第6話 凛奈ちゃんバラバラ事件(事件編3)



「それで、ユタ。これからどうするつもりなんだ?」

 あれから部室を出て、ぼくと剛ちゃんの二人で男子寮へと向かう途中のことだった。

 隣を歩く剛ちゃんから不意に訊かれた質問に「とりあえず、小野田くんの部屋──事件現場の真下にある部屋を調べてみようかと思ってね」と三年生のフロアである一階の通路を歩きながら、ぼくは答えた。

「みずきちはいなくても大丈夫なのか? なにか頼んでいたようだが」

「ああ、うん。みずきちには守衛室に行って、防犯カメラの映像と外出記録を調べてもらってあるんだ。終わり次第、電話するように言ってあるから、あとでみずきちから連絡が来ると思う」

 本来なら防犯カメラの映像なり外出記録なりは一般生徒に見せてもらえるようなものではないのだけど、今の守衛さん(御歳五十歳)はこの学園の卒業生だったらしく、過去にも恋部の世話になったことがあるのだとか。そんな繋がりもあって、ぼくたちの調査にも快く協力してくれることが多いのだ。だから、向こうには関しては特に心配する必要はないだろう。

「そういえば、エリカ先輩は女子寮の方を調べてみるって言っていたよね?」

「ああ。伊波……だったか? その先輩の証言が本当なのか、実際に外出記録を調べに行くらしい」

 ふむふむ。まあ妥当なところかな。さすがに相手が男子だと、女子寮の外出記録を見せてはくれないだろうし。本当はエリカ先輩と一緒に行動したかったんだけどなあ。

「話は変わるけど、最初に聞いた時は驚いたよね。男子寮の守衛さんと女子寮の守衛さんが夫婦で同じ仕事をしていたなんて」

「ああ。だがそのおかげで。こうして両方の守衛に協力してもらっているのだから、偶然とはいえ感謝しなければな」

 そうだね~、と相槌を打っている内に、小野田くんの部屋のちょうど真下にある部屋へと辿り着いた。

 さっそく、コンコンコンとノックしてみるが──

「…………。出ないな……」

「……うん。アポも取らずにそのまま来ちゃったからねー」

 こんなことなら、事前に住人を調べて連絡しておくべきだったかもしれない。

「ところで、なぜまたこの部屋を訪ねようと思ったんだ? 小野田の部屋の真下にあるというだけで、事件にはなにも関係ないだろう?」

「あー。それは──」

 と、剛ちゃんの質問に答えようとしたそんな時だった。

 不意に隣室から出てきたとある人物に、思わず「あっ」と声が漏れ出た。

「……響谷先輩?」

「鹿騨くん?」

 隣室から出てきた人物、それは最近あった依頼で関わるようになった三年生の先輩……響谷みなと先輩その人だった。

「奇遇だね、鹿騨くん。こんなところで会うなんて」

「はい。まさか響谷先輩の部屋がこんなところにあったなんて知りませんでした」

「はは。お互い、好きなアニメや声優さんの話はよくするのに、自分の部屋がどこにあるのか知らなかったなんて、可笑しな話だよねー」

 そんなぼくたちの会話に、剛ちゃんが「好きなアニメ?」とオウム返しに訊ねた。

「もしかしてユタ、あれからこの人と交遊があったのか?」

「ああ、うん。元々同じアイライバーだったし、話も合いそうだったから連絡先を交換したんだけど、お互いに意気投合しちゃってさ。それ以来、仲良くしてもらっているんだ」

 今では、たまに響谷先輩と二人でアニメショップに出かけるくらいの仲である。

 初めて会った時は生涯女に困りそうにない、それこそいけ好かないタイプのイケメンという印象しかなかったけれど、それがここまで親しい間柄になるなんて思ってもみなかった。人生、なにが起きるかわからないものだね。

