第5話 宮永さんの秘められた想い


 その後も色んなアクションを回ったり、駄弁りながら園内を歩いていたりする内、あっという間に日が暮れて。

 途中でちょっとしたアクシデントがありつつも藤堂さんと御園さんとそれぞれ違う駅で別れて、輝と宮永さんと一緒に帰路を歩いていた。

 まあ、つまりあれだ。某有名マンガのセリフを借りるならば「なんの成果も得られませんでしたー!」というやつだ。

 ほんと、せっかく宮永さんたちを遊園地に誘えたというのに、なんの結果にも繋がらなかったなんて。我ながら不甲斐ない……。

 藤堂さんの時も御園さんの時も、途中までは良い雰囲気だったんだけどなあ。宮永さんに至っては全然二人きりになれるチャンスがなかったし。

 自然に漏れた溜め息と共にふと空を眺めてみると、いつの間にかすっかり夜の帷も下りて、星々がほのかに煌いていた。どうりで少し風が冷たいように感じたわけだ。

「楽しかったねー。今日の遊園地~♪」

 と。

 僕の前を歩く宮永さんが、隣にいる輝に微笑みかけて言う。

「ジェットコースターとかバイキングとか回転ブランコとか~」

「そらは相変わらず絶叫系が好きだよなあ。おれはあんま得意じゃないから、良さが全然わからん」

「え~。めちゃくちゃ面白いのに~。凛ちゃんも小冬ちゃんもすごく喜んでたよ?」

「御園はいつもの無表情だったから、おれにはよくわかんねえよ。藤堂が絶叫系に耐性があったのは意外だったけどさ」

「そだねー。お化け屋敷に行った時はキャーキャー叫んでいたけど」

「いかにもオカルトなんて信じそうにないのにな」

「あははっ。あれはあたしも笑っちゃったなあ~」

 楽しそうに会話する輝と宮永さん。まあ女性陣の中で一番宮永さんが満喫していたし、輝も僕に協力しつつもそれなりに楽しんでいたから、話も自然と弾むのだろう。

 一方の僕はというと、ことごとく作戦が失敗に終わったせいで意気消沈としていた。決して退屈だったわけではないし、おくびにもそんな態度が表に出ないよう気を付けていたが、それが原因になっているせいか、正直疲労感でいっぱいだった。

 陽キャと遊ぶのって、こんなに疲れるもんなの? 終始みんなして「最高の思い出を作ろうぜ!」と言わんばかりにはしゃぎ倒すから、ノリに合わせるだけでも大変なんだよね。しかもノンストップだし。おまけに「全力で楽しめよ」みたいな圧が半端ないし。これだからウェーイ勢は恐ろしいんや……。

「あ。ごめん茂木くん。またあたしたちだけで盛り上がっちゃって……」

 ついさっき僕の存在を思い出したように慌てて背後を振り返った宮永さんに、

「気にしなくていいよ。僕もちょっと考えたいことがあったからさ」

「そ、そう? でも、やっぱりごめんね。遊園地の時も、一人にさせちゃうことが多かったし……」

「別に一人でいるのは慣れているから大丈夫。それに宮永さんだってたまに話しかけてくれたでしょ? だからそこまで疎外感は感じなかったよ」

 そうなのだ。

 最初こそぎこちないと言うか、よそよそしかった宮永さんではあったが、ある時を境に多少ながら僕に話しかけてくれるようになったのである。

 もっともその境というのが、藤堂さんと御園さんから露骨に避けられるようになってからなので、単に同情してくれただけなのかもしれないが。

「太助の言っていることは本当だと思うぞ? 基本的に一人でいても平気な方だからな。ただ知り合いばかりいる中で一人だけ放置されるのが嫌なだけで」

「え? じゃあ今日のも本当は辛かったんじゃないの?」

「あ、いや、輝が言っているのはあくまでも遠足とか修学旅行とかそれくらいの規模の話で、今回みたいな少人数の中だったら、そこまで苦じゃないよ」

 顔見知りが大勢いる中で一人ぽつんといると、すぐに「ぼっちで可哀想」とか「友達いないんだ~。マジ草」みたいな眼差しを向けてくるから嫌気が差すんだよな。人を勝手な尺度で憐れむなよって感じでさ。

