第8話 最強の鬼、襲来!
「でかしたぞ翔! よくとっさに清めの塩なんて振りまけれたな!」
「あのジャンプを見てたからね! すぐに普通の人間じゃないってわかったよ!」
商店街を駆け抜けながら、翔はひかりの肩にしがみついているタマに言葉を返す。いつの間にやら透明化を解いていたので、普通にタマの姿が見えている状態だ。
そうして、商店街の出入り口付近まで走ったところで、ひかりたちは足を止めた。
「はあ、はあ……。ここまできたら、とりあえずは大丈夫かな……?」
息を乱しながら、翔は電柱に背中をあずけて声を発する。
一方のひかりはというと、完全に息が上がってしまっていて、もう一歩も動けそうにない。全速力で三百メートル近く走ったせいで、足に限界がきていた。
「……源さん、ケガとかない? 頭をつかまれてたみたいだけど……」
「だ、だいじょうぶ。ありがとう、翔くん……」
その場にしゃがみ込みながら、ひかりは礼を述べる。
一体、あの赤髪の男はなんだったのか。恐怖が先立って状況が呑み込めなかったが、あれは確実にひかりを狙っている感じだった。しかも、あきらかな害意を持って。
なにが目的だったかわからない。どうにも向こうはひかりを知っているようだったが、恫喝されるような覚えはまったくなかった。
あれは、とても怖い妖怪だ。
人を傷つけるのを微塵もためらわない、おそろしいバケモノだ。
今思い出しても体が震える。あの時、翔が駆けつけてくれなかったらと考えるだけで、今さらように涙がにじんできた。
「本当に大丈夫? 顔色悪いよ……?」
「うん。すごく怖かったけど、もう大丈夫だよ。翔くんが助けてくれたから……」
目じりにあふれそうになった涙を指でぬぐって、ひかりは翔に微笑みかける。
翔という頼りになる存在がいてくれているおかげで、どうにかこうして心を保てているが、タマしかいなかったら今ごろ泣きくずれていたことだろう。
「それにしても、翔。よくひかりの危機がわかったな。お前が飲み物を買いに行ったところからだと、ひかりの様子なんて人の流れが多くて見えなかっただろうに」
「悲鳴みたいな声が突然上がって振り返ってみたら、赤い男が源さんの方向目がけて飛んでいたのが見えたんだよ。それで直感的に、源さんが危ないって思ったんだ」
「なるほどな。賢明な判断だったぜ、翔!」
「でもタマさん、あいつは一体なんなの? 妖怪で間違いはないんだよね?」
「ああ。それも、とびっきり危険な妖怪だ……」
「危険な、妖怪……」
ごくりと生つばを飲んで、復唱するひかり。いつになく物々しい面持ちのタマに、ひかりも緊張を禁じえない。
それと同時に、ひかりはこうも思った。
まさかこんなにも早く、あんな凶暴そうな妖怪と遭遇してしまうなんて、と。
あれに比べたら、人面犬や河童が良心的に見えるくらいだ。
「それで、タマ。あれってどんな妖怪なの?」
「あれは鬼だよ。それも最強の鬼とも呼ばれた妖怪──
「酒呑童子……? それって、どういう──」
「待って! 酒呑童子……さっき酒呑童子って言わなかった⁉」
聞き慣れない名前に、さらに詳細をきこうとしたひかりの言葉をさえぎって、翔が信じられないといった風に目を見開いた。
「翔くん、知ってるの?」
「知ってるもなにも、鬼の中じゃ一番有名な妖怪と言っていいぐらいの知名度だよ。平安時代にいた妖怪で、基本的には山暮らしなんだけど、たびたび人里に下りては暴れまわっていたんだ」
「そう、なんだ。すごく怖い妖怪なんだね……」
「うん。だから見かねた朝廷が、
「史実では、な。けど実際はそうじゃねえんだ」
翔の説明に、眉間を寄せて首を横に振るタマ。
「頼光も、最初は倒すつもりでいたんだ。だが偵察に行かせた者たちが酒呑童子に捕まってしまってな、頼光たちの動向を知られちまったんだよ。それで急遽、作戦が変更されたんだ」
