第7話 明かされる真実


 はてさて。

 輝となんやかんやあった末、結果的にはふりだしに戻った形になったわけだが。

「やること、以前となにも変わらないままなんだよなあ」

 だれもいない廊下を一人で歩きながら、僕は溜め息混じりに呟く。

 なにも変わらないというか、やることなんてせいぜい昼休みにみんなで集まって昼飯を共にすることくらいしかないのだが、こんなやり方のままで関係が進展するとは到底思えない。

 というより、だれが僕を好きなのかを探るために今まで宮永さんたちと接触したわけではあるが、よくよく考えてみると、エスパーでもないのに相手の気持ちを知ることなんて不可能に近い。

 これが経験豊富な人間なら、雰囲気などで察することもできるのかもしれないが、いかんせん僕に恋愛経験なんて微塵もない。

 とどのつまり、宮永さんたちの気持ちを確認しようと思ったら、直接訪ねるしか方法はないのだ。

 なので、いっそのこと三人全員に僕への恋心があるかどうかをひと思いに訊いてみるのも一つの手かもしれないとも考えたが、せっかく宮永さんたちとお近付きになれたのに、それをぶち壊すかもしれないと思うと、なかなか決断できそうになかった。

 それに、宮永さんのこともある。

 昔みたいにとまでは言えなくても、お互いに笑って話せるくらいの仲にまで戻れたのだ──それがまた気まずい関係になってしまうかもしれないと思うと、藤堂さんや御園さん以上に話を切り出す気にはなれなかった。

 怖いのだ。勇気を振り絞って、相手の心の内に踏み入れるのが。

 家族と輝以外にそんなことをした経験なんて、一度もないから。

「最初は、そこまで気にしなかったんだけどなあ」

 輝からこの話を聞いた時は、ただ浮かれているばかりだったし。

 こんな陰キャな僕にも、ようやく彼女ができるかもしれないって。

「うーん。どうしたもんか……」

 輝に頑張ると言った手前、今さらやめるなんて選択肢はないし、このままの関係をずるずる続けるつもりも毛頭ないけど、なにぶん考えが一向にまとまらない。

 今まで全然恋愛に目を向けなかったせいもあって──自分みたいな根暗には縁のない話だと鼻から諦めてなにも努力してこなかった弊害がこんな形で現れるとは。

「こんな時、恋愛経験豊富な知り合いがいてくれていたらなあ。もしくはギャルゲーみたいに好感度が可視化できる能力でもあれば、なんとかなったのに」

 と。

 まるで良い案が思い付かず、ついにはありえない妄想まで始めた、そんな時だった。


「──茂木くん」


 背後から唐突に聞こえてきた、耳馴染みのある声。

 振り返るとそこに、窓辺に差し込む夕日に照らされながら、一人静かに佇む宮永さんの姿があった。

「あれ? 宮永さん? もう帰ったはずじゃなかったの?」

「うん。ちょっとね」

 言いながら、僕の方へと歩み寄る宮永さん。

 やがて僕の前まで来て、宮永さんはにこりとたおやかに微笑んだ。

 そんな宮永さんの様子に、僕は「ん?」と眉をひそめる。

 なんだろう、この違和感。

 なんとなくいつもの宮永さんっぽくないというか、そこはかとなく艶っぽい雰囲気が漂っているというか。

 宮永さんって、こんな大人っぽい表情を見せる人だったっけ……?

「茂木くん、どうかした? なんか急に固まっちゃったけど」

「あ、いや──」

 いけない。つい妖艶な雰囲気に呑まれてぼんやりとしてしまった。さっさと応えないと、変に思われてしまう。

「こんな遅い時間に学校の廊下で宮永さんと鉢合わせするとは思わなかったからさ。僕はちょっと用事があって学校に残っていたんだけど、宮永さんもそう?」

 僕の問いに、宮永さんは笑顔で頷いて、

「用があるのは、茂木くんの方なんだけどね」

「え? 僕?」

「うん。茂木くんが屋上から出てくるのをずっと待ってたんだ」

「お、屋上から出てくるのを……?」

 どうして宮永さんがそのことを知っているんだ? 僕と輝が屋上に行くところをどこかで見かけたのだろうか?

 いや、問題はそこじゃない。

 もしかしたら、屋上での会話を聞かれた可能性がある。

 輝が僕を好きかもしれないと誤解していた件を。

 うわあああ! いやだああああ! ただでさえ僕のワキガ疑惑が発覚しただけでもショックがでかいのにいい! それも聞かれていたかもしれないなんてえええええ!

「も、茂木くん? 突然どうしたの? いきなり頭を抱え込んでしゃがんだりして……」

「……な、なんでもない。羞恥心と自己嫌悪で消えてしまいたくなっただけで……」

「それ、なんでもないようには思えないんだけど……」

 本当になんでもないからと力なく応えて、僕は緩慢に立ち上がる。

「……で、僕に用事ってなに? こんな時間まで待つくらいだから、けっこう重要な話と思っていいんだよね?」

 なんでわざわざ僕が一人になるまで待ったのかはわからないけども。

 もしかして、輝には聞かせられない話とか?

「うん。大事な話だよ。とても大事な話」

 そう首肯して、宮永さんはくるりと可憐に踵を返して言った。

「だから茂木くん。茂木くんと二人きりで話がしたいから、屋上まで付いて来てもらってもいいかな?」



 そんなわけで。

 宮永さんに連れられて、再度屋上に戻ってきたわけではあるが、僕たち以外に人はだれもいなかった。

 ついさっき輝といた時もだれもいなかったのだから、わざわざ描写する必要もない当然の事柄ではあるのだが、前回と違って今回は宮永さんと二人きりというのもあってか、かなり緊張しているのだ。

余計な説明をしてしまうくらいには。

 いやだって、魅力的な女の子と学校の屋上で二人きりなんてシチュエーションで、緊張しない方が無理ってなもんでしょ。宮永さんと二人きりになったこと自体は遊園地デートの帰りに一度だけあるけど、その時とは雰囲気が違う。

 いかにも告白イベントが起きそうというか、こんなムードたっぷりの場所にいたら嫌でも妄想が捗ってしまう。ドキがムネムネしちゃう!

「わー。屋上はやっぱり涼しいね~」

 と。

 人知れずあれこれ妄想を膨らませていた中、宮永さんはおもむろにフェンスのそばまで歩んで言った。

「夕日もだいぶ沈んじゃったから、そのせいもあるのかな。風もちょうどいいくらいの強さだし、扇風機いらずだね~」

 「そ、そうだね」とぎこちなく相槌を打ちつつ、僕も宮永さんの横まで進む。

 そうして、しばらく互いに外の風景を眺める。

 フェンス越しに下を覗き込んでみると、吹奏楽部が楽器を運びながら移動している最中だった。もしかしたら部室に戻ろうとしているのかもしれない。他に生徒の姿は見当たらないので、だいたいは下校したか、どこか別のところで部活に精を出しているかのどちらかなのだろう。

