第8話 愛の証明(事件編1)



 十月上旬。昼間はまだ残暑厳しい日もあるけれど、それでも夕方にもなれば秋らしい涼風が窓から流れ込むようになった今日この頃。そんな夏の残滓がほのかに滞留する部室にて、ぼくたち恋部の面々は──

「いいわね、あんたたち。塵ひとつ埃ひとつ残さず掃除するのよ。こういう暑さの和らいだ時期でしか、なかなか大掃除なんてできないんだから!」

 部長もといエリカ先輩の命令で、大掃除をしていた。

「え~? こういう日こそ、のんびりしていたいのに~。ボクの可愛い顔に汚れでも付いちゃったらどうするの~?」

「まったくだ。Mなオレでも、さすがに掃除は守備範囲外だ。全然気持ちよくなれん」

「無駄口を叩く暇があったら手を動かしなさい。いつまで経っても終わらないわよ」

「安心してくださいエリカ先輩! みずきちや剛ちゃんと違って、ぼくは真面目に掃除しているので!」

 雑巾片手に、ぼくはにかっとイケメンスマイル(自称)を浮かべて言う。

「塵や埃はもちろん、陰毛ひとつ見逃したりしませんよ! あ、でもエリカ先輩の場合は無毛の可能性もあるので、金色の陰毛はそもそもないかもしれませんね! あはは!」

「次に私に対して下品なことを口にしたら、その顎を容赦なく粉砕するわ」

「アッハイ。すんませんした……」

 素直に謝った。

 いやほら、エリカ先輩はやると言ったら必ずやる凄みのようなものがあるから……。

「ったく、このズッコケ三人組は……」

 と溜め息混じりに不満をこぼしながら、エリカ先輩は隣の編纂室──過去の活動記録が保管されている一室へと向かう。

「じゃあ、私はこっちの方をやっておくから、あんたたちはちゃんとここを掃除しておきなさいよ。サボったら骨の一本は覚悟しておきさない」

 などと恐ろしい言葉を残したあと、エリカ先輩は編纂室の中へと入ってしまった。

「あーあ。ユタが下ネタなんて言うから、部長さんが怒っちゃった~」

「えっ。ぼくのせい? おかしいな。小粋なジョークを披露しただけなのに……」

「今の発言を小粋と捉えている時点で、色々とまずいと思うぞ?」

 そんな、剛ちゃんにまで苦言を入れられてしまうなんて……。

「なぜだ……。エリカ先輩との仲がなかなか進展しないから、ちょっとでも好感度を上げようとしただけなのに、なにがダメだったって言うんだ……!」

「だから下ネタ自体がダメなんだってば」箒で床を掃きながら、呆れた表情でツッコミを入れるみずきち。一方の剛ちゃんは、ぼくと同じく雑巾を持って部室の窓を拭きながら、

「というより、ユタはアプローチの仕方を変えた方がいいんじゃないか? 今のやり取りは論外として、依頼を解決して部長の好感度を稼ぐという作戦も、まったく効果が出ていないように見えるぞ?」

「そうかなあ。アプローチそのものは間違ってないと思うんだけど……」

 エリカ先輩、ミステリーに出てくる名探偵とかすごく好きだそうだし。

「一度、作戦を練り直した方がいいかもねー。でもその前に、ちゃんと掃除はしておかなきゃ。でないと部長さんに骨を一本持ってかれちゃう」

「そうだな。なかなか魅力的な提案だが、さすがに骨は生活に支障が出かねんからな」

「魅力的ではあるんだ……」

 剛ちゃんはそろそろ、その性癖を少しは修正した方がいいと思う。マジで。

 なんてやり取りをしつつ、それぞれの作業に戻るぼくたち。ぼくは本棚周りの拭き掃除をしているところなんだけど、本の数が多くて、これがなかなかに忙しい。なんせ千冊近くはある本を出し入れしながら本棚の中の埃を拭かないといけないので、けっこうな重労働なのだ。

