第3話 イケメン男子は振り向かない(解決編)



「で、こうして生徒会の仕事を後回しにして部室に来てあげたけど、調査が終わったって本当でしょうね?」

 響谷先輩を偵察しに行った、その日の放課後。

 事前にメールで呼び出しておいたエリカ先輩からの問いに、ぼくははっきり「はい」と首肯した。

「それで、依頼者である東條先輩がここにいるのはわかるけども──」

 言いながら、エリカ先輩はいつものデスクで憮然と腕を組みながら、東條先輩と同じソファーに座っているとある人物に目を向けた。

「どうして、そこに響谷先輩までいるわけ?」

「あ、それ、ウチもさっきからずっと気になっていたんだけど……」

 隣に座る響谷先輩にちらちらと視線をやりながら、エリカ先輩の言葉に同意する東條先輩。想い人が間近にいるのだ。そういう反応をしてしまうのも無理はない。

「前もって連絡しておかなかったのは謝ります。本当にすみません」

 ソファーの横──つまり東條先輩たちから見て壁際に立つぼくは、小さく頭を下げた。

「でもこの件を解決するには、どうしても響谷先輩にこうして立ち会ってもらう必要があったんです」

「待って!」とそこで、東條先輩が突如ソファーから立ち上がって、怒声を発した。

「それって、ウチの依頼内容を響谷君に話すかもしれないってことでしょ? そんなの絶対に嫌よ!」

「でもここに響谷先輩がいないと、あとで色々困ることになると思いますよー?」

 ぼくの右隣に並ぶみずきちの言葉に、東條先輩は「どういう意味?」と怪訝に眉根を寄せた。

「依頼者の希望を叶えるには、この状況は必須ということだ」

「剛ちゃんの言う通りです」

 左隣に立つ剛ちゃんの言葉に頷きつつ、ぼくは話を進める。

「単に調査結果を報告することも可能ではありますが、それだけでは信じてはもらえないと思って、響谷先輩を呼ばせていただきました。ぼくたちの勝手な判断でこのような気まずい状況を作ってしまったのは申しわけないですが、少しだけぼくたちに付き合ってはもらえませんか? 絶対に悪いようにはしないと約束しますので」

