第4話 凛奈ちゃんバラバラ事件(事件編1)
それは、とある夜更けのことだった。
桜陽学園男子寮の一室。そこでぼくは、友人で幼なじみでもある剛ちゃんとみずきちを前にして、真剣な面持ちで向かい合っていた。
というか、ぶっちゃけぼくと剛ちゃんの相部屋(桜陽学園の男子寮は、基本的に二人部屋なのだ)にみずきちを呼んだだけなんだけど、とまれかくまれ、ぼくは鞄の中からとある貢物を取り出して、二人の前に置いた。
「どうぞ、お納めください」
「おおっ。こ、これは……!」ぼくが差し出した物を見て、剛ちゃんが露骨に瞳を輝かせた。「
「こっちはボクの欲しかったハンドバックだ~! 可愛い~☆」
女性物のハンドバックを抱きしめて、破顔するみずきち。まるで親からテディベアをプレゼントされて喜ぶ女児のようだ。
「ちゃんと買ってくれたんだね~。ありがとう~♪」
「オレからも礼を言う。どれも家宝にしたいくらいのベストショットだ。今夜は存分にハッスルできそうだ……」
「そのバック、けっこう高かったんだから、くれぐれも大切に扱ってくれよ? 剛ちゃんの方は……うん。ハッスルするのもほどほどにね?」
実の母親(鹿騨君江四十二歳)をオカズにされるのは、精神的にダメージがでかいから。それ以前に陰で母親の写真をこっそり撮る時点ですでに大ダメージを負っているけれど。
「ところでユタ。お金の方は大丈夫? 剛ちゃんの方はタダで済むからいいかもしれないけど、ボクのお願いはお金がいるものばかりだから、ちょっと大変じゃない?」
「そう思うのなら、少しは容赦してほしいんだけどなあ。たまにはタダで済む願いにするとかさ」
「それはそれ。これはこれだもん」
至ってドライな回答だった。チキショーめ。
「まあ、親から仕送りを貰っているし、夏休みにバイトした金もあるから、そこまで高い物じゃなければ大丈夫。そもそもこれでぼくに協力してもらっているわけでもあるし」
そうなのだ。こうして剛ちゃんに自分の母親の写真を渡すのも、みずきちに物を貢ぐのも、ぼくの恋に協力してもらうための交換条件だったりするのだ。それも、月一で。
で、今日がその日だったわけなんだけれども、本音を言うとけっこうしんどい。懐的にも精神的にも(特に剛ちゃんの頼み事が)。
とはいえ、これもエリカ先輩と付き合うために必要なことだ。今は耐えるしかない。
「けどさー。ユタは本当にこれでいいの?」
とハンドバックを愛おしげに撫でながら、みずきちは言う。
「ボクは別にこのままでもいいけれどさー。こうして欲しい物を買ってもらえるわけだし。でも部長さんを落とすのは、かなり無理があると思うよー?」
「無理って、なんで?」
「だって、今まで一度もフラグが立ったことないんだもん。いつも脈無しっていうか、全部空振りで終わってなくない?」
「いやいやいやいや。さすがに全部空振りってことはないでしょ。ヒットこそしてないけど、掠りくらいはしているはずだって」
「じゃあ、今までのことを振り返ってみなよ~。一度でも部長さんがユタにドキドキしているシーンなんてあった?」
「それは、えーっと…………」
あれ、おかしいな。記憶の奥底まで掘り起こしてみたけど、まったく心当たりがないぞ……?
