エピローグ
放送室での騒動から三日後。ぼくと大場先輩は桜の木の下──エリカ先輩のお気に入りの場所でもあるところに訪れていた。
「すまないな。放課後に突然呼び出したりして」
「いえいえ。どうせこれといって依頼もない状態だったので」
みずきちと剛ちゃんの三人で部室に向かっていた最中だったから、連絡があった時はちょっと驚いたけれど。
「でも急にどうしたんですか? ぼくと二人で話がしたいだなんて。はっ! まさか愛の告白とか……? 申しわけないんですけど、ぼく、女性にしか興味がないんで……」
「安心しろ。私も女性にしか興味がない」
ちなみに幼女の方ではないからな? と苦笑しながら念押しする大場先輩。なんだ、こんないかにも恋愛フラグが立ちそうな場所に呼び出すものだから、てっきり告白イベントでも発生するのかと思った。エリカ先輩の両親が付き合うきっかけになった場所でもあるし。
「それで、どうしてまたこんなところに? 大事な話があるなら、別に部室でもよかったと思うんですけれど」
エリカ先輩は生徒会の仕事で遅れるそうだし、みずきちと剛ちゃんに少しの間外に出てもらえば済んだ話なのに。
「それは電話口でも聞いたが、せっかくならこの場所に来てみたくてな──」
言いながら、大場先輩は桜の木を眺めた。
「ここだったのだな。私の父とエリカの母が恋仲になったところは……」
「今は枯れ葉しかないですけどね」
「それでも風情はあるさ」
と大場先輩は目元を緩めながら幹にそっと触れた。
「大場先輩は、ここに来るのは初めてなんです?」
「いや。何度か近くを通ったことはあるが、エリカから話を聞くまでは意識したこともなかったな。まさか父とゆかりのある場所とは夢にも思わなかった」
「それなら、ぼくと来るよりエリカ先輩と一緒に来た方がよかったんじゃないですか?」
「母にしてみれば、父を取られたところでもあるからな。早い者勝ちと言えばそれまでなのだが、そう簡単には割り切れん。もっと早く母が父に告白していたら、もっと違う未来があったのかもしれないのだからな」
だからエリカと一緒に来るわけにはいかなかった、と複雑そうに心境を吐露する大場先輩を見て、ようやく言わんとしていることがわかった。確かにそれだと、エリカ先輩の存在そのものを否定することにも繋がってしまう。だからエリカ先輩と誘うわけにはいかなかったのか。
「とはいえ、一人で来る気にもなれなくてな。だから用事を済ますついでに、お前を呼んでみたというわけだ」
「あー。そういうことですか」
まあ、付き添うだけでいいのなら全然構わないけれど、でもそれって──
「……お父さんのこと、まだ許せそうにはないって感じですか?」
「難しい質問だな……」
そう微苦笑しながら、大場先輩は続ける。
「完全に許したかどうかで言えば、やはり心のどこかで父を憎んでいる面はある。私や母を見捨てたわけではないとわかって少しは父と向き合う気にもなったが、それでも長年の禍根はそう簡単に消えるものではないさ。結果的に苦しい思いをしたのに変わりはないからな。もっともそのせいで、ペンダントに込められたメッセージにも気付けなかったわけでもあるが」
これと一緒に父から目を背け続けた弊害だな、と大場先輩は自嘲的に失笑しつつ、ポケットからペンダントを取り出した。
「それ、今は持ち歩いているんですね」
「ああ。父から贈られた大切な物だったと気付かされたからな。お前が行動を起こさなかったら、今も鞄の奥に押し込んだままだった。いや、もしかしたらその内捨てていたかもしれん。本当に、お前には感謝しかない」
「……そんな、感謝されるようなことはなにもしてないですよ。全部ぼくが勝手にやったことなんですから……」
そうだ。結局はぼくのお節介でしかない。余所さまの家庭事情に土足で踏み荒らして、あまつさえ色んな人に迷惑をかけた。すべては好きな人──エリカ先輩のためにと思ってやったことではあるけれど、決して正当化はできない。一歩間違えれば、余計エリカ先輩や他の人を傷付けていたのかもしれないのだから。
「それでも、ちゃんとお礼を言わせてくれ」
と、内心猛省するぼくに対し、大場先輩は正面から向き合って折り目正しく頭を下げた。
「鹿騨のおかげで、私は大切なものを見失わずに済んだ──父や妹とちゃんと向き合えるようになった。それもこれも、お前が真剣に私たちの問題を解決しようと考えてくれたからだ。そう思えるくらい、お前の推理は優しさに溢れていた。本当にありがとう」
「あ、いや、なんつーか……ど、どういたしまして……?」
うわあ、なんだこれ。めちゃくちゃ体が熱い。人からこんなに感謝されたことなんてないから、正直どう反応したらいいのかわからない。教えてエロい人!
