第4話 やっぱりモブキャラな僕


 数日が経ち、約束していた土曜日の朝。

 遊園地の近くにある駅前で待ち合わせしていたのだが、僕が到着した時には全員揃っていた。約束の三十分前には着いたのに、みんなはそれより早く来ていたってことか?

 なんてことを言ったら、輝が苦味走った笑みを浮かべて、

「いや、三人共ここに来る前に行きたい場所があるって言うからさ……」

「だって、この近くにあるソフトクリーム屋さんにどうしても行ってみたかったんだもん。すごく美味しいって友達から前に聞いてはいたけど、想像以上だった~!」

「ええ。宮永さんに初めて教えてもらいましたが、あんなに美味しいソフトクリームを食べたのは初めてです」

「ソフトクリームのIT革命」

 件のソフトクリームの味を反芻しているのか、恍惚とした表情を浮かべる宮永さんと藤堂さん。御園さんだけ安定の無表情だったが、そこはかとなく瞳の中がキラキラしているように見えた。

 ふーん。四人でそんなところに行ってたんだー。僕抜きでー。別にいいけどー。全然いいけど、せめて一言くらいあってもよくな~い? ちょっとくらい僕も誘ってくれてもよかったんじゃなくな~い?

 そんな不満が意図せず表に出てしまったのか、輝が慌てたように首を振って、

「い、一応忠告したんだぞ? 太助にも言っておいた方がいいんじゃないかって」

「だって人気のお店だから、待ち合わせの時間よりも早く来る必要があったし、茂木くんにそこまで付き合わせるわけにはいかないでしょ」

「私も宮永さんの判断は間違っていなかったと思います。私たちみたいな気の知れた間柄なら構わないでしょうが、そうでない方に無理やりこちらの要望を飲ませるのはさすがにどうかと……」

「無理強いはよくない」

 ……あのう、それって言い換えると「あいつとは大して仲がいいわけでもないし、わざわざ誘う必要なんてなくない?」ってことになると思うんですけれど。え、僕ってそこまでいらない子だった? いっそのこと、今からでも僕だけ帰った方がいいのん?

 あー。なぜだか太陽の光が目に染みるなあ。そのせいか、空が滲んで見えるなあ。

「……太助? もしかして泣いてる?」

「な、泣いてねえし。良い天気だったから、青空を眺めていただけだし」

 袖で目尻を拭きながら応える僕。まったく、今日の太陽はやけに眩しいぜ。

「ほんと悪かったよ。次からはちゃんとフォローするから。だから泣くなって」

「泣いてないっつーの。何度も言わせるなっつーの」

 宮永さんたちに聞こえないよう囁き声で話す輝に、僕も声量を抑えて言葉を返す。まったく心配性な奴め。そんな簡単に涙を見せるほど、アタイの涙は安くなくってよ!

「茂木くん、どうかしたの?」

「いや、ちょっと目にゴミが入っただけだと。とにかくこれで全員揃ったな!」

 宮永さんの質問に、いかにも取り繕ったような笑みを浮かべて話を戻す輝。少々強引な気もしたが、宮永さんもそこまで興味もなかったのか、首を傾げながらも「ふーん?」と返すだけだった。

「全員揃ったと言えば、この面子でどこかに遊びに行くって、なにげに初めてだよな」

「そうだね~。この中で遊びに行ったことのある人なんて、それこそ輝ちゃんくらいしかいないし」

「言われてもみれば、緋室くんと一緒に出掛けることはあっても、こうして他の人と交えて遊ぶのは、私も初めてですね」

「小冬も右に同じ」

 つまり三人共、すでに輝とのデート経験があるということか。もっともそれが本当にデートだったのかどうかは、今の情報だけでは判断はつかないが。

 そんな宮永さんたちの服装は、男子目線(主に輝だろうけど)を気にしてか、どれも可愛らしいものだった。

 まずは宮永さん。白のカットソーに、これまた白のプリッツスカート。トドメとばかりに靴も白のスニーカーで決めていて、清楚の中にも活発さを思わせるコーデだ。純粋というか、いつも天真爛漫な彼女にとても似合っている。読者モデルと言われたら普通に納得してしまいそうだ。特に胸がいい。具体的に言うと胸の谷間がいい。巨乳最高!

 続いて藤堂さん。こちらは委員長らしい大人しめのファッションで、白のトップスにデニムのパンツという、若干お堅い印象だ。だが少し肩を出していたり、ピンクのサンダルを履いていたりと、なにげに男子目線を気にしている節もある。きっと藤堂さんなりに葛藤した上での格好なのだろう。そして今日も忘れずにシュシュをしているあたり、相当愛着があるようだ。それよりも個人的に生足がポイント高いですね~。

 最後は御園さん。御園さんの場合は二人に比べて少し大人っぽい感じで、黒と白のボーダーにピンクのロングスカートという出で立ちだった。童顔で低身長な彼女には少しミスマッチな感が否めないが、無理して背伸びしているような雰囲気があって、逆に可愛らしく見える。なんというか頭をナデナデしてあげたくなる。庇護欲ってやつだろうか? お兄ちゃんとか呼ばれてみたい。にぃにでも可。

 ついでに輝も言っておくと、こっちは無地の白シャツに紺のスラックスという、至って平凡なものだった。だがやはりそこはイケメンというべきか、服装そのものは普通なのにとても映えて見える。

 イケメンはなにを着ていてもイケメンとは言うが、ありゃ本当だね。どんな安物でもイケメンが着ると有名なブランド品に見えてしまう。イケメンってやっぱ得だわ。僕もほとんど似たような服装なのに、これじゃあ月とスッポン。ウサギとカメだ。もはや便所虫レベルまであるね、これは。

「じゃあ、そろそろ行くか。いつまでもこうして駅前にいても仕方ないし」

「そうだねー。あたしも早く観覧車とかに乗りたいし♪」

「いいですね、観覧車。私も好きですよ」

「小冬はジェットコースターに乗りたい。あとバイキングにも」

 輝の言葉に、上機嫌に応える女子一同。ちなみにこの間、僕には挨拶だけで、ろくに話しかけてもこない。この前の昼休みの時は、多少なりとも親しくなれたと思っていたんだけどなあ。単に輝と遊園地に遊べることに浮かれているだけかもしれないが。

 しかし、あれ以来たまに昼飯を食べるようにもなったのに、この仕打ちはさすがに応えるものがあるな。一歩進んで一歩後退した気分である。なんだか先行きが不安になってきた……。

 いや、ここで弱気になってどうする。せっかくの遊園地デートなんだぞ。もしかしたら宮永さんたちと一気に仲を深められるかもしれないチャンスなんだ。この絶好の機会を逃すわけにはいかない。

 そしてあわよくば、宮永さんたちとイチャイチャ──

「きゃあ!? ひ、緋室くん、いきなりなにするんですか! 突然私のお尻に飛び付くなんて! ま、まあ、どうしてもと言うなら、許さなくもないですけれど……」

「すすすすまんっ! でもわざとじゃないんだ! うっかり転びそうになったから、つい反射的に目の前にいた藤堂にしがみ付いてしまっただけで……ってうわあ!?」

「ひゃん!? んもう輝ちゃん! またあたしの胸を触ったりして~! いくら輝ちゃんがおっぱい星人でも、人前で触るのは禁止だって前にも言ったでしょ!」

「小冬は別に構わない。たとえ今みたいに股間にダイブされてもいつだってウェルカム。輝が股間好きなのは先刻承知」

「ご、誤解だから! おっぱい星人でも股間好きでもないから! 信じてくれ~!」

 あ、やっぱイチャイチャは無理かも。

だってどう見ても輝にゾッコンだもん。好き好き大好き超愛してる状態だもん。輝以外の男子なんて眼中になさそうだもん。なんなら、僕という存在そのものがなかったことにされていそうだもん。

 こんな調子で、本当に宮永さんたちと仲良くすることなんてできるのだろうか……。



 はてさて。

 一抹の不安を残しつつも輝たちと一緒に遊園地まで来た僕ではあるが、入園そのものは特に目立った支障もなく普通に入れた。

 とりあえず、ここまではいい。相変わらず宮永さんたちは輝ばかり構っていたが、これ自体は想定の範囲内だ。

 重要なのはここからだ。遊園地なら彼女たちも普段では見られない表情を浮かべるだろうし、きっと本心も漏れやすくなるはず。そうなれば、だれが僕を好きなのかも特定しやすくなる。あとはどう攻略するか、熟考すればいいだけだ。

