第9話 決着!



『ふえ~ん。ふあ~んっ』

 そこは夢の中だった。

 その夢の中で、幼い頃のひかりが、家の庭でうずくまりながら泣いていた。

 ひかり以外に人は見当たらない。唯一、近くにある犬小屋からハチが心配そうに「くぅ~ん」とひかりを見つめていたが、リードでつながられているため、そばに寄ることは叶わなかった。

 きっと秋も真っただ中の時期なのだろう。庭に植えてある木々から枯れ葉がこぼれ、ひかりの頭上にもひらひらと降りそそぐ。

『おやおや。そんなところでどうしたんだい、ひかり』

 と、玄関側の方から、どこか耳なじみのある優しい声が聞こえてきた。

『こんなところにずっといたら、かぜを引いてしまうよ』

 それは、数年前に他界したひかりのおばあちゃんだった。

 生きていた頃となにも変わらない。そのおだやかな顔も。落ち着いた物腰も。いつも身にまとっていた着物も。

 しかし夢の中のひかりは、そのことを知らないのか、

『おばあちゃ~ん!』

 と、驚くでもなくおばあちゃんに泣きついた。

『おやまあ、こんなに枯れ葉を付けて』

 ひかりの頭や肩に付いた枯れ葉を丁寧に手で払いながら、おばあちゃんが優しく微笑みかける。

『それで、どうして泣いていたんだい?』

『ぐすっ。あのね、おばあちゃん。きょう、ようちえんでね、またオバケにイタズラされたの……』

 涙ぐみながら、ひかりはおばあちゃんを見上げて口を開く。

『そう、またなのかい……』

 そう相づちを打って、おばあちゃんはひかりの頭を優しくなでる。

 けれど、その表情はくもっていて、ひかりのことをとても案じているのが見てとれた。

『おばあちゃん。どうしてわたしだけオバケが見えるの? なんでわたしだけイタズラばかりされるの? みんなは見えないのに、わたしだけおかしいの?』

『ひかり……』

 悲しげに訴えるひかりに、おばあちゃんは腰をかがめて『そんなことないよ』と目線を合わせて優しく語りかける。

『ひかりはどこもおかしくなんてないよ。ただちょっと、他の人よりオバケが見えやすいだけさ。だから気にする必要なんて、なんにもない』

『でもでも、すごくこわいんだもん。オバケなんてもう見たくないっ』

『……うん。怖い気持ちはわかるよ。おばあちゃんも小さい頃から、ひかりと同じようにオバケをよく見ていたからね』

 けどね、とおばあちゃんはひかりの肩に手を置いて、話を続ける。

『オバケだって、みんな悪いものばかりとはかぎらないんだよ。イタズラが好きなオバケもいるけど、そんなのはまれさ。たいていはそこにいるだけで、悪さなんてめったにしない。だから、むやみに怖がる必要なんてないんだよ』

『……でも、やっぱりこわいよ。わたし、よわい子だもん。おばあちゃんみたいにつよくはなれないもん』

『そうだね。急に強くなれるもんじゃない。それはおばあちゃんにもわかる。だからひかりには、とっておきのお守りをあげよう』

『おまもり?』と首をかしげるひかりに、おばあちゃんは着物の裾をまさぐって、言葉通り朱色のお守りを取り出した。

『これは源家に代々伝わるお守りでね、とある強い力が込められた道具の破片が入っているんだ。だから、ちょっとしたオバケなら簡単に遠ざける力があるのさ。それとひかりのために、おばあちゃんがオバケを見えなくする魔法をかけておいたから、これを付けておけば、オバケが見えることはなくなるはずだよ』