 顔を上げて町並みへと視線を向けると、あちこちの家屋で照明が点き始めていた。まだ若干明るいが、室内だとけっこう暗いのかもしれない。

 茜色から徐々に薄闇へと染まりつつある空には、帰巣本能からか、カラスやスズメといった鳥が群れを作りながら遠い森や林に向かって飛び去ろうとしていた。

「ねえ、茂木くん」

 不意に声をかけられ、一瞬びくっと驚きつつ、僕は横目で宮永さんを見やる。

「茂木くんは、この町って好き?」

 唐突な質問だった。戸惑いを覚えつつも「えっと、まあ、どっちかと言ったら好きな方かも……?」と曖昧に答える。

「なんか、微妙だね」

「……ごめん。改めて問われると気恥ずかしいというか、今までちゃんと考えたこともない質問だったから上手く答えられなくて。家族が好きかどうかを訊ねられるよりはまだマシなんだけどさ」

「そこはちゃんと好きって言ってあげなよ~。それとも家族仲が悪いの?」

「いや、そんなことないよ。すき焼きの中に入っているネギくらいには嫌いじゃない」

「人によっては好き嫌いがはっきり分かれそうな例え方だね……」

 ていうか、その比喩はわかりづらいよと苦笑する宮永さん。あれ? 絶妙な答え方をしたはずなんだけどな……。

「……なんていうか、改めてさっきの質問にちゃんと答えるとするなら、まあまあ好きな方だよ。田舎だけどなんだかんだ言って住みやすい方だし」

 交通機関は色々と不便な面もあるけど。

 そう一言付け加えた僕に、宮永さんは「田舎だからねー」と苦笑して、

「でも『好き』っていう点だけはあたしと同じだねー。その田舎特有のほのぼのとした感じが好きっていうか、のびのびとできて居心地がいいんだよね~」

「あー。なんとなくわかるかも。都会って息が詰まりそうだもんね」

 主に人間関係で。

「そうそう。あたしは生まれてからずっとこの町に住んでいるけど、お父さんとお母さんは元々都会に住んでたみたいで、仕事の関係でこの町に来たみたい。お父さんとお母さんが出会ったのも、この町なんだよ。それでお父さんとお母さんも恋に落ちて、同棲するようになるんだけど、二人共、都会から離れてこの町に住もうって前々から考えていたんだって。どうしてだと思う?」

「どうしてって言われても……」

 宮永さんのご両親とは幼少の頃に会ったきりだし、そもそも他人の引っ越し事情なんてわかるはずもない。

「えへへ。それもそうだよねー」

 そう照れたように頬を赤らめて微笑をこぼしたあと、宮永さんはもうじき完全に沈もうとしている夕日に目を向けながら言った。

「でも、あたしにとってはすごくロマンチックに思えたんだー。小さい頃にその時の話を聞いて、この町で生まれてよかったって思えるくらい」

「へー。そう言われると、なおさらどんな理由だったのか気になるなあ」

「聞きたい? お父さんとお母さんがこの町を選んだ理由」

 悪戯っぽく微笑む宮永さんに、差し支えなければと僕は答える。

「お父さんとお母さんがこの町に住もうって思った理由はね、いつか生まれてくる子供にも素敵な出会いがこの町であるかもしれないからだって」

「素敵な出会い……」

「ね? すごくロマンチックでしょ?」

「まあ、そうだね」

 ちょっと夢見る乙女みたいな理由で、聞いてるこっちが気恥ずかしい気分になるけれども。

「この話を小さい頃に聞いた時、あたし、決めたんだー。いつかこの町で好きな人ができて、その人の間に子供ができた時、その子供にも同じようにこの町で運命の人と出会ってほしいなって」

 そうして、あたしは茂木くんに出会えた。

 言って、宮永さんは僕を見つめた。

 そのまっすぐな瞳に、僕は思考が追い付かず首を傾げる。

「……えっと、どういう意味なのかな? 素敵な夢だと思うけど、それと僕となんの関係があるの?」

「相変わらず鈍いなあ、茂木くんは……」

 意図が汲めずに当惑する僕に、宮永さんはやれやれと言わんばかりに苦笑した。

 そして決意を固めるように何度か深呼吸を繰り返したあと、宮永さんは真剣な面持ちになって言葉を発した。


「あたしは、茂木くんのことが好きです」


 その時、一陣の風が吹いた。

 夕方になって暑さが和らいだその風は、宮永さんの後ろ髪をさらって可憐になびかせる。

 そんな青春ドラマのワンシーンのような姿を、僕はただ陶然と眺めていた。

「……あの、茂木くん? さすがになにも反応がないのはきついかも……」

「あっ、ごめんっ」

 慌てて謝る僕。

 さっきの告白で、すっかり頭の中が真っ白になっていた。

 期待しなかったわけじゃない。現にちょっと前まで、告白されるんじゃないかと胸をときめかせてもいた。

 ただそれはあくまでも夢を語るような話で、現実に目の前で起きるとまでは思っていなかった。

 未だに信じられない。今日までずっと探し求めていた相手が、まさか宮永さんだったなんて。

 僕のことが好きだったなんて。

 輝から聞かされてはいたけど、本当に僕なんかを好きでいてくれている子がいてくれていたんだなあ。

 とはいえ、まだ疑問が残っている。

「──宮永さん、返事をする前に、一つだけ訊かせてもらってもいいかな?」

「うん。なに?」

 緊張しているのか、少し強張った笑みで聞き返す宮永さんに、僕は質問を続ける。

「どうして僕なの? 他に良い男なんていくらでもいるのにさ」

 たとえば、輝なんてまさにそうだ。

 親友の目から見ても、ラッキースケベさえなければ非の打ちどころのない男なのに。

 と、そこまで言った僕に、宮永さんは少し困ったように微苦笑して、

「うーん。確かに輝ちゃんはすごく良い人だと思うよ? カッコいいし明るいし、運動神経も良くてリーダーシップもあるから、贔屓目なしに言っても本当に魅力的だと思う」

 ……うん。わかってはいたけど、僕とは比べものにならないくらいのハイスペックだな。むしろ比べるのもおこがましいと言うね。自分で言っていてへこんできたぜ……。

 ていうか、ここまで褒め言葉の羅列を聞かされたら、実は輝の方が好きなんじゃないかという気がしてならないのだが。

 え、もしかして妥協して僕とか? 輝は倍率高そうだから、あえて底辺の僕を選んだとか? 自分で言うのもなんだけど、その選択はお先真っ暗ですぜ?

「だったら、なおさらなんで? 小さい頃から一緒にいたんだから、どっちがいいかなんて自明の理でしょ? 輝に勝てる要素なんて、僕にはなに一つしてないよ」

「そんなことないよ。さっきも言ったけど良い人だと思うよ? でもそれは友達という意味で言っているだけで、恋愛感情は一切ないから」

 ただの仲のいい幼なじみだよ。

 そこまで言い切った宮永さんに、僕は「そ、そっか」と頷くしかなかった。

「それに茂木くんだって良いところはたくさんあるよ?」

「良いところ……? そんなのあったっけ……?」

「んもう。茂木くんはどうしてそう卑屈なのかな~」

 と、少し不服そうに口を尖らせる宮永さん。可愛い。

「仕方がないから、あたし直々に茂木くんの良いところを教えてあげるね」

「え。あ、はい。お願い申し上げます?」

 可愛いらしくウインクする宮永さんに、思わず変な敬語で頭を下げる僕。

「じゃあ教えます。茂木くんの良いとこはね──」

 言って、宮永さんは数歩だけ前に進んで、僕の鼻先に人差し指を立てた。

「とっても、優しいところだよ」

 と、まるで幼稚園の時の先生みたいに温和な笑みを浮かべていう宮永さんに、僕は目をしばたたかせた。

 そうして僕の脳裏に遊園地デートの帰りの光景がふと浮かんできた。

 確かあの時も、宮永さんは僕のことを「優しい」って言っていた気がする。

 けどあれは僕がたまたま迷子を見つけただけの話であって、宮永さん個人になにかした覚えは一切ない。

 優しくした覚えのない相手にそういった評価をされるのは、違和感が拭えないというか、なんとなく据わりが悪かった。

 それとも単に記憶がないだけで、宮永さんの窮地を救ったことでもあるのだろうか?

