第9話 愛の証明(事件編2)




「名前は西園寺エリカ。二年生の先輩で、十二月生まれの射手座。成績はいつもトップクラスで、スポーツも万能。すごく綺麗な人だったから、入学した時からけっこう有名人だったみたい。お父さんから貰ったイルカの形のネックレスがお気に入りで、体育の授業以外はいつも首に付けているんだって。スリーサイズは上から88、58、88。お父さんがハーフで、お母さんが日本人のクォーター。去年の二月から生徒会で書記を担当していて、来期は副会長を目指しているみたいだよ~」

 放課後、三人で横並びに歩きながらの会話だった。

 メモ帳を片手にすらすらと想い人のプロフィール──もとい西園寺先輩の個人情報を口にするみずきちに「すごっ……。もうそこまで調べたの……?」とぼくは驚きをそのまま言葉にして訊ねた。

「ふふん。情報は早さが命だからね~」と得意げに胸を張るみすきち。昔から噂話に耳聡いところはあったけど、まさかここまでとは思わなかった。

「でも、どうやって調べたのさ? まだ半日しか過ぎてないのに」

「そりゃあ、聞き込みだったり、この学園の生徒がよく利用しているSNSを覗いてみたり、色々だよ。あとほら、ボクって可愛いでしょ? だから初対面で質問しても普通に答えてくれる人が多いんだよね~」

 みずきちの返答を聞いて、ぼくは「あー」と納得の声を漏らした。

 みずきち、顔は本当に美少女だからなあ。それに愛嬌も良いから、老若男女問わず、色んな人に好かれやすいんだよね~。まあ質問に答えてくれた大半は、みずきちの営業スマイルに見惚れた男ばかりなんだろうけど(男の娘とは知らずに)。

「それもあるだろうが、みずきちは交友関係も広い方だからな。それこそ幼稚園児の頃から平気で大人の輪に入るような奴でもあったし、上級生の知り合いが多くいたとしても、なんら不思議ではない」

「あ、そっか。剛ちゃんはみずきちと家が隣近所だから、色々と詳しいんだっけ?」

 ぼくたち三人は幼稚園の頃からの幼なじみだけど、ぼくだけ家が離れていたので、付き合いだけなら剛ちゃんの方が圧倒的に長いのだ。逆もまた然りである。

 しかし、それはそれとして。

「けどさ、誕生日や家族構成はともかく、スリーサイズなんてどうやって調べたのさ?」

「それは企業秘密☆」

 満面の笑みではぐらかされた。

 え、なにそれ。超気になるんですけど!

「そんなことより、重要なのはここからだよ」

 言いながら、みずきちはメモ帳を捲る。

「その西園寺先輩なんだけど、恋愛探偵部って部活に入っているみたいだよ」

 恋愛探偵部? と剛ちゃんと異口同音に疑問の声を上げたぼくら二人に、みずきちはこくりと頷く。

「昔からある部活みたいで、恋愛絡みの謎や事件の相談に乗ってくれるところなんだって。略称は恋部。部員は西園寺先輩と、部長で三年生の大場総司先輩しかいないけど」

「ずいぶんと少ないんだな」

 剛ちゃんの忌憚ないコメントに、みずきちは「そだねー」と相槌を打って、

「伝統ある部活ってことで、少人数でも学園側から許されているみたい。部室も他のところより広くて良いらしいよ~。そのかわり、入部試験があるみたいだけど」

「で、それのどこが重要なのさ?」

 思わず眉をひそめるぼくに、みずきちは「は~」と聞こえよがしに溜め息をこぼして、

「甘いなあ、ユタは。その恋愛探偵部に入部しちゃえば、毎日西園寺先輩とも会えるじゃない。そしたらアプローチする機会も増えるでしょ?」

 なるほど! その手があったか! みずきち、頭良い!