 言いながら、おばあちゃんはひかりの首にお守りをかけた。

『……このおまもりがあったら、もうオバケは見えなくなるの?』

『そうさ。大事な物だから、本当ならひかりがもっと大きくなってからわたすつもりだったのだけれど……まあ今のひかりなら、なくしたりはしないか』

『うん! わたし、ぜったいだいじにする!』

 お守りをぎゅっとにぎって、今までの泣き顔がウソのように笑顔を浮かべるひかり。

『おっ。いい返事だねえ。じゃあ、おばあちゃんと約束だよ。肌身離さずそのお守りを持っておくこと。そうしたら、もうオバケが見えたりしないから。わかったかい?』

『うん! でも、おばあちゃん。それでもオバケが見えちゃって、それがすごくわるいやつだったらどうしたらいいの?』

『大丈夫。そんな時は、お守りに向かって呪文をとなえればいいのさ。ただし危険な呪文だから、めったにとなえるんじゃないよ。それがわかったら、耳をお貸し』

『う、うん……』

 ドキドキしながら、ひかりは言われた通りに片耳をおばあちゃんの口に寄せる。

『いいかい? その呪文は──……』



「──さん。源さん、しっかりしてっ!」

 だれかかが自分を呼ぶ声が聞こえる。

 その耳に響く声に、ひかりは「うぅ……」とうめきながら、閉じていたまぶたを開けた。

「翔、くん……?」

「よかった! やっと目がさめた!」

 弱々しく名前をつぶやいたひかりに、翔はひかりの肩を持ち上げながら、ほっと笑みを浮かべた。

「あれ……? なんでわたし、こんなところで寝て……いたたっ」

 唐突に走った全身の痛みに、思わず顔をしかめるひかり。

 よく見ると、体のあちこちにすり傷やアザができていた。ケガ自体は大したものではないが、まるで盛大に転んでできたかような傷ばかりだ。

 そんなとまどいを見せるひかりに、翔は「ひょっとして、覚えてないの?」と心配そうにうかがう。

「源さん、さっきまで気を失っていたんだよ。爆風に巻き込まれて……」

「爆風……?」

 けげんに眉をひそめ、周囲に視線をめぐらす。

 そして今さらながら、自分の置かれている状況に気がついた。

「な、なに、これ……?」

 目の前の惨状に、ひかりは愕然とつぶやく。

 もうもうと立ちこもる黒煙。アスファルトは大きくえぐれ、周りの塀も無残に崩れている。幸い、近くの民家に火は移っていないが、まるで爆弾でも投下されたかのような惨状だった。

「そうだ。わたし、タマを助けようとして、それで……」

 そこまで口にして、ひかりははっと両目を見開いた。

「タマっ! タマはどこ⁉」

「源さん! そっちに行っちゃダメだっ」

 がばっと起き上がり、煙の中へと向かおうとしたひかりを、翔が慌てて腕を取って制止をかける。

 翔に腕をつかまれつつも、ひかりは必死になってタマの姿を探す。

 しかし、どこにも見当たらない。煙が邪魔というのがあるが、ひかりといっしょに吹き飛ばされたはずのタマが、どこを見わたしてもいなかった。

「翔っ! タマは⁉ タマはどこ⁉」

「……ごめん。どこにいるかは僕にもわからない。急いでここに来た時には、もうどこにもいなかったら……」

「そんな……」

 悲痛そうな顔で言う翔に、ひかりはガクッとひざを付いてうなだれた。

 まさか、あの酒呑童子の炎で跡形もなく消し飛んでしまったのだろうか。元はお札だし、これだけの破壊力があったら、タマを消し去るのもむずかしくはないだろう。

「タマ……消えちゃったの……?」

 いまだ現状が受けとめられず、ひかりは呆然とした面持ちでつぶやく。

 止められなかった。いや、仮にあの場面でひかりが間に合ったとしても、どうにかなっていたとは思えないが、それでも、タマを連れて逃げるぐらいはできたかもしれないのに。

 さまざまな後悔が押し寄せる。いつしかひかりのほほには、涙がつたっていた。

「……源さん。気持ちはわかるけど、今は酒呑童子が来る前に、ここを離れよう?」

「うん……」

 力なくうなずいて、翔の手を借りつつ立ち上がろうとした、その瞬間、

「──安心するがいい」

 黒煙の中から響いた、思わず総毛立つほどの凍てつく声音。

「あの式神ならば、ここにいるぞ」

「タマっ⁉」

 黒煙からタマの首輪をつかんで現れた酒呑童子に、ひかりは思わず大声を上げた。

 タマはボロボロの状態で、意識を失っているか、見るからにぐったりとしていた。正直、生きているかどうかすらも、遠目からでは判断できない。

「大した度胸よ。まさか自ら炎に突っ込んだ上、とっさに防御結界を張って威力を軽減させるとは。とはいえ、無謀なことに変わりはないな。もっと防御結界に時間をかけておれば、これほどまでの重傷を負わなかったものを。自殺行為にもほどある」