「う~ん……?」

 瞑目して記憶を探ってみるも、やはり心当たりはこれと言ってない。

 え~? マジでわかんないんですけど。一体どういうことなんだってばよ?

 なんて頭に疑問符を浮かべていたせいか、宮永さんは少し残念そうに眉尻を下げて、

「ほんと、茂木くんは昔から自己評価が低いね。そういうのも茂木くんの好きなところではあるけれど、もうちょっと自信を持ってみてもいいんじゃないかな~」

「あ、はい。ありがとうございます。すみません……」

 好意的な言葉を使いつつさりげなくアドバイスを送るという宮永さんの高等テクニックに、ついお礼と謝罪を一緒に口にするというよくわからない返事をしてしまった。日本人あるあるですな。

「けど、なんかしっくり来なくてさ。優しいなんて言葉、僕には似合わないと思う」

「んー。茂木くんは覚えてないかな? 小学生の頃、あたしが迷子になった時のこと」

「ああ、遠足の時の? それなら覚えているけど、でも僕、あの時なにもしなかったはずだよ?」

 なにもしなかったというか、迷子になった宮永さんを探しに行きはしたけど途中で転んで離脱してしまったと言った方が適切か。

「というより、あの時宮永さんを助けたのは輝の方だよね? だから優しいなんて言われる覚えは一切ないよ」

「そんなことないよ。絶対そんなことない」

 僕の言葉に、宮永さんははっきりとした口調で否定した。

 まるで感謝の念の伝えるように、僕の両手をそっと包み込むように握って。

「み、宮永さん……?」

「あの時……迷子になったあたしを輝ちゃんが見つけてくれた時、あとで教えてもらったんだー。茂木くんだったんでしょ? 最初にあたしを見つけてくれたのは」

 その問いかけに、僕は宮永さんに手を握られてどぎまぎしていたことすら忘れて固まった。

「それであたしに駆け寄ろうとして転んじゃったから、元の道にいったん戻って輝ちゃんに行ってもらったって話だけど、でもあれ、本当は嘘だったんでしょ?」

「なんで、そんなことまで……」

「あ、もしかして当たりだった? これは輝ちゃんの推理だったんだけどね」

 でもその様子だと本当だったみたいだね~。

 そう微笑する宮永さんに、僕は二の句が継げずにいた。

 確かに、途中で転んでリタイアしたという話は嘘だ。

 だって僕が助けに行くよりも、輝が行った方が宮永さんも喜ぶと思ったから。

「茂木くん、訊いていいかな? どうしてあの時、わざわざ輝ちゃんを呼び戻したりしたの? あのまま茂木くんがあたしを助けてくれてもよかったはずなのに」

「それは……」

「ひょっとして、幼稚園の頃にあたしが輝ちゃんと結婚したいって茂木くんに話したことがあったから?」

 またしても当たりだった。もはやぐうの音も出ない。

「やっぱり。なんとなくそうなんじゃないかなって思ってたんだー」

「……それも輝から?」

「半分はね。あとで輝ちゃんに『もしかしたら太助は、そらのために嘘をついたのかもしれない』って聞いて、あたしなりに思い返してみたの。もしも茂木くんがあたしのために嘘をついたんだとしたら、それしかないかなって」

「そっか……」

 ていうか輝の奴、余計なことを。黙ってさえいれば、宮永さんと恋人同士になっていた未来もあったかもしれないっていうのに。バカな奴だなあ。

 まあ、そういう意味では僕も同罪かもしれないけどさ。

 余計なお節介を焼いたのは僕だって同じだし。

「うわー、すげえ恥ずかしい……。こんな形でバレると思っていなかったというのもあるけど、よかれと思ってやったことが全然意味のないことだったなんてさ……」

「意味ならちゃんとあったよ」

 ぎゅっと僕の手を握る力を強めて、宮永さんは言う。

「だってあのことがなかったら、こうして茂木くんを好きになることもなかったもの」

「え……? もしかしてあの時からずっと僕のことを……?」

「うん。好きだった。あの遠足の時からずっと……」

 頬をほんのりと染めて告白する宮永さん。そんな宮永さんの姿に、僕の心臓ははち切れそうなほど鼓動を打っていた。

「本当はね、もっと早くに好きって伝えるつもりだったの。でも茂木くんの顔を見ていたら緊張してなにも言えなくなっちゃって……」

 言われてふと思い出した。

 宮永さんが僕にそっけない態度を取るようになったのも、そういえばあの遠足の日からだったということを。

「だから僕と会う時、いつもよそよそしい反応だったのか……」

「……ごめんなさい。あたし、態度悪かったよね?」

「ううん。別に気にしてないから」

 嘘だけど。

 本当はちょっぴり傷付いたりもしたけれど。

 だがこうでも言わないと、宮永さんは絶対気に病む。それは僕としても本意じゃない。

「自分でもね、このままなのはよくないって悩んでいたんだけど、どうしても茂木くんに話しかける勇気が持てなくて……。それで輝ちゃんに相談してみたら『だったらおれを緩衝材として使えばいいよ。おれが間に入れば、太助と普通に話せるようになるかもしれないし』って言ってくれて……」

「あー。それでよくと輝と一緒にいるように……」

 輝からなんとなく事情は聞いていたが、そんな経緯があったとは。

「だ、だからね? さっきも言ったけど別に輝ちゃんのことが好きってわけじゃないからね? 勘違いしないでね?」

「ああ、うん。そこはちゃんと理解してるから大丈夫」

 照れ隠しにしては、ちょっと輝へのスキンシップが過剰な気もするけど。

「でもそのかわり、一つだけ教えてもらってもいいかな?」

「え、うん。あたしで答えられることならなんでも」

 きょとんとする宮永さんに、じゃあ遠慮なくと前置いて質問する。

「なんで今日の夕方になって、僕に告白しようと思ったの?」

「それは……」

 なにやら言いづらそうに目線を逸らす宮永さん。

 急かすような真似はしたくないので少しの間反応を待っていると、ややあって宮永さんは決心が付いたように僕と目線を合わせて言った。

「実はちょっと前に、茂木くんと輝ちゃんが二人きりで屋上にいるところを偶然見かけて、それでなんとなく気になって付いて行ったら……その……」

「……まさかとは思うけど、全部聞いちゃった……?」

「うん……だいたいは……」

「うわあああああああああああああああああああああああ~っ!!」

 やっぱり聞かれてた~! 僕が勘違いして輝に詰め寄ったところも、青春ドラマみたいなやり取りをしたところも、僕がワキガだったこともすべて聞かれちゃったよ~!

 ワキガの件は元々知っていたかもしれないけど、まだ気付いていないかもしれないという希望に縋っていたかったよ~! びえ~ん!