「ほら、ないでしょ? 今まで何度もユタを中心に謎を解いてもらったけど、それも全然成果が出てないし~」
「うっ……」
その通り過ぎて、思わず仰け反るぼく。
言われてもみれば、いつもエリカ先輩に呆れられてばかりで、褒められたこともなければ、好意を示してもらったことすらない。
この間の東條先輩の依頼の時だって「毎回くだらない依頼ばかり受けてきて、いい加減にしなさいよね!」と叱られたくらいだし。理不尽過ぎる。
「そもそもさー、ユタは部長さんのどこが好きなの? 一目惚れとは聞いてたけど、ここまでしてるんだし、今はそれだけじゃないんでしょ?」
「あ、それはオレも気になるな」
と、それまでぼくの母親の写真に恍惚とした顔で頬擦り(!?)していた剛ちゃんも会話に混ざってきた。
「どこって、見た目はもちろんだけど、性格とか?」
「「……………………」」
なんか、異星人を見るかのような目をされた。
「なんでさ!? 普通に性格も可愛いじゃん! 確かにちょっとキツいところあるけど、そこも含めていいんだよ! ツンデレっぽい感じでさ!」
「デレたことなんて一度もないじゃん。今のところツンしかなくない?」
「だな。オレも我ながらドMだと自覚しているが、ユタも相当Mなんじゃないのか?」
んなアホな! ツンデレ好きがみんなMだと思ってもらっては困る!
あくまでも属性萌えというだけで、決して罵倒されるのが好きとか、そういうわけじゃないから! ここ、めちゃくちゃ大事!
『あああああああああああああああああああああああ~っ!』
と。
そんな悲痛に満ちた絶叫が、突如としてどこからともなく響いてきた。
「……なんだ? 今の声は……」
「ドアの向こうから聞こえてきたよね……?」
「うん。ぼくも寮内から聞こえた気がした」
ということは、この寮内でなにか異常な事態が起きた……?
そうこうしている内に、ドアの外からいくつもの足音がバタバタと聞こえてきた。叫び声を聞いて、寮内の人間たちが現場へと向かっているのだろう。
「どうするユタ? オレたちも行ってみるか?」
「ちょっと怖い気もするけどね……」
神妙な顔でこちらを見つめてくる剛ちゃんとみずきちに、
「……行ってみよう。なにか事件が起きたのかもしれない」
と、ぼくは率先してドアへと急いだ。
☆
「……で? なんで私はここに呼ばれたのよ?」
あの叫び声を聞いた、翌日のことだった。
事件現場となった男子寮のとある一室の前で、エリカ先輩は不機嫌そうに柳眉を立ててぼくに問うてきた。
「あれ? 朝メールで説明しませんでした? ここで事件が起きたって」
「それはメールで見たけど、詳細までは知らないのよ。重大な事件に遭遇したから、お昼過ぎに現場まで来てほしいとしか書いてなかったし」
「ああ、それはこうして現場を見てもらった方がいいかと思いまして」
「安易に呼び付けるんじゃないわよ。今日だって土曜日で半日授業だったとはいえ、こっちにはまだ生徒会の仕事があったりするのよ?」
「え? じゃあお昼もまだとか?」
ちなみに、現在時刻は午後一時過ぎ。決して昼食を取るのに遅い時間というわけではないけど、途中まで仕事をしてここに来たのだとしたら、お腹もそれなりに空いていることだろう。さすがに空腹のまま調査に立ち合ってもらうわけにもいかないし、今からでもご飯を食べに行ってもらった方がいいかもしれない。
そう提案したぼくに、エリカ先輩は「別にいいわよ」と煩わしそうに顔を背けた。
「昼食なら、仕事をしながら少しだけサンドイッチを食べたから。生徒会の仕事だって、あと一時間程度もあれば終わる量だし」
それはそれとして、とエリカ先輩は興味深そうに周りを見回しながら、言葉を紡ぐ。
「男子寮ってこんな感じなのねー。初めて入ってみたけど、もっと散らかっているものとばかり思っていたわ」
「そりゃそうだよー。ゴミなんて散らかしたら、寮監とかに叱られちゃうもん」