 とはいえ、あくまでもこれは希望的観測に過ぎない。特定できないままこの日を終える可能性だって十分にある。

 だが、今はそれでもいい。もちろん特定できるのに越したことはないが、ことを急いて大局を見失っては意味がない。今日は少しでも宮永さんたちと距離を縮めて、情報を集めることに意味があるのだから。

 で。

 遊園地に来たからにはアトラクションに乗らずしてなにをするのか、という話になるのだが、そのアトラクションが今回のポイントとなってくる。

 言うまでもないが、どのアトラクションにも順番や座席というものがある。となれば、宮永さんたちのだれかと席を共にする機会も当然やってくることになる。

 当然ながら、アトラクションによっては悠長に話している余裕なんぞない場合も出てくるとは思うが、中には二人きりで話せるものもある。つまりこれは、宮永さんたちの内のだれかと二人きりで話せる絶好の機会に他ならないというわけだ。

「チャンス、ではあるんだけどなあ……」

 輝と楽しそうに話す宮永さんたちの背を見つめながら、ぼんやりと呟く僕。

 現在僕たちは、遊園地内にある街道でパレードを見物していた。パレードといっても某夢の国のような大掛かりなものではなく、妖精に扮した音楽隊と一緒にクマやブタなどの着ぐるみが小規模な集団となって行進するだけのものなのだが、小さな子供たちには好評のようで、終始嬉々とした声を上げて騒いでいた。

「見て見て輝ちゃん! ポットベリード・ピッグがいるよ!」

「ぽっとび……? なんだそれ?」

「ベトナムにいるペット用のブタですね。世界最小のブタとも言われています。しかし日本ではそこまで有名な品種ではないのに、どうしてあんな着ぐるみが……?」

「ブタはいい。特にイベリコブタは絶品」

「あ、小冬ちゃん。イベリコブタの着ぐるみもいるよ~」

「なんと。これは撮らざるをえない。スマホで連写。ダダダダダダ」

「おお……。御園がいつになく生き生きとしている……。おれ、初めて見たかも」

「私もです。緋室くん以外にも夢中になれるものがあったんですね……」

 あ、子供たちだけじゃなかった。ここにも喜んでいる人がいた。宮永さんはなんとなく予想はできたけど、まさか御園さんがここまで意気揚々とするとは……。

 いや、そんなことは別にどうでもいいんだった。

今はどうやって宮永さんたちとコミュニケーションを取ればいいのかという問題の方が先決だ。

 とは言いつつ、宮永さんも藤堂さんも御園さんも、三人して輝のそばに付きっきりでトイレに行く時を除けば一向に離れる気配がない。これでは僕が間に入る余地なんてありはしない。

 現状、彼女たちにとってただのクラスメートであり、そして輝の友人でしかない僕には。

 だからこそ、少しでもその関係から一歩進展するためにこうして遊園地まで来たというのに、これではせっかくの計画が台無しである。これじゃあとんだピエロだ。

 ……って、思うじゃん?

 バカめ! こうなることもすでに想定済みなのだよ!

 だいたい、輝たちみたいな陽キャグループの中に僕みたいなコミュ障の陰キャが混じったらどうなるかなんて、先週の昼休みの件で学習済みだ。

 無策でこの陽キャグループに飛び込むなんて愚の骨頂。こういった場合の対処法は、すでにいくつか練ってある。

 最初こそ想定外の事態が起きて動揺はしたが、今は至って平静だ。あとは入念に練ったプランを実行するのみ!

「あー。パレード終わっちゃった~」

 どこぞへと去っていく音楽隊たちの背を見やりながら、名残惜しそうに声を発する宮永さん。

「ちょっと地味だったけど、まあまあ面白かったね~」

「そうだな。で、これからどうしようか? 別におれはどこでもいいけど」

「じゃあ、これからみんなでゴーカートに乗るっていうのはどう?」

「「「ゴーカート?」」」

 僕の言葉に、女子一同が異口同音に繰り返した。

「おっ。いいなゴーカート。おれは賛成だぜ」

「輝ちゃんが行きたいなら、あたしは別にいいけれど……」

「小冬も問題ない。マリオカートで鍛えたこの運転テクを存分に振るう時」

「それ、ゲームですよね? 現実の運転と関係あります? まあゲームですら運転したことのない私が言えたセリフではありませんが……」

「あれ? 凛ちゃん、ゴーカートって初めて乗るの?」

「ええ、まあ。昔から運動神経が鈍ったので、ああいったものは少し苦手で……」

「別に簡単だよー? あたしも小さい頃に何度か乗ったことがあるし」

「そうなんですか? でも、少し不安ですね……」

「それなら、おれが一緒に乗ろうか? あれ、二人乗りもできるし、他の遊園地で運転したことがあるから、たぶん大丈夫だと思うぞ?」

「本当ですか!? ぜひお願いします!」

「あー! 凛ちゃんだけズルい~! あたしも輝ちゃんと一緒に乗りたい!」

「小冬も熱烈に希望」

「そらは何度か乗ったことがあるんだろ? だったら御園と一緒に乗ればいいだけの話じゃないか」

「うぐぐ……」

「過去の小冬を殴りたい」

 輝のすげない返答に、歯噛みする宮永さんと瞳を虚ろにする御園さん。これで輝と藤堂さん、宮永さんと御園さんのペアが決まったことになる。

 そうなると例によって僕だけあぶれてしまうことになるが──

「くくっ。計画通りだ……」

 みんながゴーカートの話題で盛り上がっている中、人知れず僕は口角を歪めた。



 そんなわけで、みんなでやって来ましたゴーカート。

 周りを見ると子供たちの人気が高いようで、小学生くらいの男児が嬉々として乗り込んでいく姿がよく見られた。やっぱ男の子だね。気持ちはよくわかるぜ。

 で、そのゴーカート広場ではあるが、子供たちだけでなく大人にもけっこう人気があって、割と長い行列ができていた。時間で言えばあと二十分ってところだろうか。

 こういう行列待ちには人の内面が出やすいというか、気が短いかそうでないかが如実に現れるものだが、そういう意味では宮永さんたち女子三人は、気の長い方ではあった。

 この三人、輝が絡むとなにかといがみ合うことが多いのだが、決して険悪というわけではなく、むしろ談笑する程度には仲がいい。こうして行列待ちしている間にも最近新しくできたケーキ屋さんとか流行りのファッションの話などで盛り上がっていた。もっとも五人一列で並べるほど広くはなかったので、折衷案で僕と輝だけ後ろに下がった状態ではあるが(輝のラッキースケベ対策というのもある)。

 あれだ、ケンカするほど仲がいいってやつだ。もしくはトムジェリ的な関係。暇な時間を潰せるなら別にライバルでも構わないってことなのだろう。こういうところ、女子だなあと思ってしまう。偏見かもしれないけど。

 一方の僕と輝はというと、宮永さんたちのすぐ後ろでこそこそ密談していた。

「……じゃあ輝、手はず通り頼むぞ?」

「……おう。任せとけ」

 前の三人には見えないよう、腰の辺りで小さく親指を立てる僕と輝。だいたいの計画は昨日の時点で伝えてはいたが、直前に再度確認しておきかったのだ。

「輝ちゃん、そろそろ順番だよー」

 背後を振り向いて声をかけてきた宮永さんに、軽く手を上げて応える輝。

 ややあって、僕らの順番が来た。事前に決めていた通り、それぞれのペアに分かれる。宮永さんは御園さんと。輝は藤堂さんと。そして僕は一人きりで乗車だ。

 五人しかいないからね。仕方がないね。だから悲しくなんてないのだ。本当なのだ。……本当だよ?