「依頼自体はあのまま終わってしまったが、結局その後、依頼者とはどうなったんだ?」

「……東條さんのことだね」

 剛ちゃんの質問に、響谷先輩は少し言葉に迷うに表情を翳らせて、

「あのあと、変なことに巻き込んでごめんって謝られたんだけど、それから特に音沙汰ないかな。僕が二次元の女の子しか興味がないと知って、幻滅したんだと思うよ」

 僕の秘密をだれにも言わないって約束してくれただけでもありがたい話なんだけどね、と苦笑する響谷先輩。

 東條先輩にとっては苦い失恋になったかもしれないけど、ちゃんと今でも秘密を守ってくれている良い人ではあるし、いつか素敵な男性と巡り会えることを祈るばかりだ。

「ところで、二人はこんなところでなにをしているのかな? ここ、三年生の部屋しかない階だよ?」

「ああ、ここの部屋に用があったんですけれど、どうにも留守みたいで」

 試しに再度ノックしてみるが、相変わらず反応はなかった。

「あー。そこは基本、だれもいないことが多いんだよ。その部屋を使っているのが二人してやんちゃというか、すごく遊び好きでね。門限ギリギリになるまで外にいることがほとんどなんだ」

「そうなんですか……」

 まいったな。ここで確かめたいことがあったのに……。

「もしかして、変部……じゃなかった。恋部の活動?」

「あ、はい。でも部屋に入れないんじゃ、このまま帰るしか──」

 とそこまで言って、ぼくははたと言葉を止めた。「……響谷先輩。今からそっちの部屋に入れますか?」

「僕の部屋に? 別に構わないけれど、こっちでもいいのかい?」

 はい、と頷くぼく。本当は事件現場の真下にある部屋に入りたかったんだけど、この際贅沢は言えない。隣室だけど、まあ確認するだけならなんとかなるだろう。

「わかった。僕はこれから出かけるところだったからもてなしはできないけど、中に大場がいるからあとは任せるよ」

「えっ? 部長──大場先輩と同室だったんですか?」

 これは驚きだ。まさかここで響谷先輩だけじゃなく、大場先輩とも会うことになるなんて。でもそういえば、以前大場先輩が響谷先輩を見かけた時、知り合いのような口振りをしていたような覚えがある。あれは単純にルームメイトだったからか。