 いや、輝の秘密に比べれば断然マシな部類なんだろうけど、それでもダメージがでかいのには変わりない。これなら知らないままでいた方がまだ幸せだったよ……。

「ご、ごめんね? 盗み聞きみたいなことしちゃって……」

「……だ、大丈夫。けっこう精神的に来てるけど、聞かれちゃったものはしょうがないし……」

 そうだ。聞かれてしまった事実はどうしたって変わらない。素直に諦めよう。

 それに輝との会話を聞かれたおかげで、こうして宮永さんの気持ちを真正面から聞けたのだ。

 あれこれ赤っ恥を掻きはしたが、決して悪いことばかりではない。

「続き、聞かせてもらってもいい?」

「あ、うん。それで茂木くんと輝ちゃんの話を聞いたあと、あたし、色々と反省しちゃって。茂木くんも輝ちゃんも、お互いに本心を語って──一歩間違えていたら絶交していたかもしれないのに、それでも本音をぶつけて笑い合っている二人の姿を見ていたら、なんだか自分のことがとても卑怯な人間に思えるようになっちゃって……」

「卑怯? 宮永さんのどこが?」

「自分の気持ちを隠して、輝ちゃんにずっと頼ってばかりいたところとか」

 言って、微苦笑を浮かべる宮永さん。

「今まで、考えもしなかった。向こうからチャンスが来ることだけを待ち望んで、自分ではなにもしないのがどれだけ身勝手なことなのかって。好きな人と一緒になりたいと思ったら、本当はもっと自分で動かなきゃいけなかったんだよね」

 好きな人だって、いつまでも恋人がいないままとは限らないんだから。

 そう話す宮永さんの手は、これまで以上に熱を帯びていた。

 頬の色と同じくらい、赤くなっていた。

「だから、ちゃんと伝えようと思ったの。もう自分から逃げるようなことはしたくなかったから」

「宮永さん……」

 そこまでの思いを抱いて、僕に告白してくれたのか。

 僕なんて、ずっと浅はかな考えで宮永さんたちに接してきたというのに。

 始めは単なる彼女欲しさで、途中からほどよいぬるま湯のような関係に溺れかけていたというのに。

 それならば。

 それならば僕も、真摯に答えてなければならない。

 輝に忠告されていなかったら、曖昧に濁していたかもしれない答えを。

「……………………」

「……………………」

 二人して、無言で見つめ合う。

 しばらくそうしたあと、僕は絡み合わせていたお互いの指を不意に解いて、宮永さんの肩に手を置いた。

 ぴく、と宮永さんの肩が震える。

 それでも置かれた手を払うような真似はせず、期待と不安が入り混じったような潤んだ瞳で僕を見つめる。

 これまで以上に心臓がドキドキと跳ね上がる。まるでドラムロールのようだ。

 その内心臓が口から出るんじゃないかというくらい緊張で喉を嗄らしながらも、僕は何度も生唾を嚥下しつつ、意を決して言葉を発した。

「ぼ、僕は宮永さんのことを──」


「──待ってください!」

「──少し待ってほしい」


 と。

 告白の返事をしようとしたその瞬間、屋上のドアが突如として力強く開かれ、中から藤堂さんと御園さんが慌てた様子で飛び込んできた。

「と、藤堂さん……?」

「小冬ちゃんも、どうしてここに?」

「どうしてこうしてもないですよ! 宮永さんが神妙な顔をして茂木くんを屋上まで連れて行こうとしていたから、もしやと思って後を付けてきたんです!」

「油断大敵」

 言いながら、すぐさま宮永さんに詰め寄るお二人さん。

 藤堂さんはいかにも怒り心頭といった表情で、一方の御園さんはそこはかとなく柳眉を立てていて、なんだかご立腹な様子だった。

「えっと、二人共いつからここに? ていうか、なんでそんなに怒っているの?」

「茂木くんは少しの間だけ黙っていてください」

「右に同じ。拒否権はない」

「アッハイ」

 秒で彼女たちから数歩離れた。

 本能が言っている。今の藤堂さんと御園さんに逆らってはならないと……!

「さて、話は戻しますが宮永さん。一体全体、これはどういうことですか?」

「えっ。な、なんのこと?」

「とぼけても無駄。ネタは上がっている」

 なにこの刑事ドラマみたいなやり取り。今から解決編でも始まるの?

「話はドアの向こうですべて聞かせていただきました」

 って、あんたらも盗み聞きしてたんかい!

 黙るように言われたから口は挟まないけど、頭を抱えたくなってきた……。

 なんなの? そういうのが流行っているの? 探偵ごっこでもしたいの?

 そんな内心ツッコミを入れる僕をよそに、藤堂さんは話を続ける。

「宮永さん。あなた、茂木くんのことが好きだったんですか?」

「う、うん。小学生の頃からずっと……」

「それなら、なぜ小冬たちにそのことを話さなかった?」

「だって、恥ずかしかったし……。それに凛ちゃんも小冬ちゃんも、輝ちゃんのことが好きそうだったから、別になにも言わなくてもいいかなって……」

「いつ私が緋室くんに恋をしていると言いました? あなたとは別段そこまで深い話をするような間柄でもありませんでしたが、それとなく態度で示すことはできたんじゃないですか?」

「し、したよ? 最近になってからだけど、茂木くんによく話しかけるようになったりとか……」

「わかりづらい。小冬たちの目には単に友情を育んでいるように見えた」

「それと私たちに言うのが恥ずかしかったという話ですが、本当は独り占めしたかったからではありませんか?」

「そ、そんなことないよ! そりゃちょっとは、茂木くんの魅力が他の女の子に伝わるのは嫌だなって思いはしたけど……」

「ほら! やっぱり独占したいという気持ちがあったんじゃないですか!」

「独占欲とは同じ女子として嘆かわしい」

「そ、そういう二人だってなにをしにここまで来たの!? せっかく良い雰囲気だったのに、返事を聞く前にいきなり割って入ってきて! いくらなんでも非常識だよっ!」

 それは僕も思った。これまでの人生の中でも余裕でダントツ一位に入るくらい勇気を振り絞って告白の返事をしようとしていただけに、不完全燃焼感が半端ない。フラストレーションが溜まるわ~。

「そ、それは……その……」

「返答に窮する……」

 宮永さんの問いかけに、露骨に顔を逸らす二人。

 なにゆえ言い淀むのかは不明瞭だが、チラチラと二人してこっちに視線を寄越してくるので、僕の前では言いにくいことなんだろうなというのだけはなんとなく察した。

「あのー、よかったら僕、少しだけ屋上から出ていようか? なんか僕の前だと話しにくいことみたいだし」

「ダメ。茂木くんはここにいて」

「サー! イエッサ!」

 宮永さんに強めの口調で呼び止められ、僕はすぐさま直立不動した。つい反射的に軍隊みたいな応え方をしてしまったぜ。

「凛ちゃんも小冬ちゃんも、本当は茂木くんに言いたいことがあるんじゃないの?」

 宮永さんの射抜くような眼差しに、藤堂さんも御園さんも一瞬肩を跳ねさせた。

 ふええ。宮永さんが怖いよ~。殺気がすごいよ~。今すぐにもここから逃げたいよ~。

 でも二人共、宮永さんの言葉に心当たりがあるのか、あからさまに目線を泳がしていた。あのいつもクールな御園さんまでもが、だ。

 宮永さんがここまで詰問するくらいなのだから、なにかしら重要なことなのだろうが、あまり大ぴっらにしたくなさそうな反応だった。

 そしてそれは、宮永さんの想いと共通したものなのかもしれないというのが、二人の様子を見てなんとなく気が付いた。

 我ながら鈍感だと自覚している僕でも、さすがにこの状況でなにも気付かないほど鈍くはない(自分の目を疑いたくなるほど信じられない状況であるけども)。

「どうなの? このままなにも言わなくていいの? あたしは別にいいけれど──むしろ好都合だけど、こうしてわざわざ邪魔しに来るくらいなんだから、伝えたいことがあるんじゃないの?」