 それにしても。

「この掃除が終わった頃には、筋肉痛で腕が上がらなくなるかもなあ……」

 などと、いずれ訪れるであろう痛みに恐々としつつ、せっせと本を出し入れするぼく。そんな最中、上の段の本を取ろうとして、うっかり手を滑らせてしまった。

「……あっちゃー。やっちゃったー……」

 しかもこれ、けっこう古そう。もしかしてお値打ち本? 床に落とした衝撃で痛んでないといいけど……。

 と、己のドジに顔をしかめながら本を拾おうとして、すぐそばに写真が一枚落ちているのを見つけた。どうやら、この本の隙間に入っていたようだ。しかも、これ……。

「部室で撮った集合写真……?」

 これ、最初の内は部長専用のデスクの上に飾ってあったのに、気付いた時には無くなっていたんだよね。

「でも、なんでこんなところに……?」

「なになに? どうかしたの~?」

「なにか面白い物でも見つけたのか?」

 不可思議な出来事に首を傾げていると、いつの間にやら掃除の手を止めてぼくの背後に来ていたみずきちと剛ちゃんが、それぞれ左右から首を出して写真を覗いてきた。

「あ、これ、大場先輩と部長さんと一緒に撮った時の写真じゃん。懐かしい~」

「オレたちが入部試験を受けた時のやつだな」

「あー。そういえばそうだったっけ」

 剛ちゃんに言われ、だんだんと記憶が蘇ってきた。

 そう、確かあれは四月の終わり頃──……。


 ☆


 桜の花もだんだんと散り行き、春の陽気も次第に初夏めいてきた四月下旬。あともう少しでゴールデンウイークもやって来るというのもあり、にわかに周りが浮足立っている中、ぼくは校舎の渡り廊下から見える中庭の桜の木を見るともなしに歩きながら眺めていた。

