第4話 翔の秘密と今後の話



「きゃあ~! どうしようどうしよう~!」

 図書室に本を返して、家へと返ってきたひかりは、真っ先に自室へと向かってベッドの上にダイブした。

「まさか、翔くんとあんなに急接近できるなんて~!」

 興奮が一向に冷めやまない調子で、ひかりは熱くなった顔をまくらに押し付けた。

 今でも信じられない。まさかだれも知らない翔の秘密を偶然知ることになり、しかもその翔がひかりの妖怪集めを協力してくれるだなんて。まるで夢のようだ。

「でも夢じゃない。夢じゃないんだ……」

 確認するようにつぶやいて、ひかりはうれしさのあまり、両足をばたつかせる。

 ひとしきりベッドを蹴ったあと、ひかりは余韻にひたるように、まぶたを閉じて翔とのやり取りを思い出した。



「か、翔くん……。なんでここに……」

 目の前の光景が信じられず、ひかりは動揺をあらわにつぶやいた。

 けれど、それは翔も同じようだった。

それはそうだろう。なんせ妖怪を封印するところを見てしまったのだから。

 足元に本が落ちているのを見て察するに、きっとひかりと同じように本を返そうと図書室に行こうとして、先ほどの光景を目の当たりにしたのだろう。驚いて当然だ。

 それはそうとこの状況、どう翔に説明したものだろう。どこから見ていたかはわからないが、人面犬を封印するところだけは確実に見られたはずだ。手品でごまかすには無理があるし、どう考えてもあやしまれているに違いない。

 しかしながら、どうくぐり抜けばいいかぜんぜんわからない。そもそもモノノケ帳の話をしていいものかどうかも判断がつかない。完全に頭が混乱していた。

 頼みの綱であるタマに目で助けを求めるも、こういう時にかぎって普通の猫のように、しっぽでじゃれているふりをしていた。この裏切り者め。

 けれど、タマがこういう反応を示すということは、やはりモノノケ帳の存在を無関係の人間に知られるのはよくないのだろう。それにひかりとしても、好きな男の子に妖怪の話なんてしたくない。普通の女の子じゃないと思われてしまう。

「えっと、同じクラスの源さん……だよね?」

 どう対応しようか迷っている内に、翔がおずおずとひかりに話しかけてきた。

「今のって、なんだったの?」

「えっ! い、今のってなんの話?」

 とりあえず、しらばっくれてみる。

「いやでも、さっきその本からすごい光が出てなかった?」

「そ、そうかな~? 気のせいじゃないかな~?」

「それに、おじさんみたいな顔をした犬がいなかった?」

「そ、そんなはずないよ。だってここ学校だし、犬なんているはずがないよ~」

「けど、そこに猫はいるよ?」

「うっ!」

 翔がタマを指さしたのを見て、ひかりは思わず声をつまらせた。

「こ、これは近所にいる野良猫だよ。すごく人懐っこくて、学校まで付いて来ちゃったみたい~」

 言いながら、ひかりはそばにいるタマを抱きかかえた。タマも状況を理解してか、借りてきた猫のようにおとなしい。

「へえ……。そうなの、猫ちゃん?」

「お、おうよ! オレさまをただの野良猫だ!」

「あっ! タマのバカ!」

「やっぱり、しゃっべった……」

 人の言葉を話したタマに、翔はさして驚いた様子もなくつぶやいた。この反応からして、とっくにタマがただの猫でないと気づいていたらしい。

「んもう、しゃべっちゃダメじゃない……」

「す、すまねえ。つい口がすべって……」

「ああいや、そんなに怒らないであげて。じつを言うと僕、わりと前からここにいたし」

「え、そうだったの……?」

「うん。さっきまでいた犬って、妖怪でしょ? それも人面犬っていう名前の」

「そうだけど……あんまり怖がらないんだね。こうしてしゃべる猫もいるのに」

「猫じゃねえ! オレさまは式神だ! 野良猫って言ったのは、あくまでもお前の話に合わせてただけだっつーの!」

「はいはい。話をややこしくしないの」

「はは。仲がいいんだね」

「えっ。い、いや、そんなこともないけど……」

 翔に笑顔を向けられて、ひかりは今さらのように顔を赤らめた。

 そうだ。ごまかすのに必死で気にとめていなかったけれど、ひかりは今、初恋の男の子とお話をしているのだ。ちょっと前までは、自分から話しかけることすらまともにできなかったのに。なんだか、今になってすごく胸がドキドキしてきた。