「そっかあ。もしかしたらあたし、余計な気遣いをしちゃったのかな?」

 そう微苦笑する宮永さんに、僕は首を横に振って「いやいや。それだけは絶対にないから」とすぐに否定した。

「輝もいてくれたけどさ、さすがに三人のだれとも話さないで遊園地を回るのは、精神的にきついし」

「ほんと? だったら嬉しいかも」

 今度はニコッと微笑む宮永さん。

 よかった。僕なんかのことで気に病ませるのは申しわけないからな。

 なんて密かに胸を撫で下ろしたその時、どこからか着信音が聞こえてきた。

 どうやらその着信音は輝のものだったようで「あ、おれだわ」とズボンのポケットからスマホを取り出して耳に当てた。

「もしもし母さん? 今? 駅から下りて家に帰る途中だけど。え? 帰りに牛乳を買ってきてほしい? もうスーパー通り過ぎちゃったぞ。コンビニでもいいか? 高いからダメ? ったく、しょうがねえな~」

 溜め息混じりにそう言って、輝は通話を切った。

「悪い。急な用事ができた。先に二人だけで帰ってもらっていいか?」

「え? あたし、スーパーまで付き合うよ?」

「いや、そこまで付き合わせるわけにはいかないから。もう暗いし、あんまり遅いとそらの親も心配しちゃうだろ? だから太助、そらを家まで送ってやってくれ」

「えっ。ぼ、僕が?」

 面食らう僕に「当たり前だろ」と呆れた顔で言う輝。

「女の子一人で暗い夜道を歩かせるつもりか? 男ならちゃんと家まで送ってやれよ。おれは送ってやれそうにないし」

「それはそうだけど、でも僕、なにかあっても宮永さんを守れる自信なんてないぞ?」

 僕、めちゃくちゃケンカ弱い方だし。

 なんなら、中学生男子にも負ける自信がある。

「だからって女の子を一人で帰らせるよりはマシだろ? そばに男がいるだけでも全然違うって。相手が大人数ならまだしも、一人だけで太助とそらの二人を襲ったりはしないだろうしさ」

 それに、と輝はそこで急に僕の肩に腕を回して、こう囁いてきた。

「よく考えてみろ。そらと二人きりになれるチャンスじゃねえか。遊園地の時はそらと二人きりになれなかったし、今を逃したら次はないかもしれないぞ?」

「うっ……」

 それを言われたら反論しづらい。

 実際、今日みたいな機会がまたすぐ訪れるとも限らないし。

「じゃあ、あとは頼んだぜ!」

 そう快活に言って、輝は僕の肩をポンと叩いた。

 それから踵を返して、爽やかな笑顔を浮かべたあと、

「じゃあな、そら。気を付けて帰れよ!」

「あ、うん。輝ちゃんも気を付けてね!」

 そう互いに別れを告げたあと、背中を向けて颯爽と駆けて行く輝。

 そんな輝の後ろ姿を見送ったあと、どちらからともなくお互いの顔を見た。

「行っちゃったねー、輝ちゃん」

「そ、そうだね。ぼ、僕たちも行こうか?」

 僕の問いに「うん」と頷いて、宮永さんはゆっくりと歩き出した。

 それを見て、少しだけ先行していた宮永さんの隣に、僕も慌てて並んで歩を合わせる。

 そうして訪れる静寂。

 畑や田んぼが散見できる田舎道だからか、聞こえるのは初夏を過ぎてだんだんと盛んになってきた虫の鳴き声と、時折横を通り過ぎる車の音だけ。

 たまにコンビニがあるくらいには栄えている町なので、ひと気が全然ないわけじゃないが、それでも僕たち以外の人はあまり見かけない。

 だからだろう、遊園地で藤堂さんや御園さんと二人きりになった時はそこまで緊張しなかったのに、今はバクバクと心臓が高鳴っていた。

 ていうか、マジでどうしよう!

 本当にいきなり二人きりになってしまったから、心の準備が微塵もできていないんですけれど!?

 なにを話したらいいか、全然思い付かないんですけれど!?