「えっと、ではお言葉に甘えて、お邪魔させていただきます」

「うん、どうぞ。じゃあ僕はもう行くから。二人共、部活がんばって」

「はい。ありがとうございました」

「礼を言う」

 笑顔で去っていく響谷先輩にぼくと剛ちゃんは頭を下げたあと、さっそく大場先輩のいる部屋のドアを開けた。

「失礼しまーす」

 と一応声をかけて、中に入る。正面はカーテンで区切られていて部屋の様子はわからなかったけど、カーテンの向こうに目薬を差しているかのようなポーズをした影が見えた。

「大場先輩、ですか?」

「! 鹿騨か……?」

 少し驚いたように影がこっちを向いたあと、大場先輩の声で「少し待ってくれ。すぐに終わる」という言葉に、ぼくと剛ちゃんは言われた通りに大人しく待つ。

 ややあって、メガネをかけるような仕草をしたあと、カーテンが開かれた。

「待たせてすまないな。鹿騨に間宮」

「ああいえ、こちらこそ急に来ちゃってすみません」

「いや、問題ない。少し驚きはしたがな」

 謝りを入れるぼくに、微笑しながら首を横に振る大場先輩。相変わらずぼくたちに優しい人だ。

「それで急にどうした? お前たちに私の部屋を教えたことはなかったはずだが」

「あ、いや、これはたまたまというか、大場先輩に用があったわけじゃないんです」

「? どういう意味だ?」

「実は、この部屋で調べたいことがありまして」

 そう続けた僕に、大場先輩は得心がいったように「ああ」と呟きを漏らした。

「探偵活動か。しかし、この部屋になにかあるのか? 響谷の方ならともかく、私の方はなにもないぞ」

 言われて部屋をよく見回してみると、確かに真ん中のカーテンで区分されている内のどっちが大場先輩のスペースなのか、一目瞭然だった。

 まずは窓際から見て左側──そこにはマンガやアニメのフィギュア、日めくりカレンダーなどが机に置かれており、壁にもこれまたアニメキャラのポスターが貼られていた。

 響谷先輩は隠れオタクだったはずだけど、さすがに同室の大場先輩には秘密を打ち明けているようだ。大場先輩なら人柄的にも信頼できるし、なにより自分の部屋にいてまで趣味を我慢するなんて苦痛でしかないもんね。同じオタクだからこそよくわかる。

 対して、右側。こちらはまさに殺風景と言っていいくらいになにもなかった。

 むろん大場先輩の学生の身なので、当然本棚に教科書くらいは置いてあるんだけど、あとは参考書がある程度で、他に目立つ物はなにもない。真面目な大場先輩らしいと言えばらしい内装ではあった。まあ、それはこの際どうでもいいや。

「調べたいのは部屋の中じゃなくて、この部屋の窓から見える外の様子なんです」

 言いながら、ぼくは『閉め忘れ注意!』と小さく貼り紙がされた窓を開けて顔を出した。

 すぐ真下には芝み……それも膝下まで伸びていそうな雑草が寮の端から端までびっしり生えている。一応塀の方はある程度刈られてはいるけれど、こんな虫がわんさかいそうなところに好き好んで行きたいとまでは思わなかった。こんなところに来る人なんて、たまに雑草を狩りに来る清掃会社くらいだろう。

 次は顔の向きを変えて、小野田くんの部屋がある方を見上げる。

「……さすがに一階から三階まで登るのは無理か。パイプのような足場すらないし」

「さっきからなにを調べているんだ、ユタ」

「んー。もしかしたら鍵を使わず三階の部屋に入れる方法があったんじゃないかと思ってね」と剛ちゃんの質問に答えながら、ぼくは窓から頭を離した。

「もしかして、現場の真下にある部屋を訪ねようとしたのも、このためだったのか?」

「うん。けどやっぱり無理があるかなー。これで壁伝いに三階にある部屋に入れたら、守衛室の外出記録や防犯カメラの映像といったアリバイも崩せたんだけどなあ……」

 もっとも本当にあの三人の証言が確かだったらという前提の話だけど、と続けたぼくに、剛ちゃんは腕を組んで眉間にシワを寄せた。

「あの塀に登って、そこから三階の部屋に飛び移ったという線はないのか? 二階より高めにあるあの塀なら、不可能ではないだろう? 現場の窓も開いていたと言うし」

「うーん。それは無理じゃないかなあ。塀から窓までけっこう距離があるし、近くに木々もない。よしんば飛び移れたとしても、一歩間違えたら大怪我だし、いくらなんでもリスクが高過ぎると思う」

「これだけ下に雑草が生えていたら、なんとか済むんじゃないのか? 前に部長も否定こそしていたが、実際こうして見ると、まるで落下時の衝撃を抑えるためにあるかのような芝みの伸び方だぞ?」

「うん。ぼくもほとんど芝みに近付いたことがなかったから、こうして間近に見たのは初めてだけど、それでもこの高さから落ちるかもしれないなんて考えたら、普通は怖気づくんじゃないかな」

「それに、芝みがあれだけ伸びているのは、落下対策ではなく空き巣対策からだ」

 と、ぼくの言葉を補足する形で、大場先輩が口を開いた。

「昔、開けっ放しにしてあった窓から空き巣が入ったことがあったらしくて、それから芝みを設置するようになったそうだ。空き巣はああいった足元が見えないところや、衣類に葉や種が付くのを嫌がるからな」

「それなら鉄格子の方がよかったんじゃないか──ですか?」

 間宮は相変わらず敬語が下手だな、と大場先輩は苦笑しつつ、

「そういう話も一度は上がったのだが、すべての窓に鉄格子を設置するのは費用がかかるという理由と、鉄格子だと子供たちに閉塞感を与えるのではないかという意見がPTAの方から出たようでな。最終的に一階の窓下に茂みを生やして、あとは貼り紙をして生徒たちにそれぞれ注意を促すという結果になったそうだ」