「あ、でもぼく一人でなんとかなるかなあ? 西園寺先輩に嫌われたっぽいし……」

「好きって伝えただけだし、嫌われてはいないと思うけど、ただ警戒心は持たれちゃったかもね~」

「マジか……。どうしよう……」

「だったら、オレとみずきちも入部したらいいんじゃないか?」

 頭を抱えるぼくに、剛ちゃんが自身を指差して言う。

「陰ながらユタのフォローもできるし、三人でいた方がなにかと都合もいいだろうしな」

「それだ! 剛ちゃん、すごい名案だよ!」

 剛ちゃんとみずきちがそばにいてくれるなら、こんなに心強いことはない。やっぱり持つべきものは親友だね!

「ただ協力する代わりに、それなりに見返りは要求させてもらうがな。ひとまず入部の件が済んだら、ユタのお母さま……君江さんの生写真をもらうとしよう」

「あ、だったらボクも! 欲しいチュニックがあるんだよね~」

 なかなか腹黒い親友二人だった。しかも、今後も見返りを求めてくるような言い方で。

「……まあ、ちゃんと協力してくれるのならいいけどさ……」

「やったね! よーし、やる気出てきた~!」

「言質は取ったからな。あとで変更なんてなしだぞ?」

「わかってるよ……」

 と嘆息混じりに返して、ぼくはみずきちに横目を向ける。

「で、みずきち。その恋愛探偵部っていうのはどこにあるんだ?」

 剛ちゃんの質問に、みずきちは「もうすぐだよ~」と上機嫌に応えて、

「突き当たりの廊下を右に曲がってすぐだから、あとちょっとで──」

「お世話になりました! この御恩は一生忘れません!」

「本当にありがとうございました。これはあとでちゃんとクリーニングに出して返させてもらいます」

 と、突き当たりの角から男女二人組の声が聞こえてきた。

 そうしている内にトートバッグを持った女の人(腕章が赤かったので二年生だろう)と、隣のクラスで見かけたことがある同級生の男子が、

「こっちですよ先輩! 案内は俺に任せてください!」

「待って! んもう、子供みたいにはしゃいで……」

 などと仲睦まじげに手を繋きながら、ぼくらのことなんて最初から目に入っていないかのごとく、こちらを一瞥もせず横を通り過ぎていった。

「……今のカップル、もしかして恋愛探偵部に用があった人かな?」

 彼らの後ろ姿を見送りながら呟いたぼくの質問に、

「たぶん依頼じゃない。カップルで相談する人も、割といるみたいだから。大事なペアリングを無くしちゃったとか、思い出の場所の行き方がわからなくなったとかで」

 みずきちの返答を聞いて「へえ」と声を漏らすぼく。恋人がいない身としては、羨ましい悩みである。

 なんて会話をしている内に、目的地である恋愛探偵部の部室の前へとやって来た。

「こ、この中に西園寺先輩が……。うう、緊張してきた……」

「なに言ってるの、ユタ。大変なのはここからだよ?」

「そうだな。入部試験も控えているし」

 そうだった。みずきちと剛ちゃんの言う通り、西園寺先輩と会うことだけが目的じゃない──これから恋愛探偵部に入部するための試験を受けないといけないのだ。西園寺先輩と顔を合わせるだけのことで緊張している場合じゃない。

「じゃあ、ノックするよ……?」

 後ろを窺いながら問うたぼくに、みずきちと剛ちゃんも重々しく頷く。

 そうして、おそるおそるノックしてみると、落ち着いた男の声で「どうぞ」と返ってきた。ドキドキしながら「し、失礼します」とゆっくりドアを開ける。

 室内に入ってみると、想像していたより大きくて、ぼくらが普段使っている教室よりも広々としていた。壁際にはずらりと本棚が並んでおり、なんとびっくり、簡易ながらキッチンまで設置されている。まるでマンションの一室みたいだ。