 あれか。ここはやはり無難に輝関連の話題を振るべきだろうか。いや、藤堂さんや御園さんの時にも使った手だし、宮永さんにまで輝の話題を振るのはいかがものか。なにかと便利なので何度も使った手ではあるが、これ以上輝の話をするのは、変な誤解をされそうな気がする。具体的に言うとBL的な意味で。

 自他共に認めるオタクではあるけれど、さすがにBLまでは許容範囲外だ。僕と輝で腐った妄想をされているかもしれないと考えただけで鳥肌ものですよ。いっそ死ぬ。

 でも、だったらどうする? なにを話せばいい?

 僕みたいな陰キャでコミュ障で、女子の免疫もゼロに等しい童貞が、どうやって宮永さんを楽しませたらいい?

 ……………………。

 ああダメだ! 全然わからん!

 だれか教えて! むしろ助けて! ボスケテ!

「今日はありがとうね、茂木くん」

 と。

 内心めちゃくちゃ動揺している僕に、宮永さんはおもむろに口を開いた。

「えっ。ああ、うん。輝にも頼まれたからね。しっかり送り届けるよ」

「それもあるけど、それだけじゃなくて」

 そう緩慢に首を振って苦笑しつつ、宮永さんは言葉を紡ぐ。

「今日の遊園地、茂木くんが提案してくれたんでしょ?」

「……え? なんで知ってるの?」

「輝ちゃんから聞いたんだ~。輝ちゃんがあたしたちを遊園地に誘うなんて、なにかあるなあと思って。輝ちゃん、自分から女の子を誘うようなタイプじゃないから」

 ちゃっかり見破られていた。

 これ、やばくね? 端から見たらクラスで人気の可愛い女子たちを、イケメンの親友を利用して誘おうとしたゲスって印象じゃね? 控えめに言って最低じゃね?

「うわー……。これじゃあ僕、すげえ女に飢えてる痛々しい奴みたいだ。すげえ恥ずかしい……」

 いや、実際その通りというか、そのものでしかないんだけどさ!

「大丈夫。凛ちゃんと小冬ちゃんにはなにも言ってないから。あたしもそんな風には思ってないよ?」

「え。ほ、ほんと?」

 「うん。ほんと」と笑顔で首肯する御園さん。

「どうして茂木くんがあたしたちを誘ったのかはわからないけど、みんな心の底から楽しんでいたし、それでいいんじゃないかな。なにか変なことをされたわけじゃないし。なんか凛ちゃんと小冬ちゃんだけ茂木くんに対する態度がおかしかったけれど、別に強引なことはなにもしてないんでしょ?」

「それは、まあ、うん……」

 ちょっと失望されるようなことはしてしまったけれども。

「だったらいいじゃん。せっかくの楽しい思い出ができたんだからさ。それとも茂木くんは、あたしを狙っているの? 実は今も襲うつもりでいるとか?」

「いやいやいや! めっそうもない!」

 そんな勇気があったら、そもそもこんな風に悩んではいない。これが陽キャなら、普通に自分の部屋に誘ったりするんだろうなあ。あるいはホテルに連れて行ったりとか。んまあハレンチ!(死語)

「あはっ。そこまで必死に否定しなくてもいいのにー」

 と、心底可笑しそうに破顔しつつ、宮永さんは続ける。

「心配しなくても、茂木くんはそういうことをする人じゃないってちゃんとわかっているから。だから茂木くんも別に緊張する必要なんてないんだよ?」

「お、おおう。気付いていらっしゃいましたか……」

 あれ? もしかして僕、自分で思っているより挙動不審だった? キモかった? やだあ死ねる~。

 なんて、驚きと恥ずかしさで露骨におどおどする僕に、

「なんとなくだけどね。今もそうだけど、茂木くんって話している時にちょくちょく目線を外したりするから、ちょっと緊張しているのかなあって」

「そ、そうなんだ。知らなかった……」

 これからはもっと気を付けよう。ただでさえ暗そうな見た目なのに、いつも視線がきょろきょろしているなんて完全に不審者みたいじゃないか。なにもしてないのに警察のお世話になるのはごめんである。