「……まあ、そっちがそこまで言うのなら……」

 渋々と言った感じで、ソファーに座り直す東條先輩。

「あと、響谷先輩にとってもこれから都合の悪いことが起きるかもしれませんが、どうかぼくたちの話に最後まで付き合ってもらえませんか?」

「……なんだかよくわからないけど、なにか重要な話があって僕も呼ばれたんだよね?」

 横目で東條先輩の様子を窺いつつ、響谷先輩は続ける。

「いいよ。詳しい事情は知らないけれど、僕が関係していることなんでしょ? だったら最後まで付き合うよ。このまま帰る気にもなれないし」

ありがとうございます、と二人に頭を下げて、ぼくは「それで」と話を切り出した。

「再度東條先輩の依頼の確認をさせてもらいますが、響谷先輩に好きな人がいるかのどうかを確認してほしいという件で合っていますよね?」

「……っ! そ、そうよ!」

 一瞬だけ響谷先輩を見たあと、東條先輩は頬を赤らめてすぐさまそっぽを向いた。

「え? 僕の好きな人? なんで東條さんがそんなことを……」

 あ、そっか。二人は前に同じクラスになったことがあるだけで、特別親しい仲というわけじゃないんだっけ。だから響谷先輩も東條先輩の想いに気付いていないんだ。

 で、当の東條先輩はいうと、響谷先輩の問いに「そ、それは……」と言葉を濁したあとに、そのまま閉口してしまった。まだ自分から想いを告げる勇気はないというわけか。

 自分でセッティングしておいてなんだけど、ここまで来たらさっさと告白してもいいんじゃないかなと思うんだけどなあ。

 まあ、まだ調査結果を報告したわけではないし、それからでも遅くはないか。

「それで率直に結論を述べますと、響谷先輩に好きな人はいないと判断しました」

「ほ、ほんと!?」

 バッとさっきまで背けていた顔を僕の方へと戻して、東條先輩は驚き共にそう聞き返してきた。

 そうですよね? と響谷先輩に訊ねると、響谷先輩は「え? まあうん」と戸惑いがちに首肯した。

「そ、そっか……。あれ? でもだったら、どうして響谷くんは秋山さんのことを気にしていたの? 好きな人はいないのに……」

「それは恋愛感情とかではなくて、単に別のところに惹かれていただけなんですよ」

「……? どういうこと?」

 無言で響谷先輩の方を見る。そんなぼくの意図が伝わったのか、響谷先輩は困ったように眉を八の字にして、

「話していいよ。というか、君にはとっくに気付かれているみたいだしね」

 そう苦笑しながら言った響谷先輩に、ぼくは少しだけ罪悪感を覚えた。

 探偵をやっていると、どうしても他人の秘密を暴かなきゃいけない時がある。今がまさにその時なんだけど、こればっかりはどうにも慣れないなあ。響谷先輩から事前に了解をもらってはいるから、多少は気持ちも楽ではあるけれど。

「で、由太郎。結局響谷先輩は、秋山先輩のどこに惹かれていたのよ?」

 どうやらエリカ先輩も続きが気になっているようなので、ぼくも「今から説明します」と話を戻した。

「響谷先輩が恋愛感情以外で秋山先輩に惹かれていた理由……それは声です」

「「声?」」

 エリカ先輩と東條先輩が、揃って首を傾げた。

「はい。響谷先輩は秋山先輩が好きだったわけではなく、声が好きだったんですよ」

「はあ? 声が好きってどういうことよ?」

「ウチも、なにがなんだかよくわからないんだけど……」

 うーん。そこまで難しい話でもないんだけどなあ。エリカ先輩や東條先輩みたいなタイプの人には、想像しにくいのかもしれない。

「そこまで悩むようなことでもないだろ。オレみたいな熟女好きがいるように、声が好きな人間も世の中にはいるってだけの話だ」

 と、助け船を出してくれた剛ちゃんに、エリカ先輩は少し黙考して、

「……それってつまり、響谷先輩が声フェチだったって言いたいわけ?」

「声フェチとはまた違いますね。秋山先輩の声が好きと言うよりは、同じ声質を持った声優さん──さらに言うなら、その声優さんが演じているキャラが好きなんですよ。ちなみに檸檬れもんちゃんっていう銀髪碧眼のアイドルなんですが、今期アニメの中でもかなり人気のあるキャラクターだったりします」

「え。声優さん? キャラクター???」

「……もしかしてそれって──」

 頭に疑問符ばかり浮かべる東條先輩と違い、エリカ先輩だけはぼくの言わんとしていることがようやく理解できたようだった。

 当然だ。なぜならエリカ先輩は、ぼくのオタク話をよく聞かされているのだから。

 とどのつまり──


「響谷先輩は、オタクだったってこと……?」


 エリカ先輩の問いに、ぼくは「はい」と頷いた。

「ま、待って! 響谷くんがオタクだったなんて、ウチ初めて知ったんだけど!? 去年同じクラスだったけど、そういったアニメやマンガの話も一度聞いたことがないわよ!?」

「隠れオタクだったってことですよ。ですよね、響谷先輩?」

「うん。まあ……」

 ぼくの問いかけに、響谷先輩は気まずそうに目線を逸らしつつも肯定した。

「でも、どうして隠す必要なんてあったのよ? 由太郎みたいにオタク趣味を隠そうともしない奴もいるのに」

「今でこそオタク文化も、ぼくたちみたいな学生にもすっかり定着した感がありますけれど、それでもまだ偏見を持っている人は少なくありませんからね。だから響谷先輩も、あえてオタク趣味を隠していたんだと思いますよ」

「じゃあなんで、由太郎はオタク趣味を隠そうとしないのよ? 私はそこまで偏見を持っているわけじゃないけれど、毛嫌いしている人も多いんでしょ?」

「ぼくは恥ずかしい趣味とは思っていないので。むしろオタクである自分を誇らしく思っています。まったく、オタクは最高だぜ!」

「さすがに限度ってものがあるでしょうが! 人前でストラップに頬擦りするオタクなんて、犯罪者同然よ!」

 犯罪者って。エリカ先輩も大袈裟だなあ。もはやオタクが犯罪者予備軍呼ばわりされるような時代じゃないというのに。

「はあ……。せめてあんたも響谷先輩と同じくらいの謙虚さがあったら、もう少しまともな人間になれていたかもしれないのに……」

「え? ぼく、至ってまともな部類だと思いますけれど?」

「自覚がない時点で重傷なのよねえ。いえ、末期と言うべきかしら? たとえ医者に診てもらったとしても『死になさい』と匙を投げるレベルよ」

「それ、医者の方がぼくを殺しにかかって来ているように聞こえるんですけれど……」

 匙じゃなくて、メスの方をぼくに投げつけてない?