 違う。そうじゃない。

 あそこでタマが突っ込んだのは、背後に迫っていたひかりを守るためだ。

 少しでも、爆風からひかりを遠ざけるために。

 あんな、ボロボロになってまで……。

「さて、これで邪魔な虫は片づいた」

 まるで空き缶でも捨てるようにタマを後ろ手で放り投げて、酒呑童子は邪悪に口角をつり上げた。

「源の一族よ。早急に頼光の居場所を吐け。でなければ、次はきさまがああなる番だぞ」

 酒呑童子がなにか言っているが、ほとんど耳に入らなかった。

 それよりも、煙の中へと消えてしまったタマしか、今のひかりには見えていなかった。

「タマっ! タマぁ!」

「源さん! ダメだ! そっちに行ったら!」

「でもタマが! タマがぁ!」

「……この我に眼中なしとは、見上げた根性よ」

 翔の制止を振り切ってタマの元に向かおうとするひかりに、酒呑童子は少し気にさわったように片眉をぴくりと動かして、言葉を継いだ。

「まあいい。それならそれで、きさまの四肢をもぐなりして聞くまでよ」

 言って、酒呑童子は一歩ずつ距離を詰める。

 酒呑童子のすさまじい殺気に、ひかりはぴくっと動きを止めて硬直した。

 さっきまでタマの元へ行こうとしたのに、足にまったく力が入らない。気を抜けば、そのままひざがガクッと折れてしまいそうだ。

 震えが止まらない。歯もガチガチと無意識に鳴ってしまう。怖くてたまらない。

 そんな恐怖に支配されたひかりの前に、さっと人影が立った。

「……なんのつもりだ、わっぱ」

 ひかりを守るように立ちはだかった翔を見て、酒呑童子はいぶかしげにたずねる。

「源さんには、指一本触れさせない!」

 壁のように両手両足を広げて、翔が大声を上げる。

「ほう、勇ましいかぎりではないか。だがわっぱ、きさまになにができる? そこの娘にはそれなりに呪力があるようだが、きさまからはなにも感じ取れぬ。羽虫のように無力なきさまが、我に勝てるとでも?」

「確かに、あなたは強い。僕なんかじゃあ、きっと相手にもならないと思う。けれど」

 そこで少し間を置いて、ぐっと握りこぶしを作ったあと、翔は声高に続けた。

「ここでなにもしなかったら、僕は一生後悔する。大事な友達が傷つくところを黙って見ているなんて、僕にはできない! だから僕は、たとえ無謀でもあなたに立ち向かうっ!」

「翔くん……」

 決死の覚悟で前に立つ翔の背中を見て、ひかりはか細く名前をつぶやく。

 翔も怖いはずなのに。

 肩だって、小刻みに震えているのに。

 それでも、命がけでひかりを守ろうとしてくれて──

「くだらぬ」

 そんな翔の思いを切り捨てるように言って、酒呑童子は一度止めかけた足を動かし、ひかりたちに迫る。

「きさまごとき弱者が我に刃向かうなどと、笑止千万。目の前をちらつく羽虫のように、目ざわりでしかないわ」

 そう言う酒呑童子の顔は、害虫でも見るかのような嫌悪に満ちたものに変貌していた。

「気が変わった。そこの娘よりもまず、不快なきさまから消すとしよう」

 言うやいなや、酒呑童子は翔の顔をつかむように腕を伸ばす。

 脅しなんかではない、あきらかな殺意を瞳にたぎらせて。

 その殺気にあふれた眼光に、翔も気圧されたように一歩後ずさるが、すぐに踏ん張って酒呑童子をにらみ返した。

 だが、酒呑童子も言っていた通り、このままではむやみに命を散らすだけだ。

 なんとかしないと、翔が殺されてしまう。なんとかしなければ──!

『いいかい? その呪文は──……』

 ──おばあちゃん!