「それに男だからと言って、どいつもガサツというわけではない」
ぼくのそばにいたみずきちと剛ちゃんが、エリカ先輩の感想にそれぞれ応える。つまり、珍しく調査段階で恋部が全員揃っている状態というわけだ。
「ふーん。そこは女子寮と同じなのね。言われてもみればちゃんと制服のままだし。てっきり授業が終わったら、さっさとジャージに着替えて怠けているのかと思った」
「ジャージに着替えるのは、基本的に掃除とかお風呂に入ったあとだけですよ。そういったルールでもありますし」
そのへんはたぶん、女子寮となにも変わらないだろう。一部、ルールを破ってさっさとジャージに着替えて過ごしたり、中には派手な私服で寮内を練り歩いてよく叱られている人もいるけれど。
「初めてと言えば、こういう許可証をもらって歩くのも、なにげに初めてだわ」
と紐で首に下げられた許可証を手に持ちながら、エリカ先輩は言う。
「話には聞いていたけど、受付で許可証をもらえないと、中に入れないのね。女子寮でも男子が入る時は、毎回これを首から下げていたけれど」
「ぼくも噂程度でしか知らないですけど、昔、どっちかの寮で異性を部屋に連れ込んで朝まで帰ってこなかったことがあったみたいで、それで許可証を作って記録に残すようにしたらしいですよ」
その男女が一体朝までなにをしていたのかは、言わずもがなである。
「って、話が逸れちゃったじゃない。さっさと話を戻しなさいよ」
「逸らしたのはエリカ先輩の方じゃ……」
「あん?」
「いえ、なんでもございません」
ギロリと睨みを利かせてきたエリカ先輩に、すぐさま自分の言葉を撤回するぼく。
前々から思っていたけど、この人、だんだんとヤンキー化してない?
「こほんっ。えーっと、なぜエリカ先輩をここに呼んだかですよね? メールでもお知らせした通り、今ぼくたちの前にあるこの部屋で事件が起きたんです。それも、身の毛もよだつような悲惨な事件が……」
おどろおどろしく言うぼくに、エリカ先輩は眉をしかめて、
「悲惨な事件って。あんた、恋部を単なるミス研かなにかと勘違いしてない? 恋愛に関する事件ならまだしも、ただの事件なら私たちの管轄外よ?」
「もちろんわかっています。ちゃんと恋愛に関係する事件ですから」
ぼくの言葉に、露骨に怪訝がるエリカ先輩だったが、ひとまず話を聞いてみることにしたのか、顎で話を続けろと促してきた。ぼくも黙って頷く。
「事件が起きたのは昨日の午後八時過ぎ。その時ぼくたちは三人で集まって別のところにいたんですが、突然どこからか悲鳴が聞こえてきたんです。そこで慌てて悲鳴が聞こえてきた場所へと言ってみると、部屋の中で泣き崩れていた同級生がいたんです」
「それって……」
ちらっとぼくの後ろに立つ男子に視線をやりつつ、エリカ先輩は続ける。
「さっきからやたら暗い顔で由太郎の後ろにいる、その男の子?」
「はい。そして、今回の依頼者でもあります。さ、前に出て
ぼくに背中を押され、小野田くんは陰鬱な雰囲気を醸し出しながら、弱々しく前に出て小さく頭を下げた。
で、さっきも言った通り、今回の依頼者でもあるんだけど──
「小野田くん、大丈夫? ちゃんと話せそう?」
「……うん。大丈夫」
ぼくの問いかけに、か細い声で応える小野田くん。本人はこう言っているけど、心の傷は深そうだ。本来はもっと明るい子だし。
「それで、結局この部屋でなにがあったのよ?」
「それは見てもらった方が早いと思います。小野田くん、開けてもらっていい?」
小野田くんは無言で頷いて、ポケットから鍵を取り出した。
そうして、鍵を開けて小野田くんのあとに続くエリカ先輩の背中を見送っていた中、
「……ねえユタ。このまま進ませて本当によかったの?」
と、不意に横からみずきちに声をかけられた。
「? なにが?」
「なにがって、いくら部長さんでも、女の子にあれを見せるのは──」