「でも、まあそうかな。驚きはしたけど、怖いとはそんなに思ってないかも。むしろ、うれしいっていう気持ちの方が強いかな」

「え? うれしいって……どういうことなの?」

 普通なら妖怪なんて、だれもが怖がる存在のはずだ。人面犬はそれほど怖い妖怪でもなかったけれど、少なくとも出会ってうれしいものでもないはずだ。なのに、妖怪を目の当たりにしてよろこぶなんて、一体どういう心境なのだろう。

「う~ん、そうだね。本当は秘密にしてたんだけど、この際いいかな……?」

 いぶかしむひかりに、翔は足元に落ちていた本を拾って、表紙を上に向けた。

「はい。これが僕の秘密。じつはここに来たのも、この本を図書室に返すためだったんだ」

「……え? これって……」

 差し出された本の表紙を見て、ひかりは目を丸くした。

 『妖怪大全集』『本当にあった怖い話』『日本の都市伝説』……そのどれもが、翔の明るいイメージには合わないものばかりだった。

「意外に思ったでしょ? だれにも話したことないけど、じつは僕、妖怪とかオカルト系が大好きなんだ……」

 照れながら話す翔に、ひかりはいまだキョトンとした顔で固まっていた。

「やっぱり変わってるよね。前にいた小学校でも、似たような反応をされたし……」

 だから、この小学校では秘密にしてたんだよね……とさびしそうな顔で言う翔に、

「ご、ごめんっ。変なんかじゃないよ。ただちょっとびっくりしただけで……」

 と、ひかりは慌てて弁解した。

「いや、いいんだ。こんな趣味、気味悪がって当然だと思うから。源さんが僕のことを嫌ったとしても、仕方がないと思う」

「そ、そんなことないよ!」

 気がつけば、ひかりは落ち込んだ様子を見せる翔の片手を、ぎゅっと握りしめていた。

「これくらいで翔くんのことを嫌ったりしないよ。ちょっと意外とは思ったけれど、怖い話が好きな人なんていっぱいいると思うし、べつに気味悪くなんてないよ!」

「源さん……。ありがとう。そう言ってもらえて、すごくうれしいよ」

「う、ううん! お礼を言われるようなことなんて、なにもしてないし……」

 至近距離で微笑みかけられ、ひかりは顔を真っ赤にしてうつむいた。

 そうして、しばらくそのままでいると、

「おーい。いつまでいちゃついてるつもりだ?」

「た、タマ! べ、べつにいちゃついてなんて……!」

「とか言いつつ、ずっとそいつの手を握ってるじゃねえか」

「きゃっ! ご、ごめん翔くん……!」

 タマに言われて、すぐさま手を離すと「いや。気にしなくていいよ」と笑ってくれた。

 やっぱり翔くんは素敵だなあ、と少しの間見とれていると、

「で? 一体どうすんだ?」

 と、ひかりの腕からぴょんと床に降りたタマが、二人にそうたずねた。

「……? タマ、どういう意味?」

「だから、こいつをどうすんだって話だ。こっちの不注意とはいえ、妖怪を封印するところを見られちまった。こうなってしまった以上、このぼうずがモノノケ帳のことをばらさないともかぎらないし、場合によってはオレさまの力で記憶を消さなければならねえ」

「記憶を消すって……。モノノケ帳のことがみんなに知られるとそんなに危ないの?」

「当たり前だ。今は真っ白になっちまったけれど、凄腕の術者だったら、モノノケ帳に封印された妖怪を使役することだって可能なんだ。今回はたまたまひかりみたいな素人に拾われたからよかったものの、悪い術者の手にでもわたっていたら悪用されかねないところだったんだぞ。もしもモノノケ帳のことがみんなに知られてしまったら、そういったやつらが力づくで狙ってくる危険性だって十分にあるんだ」

「そ、そうなんだ。モノノケ帳ってそういう使い方もできるんだね……」

 そういった事情があるなら、確かに秘密にしておいた方がよさそうだ。

 とはいえ、一体どうしたものか。翔ならだれかに言いふらす真似なんて絶対しないと思うが、タマはそれで納得してくれないだろう。今だって疑わしい目を向けているくらいだし。

 だからと言って、記憶を消すような真似もしたくなかった。せっかくこうして翔と仲良くなれるきっかけができたのに、すべてなかったことになってしまうだなんて、そんなのあんまりだ。翔には自分と話した時の記憶を忘れてないでいてほしい。