「ということは、オレの考えは見当外れだったということか……」

 肩を落とす剛ちゃんに「どんまい」と背中を叩いて励ますぼく。着眼点は悪くなかったと思うんだけどねー。

 それにしても、その空き巣もずいぶんと根性があったもんだ。校門前にだって防犯カメラはあるし、塀だって簡単によじ登れるような高さでもなかったのに。

「ま、とりあえず外から三階まで行けないとわかっただけでも十分な収穫かな」

「じゃああとは、みずきちと部長の返事待ちか……」

「ん? 西園寺まで探偵活動に参加しているのか?」

 と、ぼくが言葉を返す前に、大場先輩が意外そうに眉を上げた。

「あ、はい。色々あって、一緒に調査することになりまして」

 実際は口車に乗せて、ぼくたちの調査に加わってもらっただけなんだけど。

「あ、そうだ。大場先輩、昨日の夜にいつもと違うことってありませんでした? たとえば外から妙な気配を感じたとか」

「昨日の夜か? 妙な気配は感じなかったが、変な音なら外から聞こえた気がするな」

「変な音ですか? それってどんな?」

「ドンとかゴンとか、なにかが落下するような音だったな。それで気になってすぐに窓を開けてみたのだが、外にはなにもなかった。まああの時は暗かったし、もしかしたらだれかがなにかを落としたのかもしれないな。少なくとも人ではなかったようだから、その後は特に気にすることもなく風呂に入ってしまったが」

「外に出て調べてみようとは思わなかったんですか?」

「もう夜だったからな。あまり一人で庭を出歩いたら他の者に怪しまれかねないし、なにより落とし主からしたら迷惑な行為かもしれないという懸念もあった。落とした物が必ずしも人目に触れていいものとは限らないからな」

 なるほど、一理ある。

「ところで、西園寺の様子はどうだ? 調査は順調そうか?」

「ぼくたちも人のことを言えませんが、少々てこずっているみたいです。口には出していませんでしたが、なにか小難しそうな顔をしていたので」

 ぼくの返答に、大場先輩は「そうか」と出来の悪い弟子の顔でも思い浮かべるかのように微苦笑しつつ、言葉を紡いだ。

「……まあ西園寺のことだから、またぞろ常識に捉われて苦戦しているのだろう。本来はもっと聡い奴なのだがな」

「あー」

 思い当たる節が色々あって、つい同意とも言える呟きを漏らしてしまった。

 エリカ先輩って、めちゃくちゃ頭はいいけど、変態や奇人の絡んでいる件になると、思考が働かないところがあるんだよね。東條先輩の依頼を受けた時もそうだったように。

 たぶん今回も、ラブドールがバラバラにされたという奇妙奇天烈な事件に、上手く頭が回っていないのかもしれない。

「まあなんにせよ、無事に依頼が解決するといいな。私は受験勉強もあるので手伝いこそしてやれんが、陰ながらお前たちを応援しているぞ」

「いえ、そのお気持ちだけでもすごくありがたいです」

「どうもっす」

 エールを送ってくれた大場先輩に、ぼくは剛ちゃんと揃って頭を下げて感謝した。


 ☆


『外出記録と防犯カメラの映像を見せてもらったよー。諸星くんも下野くんも、証言通りの時間に外出記録が書いてあって、防犯カメラの映像にもばっちり映ってた。まだ一緒にいた人からの話は聞いてないけど、事件のあった夜に男子寮から外に出ていたのは間違いないねー』