「そうか。それでモノノケ帳が使われたんだね? 酒呑童子が暴れて始めた頃には、すでに安部清明がモノノケ帳を作成してあったから」
「ご名答だ。よくオレさまの話を覚えていたな、翔。もっとも、モノノケ帳を使うように助言したのは清明さま本人なんだがな」
「え、それならなんで清明って人が直接モノノケ帳を使わなかったの? 助言したってことは、清明さんもまだ生きてたんだよね?」
ひかりの疑問に「そういうわけにはいかない事情があったんだよ」と翔が返答する。
「当時清明は、朝廷の中でも重要人物として一目置かれていた陰陽師で、京から離れるわけにはいかなかったんだ。清明が京から出てしまうと、なにか重大な問題があった時に、対処できなくなってしまうからね」
「そういうこった。だから清明さまは、頼光にモノノケ帳をわたしたんだ。酒呑童子の悪行を一刻も早く止めさせるためにな」
「それはわかったけれど、でもあんな強そうな妖怪、どうやって封印したらいいの? わたしたちの話をおとなしく聞きそうにないし、だからって戦って勝てる気もしないし……」
「……いや、本来ならあそこまで力が出せるはずがねえんだ。やつには弱体化させるための呪法がかけてあったんだからな」
「呪法……? どういうことなのタマ?」
「ほら、あいつの首に数珠がかけてあったろ? あれに呪法が込められてあるんだよ」
タマの言葉に、ひかりは「あっ」と今になって思い出した。
そうだ。確かに酒呑童子の首には、大粒の数珠がかけてあった。あれがそうだったのか。
「あいつを封じる時はオレさまも頼光たちといっしょにいたが、まともに戦って勝てるようなやつじゃなかったよ。頼光たちも、かなり深手を負ったくらいだ。それでもどうにか数珠をかけて、あいつをやっとの思いでモノノケ帳に封じこめたんだ」
「え? じゃあ数珠をかけた状態なら、そのままでも封印できるってことなの?」
「それは違う」
ひかりの問いに、タマは首を振って否定する。
「あの時は数珠をかけた上に、ある程度弱らせておいてからでないと、モノノケ帳でも封印できなかったんだ。だが今のやつは体力が回復しているだけでなく、なぜかは知らねえが、妖力が半分近くも戻っていやがる。今のだと、とてもじゃないがモノノケ帳で封印なんてできるはずがねえ……っ」
「妖力が戻ってる? 数珠を付けていたら弱体化できるはずなんじゃ……?」
歯噛みするタマに、翔は腑に落ちないといった風に首をひねる。
「……数珠があると言っても、あくまで元々あった力しか封じられねえんだ。つまり、新たに得た妖力までは、数珠の効果範囲外なんだよ」
「なるほど。じゃあ酒呑童子は、なにかしらの方法で妖力を得て、並みの人間ではかなわないほど力を取り戻したってわけか。問題は、どうやってその妖力を得たかだよね」
「酒呑童子が妖力を得るには、人間の生気と酒の両方の摂取が必要になる。たぶんだが、封印から解かれたあと、この町のどこかでその二つを調達したんだろうな。
だが不思議なのは、どうやって酒を手に入れてきたのかだ。人間はともかくとして、あいつに酒代を払えるような金なんてねえはずなんだよ。それなのに、一体なんで……」
「──強盗事件!」
と、それまで黙ってタマと翔の話を聞いていたひかりが、はっと口を開いた。
「強盗事件だよ! ほら、翔くんがドーナツ屋さんでしていた話っ!」
「そうか! 酒だけを狙った連続強盗傷害事件──なんで現金じゃなくて酒ばかりなんだろうって奇妙に思っていたけど、酒呑童子が犯人だったからなんだ! 今どきコンビニなんてどこにでもあるし、酒を買って帰宅する人なんてめずらしくもないから……!」
「くそっ。どうりで回復が早いと思ってたら、そういう裏があったのか! 現代の物にあふれた豊かさが逆に仇になっちまったか……!