「はあ……。恋がしたい……」

「どうしたのユタ。そんな恋愛映画を観たばかりのJKみたいなことを言っちゃって」

 と、ぼくの右隣を歩いていたみずきちが、これから三時限目で使う美術の教科書を手に持ちながら、上目遣いで訊ねてきた。

「ちょうど先週、ユタと一緒に寮で恋愛アニメ映画を観たばかりだったな。内容はよかったが、いかんせんヒロインがまだ十代の生娘だったせいで、オレはあんまりだったが」

 そう言葉を重ねてきたのは、ぼくの左側を歩く剛ちゃんだ。剛ちゃんもみずきちと同じく美術の教科書を持参しており、三人揃って美術室に向かっている最中だった。

「だってさ、二人共。もう四月も終わりなんだよ……?」

「うん。もうじきゴールデンウイークだしね」

「それがどうかしたのか?」

「どうもこうも、未だに彼女の一人もできないってどういうことさ!?」

 人目も憚らず大声を出したぼくに、みずきちはうるさそうに眉をしかめて、

「え~? そんなことで悩んでたの~?」

「そんなこと!? せっかく全寮制の学園に入学したのに、女の子の知り合いすらできないこの現状を指して、そんなことだと!?」

「全寮制って言っても、男子と女子とで同じ寮に住むわけじゃないし……。それに彼女が欲しいって言うなら、ユタの方から積極的に話しかけたらいいのに」

「言われてもみれば、いつも遠巻きに女子を物欲しそうに見つめているだけだな。飢えた野獣のように」

「誤解だよ! 別に女子だったらだれでもいいわけじゃないから! ぼくにもちゃんと好みはあるから!」

「そのストラップみたいな?」

 そう言って、ぼくのポケットに入っているスマホ……そこから顔を出している人気アニメのストラップを指差すみずきち。

「うん。数あるアニメの中でもぼくの一番の推し、蜜柑さんだよ!」

 そう笑顔で首肯しつつ、ぼくはストラップに手を伸ばした。

「金髪碧眼のグラマー体型。見た目はお姉さん系キャラなのに中身はツンデレ。しかもまだ現役中学生というこのギャップ! 最高としか言いようがないね!」

「言っても、二次元のキャラだけどね~」

「しかも見事に好みが偏っているな」

 熟女好きの剛ちゃんにだけは言われたくない。

「そういえばユタって、昔から白人系の女の子が好きだったよね~。幼稚園の時に実習に来ていたハーフのお姉さんにベッタリだったし」

「この洋物好きめ」

「それは違う! ぼくは決して洋物好きというわけじゃない! あくまでも金髪美少女が好きなだけだから!」

「だがこの間、寮の部屋で洋物のエロ動画を観てなかったか?」

「うっ。いや、確かに観たけどさ! それとこれとは話は別なんだって。欧米人も好きだけど、ぼくが好きなのは日本人顔の金髪女子で……」

 たとえば、ちょうどあそこの桜の木の横に立っている、金髪の女の子みたいな──

「……ん? ……んん!?」

 思わず二度見してしまったぼくに、みずきちが小首を傾げて、

「ユタ? どうかしたの? そんな芸人みたいなリアクションして」

「あそこ! 桜の木のところ!」

 桜の木? と復唱しつつ、ぼくの視線の先を目で追うみずきち。

「あ。金髪の女の子がいる~。しかもユタ好みの美人さんだ~」

「あの赤い腕章からして二年生だな」

 みずきちのあとに倣って中庭に目線をやった剛ちゃんの言葉に、ぼくは首肯するのも忘れて見惚れていた。

 金髪碧眼のグラマー体型。やや吊り目がちだけど、それでも文句なしに整った顔をしているツンデレっぽい女の子。言うなれば蜜柑さんそっくりの──ぼく好みド直球の金髪美少女がそこにいた。

 なにこのギャルゲーのようなシチュエーション! しかも好みのタイプの女の子が突然目の前に現れるなんて、めちゃくちゃ運命的じゃん!

 名前も知らなければ一度も話したことがない相手だけれど、このチャンスを逃せば二度と彼女と会えないような気がした。実際は同じ学園生徒なんだから、どこかで会える可能性は街中の通行人よりも高いはずなんだけど、それでも今彼女に声をかけなかったら、とても後悔するような気がした。

「あの!」

 気付けば、ぼくは金髪の彼女の元へと走って声をかけていた。みずきちと剛ちゃんに一言も残さずに。

 そんなぼくに、金髪美少女が後ろ髪をなびかせながら、ゆっくりこちらを振り返る。

「なにかしら? 緑の腕章っていうことは一年生よね?」

 そう訊ねてきた彼女に、ぼくは大きく息を吸い込んで、


「──好きです! ぼくと、お付き合いを前提に結婚してください!」




 あっさり撃沈した。

「なんでだ……こんなの絶対おかしいよ……」

「そりゃあ、いきなり知らない人に結婚を申し込まれたら、だれだって断るよ~」

「それ以前に、まだ結婚できる年齢でもないしな」

 三時限目が終わり、三人並んで教室に戻ろうとしている最中の会話だった。

 あの金髪美少女に振られてからずっと落ち込んでいるぼくに、みずきちと剛ちゃんが呆れた顔でツッコミを入れてきた。

「というか、なんでいきなり告白なんてしちゃったの? しかもお付き合いを前提に結婚とか、色々過程を飛ばし過ぎだよ~」

「それは……つい溢れ出る気持ちを抑えきれなくて……」

「だからって、あの告白はないよ~。完全に変質者扱いだったよ?」

「知り合いでもない男の突飛な告白が成功するのは、よほどのイケメンではない限り、望みは皆無だろうな」

 遠回しにイケメンでないと言われた。

 いや、確かにイケメンでないのは、ぼく自身認めるけどさあ!

「けど、なにもあんな便所虫でも見るかのような目で振らなくてもいいのに……」

「ああ、そういえば露骨に嫌悪感を出していたな。ついオレまで興奮してしまった……」

「剛ちゃんの性癖はいつものことだからどうでもいいとして……ボクが思うに、あれは何度も告白された経験のある反応だね~。初めてなら多少は迷いもするはずなのに、一切躊躇がなかったもん。本当にユタのことを虫程度にしか思ってないんじゃないかな?」

「……君たちは、少しは友人を慰めようという気持ちはないのかね?」

 泣くよ? しまいには周りがドン引きするくらい、みっともなく大泣きするよ?

「だって、慰めたところで振られた事実は変わらないし。それともユタは、これで諦めちゃうの?」

「まさか。一度振られたくらいであっさり諦めるつもりはないよ」

 やっとリアルで見つけた理想の女性なのだ。そんな簡単には諦めきれない。諦めたらそこで試合終了だって、某バスケマンガの監督も言ってた!

「あはっ。ユタなら絶対そう言うと思ってたよ~」

 なぜだか嬉しそうに一笑したみずきちは、ズボンのポケットからメモ帳を取り出して、ぼくにウインクした。

「ボクに任せて。あの先輩のことを、今から色々調べてあげるから!」



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