第5話



『バッティングセンター?』

 時刻は夜の九時過ぎ。自室のベッドの上でスマホをいじっていた俺は、小日向から来たメールに対し、

「そう、バッティングセンター。今度の土日あたりでもどうかなっと……」

 と文字を入力して、送信ボタンを押した。

 小日向からメールが返ってくるまで、この間DLしたばかりのスマホゲームで時間を潰す。

なぬ? クラスチェンジするのに課金アイテムが必要とな? おのれ運営。金のない高校生に課金なんて真似ができるはずもなかろうが。

 しかし、ほんとスマホは便利だね~。据え置き機よりクオリティーは下がるが、それでも充分な画質と内容でゲームを楽しめるし、いつでもどこでも好きなマンガを読めるのもいい。もはや本来の用途として全然使っていないまである。

 こうして小日向とメールのやり取りをしたりもするけど、それまでほとんど家族としか連絡を取っていなかったからなあ。スマホを持たせてくれるようになったのも高校に上がってからだし、家族以外となると、小日向が初めての連絡先を交換し合った間柄とも言える。

 俺にとって、スマホなんてゲームかネットで遊ぶ物でしかなかったので、クラスメートとこうしてメールのやり取りをするのは、なんだか妙な気分だった。それでなにかしらの感慨が湧くかと言えば、それは微塵たりともないが。

 親がこのことを知ったら、きっと悲しむだろうなあ。スマホを買ってくれたのも、家族と連絡を取り合うためという理由よりも、友達との交流が円滑に進むようにって理由からみたいだし。

 まさか息子のスマホのアドレス帳に、家族しか連絡先がないなんて夢にも思っていないだろう。最近になってようやく一件増えたが、友達と言えるような関係じゃないし、とてもじゃないがアドレス帳なんて見せられたもんじゃない。

 と、詮無いことを考えながらゲームに興じていたその時、スマホからメールの着信音が鳴った。きっと小日向からだろう。

 ゲームを一旦中断し、送り主を確認する。すると予想通り小日向からのメールで、

『土曜日の午前中なら平気だよ。でもあたし、バッティングセンターなんて行ったことがないんだけれど、大丈夫かな?』

 と書かれていた。

 そうか。バッティングセンターで遊んだ経験はまだなかったのか。てっきり喜界島あたりと一緒に行ったことぐらいはあるのかと思っていた。

 まあしかし、専門的な知識や技術が必要になるわけでもないし、運動神経の良い小日向ならどうにかなるだろう。逆に新鮮な気持ちで楽しめていいかもしれない。

 それになにより、俺の知っているバッティングセンターならあまり人もいないので、気兼ねなく遊べるはずだ。お互い、ここ以上にうってつけの場所は他にない。

 唯一の心配は小日向の反応であったが、この分だと問題はなさそうだ。これで却下されたら、また思考の沼にはまるところだったよ……。

『そんなに難しいもんじゃないよ。小学生でも打てるような球速だってあるし。自販機しか置いていないバッティングセンターだから、あまり内装については期待されても困るけどな』