「って、そんなことは別にどうだっていいのよ。それより、どうやって響谷先輩がオタクだって気付いたのよ?」

「それは僕も聞きたいな」

 エリカ先輩の質問に乗っかる形で、響谷先輩が小さく挙手して声を発した。

「こっちはちゃんとオタク趣味を隠していたつもりだったからね。後学のためにもぜひとも教えてほしい。一体僕はどんな失態を犯してしまったのかな?」

「失態というほどのものではないと思いますけれど、最初に違和感を覚えたのは、響谷先輩の目線でしたね」

 目線? と小首を傾げる響谷先輩に、ぼくは「はい」と返事をして、

「東條先輩から聞かされた話では、響谷先輩は秋山先輩に恋をしている──そういった目をしていると言っていました。ですよね、秋山先輩?」

「え、ええ。その通りよ。ウチには恋をしている目にしか見えなかったもの」

 ちらちらと横にいる響谷先輩の様子を気にしつつ、秋山先輩は質問に答える。

「で、実際ぼくたちもその現場をたまたま目撃したんですが、秋山先輩が響谷先輩のそばを通り過ぎた時、ほんのチラッとしか見なかったんですよ」

「……? それが由太郎の言っていた違和感? 私にはどこが妙なのか全然わからないんだけど?」

「あっさりし過ぎていたんですよ。本当に秋山先輩のことが好きなら、もう少しくらい目で追ってもいいくらいなのに」

「いや、いくら好きな人でも露骨にジロジロ見たりはしないでしょ。周りの目だってあるでしょうし」

「それはエリカ先輩の言う通りです。けど、好きな人なんですよ? ぼくだったらジロジロとまではいかなくても、ちらちらと合間に目線をやったりはしますよ。ちょうど今の東條先輩みたいに」

「ふぁ!? ウ、ウチ!?」

 突然話を振られ、慌てふためく東條先輩。

「あー。確かにだれとは言わないけど、さっきからチラチラ見てるもんね~。まさに恋する乙女って感じ~」

「実にわかりやすい態度だ」

「う、うっさい! そんなことよりも、さっさと話を進めなさいよ!」

 顔を真っ赤にしてみずきちと剛ちゃんを怒鳴りつけたあと、東條先輩は「ふんっ」と鼻息荒くそっぽを向いた。

「で? 響谷先輩の態度が妙だったという点は認めなくもないけれど、それでどうして声の方に着目するようになったのよ? 私には単なる当てずっぽうにしか思えないわよ?」

「ああ。それはですね、部長のアドバイスを聞いて──」

「んん? 私、あんたにアドバイスなんて言ったっけ?」

 あ。しまった。またうっかり大場先輩のことを部長呼びしてしまった。

 とはいえ、ここで大場先輩の名前を出すのは色々とまずい。エリカ先輩も訝しそうにしているし、なんとかしなきゃ。

「こほん。えっと、とある人から『目を口ほどの物を言う』というアドバイスを聞きまして。それでもしかしたら、響谷先輩は目以外の部分で秋山先輩に意識を飛ばしていたんじゃないかなと考えたんです」

 口ほどの物を言うのは目だけに限った話じゃない。鼻や口、声色や眉など、相手の思考を読める部分はいくらでもある。今回はそれが響谷先輩の耳だったわけだ。

 耳というか、どちらかと言えば顔の向きで初めに違和感を持ったのだけれど、秋山先輩が通り過ぎた時、響谷先輩が一切顔の位置を変えようとしなかったのだ──まるで聞き逃したくないものがあると言わんばかりに。