 びっくりなのはそれだけじゃなくて、中央にはガラス製のテーブル、それを挟む形で両脇にソファーが置かれていた。下手をしたら、校長室よりも豪華かもしれない。

「ん? どうした? そんなところで立ち止まって」

 部室にしては豪華な内装に、しばし呆気に取られていたぼくたちに、正面のデスクに座っていた眼鏡のイケメンが声をかけてきた。この人が部長の大場総司先輩か。

「あ、すみません。ぼくたち、依頼者では……」

「──大場先輩。また依頼者ですか?」

 と。

 その時、部室奥の横手側にあったドアから、西園寺先輩が書類の束を抱えながら顔を出してきた。さっきから姿が見えないと思っていたら、別の部屋にいたのか。

「あんた、あの時の……」

 ぼくの顔を見て、露骨に不審な眼差しを向ける西園寺先輩。うーむ、やっぱり良くない印象を持たれてしまったらしい。

「なんだ、西園寺。知り合いか? どうやら新入生のようだが」

「いえ、赤の他人です」

 大場先輩の問いに、西園寺先輩は首を横に振って否定してきた。なにもそこまではっきり言わなくても……。

「ユタ。ショック受けてないで、ちゃんとここに来た理由を話さなきゃ」

「あ、うん。そうだね」

 みずきちの言う通り、ここでショックを受けている場合じゃない。ぼくたちの目的はあくまでも入部試験に合格して、西園寺先輩との関係を深めることにあるんだから。

「ぼくたち依頼者じゃなくて、入部試験を受けに来ました」

「入部試験? お前たちが?」

 はい、と首肯するぼく。

「入部の申し込み自体は常時受け付けているが、それにしては遅めの入部希望だな。新入生なら、大抵四月の始めには部活を決めているものなのだが」

「あー。ちょっと色々事情がありまして……」

 西園寺先輩に告白するために来ましたとは、さすがに言えないなあ。

「ふむ。まあ試験さえ合格すれば、別段こちらから言うことはなにもないがな」

「ま、待ってください! 私は反対です!」

 と、どうにか試験を受けられそうだと思った矢先、西園寺先輩が慌てた様子で大場先輩に詰め寄った。

「ん? なぜ西園寺が反対するんだ? まだ試験に合格するか否かは決まっていないし、そもそもこの一年生たちは赤の他人なのだろう?」

「そ、それは……」

 大場先輩の質問に、ちらっとぼくを一瞥して口ごもる西園寺先輩。

 もしかして、あれかな。告白を断った相手と一緒にいるのが気まずいとか、そんな理由かな? 嫌いだから入部してほしくないとか、そういう理由でないことを祈りたい。

「なるほど。やはり赤の他人というのは嘘だったか」

 大場先輩にあっさり見抜かれ、西園寺先輩は「うっ」と仰け反った。そりゃまあ、一瞬とはいえぼくにあんな視線を向けたらねえ。

「まあ大方、そこの先頭にいる一年生に告白でもされたと言ったところか」

「「ふぁ!?」」

 思わず西園寺先輩と一緒になって変な声を出してしまった。

「な、なんで? ぼく、一言も告白したなんて言ってないのに……」

「単純な話だ」

 眼鏡を指で持ち上げながら、大場先輩は語を継ぐ。

「西園寺は一年生の頃から異性に好意を持たれることが多くてな、それで西園寺目当てで入部しようとする者も少なくないんだよ。ちょうど今のお前のように」

「な、なるほど……」

 確かに、聞けば単純な話だった。

 つまるところ、考えることはみんな同じということか。油断ならないな。

「もっとも、西園寺目当てで入部しようとした奴は、全員試験で不合格になっているが。美人目当てに入部しようとした輩ばかりだったようだし、試験の内容なんて二の次だったのだろうな」

「そ、そんな、美人だなんて……」

 大場先輩に遠回しながら容姿を褒められて、嬉しそうにはにかむ西園寺先輩。

 え、ちょっと待って。なにその恋する乙女みたいな反応。もしかして部長さんに惚れているとか? おのれイケメン許すまじ!