「きゃあああああああああああああああああああ!?」
突如小野田くんの部屋の中から、エリカ先輩の悲鳴が聞こえてきた。
何事かと、残りのぼくたちも中に入ってみると、エリカ先輩が壁に背中を貼り付けて顔を引きつらせていた。
「どうしましたエリカ先輩!?」
「どうもこうも!」
声を荒げながら、エリカ先輩は悲鳴の原因である目の前の物体を怖々と指差した。
「なんなのよ、あの人形は!? バラバラにされている上に、は、裸じゃないの!」
部屋の中央で五体をバラバラにされた裸の人形。
それは俗にラブドールとも言われる、アダルトグッズだった。
「あ、すみません。事前に言っておいた方がよかったですかね? エリカ先輩なら神経図太そうなので特に問題ないと思っていたのですが……」
「どういう意味よ! ていうか、あんな物をいきなり見たら、だれだって驚くわよ!」
「ほら、だから言ったでしょ?」
がなるエリカ先輩を前にして、みずきちが後ろからそっと耳打ちしてきた。
「説明もなしにあれを見せるのはまずいって」
「う~ん。エリカ先輩なら大丈夫だと思ったんだけどなあ。心臓に毛とか普通に生えてそうだし」
「……ユタって、なにげに部長さんを人でなし扱いする時があるよね?」
心外だなあ。信頼の証と言ってほしい。
「だが、なんでわざわざ詳細を話さずに部長をここまで呼んだんだ?」
そう小声で訊ねてきたのは、みずきちの真横にいる剛ちゃんだった。
「依頼の受諾をもらうだけなら、メールで十分だったはずだろ?」
「昨日、みずきちや剛ちゃんに言われて考えたんだけど、これからはエリカ先輩との時間を増やした方がいいと思ったんだよね」
「部長との時間を?」
「うん。ほら、今まで結果だけを報告してきたけどさ、それまでの経緯なんて、活動記録でしかエリカ先輩に伝えてないでしょ? 紙面だけだとぼくたちの苦労も伝わりづらいだろうし、可能な範囲でエリカ先輩にも調査を手伝ってもらおうかと思って」
「なるほど。ようは、連帯感というやつを作りたいんだな?」
「まあね。一緒になって調査した方が、仲間意識も強くなると思うし」
もっとも、エリカ先輩も忙しい身なので、たまにしか使えない方法ではあるが。
でも、今はそれでいいのだ。下手な鉄砲数撃ちゃ当たるとも言うし、これという妙案も思い付かない以上、今はなんでも試すしかない。それでエリカ先輩のぼくに対する好感度が上がったらめっけものだし。
「あんたたち! さっきから私を無視してなにをこそこそ話してるのよ!」
「あ、すみません。どうかしました?」
「どうもこうもないわよ! これは一体なんなの!?」
「ああ。それはラブドールっていうアダルトグッズですよ。ていうか、エリカ先輩なら知っているものとばかり思っていたんですけれど」
学年でもトップクラスの成績だって、小耳に挟んだことがあるし。
「なんで私がこんな物を当たり前のように知っていると思ったのよ!? こんな卑猥な物体、知りたくもなかったわ!」
「卑猥な物体じゃなくて、ラブドールですよ?」
「いちいち訂正せんでいい! これって、つまりあれでしょ? 男の子がエ、エッチな気分の時に使うやつでしょ……?」
「自慰ですね」
「はっきり言うな! こっちまで恥ずかしくなるでしょうが!」
むしろ、その赤くなっている顔が見たくてわざと言いました。てへっ☆
「……それにしても、やたらリアルに作られている人形ね。そのせいか、バラバラにされた姿が余計に怖く感じるわ……」
「これを作った会社は、かなり精巧なラブドールを作るところで有名ですからね。これ一体だけでも、相場で五十万近くはしますし」
「ご、五十万!?」
と目を瞠って驚愕の声を上げるエリカ先輩。うん、知らずに聞いたらめちゃくちゃビックリするお値段だよね。
しかし、これはまだ平均な方で、中には百万以上も値が張る物もあるのだ。百万なんて、もう一般人がおいそれと手が出せる値段じゃない。