 今にして思えば、あの時ぼくが違和感を抱いたのも、それまで級友と顔を合わせて談笑していたのに、秋山先輩が現れてからはずっと顔の向きが変わらなかったからなのだろう。

「なるほど。それで響谷先輩が秋山先輩の声に耳を澄ましていたと推理したわけね」

「はい。見た目に関してだけ言えば、秋山先輩に特徴的な部分もなかったので」

 まあ響谷先輩が地味好きという線もなきにしもあらずではあったけれど、ほんのちょっと一瞥して終わる程度なら、外見に惹かれているという可能性は低いと踏んだのだ。

「けど、声に特徴があるのなら、他の人がもっと噂しているものなんじゃないの? 私みたいにアニメに詳しくない人だったら、秋山先輩の声を聞いたとしてもピンとは来ないかもしれないけれど」

「確かに檸檬ちゃんそっくりの声ではありますが、檸檬ちゃん自体、すごく特徴的な声をしているわけではないので、ぼくみたいに声優さんにも詳しい筋金入りのオタクでもない限り、なかなか気付けないと思いますよ」

「なるほどね……。だからそれほど注目を浴びなかったってわけか」

「ですね。秋山先輩も内向的というか、日頃から口数の多い人には見えなかったので、それで周りの人に言及されなかったせいもありそうですが」

 付け加えるなら、檸檬ちゃん役を演じている声優さんはまだデビューしたばかりで、そこまでオタク界隈に浸透しているというわけではないという要因もあったりするけども。

「でも隠れオタクだったと確信を得たのは、秋山先輩の声を聞いた時ではなくて、響谷先輩にぼくのストラップを拾ってもらった時ですかね」

「ストラップ? それって由太郎がいつもスマホに付けているオタクグッズの?」

「はい。響谷先輩の様子を遠くから観察していた時に、うっかりこのストラップを落としてしまいまして」

 言いながら、ぼくはスマホを取り出してストラップを掲げて見せた。

「それで通りがかった響谷先輩に拾ってもらったんですが、その時響谷先輩に『可愛いね、その子』と言ったんですよ」

「? それがどうしたのよ? まあ私にはどこが良いのか全然わからないけれど」

「ではエリカ先輩、このストラップを見てどう思います?」

「どうって言われても、アニメのキャラが描かれているストラップとしか……」

「質問を変えます。このキャラの年齢っていくつくらいに見えます?」

「いくつって、私はアニメとか詳しくないからわからないけど、たぶん二十歳過ぎくらい……」

 そこまで言って、エリカ先輩は「あっ」と小さく声を漏らした。

「響谷先輩の言い方がおかしい……?」

「正解です」

 そうなのだ。普通、年上に見える人に対して「その子」なんて不自然な言い方はしない。

 特に日本人は年功序列という言葉があるほど年齢を重く捉える傾向がある。なので、たとえそれがアニメやマンガのキャラだとしても、年上を指す言い方として「その子」なんて言葉を使うはずがないのである。

「でも、どうして響谷先輩は『その子』なんて言ったのよ? どう見ても成人しているようにしか見えないでしょ?」

「それは、響先輩がこの子の年齢を──蜜柑さんの公式設定を知っていたからですよ」

 ですよね? と響谷先輩に視線を向けると、当の本人は観念したように肩を竦めて、嘆息混じりに「そうだよ」と言葉を返した。

「僕の好きな『アイドルライブ!』に出てくるキャラだからね。年齢くらい知っていて当たり前さ」

「『アイドルライブ!』って、前に由太郎が話していたアニメの?」

「ええ。響谷先輩もぼくと同じアイライバーだったんですよ」

「え? ア、アイ……なに?」

「アイライバー。熱烈なアイドルライブファンの呼称です」

「響谷先輩がそのアイなんとかっていうのはわかったけれど……それで結局どういうことなのよ? とりあえず、その蜜柑っていうキャラが私たちより年下だったってことで合っているのよね?」

「はい。実はこの蜜柑さんなんですが、公式設定ではまだ十四歳の現役女子中学生アイドルなんです」

「ちゅ、中学生!? これで!?」

 エリカ先輩が驚くのも無理はない。本当にパッと見はグラマラスな大人の女性にしか見えないのだから。

 けど蜜柑さんが中学生というのは『アイドルライブ!』のアニメ内でも言及されているし、公式サイトのプロフィール欄でもきっちり記載されている。つまりれっきとした正真正銘の女子中学生なのである。