 大場先輩の部屋を出てから少し経ったあと、みずきちから待ちに待った連絡が来た。

 なにか事件を解く手がかりが聞けるかもしれないという期待を胸にスマホを取り出してみたものの、残念ながら結果は先述の通り。

「そっか。じゃあ諸星くんと下野くんの証言は正しかったわけだ……」

『だねー。ひょっとしたら、アリバイ工作に協力した人がいるかもしれないけどー』

「でも、防犯カメラに映っていたっていうのは、なかなかに厳しいな……」

『アリバイを補強するようなものだからね~。あ、アリバイといえば、寮から出た時に偶然部長さんと会ったんだけど、伊波先輩が昨日の夜に外出した様子はないって言ってたよー。外出記録に伊波先輩の名前はなかったし、防犯カメラにも映っていなかったから、たぶん本当に自分の部屋にいたんだと思うって』

「マジか……」

 これで容疑者三人のアリバイが立証されてしまった。

 もちろん、なにかしらの工作をした線もなきにしもあらずだけど、そのアリバイを崩せる手立ては、今のところなにもない。唯一ありえそうなのが、寮の裏口を使って防犯カメラの映像から逃れた線だけど、ただあそこ、普段は錠前があるからなあ。守衛さんでしか鍵を持ってないし、さすがにこれはないか。

「わかった。みずきちはそのまま聞き込みに専念して」

 りょーかいーという、みずきちの間延びした返事を聞いたあと、ぼくはスマホの通話を切った。

「その様子だと、みずきちから良い話は聞けなかったようだな」

 通話を終えたと同時に声をかけてきた剛ちゃんに「まあねー」とスマホをポケットに仕舞いながら苦笑する。通話の内容まで聞こえなかったはずなのに、そこは幼なじみというべきか、察しのいい親友である。

「それで、どうしてユタはまたここに戻ってきたんだ?」

 あー、と呼気混じりの呟きを漏らしつつ、ぼくは改めて周囲を見渡す。

 そこは事件現場、もとい小野田くんの部屋の中だった。大場先輩から話を聞き終えたあと、ぼくと剛ちゃんは再び小野田くんの部屋へと戻ってきたのだ。

「ちょっと気になるというか、この部屋に来た時から違和感のようなものがずっと残っていてさー。それでもう一度来てみたんだよ」

 正確には事件当日でなく、エリカ先輩と一緒に来た日に抱いた違和感なんだけど。

 事件があった日はぼくも動揺……まさかラブドールがバラバラにされている現場を見ることになるとは思わなかったので、少し思考が空転していた。だから時間を置いて現場を見た時に、今になって違和感を抱いたのかもしれない。