「まあそれはあたしも人のこと言えないんだけどね。ちょっと前まで、茂木君の顔をちゃんと見ることもできなかったし。朝も輝ちゃんにだけ挨拶して茂木くんにはなにも言わなかった時があったから、ひょっとしたら嫌われているかもってずっと思っていたり……」

「あー。その点に関してはお互いさまというか、別に悪い印象は持ってないから気にしなくていいよ」

「……ほんと?」

「うん。ほんと。ってあれ? さっきもこんなやり取りしなかった?」

「あ、本当だ。あは、可笑しいね」

 言って、相好を崩す宮永さん。それにつられるように、僕も口元を緩める。

「というより、昔から目付きの悪い方だったから、女子に避けられるのは慣れているんだよね。今でも女子の方から声をかけてくれることなんてめったにないし。たまに話しかけられても伝言程度でさ。それは宮永さんも知っていることだとは思うけど」

 一応幼稚園の頃からの幼なじみでもあるし。今となっては幼なじみと言っていいのかどうかもわからない微妙な関係ではあるが。

「知ってはいるし、実際茂木くんのことを怖がっている女の子も割といるけど……」

 あ、やっぱりいるんだ。自分で言ったこととはいえ、ショックでかいわー……。

「でもあたし、茂木くんがすごく優しい人だってこともよく知ってるよ」

 思わず返事を忘れたまま固まってしまった。

 夜風が吹く。輝がいた時よりも少し冷たい風だった。普段なら肌寒く感じたかもしれないその風が、火照った体には心地よかった。

 そうして、どういう意味なのかと問い返す機を逃して、しばらく時が経ったあと、

「えっと……なにも反応がないのはさすがに恥ずかしいかも……」

「あ。ご、ごめん……」

 照れたように苦笑しながら言った宮永さんに、僕は慌てて手を振った。

「急だったからつい動揺しちゃって……。人に優しいって言われたことなんて今までなかったからさ」

「そうなの?」

「うん。女の子に『怖い』って言われることはあっても『優しい』って言われたことは全然ないかな」

 遊園地にいた時に、一度だけ藤堂さんに言われたような気もするけど。

「そっか~。じゃあもしかしたら、あたしが初めての人になるかもしれないんだね♪」

 そう言って、ニコッと可憐に微笑む宮永さん。

 え、なにその言い方。しかもめちゃくちゃ可愛い笑顔だし。そんなに僕をドキドキさせてどうしたいの? キュン死にさせたいの? 可愛すぎて吐血しちゃうよ?

「で、でもなんで僕が優しいなんて思ったの? 別に慈善活動に参加しているとか、そういったことは全然してないよ?」

「う~ん。なんて言ったらいいのかな……。そういうはっきり目に見える形じゃなくて、さりげない優しさというか……」

「さりげない優しさ……?」

「うん。道の真ん中に転がっている空き缶を、だれかが踏んでうっかり転ばないように拾ってあげたり、ベビーカーとか車椅子で階段を上がろうとしている人を手伝ってあげたり、そんななにげない気遣いが当たり前のようにできる人だと思うんだ、茂木くんは」

「ぼ、僕が? 特に心当たりはないんだけど……」

「茂木くん自身はなんとも思っていないだけかもしれないけれど、あたしみたいにちゃんと見ている人はいるよ? 今日だって、遊園地で迷子の女の子を見つけたりしてたじゃない」

「…………」

 思わず黙る僕。

 宮永さんの言ったことは事実だ。途中であったアクシデントというのも、実はそのことだったりする。

「……あれはたまたまというか、一人でトイレに行った時に偶然遭遇しただけだよ」

「それは嘘。だって茂木くん、みんなで遊園地を歩いていた時に、一人だけ周りをきょろきょろしてた時があったもん。あたしたちは会話に夢中だったから迷子に気付けなかったけど、あの時の茂木くん、泣いてる女の子を見つけて近くに保護者がいないかどうか見回していたんじゃないの?」

「……えっと。まあ、うん……」

 しばし逡巡しつつ、ぎこちなく首肯する僕。

 気恥ずかしいのもあって、つい答えに窮してしまったのもあるが、まさかあの時の僕の挙動を見ている人がいるなんて思ってもみなかったので少し驚いてしまった。

 つい最近まであんまり僕に興味がなさそうな感じだったのに、どういった心境の変化なのだろう。急に僕のことを「優しい」とか言い出すし。

 それとも、案外僕のことを気にかけてくれていたのだろうか。

 こんな地味で目立たない陰キャな僕を……?