 これはアニメやマンガならではの描写とも言えなくもないけれど、大人にしか見えない中学生なんて実際にいたりもするし、そう現実味のない話でもない。

「で、でもあんた、いつも『さん』付けしてるじゃない。年下ならそんな言い方はしないはずでしょ?」

「ああ。これはファンの間だけの呼び名というか、愛称みたいなものなんですよ。蜜柑さんって基本ツンデレで口調も強めだったりするんで、それで親しみを込めて『さん』付けしている人がいるんです」

 中には普通に「ちゃん」付けや、そのまま呼び捨てする人もいるけど、ぼくは断然「さん」付けをする派だ。

 だって蜜柑さん、めちゃくちゃぼく好みでラブリーなんだもん。ファンとしては愛称で呼びたくなるよね。ていうかそれ以外の選択肢などあるわけがない!

「待ちなさいよ。だったら、どうして響谷先輩は『その子』なんて言い方したのよ? 響谷先輩は隠れオタクなんでしょ? それなのに自分からオタクだって気付かせるような真似をするなんて、どう考えても変でしょ。別に『それ』とかでもよかったはずだし」

「それは響谷先輩がオタクだからですよ。熱烈なアイライバーだったから、好きな作品に出てくるキャラを物扱いしたくなかったんです」

 同じオタクだからこそわかる。好きなキャラを物みたいには扱えないよね。ぼくらオタクにしてみればタブーもいいところだ。

「すごいね。そこまでわかっていたなんて……」

 と、そこまで説明したところで、響谷先輩が感嘆とも諦観ともつかない嘆息をこぼして言った。

「さすがは恋愛探偵部といったところなのかな。最近は変な噂も聞くけれど、正直ここまでお見通しだったなんて思わなかったよ」

「ま、まあねっ。これくらいは当然よ」

 予想外に恋部のことを褒められて、いらぬ見栄を張るエリカ先輩。今回、エリカ先輩はなにもしてないんだけどなあ。可愛いから別にいいけれどさ。

「……えっと、つまりこういうことでいいの?」

 と途中から黙り込んでいた東條先輩が、ぼくの推理を聞いて戸惑いがちに疑問を発した。

「響谷くんは単にオタクだっただけで、秋山さんのことをたまに気にしていたのも、好きなアニメのキャラと声が同じなだけだったってこと……?」

「まあ、噛み砕いて言うとそうなりますね」

「そっか。そうなんだ……」

 ぼくの返答を聞いて、嬉しそうに頷きを繰り返す東條先輩。実にわかりやすい人だ。

 はてさて、これで依頼は完遂したようなものなんだけど、実はここからが問題だったりするんだよなあ。

二人の将来を考えたら、最後まで話すべきなのかもしれないけど、これ以上は余計なお世話になるかもしれないし、一体どうしたものか……。

「鹿騨くん、だっけ? これでこの話はおしまいなのかな?」

 不意に投げられた響谷先輩の問いかけに、一旦思案を中断して「あ、はい。まあ」とぎこちなく首肯した。

「本当に? 本当になにもないのかな?」

「…………!」

 再度繰り返されたその質問に、ぼくは思わず目を見開いた。

 もしかして響谷先輩、ぼくの逡巡を見抜いて……?

「──ユタ。もう響谷先輩も気付いているみたいだし、ちゃんと最後まで話した方がいいんじゃない?」

「オレも同じ意見だ。昨日、お前の推理を最後まで聞かせてもらったが、依頼者のことを考えるのなら、きちんと肝心なところまで明かすべきだ。それが依頼内容を超える行為だったとしてもな」