「……って、私のことはどうでもいいんだった! 大場先輩の言う通り、どうせこの一年生も不純な動機で入部しようとしているだけですよ! 恋愛探偵に向いているとは全然思えてません!」

 ひどい言われようだった。

 まあ実際、西園寺先輩が目当てなのは事実だし、なにも言い返せないけどさあ。

「この一年生たちに試験を受けさせるだけ時間の無駄です! 先ほどの依頼者の件もありますし、さっさと作業に戻るべきです!」

「──先ほどの依頼者って、もしかしてさっきすれ違った、ぼくと同級生の男子と外部からきた女性のことですか?」

 なにげなく訊ねたぼくの言葉に、大場先輩と西園寺先輩が揃って驚いたように両目を見開いた。

「……そこの一年。名前は?」

「え? あ、鹿騨です。鹿騨由太郎です」

「鹿騨。なぜ先ほどまでここにいた女性が、外部から来た者だと判断した?」

 やけに真剣な面持ちで見つめてくる大場先輩に少し困惑しつつ、ぼくは答える。

「えっと……たまたま聞こえたんですけれど、女の人がこの部室から出ていく際に『必ずクリーニングに出して返す』っていうのを耳にして。それでひょっとしたら、この学園の制服を借りに来た外部の人なのかなって思ったんですけれど……」

「待ちなさい! どうしてそれだけ外部の人って理屈になるのよ? クリーニングの件にしたって、もしかしたらハンカチの方かもしれないじゃない」

「ハンカチくらいでわざわざクリーニングに出したりします? よっぽど高級なハンカチだったら話は別ですけれど、大場先輩も西園寺先先輩もすごい金持ちという身なりには見えないですし。それにハンカチって、だいたいは汗や汚れを拭くために使う物のはずですよね? ですがあの女性とすれ違った時、汗を掻いているようには全然見せませんでした。あとこの綺麗な部室を見る限り、なにかの液体をこぼしたようにも見えません。だとしたら、クリーニングに出して返す物なんて、せいぜい制服くらいしかないなって」

 ぼくの推理を聞いて、大場先輩は感心したように「ほう」と呟きを漏らした。

「なかなか良い観察眼だ。なにか特殊なことでもしているのか?」

「いえ、特段そういった趣味は。でもあえて言うなら、考察系アニメとか小さい頃から好きだったので、理由があるとしたらそれかもしれません」

「そういえばユタって、昔から周りをよく見ている時があったよね~。特におっぱいやお尻の大きいお姉さんが近くにいた時とか」

「隙あらば、女子のスカートを覗いたりな」

「ちょっと二人共! 余計なことは言わなくていいから! ほらあ、西園寺先輩が軽蔑に満ちた目でぼくを見ちゃってるじゃん!」

 などと、フレンドリーファイアをかましてきたみずきちと剛ちゃんに対して憤慨していると、大場先輩がデスクの上で手を組みながら「ひとまず、鹿騨に観察力があるのは今の話を聞いてよくわかった」と声を発した。

「だが、今の推理だけでは不十分だな。学園内の生徒がなにかしらの事情で制服を汚してしまって、それで制服をここに借りに来たという線もあるとは思わないか?」

「それなら真っ先に保健室の方へと行っていたと思います。仮に、たまたま制服を汚したのがここの近くだったとしても、この部室に予備の制服があるなんて、普通は考えませんよ。予備の制服を学園に持ち込んでいる生徒なんて、そうそういないはずですから。だとしたら、保健室で教員に素性を知られるわけにはいかない事情のある人が、事前になにかしらの約束をした上で、ここに制服を取りに来たと考えた方がまだ自然だと思います」

 それにあのカップルと通り過ぎた時、同級生の男子が恋人に対して『先輩』と呼んだ上で、この学園を案内すると口にしていた。入学したばかりの下級生を上級生が案内するのならともかく、その逆というのはなんだか奇妙に思えてならなかったのだ。

 転校してきたばかりの中学時代の先輩を案内していたという線もあるけど、それにしたって学園に来た日はそう変わらないはずなんだから、どのみち案内するというのはおかしな話である。