 ふいに頭をよぎったおばあちゃんの姿に、ひかりははっとした顔で、首にかけたお守りを力強くにぎりしめた。

 どんな力があるのかはわからない。ひかり自身、その呪文を一度もとなえたことがないし、おばあちゃんからどんな力が発揮するのかも、結局怖くて聞き出せなかった。今となっては、本当に危険から身を守ってくれるような力があるのかどうかも疑わしいぐらいだ。

 でももし、おばあちゃんの言葉が真実だったのなら。

 酒呑童子を倒せるような力があるのなら。

 これで翔を助けられるのなら……!

 意を決し、ひかりはお守りを前に突き出して、かつておばあちゃんに教えてもらった魔法の呪文をとなえた。

「我に魔をはらう力を! 急急如きゅうきゅうにょ律令りつりょうっ!」

 瞬間。

 今までなんの変化も見られなかったお守りの中から、突如として白くかがやく物体が飛び出してきた。

「くうっ。な、なんだ、この光は⁉」

 突然の予期せぬ事態に警戒が働いたのか、酒呑童子はすぐさま飛び退いた。

「これって……!」

 それはひかりとて同様で、頭上に浮かぶ発光物を見て、終始あっけに取られていた。

 まぶしさに目を細めつつ、その発光物をよく見てみると、どうやらそれは、刃の破片のようだった。

 お守りの中には、とある道具の破片が入っているとおばあちゃんから聞いてはいたが、まさか刃の破片が入っていようとは。

 そうこうしている内に、光の中にあった破片はしだいに大きくなり、やがて剣のような

長形物へと変化した。

 いや、剣というよりも、まるでそれは──

「そ、その刀は! 童子切安綱っ⁉」

 宙に浮いたままの刀を見て、酒呑童子が初めて動揺したように声を荒げた。

 刃わたりは約八十センチほど。剣と違って刃に反りがあり、鞘はないが柄はちゃんとある。まさに時代劇でしか見たことがないような刀が、まるで手品のように浮いていた。

「童子切安綱……。これが……?」

 徐々に光を失い、ゆっくり手元へと吸い込まれるように降りてくる童子切安綱に、ひかりはいまだ夢心地にも似た心境で、それが来るのを待つ。

 そうして、柄の部分をおそるおそる両手でつかんだところで、

「きゃっ⁉」

 重力を思い出したように突然重たくなった童子切安綱に、ひかりは持ちきれずに刃をアスファルトの上に当てそうになる。

「──大丈夫? 源さん」

 と、刃がアスファルトに当たる寸前、とっさに翔が後ろからひかりの手を取って、童子切安綱を持ち上げてくれた。

「か、翔くん……!」

「すごいね。どうなっているのかわからないけど、こうして本物の童子切安綱を間近に見られるなんて……」

 ひかりといっしょに童子切安綱を持ちながら、翔が目を丸くして言う。

「名字も同じだし、酒呑童子も同じような匂いがするとか言っていたから、もしかしてとは思っていたけど、これは間違いなさそうだね。源さんは、本当に頼光の子孫だったんだ」

「頼光さんの、子孫……」

 童子切安綱を見つめながら、ひかりはいまだ信じられないと言った風に復唱する。

 言われてみると、そういえばタマも、このお守りに懐かしい匂いがするとか言っていた気がする。してみると、こうしてひかりが妖怪たちと関わるようになったのも、運命のようなものだったのかもしれない。

 おばあちゃんがひかりに、童子切安綱の破片が入ったお守りをたくしたのも。

 ひかりがタマやモノノケ帳を出会ったのも。

 頼光の子孫として、因縁深い酒呑童子と相まみえることになったのも。

 きっと、源頼光が招いた運命だったのだ。

 想像でしかないけれど、ひかりにはそう思えてならない。

「おのれ……! やはりきさま、頼光の関係者であったか! しかも、このような小娘に童子切安綱をわたしていようとは……!」

 ギリっと歯噛みして、まさに鬼の形相といった面を見せる酒呑童子。

 どうやら酒呑童子の中では、頼光がひかりに童子切安綱をわたしたと思っているらしい。

 本当は童子切安綱なんてもらっていないし、その破片がお守りの中に入っていたことすら知らなかった。ただ無我夢中に、おばあちゃんから教わった方法を試しただけなのだが、それを酒呑童子に教えてやる義理もない。