「みずきち。剛ちゃん……」

 親友二人に説得されて、ぼくはようやく決心が固まった。

 うん。これで終わりにしたら、響谷先輩のためにも東條先輩のためにもならないもんね。

結果的に、それで東條先輩を悲しませることになったとしても……。

「え? これで終わりなんじゃないの? まだなにかあったりするの?」

「ウチも、なにがなんだがよくわからないんだけど……」

 この状況の最中、まだなにもわかっていないエリカ先輩と東條先輩が、当惑したように疑問を口にする。

 そんな二人に対し、ぼくはしっかり頷きを返して、

「はい。実はまだ、話したいことが残っています」

「なによ。勿体ぶってないでさっさと言いなさいよ」

「わかりました。では東條先輩」視線をエリカ先輩から東條先輩へと移して、ぼくは顔を引き締めた。「単刀直入に訊きます。東條先輩は響谷先輩のことが好きなんですよね?」

「ちょっと!? いきなりなにを──」

「正直に答えてください。たぶん、響谷先輩も望んでいることですから」

「えっ。響谷くんが……?」

 ぼくの言葉に驚いて、東條先輩が弾かれたように横に座る響谷先輩の方を振り向いた。

「うん。なんとなくわかったんだ──僕がここに呼ばれた理由が。だから、ここでちゃんと言ってほしいな。ちゃんと君の想いを受け止めたいから」

「響谷くん……」ぎゅっとスカートの裾を掴む東條先輩。

 そうして、しばらく思い悩むように視線を彷徨わせたあと、覚悟が決まったようにその場で東條先輩は立ち上がって、まっすぐ響谷先輩と顔を合わせた。

「ウチは谷響くんのことが好き。去年同じクラスだった時からずっと大好きだった……」

「…………ありがとう、東條さん」

 東條先輩の告白を噛みしめるように瞑目して、感謝の気持ちを伝える響谷先輩。

 けどすぐそのあと、申しわけなさそうに笑みを翳らせて、言葉を紡いだ。

「でも、ごめん。僕は君と恋人にはなれない」

「ど、どうして!? やっぱり他に好きな人がいるの? それとも、ウチなんかじゃ満足できない……?」

「そうじゃない。そうじゃないんだよ……」

 悲痛に訴える東條先輩に、響谷先輩は心底困ったように声のトーンを落として首を振る。

 そして、助けを求めるようにこっちへと目線を寄越した響谷先輩に、ぼくはその意図を組んで口火を切った。

「東條先輩。別に響谷先輩は、好きな人がいるわけでも、東條先輩がダメというわけではありませんよ」

「……? どういうこと?」

 みんなの視線が集中する中、ぼくは一呼吸置いたのち、一息に告げた。


「響谷先輩がだれとも付き合わない理由──それは、響谷先輩が二次元の女の子にしか興味が持てないガチのオタクだからなんです!」


「「……………………………………………………、は?」」

 しばしの沈黙のあと、エリカ先輩と東條先輩が、揃って口をポカンと開いた。

 まるで、なにを言われたのかわからないとばかりに。

「に、二次元……?」

 と、先に忘我から返ったのはエリカ先輩の方だった。

「二次元の女の子ってどういう意味よ? まるで意味がわからないわよ?」

 あ、そこから説明しなきゃいけない感じ? てっきり衝撃の事実を聞かされて放心しているのかと思った。

「言葉通りの意味ですよ。二次元の女の子、つまりマンガやアニメといった創作に出てくる女性キャラのことです」

「そこまではわかるわよ。そうじゃなくて、アニメやマンガのキャラにしか恋愛感情が持てないなんて、本当にあり得るのかって話よ」

「あ、そういう意味でしたか」

 でも言われてみれば、エリカ先輩や東條先輩みたいなオタク気質の一切ないタイプにとっては、想像しにくいことなのかも。

「う~ん。ぼくたちオタクからしたら、別段珍しいことでもないんですけれどね。実際近年でも、とある二次元の女の子と結婚した例があるくらいですし」

「結婚!? 冗談でしょう!?」

「本当ですよ。結婚式まで挙げて、ネットでも話題になったくらいですから」

 まあそのネットでも、色々と賛否両論あったみたいだけれど。

 ちなみにこれは男に限った話じゃない。女性の方だってソロウエディングといって、推しのキャラの人形と一緒にドレス姿で写真を撮影してもらう人だって現実に存在していたりする。むろん、値段は相応に張るようだけど。