 なんて心の涙を流している間に、親子が乗ったゴーカートがスタート地点に帰って来た。先頭にいるのは輝と藤堂さんのペアなので、最初に乗るはこの二人となる。

「あ。やっべぇ。なんか腹が痛くなってきた……」

 と、ゴーカートから親子が離れたところで、急に輝が腹部を押さえて体を曲げた。

「えっ。輝ちゃん大丈夫?」

「ちょっと限界かも……。悪い藤堂。ちょっとトイレに行ってきていいか?」

「それはいいですけれど、でも私、一人でこれに乗るのは……」

「あ、それなら太助と一緒に乗るといいよ。どうせ一人余っていたし、太助もゴーカートに乗ったことがあるから。それじゃあ、あとはよろしく!」

「え!? 緋室くん!?」

 言うが早いか、トイレのある方向へと突っ走っていた輝に、慌てて呼び止めようとする藤堂さん。だが輝の背中はあっという間に見えなくなって、ゴーカートの前で藤堂さん一人残されてしまった。

 狼狽える藤堂さんに、僕は待ってましたと言わんばかりに──しかしながらあくまでもさりげない様子を装って、

「……あの、藤堂さん。輝もああ言ってたし、二人で乗ろうか……?」

 おずおずと訊ねた僕に、藤堂さんは戸惑いの表情を浮かべつつも「は、はい……」と小さく頷いた。



 唐突ではあるが、ここで昨日の夜──輝と電話していた時の話まで遡りたいと思う。

 輝に宮永さんたちを遊園地に誘ってほしいと頼んでいたが、具体的になにをするかまでは伝えていないままだった。なので、遊園地に行く前日の夜に輝とこんなやり取りをしていた。

『おれが仮病を使って、ゴーカートに乗る直前に離れたらいいのか?』

 電話口から聞こえてきた輝の質問に、僕は「うん」と頷きを返した。

「そうなったら、当然女子の中のだれかが一人残されてしまうだろ? そこを僕が輝の代わりを務めるってわけ」

『なるほど。確かにそれなら二人きりで話せるな。藤堂は運動音痴だって前に言ってたし、あとは太助と組むしかない状況を作ればいいだけだな』

 ちょっと強引な気もするけど、と続けて言った輝に、僕は「仕方ないだろ」と少しぶっきらぼうに応える。

「こうでもしないと、宮永さんたちの内のだれかと二人きりで話せる方法なんて思いつかんだから」

『自分からだれかを誘って二人きりになる勇気もないしな』

「やかましいわ」

 実際その通りだし、なんの反論もできないけどさ。

『けど、ゴーカート以外のアトラクションではどうするんだ? さすがに何度も腹痛を装ったら怪しまれるぞ?』

「だったら腹痛以外でその場から離れたらいいんだよ。急な電話とかでな」

『あ、そっか』と納得する輝。

『でも、本当に大丈夫か? 太助って、今まで女子と二人きりで話をしたことなんてないはずだろ?』

「そそそ、そんなことねえし! 何度かあるし!」

 幼稚園の頃までの話だけどな!

『……ま、いっか。こいつらの場合、これくらいやらないとなかなか進展しないし……』

「あ? なんか言ったか?」

『なんでもない。けどさ、こんなに彼女を欲しがっている割に、なんで今まで積極的に女子と関わろうとしなかったんだ? 確かに目つきは悪い方だけど、見た目が悪いってわけじゃないし、女友達くらいなら普通にできたんじゃないのか?』

「それは……あれだよ。たまたまというか、タイミングが合わなかっただけと言いますか……」

『ああ。単に女子に話しかける勇気がなかっただけか』

「うぐうっ」

 図星という名の鋭利な凶器が僕の心を容赦なく抉る!

『別におれみたいに面倒な体質を持っているわけでもないのに……。こんなんで本当にそらたちと仲良くなれるのかね?』

「だ、大丈夫だって! 女子と話す方法はいくらか予習してある! 主にネットとか本とかで!」

『うわあ、めちゃくちゃ童貞臭いセリフ……』

「そういうお前も童貞やろがい! それに相手が普通の女子なら、なんとかできる自信はある!」

サイコパスとかメンヘラとかヤンデレとか、そういう色んな意味で危ない奴以外なら。

「脳内シミュレーションもすでにばっちり! もうなにも怖くないぜ!」

『それ、死亡フラグじゃね?』



 以上、回想終了。

 そんなわけで、輝とは前もって打ち合わせをしておいたおかげでなんとか第一段階……ゴーカートで女子と二人きりになるところまでは行けたが、本番はここからだ。

 ゴーカートを慎重に運転しながら、ちらっと助手席に座る藤堂さんを見やる。

 藤堂さんはゴーカートに乗ったきり、一言も口を開こうとはしなかった。たぶん初めて乗るゴーカートにいくらか緊張しているせいもあるのだろうが、それ以外に原因があるのは明白だった。

「僕なんかじゃ輝の代わりにもならないってか……」

 思わず嘆息が漏れた。藤堂さんに聞かれないように一応の配慮はしてあるが、気分としては複雑だ。向こうの気持ちもわからなくもないが。

 とはいえ、やはりなかなかにきついものがある。覚悟はしていたつもりだが、こうも露骨に落胆されると、さすがの僕も傷付く。さっきから流れる景色を見るばかりで、一切こっちを向かないし。

 あ、でも、僕のことが好きで会話のきっかけが掴めないという線もあるのか。それならそれでやりようはあるが、なんにせよ、今の空気はよくない。下手をすれば後々宮永さんたちにも悪影響を及ぼしかねない。

 うーむ。学校のお昼休みの時はそれなりに話もしたのになあ。あ、でも、あの時は輝がいたから気兼ねなく話せただけで、僕と二人きりになるのはこれが初めてだし、それで余計に緊張しているのかもしれないのか。

 本当なら初めてのゴーカートにテンパる藤堂さんに僕の華麗なる運転テクニック(安全運転とも言う)を見せて好感度を上げる算段でいたのだが、こうなったら仕方がない。プラン変更だ。

「と、藤堂さん。なるべく慎重に運転してるつもりだけど、どう? 気分が悪くなったりしてない?」

 少し声がどもってしまったが、スタート地点を出発してから数分経って口を開いた僕に対し、

「え? あ、はい。なんともありません」

 と、藤堂さんは少し意外そうに目を見開いて言った。

 もしかして、このままずっと黙ったままゴールに行くと思っていたのだろうか。いくらコミュ障で陰キャな僕でも、そこまでヘタレじゃないぞ。できたら藤堂さんの方から話しかけてほしかったところではあるが。話すより聞く側の方が気も楽だし。

 閑話休題。

 そんなわけで、意を決して話しかけてみたのだが、対する藤堂さんの反応は先ほどの返答だけで、特に続く言葉はなかった。

 え、うっそぉ。マジでえ? めっちゃ勇気を振り絞ってこっちから声をかけてみたのに、もう会話終了なん? ほ、他にはないの? 別に天気の話でもいいのよ? 今日はお日柄の良く……みたいな感じでさあ!

「きょ、今日は晴れてよかったよね! 梅雨時でなかなか外で遊べない日も多いし!」

 しょうがないので、僕の方から天気の話を振ってみる。

 すると藤堂さんは、少し困ったように眉尻を下げてこう返した。

「はあ。そうですね」

 …………。

 僕は今、泣いていい。

 いや、まだだ! まだ終わらんよ! なに、ちょっと話題が平凡過ぎて向こうも返事に困っただけさ! 僕たちの物語は、まだ始まってもいない。

 とは言いつつ、たぶん他の話題を出しても食い付きが悪そうな気がする。僕も話し上手という方ではないし、そもそも根っからのオタク気質なので、一般的な女子の喜びそうな話題なんて思い付くはずもなかった。

 そう、一般的な女子の喜びそうな話題ならば。

 だが、相手は輝のハーレム要員──ならば、いくらでも切り崩す方法はある!