「……よく買えたわね。そんな高価な物……」
「小さい頃からもらった小遣いとかお年玉をコツコツ貯めて、それから今年の夏休みにめちゃくちゃバイトした給料を足して買ったそうですよ。そのかわり、財布の中身はかなり寂しいことになったそうですが」
「あー。なんでさっきから暗い顔をしているのかと思っていたら、ショックがでか過ぎて落ち込んでいたのね」
「そういうことです」
逆に、これでショックを受けない男がいるとするなら、そいつはすでに彼女持ちか、もしくは金持ちのどちらかしかない。ぼくだったら死ねる。
「あれ? でもこれ、アダルトグッズなのよね? 未成年がどうやって買ったのよ?」
「エリカ先輩……」
思わず乾いた笑いが漏れた。
まさかぼくらより年長者でもあるエリカ先輩から、そんな常識的なことを訊かれるとは。
「なによ、その顔。なんかムカつくわね」
「だって、ねえ?」
「ああ。それは遠回しに、オレたちがどうやってエロ本を入手しているのかと、わざわざ訊ねるようなものだぞ」
「ほんと、ボクたち男子のことをなんにもわかってないよね~。こんなの、常識も常識なのに~」
「う、うっさいわね! あんたたちの性事情なんて、知ったことじゃないわよ!」
ふん、と鼻息荒くそっぽを向くエリカ先輩。
まさか本当に知らなかったとは。これくらい女子でも普通に知っているものとばかり思っていたよ。
「で、それが一体なんだって言うの? とても高価な人形というのはわかったけれど、恋愛となんの関係があるのよ? これは恋部じゃなくて、どちらかというと警察の領分でしょう? まあたかが人形だし、そこまでちゃんとした捜査はしないと思うけど」
「たかが人形だって!?」
と、それまで物静かだった小野田くんが、この時になって初めて大声で上げた。
「この子は──凛奈はぼくの大切なパートナーだ! たかが人形なんかじゃない!」
「ちょ、急になによ……?」
突然立ち上がって怒号を飛ばしてきた小野田くんに、エリカ先輩は気圧されたように仰け反った。
「それに、僕は凛奈に恋をしている! 恋愛と関係ないなんて言わせないぞっ!」
「小野田、少し落ち着け」
憤怒するあまり、どんどんエリカ先輩に詰め寄る小野田くんの腕を剛ちゃんがとっさに掴んだ。
「非礼は詫びる。だから一旦怒りを鎮めてほしい」
「──っ」
最初は抵抗していた小野田くんだったが、剛ちゃんの腕力には敵わないと判断したのか、不満げに顔をしかめながらも、大人しくエリカ先輩から離れた。
さすが肉体労働派の剛ちゃん。こういう荒事にはめちゃくちゃ頼りになる。
「もう。ダメじゃないですかエリカ先輩。小野田くんを怒らせるなんて」
「わ、悪かったわよ。確かにちょっと言葉が過ぎたわ……」
そう素直に謝りつつも、エリカ先輩は「でも」と厳めしく目を眇めて、
「本当に依頼を受ける気? 小野田って子はああ言っているけど、実際恋愛とはなにも関係ないじゃない。こんなの、部長として受諾はできないわよ?」
「でも、小野田くんは本気で恋愛していますよ?」
「恋愛って、相手は人形じゃない」
今度は小野田くんに聞こえないよう声量を落として、エリカ先輩は先を紡ぐ。
「人間ならともかく、人形に恋するなんて不毛もいいところじゃない。話にならないわ」
「相手が人間じゃないだけで、その想いは本物ですよ。だいたい人間以外の相手に愛情を注ぐのは不毛だって言うなら、ペットなんてその代表格じゃないですか? 言うまでもなく人間とそれ以外の動物では子は成せませんし、たいてい人間より早く死にます。世話にだって時間や金がかかりますし、場合によっては人間にも牙を向けます。そういう意味ではまだ人形の方が健全だと思いますけれど?」
「詭弁ね。だいいち、それは家族愛であって、私が定義する恋愛とは別物よ」