「なので、二次元のキャラに恋すること自体は、わりとよくある話なんです。エリカ先輩みたいな人にとっては、全然理解できない世界かもしれませんけれどね」

「そうね……。私にはきっと永遠にわからない世界だわ……」

 言って、頭痛を抑えるように眉間を揉むエリカ先輩。

「…………えっと、まだ思考が追いつかないんだけど……」

 と、それまで呆気に取られていた東條先輩が、困惑を露わにして声を発した。

「……つまり響谷くんは現実の女の子に興味がなくて、ウチのことも単に恋愛対象として見れないから、告白を断ったってこと?」

「まあ、そうなりますね」

「そ、そんなことって……」

 ぼくの首肯に、東條先輩は全身の力が抜けきったように、へなへなとその場でへたり込んだ。

 あー。やっぱりこうなってしまったか。なんとなくこうなるんじゃないかとは思っていたんだよなあ。仕方がないとはいえ、ちょっと気の毒かも。

「……由太郎。あんた、いつから響谷先輩が二次元の女の子にしか興味がないって気付いていたのよ? 少なくとも、私たちを部室に呼んだ時にはすでに勘付いていたわよね?」

「ええまあ。気付いたのは響谷先輩がオタクだと確信を得てからですけれど、みずきちからの情報で中学生時代から彼女がいなかったと聞いて、もしやと思いまして」

 だから東條先輩にこの話をするのも、正直渋ったのだ。

 話したら最後、東條先輩の恋が好きな人の前で終わるのは確実だったから。

「でも、所詮は二次元でしょ? その内飽きて、現実の女の子にも興味を持つようになるんじゃないの?」

「そういったケースも確かにありますけど……」呆れたように頬杖を突きながら言うエリカ先輩に、ぼくは苦笑を浮かべつつ、試しに響先輩に問いかけてみる。

「響谷先輩、今はどんな子は好きなんですか? やっぱりアイドルライブの中でもダントツに人気のある檸檬ちゃんですか?」

「よくぞ聞いてくれたね!」

 ぼくの質問に、響谷先輩はまるで水を得た魚のように瞳をキラキラさせながら答えた。

「君も知っての通り、僕は生粋のアイライバーでね! 確かに檸檬ちゃんも好きだけれど、僕の中では二番目なんだ。僕が一番推しているのは林檎りんごちゃん! 本当に林檎ちゃんが大大大好きなんだ! 激推しなんだよ! いつでもどこでも元気で、どんな苦境の中でも笑顔を絶やさない芯の強い子で、メンバー中でも一番仲間想いで、でもちょっぴり寂しがりやな一面もあって……そんな林檎ちゃんが可愛くて愛おしくてたまらないんだっ!」

「──だ、そうですエリカ先輩」

「……うん。わかった。当分飽きることはないっていうのは、今の熱弁でイヤというほどよくわかったわ……」

 はあ~、と長い溜め息を吐いてうなだれるエリカ先輩。そんなに残念な反応だったのだろうか?

「ていうか、結局また変態な結末だったじゃない! どうしてこうもくだらない結末になるようなものばかり依頼を受けるのよ!?」

「そう言われても……。ぼくもこうなるとわかった上で依頼を受けたわけでは……」

「そうだよ。くだらないことなんて一つもない」

 と、ぼくとエリカ先輩の会話に、響谷先輩が脈絡なく遮ってきた。

 それも、がっちり熱烈にぼくの手を掴んで。

「今回の一件で、僕はとても素敵な人と巡り会えることができた。こんなに胸が打ち震えるような感覚は久々だよ」

「えっ。なになに? 現実の女の子には興味がないとか言っていたけど、現実の男の子には興味はあったってこと!? きゃー! きゃー!」

 いや『きゃー』って。ずいぶん盛り上がっているみたいだけど、もしかしてエリカ先輩、以外とBLが好きなタイプ? てっきりそういった趣味ないと思っていたのに……。

 しかし残念ながら、どうやら期待に添えることはできなさそうだ。

 だって響谷先輩は──

「まさか、こうして同じアイライバーに出会えるとは思っていなかったよ! 僕のクラスにも『アイドルライブ!』が好きな人はいるけど、この学園で君ほど熱心なアイライバーに出会えたのは初めてだ!!」

「響谷先輩……」

 興奮気味にまくし立てる響先輩に、ぼくも掴まれている手を握り返して、まっすぐ視線を合わせた。

「ぼくも、響谷先輩ほどのアイライバーに出会えて、とても嬉しく思っています。よかったら連絡先を交換しましょう!」

「もちろん! 早速交換しよう!」

 言いながら、嬉々としてスマホを取り出すぼくと響谷先輩。

 そんなぼくらを見て、みずきちと剛ちゃんが良かったと言わんばかりに口許を綻ばせる中、エリカ先輩だけは心底呆れたようにジト目になって、

「ダメだこりゃ……」

 と、コントのオチみたいなことを呟いて頭を抱えた。


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