 今はただ、この童子切安綱でどうやって酒呑童子を倒すか。

 それだけしか、頭にない。

「だが、これは逆に好機よ。今ここで童子切安綱を粉砕すれば、もはや我におそれるものなどなにもない」

 言いながら、酒呑童子は右手からタマを焼いたあの炎を生み出した。

「頼光もおろかものよ。このような小娘に、童子切安綱をたくすとはなあ」

 先ほどまでの鬼気迫る表情から一変、酒呑童子はひかりを見下したように舌なめずりをして、ニヤァと口の端をゆがめる。

 その壮絶な表情に、ひかりはビクっと肩をはねさせるが、

「源さん、落ち着いて」

 ひかりの耳元で、翔が温和な笑みを浮かべて口を開く。

「信じよう、童子切安綱を。あの頼光が使っていた刀なんだ。きっとなんとかなるよ」

 それに、と翔は柄を持つひかりの手をいっそう強くにぎって、こう告げた。

「僕もいっしょにいるから。二人で、酒呑童子をやっつけよう」

「──うんっ」

 翔の言葉に、ひかりは力強くうなずいて、前方にいる酒呑童子を見すえた。

「童子切安綱もろとも、跡形もなく消し飛ぶがいいっ!」

 酒呑童子が、右手を振りかぶって、炎を投げつける。

 猛烈な勢いで飛来する炎。当たったら、今度こそただではすまないだろう。

それが目前まで来たところで、二人は。

『はああああああああああああああああああああっ!』

 思いっきり、童子切安綱を振り下ろした。

 すると、童子切安綱から光の刃が放たれ、目の前の炎を斬りさいて消滅させた。

 それだけでは終わらなかった。光の刃は、そのまま酒呑童子の元へと直進したのだ。

「な、なんだと⁉」

 両目を見開いて、驚愕をあらわにする酒呑童子。

「くっ。この程度の攻撃で……!」

 どうやら、逃げもせず正面から受けとめようとしている酒呑童子に、光の刃がまっすぐ直撃した。

「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっ!」

 酒呑童子がケモノのように絶叫する。光の刃が受けようとした酒呑童子の両手をも軽くはねのけて、その体に激突したのだ。

「かはっ……!」

 光の刃は、思っていたよりもあっさり消え失せた。まるで、火の粉をちらすように。

 それといっしょに、童子切安綱も役目を終えたように元の破片に戻り、吸い込まれるようにお守りの中へと戻っていった。

「やっ、た……?」

 半ば放心ながら、ひかりは酒呑童子の様子をうかがう。

 そこには、苦しそうにうめく酒呑童子が、ひざを付いて胸をおさえていた。

 よく見ると酒呑童子の胸元に、刀で斬りつけたような傷が広がっていた。おそらくは、あの光の刃で負った傷だろう。

 酒呑童子は立ち上がる気力もないらしく、終始苦痛に顔相をゆがめていた。

「ひかり! 今だよ! モノノケ帳で酒呑童子を封印するんだ!」

 翔の叫び声に、ひかりははっとした。

 そうだ。弱っている今ならば、酒呑童子を封印できる!