「けど、同じ愛です。少なくとも小野田くんにとっては、凛奈ちゃんはかけがえのない存在だった。そんな大事な存在がああも無惨に破壊されたのに、エリカ先輩は関係ないと見捨てるんですか? こうして他でもないぼくたち恋部を頼ってくれたのに?」
「それは……」
ぼくの問いかけに、エリカ先輩は言葉を詰まらせた。
恋愛に関係するかどうかはひとまず置いて、助けを求めている人をこのまま放置するのはさすがに後味が悪いとか、きっとそんなことを考えているのだろう。なんだかんだ言って、エリカ先輩も優しいからね。
「──ああもう、わかったわよ」
ややって、エリカ先輩は苛立たしげに頭を乱暴に掻いて、聞こえよがしに嘆息した。
「そこまで言うなら好きにしなさい。私はもう止めないから」
「ありがとうございます!」
エリカ先輩からようやく許可をもらって、ぼくは勢いよく頭を下げた。よし。これで正式に探偵活動ができるぞ! もっとも、真の狙いは別にあるんだけどね。
「じゃ、私はもう行くから。あとは頼んだわよ」
「どこへ行こうというのですか?」
と、そそくさと部屋から出ようとしたエリカ先輩の手を、ぼくは逃さず掴んだ。
「どこって、学校だけど? まだ生徒会の仕事もあるし」
「でも、一時間もあれば終わるって言ってましたよね? だったら、このまま調査に加わっても問題ないのでは?」
「は、はあ!? なんで私も調査しないといけないのよ!? あんたたちが好きで依頼を受けた案件でしょう!?」
「それはそうですけど、部長とはいえエリカ先輩も恋部の一員ですよね? こうして現場に立ち会ったからには、調査にも加わってもらわないと」
「あんたが詳細をよく話さずに呼んだからでしょうが! 知っていたらここまで来なかったわよ!」
「あれ? 行っちゃうんですか? 仮にも探偵が謎を前にして」
「だから、それは由太郎たちに任せるって──」
「ああ、わかりました。ようは自信がないんですね?」
ぴくっと、エリカ先輩のこめかみがわずかに動いた。
「まあでも、仕方がないかもしれませんね。普段は書類整理しているだけで、調査には一切加わりませんし。それにいつも結果しか聞いていないせいで、さすがに探偵としての勘も鈍っちゃいましたよね。いやあ、残念だなあ。エリカ先輩の鮮やかな推理を久々に聞けると思ったのに~」
「言ってくれるじゃない……!」
わなわなと怒りに耐えるように唇を震わせながら、エリカ先輩は握り拳を作って胸の前で上げた。
「上等よ! この私自ら解決してやろうじゃないの!」
「わ~! エリカ先輩カッコいい~!」
まんまとぼくの煽りに引っかかったエリカ先輩に、ぼくは拍手を送りつつ、内心「計画通り」とほくそ笑んだ
そう……これもぼくの作戦の内。こうしてエリカ先輩と少しでも長く一緒にいて、その間に好感度を稼ごうという作戦である。
「……ユタって、たまにああいう詐欺師みたいな真似を平気ですることあるよね」
「ああ。あんな簡単な煽りに引っかかる方も引っかかる方だけどな」
なにか後ろの方でみずきちと剛ちゃんが呟いたような気がしたけど、聞かなかったことにしておいた。
「それで由太郎。さっそく調査に入るけど、こうなったのは一体いつからよ?」
バラバラにされた凛奈ちゃん(ラブドール)を指差して訊いてきたエリカ先輩に、ぼくもそばに寄って返答する。
「ぼくたちが発見したのは昨日の夜ですね。突然小野田くんの悲鳴が聞こえてきて、慌ててここに駆け付けてきた時には、すでにこうなっていたんです」
「この部屋に入る前にも同じことを言っていたわね。その時、他にだれかいたの?」
「小野田くん一人だけでした。確か小野田くんは一人で鍵を使ってこの部屋に入ったんだよね?」
うん、とぼくの質問に頷いて、小野田くんはそのまま話を続けた。
「あの時は友達の部屋に訪ねた帰りで、ルームメイトも出かけたままみたいだったから、鍵を使って自分の部屋に入ったんだ。そしたら、床の上でこんな姿になっていて……」