「と、ところで輝とはよく遊びに行かれたりするのですかな?」

 なんだか息子の彼女によそよそしく話しかける父親みたいな口調になりつつ、僕は訊ねる。

「え? まあ、はい。先に宮永さんや御園さんとも約束している場合もあったりするので、そこまでよく遊びに行くわけでもありませんが。なので、あんまり緋室くんと話せない時もあるんですけれど、その代わり私の方を気遣ってちょくちょく視線をくれたりするので、悪い気はしませんね」

 おっ。口数が増えた。宮永さんや御園さんもそうだったけど、やっぱ輝の話をする時は全然反応が違うね。さっきまでの事務的なやり取りはなんだったのかと問い質したいくらいの変わりようである。

 まあいいさ。これで少しでも空気が和むのなら。僕としては面白くないところではあるが、この際贅沢は言えまい。毒を食らわば皿までというやつだ。別に輝が毒というわけでもないが。

「そういえば、前々から気にはなっていたけど、輝とはいつから仲が良かったの?」

 藤堂さんとは二年生のクラス替えで初めて知り合ったが、その時にはすでに輝と顔見知りの関係だった。去年は輝とも別クラスだったし、おそらくその時期に知り合ったのだろうが、少なくとも今のようなベタベタな関係ではなかったはずだ。朝の登校で藤堂さんと出くわすようになったのも、二年生に進級してからのことだし。

 もっとも藤堂さんにしてみれば輝だけが目当てで、僕なんて金魚のフンくらいにしか思ってないのだろうけど。

「緋室くん、とですか?」

 僕の質問に藤堂さんは怪訝に眉をひそめつつ──おそらく僕みたいな普段話さない男子に妙な質問をされて少し戸惑っているのだろう──こう続けた。

「そうですね……緋室くんとは去年の夏に、同じ体育委員として体育祭に参加した時でしょうか」

「あー。言われてもみれば、去年体育委員だったって輝から聞いたことがあるかも。と、藤堂さんが体育委員だったっていうのはちょっと意外だったけど……」

「私も本当は体育委員なんてやるつもりはなかったんですが、他に挙手する人がいなくて、なし崩し的に……」

 それで体育委員をやらされる羽目になったのか。正直、一年生の頃から委員長を進んでやっていそうなイメージだったが、そうでもないらしい。

 あ、でも、それぞれの委員を決めるのは入学してすぐだし、そこまで積極的になれないか。まだクラスメートとぎこちない頃だろうし、そもそも藤堂さんって、陰キャじゃないけど別段そこまで陽キャというわけでもないもんな。美人で人気があるっていうだけで、本人はすごい真面目な性格だし。

「それで、体育祭の準備で朝早く登校しなければならなかったのですが、私の代わりに緋室くんが重い荷物などを何度も運んでくれて……。それから緋室くんとよく話すようになって、今のような親しい間柄になりました」

 へえー。二人の間でそんなことがあったのか。相変わらず行動がイケメンというか、いかにも輝らしい話である。

「でもまさか、あんなスケベな人だとは思いませんでしたけれど……」

「あれは、わざとやっているわけじゃないから……」

「故意じゃないのは私も理解できていますけれど、こう何度もエッチなことをされると、さすがに……」

 恥ずかしそうに顔を赤らめて言う藤堂さん。うん、気持ちはわからんでもない。

「けど、そっか。それで輝と親しくなったのか」

 ちょっと急なカーブをゆっくり曲がりながら、僕は感想を述べる。

「あいつ、ナチュラルに気遣い上手だからなあ。僕も昔からよく助けられたし。そりゃ女子にもモテるわ。イケメンで優しいとか非の打ちどころがないわ」

「そういう茂木くんも、優しい方だと思いますよ?」

 カーブを曲がりきって、ハンドルを元の位置に戻した時だった。

 不意に発せられた藤堂さんのその一言に、僕は「へ?」と口をポカンと開けたまま惚けてしまった。

「茂木くんは覚えていないかもしれませんが、同じクラスになる前、一度だけ会ったことがあるんですよ?」

「え? 僕と藤堂さんが?」

「会ったと言っても、話したこともなければ顔を合わせたことすらないんですけどね」と、苦笑する藤堂さん。

「……? それってどういう意味?」

 藤堂さんだけ僕のことを前々から知っていたかのような口振りだが、僕が優しいという話とどう繋がりがあるのか、皆目見当もつかない。一体どういう意味なんだ?

「二年前、この高校で入試試験を受けた際、隣の席が茂木くんだったんです。もちろん当時は顔も名前も知らなかったのですが、試験が始まる直前、私の二つの前の席の子が慌てたようにごそごそと物音を立て始めて。なにか忘れ物をしてしまったのでしょうね。顔までは窺えませんでしたが、ひどく狼狽しているのは離れた席からでもよくわかりました」

 ん? なんとなくだけど、ぼんやり思い出してきたかも。

 それも、あんまり良い記憶ではなかったような……。

「たぶん、近くの席の人も私みたいに気付いていたと思います。ですが、状況が状況でしたからね……みんな自分のことだけで精一杯で、だれも助けようとはしませんでした。私も隣の席にいたら助けられたかもしれませんが、忘れ物がなにかがわからない上に、席を離れてその子の元に行く勇気もなくて……。そんな時だったんです。隣の席にいた茂木くんが、不意に消しゴムを投げたのは」

 追想するように目を細めながら、藤堂さんは続ける。

「その消しゴムが忘れ物をした子に届けようとしていたのは、だれの目から見ても明白でした。残念ながら、その消しゴムは別の方の後頭部に直撃してしまいましたが」

 うぎゃー! 思い出した! 完全に思い出したあああ!

 そういえば入試試験の時、消しゴムを忘れたような挙動をしている女の子がいたから、カッコよく余っていた消しゴムを投げたつもりが、別の人の頭にぶつけちゃってめちゃくちゃ睨まれたんだったー! 今思い出しただけでも恥ずかしい! 壁に頭をぶつけて記憶を抹消したい~!

「でも、茂木くんの意図をわかってくれたのか、そばに落ちていた消しゴムをその忘れ物をした女の子に届けてくれた方がいて──茂木くんは申しわけなさそうに俯いていましたが、私はすごく感心してしまいました。試験が始まる前でみんなピリピリとしていた中、よくあんな行動ができたなって。そんなこともあって、茂木くんの顔をずっと覚えていたんです」

 茂木くんは私の顔なんて覚えていないはずだと思ったので、同じクラスになっても自分から話しかけることはありませんでしたが。

 そう言って、恥ずかしそうにはにかむ藤堂さん。まあ結果的にはちゃんと消しゴムが届いてよかったけどさあ、個人的には黒歴史なんだよね。できれば掘り起こさずにそのまま埋葬させてほしかった……。

 とはいえ、そうか。藤堂さんって、前から僕のことを知っていたのか。しかも話を聞く限り、知らない間に好感度を稼いでいたようだ。

 そうなると……あれ? もしかして僕、けっこう良い感じじゃね? 藤堂さんに良い印象を持たれている感じじゃね? いつの間にやら普通に会話もできているし。

 これは案外チャンスかもしれない。ここでさらに好感度を上げたら、藤堂さんの本心を聞き出せるかも……?

「そ、そっかー。知らなかったなあ。あの時、そばに藤堂さんがいたなんて」

 噴水が出るエリアをまっすぐ進みながら、僕はチラチラと藤堂さんの様子を横目で見る。

「でも、よくよく思い出してみれば、一人だけすごい美人がいたような気がするなあ。もしかしたらその時の子が藤堂さんだったのかも……?」

 まずは軽くジャブで藤堂さんを褒めてみる。すると藤堂さんは紅潮した頬を隠すように顔を両手で覆って「わ、私ですか?」と訪ね返してきた。

 おおっ。なかなかいい反応! よし、あともうひと押しいってみるか!

「いや、あれは絶対藤堂さんだったね。今になってはっきりと思い出したよ。あの腰まで伸びた綺麗な黒髪の美人は、藤堂さんで間違いないって!」

「あの時の私、ショートボブだったんですが……」

「あ、そっすか……」

「………………」

「………………」

 会話、終了。

 その後、重苦しい沈黙が続いたままゴーカートの運転を終えたのは、言うまでもない。


 ○  ○


「やってもうた……完全にやらかしてもうた……っ」

 みんなでゴーカートに乗って、しばらくしたのち。

 トイレから帰ってきた輝(宮永さんたちの間ではそういうことになっているが、実際はフードコートで時間を潰していたらしい)と合流したあと、僕たちは次のアトラクションに向かっていた。

 その道中、間抜けな失敗をして落ち込む僕に、輝は唐突に肩を抱き寄せてきて、

「まあまあ。別に嫌われたって感じじゃなさそうだし、次で挽回すればいいじゃん」

「……ほんとぉ?」

「ほんとだって。ただ、しばらくは不信感を持ってしまうかもな。場合によっては顔を見ただけで逃げるかも」

「それダメじゃん! 最悪なパターンじゃん!」

 ギャルゲーで言うなら、好感度がだだ下がりな状態じゃん! 告る前に「さようなら」って言われる寸前じゃん!