「……宮永さんはそれでいいんですか? その、私と御園さんを優先して……」

「あたしはもう返事を聞くだけだから。二人が想いを伝える分には自由だし、あたしが止める権利はないよ」

 きっぱりそう言い切る宮永さん。

 その堂々たる姿に、藤堂さんや御園さんだけでなく、僕までもが息を呑んだ。

 すごいな、宮永さんは。

 こんな場面に直面したら、普通はもっと取り乱してもいいくらいなのに、そんな雰囲気を微塵も感じさせない。

 僕に告白する前は、どこか落ち着かない感じだったのに。

 たぶんそれは、すでに想いの丈を吐露して迷いを吹っ切ったおかげもあるのだろうけど、それ以上に自身の姿を二人に重ねたせいもあるんじゃなかろうか。

 自分の想いをひた隠しにしようとする二人を見て、ちゃんと当人に打ち明かすべきだと、そう考えたのかもしれない。

「──そらの気持ちはわかった」

 しばらくして、不意に御園さんが前に進み出た。

 まっすぐ、僕だけを見つめて。

「なら、小冬はその気持ちに応えるべき。今日まで秘めていたこの胸の内を」

 言いながら、僕の前に立つ御園さん。いつもの無表情は陰をひそめ、その強張った唇から静かに声を発した。

「正直に言って、ずっとこの想いを口にすべきどうか悩んでいた。あなたとは──太助とは親しい間柄ではなかったから。本当はもっと話したかったのに、いざ太助を前にしたらなにも言えなくなって、そんな自分をいつも恥じていた」

 初めて名前……それも下の方を呼ばれたことに瞠目しつつも、僕は次の言葉を待った。

「けれど、その迷いも消えた。そらの言葉を聞いて痛感させられた。なにも言わないままでいたら絶対に後悔するって。いつだれに好きな人を取られてもおかしくないんだって」

 自身の胸に両手を添えて、御園さんは言う。

 ずっと開けられずにいた宝箱に、そっと鍵を差し込むように。


「だから、ここでちゃんと言わせてほしい。小冬は、茂木太助のことが好きだと」


 そのストレートな告白に、僕は生唾を嚥下した。

 わかっていたことではあるけども、やはり動揺を隠せない。まあこれが僕にとって生涯二度目の告白タイム(それもされる側)なのだし、動揺せずにいられる方が変か。

 そしてその告白タイムは、これで終わりではない。

「次は私の番ですね──」

 御園さんが引いたと同時に、それまで後ろに控えていた藤堂さんが僕の前に立った。

「はあ……。いざと告白しようとなると、すごく緊張してしまいますね。しかも突然のことなのに、まだ心の準備が……」

 言いながら、深呼吸を繰り返す藤堂さん。御園さんが告白するまで割と時間はあったと思うのだが、よほど緊張しているのだろうか。

 そうしてしばらく胸を大きく上下させたあと、藤堂さんは覚悟を決めたように僕を正面に見据えた。

「実は私も御園さんと同じ悩みを抱えていました。以前から茂木くんのことを……いえ、私も太助くんと呼ばせていただいてもいいですか?」

「え、あ、うん」と頷いた僕に、藤堂さんはありがとうございますと軽く一礼して「こほん」と小さく咳払いした。

「そんな太助くんを慕っていたのに、告白する勇気が持てなくて、遠巻きに愛しい人を眺めることしかできませんでした。告白するまで至らなくても、友人のように談笑することくらいはできたはずなのに……」

 情けない話です、と藤堂さん。

「それだけではありません。せっかく太助くんと一緒に昼食を取るようになったというのに、積極的に話しかけることができなくて。遊園地の時なんて、ちょっと自分のことを覚えてもらっていなかったというだけでふてくされて。ほんと、小さい人間ですよね……」

「確かに、胸は小さい」

「しーっ! 御園さん、しーっ!」

 慌てて御園さんの口を塞ぐ。もっと空気読もうぜ。告白を済ませて気が緩んじゃってるのかもしれないけどさあ!

 でも幸い藤堂さんには聞こえていなかったようで、自嘲じみた微笑を浮かべながら、藤堂さんは続ける。

「最近では、太助くんと親しくなっていく宮永さんを見て、嫉妬するようになってしまって……。そんな時だったんです。太助くんと宮永さんが二人きりで屋上に向かうところを見たのは。しかも太助くんに告白しようとしているかのような、ただならぬ雰囲気で。

 それを見た時、ハッとさせられました。私は今まで、なにをしていたのだろうって。そして悔しいとも思いました。どうして先に私が告白しなかったのかって。いつでも告白することはできたはずなのに、こんな時になって今さら後悔するなんて、自分に憤りすら覚えました。御園さんも仰っていましたが、いつだれが太助くんに告白するともしれなかったのに」

 だから決めたんです。私はもう臆病な自分から卒業するって。

 そう言って、藤堂さんはさっきまで伏せていた顔を勢いよく上げた。

 そして──


「私は太助くんが好きです。世界中のだれよりもあなたが大好きです」


 それはまるで、長年蕾のままだった華がようやく咲き誇ったような、美しい笑顔だった。

 そんな微笑みを前に、僕は硬直してしまった。

 宮永さんや御園さんの時と同じように、なにも言えず立ち尽くしていた。

 それでも──ヘタレでチキンな僕でも、まず三人に言わなければならない言葉がある。

「ありがとう、みんな。すごく嬉しいよ。今まで告白なんてされたことないからさ……」

 頬を掻きつつ、僕は宮永さんたちに感謝の念を述べる。

 みんな、勇気を奮い立たせて告白してくれたんだ。返事をする前に、どうしても先にお礼を言いたかった。

「でも、二つだけ藤堂さんと御園さんに確認したいことがあるんだ。僕を好きなのはわかったけど、それならなんでいつも輝にべったりしてたの? どう見ても輝に気があるような感じにしか思えなかったけれど?」

「「それは……」」

 互いに見つめ合う二人。そんな反応を見せるってことは、藤堂さんも御園さんも理由が共通していると捉えていいのか?