しかし、これはやべえぞ。酒呑童子が完全に力を取り戻す前に早くなんとかしねえと、日本がとんでもないことに──」
「見つけたぞ。小童どもよ」
と。
前ぶれもなく響いてきたその声に、ひかりたちはギョッと商店街の奥を振り向いた。
人垣の中、それはいた。
酒呑童子。
真っ赤なバケモノが、ゆっくりとした歩調でひかりたちの元へと向かおうとしていた。
「我から逃げたつもりだったのだろうが、無駄だ。きさまのその忌々しい匂いだけは、少し離れた程度で消えはせぬぞ」
ぎろりと獰猛な視線をひかりに向ける酒呑童子。
そんな酒呑童子に、ひかりはビクッと肩をはねさせて後ずさった。
「やろう……! やっぱ清めの塩ぐらいじゃ効果はねえか……っ」
迫る酒呑童子に、タマは悔しげに悪態をつく。ひかりの肩に乗った手が小刻みに震えており、タマも恐怖を抱いているのだというのがいやでも伝わってくる。
「さあ、頼光と同じ血を引きし者よ。今すぐ頼光の居所をはけ。さもなくば、鮮血がここら一帯に降りそそぐことになるぞ」
「頼光? なに言ってんだてめえは! ひかりと頼光はなんも関係ねえよ!」
「モノノケ帳の守護者か。姿は見えなんだが、そばにいるのだけは気配で察していたぞ」
がなるタマに、酒呑童子はちらっと一瞥だけして先を続ける。
「だが、その娘が頼光となにも関係がないとは言わせぬぞ。その頼光と同じ匂いに、源という名字。これだけの共通項があって、無関係なはずもあるまい?」
「し、知らない! 頼光とか同じ匂いとか、わたしにはなんの話かわからないよっ! そんな話、一度も聞いたことないもん……!」
「ほう、白を切るか。まあよい。それならそれで、痛めつけてでも聞き出すまでよ」
『──っ!』
目をすがめる酒呑童子に、ひかりたちはそろって息を呑む。
そして、依然として距離をつめようとする酒呑童子に、ひかりたちは──
「ひかり! 翔! 逃げろおおおおおおおおおおおおおっ!」
タマの怒号に、ひかりと翔ははじかれたように駆け始めた。
酒呑童子とは逆……商店街のアーチを突きぬけて。
「タマさん! 逃げるって言っても、一体どこに⁉」
「どこでもいい! とりあえず今は、全力で走れ!」
翔の問いかけに、タマはひかりの肩にしがみついたまま叫び返す。
気づけば、閑静な住宅街へと来ていた。
今のところ、酒呑童子が追ってくる気配はしない。あのまま商店街に残ったのだろうか。
「はあ、はあ……っ。も、もうだめ。わたし、もう走れない……!」
「源さん、しっかり! ほら、つかまって!」
「う、うん……!」
差し出された手を、ひかりは必死につかんで、翔に引っ張ってもらいながら走り続ける。
ふと空を見上げると、いつの間にか暗雲が出始めていた。そのせいもあって、周りがいやに暗く感じられる。先ほどから通行人ともすれ違わないせいか、いっそう不気味だった。
「ね、ねえ翔くん。なにかおかしくない? なんだか静か過ぎる気がするんだけど……」
「うん。それは僕も奇妙に思ってた。さっきからだれも見かけないし、それどころか生き物がいるような気配もしない。まるでべつの世界にでも迷い込んだ気分だ……」
「──っ! やべえ! これは妖術だ! やつの結界の中に閉じ込められちまった……!」
「えっ! それって──」
動揺をあらわにするタマに、翔が詳細をたずねようとした、その時だった。
「おろかな……」
目の前だった。
振りきったはずの酒呑童子が、なぜか当然のごとく、ひかりたちの前に立っていた。
「言ったであろう。我からは逃げられぬと」
「てめえ……最初からオレさまたちを結界の中に封じ込めるつもりでいやがったな? あの時オレさまたちを必死に追いかけなかったのも、わざとひと気のない場所に移動させるためと考えたら、合点がいく……!」
「ご明察だ、式神よ。大衆の面前で妖術を使うのは得策ではないのでな。少しずつ力が戻ってきているとはいえ、さすがの我もあれだけの数の人間を相手取るのは面倒だ」
足を止めたひかりたちに、けれど酒呑童子は追いつめるような真似はせず、依然としてその場で立ちつくしたまま、冷たい声音で言葉を発する。
「しかし、面妖なところよ。京とは違い、人や物であふれ、奇妙な建造物ばかり並んでおる。酒がそこら中にある分、我にとっては都合のいい世界ではあるがな」
