第2話 まさかの恋愛フラグ?
「我ながら、小さい男だ……」
用を済ませ、水でジャバジャバ手を洗いながら、僕は正面にある鏡を見つめる。
そこには見慣れた──というより見飽きた仏頂面がぼんやり映っていた。
あれ以上、親友に嫉妬する僕の姿を厚守くんや薄井くんに見られたくなかった。だからこうしてトイレに逃げ込んだわけなのだが、我ながら情けない限りである。
こんな暗い奴だから、恋人どころか友達もなかなかできないのだろう。そもそも自分に自信がないから、だれかを好きになろうという努力もしない。実に怠惰な人間である。
でも、しょうがない。根暗で他人を羨んでばかりいるくせして、具体的な行動は起こさない……それが僕という人間なのだから。
「いかん。なんかどんどん落ち込んできた……」
つーか、トイレでなにしてんだ僕? 傍目で見たらすごくキモくね? 鏡をじっと見ながら独り言を呟いている僕ってかなりキモくね?
「はよ出よ……」
こんなところ、クラスメートに見られでもしたら絶対陰口を吐かれる。陰でバカにされて遠巻きにニヤニヤ笑われるくらいまである。むしろ軽く死ねる。
まあ、あれだ。愚痴みたいなことを長々と語ってしまった僕ではあるが、つまるところなにが言いたいのかというと──
僕もモテモテになりたい!
この一言に尽きる。
「あーあ。僕も輝みたいにイケメンだったらなあ。彼女なんてすぐにできるのになあ」
「──おれがなんだって?」
と。
手を洗い終えて、ハンカチで手を拭きながらトイレに出てみると、輝が待ち構えていたかのように目の前に立っていた。
「輝? なんでここに?」
「いや、太助の様子が少し気になったからさ」
ちょっと落ち込んでいるように見えたし、と続ける輝。陽キャグループと雑談していたはずなのに、目聡い奴だ。昔から観察力のある奴ではあったけど。
「で、一体どうしたのさ? おれでよかったら相談に乗るけど」
言いながら僕の首に腕を回してきた輝に「なんでもない。ちょっと今朝の占いを見てテンションが下がっていただけ」と首を振って応える僕。正直に嫉妬していたなんて言えないしね。占いの結果が悪かったのは事実ではあるが。ラッキーカラーがショッキングピンクって、高校生男子にペーパー夫妻のような格好をしろとでも?
「ふうん? なんかさっき、おれみたいになりたいって聞こえた気がしたけど?」
「聞こえてたんかい!」
やだもう恥ずかしい! 恥ずかしくて思わず乙女口調になっちゃったわ!
「聞こえたっていうか、たまたま聞こえただけなんだけどな」
そう苦笑混じりに言って、輝は僕の首から腕を離した。
「まあ、太助がおれを嫉妬しているような目で見ていたのはなんとなく気付いていたけどな。しょっちゅうおれのことをイケメンだとかなんとか言ってるわけだし」
「うっ……」
まんま図星を突かれて返す言葉もなかった。独り言を聞かれたことよりも、僕のドロドロした内面を知られたことの方が何倍も恥ずかしかった。穴が入りたいとはまさにこのことだ。なんなら今から自分で掘りたいくらいである。すでに墓穴という穴を掘ったあとではあるが。
「うわー。マジかー。ダメージでかいわー。つうこんのいちげきだわ~」
「大丈夫。おれがあとでラリホー唱えておくから」
「ホイミを唱えろよ。ホイミを」
寝ても治るような傷じゃないんだよ。特に心の傷はよ。
「でもほっとした。思っていたより元気そうで」
本当に安堵したように口許を綻ばせる輝に「……悪かったよ。変に心配させて」と目線を逸らして応える。
「ていうか、輝の方こそどうなんだよ? 僕に嫉妬されていると知って、いい気分はしなかっただろ?」
「うんまあ。でもそれは前々からだったし、太助のことを信じていたから、嫉妬はされても嫌われてはいないと思っていたよ。でなきゃ、こんな風に話してないって」
恥ずかしいセリフを平然と言いやがった。おかげでこっちの方が恥ずかしくなってきたじゃないか。
けどこういうストレートな物言いができるからこそ、女子にモテるのかもしれないな。いつも変化球どころか、時に消える魔球を投げてしまう僕とは大違いである。ほら、陰キャって慣れない相手の前では口ごもってしまう性質があるから……。
それはともかく、僕としても輝とは仲のいい幼なじみのままでいたいし、つまらない理由で数少ない友人をなくしてしまうのは本意じゃない。なにより輝は、僕みたいな捻くれ者でも認めざるをえない良い奴だしな。叶うのなら、輝とはこれからも良き友人でいたい。
「ほんと、よくできた男だよ輝は」
「え。いきなりどうしたんだ? 太助が自分を卑下せずに人を褒めるなんて珍しい」
なんて返しつつ、照れたように顔を逸らす輝。基本ストレートな性格のくせに、逆にストレートな言葉には弱い輝なのであった。投げるのは得意でも打つのは苦手な野球選手か。
「いや、改めて僕みたいな奴にはもったいない友人だなと思ってさ。いつも彼女が欲しいとかモテモテになりたいとか言っているくせしてなにもしない奴とは大違いだ」
「今日は妙におれを持ち上げるなあ。悪い気はしないけど」
言いつつ、輝は窓際の壁に背中を預けて「しかしまあ、そういう欲望を持つこと自体は別に悪くはないんじゃないか?」と語を継いだ。
「おれもそうだけど、男なら女子に興味を持って当たり前だろうし。おれはこんな体質だから、彼女なんてなかなか作れそうにないけどさ」
「お前は顔も性格もイケメンだから心配ないよ。宮永さんたちみたいに向こうから寄ってくる女子もいるんだから。僕みたいな陰キャだとそうはいかんぞ。一生彼女ができない可能性すらあるもん」
「え? そんなことはないだろ。お前の友達の厚守と薄井にだって、ちゃんと彼女はいるんだからさ」
「……? !? !?」
思わず、どこぞの芸人みたく三度見してしまった。
今、なんて、オッシャッタ?