 そう送信すると、しばらくしてから小日向から返信があって、

『そっか。それなら安心かな♪ じゃあ当日はなるべく動きやすい格好で行くね。時間はどうしようか? どこで集まる?』

『そこの開店が九時半からだから、現地に五分前くらいに集合でどう? 地図はこれね』

 ネットで検索した地図を添付して、再び送信。

 すると数分程度で『OK♪ そこなら家から割と近いし、自転車で行けそう♪』とメールが返ってきた。

 よし。ひとまずこれで写真を撮る場所が決まったぞ。あー、これで少しの間は頭を悩ます必要はないな。

 さてと、無事に写真を撮る場所も決まったし、ゲームの続きを──

「いやあんた、そこでメールを終わらせちゃダメでしょ?」

「うおうっ!?」

 突然耳元から聞こえてきた声に、俺はベッドから跳ね起きて背後を振り返った。

「あ、姉貴!? いつからそこに!?」

「ちょっと前から。もしかしてあんた、さっきまで気付いてなかったの?」

「全然気付かなかった……」

 ていうかドアに背を向けて寝転んでいたから、視界にも入ってなかった……。

「それよか姉貴! 入る時くらいノックしろっていつも言ってるだろ!」

「いいじゃん別に~。家族なんだからさ~」

 スマホを覗くために屈めていた腰をまっすぐ伸ばして、姉貴は悪びれもせず緩い笑みを浮かべた。

 若干赤毛の混じったミディアムヘアー。同じ血が通っているとは思えないほど綺麗な面立ち。スタイルもなかなか良く、アイドルは言い過ぎだとしても、読者モデルをしていても不思議ではない程度に整った容姿をしている。聞いたことはないが、実際にスカウトを受けたこともあるのかもしれない。

 望月もちづき友華ともか

 俺の実姉であり、地元の大学に通っている現役女子大生である。

 見た目の雰囲気からしていかにもリア充な感じだが、実際姉貴は明朗快活な性格もあって昔から友人が多い。サークルにも入っているようで、たまに土日になると、サークル活動とやらで外泊することも少なくない。なんのサークルに入っているかまでは知らないが。

 しかし同じ『友』の字を冠しているのに、この違いは一体なんなんだろうね? あれかな? やっぱ容姿の差かな? いや、卑屈になるほど俺も悪いわけじゃないけども。

 そんな生まれた時から勝ち組みたいな姉ではあるが、今はピンクのブラにパンティーだけという、年頃の娘さんとしてどうなのかという格好をしている。普段は今どきの女子大生みたく全身オシャレ武装で外に出ているが、ひとたび家に帰るとすぐこんな粗雑な奴へと早変わりしてしまうのだ。

 俺が幼い頃からこんな感じだったので、今となっては見慣れた光景だが、はしたないのに変わりはないので、極力やめてもらいたいところではある。この干物女め。

 そんな二十歳にもなって羞恥心をどこかに置き忘れてしまったらしい姉貴は、俺の憮然とした態度になんら気にした様子もなくベッドに腰掛けて、

「だいだい、ユウは細かいこと気にし過ぎ。口うるさい男は嫌われるわよ~?」

 と、俺の頬を指でぷにぷに突きながら顔を寄せてきた。

「大きなお世話だよ」

 姉貴の指を腕で払って、ぷいっとそっぽを向く。

 くそっ。これだから鍵のない部屋は嫌なんだよ。今からでも鍵を取り付けてもらいたいところなのだが、鍵なんて付けたら引きこもりの原因になるとかなんとかで未だになにもしてくれないし。もう少し子供のプライバシーに配慮してもらえなかったものなのかね?