「あたしと同じ理由だよね?」

 と。

 僕が考えを巡らしていた間に、宮永さんが唐突に口を開いた。

「宮永さんと同じ……?」

「うん。あたしが輝ちゃんとよく一緒にいたのと同じ理由」

 これだけ言えばわかるでしょ? と視線で訴える宮永さんに、僕は「あっ」と小さく声を漏らした。

 わかった。どうして輝にいつも引っ付いていたのかが。

「もしかして、少しでも僕と接点と持ちたかったから……?」

「はい、そうです……」

「肯定」

 頷く藤堂さんと御園さん。

「けどさ、あそこまでイチャつく必要あった? あれじゃあ誤解しても仕方ないと思うんだけど?」

「それは……少しでも妬いてくれたら嬉しいなと思いまして……」

「それにもしかしたら、嫉妬した太助が気を急いて小冬に告白してくれるかもしれないという期待もあった」

 なるほどね。やたらスキンシップが過剰だったのも、僕を落とす作戦の内だったというわけか。

 そう考えると、いつも僕に対してすげない態度を取っていたのも、こっちの気を引きたかったせいなのかもしれない。

「でもそれなら、厚守くんや薄井くんでもよかったんじゃないの? あの二人だって僕の友達なのに」

「さすがに彼女持ちの男の子を誘惑するような真似はちょっと……」

「そもそも生理的に無理」

 そっか。二人共、厚守くんと薄井くんに彼女がいることを前から知っていたのか。友達なのに知らなかった僕って一体……。

 にしても、ひでぇな御園さん。まあ顔面偏差値的には輝が圧勝しているし、どうせイチャつくならイケメンを選びたいのはわかるけどさ。

 いや、決して僕もイケメンってわけじゃないけども。

「じゃあ二つ目。いつから僕が好きだったの? 今の話を聞く限り、けっこう前から僕のことが好きだったみたいだけど、心当たりが全然ないんだ」

 宮永さんはさっき理由を聞いたばかりだから納得できたけれど。

 そう付け加えた僕に、藤堂さんも御園さんも気まずそうに目線を逸らした。

「……やはり、覚えていませんか……」

「小冬は想定内」

 ん? どういう意味だ?

 僕に覚えがないだけで、藤堂さんと御園さんになにかしたってことか?

「本当は太助くん自身に思い出してもらいたかったんですが、仕方ありませんね。少し理想と違って残念ではありますが」

「えっと……なんかごめん」

「謝らないでください。別に太助くんはなにも悪いことはしていないんですから。むしろ、太助くんは良いことをしてくれたんですよ?」

「え? 僕が?」

「はい。太助くんはこの高校の近くで風に飛ばされたハンカチを拾おうとした覚えはありませんか?」

「あー。あれか。うん覚えているよ」

 遠くから御園さんに見られていたやつね。しかも僕の醜態を。

「確か女の子だったかな。顔まではちゃんと見ていなかったから、名前もなにも未だにわからないままだけど」

「……その女の子、実は私です」

「え? えええええええええええええええええっ!?」

 あの時の女の子が、まさかの藤堂さん!?

「マジで? マジで藤堂さんだったの?」

「はい。間違いなく私です。私はちゃんと太助くんの顔を見ていましたし、受験の時に席が近かったのも覚えていたので、すぐに同学年だとわかりました」

 マジっすか。よもや目の前にいる女の子が、あの時ハンカチを飛ばした当人だったとは。しかもこれまでずっと同じ教室で過ごしていたんだぜ? 僕の目、節穴過ぎじゃね? 穴だらけじゃね?

「全然気が付かなかったよ……。まさかあのハンカチの子が藤堂さんだったなんて……」

「私も言い出せずにいたので……。本当はお礼の一つでも言うべきだったんでしょうけれど、あの時からもう太助くんのことを意識しちゃいまして……」

「いや、大丈夫。たぶんお礼を言われても羞恥プレイにしかならなかったと思うし……」

 なんなら本人を目の前にして、体中が発火して灰になりそうまである。うわああああ黒歴史が僕を襲ううううう!

「ちなみに、その時小冬も遠くから見ていた」

「えっ。そうだったんですか? それは知りませんでした……」

「凛のことを知ったのも、その時が初めて」

「そうだったんですね。私は受験の時に同じ教室で御園さんを見たことがあったので、以前から知ってはいましたが」

「え? 本当に? 御園さんもあの時いたの? 僕、同じ教室で試験を受けていたのに今まで全然気が付かなかった……」

「御園さん、目立つ容姿をしていますから。けっこう周りにも注目されていましたよ?」

「あの時は受験で頭がいっぱいで、周りを見ている余裕なんてあんまりなかったしなあ。ちょっとしたトラブルというか、余計な恥も掻いちゃったし……」

「消しゴムの件ですか? そこまで気にされなくてもいいと思うんですが。上手に消しゴムが届かなかったのは事実ですけれど、人助けをしようとしたことには変わりないんですから」

「同意。現に、小冬も感謝している」

「いやいや感謝なんて。僕は大したことしてないし……」

 …………、ん?

 んんんんんん?

 ちょっと待て。今なにか、おかしなことを言われなかったか?

「え? どういうこと? 僕、御園さんに感謝されるようなことなんてなにもしてないと思うんだけど……?」

「した。小冬に消しゴムを貸してくれた」

「けし……ごむ……?」

 なんかサリバン先生に「ウォーター」と教えてもらったヘレン・ケラーみたいな反応になってしまった。

 でも、言われてはっきりと思い出した。

 あの受験の時、僕が消しゴムを貸そうとした人って──

「どぉえええええ!? あれ、御園さんだったの!?」

 衝撃の事実、第二段。驚愕のあまり、もう頭の中がごちゃごちゃだ。

「あー。やっぱり御園さんだったんですね。白髪だったので、そうなんだろうなとは思っていましたが」

「肯定。あの場に凛もいたなんて知らなかったけれど」

「待って待って! なんで二人共、そんな平然としてるの!? こんな偶然ある!?」

「そう言われましても、現実にこうしてあるわけですし……」

「現実は現実。この事実は変えようがない」

「それは……そうかもしれないけどさ……」

 でも、ありえなくないか? こんなマンガみたいな展開、普通は信じられんぞ。

 いや、待てよ? まさかとは思うけど、さすがにこれはないと思うけど──

「まさか宮永さんが遠足で迷子になった時も、藤堂さんや御園さんがどこかにいたなんてことはないよね……?」

「宮永さんが小学校の遠足で迷子になったという話ですか? ドア越しに聞いてはいましたけれど、思い返してもみれば、私も遠足で行った記念公園で、迷子の女の子を見かけたことがあるような……」

「小冬も、記念公園に遠足で行った時、同い年くらいの女の子が一人で泣いているところを見たことがあるような気がする」

「記念公園って、市内にあるやつ? うっそ、もしかしたらそれ、あたしかもしれない。あたしが小学生の時に行った遠足の行き先も記念公園だったし」

「そうなんですか? じゃああの時、ここにいる全員が記念公園にいたかもしれないってことでしょうか?」

「すごい偶然」

「いやいやいや! いくらなんでも偶然が過ぎるって! なにこの元から仕組まれていたかのような出会い方!?」

 よもや裏で工作している人間がいるのか!? トゥルーマン・ショー的な!?

「そんなことより、まだ返事を聞いてない。太助はだれを選ぶ?」

「うっ。そ、それは……」

 そうだった。驚天動地の連続でつい失念していたが、宮永さんたちの告白を聞いて感謝の言葉を伝えただけで、まだ返事をしていないままだった。

 でも、すでに心は決まっていた。

 足りないのは、僕を好きだと言ってくれた女の子を振る勇気だ。

「………………っ」

 胸中で葛藤が渦巻く。同時に、これまでの楽しかった記憶も次々と脳裏で再生される。

 これを言えば、きっとこれまでのような関係には戻れなくなるだろう。今後一切、会話することもなくなるかもしれない。

 ここにいるみんなと知り合ったばかりの頃のように。

 ただ一人を除いて、元の関係に戻るだけ──そう考えればいくらか気も紛れたかもしれない。

 だが、元に戻れる関係なんてこの世にあるわけないんだ。

 そこには絶対的に、過去という傷が互いに残り続けるんだ。

 もしかしたら一生残ることになるかもしれない心の傷が。

 それでも。

 それでも僕は、言わなくてはならないのだろう。

 なぜならそれが、告白された側のけじめなのだから。

 曖昧に──中途半端に濁すなんて決して許されないのだから。

 だから──!