「……あれ? おかしいな? さっき幻聴が聞こえた気がしたぞ? 厚守くんと薄井くんに彼女がいるなんて、ありえない話を聞いたような気がするぞ?」
「いや、ちゃんと言ったぞ? 厚守と薄井にも彼女はいるって」
「ははっ。ありえないね。厚守くんと薄井くんに彼女がいるなんて。だって僕と同じ陰キャのコミュ障なんだぞ? そもそも、なんで輝がそんなこと知ってるんだよ? あの二人と友達ってわけでもないのに」
「おれじゃなくて、おれの知り合いがたまたま見たんだよ。それぞれ別の場所で、厚守と薄井が女子とデートしている現場をな。おれはそれを教えてもらっただけ」
「ははーん。わかったぞ。さてはそれ、都市伝説だな?」
「そんなオカルト話は一切してないから。現実の話だから。ていうかその反応、マジで知らなかったのか? よく一緒にいるから、てっきり太助も知ってるものとばかり……」
「全然知らなかった……」
それ以前に、そういう話題になったことすらない。
つまり、これがどういうことなのかと言うと──
「あいつら、僕を騙してやがったなあああああああああああっ!」
気付けば怒号を飛ばしていた。
飛ばさずにはいられなかった。
「信じていたのに! 厚守くんと薄井くんだけは、僕みたいに絶対彼女はできないって信じていたのに……! 僕の信頼を裏切りやがって……!」
「そういうことを言われかねないから、あの二人も黙っていたんじゃあ……」
「ちきしょう!」
輝の正論を怒号でキャンセルした。
事実だとしても認められないことがあるからね。仕方がないね。
「……まあいいや。あの二人にはあとで呪詛を呟いておくとして……」
「祝福してやれよ。そこは友人としてさあ」
輝がなにか真っ当なことを言ったような気がするが、あえて無視する。
「なんにせよ、別に僕だけ彼女がいないってわけでもないし? 陰キャは他にもいるんだから、そこまで焦る必要も──」
「いや? おれと太助以外、クラスの男子はみんな彼女持ちだぞ?」
「 」
一瞬、言葉を忘れてしまった。
これがマンガだったら、きっと埴輪みたいな顔になっていたことだろう──それくらい、衝撃的な一言だった。
「あんさん、なにを言うてはりますの……?」
「なんで急に京言葉? え、そんな動揺するほどだった?」
「たとえるなら、岩塩で頭をぶん殴られたような気分だ……」
「よくわからない比喩だな……」
「それくらい混乱してるってことだよ……」
なんかもう、色々とショックがでか過ぎて足に力が入らなくなってきた……。
「いっそこのまま倒れるのもありかな……? そんでなにもかも忘れて、また普通の日常に戻るんだ……」
「まるで世界の終末を見たかのような感想だな……。それよりそこで倒れられるとみんなの迷惑になるから、せめて保健室に行ってくれ」
「無慈悲な!」
こっちは廊下にへたり込むほど精神的にダメージを受けているというのに。もしかしてあれかな? 僕と話すのがそろそろ面倒くさくなってきたのかな? メンヘラ女と同格扱いされているのかな?
「もっと優しくしてくれよ~。こちとら絶望の真っただ中なんだよ~」
「大袈裟な……。おれだって太助と同じで彼女がいないのに」
「お前には彼女候補がいるんだからええやろがい! しかも三人も! それも美少女!!」
「人聞きの悪いこと言わないでくれよ……。まるで色んな女子をキープだけしておいて、ずっと放ったままでいる最低男みたいじゃないか……」
よほど嫌だったのか、しかめっ面で言う輝。別にそんなつもりで言ったわけじゃないのだが、実は割と気にしていたのか?