 翔に言われた通り、ひかりはスカートのポケットからモノノケ帳を取り出し、酒呑童子に向けて突き出した。

「現世にとどまりし魔の者よ。今再びモノノケ帳へと帰りたまえ! 酒呑童子、封印っ!」

 ひかりの呪文に、モノノケ帳がひとりでに開き、酒呑童子の体と共にかがやき始めた。

「おのれ源の一族めええええ! またしても我をそこに封じるというのかあああああっ!」

 恨みのこもった絶叫を上げながら、酒呑童子の体がモノノケ帳へと吸い込まれていく。

 そうして、酒呑童子の体をすべて吸い込んだあと、それまで辺りに充満していた煙も消え去り、つい先ほどまで暗雲に包まれていた空から、おだやかな陽光がこぼれた。

 やがて暗雲は晴れ、元の澄みきった青空へと戻る。いや、酒呑童子と戦っていた間に時間がだいぶ過ぎていたのか、かすかに夕日の気配をのぞかせていた。

 静止していた世界が再び動き出したかのように、にわかに鳥のさえずりや近くの木々のざわめきが聞こえ始めた頃、

「終わった……の?」

 と、ひかりは狐につままれたかのような、呆然とした顔でつぶやいた。

「うん。終わったよ。よくがんばったね、ひかり」

「翔くん……」

 ぽん、とひかりの頭に手を置いて、翔がねぎらいの言葉をかける。

 しばらく、そのままぼーっと翔に頭をなでられたあとで、

「あっ。タマ! タマはどこ⁉」

 今しがた気づいたように、ひかりがタマの名前を叫びながら視線をめぐらす。

「いた! タマさんだ!」

 翔が指さした方向、クレーターができている近くに、タマの横たわっている姿が見えた。今まで煙が邪魔で見えなかったが、あんなところに放り投げられていたらしい。

「タマっ!」

「タマさん!」

 翔といっしょに、急いでタマの元へと駆け寄る。

「タマ! しっかりしてよ、タマっ!」

 タマの小さな体を抱き上げ、必死に名前を呼ぶ。

 しかし、反応はない。ただでさえあちこち傷だらけなのに、アスファルトの上を転がったり、煙にまみれたりしたせいなのか、体中が汚れてしまっていた。

 どう考えても、無事なようには思えない。体は冷たいし、正直に言って死んでいるようにしか見えなかった。

「タマっ! タマってば! なにか言ってよ!」

 それでも、ひかりはタマの体をゆすって呼びかける。

 たとえ、無駄だったとしても。

 式神の構造をよく知らないひかりには、タマの名前を呼ぶことぐらいしかできないから。

「タマあ! タマああああっ!」

 そうして、内心もうダメかとあきらめかけた、その時──

「…………る、せぇなあ……」

 と。

 ふいに耳元に届いた、弱々しくも憎まれ口めいた口調。

「そんなに叫ばんでも、ちゃんと聞こえてらあ……」

「タマ⁉」

 しっかりと聞こえたその声に、ひかりは慌ててタマの顔を自分の方へと向ける。

「よかった。タマさん、生きてたんだね……」

「……おう。翔も無事だったか」

 ひかりの横から顔をのぞかせた翔を見て、タマがほっと安心したような笑みを浮かべる。

「まさか、あの酒呑童子を二人だけで封印しちまうなんてな。大したやつだよ、お前らは」

「え? ひょっとしてタマ、ずっと見てたの?」

「封印した時だけな。それに正確には、周りの音を聞いてわかったんだよ。ちーっとばかし、目が見えていない状態だしな……」

 そう言うタマの目は、確かに焦点が定まっておらず、まるで見えないだれかに話しかけているかのようだった。

「そ、それって大丈夫なの?」

「安心しろ。オレさまは式神だからな。お前ら人間と違って治癒力が高けぇんだよ。しばらく安静にしてたら、その内勝手に治らあ」

 にかっと傷ついた顔で精一杯の笑みを浮かべるタマ。その痛々しい笑顔を見ているだけで、とても胸が苦しくなった。

「それより、ひかり」

「ん? なに?」

 プルプルと小刻みに震えた手を前に出すタマに、ひかりはその小さい体を顔の近くまで抱き寄せてたずねる。

 ぽん、とタマの肉球がひかりのほほに優しく触れる。

 それから一息ついたあと、タマは口元をほころばせてこう言った。

「……よくやったな、ひかり。お前は最高の相棒だ」

 それを聞いた瞬間。

 ひかりは緊張の糸が切れたように、突然ガクッとしゃがみ込んだ。

そして、今まで溜まりに溜まっていた恐怖心を一気に放出するかのように、ひかりはじわっと目じりに涙を溜めて、そのまま涙腺を決壊させた。

「ふええええええええんっ! 怖かったよ~っ!」

 ひかりの泣き声が、ほのかに夕焼けがかった空に吸い込まれていく。

 その鳴き声は、近くに人が通りかかるまで、いつまでも響きわたった。

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