと食生活を改善しなよ。ウサギみたいに野菜ばっかり食べてさ。もっとお肉も食べなよね。肉肉肉肉肉って感じでさ」
「国を食べるのか。えらく豪気だな」
「国じゃなくて肉! 変な風に聞かないでよ!」
「言葉のマジックってやつだな」
「あーちゃんがひねくれてるだけだよ!」
というより、肉ばっかりというのもそれはそれでどうかと思うのだが。胃がもたれそう。
が、わが幼なじみはそんな重大な事実に気付いてないらしく、眉間を寄せて怒気を放ってきた。忙しないやつだ。
「──あ、見て見てあーちゃん! スズメがいるよ!」
と、さっきまで怒っていたと思っていたら、気まぐれを起こしたようにころっと表情を変えて、遥は前方の立て看板の上で寄り添っている二羽のスズメを指差した。
「スズメなんて、別に珍しいもんでもないだろ」
「そうじゃなくて、恋人同士みたいで可愛いねって言いたかったの!」
「そうか? あんなもん、そこらの電線でよく見かけるだろうよ」
「そうかもしれないけれど、二羽だけってのがいいの!」
どうして乙女心がわからないかな~、と遥は頬を膨らませて立腹する。どうしてスズメ程度のことで乙女心なんて話が出てくるのか、そっちの方がよっぽど謎なんだが。
「そうだ。写真に撮っておこうっと!」
言うが早いか、遥はカメラを構えて、ファインダー越しにスズメを覗き始めた。そして慣れた手つきでシャッターを切っていく。見るからに瞳を輝かせて。
そんな楽しそうに写真を撮る遥を見るともなしにぼんやりと眺めながら、僕は先ほど言われたことを反芻する。
無気力さながらに、人生を怠惰に生きている僕の目には、この世界はなんの代わり映えもしないつまらない景色にしか思えないけれど。
きっと遥の目には、この世界がとても美しく見えているんだろうなと、ぼんやりとながらそう思った。
○
僕らの通う牧田高校は、田んぼ道を過ぎて小高い坂を上った先にある。時間で言うなら僕の家から徒歩十五分程度。自転車で行った方が早いし、家にもあるけれど、通学にはほとんど使う機会はない。
というのも、遥が自転車に乗れないのであえて使わないでいるのだ。さすがの僕も、毎日起こしに来てくれる幼なじみを差し置いて先に学校へ行くほど非道ではない。
ちなみに牧田高校は、さして偏差値が高くも低くもない公立校だ。なので設備も他の一般校となにも変わらない。これと言って特色もない高校なので、他校の生徒から地味校と揶揄されていたりもする不憫な学校なのだ。
ではなぜその牧田高校に入学したのかと言うと、家から一番近かったというのが最もな理由だ。スローライフを心がけている僕にとって、これほど重要な理由はない。
「おはよう、五十嵐さん」
「おはよう
「おっはー、遥。今日も彼氏と仲睦まじく登校?」
「おっはー、みのりちゃん! もう、彼氏とかじゃないから!」
「おはようございます! 五十嵐先輩!」
「おはよう
そんなこんなで遥と共に牧田高校の敷地内に入り、先のような挨拶を交わしながら校舎中へと入っていく。そのほとんどが遥に向けられたものばかりだけど、これも人望の差ってやつなんだろう。容姿も良い方なので、男子の比率も高い。浮いた話はまだ聞いたことはないが、僕が知らないだけで交際を申し込まれたこともあるのかもしれない。
訊いたところで答えはしないだろうし、別段興味もないが。
「あーちゃん、ちゃんと課題やってきた? 二組の子から聞いたよ。古典から課題が出てるって」
下駄箱で外靴からスリッパへと履き替えている最中、背後にいる遥から声をかけられた。僕が二組で遥が一組なので、下駄箱が向かい合った位置にあるのだ。
「へーきへーき。この間、日本昔ばなしの再放送観てきたから」
「いや全然平気じゃないよ! なにその根拠のない自信!?」
「古典には変わらないしな」
「古典かもしれないけど、それとはまた別の話だよ!」
むう。一体なにがいけないというのだろう。アニメ界を代表する名作だというのに。
「はあ、もういいや。後で叱られても知らないよ?」
「問題ない。課題なら昨日の内に済ませておいたからな」
「じゃあさっきまでの会話はなんだったの!?」
終わってるなら終わってるって最初に言いなよ! と憤慨する遥。まあその課題も、クラスメートに写させてもらったものなのだが。
遥と戯れつつ、朝の賑わった廊下を歩く。二年生の教室は上階にあるので、ここから階段を上らないといけないのが面倒極まりない。エスカレーターとか設置してもらえないものだろうか。
「エレベーターでもいいんだけどね」
「……? なんの話?」
なんでもないよと首を振りつつ、階段を上り始める。どうせ遥に言ったところで怠け者だと一蹴されるだけだ。だったら、なにも言わない方が賢明である。