「小野田くんもごめんね。何度もこうして押しかけちゃって」

「ううん。事件解決に役立つなら、なんだって協力するよ」

 と、正面に立つ小野田くんが、ぼくの言葉に微笑を浮かべて応えた。

「それで、言われた通りに持ってきたけれど……」言いながら、小野田くんはその点に持っていた大きめのビニール袋を床に下ろして、ぼくに広げてみせた。

「……これ、凛奈か?」

 剛ちゃんの問いかけに、小野田くんは「うん」と頷いて、

「鹿騨くんに大事な物的証拠だから絶対捨てないように言われていたからね。元から捨てるつもりなんてなかったけれど」

「ここまでバラバラにされたのにか?」

「大枚をはたいて購入した僕の恋人なんだよ? そんな簡単には捨てられないよ」

 小野田くんの返答に「そ、そうか」と少し引き気味に相槌を打つ剛ちゃん。

 うん、ちょっと言い方が引っかかるよね。大枚をはたいて購入した恋人っていうのが。

「それはそうとユタ。今さら凛奈を調べてどうするんだ? もしかして、さっきお前が言っていた違和感というのが、この凛奈にあるとか?」

「うん。たぶんだけど」

 首肯しつつ、ぼくは凛奈ちゃんの部品を一つずつ床に並べて、矯めつ眇めつ眺める。

「う~ん。なにかがおかしい気がするんだけどなあ……」

 でも、具体的にどこが変なのかは、依然としてわからないまま。

 他のラブドールと比較したいところだけど、こんな高価な物を他の人が持っているとは思えないし、当然ながら、ぼくだってそんな金銭的余裕はない。

 そもそも、ラブドールを目にしたこと自体が初めてだし、ぼくが抱いている違和感だって確証すらない。完全に勘頼りの捜査になっていた。

 直感に頼ること自体は悪く思ってないんだけどね。それで解決できた謎だってけっこうあるし。

「オレにはよくわからないが、そんなに奇妙なのか?」

「まあ、うん。違和感の正体までは掴めてないし、未だ謎のままだけど。もっともそれを言い出したら、バラバラにされたこと自体、意味不明なんだけどね」

「部長も同じことを言っていたが、怨恨目的という理由だけじゃ不自然なのか?」

「動機はそれでいいとしても、それだけでバラバラにしたとは考えにくいかな」

「? なぜだ?」

「だって、どう考えてもすごい手間だもん。この綺麗な切り口からして、ノコギリじゃなくて鉈かなにかで切ったんだろうけど、人体と同程度の太さのシリコン素材を切断するとなると、けっこうな重労働だよ? それもここまでバラバラにやろうと思ったら、ちょっとやそっとの時間でできるようなものじゃないよ。少なくともぼくだったら、いつ小野田くんが帰ってくるともわからない間に、こんな面倒な真似をやろうとは微塵も思わない」

 たとえ、どれだけ恨みが深かろうとも、だ。

「そもそも、動機うんぬんをさておくとして、凛奈ちゃんを使えなくさせるためだけが目的なら、挿入口にボンドを流し入れるとか、もっと楽な方法もあったはずだろうし」

「なるほど。言われてみれば、確かにその通りだな……」

 ぼくの言葉に腕を組んで首肯する剛ちゃん。

「そういえば小野田。お前は昨日、凛奈がこうなる前はなにをしていたんだ?」

 あ、それはぼくも質問しようとして訊きそびれていたやつだ。

 本当はもっと早く訊こうと思っていたんだけど、今朝からずっと小野田くんが落ち込んでいる様子だったから、ちょっと訊きにくかったんだよね。今は少し元気になったようだけど、こうしている間も凛奈ちゃんから目を逸らしているし。まだまだ心の傷は深そうだ。

「昨日? 昨日は学校が終わったあとまっすぐこの部屋に戻って、七時くらいまではずっとここにいたよ。それから一時間ほど部屋を離れている内に凛奈がこんな目に遭わされたんだけど……」

 じゃあ犯行時刻は、七時から八時までの間ってことか。

 う~ん。でもそれって、どのみち諸星くんたちのアリバイがある時間帯なんだよねー。残念ながら、謎を解く鍵にはならないかも。

「一応、その時間帯になにをしていたのか聞いても大丈夫か?」

「あー。なんていうか。まあ、他の人に口外しないって約束してくれるなら……」

 ん? どことなく歯切れの悪い言い方だな。それだけ他人に知られたくないってこと?