「ところで、姉貴はなにしに来たんだ?」

「ユウの漫画を借りにに来た。ほら、前にユウから貸してもらったのがあるでしょ? ファミレスで働く四コマ漫画のやつ」

「ああ、あれね。ちょっと待って」

 ベッドから立ち上がって、俺は前にある本棚へと向かう。

 ちなみに『ユウ』っていうのは俺の渾名だ。なんで『ユウ』っていうかなんて説明するまでもないだろう。なんのひねりもない単純な渾名だ。

「で? 何巻?」

「三巻」

「ああ、山田回か」

 言いながら、俺は要望通り三巻を手に取って、

「ほらよ。これでいいんだろ?」

「おお、さんきゅさんきゅ。続きが気になってたのよね~」

 そうおざなりに礼を言って、俺から漫画を受け取る姉貴。

 そして、すぐに自分の部屋へと戻るのかと思いきや、姉貴はそのまま何食わぬ顔でベッドの上に居座り、ページを捲り始めた。

「……っておい。自分の部屋に戻れよ姉貴。漫画は渡したはずだろ?」

「いいじゃん別に~。ユウのベッド、ふかふかしてて気持ちいいのよね~」

「いや、姉貴のベッドも俺と同じやつを使ってたはずだぞ」

「まあまあ。細かいことは気になさんな。ここにいたら続きもすぐ読めるしね~」

「ったく……」

 これ以上はなにを言っても無駄だと思い、嘆息をつきながら元の位置へと戻る。

 毎度のことながら、本当に自分勝手な奴だ。もう少し弟という存在に気を遣ってほしいものである。思春期の男の子は色々と忙しいんですよ、ええ。

 無防備に大股を開きながら漫画を読みふける姉貴に辟易としつつ、俺は中断していたゲームでもやろうかと思ってスマホに手を伸ばしたところで、はたとあることに気付いた。

「そういや姉貴、少し前になんか言ってなかったか? メールがどうとか」

「んん? ああ、あれね」

 言って、姉貴は一旦漫画を閉じて、俺のスマホを指差してこう続けた。

「ほらあんた、中途半端なところで返信やめたでしょ? あれじゃあ会話が終わったかどうかわからなくて、きっと相手も困ってるわよ?」

「中途半端? どこが? ちゃんと日時も指定したし、これ以上に言うことなんてなにもないぞ?」

「それならそれで、もうこれで終わりって合図を送りなさいよ。よくは知らないけど、メールの相手って女の子なんでしょ? 女の子はそういうところ、結構気にするわよ~?」

「そうなのか……。ていうか、よくわかったな。相手が女の子だなんて」

「メールの文面見てたら大体わかるわよ。たぶんだけど、知り合って間もない感じじゃない?」

 すげえな! なんでそんなことまでわかるんだ?

 ──なんて驚愕がそのまま表面に出てしまっていたのだろう、姉貴は俺の顔を見て、

「おっ。さてはビンゴね。ふふん、さすがは私~☆」

 と偉そうに胸を張った。なんかムカつく。

 それにしても、合図かあ。合図、ねえ。

「いや、どう終わらせらいいんだこれ? なにも文章が思い浮かばないんだけど……」

「なにスランプ中の作家みたいなこと言ってんのよ。普通に『その日はよろしくね。いっぱい楽しんじゃおう!』とかなんとか送ったらいいじゃない」

「なるほど……」

 アドバイス通り、メールで『その日はよろしく』とだけ書いて送信ボタンを推す。本当は姉貴の考えた文面通りに書こうとも思ったが、そんなキャラでもないのでやめておいた。ちょっと愛想がないくらいの方が俺らしいだろう。

 するとその数分後に『うん。あたしもよろしくね☆』と返ってきた。

 よし。これでもう心置きなくゲームができるなと、ゲーム画面を起動させようと思ったところで、ニヤニヤとチェシャ猫じみた笑みを浮かべてこっちを見ている姉貴にふと気が付いた。