「聞いた? 最近、隣町でまた人がいきなり消えたみたいよ?」
「本当? 確か半年前にも中学生の子がいなくなってなかったっけ? これもやっぱり
と、踊り場付近まで来た辺りで、二人組の女子生徒がなにやら物騒な話とは裏腹に喜色をにじませた顔で談笑していた。
そんな彼女らの前を素通りしながら、
「消失症候群か……」
と僕は人知れず呟いた。
消失症候群。
名前こそなにかの病気みたいだが、これは一種の都市伝説みたいなもので、現実に消失症候群なる病は医学用語として存在しない。
数十年以上も前からある都市伝説みたいで、一時期日本中を騒がせたこともあるらしいのだが、なんの因果か、最近になってまた注目を浴びるようになったのだ。
具体的にどういった都市伝説なのかというと、文字通り存在そのものがこの世から消失してしまうという、まあよくあるオカルト話である。
さらに細部を語ると、この消失症候群にかかってしまうと、ありとあらゆる人からその存在を忘却されてしまい、やがて完全に消失してしまうというのだ。
ではなぜ記憶に残らないはずなのにそんな病があるのがわかるのかというと、まれに朧げながら消えた人の記憶が残っていたり、また消失する前に使用されていたと思われる物品がまだ存在していたりと、僅かながらその人が存在していた思われる証が、少数ながら各地で報告されているのである。
もしかすると、普段なにげなく過ごしている僕らの日常も、すでにだれかが消えた後の世界なのかもしれない。
それは確かめる術なんて、僕らにはないわけだけれども。
「最近多いよね……」
二人組の女子生徒の横を通り過ぎた後、遥が不意に話しかけてきた。
物思いに耽っていたせいか、いきなり振られた話題に付いていけず、「え、お、おう。なにが?」となんだかよくわからない相槌を打ってしまった。
「だから、消失症候群の話だよ。さっきの子達も話してたけど、最近になって増えてきたとは思わない?」
「あー、そういえばうちのクラスの女子もよく話してるな。どこどこのだれかがまた消えたらしいとかなんとか」
「でしょ? テレビの特番とかでも話題になってたりするし、やっぱり流行ってるのかなー。インフルエンザみたいに」
「どうなんだろうな。単なる失踪事件かもしれないし」
というより消失症候群自体、その存在を立証されたわけでもない。だからこそ都市伝説たりえるのだろうけど、事件や事故だと思いたくない人達の深層心理が生んだまやかしに過ぎないと切り捨てる者もいる。
真っ当な思考をすれば確かにまやかしかなにかと思った方が現実的ではあるけれど、それは悪魔の証明みたいなもので、どのみちあるともないとも言えない。詰まるところ、どっちの方が精神衛生上に良いかという話に収まるわけだ。
ま、単に話のタネとして楽しんでいる連中の方が圧倒的に多いとは思うけども。
「でも、本当にあったら怖いよね。突然みんなに忘れられて、なんにも残せないまま消えちゃうなんてさ」
「そうとも限らないぜ? 学校で頼まれた面倒ごととか遅刻歴とか、なにもしなくても向こうから忘れてくれるんだ。こんなに喜ばしいことはないだろ」
「怠け者のあーちゃんらしい言葉だね……。でもさ、結局消えちゃうんなら意味なくない?」
「ちょっと言ってみただけだよ。本気にすんな」
言いながら、わしわしと雑に遥の頭を撫でる。やめてよ~、などと遥は口を尖らせているが、その実結構嬉しそうだった。昔から頭を撫でられるの好きだったもんな、こいつ。
あんまり撫でるとリア充がイチャついていると誤解されかねないので、そろそろ手を離そうとしたら「そういえば」と遥が不意に口を開いた。
「
「もう知ってるんじゃないか。あの人、この手の話題に敏感だし」
伏見先輩というのは僕らの学校の先輩で、同じ部活の部長でもある女の人だ。
どういった人かというと、まあ都市伝説好きの変人だと言えば一番しっくりくるだろう。
すごく美人で良い人ではあるんだけどなあ。あの変な趣味さえなければなあ。
「ちょ、あーちゃん痛い痛い!」
「あ、すまん」
考えごとをしていたせいか、つい力加減を間違えて強めに撫ででしまった。
慌てて手を離して「めんごめんご」と軽く詫びる。
「んもう、今度やる時はもっと優しく撫でてよね!」
「おう、任せとけ」
つーか、また撫でる前提なのか。ほんと好きだな、撫でられるの。
そうこうしている内に、遥の教室の前へと辿り着いた。遥とは一旦ここでお別れだ。
「それじゃああーちゃん、また後で部活でね」
「ああ、じゃあな」
互いに手を振って、僕らはそれぞれの教室へと入った。
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