 そうして、解決策が思いつかずに深く悩んでいると、

「じゃあ、こういうのはどうかな?」

 と、ふいに翔が手を上げて提案してきた。

「話を聞いてて、なんとなく事情はわかったけれど、ようはその本に妖怪を封じなきゃいけないんだよね? だったら、僕も協力させてよ」

「き、協力? 翔くんが?」

「うん。協力したら、もう無関係とは言えないでしょ? だれかに話すつもりなんて僕にはないけど、口だけじゃ信用してもらえそうにないし、それならいっそ僕も手伝ってしまえばいいんじゃないかなって。その方が効率もいいだろうし」

「でも、協力なんて……。翔くんも危ない目にあうかもしれないんだよ?」

「覚悟はしてるよ。それに、いろいろ理由は言ったけれど、本音を言うとね、ただ単に大好きな妖怪と触れ合いたいだけなんだ」

 ダメかな? と照れくさそうに頭をかいてこちらを見つめる翔に、ひかりは困った顔でタマに「どうしよう……?」とたずねた。

「う~ん。本当は呪力もない人間を関わせるのはよくないんだが……」

 言って、タマは眉間を寄せて悩み始めた。さらっと口にしたが、どうやら翔にモノノケ帳を使える力はないらしい。呪力というのは、やはりだれもが持っているものでもないようだ。

「しかしまあ、確かに協力者がいるのにこしたことはないな。ひかりだけだと心配だし」

「む。なんか失礼なこと言わなかった?」

「よし。翔とか言ったな? ぜひオレさまたちの力になってくれ」

 ひかりのツッコミを無視して、タマはそう翔に頼み込んだ。

「えっ。本当にいいの⁉」

「ああ。お前もべつにいいだろ? ひかり」

「う、うん。タマがいいなら、わたしはいいけれど……」

 というより、むしろ大歓迎だ。翔といっしょにいられる機会が増えるだなんて、こんなにうれしいことはない。

「そっか! ありがとう、源さん! これからよろしく!」

 満面の笑みで両手を握ってきた翔に、ひかりは頬を熱くさせながら、

「こ、こちらこそよろしく、翔くん……」

 と、ささやくような声で返した。



「うきゅ~! 翔くんとお話しちゃった。手を握っちゃった~!」

 奇声を発しながら、ひかりはまくらを抱きしめてごろごろと転がる。シーツがぐちゃぐちゃになってしまったが、そんなのはお構いなしだ。

「はあ~。幸せ~。これからは翔くんと何度も話せるんだ~」

「──まったく。現金なやつだな」

 と。

 幸せにひたっている中、テーブルの上に座ってドーナツ(今日のひかりのおやつだ)を食べていたタマが、呆れた顔でそう言った。

「最初にオレさまが頼んだ時は、あんなにイヤがってたくせに」

「……なによ。べつにいいでしょ。これからも妖怪集めを手伝ってあげるんだから」

「へいへい。オレさまとしても、モノノケ帳を使えるやつが手を貸してくれるなら、文句なんざねえよ。つーか、ほんとにうまいな! このどーなつってのは!」

「あー! ちょっと! わたしの分まで食べないでよタマ!」

 遠慮なくばくばくドーナツを食べるタマに、ひかりは声を荒げながら自分の分を取る。

「んだよ。ケチくせえなあ」

 悪びれもせず、肉球に付いた砂糖を舐めるタマに、ひかりは「もうっ」とほほをふくらませつつテーブルの前に座った。

「しかし、ここがひかりの部屋かー。町を歩いた時も驚いたが、明治から百年以上も経つとこんなに様変わりするもんなんだな。鉄の馬があちこち走っているところを見た時はド肝を抜かれたぞ」

「車ね。タマったら車が走るたびに叫ぶものだから、みんなに気づかれたらどうしようって、すごくひやひやしたよ……」

「べつに大丈夫だろ。ちゃんと姿を消して、ここまで来たんだから」

 そうなのだ。

 翔と別れ、ひかりも家に帰ろうとした時、なぜかタマもいっしょに付いて来たのだ。

 なんでもタマが言うには「モノノケ帳を守る者として、そばから離れるわけにはいかねえ」と話し、じゃあ学校に図書室に置いてくるよ、とひかりが言ったら「そんな危ない真似、認めてたまるか!」と激怒したので、しぶしぶ家まで連れてきたのだ。