どうやら酒呑童子は、ここが未来の日本だということに気がついていないらしい。
まあ、千年以上も前の妖怪だし、現状を正しく認識できなくても無理からぬ話だろう。
「さて、頼光の一族よ。さっさとやつの居所を吐け。今ならばまだ、命だけでも残してやらんこともないぞ」
ニヤリと邪悪な笑みを浮かべて、酒呑童子がにじり寄る。
見逃す気などまるでなさそうな、獰猛な瞳を向けて。
「ちっ。あのやろう、完全にひかりを頼光の血族と誤解してやがるな。しかも、じわじわ迫るような真似なんざしやがって……!」
「きっとハンティング感覚なんだろうね。僕たちの切羽つまった表情を見て、心から楽しんでるんだ」
ひかりと共に後退しながら、翔がタマの言葉に重ねるように言う。一見落ち着いているようにも思えるが、その頬につたう大粒の汗が、翔の動揺をなによりも表していた。
「それよりタマさん。結界の中にいるって言っていたけど、どういった術なの? 逃げられないってこと?」
「……平たく言うと、そうなるな」
苦々しく顔をしかめながら、タマは続ける。
「やつの結界内にいる間は、標的となる者の前にいつでも瞬間的に移動することができるんだ。ついさっき突然酒呑童子が出現したのも、そのせいだ。しかもここは一種の亜空間でな、標的となった生物以外は一切干渉できねえんだ。わかりやすく言えば、現実とよく似た世界に引きずり込まれたって考えてくれて構わねえ」
「けど、生物以外の物体なら干渉できるんだよね? もしも僕たちがここで暴れてどこかが壊れたりしたら、現実にいる人間もさすがに妙に思うんじゃないかな?」
「そりゃないな。この結界には、強烈な人払いの術も上乗せしてある。ちょっとやそっとじゃだれも気づきやしねえよ」
「じゃあこの結界の中にいるかぎり、僕たちは酒呑童子から逃げられないどころか、だれかの助けも得られない……?」
「そういうこった。つくづく厄介なやろうだせ……!」
接近しつつある酒呑童子をにらみながら、タマが憎々しげにそう吐き捨てる。
「そんな……。わたしたち、ここで死んじゃうかもしれないの……?」
「…………っ」
絶望的な状況に顔面を蒼白させるひかりに、タマが苦渋に満ちた顔で声をつまらせる。
そうして、一呼吸置いたあと。
「……翔。ひかりを連れて、なるべく遠くの塀に隠れてろ」
そう言うやいなや、タマはひかりの肩から飛び降りて、酒呑童子と向き合った。
「タマ……?」
「タマさん……? 急になにを──」
「ちんたらしてんじゃねえ! さっさと行けっ!」
その大喝に。
翔はぐっと言葉をのみ込んで、タマの指示通りにひかりの手をつかんで走り出した。
「源さん! こっちっ!」
「か、翔くん⁉」
当惑したままのひかりの手を無理に引っ張って、翔は近くの塀の陰に逃げ込んだ。
「……ん? どういうつもりだ、式神よ」
進路をはばむように立つタマに、酒呑童子はけげんに眉をひそめる。
「まさかとは思うが、この我を止めるつもりではなかろうな?」
「そのまさか、だよ!」
そう一息に叫んで。
タマは意を決したように瞳をとがらせて、酒呑童子目がけて突っ込んだ。
「おらああああああああああああああああっ!」
弾丸のように飛びかかるタマに、酒呑童子は平然とした顔でひらりとかわしてみせた。
「遅い。止まって見えるぞ」
「ちっ!」
舌打ちしつつ、タマは着地と同時に軌道を変えて、再び酒呑童子にタックルをしかける。
が、それも軽々とよけられ、タマの体はむなしく空を切った。
「どうした式神? それではいつまで経っても我に傷の一つも付けられぬぞ」
「く……っ!」
ギリッと歯噛みして、それでもなおタマは酒呑童子に挑み続ける。
そんなタマを物陰から見つめながら、
「大丈夫かな、タマさん……」
と、翔が不安げにつぶやいた。
「……翔くん。わたしたち、このまま隠れてていいの? タマだけにあんな危ない役を任せて……」
翔と同じように塀の陰からタマの様子を見やりながら、ひかりが心配そうにたずねる。
「そうは言っても、武器もない僕たちがあそこにいたところで、返って足手まといになるだけだよ。だからタマさんも、あえて僕たちを安全地帯に逃がしたんだと思う」