「ふむ。見事な推理だ。正直驚いたよ」

「え? ということは……?」

「ああ、正解だ。実は鹿騨がすれ違ったという男子が、中学時代にお世話になった私の恩師の息子でな。その恩師に直接頼まれたわけではないが、息子の方とは面識もあって、どうにも困っているようだったから、恋愛探偵部が手を貸したという次第だ」

「この部活って、そんなことまでするんですか? 事件も謎も関係ないのに?」

「今回だけの特別措置だ。さっきも言った通り、彼の父にはなにかと恩義があるからな。それに恋愛という意味では決して無関係ではない。なんでも彼の恋人が近々遠い県に引っ越すみたいでな。それで離れ離れになる前に、この学園で一つでもいいから思い出を作りたいと前々から相談されていたのだ。それで彼女を私の客人ということでこの学園に招いて、自由に学内を歩けるよう、女子の制服を西園寺に頼んで用意してもらったのだよ」

 なるほど、そんな経緯があったのか。さしずめ、あのトートバッグの中身も、ここまで来る時に着ていた私服と言ったところか。

「さて、これで鹿騨に探偵の素質があるのが証明されたわけだが」言いながら、大場先輩は隣に立つ西園寺先輩にやんわりと視線を向けた。

「どうだ、西園寺。これでもまだこの一年生たちに試験を受けさせないつもりか?」

 大場先輩の言葉に、西園寺先輩は「うっ」とたじろいだ。本当は嫌だけど、大場先輩に試験を受ける資格があると判断された以上、反論しにくいと言った心境なのかもしれない。

 ややあって「……仕方がありませんね」と聞こえよがしに溜め息を吐きながら、西園寺先輩は言葉を紡ぐ。

「最終的な決定権は部長である大場先輩にありますから、私はそれに従うだけです」

「だ、そうだ。よかったな、お前たち」

「えっ? つ、つまり……?」

 思わず聞き返したぼくに、大場先輩は苦笑しながら「つまり、だ」と答えた。

「お前たちは資格を得た……要するに試験を受けていいってことだよ」

「や、やったあ! 剛ちゃん、みずきち、試験受けてもいいってさ!」

「よかったな、ユタ。まだ試験に合格したわけじゃないが」

「しかも、相変わらず西園寺先輩のユタに対する好感度は低いまんまだしね~」

 ……なんでこの友人たちは、いちいち水を差さずにいられないのだろうか。

「とは言ったものの、こっちもなにかと準備が必要でな。あと三日は待ってほしい」

「準備、ですか?」

 と、ぼく。

「ああ。試験を受けさせるための準備だ。本来なら事前に申請書を書いてもらって、それから試験の内容を考えるのだが、急に訪問されたせいもあって、こっちはなにも準備ができていないんだよ」

 あ。そういえば、なんの連絡もなしにここへ来てしまったんだった。今さらながら、かなり失礼な真似をしちゃったのかも……。

「なんか、すみません。突然来ちゃって……」

「まあ、今回は特例で許そう。面白い話も聞けたことだしな」

 そう言って、大場先輩はおもむろに立ち上がり、ぼくたちに向けて微笑を浮かべた。

「では三日後、改めてこの部室で試験を行う。お前たちの力量を見られることを、楽しみに待っている」



 とまあ、そんなやり取りがあった二日後。つまり入部試験の前日。

 ぼくは購買部で昼食のパンを買うため、この間も通ったばかりの渡り廊下を歩いていた。中庭の桜の木が間近に見られる、あの廊下だ。

 ちなみに、みずきちと剛ちゃんは一足先に食堂の方へ向かっている。あそこの定食は一食二百円弱で買えるものが多いので、お財布事情が心許ない生徒たちにも好評を得ているのだけれど、あいにくとぼくの懐はそれすら躊躇うほどにお寒い状態なわけで。これというのも、この間購入した蜜柑さんのフィギュアでけっこうな数の諭吉さんを消費してしまい、節約生活を余儀なくされてしまったのだ。お金がないって辛い。