「でも茂木くん、なんであの時トイレに行くなんて嘘をついたの? 普通に迷子がいるってあたしたちに教えてくれたらよかったのに」

「あー。いや、本当に迷子かどうかわからなかったからさ……。それに結局は宮永さんたちに頼っちゃったし」

 そうなのである。

 迷子の女の子を見つけて、僕的には優しい口調で話しかけたつもりだったのに、顔を合わせただけでギャン泣きされてしまったので、とっさに輝に連絡して、宮永さんたちに来てもらったのだ。

「ほんと、あの時は助かったよ。なにを言っても全然泣き止まないから、正直弱っちゃって……」

「あたしは別になにもしてないよ。ただ輝ちゃんや凛ちゃん、小冬ちゃんたちと一緒に迷子をあやしていただけだから。あのあと、お父さんとお母さんもすぐに見つかったし」

「それを言うなら、僕の方こそなにもできなかったよ。結局迷子を泣き止ませてくれたのは宮永さんたちだし、両親を探し出してくれたのも宮永さんたちだった。僕はただ、狼狽えることしかできなかった……」

「それこそ考え過ぎだよ。だって最初に迷子を見つけたのは茂木くんじゃない。茂木くんはもっと自分のことを誇っていいんだよ?」

「誇るなんて……。僕にそんな価値なんてないよ」

 そうだ。誇るほどの価値なんて僕にはない。

 こんな目付きが悪い上に根暗のモブキャラなんかに。

「……変わらないね、茂木くんは」

 と。

 自嘲する僕に、宮永さんはわざとこっちの視界に入るように腰を屈めながら、上目遣いに言った。

「すぐ自虐的になるっていうか、自己評価が低いっていうか──謙虚って言えば聞こえはいいけど、ちょっと卑屈になり過ぎかな? 茂木くんはもう少し自分を大事にしなきゃダメだよ。でないと、周りの人が悲しんじゃうよ?」

「悲しむ……?」

「うん。茂木くんのお父さんとかお母さんとか。それと輝ちゃんみたいな仲のいい人たちも」

もちろん、あたしだってその一人なんだからね?

 そう恥ずかしそうにはにかむ宮永さんを見て、僕は思わず見惚れてしまった。

 なぜならその笑顔は、今まで見たことがないくらい可憐で魅力的だったから。

 いつもは天真爛漫なイメージが強いけど、宮永さんってこんな表情もするんだな。正直驚きだ。

 いや、驚きと言うなら、昔から僕をよく見知っているかのような口調の方こそ驚くべきか。

 実際幼なじみだし、昔はよく話したり遊んだりもしたが、それはあくまでも過去の話だ。今は単なるクラスメートの関係でしかない。

 僕はずっとそう思っていたし、向こうもそんな認識とばかり思い込んでいた。

 だが、今の言い方はどうだ? まるで僕のことを昔からずっと見ていたかのような口振りではないか。

 ひょっとすると宮永さんこそが、輝が言う僕を慕ってくれている女の子なのか──?

「とりあえずあたしが言いたいのは、茂木くんは優しい人だってこと!」

 と、人知れず黙考する僕に対し、宮永さんは少し距離を取って背中を向けた。

 そして頭上に浮かぶ下弦の月を見上げながら、宮永さんは言の葉を紡ぐ。

「だから覚えていてね。茂木くんは自分のことを過小評価しがちだけど、ここにちゃんと見ている人がいるって。約束だからね?」

 気のせいだろうか、若干頬が紅潮しているかのように見える宮永さんに、僕も「う、うん」と小さく頷く。

 よかった。宮永さんが背中を向けてくれていて。

 きっと今の僕も、顔が赤くなっていただろうから。

 それから数分ほど、僕たちは会話をしないまま家路を歩いた。

 お互いに気恥ずかしくて顔が見られなかったというのもあると思うが、今はなんとなく静かに歩きたい気分だったのだ。

 それは宮永さんも同じ気持ちだったのか、一言も発することもなく、星空を眺めながら歩を進めている。不思議とそこに気まずい空気はなく、僕たちは沈黙を保ちながら歩き続けた。