「ぼ、僕が好きなのは……!」

 緊張でがらがらになった喉で。

 初めて女の子を同時に二人も振ってしまう申しわけなさに両足を震わせながら。

 全身が沸騰しそうなほど体を熱くさせながら、僕は勇を鼓して口を開いた。


「僕が好きなのは、みや──」


 ひゅん、と。

 好きな子の名前を言おうとした刹那、僕の頬をなにかが掠めた気がした。

 なんだろう、となにげなく頬に触れてみる。


 手のひらがべったりと赤くなっていた。

 ていうか、血だった。


「血いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!?」

 なんで!? なんで血!? わけがわからない意味がわからない状況がわからない!

「失敗。毛先を少し切るつもりが、勢い余って頬を掠めてしまった」

 と。

 気が動転して手のひらに付着した真っ赤な血をただガン見することしかできなかった中、視界の隅で御園さんが片手になにかを握りながら不意に呟きを漏らした。

 よく見るとそれは、いつも御園さんが前髪を留めるのに使っている刀みたいな形のヘアピンで──

「み、御園さん? そのヘアピン、血が付いているように見えるんだけど……?」

「首肯。これは間違いなく太助の血」

「な、なんで僕の血が……? だってそれ、ヘアピンだよね……?」

「これはヘアピンでもあり、刃物としても使える特製品。小冬の実家で作ってもらった」

「御園さんの実家って、暗器でも作っているの……?」

 それとも暗殺稼業でもやっているの?

 つーかその刀みたいなヘアピン、マジで刃物だったんかい!

「いや、この際ヘアピンなんてどうでもよくて!」

 そうだ。ヘアピンとか実家のこととか今は至極どうでもいい。それよりなにより、最も考慮しないといけないのは──

「ど、どうして突然僕を切ろうと……? 僕、なにかした……?」

「した。小冬に嘘をつこうとした」

「嘘……? 嘘なんてそんな……」

「それも嘘。でなければ、小冬以外の名前を口にするはずがない」

 はっきりとした物言いの御園さん。そこに冗談を言っている様子は微塵もなく、いつもの無表情よりもさらに感情を消した瞳で僕をまっすぐ見据えていた。

「というより、小冬以外の名前は認めない。大丈夫。すでにスマホで録音できる準備はできているから。証拠さえあれば問題なく世間にも受け入れてもらえる。これで無事にカップル成立」

「どこが!? 狂気しか感じないんだけど!?」

 なにこの子!? サイコパス!? さっきから寒気が止まらないんだけど!?

「ちょっと藤堂さん! 藤堂さんからもなにか言ってあげて! さっきからずっと黙ったままだけどさ!」

「……いえ、私ごとき矮小な存在がお二人の間に割って入るなんておこがましい……」

「矮小って……。なんでそんな急に僕みたいなことを言い出して──ってなにやってんの藤堂さん!?」

 御園さんが視界から消えないよう注意しつつ、らしくないことを言い出す藤堂さんにちらっと少しだけ目をやると、なにをトチ狂ったのか、カッターナイフで自身の手首を切ろうとしている真っ最中だった。

「なんで唐突にリストカット!?」

「だって、私じゃないんでしょう? 私じゃなくて他の方が好きなんでしょう? だったら私なんて必要ないじゃないですか……。生きている意味がないじゃないですか……」

「なんでそうなった!?」

 どういう論理展開!? 色々ぶっ飛び過ぎていて、わけがわからないよ!

「とりあえず、そのカッターナイフを捨てよう! ね!?」

「そのかわり、屋上から飛び降りて命を捨てろと言いたいんですね……? 今の私にできることは、太助さんの目の前から消えることだけってわけですか……」

「違うよ!? 一言たりともそんなこと言ってないよ!?」

 被害妄想が過ぎる! なんかこっちが悪いことしたみたいじゃん!

 いや、実際藤堂さんを振ろうとはしたけどさ!

「いいんです。わかってはいたんです。私がその程度の人間だということは……。うっかり夢を見過ぎて、こんな惨めな姿まで晒してしまいました……」

「惨めって……。いくらなんでも卑屈になり過ぎだよ藤堂さん。根暗の僕が言っても説得力ないけどさ」

「私みたいな人間に気を遣ってくれてありがとうございます。でも本当にいいんです。こんな傷だらけの私に優しくしなくても……」

「傷だらけ……?」

 言われて藤堂さんの姿を──もちろん視界から御園さんを外さないように注意しながら──それとなく観察する。

 すると、ちょうどカッターナイフで切りつけようとしている部分……シュシュを肘側に寄せた状態の左手首にいくつかの切り傷が見えた。

 もしかして藤堂さん、前からリストカットを繰り返していたのか……?

「あ。それでいつもシュシュを……?」

「……はい。こんな傷みっともないですし、あまり人目に晒したくはないですから。もっとも私という存在そのものが一番みっともないんですけどね。好きな人にも振られてしまって……ふふふ……」

「………………」

 普通に話しているだけなのに、なんでこうも自虐的な返しばかりするのだろう。迂闊に口を開けないというか、返事に困るじゃないか。

「えっと……でもなんでリストカット? 古傷もあるみたいだし、前からやっていたんだよね?」

 訊くべきかどうか迷っていた疑問を藤堂さんに投げかける。

 かなりデリケートな問題だし、本来なら自分みたいな他人が立ち入っていいことではないかもしれないが、僕に関係した傷もあるみたいだし、質問するくらいの権利はあるだろう。却って傷付けてしまうかもしれないが。

 などと内心不安に思う僕に対し、藤堂さんは哀愁を帯びた微笑を浮かべて、

「ああ、この傷ですか。お恥ずかしい話ですが、私、昔からショックなことがあると手首を切る癖がありまして。ここの傷なんて、この間太助くんたちと一緒に行った遊園地の日につけたものです」

 言いながら、左手首を掲げて親指付近を指す藤堂さん。

 確かにそこには、最近つけたばかりと思われる切り傷が見受けられた。

「遊園地の日? あの時、ショッキングなことなんてあった?」

「ありましたよ。せっかく太助くんと二人きりになれたのに、あまり話が弾まなくてそのまま時間だけが無為に過ぎてしまったこととか。あれ以来少し気まずい感じになってしまって、あとでどれだけ後悔したか……。ほとほと、自分の愚かさ加減が嫌になります。あ、思い出したらまた無性に手首を切りたくなってしまいました……」

「だからダメだってば! もっと自分を大切にしようよ!」

 つーか、もう面倒くせえ! 藤堂さんがこんなメンヘラ気質だったなんて思ってもみなかった!

 ただでさえサイコパスの相手をするだけでも手に余るのに、これ以上メンヘラの相手までできないぞ!

「太助。小冬のことを忘れてもらっては困る。早く好きな人の名前を言って? はっきり大きな声で『小冬』って」

「ええ……私のことなんてお気になさらず……。ここで大人しく手首を切っていますから。私みたいな駄虫はリストカットでもしていた方がお似合いですからね……ふふ……」

 刃物を持ったままこっちへとにじり寄ってくる御園さんに、今にもカッターナイフで手首を切ろうとしている藤堂さん。

 そんな二人を前に、僕はぶるっと身震いしながらゆっくり後退する。

 やばいやばい! マジでやばいよこの二人!