 タマが言った通り、姿を消せる能力があったおかげで、お母さんにも内緒(お母さんが猫アレルギーなのだ)でここまで連れてこられたけれど、これからも外に出るたびに叫ばれては、ひかりの精神が持たない。

「いい? タマ。これからここに暮らす以上、勝手なことをしたらダメなんだからね。お母さんに見つかったら、絶対捨ててきなさいって言われるんだから」

「わかってるわかってる。ここにいる間はおとなしくしてるよ」

 砂糖をなめた手で顔を洗い始めたタマに、ひかりは「ほんとかな~?」と半眼になりがら、自分の分のドーナツを食べる。

「それにしても、お前んちって案外普通なんだな」

「ん? どういう意味?」

「素人とはいえ、お前に呪力があったもんだから、なにかしらこの家に秘密があるんじゃないかって思っていたんだが、それらしい物なんてなんにもねぇんだよなあ。お前の両親からも、これといって呪力も感じられねえし」

「え? そうなの? あー、でも、おばあちゃんだったらなにか知ってたかも……」

「あ? それこそどういう意味だ?」

「もう天国に行っちゃったけれど、おばあちゃん、昔から不思議な力を持ってたんだよ。占いをやったらなんでも当たっちゃったり、幽霊とか見えちゃったりとか」

「へえ、そうだったのか」

「うん。それでわたしもね、小さい頃は幽霊とか見えちゃう体質だったから、おばあちゃんがこのお守りをわたしてくれたの」

 言いながら、ひかりはドーナツをいったん皿に置いて、首に下げられたお守りを手に取った。

「幽霊が見えてた時は、いつも怖くて泣いてたけれど、このお守りをおばあちゃんにもらってから幽霊が見えなくなったの。今はお守りがなくても幽霊とか見えなくなったけれど、おばちゃんからもらった物だから、すごく大切にしてるんだ」

「あー、どうりでそのお守りから強い力を感じるわけだ。おそらくそれには、低級霊ぐらいなら追い払える力があるんだろうな」

「じゃあやっぱり、このお守りのおかげだったんだ……」

「おう。けどそれだけじゃねえ。そのお守りには霊感をおさえる術が付加されてあんな。幼児の頃は一番霊が見えやすいから、たぶんひかりのばあちゃんが、怖い思いをさせないようにしてくれたんだろうぜ。

 それにしても、これでようやくひかりの呪力が高い理由もわかったぜ。きっとそのばあちゃんの呪力がひかりに遺伝したんだろうな」

「そっか。わたしのためにいろいろしてくれたんだね。ありがとう、おばあちゃん……」

 天国のおばあちゃんに祈る心持ちで、ひかりはお守りをぎゅっと握った。

「にしてもそのお守り、なーんか懐かしい匂いがすんだよな~」

「え? 懐かしい匂い?」

「うん。けどまあ気のせいだろ。ひかりのばあさんになんて会ったことないはずだし」

 それはそれとして、とタマは居ずまいを正して、ひかりを真剣な瞳で見つめた。

「これからひかりとオレさまは相棒だ。この先危険なこともあるかもしれんだが、全力でオレさまがお前を守ってやる。だからひかりも覚悟を決めて妖怪集めに挑めよ」

「う、うん。がんばるよっ」

 真面目な口調で話すタマに、ひかりも顔を引きしめてうなずく。不安はあるが、一度やると言った以上は、全力でやらなければ。

「とは言っても、あんまりオレさまを頼りにするなよ? 守るとは言っても、前よりずっと力は落ちてんだ。それほど戦力にはならないと思ってくれ」

「え? それじゃあ、本当に危ない時とかはどうしたらいいの?」

「いざって時は、そりゃ逃げた方が一番いいが、なんとかなりそうだったらひかりにも戦ってもらうことになるな。まあ、心配すんな。お前にもあの翔ってやつにも、ちゃんと素人でも戦える方法を教えてやるからよ」

「え~? イヤだなあ。痛いの嫌いだし……」

 決意した心が、さっそく折れそうになった。

「大丈夫だっての! 確かに凶暴な妖怪もいるが、だいたいがイタズラが好きなだけのやつらばかりだ。命の危険がある妖怪なんてそうはいねえよ」

「う~。本当?」

「本当だ。だからあらためて、これからよろしく頼むぜ、ひかり!」

「うん。わかった……」

 いろいろ思うところはあるが、差し出されたその小さな手を、ひかりはそっと握った。

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