 いや、思いっきり自業自得ではあるんだけどさあ!

「で、次はどうするんだ? まさか、このまま終わるつもりじゃないんだろ?」

「当たり前だ」

 八つ当たり気味に輝の腕を振り払って、前を歩く女子三人の背中を見やる。

 僕の失態のせいで空気が悪くなるかもしれないと思っていたが、それは杞憂だったようで、藤堂さんが機嫌を損ねて無口になるという事態にまではならなかった。さすがに僕と目を合わせるようなことは一切しなかったが。

 まあ、ここで空気を悪くなるような真似をしたら、宮永さんや御園さんにも申しわけないもんな。藤堂さんみたいな真面目な人が、そんな短絡的な行動を取るわけがないか。

 ひとまず、藤堂さんに関してはいったん保留にしておこう。時間が解決してくれるかもしれないし、今は目の前のことに集中せねば。

「それで次は、迷路に行ってみようと思う」

「迷路……か。確かここの迷路って、一組三人までだったよな? おれが太助以外の二人と組むとして、余っただれかがお前とペアになれば──」

「うん。また二人きりで話ができる」

 とはいえ、さすがにまた藤堂さんとペアを組む勇気はないが。

 そう言うと輝は「あー」と納得したように声を漏らして、

「それもそうだな。向こうもまだ気まずいだろうし……よし、わかった。藤堂はおれに任せろ。あとはどうやって組み分けするかだな」

「それはじゃんけんでいいんじゃないか? まずは僕と輝、それと藤堂さんの三人。それと宮永さんと御園さんでじゃんけんして、勝った方がペアを組むってことで」

「いや、じゃんけんで決めるのはいいとしても、その前にどうやっておれと太助と藤堂の三人に分かれるんだ?」

「安心しろ。僕に考えがある」

 考え? と首を傾げる輝に、僕はニヤリと口角を上げた。



 そうしてしばらく歩いたあと、目的地である迷路へとやって来た僕たち。

 さっそく、どうやって組み分けするかという話になったのだが──

「ここはじゃんけんで決めるっていうのはどうだ? 三人と二人に分かれて、勝った者同士でペアを組むって感じで」

 輝のこの提案に、真っ先に反応したのは宮永さんだった。

「じゃんけん? 輝ちゃんって、じゃんけん弱い方じゃなかった?」

「確かに強くはないけど……グループ分けするだけなら別にじゃんけんでもいいかって思ってさ」

「そっかー。じゃああたしもじゃんけんでいいよー」

「小冬も問題ない」

「私もじゃんけんで大丈夫です」

「僕も」

 白々しく宮永さんたちに同意する僕。まさか僕が輝に言わせたなんて夢にも思うまい。

 そして僕の策は、まだこれで終わりじゃない。

「そこで提案があるんだけど、おれと太助と藤堂さんの三人でじゃんけんしていいか?」

「え? 輝ちゃんと凛ちゃんと……それと茂木くん? なんで?」

「おれと太助とは普段から二人でよく遊んでるし、藤堂はさっきゴーカートで太助とペアになったばかりだろ? だから今言った三人でじゃんけんした方が、おれにとっては都合がいいんだよ」

「ふうん? まあ、あたしはいいけど。輝ちゃんと組めるかもしれないし♪」

「小冬も輝とのペアを希望」

「御園さん、だからそれを今からじゃんけんで決めるんですよ?」

 なんて話をしつつ、さっそく三人と二人に分かれて距離を取る僕たち。距離を取ったのは、だれが勝ったのかわからなくするためだ。

 さて、ここで一つ問題が生じる。

 僕と輝、そして藤堂さんの三人でじゃんけんするのはいいが、今のままでは望んだ通りの結果になるとは限らない。少なくとも、宮永さんか御園さんとどちらかとペアになるには、僕の勝利が必須となる。

 輝はまだいい。事前に打ち合わせをして、わざと負けてもらえばいいのだから。

 だが藤堂さんはそういうわけにはいかない。さすがに僕からお願いするわけにもいかないし、ここで一計を案じる必要がある。

 そこで考えたのが、これだ。

「……藤堂、ちょっと耳を貸してもらっていいか……?」

「え? あ、はい……」

 輝に声をかけられ、藤堂さんは僕を気にしつつも言われた通りに耳を寄せる。

 そうして、しばらくこそこそと内緒話をしたあと──

「は、はあ。別に私は構いませんが……」

「ありがとう。じゃあ、さっき言った通りに頼むよ」

 戸惑いの表情を浮かべながらも藤堂さんの了承を得て、ニコリと微笑む輝。

 そして「悪い。時間を取らせたな」と謝ったあと、藤堂さんを伴って僕の元へと歩いてきた。

「なに? 僕だけ仲間外れにして作戦会議?」

「ま、そんなところだ。気を悪くしたか?」

「別に。二人は仲良しなんだし、一緒に組めるよう協力したとしても不思議じゃない。そっちの方が藤堂さんもありがたいだろうし」

「ありがたいなんて、私はそんなつもりじゃあ……」

「おい、太助。それは言い過ぎだぞ」

 と。

 反論しかけた藤堂さんを途中で遮って、輝が怒気を含んだ声で僕に詰め寄ってきた。

「確かに、太助だけを勝たせるよう、藤堂に頼みはした。でもそれは少しでも太助にそらや御園さんと仲良くなってほしいと思っただけなんだ。別にお前をないがしろにしたわけじゃない」

「どうだか。少なくとも藤堂さんは僕と組みたいなんて毛ほど思ってないだろうさ。ゴーカートに乗っていた時も、全然話も弾まなかったし。どうせ僕なんて邪魔としか──っ」

 そこまで口にして、突如輝に胸倉を掴まれた。

 そして「いい加減にしろよ」と剣呑に僕を睨み付けたあと、

「藤堂がそんなこと思っているわけないだろ。被害妄想も大概にしろ」

「はあ? 被害妄想? 単なる事実だろ?」

「待って! 待ってください!」

 掴み合いになりかけたところで、藤堂さんが強引に僕と輝の間に入って叱声を飛ばした。

「こんなところでケンカはやめてください! せっかく遊園地に来たのに、友達同士でケンカするなんて悲しいです……」

「藤堂……。ごめん。カッとなり過ぎた……」

「僕も……。少し言い過ぎた……」

 揃って頭を下げた僕と輝に、藤堂さんはほっと安堵の息をついた。

「でもちょっと頭を冷やしたいから、太助を勝者ってことにしておいていいか? おれと太助も、少しだけ冷却期間が必要だと思うんだ」

「あ、はい。そういうことであれば、私は異存ありません」

「ありがとう、藤堂。悪かったな、怖いところを見せちゃって……」

「僕もマジでごめん……」

「いえ、もう気にしていませんから」

 怖かったのは事実ですけれど、と苦笑する藤堂さん。優しい人だ。

「じゃあ、おれは藤堂とここで待ってるから。太助はそらと御園のところに行ってくれ」

「……わかった。そうするよ」

 まだ輝とのケンカを引きずっているかのように重々しく頷く僕。そしてそのまま気落ちした表情を作りながら、僕は宮永さんと御園さんの元へと歩いた。



 ここで種明かしといこうか。

 もはや種明かしをするまでもないと思うが、ざっくばらんに言ってしまうと、先ほどの輝とのやり取りは全部演技だ。

 じゃんけんなんて回りくどい真似はせず、確実に僕が宮永さんか御園さんとペアになるために。

 ただまあ、藤堂さんには少し悪いことをしてしまった。今さら後悔はしていないが、自分のために女の子を騙すのは、やっぱりいい気分じゃないな。輝にも最初渋い顔をされたし、演技とはいえ藤堂さんをむやみに怖がらせてしまった。たぶん輝もなにかしらのフォローを入れてくれていると思うが、僕の方からもあとでちゃんと謝っておこう。

 とはいえ、作戦そのものは成功した。それ自体は喜ぶべきことではある。

 喜ぶべきことではある、のだが──

 ちらっと横を歩く彼女を窺う。

 隣にいる彼女──御園小冬さんは、ただひたすら無言に僕と共に迷路を歩いていた。

 …………………………。

 なにこれ? デジャヴ?