 御園さんに刺されるのも嫌だけど、目の前で藤堂さんの手首から血飛沫が上がるのもごめんだ。こうなったら、なんとしてでもここから逃げなければ!

 と、そういえば宮永さんはどうした? さっきからなんのリアクションもないというか、やたら静かだけど、叫び声の一つも上げないというのも妙な話だ。

 眼前で刺傷事件や自傷行為が起きようとしているというのに。

 そう不思議に思い、御園さんや藤堂さんのいる場所よりも後方にいるはずの宮永さんに目を向けようとして──


 突如、御園さんが前のめりにぶっ倒れた。


「いっ──!?」

 突発的な出来事に、思わずギョッと双眸を剥く僕。

 御園さんがいきなり倒れたからじゃない──いや、それも少なからず関係してはいるが、理由はそれだけじゃなかった。

 というか、どちらかと言うと御園さんが倒れる原因となった存在の方が大きかった。


 先ほどまでなにも動きを見えなかった宮永さんが、突然御園さんの背中目掛けて飛び蹴りを食らわせたのだから。


「──たーくん、大丈夫だった? 急に刃物なんて出てきて、怖かったね~」

 と。

 転倒したままの御園さんの背中をあたかも落ち葉のように踏み付けて、宮永さんがにこりと微笑みながら僕の元へと小走りに駆け寄ってきた。

「ぼ、僕は大丈夫だけど……え? み、宮永さんだよね……?」

「うん。あたしだよ? え~? 突然どうしたの? たーくん、ちょっと変だよ?」

「いやいやいや! 全力でこっちのセリフだから! 呼び方もそうだけど、さっきのアクロバティックな動きにも色々と突っ込みたい点があるから!」

 なんなの今の!? アクション映画さながらの飛び蹴りだったんですけど!? そんで御園さんを蹴飛ばした上、そのまま踏んづけて何事もなかったかのように平然と僕のところに来た宮永さんの態度が一番驚愕なんだけど!? いっそ恐怖しかねえ!

「……と、とりあえず一つずつ疑問を解消していいかな?」

「うん。いいよ」

「えっと、じゃあまず、なんで『たーくん』呼び?」

「え? だって『太助』くんでしょ? だから『たーくん』」

「うん。それはわかったけど……なんで今?」

「凛ちゃんも小冬ちゃんもたーくんを下の名前で呼び始めるんだもん。あたしだけ名字で呼ぶなんて不公平でしょ? それとも『たーくん』は嫌だった?」

「嫌じゃないけど……」

 嫌ではないけれど、急なニックネーム呼びが慣れないというか、どうにもむず痒い。今まで女子に渾名で呼ばれた経験なんて全然なかったから……。

「……まあいいや。二つ目の質問だけど、なんで突然御園さんを蹴り飛ばしたの? いや、おかげで助かったけどさ」

「もちろん、たーくんを助けるためだよ。本当は小冬ちゃんがたーくんを切り付ける前に止めたかったんだけど、まさかあのヘアピンが本物の刃物だったなんて思わなかったからとっさに動けなかったんだよねー。そのあと凛ちゃんまでカッターナイフを取り出すし、どっちを先に排除するかで迷っちゃったよ~」

 あー。それでさっきまでなにも動きがなかったのか。

 どちらかが僕に危害を加えようものなら、瞬時に対応できるように。

 で、藤堂さんは無害だとわかったので、御園さんに標的を絞ったと。

でも宮永さんって、そんな力に訴えるようなキャラでしたっけ……?

「ほんとはね、たーくんにこんなあたしを見てもらいたくなかったんだよ? 暴力的な女の子なんて、男子からしてみたらマイナスポイントでしかないしー。けど、仕方ないよねー。愛するたーくんのためだもん。邪魔者は排除しなくっちゃ☆」

 言いながら、宮永さんは胸の谷間からバタフライナイフを取り出した。

 へー。巨乳だと、あんなこともできちゃうんだなー。なんだか映画に出てくる女スパイみたいだ。

 ……………………。

 ん!? ナイフぅ!?

「ちょっとタイム! そのナイフで一体どうする気!?」

「どうって、もちろんこれで小冬ちゃんをめった刺しにするんだよ? あ、ついでに凛ちゃんも刺しておこうかな? たーくんの気を引こうとしてリストカットするなんて、少しあざとい感じがするし」

「ちょっとそこまでコンビニに行くノリで藤堂さんを刺そうとするのはやめようよ! いや御園さんを刺すのもダメなんだけどさ!」

「大丈夫だよー。ちゃんと完全犯罪にするから。たーくんと二人で永遠に一緒にいるためなら、あたしは法だって破っちゃうよ~」

「破っちゃダメぇ! その境界線だけは絶対越えちゃダメぇ!」

 あ、ダメだ。全然こっちの話を聞いちゃいない。だってなんか愛おしそうにナイフを撫で始めちゃってるもの。目がイッちゃってるもん。こりゃあかんやつですわ……。

 サイコパス、メンヘラと続いて、お次はヤンデレって。僕の苦手なタイプばかりじゃねぇか! 

ほんと、どうなってんだよ今日は! 思いっきり厄日じゃねぇか!

「異常。普段からナイフを持ち歩いているなんて、まともじゃない」

 と、それまで倒れたままだった御園さんが、おもむろに立ち上がって口を開いた。

「それ、小冬ちゃんにだけは言われたくないな~。それにあたしがナイフを持ち歩くようになったのは最近だよ? 二人がたーくんと関わるようになる前まではなにも持ってなかったし」

 それって言い換えると、最近になって藤堂さんや御園さんに殺意を持つようになったってことじゃね? なにそれ怖い。

「だいたい、凛ちゃんや小冬ちゃんがなにもしなかったらあたしだってこんな真似はしなかったんだよ? 現に二人の告白だって、普通に許可してあげたでしょ?」

「言われてもみれば、そうでしたね」

 そう相槌を打ったのは、手首から若干血を流している藤堂さんだった。

 というより血ぃ! ほんとに切っちゃったよこの人! 平然と返事をしてないで、早く止血してぇ!

「だったら、そのまま黙っていればいい。太助は小冬にラブなのだから」

「はあ? 頭でも沸いているの? どう考えてもあたしでしょ? たーくんが好きな人の名前を言おうとした時だって、途中まであたしのことだったじゃん」

「それは気のせい。今から太助は小冬の名前を言うから。敗北者は校庭の隅でさめざめと泣いていればいい」

「あはは。せっかく二人に告白させてあげたのに、すっかり図に乗っちゃって~。あたしからたーくんを奪おうとする気でいるなら……こっちも容赦しないよ?」

「ふふふ……。すっかり私は蚊帳の外なんですね……。いいんですいいんです。私なんてその程度の存在ですから。私みたいな路傍の石は、皆さんの邪魔にならないよう、ここで手首でも切っていた方がいいんですよね……」

 酷薄な笑みを浮かべながら、バタフライナイフを構える宮永さん。

 それに対し、ヘアピン型の小刀で応戦しようとする御園さん。

 そして、完全に二人から無視されて、陰鬱な表情でさらに手首を切ろうとする藤堂さん。

 そんな三人を前にしながら、僕は半ば呆然とした心持ちで呟きを漏らした。


「……これ、どうやって収拾つけたらいいんだ?」

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