悲しみがぶり返してきたのか、目頭を抑えて顔を伏せる小野田くん。大切な存在がバラバラにされた状態で見つかったのだ──思い出して涙がこぼれそうになるのも無理はない。
「普段、凛奈ちゃんはこの部屋のどこに仕舞ってあるの?」
「そこだよ」
言って、小野田くんは部屋の両端に設置されているベッドの一つを指した。
「いつもあのベッドの下に隠してあるんだ。大きさが大きさだから、タンスとかクローゼットには入らなくて」
「それはもちろん、ルームメイトも知っているのよね?」
今度はエリカ先輩からした質問に、小野田くんはまだ少し禍根が残っているのか、やや眉を曲げつつも「……はい」とちゃんと敬語を使って首肯した。
「お互い、こういう趣味はだいたい筒抜け状態ですから」
「知っているのは、そのルームメイトだけなのかしら?」
「いえ、あと二人います。僕の幼なじみと、ルームメイトの親友が」
「なるほど。そうなると、その二人も怪しいわね……」
「えっ。ど、どういうことですか? 通り魔的な犯行じゃなくて?」
「その可能性は低いと思うよ」エリカ先輩に代わって、ぼくが小野田くんの疑問に答える。
「だって小野田くんが入った時、この部屋は鍵がかかっていたんだよね? なにかしらの方法で無断に合鍵を作って部屋に侵入した可能性もなくはないけど、そこまでした上にピンポイントでベッドに隠してあった凛奈ちゃんだけをバラバラにするなんて、小野田くんの趣味を知っている人間としか思えない犯行だよ」
「そんな……」
とショックを受けたように瞠目する小野田くん。知り合いの中に犯人がいるなんて、思ってもみなかったのだろう。
「なかなかやるじゃない。由太郎」
おおっ。珍しくエリカ先輩に褒めてもらえた! 明日は吹雪かな?
「でも少し爪が甘いわね。合鍵を勝手に作られた可能性はゼロと考えていいわ」
「? どうしてですか? そりゃ普段から持ち歩く物ですし、簡単に盗めるような物ではないのは確かですけれど」
「そうじゃなくて、桜陽学園の寮で使われる鍵は、複製が不可能な仕様なのよ」
「複製が不可能?」
「ええ。特許が出ている鍵で、許可なしに鍵屋さんで複製できるものじゃないの。私たち生徒会か、教師陣しか出回っていない情報だから、あんたたちが知らなくても無理はないでしょけど」
「そうだったんですか……。けどそれ、ぼくたちに話してよかったんですか?」
「吹聴しなければ別に構わないわ。それに、推理に邪魔な要素はさっさと排除すべきよ」
あくまでも勝負はフェアに、というわけか(別に勝負しているわけではないけれど)。
「じゃあピッキング……はさすがにないか。手間もかかる上に、部屋にはちゃんと鍵がかかっていたんだし」
「そうね。あと、ここは基本的に密室だったと考えていいわ」
言いながら、エリカ先輩は窓際へとおもむろに歩んだ。
「さすがにこの高さから……三階の窓から逃げたとは到底思えないわね」
「ですけど、ぼくたちが駆け付けた時には窓は開いたままになっていましたよ? それにその下にけっこう深い茂みがありますし」
窓を開けず、そのまま閉じた状態で外を見下ろすエリカ先輩に、ぼくは疑問を投げる。
「窓を開けておいたのは、そこから逃げたと誤認させるためよ。いくらなんでもこの高さから飛び降りるなんてリスキーだわ。骨折で済めばいい方って感じね」
なるほど。だから密室と言ったのか。唯一出入りできるドアは施錠されており、窓から逃げるにしても、高さがあり過ぎてかなり危険だから。
「でもわからないのは、密室を作ってまでこの人形……こほん。凛奈さんをバラバラにした理由ね」
言って、エリカ先輩は再度凛奈ちゃんのそばに寄ったあと、静かに腰を下ろした。
「首、胴体、手足と綺麗にバラバラにされているわね。切り口も鋭利な刃物を使ったようだけど、ナイフでどうこうできる素材と厚みじゃない。見たところ、シリコン素材ね」
さすがは学年でもトップクラスの成績上位者──初見でシリコン素材と見抜くとは。