「わかった。誓おう」

「ぼくも約束するよ」

 ひとまず、剛ちゃんと挙手して宣誓するぼく。違和感の正体が判然としない以上、今は些細なことでもいいから情報が欲しい。

「じゃあ言うけど」

 とそう前置きながら、小野田くんは話し始めた。

「昨日の七時から八時までは、友達の部屋に行って……その……AVの鑑賞会をしていたんだ」

 その直後、ぼくと剛ちゃんはすぐさま小野田くんに詰め寄った。

「それって金髪美女もの!? エリカ先輩みたいな!?」

「それとも熟女ものか!? SM系だったら言うことなしだ!」

「え? 巨乳ものとか女子大生ものとかで、鹿騨くんや間宮くんの言ったようなものは全然ないかな」

「「ちいっ!」」

 ぼくと剛ちゃんは盛大に舌打ちした。

 いや、好きだけどさあ。巨乳も女子大生も。

 でも、そうじゃないんだよなあ。それはそれで観たい気持ちはあるけど、一番観たいものがないのなら、さほど行きたいとは思わないかなあ。

 いや、違う違う。ぼくたちの趣味は、この際どうでもいいんだった。

「こほん。えっと、それって、ルームメイトの諸星くんも知っていたのかな?」

「えっ。あ、うん。まあ……」

 唐突に態度を変えて仕切り直したぼくに、小野田くんは戸惑いがちに顔を引きつらせながらも首肯した(ちょっと怖がらせちゃったかな?)。

「というより、AVの鑑賞会に誘ってくれたのは諸星くんの方だし。それがきっかけで下野くんとも知り合うようにもなったから」

「へえ。諸星くんの方から……」

 なんか硬そうなことばかり言っていた印象が強いけど、そういうことにもちゃんと参加していたんだなあ。

 あ、でもよくよく思い出してもみれば、凛奈ちゃんにも興味津々だったような。じゃあ実はむっつりスケベだったというオチか。ありがちな話だね。

「そのAV鑑賞会って、よくやっているの?」

「うん。いつも金曜日の夜に。基本的にネットで見つけた至高の作品をみんなで批評するだけの会だけど」

 なるほどねえ。つまり諸星くんと下野くんは、小野田くんが毎週金曜日の夜に出かけるのを知っていたわけだ。

「ちなみに、伊波先輩はそのAV鑑賞会の存在を知ってはいたの?」

「知っているというか、知られちゃったというか……。学校の校庭で下野くんとAV鑑賞会のことを話していた時に、たまたま通りがかったみや姉に聞かれちゃって……」

「それは……だいぶ恥ずかしいね」

 たとえるなら、母親に隠してあったエロ本を見つかってしまった時のような。特に小野田くんと伊波先輩は姉弟みたいな関係のようだし、余計恥ずかしかっただろうなあ。

 閑話休題。

 とにもかくにも、これで三人共、小野田くんの昨日の夜の動向を事前に知っていたことになる。つまるところ、アリバイ工作をしようと思えば、前もって準備をした上で本番に挑めたわけだ。これはけっこう重要な情報だぞ。

「ところで小野田。これは興味本意で訊くが、お前はこの凛奈をいつもどれくらいの頻度で使っていたんだ?」

 えっ。剛ちゃん、それ訊いちゃう? ぼくも躊躇して訊こうとは思わなかった男の子の秘密を、ここで暴露させちゃう?

 これにはさすがの小野田くんも「は、はっきり訊いてくるね……」と面食らっていた。

 でも、親切にもちゃんと教えてくれるようで「ほ、他の人には内緒だよ?」と、ぼくと剛ちゃんに顔を寄せながら小声で囁いた。

「学校がある日は一回で、休みの日は三回くらい……」

「お、多いね……」

「少ないな」

「えっ」

「えっ」

 思わず顔を見合わせるぼくと剛ちゃん。

 それってつまり、剛ちゃんは小野田よりも数多くいたしているわけで。

 しかもその時のオカズが、ぼくの母親かもしれないわけで──

 いや、よそう。これ以上はぼくの精神が崩壊しかねない。

「さ、さーて、せっかくだし凛奈ちゃん以外も見せてもらおうかなあ!」

 自分の想像を無理やり断ち切る形で、ぼくは話題を強引に変えた。どっちにしろ、違和感の正体はわからないままだし、気分を変えるにはちょうどいい機会だ。

 そんなわけで、ひとまずぼくは小野田が普段使っている机へと歩む。

 諸星くんの机も気にはなるけど、見るからにスポーツしか興味がないって言った感じだしなあ。物自体が少ないというか、基本スポーツ用品しか置いてない。あんまり事件とは関係なさそうだし、別段調べなくてもいいくらいかもしれない。

 さておき、小野田くんの机の前まで来たけど、見た目は特に変哲もない、普通の学習机と言った感じだった。まあところどころ、教科書に紛れてエッチな写真集も見え隠れしているけども。実に健全である。