「ははっ。鹿騨、なにもそこまで照れる必要はないだろ。顔が真っ赤だぞ?」
「うっ。そ、それより、あれからエリカ先輩とはどんな感じなんですか?」
照れを認めるのもなんだか癪だったので、露骨に話題を変換させたぼくに、大場先輩はやれやれと言わんばかりに肩を竦めたあと、
「エリカ、か。まあすぐに関係が改善したとまではいかんが、少しずつ歩み寄ってはいる感じだな。昨日は二人で喫茶店にも行ったし、そこで互いの母親の話や、私の知らなかった父の話も聞いたりもした」
思い馳せるように桜の木を仰ぎながら、大場先輩は言の葉を紡ぐ。
「父の話は母から少し聞いた程度だったせいもあって、向こうでの生活を聞いた時は驚いたよ。あっちではちゃんと父親をやっていたと知って。本当に、どこにでもありふれた普通の幸せな家庭だった。だからエリカも、あんなにまっすぐな子に成長したのだろう」
「……エリカ先輩のお母さんとは、もう会ったんですか?」
「いや、さすがに今はまだ無理だ。私も心の準備ができていないし、なにより向こうが私をどう思っているかわからないからな。相手にしてみれば愛人との間にできた子供でもあるし、私の母に離縁も迫った経緯もある。エリカの方もまだ私の母と会える勇気はないと言っているし、そのあたりはもう少しばかり様子見と熟考が必要だな」
「そう、ですか……。やっぱ、そんな簡単に大団円とはいかないものですね」
「根の深い問題だからな。まあ時間はかかっても、少しずつ解消できていけばいいさ」
「ですね。大場先輩もいつの間にかエリカ先輩を下の名前で呼べるようになっていることですし」
「まだ慣れてはいないがな」
と照れたように頬を掻く大場先輩。きっとエリカ先輩と二人で色々話し合って、それでまずは名前呼びから始めてみたと言ったところかな。それが自分のことのように嬉しくて、そしてほんの少しだけ妬けた。
ぼくとエリカ先輩もお互いに名前呼びだけど、それとは違う特別な関係を思わせるものが──いわゆる絆とも呼ばれるなにかを感じさせるものがあったから。
それはぼくみたいな家族ではない人間には決して築けない関係だから、羨ましい反面、悔しくもあった。
まあ本当に血縁関係だったら、恋人にもなれないんだけどさ。
「それはそうと鹿騨。結果的にはよかったものの、ずいぶんと派手な真似をしたものだな。放送室をジャックするなんて、私だけでなく、周りも騒然としていたぞ」
「あー。こうでもしないと、二人共、意地張って来てくれないと思ったので……」
「それは一理あるし、実際エリカの放送を聞いて駆け付けもしたが、色々と級友に勘繰られて大変だったんだぞ? 先生方の説得も含めてな」
「その節は本当に多大なご迷惑をおかけいたしまして……。反省文だけで許してもらえたのも、すべて大場先輩のおかげでございます……」
いやほんと、大場先輩がいてくれなかったら、きっと今頃反省文ではなく謹慎処分になっていたところだった。最悪、停学もありえたかもしれない。
「まあ、そのあたりは穏便に済んでなによりだが、エリカの方はどうだったんだ? エリカを呼び出す際、相当まずいことを口走っていたようだが?」
「……昨日、エリカ先輩に思いっきりビンタされました……」
『大場先輩との仲を取り直してくれたのは感謝するけれど、それはそれとして私の個人情報を暴露した罰は受けてもらうわよ!』
とかなんとかすごい剣幕で。未だにぶたれた右頬が痛いけど、それ以上に心が痛いです……。
「あっはっはっ。実にお前たちらしいな。心配する必要はなかったようで安心した」
「笑いごとじゃないですよ……。あ~、これでまた好感度が下がった~っ」
「……好感度が下がった、か。単なる考え過ぎだと思うがな」
「? それってどういう……?」
「気にするまでもないということだよ」
などと意味深なことを微笑と共に呟きながら──ぼくとしては言葉の真意を知りたいところだけども、本人にその気はなさそうだし、諦めるしかないか──大場先輩は桜の木に背を向けた。