「でも、やっぱりパン一個っていうのはちょっと厳しいなあ」

 そろそろ成長期も終わる頃だけど、それでもまだまだ食欲旺盛な男子高校生。朝は元々そんなに食べない方だけど、パン一個で昼食を済ますのはさすがに物足りない。食堂の水やお茶だけは無料だから、それで誤魔化すしかないかも。

 なんてことを考えながら、渡り廊下を歩いていた際、視界の隅で見覚えのある人物が桜の木のそばで立っているような気がした。

 というか、よく見たら西園寺先輩だった。

「ん? んん!? 西園寺先輩!?」

 思わず二度見しつつ、小走りで購買部に向かっていた足を急遽止めて、西園寺先輩の方へと向き直る。

 まさか、またここで西園寺先輩に会える日が来るとは。これはもう運命としか言いようがないね! 単に西園寺先輩がここに足を運ぶ回数が多いという線もあるけれど。

 で、その西園寺だけど、今は舞い落ちる桜の花びらを仰ぎながら、どこか感傷に浸ったような儚げな表情を浮かべていた。ギャルゲーのオープニングシーンみたいである。

 うーむ。なんだか声を掛けにくい雰囲気だな。向こうもぼくに気付いていないみたいだし、ここは大人しく素通りした方がいいのかもしれない。見るからに物思いにふけっている感じだし。本音を言えばめちゃくちゃ話しかけたいところなんだけど、邪魔しちゃ悪いしね。鹿騨由太郎はクールに去るぜ。

 そう思って踵を返しかけたところで、西園寺先輩がなにげない調子でぼくに視線を向けてきた。

 一瞬で嫌そうな顔をされた。

 なにもそんな顔しなくてもと内心ショックを受けつつ、見つかってしまった以上はこのまま立ち去るのもおかしな気がしたので、頬を掻きながら西園寺先輩の元へ歩んだ。

「なんでまたあんたがここにいるのよ? はっ、もしかして私をストーキング……?」

「いや違いますから。単なる偶然ですから」

 そこはちゃんと否定しておいた。

 好きな人にストーカー扱いされるなんて、冗談にもならない。

「ていうか、ぼくが本当にストーカーだったら、こんな露骨に姿を見せたりしないですよ。そもそもここ、購買でパンを買いに行く時によく通る道ですし」

「……嘘じゃないわよね?」

 とあからさまに猜疑の目を向けてくる西園寺先輩に「嘘じゃないです」とはっきり返すぼく。

「そ、それは悪かったわね。まさかまたここであんたと会うとは思わなかったから、つい疑っちゃったのよ」

「西園寺先輩でも、ちゃんと謝ることってあるんですね」

「……あんた、私をどんな人間だと思ってるのよ?」

 デレ成分の少ないツンツンキャラだと思っていました。

「私だって、自分が悪いと思ったら謝るくらいのことはするわよ。それよりあんた、他の二人はどうしたのよ? あの背の高いスポーツマンみたいな男と、なぜだかズボンを穿いている女の子と」

「剛ちゃんとみずきちなら食堂にいますよ。ぼくだけパンなので購買部に行く途中だったんです。ちなみに、みずきちは女子じゃなくて男です」

「はあ!? じゃあなんで女装みたいなことしてんのよ?」

「本人いわく趣味だそうです。昔から似合っていたので、ぼくも含めて周りの人もだれも止めなかったんですよね~」

「やっぱ、頭のおかしい奴にはおかしい奴が寄って来るのね……」

 なにげにめちゃくちゃ失礼なことを言われた。

「ところで、西園寺先輩はここで一体なにを? 一昨日もここにいましたけど」

 ぼくの質問に、西園寺先輩は「ああ」と相槌を打って、満開に咲き誇った桜の花を不意に見上げた。

「桜を……見ていたのよ。ここ、両親の思い出の場所だから」

 春風でなびく後ろ髪を手で抑えながら答えた西園寺先輩に「両親の思い出の場所、ですか……?」とぼくは復唱して訊ね返す。

「ひょっとして西園寺先輩のご両親って、この学園の卒業生だったりするんです?」

「ええ。それでここが、初めて両親が付き合うことになった場所でもあるのよ。正確にはママ……母が父に初めて告白した場所になるけれど。ちょうど今みたいな季節にね」

「へえ。なんかいいですね。ロマンチックっていうか」

「そうね。私も初めて聞かされた時はとてもドキドキしたわ。当時父が恋愛探偵部の部員で、母が依頼者だったみたいなんだけど、この桜の木が謎に関わっていて、それを父が華麗に解決したらしいのよ。それがきっかけで母が父に恋心を抱くようになったのだけれど、その話がまたキュンキュンしちゃうのよ~!」