 ついさっきも、同じようなことがあった気がするぞ?

 もう一度御園さんの横顔を見てみる。

 やっぱり無言で──しかも相変わらずの無表情で隣を歩いていた。

 しかも、さっきからずっと正面を向いたまま、微塵たりともこちらに目線もくれず。

 ……うん。これ、気のせいなんかじゃないな。紛れもない現実だわ。いっそ罰ゲームみたいだわ。

 なにが辛いって、藤堂さんの時はまだ表情が読めたけど、御園さんはなにを考えているのか全然わからなくて会話の糸口が掴めないところにある。なにをすれば正解なのか、見当も付かないのだ。

 いや、事前に覚悟しておくべきだったのかもしれない。

 なにせ、相手は御園さんだ──基本的に口数も少なくて感情を表に出すことも一切ない彼女とペアになったらどうなるかなんて、もっと早くに想定しておくべきだったのだ。

「……反省してもしょうがないか」

 ぼそっと自分に言い聞かせるように小声で呟いて、俯き加減だった顔を上げる。

 後悔先に立たず。今はあれこれ悔やんでいても仕方がない。御園さんから本心を聞き出すのなら、いずれどうにかしなければならない問題でもある。

 とはいえ、一体どうしたものか。一応、迷路に入ったあとに二言三言くらいは声をかけてみたが、どれもまさかの無言だった。

 塩対応というか、いっそ通り越して無反応だった。

 藤堂さんと二人でいた時は、戸惑いがちながらもそれなりに返事をしてくれたのになあ。

 ここまで来ると、御園さんが僕のことを好きという線は皆無と考えてもいいんじゃないかという気にもなるけど、もしもという可能性もある。微粒子レベルでも可能性があるのなら、無視はできない。

 それに、御園さんは三人の中で一番手強い相手ではあるが、打開策がなに一つとしてないわけじゃない。

 僕にはまだ、奥の手がある!

「て、輝たちは今頃なにしてるのかなあ。宮永さんと藤堂さんとイチャイチャしながら迷路を歩いているのかなあ。もしかしたら、こっそりキスとかしていたり「それはない。輝に限ってそれはありえない。というか小冬が許さない」

 はやっ!

 反応、めちゃくちゃはやっ!

 超反応というか、食い気味で僕の言葉を遮ってきたよ御園さんってば。ほんと、輝の話になるとみんなして反応が良くなるなあ。どんだけ輝のことを気に入っているんだか。

 ま、いいや。奥の手のおかげもあってようやく僕の方を振り向いてくれたし、これでどうにか話くらいはできそうだ。藤堂さんの時みたいに、輝の話題ばかりになりそうで、個人的には微妙な気分ではあるが。

「そ、そっかあ。御園さんは輝のことが気になって仕方がないんだね。さっきから一言も喋らなかったのも、宮永さんや藤堂さんに輝を取られるかもしれないって心配していたからなのかな?」

「そんなことはない。輝は温室育ちのお嬢さまのようにガードが固いから、簡単にキスなんてさせるはずがないと信じている。むしろ小冬は、あなたのどもり口調の方が心配」

「……………………………………」

 いやまあ、確かにどもってばかりいるけどさ!

 でもそれはあくまでも女子慣れしていないせいであって、いつもこんな口調っていうわけじゃないから!

 ていうか、僕のコンプレックスを刺激しないで! 泣いちゃうから!

「ごほん。ところで──」咳払いをすることで気持ちを切り替えつつ、僕は改めて御園さんに視線を向ける。

「御園さんは、やっぱり輝と一緒の方がよかった?」

 今度こそスマートに言えたぜ! と内心ガッツポーズを取る僕なんて目もくれず、御園さんは思い馳せるように迷路の壁に手を触れて、

「当然。小冬は輝の方がよかった。欲を言えば輝と二人きりになりたかったけど、せめて三人の内に入りたかった」

「………………」

 わあ、素直な子。本人を前にして普通言っちゃう? ねえ言っちゃう?

「……御園さんはさ、輝のことが好きなの?」

 いっそのこと、単刀直入に訊いてみた。

 すると御園さんは、肯定も否定もせず、ただじっと僕の瞳を見つめてきた。

 あれ? てっきりすぐ肯定するもんだとばかり思っていたのに、なぜか黙り込んでしまったぞ?

 しかも急に僕を凝視してくるなんて、一体どうしたんだ?

 どういう意図で僕をじっと見ている?

「──輝とは、一年生の社会見学の時に話すようになった」

 訝る僕をよそに、御園さんが不意に訊いてもいないことを喋り始めた。

 前々から気にはなっていたことだから別に構わないけど、どうしてまた急に輝との出会いを話す気になったのだろうか。

 う~む。相変わらず考えの読めない子だ。コナンくんの謎解きより難解だ。

「その時の小冬は、一人で自然公園を散策していた。人間社会に溶け込む野生の動植物を観察するという名目の社会見学ではあったけれど、小冬は別にどうでもよかった。小冬はそれよりも、自然公園の中にある城跡の方が見たかった。だから単独行動で城跡を見に行った」

「え? それっていいの? 社会見学って、基本グループで行動しないといけないもんじゃなかったっけ?」

 僕も社会見学で自然公園には行ったが、その時は厚守くんと薄井くんの三人で行動していた。もしもこの二人がいなかったら、きっとどこかのグループに強制的に入れられて、居心地の悪い思いをしていたところだ。

 というか、ぶっちゃけ中学時代に何度か経験済みなんだけどね。あんな思いは二度とごめんというか、大して話したこともない集団の中に入れられるくらいなら一人でいた方がマシなくらいである。

「当然、ダメに決まっている。けど、小冬は気にしなかった。小冬は集団行動よりも興味のあるものを優先させたかったから。ルールなんて小冬に破られるためにあるようなものに過ぎない」

 ジャイアンみたいなことを言う御園さんだった。

 ルールをのび太みたいなものだと──乱暴に扱っていいと勘違いしていそうで怖い。

 しかし、そうか。御園さんは去年一人で自然公園の中を歩いていたのか。度胸あるなあ。

 でも、別段そこまで驚きはしないな。御園さんって輝とよく一緒にいるし、周りの人にも可愛いがられてはいるが、けっこう一人で行動することも多い。トイレの時も基本一人で、だれかと一緒に行くところなんて見たことないし。

 たぶん御園さんは独りでいても平気なタイプではあるが、集団の中にいるのも苦にならない強い人なのだろう。だがその反面、自分に正直なあまり、ルールを度外視してしまいがちなのだ。

 人によってはそれを自由人と羨む者もいるだろうが、世の中そんな人間ばかりじゃない。

 勝手なことをするなと咎める者も当然いたはずだ。

「けどさ、やっぱりあとで怒られたんじゃないの? 御園さんはよくても、先生たちは納得しないでしょ」

「叱られはした。けど、怒鳴られるほどのものでもなかった」

「へえ? それまたどうして?」

「輝が一緒に謝ってくれたから」

 僕の疑問に、御園さんは端的に答えた。

 端的過ぎて、ちょっと説明不足でもあった。

 うーん。前から思っていたけど、御園さんってたまに言葉足らずなところがあるよな。もしかして僕と同じくらいコミュ障なのかもしれない。それも自分では全然気にしていないタイプ。

「えーと……それって輝と同じ班だったってこと? それで輝が班長とかで、責任を感じて一緒に謝ったとか?」

「違う。輝とは別の班だったし、そもそもクラスも離れている」

「じゃあ、なんで輝が? そもそもいつから一緒にいたの?」

「小冬が城跡を巡っていた時に、急に輝が一人でやって来た。一人で集団から離れた小冬をたまたま見て、それで心配になって駆け付けたらしい」

 あー。それで輝が御園さんを先生のいるところまで連れ戻したのか。

 しかし輝の奴、相変わらずいつでもどこでもイケメンなことばかりしてるなあ。イケメンの塊か、あいつは。

「そっか。それで輝と知り合うようになったってわけだ」

 肯定、と頷く御園さん。

「輝とはその時初めて会ったけれど、あっちも城が好きみたいで、あとでこっそり城の写真を色々見せてくれた。それから意気投合するようになって、今に至る」

「ああ、そういえば輝って城好きだったっけ。なるほど、同じ趣味だったんだ」

 もしかしたら、輝も城跡を見たかっただけなのかもしれないな。御園さんを探しに行ったのは、あくまでも口実なだけで。

 それにしても、だ。

「城好きなんて輝以外にもいたんだなあ。いや、世の中広いし、そういう人もたくさんいるとは思うけど、まさかこんな身近にもう一人いるとは思わなかった」

「同意。少なくとも小冬の周りには一人もいなかった。ネットでの知り合いを除けば、リアルでは輝しかいない」

 まあ、城巡りなんてニッチな趣味だしなあ。年配の人に多いイメージだけど、少なくとも僕たちみたいな十代にはあまりウケない趣味だろう。

 というか、御園さんって歴史マニアなのだろうか。いつも刀の形をしたヘアピンを付けているし。

 だからなんだという話ではあるのだが、もし本当に歴史マニアなのだとしたら、今後の会話の糸口になるかもしれない。ただ歴史に詳しいわけではないので、これから勉強する必要があるけども。