「さて、用も済ませたことだし、私はそろそろ帰るとするよ」
「え? それだけ? なんかお礼を言われただけのような気が……」
「ん? 礼だけでは不満か?」
「いや、そんなことは決してないですけれど……」
というか、それなら電話でも十分だったような気が。わざわざこうしてぼくと対面してまでお礼を言うなんて、ほんと律儀な人だなあ。エリカ先輩も生真面目なところがあるけれど、もしかしたらそういう血筋なのかもしれない。
おっと。それよりも、大場先輩に訊きたいことがあったんだった。
「大場先輩、帰る前に確認させてもらいことがあるんですが」
「構わないぞ。私で答えられる範囲でいいのならな」
「では一つだけ──エリカ先輩とは、これからうまくやっていけそうですか?」
「また答えづらいことを……」
などと困った風に苦笑しつつ、大場先輩はすっかり茜色に染まった空を見上げながら言った。
「どう、だろうな。先ほども言ったが、すぐに解決できるような問題ではないからな。だがまあ、いつか心の底から兄妹だと思えるような関係になれたらと思っているよ」
──なにせ、たった二人の
そう気恥ずかしそうにはにかんだあと、大場先輩は片手を振って去っていた。
そんな大場先輩の後ろ姿を見届けながら、ぼくは一人呟く。
「……大場先輩なら、きっと大丈夫ですよ」
エリカ先輩さんの放送を聞いて、あれだけ必死になりながら駆け付けた大場先輩なら、きっと。
いつかその胸にエリカ先輩と同じペンダントを見られる日も、そう遠くないだろう。
「さて──」
完全に大場先輩の姿が見えなくなるまで待ったあと、ぼくは背後にある近くの茂みを振り返った。
「エリカ先輩、いつまで隠れているつもりですか?」
すると予想通り、茂みの方から「うげっ」という声が聞こえてきた。そして躊躇うようにしばらく身じろぎのような音を鳴らしたあと、エリカ先輩が気まずそうに茂みから顔を出した。
「……あんた、いつから気付いていたの?」
「けっこう前から。ちょくちょく茂みが揺れてエリカ先輩っぽい金髪が見えていたので、たぶん大場先輩も気付いていたと思いますよ?」
「うそ!? やだ、どうしよう……。今度の日曜日に一緒にお出かけする予定なのに、どんな顔をして会えばいいの……?」
「というか、仮にも恋愛探偵部の部長があっさり尾行に気付かれてしまった点を先に心配した方がいいのでは?」
「う、うっさいわね! 私も焦っていたのよ! 廊下を歩いていた時に偶然あんたと総司さんが二人で歩いているところを見て、気が気でなかったの!」
「え? それでどうしてぼくたちを追いかけてきたんですか? ぼくも大場先輩も、単に近況を話していただけですよ?」
「私がビンタしたことはあっさりばらしていたじゃない! 私が暴力女と勘違いされたらどうするのよ!」
いやどうもこうも、どっちも純然たる事実だと思うんですが……。
「別に心配しなくても、大場先輩ならそれくらいで幻滅したりはしませんよ」
「当たり前でしょう! 私のお兄さんなんだから!」
「えー……?」
もうわけがわからないよ。
「も、もしかしたらよ。もしかしたら総司さんも勘違いする可能性が微粒子レベルの可能性であるかもしれないでしょ? それを危惧したのよ、私は」
ぼくが当惑していたからだろうか、エリカ先輩が少し慌てた様子で弁解を始めた。うん、とりあえずエリカ先輩がお兄さんのことをすごく好きだっていうのはよくわかりました。
それこそ、下の名前で呼ぶ時に若干頬が紅潮しちゃうくらいには。
「まあ、あんたのことが少し気になったっていうのもあるけども……」
「ん? なにか言いました?」
「な、なんでもない!」
「そうですか。ぼくのことが気になるとか聞こえたような気がしたんですが……」
「思いっきり聞こえているじゃない! 私をバカにしてるの!?」