「……にしても、こうやって改めてじっくり見ると、本当に細部までこだわっているわね。その、胸の形とか質感とか」
恥ずかしそうに時折指を引っ込めつつも、ぷにぷにと凛奈ちゃんの胸に触れながら言ったエリカ先輩に、ぼくもその横に立って言葉を返す。
「当然のように五十万近くはする代物ですからねえ。凛奈ちゃんは純日本人がベースになっていますけど、オプションで髪や瞳の色を変えることもできますよ」
実際、多種多様のラブドールを公式サイトで発表しているし。
しかし、こうして改めてじっくりと見ると、やけに綺麗だなあ。バラバラにこそされているけど、とても使用済みの物とは思えない。よほど丁寧に扱っているのか、もしくはそこまで使用しているわけではないのかもしれない。
「私にはよくわからない世界だけど、男の子ならみんな欲しがるものなの?」
「もちろんです」
「僕も右に同じ」
「聞くまでもない質問だよねー」
「ああ。愚問もいいところだ」
「……わかった。もういいわ」
ぼくたち男子の返答を聞いて、エリカ先輩は呆れたように眉間を揉んだ。はて、普通に答えただけなのだが。
「じゃあ、この凛奈さんを前から知っている依頼人の知り合いが、嫉妬でバラバラにした線もあるわね」
「嫉妬だけで、普通バラバラになんかします?」
ぼくの質問に、エリカ先輩はゆっくり立ち上がりながら、
「相手が人間だったら、怨恨目的でバラバラにする犯人も稀にいるわよ。どちらかと言うと、だいたいは快楽殺人の方が多いけど」
「ミステリーだったらどうなんです? エリカ先輩、ミステリー好きでしたよね?」
恋部の部室にも、実はエリカ先輩が持参したミステリー系の小説がいくつか置いてあったりする。まあミステリー小説自体、何代か前の部長が趣味でいくつか置いてあったみたいで、それがきっかけとなったのか、色んな部員がミステリー小説を部室に持ち込むようになったらしい。探偵部というだけあって、エリカ先輩みたいなミステリー好きが集まりやすいのだろう。
ちなみに、ぼくも部室に置いてある物をたまに読んだりするが、あくまでも嗜む程度で、そこまでミステリーに造詣が深いわけじゃない。エリカ先輩が好きな物ならぼくも読みたいという動機だけで読んでいるので、小説そのものはあまり読む方じゃないのである。
「ミステリーだったら、鞄や箱の中に入れて運搬するために解体したとか、ちょっと凝ったもので死体の人数を誤魔化すために色んな死体の部品を集めた、なんて推理小説もあったわね。けどこれの場合、どっちも当てはまらないわ。仮に動機が怨恨なら、わざわざバラバラにするより、そのまま刃物で傷だらけにするだけでいいでしょうし。後者に至っては、切り口が完全に一致しているから、部品をすり替えるなんて無理ね」
そもそも数を誤魔化す必然性もないし、とエリカ先輩。
「じゃあやっぱり、嫉妬の線が濃厚ということですか?」
「まだなんとも言えないけれどね。でも、ひとまず動機の方は嫉妬でいいと思うわ。どちらにしても情報が足りないし、凛奈さんのことを事前に知っていたという三人に、詳しく話を聞いてみるべきね」
「その点なら安心してください。すでにみずきちに頼んでアポイントメントを取ってありますから」
「うん。連絡先も交換したし、いつでも呼び出せると思うよー」
スマホを掲げて相好を崩すみずきちに、ぼくはグットサインを送った。さすがはみすきち。仕事が早い。
「じゃあ、さっそく呼んでもらおうかしら。ここじゃなく、私たちの部室の方にね」
「え、ここじゃないんですか?」
ぼくの素朴な疑問に、エリカ先輩は恥ずかしそうに凛奈ちゃんから露骨に顔を逸らして言った。
「あ、当たり前でしょう。いつまで女の子をこんな卑猥なところに居させるつもりよ!」
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