 半端なことを訊いて相手を怒らせでもしたら元も子もないし。

「それじゃあ輝は、御園さんにとって数少ない趣味の合う人になるわけだ」

「肯定。輝も同じ趣味の人がいなくて寂しいと言っていた。だから小冬の方から積極的に話しかけるようにしているのに、たまに困った顔をする時がある。謎」

「それはたぶん、必要以上にくっ付き過ぎるせいでは……?」

 ただでさえ輝、特異体質のせいで女性が苦手になっているのに。

「言われてみれば、腕を絡んだだけで冷や汗を垂らす時がある。不可解。女子にくっ付かれて嫌な男子がいるとは思えない。それとも、小冬の魅力が足りない?」

「そ、そんなことはないと思うよ……?」

 貧乳ではあるけれど。

 それは御園さんも自覚があるのか、唐突に胸元を開けて谷間をチェックし始めた。正直男子の前でやめてほしい。うっかり覗いてムスコが元気になったらどうしてくれるんだ!

 たとえちっぱいでも、男は興奮しちゃうものなんだぞ!

「まあ、男にも色々あるから……」

 御園さんの胸から断腸の思いで目線を逸らしつつ、僕は続ける。

「それに、輝だって決して嫌がっているわけじゃないから安心してよ。むしろ内心照れてはいると思う。あいつ、意外とむっつりスケベだから」

 なんだかんだ言っても、パソコンの履歴にエロ画像があるくらいには、女の子の裸体に興味津々みたいだし。

「輝のこと、詳しい」

「まあそりゃ、幼稚園の頃からの幼なじみだから」

 あ、こっちは行き止まりだったか。これだから迷路は面倒くさくて困る。自分からみんなを誘導しておいてなに言ってんだという話ではあるが。

仕方ない。一度引き返そう。

「不思議」

 と。

 踵を返しかけたところで、御園さんが不意に呟いた。

「幼なじみで気の知れた仲なのに、学校にいる時はいつも疎遠。一緒にいるのは朝の登校時くらいで、なぜ学校では素知らぬ顔をするのか不思議でならない」

 おっ? 意外と周りを見ていたりするんだなあ。普段はそこまで他人に興味なさそうな感じなのに。

 なによりも驚きなのが、僕のこともなにげにちゃんと見ていた点だ。僕のことなんて有象無象の一人としか思っていなさそうな感じだったのに。

 ま、それを言ったら他のクラスメートも同じことが言えるかもしれないが。

 我ながらクラスの中で一番陰が薄いという自覚もあるし。

「──あれは、僕の方から頼んだことなんだよ」

 元来た道に戻りながら、僕は自嘲的な笑みを浮かべて答える。

「輝って人気者じゃん? それにイケメンで明るくて人当たりもいいし、僕みたいな陰キャがそばにいたら迷惑だと思うんだよね。ようは棲み分けしてるんだよ。陽キャは陽キャの付き合いがあって、陰キャには陰キャの付き合いがあるっていうか」

「輝はそんなこと気にしない」

「うん。たぶん僕もそう思う。けど周りが気にしないとは限らないでしょ? もしかしたら余計な陰口を叩かれるかもしれない。だからなるべく近くにいたくないんだ。僕が近くにいるせいでそういう悪い印象を持たれるのが嫌だから」

「………………」

「ほら、僕っていかにも根暗そうなイメージがあるし。自意識過剰って言われたらそれまでだけど、自分でもクラスメートから空気扱いされているのはわかっているんだ。ひょっとしたら性格が悪そうとか言われていたりするかも。まあ実際、そこまで性格がいいわけじゃないけどね。自分で言うことじゃけどさ。あはは」

「………………」

「あはは、はは……」

 あれ? なんか急に空気が重たくなってきたぞ? しかも急に喋らなくなっちゃったし。あ、喋らないのは元からか。御園さん、元々無口な方だもんな。

 だがさっきまで普通に会話をしていたのに、突然口を閉ざしたのはなんでだ? 

 こちとら、小粋な自虐ネタを披露してウケを取ろうとまでしたのに。

 あれ? それがダメだったのか? 逆効果だった? やだあ、そう考えたら空笑いする自分が痛々しく思えてきて辛くなってきちゃった……。

「否定」

 と。

 まったくウケなかった自虐トークに内心泣きべそになっていたら、それまで黙り込んでいた御園さんが僕の正面に立って言った。

「あなたが根暗かどうかまではわからない。けれど、少なくとも性格が悪いということはない。絶対にない」

 言い切る御園さんに、僕はしばらく返事をすることを忘れて唖然としてしまった。

 だって、僕に全然興味がなさそうだった御園さんが、こんな風に援護してくれるなんて、思ってもみなかったから……。

 と、そうして面食らって一分近く経ってからだろうか、それまで僕を正面からじっと見ていた御園さんが、珍しく気まずそうに顔を背けて、

「…………あなたが不審に思うのも無理はない。自分でもまったく説得力がないのは重々理解している」

「じゃあなんで、僕を庇うようなことを……?」

「……。実は同じクラスになる前、あなたを一度だけ見かけたことがある」

「え? 僕を?」

 こく、と小さく頷く御園さん。

「それって、単にすれ違っただけとか?」

「違う。すれ違っただけで、顔を覚えたりはしない」

 あ、それもそうか。僕みたいな陰キャ、わざわざ覚えたりしないか。本当のこととはいえ、なんか自分で言っていて悲しくなってきた……。

「だったら、どこで僕のことを?」

 僕のこの質問に、御園さんはすぐには答えなかった。

 やがて唐突に歩みを再開した御園さんの背をしばらく追ったのち、彼女は後ろを振り返らないまま抑揚のない口調でおもむろに言葉を発した。

「あれは二年前……入学式前の説明会の時だった。親と同伴で行く人が多い中、小冬は一人で学校に向かっていた」

 説明会というのは文字通り、薬師寺高校に入学する際の必要な物や注意事項などを知らせる場のことだ。制服の採寸も行うため、親御さんと一緒に来る人も多いのだが、小冬さんのようになにかしら事情があって一人で学校に行く人も少なからずいる。ちなみに僕もその一人だった。

「そうして一人で歩いていた時、あなたを見かけた。その時あなたは、風で飛ばされたハンカチを追いかけて車道に飛び出そうとしている最中だった」

 そこまで言われて、僕は「あっ」と声を漏らした。

 思い出した。確かに入学説明会の時、そんなことがあった。

 あるにはあったが、けどそれは──

「正直、愚かだと思った。ペットの犬や子供が突然走り出したとかだったら、まだ理解できる。でもハンカチくらいで車道に飛び出すなんて、無謀過ぎると思った。けどそのすぐあとで、そのハンカチはあなたの物ではないとわかった。なぜならそれは、一目で女性物だとわかるレースが付いていたから」

 御園さんの言う通り、あの時の僕は目の前に飛んできたハンカチを見て、つい反射的に追いかけてしまったのだ。

 単なるハンカチだったら、たぶん車道に出てまで取りに行こうとまではしなかった。だが中学生らしき女の子が泣きそうな顔をしてハンカチを追いかける姿をたまたま目撃して、柄にもなく無我夢中になってしまったのである。

 その後の顛末は──現場を見ていた御園さんならば、言わずとも知っていることだろう。

「結果だけを言えば、ハンカチは無事に持ち主のところに戻った。風の勢いが変わって、持ち主のところへそのまま戻ってきたから。もっともあなたはトラックに轢かれそうになったり、そのトラックの運転手から怒鳴られたりと、大変な目に遭ったようだけど」

 そうなのである。

 無事ハンカチが持ち主のところに戻ったまではよかったが、危険を冒してまで得られたのがトラックの運転手からの罵声という、散々な結果だった。

 あのあと、恥ずかしさのあまり脱兎のごとくその場から逃げたわけだが、まさか御園さんに見られていたとは……。

 いやああああ! 恥ずかしいよおおおお! あの時ハンカチの女の子だけじゃなく、もう一人にまで僕の醜態を見られていたなんてえええええ! 恥ずかしいよおおおお! 今すぐ消えてなくなりたいよおおおお!