「でも、タマに勝てるの? あの酒呑童子っていう強い妖怪に」
「それは……」
言いよどむ翔。それはタマに勝機がないと言ってるのも同然だった。
そうこうしている間にも、タマがかかんに攻めるが、そのどれもが空振りで、完全に酒呑童子にもてあそばれていた。
「くそっ。せめて
「どうじぎりやすつな……?」
聞きなれない単語に、ひかりはいぶかしげに繰り返した。
「源頼光が酒呑童子と戦った時に使っていた刀だよ。数々の偉人の手に回るほどの名刀で、一説には鬼女や牛鬼を斬ったこともあると伝えられているんだ」
「じゃあ、その刀があれば……!」
「それが無理なんだよ。今の童子切安綱は、東京の博物館にあるんだ。今から行っても、新幹線で二時間近くはかかる」
「そんな……。それじゃあタマが……!」
「ぐはあっ!」
と、塀の向こうから、タマの苦痛にあえいだ声が響いた。
慌てて、タマの方の方に視線を向けると、
「……つまらぬ」
アスファルトの上で横たわるタマを見下ろしながら、冷めた声音で酒呑童子が言う。
「きさまの姿を見た時から、以前よりも力が弱まっているとわかっていたが、まさかここまでとは思わなんだ。頼光と共に我を追い込んだのはウソのようだ」
「くう……っ」
さげずむように冷めた視線を向ける酒呑童子に、タマは口の端に付いた血を舌で舐めとりながら、よろよろと立ち上がった。
そうだ。そういえば前にタマは、長い年月の間に力が失われつつあると話していた。
にも関わらず、タマはひかりと翔を守るために、酒呑童子に立ちはだかってくれたのだ。
あんな、とても小さな体で……。
「きさまとの遊びは飽きた。ここで消えるがいい」
言って、酒呑童子は片手を上げ、そこから炎のかたまりのようなものを出現させた。
「──っ!」
なぜかはわからないが、一目見てそれがとても危険なものだというのが、直感的にわかった。
それこそタマの体なんて、ひとたまりもないほどに。
だから、ひかりは──
「あっ! 待って源さん!」
翔の制止も待たず、ひかりはタマの元へと一目散に駆け出していた。
自分でも、どうしてこんなことをしているのかわからない。
怖くて怖くて、仕方がないはずなのに。
足ががくがくに震えて、満足に走れないくらいなのに。
それでもひかりは、無我夢中でタマの元へと向かう。
自分でも不思議なくらいだ。どうしてこうも必死に走っているのだろう、と。
正直タマとは、今までケンカばかりの毎日を送っていた。
いきなり現れて妖怪封じに協力しろとか言うし、口は悪いし、猫みたいと言ったら怒るし、好物のドーナツをぜんぶ食べようとするし、お世辞にも仲がいいとは言えない。
けどタマは、片時もひかりは離れずにいてくれた。
困った時はアドバイスもくれたりした。
そして今は、ひかりたちのために命がけで戦ってくれている。
そんなタマを見捨てることなんて、わたしにはできない……!
「タマ──っ!」
今まさに炎が放たれようと知っている場面に、ひかりはタマの背中に向かって大声で名前を呼んだ。
「ばっ! なにやってんだひかり! さっさと戻れっ!」
ひかりに気づいたタマが、後ろを振り返りながら怒声を飛ばす。
しかしひかりは戻る素振りを見せず、むしろスピードを上げてタマへと急ぐ。
「灰と化せ」
まだひかりとタマとの間が少し離れている時点で、酒呑童子が無慈悲にも猛烈な炎を放った。たとえタマに直撃してひかりが爆風に巻き込まれようとも、死ぬことはないと判断したのだろう。
重傷を負うことになるが、死ぬことはないのだ。
なのにタマは、まるで少しでもひかりを爆風から遠ざけるかのように、自分から炎の玉へとぶつかりに行った。
「タマあああああああああああああああっ⁉」
タマの暴挙を止めようと、ひかりは必死に手を伸ばす。
それでも、ぜんぜんタマには手が届かなくて──
「ひかり」
炎が直撃する寸前。
タマがちょっとだけひかりの方を振り返り、ほのかに笑みを浮かべてこう告げた。
「生きろよ」
その直後。
ひかりの視界が真っ赤に染まり、爆音が辺りにとどろいた。
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