 さながら大好きなアイドルと対面したかのように、嬉々として破顔する西園寺先輩。ぼくの前でもこんな表情を浮かべてしまうくらい、よっぽどご両親のことが好きなんだなあ。

「だから私も恋愛探偵部に入って、父みたく人の力になれるようなことがしたいと思ったのよね。生徒会に入ったのも、少しでもみんなの助けになれることをしたかったから」

 言いながら、西園寺先輩はイルカがくの字に体を曲げたペンダントを懐かしむように微笑みを浮かべながら指で撫でた。以前みずきちが言っていた、お父さんから貰ったというペンダントを。

「尊敬しているんですね、お父さんのこと」

「当たり前よ。あんなにカッコいい人、他に知らないくらいだわ。本当はもっと、父と話したいことがいっぱいあったんだけどね……」

 物憂げに視線を遠退かせた西園寺先輩に、ぼくははてなと首を傾げる。

「どこか遠い場所にでも行っているんですか? 電話もできないような辺境とか」

「……そうね。とてもとても遠い場所よ。たぶん空の上より、もっと……」

「それって……」

 言いかけて、ぐっと言葉を呑み込んだ。

 みすきちの話だと、あのペンダントを肌身離さずいつも付けているみたいだけれど、もしかしてそれって、お父さんがもうこの世にいないから──?

 予想していなかった話を聞かされて、どう言葉を返したものかと逡巡している内に、ふとペンダントの裏側になにか文字のようなものが彫っているのに気が付いた。

「……西園寺先輩、そのペンダント、裏になにか書いてありませんか?」

「ああ、これ?」言って、西園寺先輩はペンダントの裏側をぼくの前に向けた。

 見ると、そこにはアルファベットで『SURE』と彫られていた。

 なんだっけ、これ。英語の授業で習ったような気もするんだけど、ぼく、英語は苦手な方だしなあ。

 などと小難しい顔をしていたせいか、西園寺先輩がペンダントを裏返したまま「日本語だと『とても』とか『確かに』っていう意味になるわね」と教えてくれた。

「『とても』とか『確かに』……。聞いただけだとなんのことだがわかりませんけれど、西園寺先輩にしか伝わらないメッセージとかですかね?」

「さあ? 私もわからないのよね。私が生まれる前からオーダーメイドで作ってあった物らしいんだけど、四歳の誕生日に貰った時は特に気にしなかったっていうか、普通に喜んでいただけだし。結局聞きそびれてしまったのよね。母もなにも知らないみたいだし」

 じゃあ今となっては、他界したお父さんにしかわからないってことか。オーダーメイドってことは、一般に流通している商品じゃないだろうし。

 なんて会話をしていた最中、西園寺先輩が唐突にはっとした表情でぼくを睨み付けた。

「──って、なんで私があんたにここまで話さないといけないのよ!」

 ええ!? 今さら!?

「今話したことは忘れなさい! 当然、大場先輩にも言うんじゃないわよ!」

「え? それはまたなんで?」

「それは、私もパパみたいにここで大場先輩に告白──って、なにを言わせるのよ! 引っぱたくわよ!?」

「なにゆえ!? ぼく、なにも訊いてないんですけど!?」

「うっさい! さっきのもだけど、だれにも言うんじゃないわよ! わかったわね!?」

 そう念押しして足早に去っていく西園寺先輩の後ろ姿を見送りながら、ぼくはしばし呆然と立ち尽くしていた。いやマジで、わけがわからないよ……


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