「とんでもない! むしろ一万年と二千年前から愛しています!」
「ふぁ!? い、いきなり恥ずかしいことを言ってんじゃないわよ! ほんとにもう、せっかく人が素直にお礼を言おうとしているのに、このバカときたら……」
「え? なにか言いました?」
「鈍感系主人公か! ていうか、どうせまた聞こえていたんじゃないの!?」
「いえ、今のは本当に聞こえませんでした。一体なんて言ったんですか?」
「ふん。別になにも言ってないわよ。それよりさっさと部活に戻りなさい──ユタ」
と。
すわ幻聴かと己の耳を疑いたくなるほど、なにげない調子でエリカ先輩の口から発せられたその愛称に、ぼくは仰天するあまり声を失ってしまった。
そんな意表を突かれて茫然自失とするぼくに対し、エリカ先輩は少し赤くなった頬を隠すようにあさっての方を向いて、
「な、なによ、その意外そうな顔は」
「いやだって、さっきぼくのことを『ユタ』って……」
「気まぐれよ、気まぐれ。いつもあんたたちが愛称で呼び合っているから、私もそう呼んであげようかしらと思っただけ。その方が連帯感も生まれそうだし」
「デレた……。ツンツンキャラというか、もはや剣山そのものみたいなエリカ先輩が、わかりやすくデレた……!」
「だれが剣山か! 別にデレてもいないし!」
「恋部に入って苦節半年あまり……ようやく、本当にようやくエリカ先輩のデレた姿をこの目で拝めた……! ぼくは今、猛烈に感動している……!」
「えっ! なんであんた泣いてるの!? キモっ!」
エリカ先輩に悪罵を吐かれたような気がしたけど、聞こえなかったことにしておいた。
だって今、すごく幸せな気分だから。
「お~い、ユタ~」
と、不意にどこからともなくぼくを呼ぶ声がした。一体だれだ、ぼくとエリカ先輩の甘い逢瀬を邪魔する者はと恨めしく辺りを探していると、頭上から「こっちこっち。後ろの校舎の二階~」という声を聞いて、ぼくは後ろを振り返った。
「あれ? みずきちじゃん。それに剛ちゃんも」
「ユタ~。依頼が来てたよ~。しかも緊急なやつ~!」
言いながら、窓から身を乗り出して依頼書を振るみずきち。そのみずきちに続く形で、すぐそばにいた剛ちゃんが同じように声を張り上げて、
「お前の専門分野だ! 聞けば、きっと飛びつくぞー!」
「ぼくの専門分野? なにそれ?」
オタク知識なら一家言あるけれど、専門家を名乗れるほどでもないしなあ。それとも、性知識の方かな? 童貞だから参考になるかどうかはわからないけれど。
「依頼者は二年生の女子で、半年前から付き合っている彼氏がオタクでもなかったのに最近コスプレを強要するようになってしまって困っているんだと! それでコスプレ好きになった経緯を調べて、できれば彼氏の性癖を元に戻してほしいみたいだぞ~!」
「なんだって!? それは一大事だ! その依頼者にコスプレの素晴らしさをじっくり教えてやらねば!」
「はあ!? もしかしてあんた、今から相談に乗るつもり!?」
「もちろんですよ! これはぼくたち恋愛探偵部でないと解決できそうにない問題ですからね!」
「どこが!? 単なる性癖の話じゃない! しかもあんた、依頼者になにを吹き込むつもりなのよ!?」
「しゃあ! 久しぶりに燃えてきた! さっそく依頼者とコンタクトを取らねば!」
「こら! まだ話は終わってないわよ! さっさと戻ってきなさい! 行くなって言ってるでしょうがユタあああああああああああああああ!!」
エリカ先輩の怒声が、全力疾走するぼくの後ろで次第に小さくなっていく。
それでも去り際に呟かれた最後の言葉だけは、不思議と聞き取ることができた。
「やっぱりあんたたち、恋愛探偵部に向いてないわ……」
ぼくたちは恋愛探偵部に向いていない 戯 一樹 @1603
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