 しばらくして、通学時によくそばを通る公園が見えてきた。ここまで来たら、僕の家もあともうちょっとだ。

「──じゃ、あたしはここで」

 と。

 そこで唐突に振り返りながら言った宮永さんに、僕はきょとんと静止して、

「え? ここでいいの? 嫌じゃなかったらちゃんと家まで送るよ?」

「ううん。本当にここで大丈夫だから。あ、誤解しないでね? 別に嫌ってわけじゃないから」

 公園の誘蛾灯を背にしながら言う宮永さんに、僕は黙って頷く。

 うわー。びっくりした~。急にここでいいとか言い出すから、なにか怒らせるようなことでもしたのかと不安になるところだった。僕のことが気持ち悪いとか気味が悪いとか思っているわけじゃないのね。マジでほっとした~。

「茂木くん、今日はありがとうね。本当に楽しかった」

「いや、僕は特になにもしてないから。宮永さんが楽しめたのは、たぶん元々の明るい性格のおかげだと思うよ」

 あと輝や藤堂さん、御園さんみたいな気心の知れた人が一緒にいた功績も大きいと思う。

 そう言うと宮永さんは困った風に苦笑した。

「ほんと、茂木くんは謙虚だねー。しかもナチュラルにあたしたちのことを褒めてくるし。そんなこと言われたらこそばゆくなっちゃうよ~」

 こ、こそばゆいのか。こっちは単に本当のことを口にしただけなんだけどな……。

「でも、そういうところが茂木くんなんだよね。ちょっと謙虚過ぎるけどすごく優しいっていうか。ほんと、昔から全然変わってない」

「そう、なのかな? 僕には全然わからないっていうか、昔の自分なんて、ただのどこにでもいるガキだったような気がするけど……」

「確かに輝ちゃんと比べたら目立つ方じゃなかったけど、周りにいる女の子とか、割とウケがいい方だったよ? あの頃は目付きもそこまで悪い方じゃなかったし」

 え、マジで? 僕って意外とモテてた方だったの?

 くっそー! そうとわかっていたら積極的に女子に話しかけていたのに! ああもうタイプリープしてー! やり直して~!

「ちなみに、あたしもその一人だったりして」

 そんな風にイタズラっぽく──ともすればうっかり聞き逃しそうなほどさりげなく言った宮永さんに、僕は放心してしまった。

 えーっと……?

 今の、一体どういう意味?

 僕に好意を抱いてくれていたってこと?

 それとも、他に深い意味が?

 わからん! 突然過ぎて、思考が全然追いつかねえ!

「あ。あたし、そろそろ本当に帰らなきゃ!」

 と。

 瞠若する僕に、宮永さんは公園の時計台を見て慌てて踵を返した。

 そうしてろくに質問もできないまま「じゃあ、またね~!」とにこやかに手を振って、足早に公園の中を駆け抜けていってしまった。

 そんな宮永さんの背中を呆然とした面持ちで見送りながら、僕は一人嘆息する。

 結局、宮永さんからも全然本心を聞き出せなかったなあ。藤堂さんや御園さんに至っては気分を害するような真似をしちゃったし。

「ま、宮永さんとほんのちょっと仲良くなれただけでも御の字かな」

 しかし、さっきの意味深な言葉は一体なんだったのだろう?

 単なる冗談だったのか、はたまた本当に好意の表れだったのか。

「あ、やっべ。僕も早く帰らないと母さんに怒鳴られる!」

 なにげなく取り出したスマホの時計表示を見て、僕は慌てて家へと急ぐ。

 その時にはもう、さっきまでのやり取りなんてすっかり忘れていた。



 このあと、僕はひどく後悔することになる。

 なぜあの時、もっと宮永さんの気持ちを確認しなかったのかと。

 いや、それを言い出したら藤堂さんや御園さんの時も同じことが言えるのだが、なんにしてもここが僕の人生における大きな転換点になるなんて、まったく知る由もなかった。

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