「きっとあなたは、無様な姿を晒したと恥じているかもしれないけど、小冬はそう思わなかった」

 羞恥で内心悶える僕に、御園さんは依然として前を見据えたまま、淀みなく語を継ぐ。

「他人のためにあそこまでするあなたを見て驚愕した。いくら人助けとはいえ、ハンカチが飛ばされたくらいであんな無鉄砲な真似をするなんて、ありえないと思った。正直言って、未だに軽率な行為だったと思う。でも……」

「でも……?」

「でも、カッコいいと思った」

 御園さんがこっちを振り返った。

 目を逸らすことなく、まっすぐ僕を見て。

「あんなこと、だれでもできる行為じゃない。事実、小冬は一歩も動けなかった。ただぼんやりと成行きを眺めていただけだった」

「御園さん、僕から離れたところにいたんでしょ? だったら別に気に病むようなことじゃないよ。それに突然のことだったと思うし、あの時は車もそれなりに走っていたから、とっさに動けなくても仕方なかったと思う」

「それでも、あなたは動けていた。確かに突然の出来事だったとはいえ、なにもできなかった自分が恥ずかしい」

 そう話す御園さんの瞳は、過去の行いを悔いるかのように揺らいでいた。

 こんな御園さんを見たら──初めて見る彼女の微細な感情表現を見てしまったら、なにも言えなくなってしまった。

「あの時の光景は、今でも鮮明に覚えている。だから薬師寺高校であなたを見かけた時、すぐにハンカチを取りに走った人だと一目でわかった。面識もなかったから、声をかけたりはしなかったけれど」

「ということは、輝に紹介される前から僕のことを知っていたことになるのか……」

 今でも信じられない。いつも僕のことなんて眼中になさそうだったのに、実は二年も前から顔だけ知られていたなんて……。

「さっきからあなたは、自分を卑下してばかりで輝を天上の人のように扱うけれど、それは違う。あなたも輝と負けないくらい立派な人。それだけは忘れないでほしい」

「御園さん……」

 夢を見ているかのようだった。

 まさか御園さんにこんなことを言ってもらえる日が来るなんて……。

 今まで誤解していたけれど、決して僕を嫌っていたり、雑草みたいにどうでもいいと思っていたわけじゃなかったんだなあ。御園さんっていつも僕をぞんざいに扱うような節があったから、なおさら胸に迫るものがある。

 ………………ん?

 ちょっと待てよ?

 これってめちゃくちゃチャンスじゃね?

 藤堂さんの時は棒に振ってしまったが、これは御園さんの本心を探るまたのない機会だ。この好機を逃すわけにはいかない!

「う、嬉しいよ……。僕にとっては恥しかない思い出だけど、そう言ってくれる人がいてくれて……」

 思わずにやけそうになる頬を極力引き締めながら、僕は言う。

「ていうか、そう言う御園さんも素敵な人だと思うよ? 僕のやったことなんてどう考えても愚行でしかないのに、そうやって褒めてくれてさ。他の人ならきっと笑いながらバカにしていたと思う」

「小冬は素直な気持ちを伝えただけ。特別すごいことは言ってない」

「それを当たり前のように言えること自体が十分すごいことだと思うよ。僕なんて見た目通りの根暗だからさ、御園さんみたいに自分の気持ちを真正面から伝えるなんて絶対真似できないよ。まして褒め言葉なんて、自分だったら恥ずかしくて言えない」

「小冬には、今まさにその恥ずかしいセリフを言っているように思えてならない」

「うん。だから今、めちゃくちゃ恥ずかしい……」

「そ、そう……」

 言って、露骨に目線を逸らす御園さん。

 そして訪れる、二人だけの静寂な時間。

 いいねいいね! すごく雰囲気いいよ!

 ぶっちゃけ御園さんの線が一番低いと思っていたが、逆転満塁ホームランで彼女こそ僕を想ってくれていた女の子かもしれない!

「あの、御園さん──」

 先に沈黙を破ったのは、僕の方からだった。

 緊張で言葉が詰まりそうになる喉を生唾で滑りを良くしたのち、僕は意を決して訊ねた。

「もしかして御園さんって、ぼ、僕のこと、つみなのかな?」

 噛んでもうた。

 しかもよりによって、一番肝心なところで!

「……? 罪? 意味不明」

「い、いや! 罪じゃなくてつき……でもなくて!」

「罪……月……。……、デスノート? 確かにあの主人公のやったことは、罪以外のなにものでもないと思う」

「それでもなくて! 僕が言いたかったのはちきの方で……ってこれも違うううう!」

「知己? 別に小冬は、あなたのことを友人だと思ったことは一度もない」

「うそぉん!?」

 さっきまで仲睦まじげな感じだったのにぃ?

 というか、知己でもないんだけどさあ!

「困惑。なにが言いたいのか全然わからない。もっとはっきり言ってほしい」

「え、えっと。ぼ、僕が言いたいのは……その……」

 ああああああ! 言葉がすんなり出ないいいいいい! せっかくのチャンスなのにいいいいいい! なんでだああああああ!

 と、そこまで考えてふと思った。

 よくよく考えたら僕、今まで告白したことも告白されたことも一度だってない!

 そんな非モテなコミュ障が、美少女を前にして「自分のこと好きなの?」なんて平然と言えるわけがねえええええ!!

 なんて内心狼狽しながら御園さんの表情を窺ってみる。

 御園さんの瞳から光彩が消え始めていた。

あ。これはいかん。完全に表情が消えている。むしろ絶対零度のごとく、凍て付いた眼差しをしてらっしゃる!

 もう本心なんて聞き出せるような雰囲気じゃねえ! ただひたすら怖い! 今すぐにでも逃げ出したい! いっそだれか助けてえ!

「──おっ? 太助と御園の声がすると思って来てみたら本当にいた」

 と。

 僕のSOSが天に届いたのか、曲がり角の方から突然輝がひょっこりと顔を覗かせてきた。

「あ、本当に茂木くんと小冬ちゃんだ~」

「緋室くんが急に『太助たちの声がする』と言った時は気のせいだと思っていたのですが、まさか本当だったとは……」

 輝のすぐあとに、宮永さんと藤堂さんも姿を現した。てっきり輝の腕に抱き付きながら歩いているとばかり思っていたが、そうでもなかったらしい。

 まあでも三人並んで歩いていたら他の人の邪魔になりかねないか。そもそも横幅がそんなに広くないし。

「輝ちゃんすごいよね。あたしも凛ちゃんも全然聞こえなかったのに」

「ええ。他のお客の話し声に紛れていたのか、まるで気が付きませんでした。緋室くん、とても耳がいいんですね」

「いや、たまたまだよ。それより、二人はこんなところでなにをしていたんだ? おれたちより先に出発したはずだろ?」

「あー。それは……」

 言えねえ。

 御園さんに僕への好意があるのかどうかを訊こうとして、思いっきり失敗してしまったなんて、死んでも言えねえ!

「なんでもない。少し無意味な時間を過ごしてしまっただけ。それより輝、せっかくこうして合流できたのだから、一緒に行こう」

「えっ? み、御園……?」

「あ~! 小冬ちゃんが輝ちゃんを独り占めしようとしてる~! ズルい~っ!」

「私たちの前で堂々と……! なんて大胆不敵な……!」

 輝の腕を強引に引っ張って先を行こうとする御園さんに、文句を言いながらあとを追いかける宮永さんと藤堂さん。

 そんな四人の後ろ姿を見て、安堵とも自嘲ともつかない呼気をつく僕なのであった。

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