「……なんだよ姉貴」

「いんや別に~。ただ、ユウにメールの相手ができるなんて──しかもそれが女の子だなんてびっくり~って思っただけよ」

「一応言っておくけど、彼女とかじゃないぞ?」

「わかるわよそれぐらい。なんだがお互いぎこちない感じだったし。ついでに言うなら、友達とかでもないでしょ?」

 おお、鋭いな。まさかそこまで的中させてくるとは思わなかった。

「正解。しかし、よくわかったな?」

「当然でしょ? 何年あんたの姉やってると思ってんのよ」

 言いながら、姉貴は俺の首に腕を回して、

「それよりも、その子と一体どういう関係なわけ? ちょっとお姉さんに話してみ?」

「あー、まあ色々とな」

 適当にはぐらかして、俺はスマホに視線を戻す。

 正直に話してもいいのだが、なんだか茶化されそうだし、黙っておいた方が無難だろう。

「ふうん。言う気はないってか。まあいいけどね~」

 俺の素っ気ない態度に興が削がれたのか、姉貴は再び漫画を手に取って、こちらに足を向ける状態で仰向けに寝転んだ。

 弟とはいえ、男の前で無防備な姿を晒す姉に呆れつつ、アプリを開いてゲームの続きを始める。

 さてと、次のクエストを攻略するためにも、装備を万全にしておかないとな。

「あんまり無理すんじゃないわよ」

 ぽちぽちとスマホを操作していた最中、姉貴がなにげない口調で、漫画に目を向けたまま不意に口を開いた。

「無理って、なにが?」

「そのメールの相手よ。詳しく訊くつもりはないけど、あんたのことだから、どうせ成行き上仕方なくでそうなったとか、そんな感じでしょ?」

「…………」

 その問いには答えず、俺は無言で姉貴の方を見やった。

「人間関係って確かに重要だけどさ、それがすべてってわけじゃないし、変に肩肘張る必要なんてないわよ。反りの合わない人間と無理して付き合うだけ時間と労力の無駄なんだから」

 どうやら、姉貴なりに心配してくれているらしい。

 そりゃそうか。姉貴は俺がぼっちになった経緯を知っているもんな。

 そのきっかけも、俺がどれだけ追い詰められた状態だったかまでも。

「……姉貴だったらどうする? 仮に、それでもそういったタイプの人とどうしても一緒にいなきゃいけない時とか」

 別段小日向のことを言っているわけではないが、後学のためにそう訊いてみると、

「そうね~。バイトの同僚とかだったら、とりあえず職場にいる時だけは愛想良くしておくわね。仕事は仕事だし。それ以外で友達の紹介とかだったら、適当言ってバックレるわね」

「いいのかそれ? その友達とあとで会った時に気まずくならないか?」

「かもしれないわねー。でも別にいいのよ。その場に残ってストレスを溜めるよりずっと健康的よ。だれにだって他人を拒絶する権利くらいあるんだから」

 他人を拒絶する権利。

 それはそうだろう。だれにでも性格が合わない人間の一人や二人いるはずだ。そういった人とも仲良くするのが理想的ではあるが、あくまでも理想は理想。現実はそう簡単にはいかない。

 たまになにかの本で、苦手な人間との付き合い方みたいな本があったりするが、大抵相手が嫌いなのは自分の性格に同じ部分があるからだとか、子供を見るような目で優しく接しましょうだとか、まるで聖人君子になれと言わんばかりの内容で、正直反吐すら出る。

 本当にそれが実行できるくらい心の広い人ならともかく、だれもがそんな聞き分けがいいとは限らない。かく言う俺だってその内の一人だし、なんなら「なんでこっちだけ自省しなきゃなんねえの?」と唾を吐き捨てているまである。我ながらとんだ捻くれ者だ。

 けどだからこそ、そういった相手と無理に歩み寄る必要はないと思うのだ。

 反りの合わない人間なんかと一緒にいたら、いずれ自分という器が粉々に壊れかねないものなのだから。

 かつての俺がそうであったように。

「まあ、なんつーか、あれよ。うん、気楽にやってけー」

 と。

 途中で面倒くさくなってきたのか、姉貴はこれで話は終わりとばかりに片手をひらひら振って、ページを捲る手を早めた。本格的に集中し始めたのだろう。これ以上邪魔するのは野暮ってなもんだし、俺もゲーム画面へと視線を戻す。ちらちらと視界に入る姉貴のパンツが気になるところではあるが。短パンくらい穿いてくれないもんかね?

 しかし、こんなだらしない姉でも、こうして俺を気遣ってくれてはいるのだ。

それは、今日まで俺がぼっちであることを親に黙ってくれている点だけでも、十分に伝わってくる。だから──

「さんきゅ……」

 と、姉貴には聞き取れない声量で、俺はそう呟いた。

 聞こえるように言ったら、絶対からかってくるだろうしな。


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