「そういえば小野田くん、アダルトグッズっていくつくらい持っていたりするの?」

「えっと、二十くらい?」

 けっこう持ってるなあ。

「それって、この机の中にも入っていたりするの?」

 うん、と頷いたあと、小野田くんは机の引き出しを開けて見せてくれた。

 覗いてみると、確かに色々なアダルトグッズが入っていた。その中にはぼくも密かに持っている物もある(みんなには秘密にしてるけど)。

 そんな中、ぼくはたくさんあるアダルトグッズの内、とある物に目を奪われた。

「こ、これは……っ!」

 雷に打たれたような衝撃を受けつつ、ぼくは目の前の物をおそるおそる手に取った。

 それは男なら一度はお世話になる──いや、お世話になりたいと思う代物。言わば童貞の夢。男のロマン。

 でも、ぼくが驚いたのはそこじゃない。驚きはしたけれど、それ以上に我が目を疑いたくなるような文字が、そこに表記してあったのだ。

 それは、言わば勇者専用の──選ばれた物にしか装備できない伝説の武具。

 少なくとも、ぼくには一生縁のない物であるのは変わりなかった。

「そんなバカな……。外人ならばともかく、日本人でこれを使える奴がいたなんて……」

 いつの間にかぼくの肩越しから覗き見ていた剛ちゃんが、伝説の武具を見て驚愕の声を上げる。気持ちはよくわかるよ剛ちゃん。とてもじゃないけど、信じられない心境だよね。

 だってこれ、どう考えてもぼくたち日本人が扱えるような代物じゃないし……。

「小野田くん。一応確認のために訊いておきたいんだけど、これって小野田くんの私物でいいんだよね……?」

「あ、うん。言っても、あくまで個人用なんだけどね」

「そうなんだ……。でもこれ、選ぶのも間違えてない……?」

「それ、他の人にも言われたことあるけど、正直、これでも少しキツいくらいなんだよね……」

「マジで!?」

 一体小野田くんは、その身にどんな怪物を宿して──

 と、その瞬間。

 さながら天啓を受けたかのように、とある推理が脳裏に閃いた。

 もしかして、ぼくがずっと抱いていた違和感って──……。

 気付けば、ぼくは凛奈ちゃんの元へと駆け寄っていた。

 違和感の正体を、この目で確認するために。

「やっぱり、そうだったんだ……」

 バラバラになった凛奈ちゃんの体の一部に触れたあと、ぼくは静かに呟いた。


 謎が解けた。

 凛奈ちゃんがバラバラにされた理由も。そしてその犯人がだれなのかも。


 でもその前に、みずきちに電話して、もう一度守衛室に行ってもらう必要があるな。それからエリカ先輩にも女子寮に行ってもらうように連絡して──

「──タ。おいユタ。聞いているのか?」

 剛ちゃんに肩を叩かれ、ぼくはハッと振り返った。

「……剛ちゃん? どうかした?」

「どうもこうもない。突然凛奈に駆け寄るものだから、一体何事かと思って何度も声をかけたんだぞ?」

「ああ、ごめん。さっき謎が解けたばかりだったから、つい証拠集めに思考が向いちゃって……」

「……ちょっと待て。今、謎が解けたって言ったか?」

「ウソ!? 犯人がわかったの!?」

 同時に詰め寄ってきた剛ちゃんと小野田くんに、ぼくは引き気味に「う、うん」と頷く。

「どうやって謎を解いたんだ? 三人共、アリバイがあったはずだよな?」

「それよりも、犯人は一体だれ!?」

「待った待った。二人共、落ち着いて」

 興奮した様子で顔を寄せてくる二人に、ぼくは両手を突き出して制止をかける。

「犯人はわかったけど、まだ証拠が足りないから色々準備が必要になるんだよ。そのためにも剛ちゃん、ちょっと頼みたいことがあるんだ」

「? それは構わないが、頼みたいことって一体なんだ?」

「それはね──」


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