「だいたいそれを言うなら、太助にだって身近に好かれている子がいるのに……」
「いやいや輝に比べたら僕なんて路傍の石──……!? !? !?」
本日二度目の三度見を披露してしまった。
あれ? 今度こそ幻聴? なんかさっき、信じられないことを聞いたような……。
「なるほど。これは夢か。じゃあこの窓から飛び降りたら目が覚めるな」
「太助!? ここ三階だぞ!?」
窓に身を乗り出そうとして、突如輝に腕を掴まれた。
「放せ輝! こんなふざけた夢、今すぐ終わらせてやるんだ!」
「夢どころか人生ごと終わるから! ひとまず落ち着け!」
「嫌だ! 夢ごときに騙されないぞ僕はあああああああ!」
「くそっ! こうなったら……!」
とその時、腹部に激痛が走った。
輝に膝蹴りを食らったのだ──そう気付いた時には、僕は「うぐぅ!」と呻いてうずくまっていた。
「ぶ、ぶったね……!」
「いや蹴ったんだよ。それより、正気に戻ったか?」
「あ。言われてみればお腹が痛いぞ……?」
ということは、これは現実なのか……?
「そんなバカな……。僕に恋愛感情を抱く人なんて、この世にいないはず……。いや、霊長類なら奇跡的にありえるか……?」
「霊長類って。逆にそっちの方がすげえよ」
ていうか夢じゃないってば、と嘆息混じりに呟いて、輝は言葉を紡いだ。
「夢でも嘘でもなくて、マジで太助のことが好きな子が近くにいるんだよ」
「ほんとか~?」
だって僕だぞ? 別段イケメンでもなければ性格がいいわけでもなく、将来性があるわけでもないこんな男が人類に惚れられるわけがないだろ。夢物語も甚だしい。
「そもそもさ、なんで輝がそんなこと知ってるんだよ?」
「あー。実は前に相談されたことがあるんだよ。太助と付き合うにはどうしたらいいのかって」
本当は秘密にするように言われてたんだけどな、と苦笑する輝。
ふむ。輝に恋の相談をするほどの仲で、なおかつ秘密にするように頼んだということは、僕の知っている女子の可能性が高いな。しかも輝曰く、僕の身近にいる人物。
そして、女友達なんて一人もいない僕の身近にいる女子なんて、かなり限られる。
とどのつまり、導き出される答えは──
「宮永さん、藤堂さん、御園さんのだれかってことか……」
僕と少なくからず接点のある女子なんて、この三人以外に思い付かない。
言っても、挨拶くらいしかしたことないけどな! 藤堂さんと御園さんにいたっては、挨拶されない時すらあるし!
「あれ? でも変だな。だったらなんで輝ばかり構うんだ? 僕にはそっけないのに」
「それは照れてるだけだ。お前とほとんど話したこともないから、せめて太助の親友であるおれと仲良くなって、なんとか接点を持ちたいんだってさ」
「それにしては、ちょっと過剰過ぎやしないか? 傍目には輝に猛アタックしているようにしか見えんぞ?」
「あれはお前を焦らそうとしてんだよ。早くしないと、他の人のものになってしまうぞっていう意味でな」
「焦らせるもなにも、だれが僕を好きなのかもわからないままなのに……?」
美少女が輝にすり寄っている場面を見せられたところで、単に羨ましいとしか思わないのだが。今まで宮永さんたちに恋愛事情を抱いたこともなかったし。
「なんにしても、あの三人の中のいるのは確かなのか。で、一体どっちなんだ?」
「う~ん。さすがにそこまでは言えないなあ。相手の気持ちもあるし」
えーい! じれったい! こちとらさっさと正体を知りたいのに!
「そこをなんとか! 親友のよしみで教えてくれよ! 先っぽだけ! 先っぽだけでもいいから!」
「なんだよ先っぽって。どっちにしろ、これ以上教える気はないぞ」
ちぃ! 強情な奴め! これじゃあだれが僕のことを好いているのかわからないじゃないか!
しかし、未だに信じられないな。あんな美少女たちの中に僕の将来の花嫁がいるかもしれないなんて。
おっと。気が急くあまり、ついつい結婚式のことまで想像してしまったぜ。まあこの先恋人ができる気なんてしないし、結婚も視野に入れておいても問題はないだろう。
「ていうか、そんなに気になるなら自分から話しかけてみればいいじゃん」
「バカか輝。輝バカか。僕みたいな陰キャがあんな人気者に声をかけられるわけがないだろ。止まるぜ、僕の心臓が」
「なんで自信満々? まあ太助らしいと言えば太助らしいけどさ」
なんて呆れ混じりに言いつつ「なんなら」と輝は続けた。
「太助も屋上に行ってみるか? おれとそら、それと藤堂と御園でよく屋上で昼飯を食べてるんだよ。まあ向こうから強引に引っ付いてくるせいで、あまり人目が気にならないところに避難しているだけなんだけどさ」
「マジで!? 僕も参加していいの!?」
「あくまで参加するだけならな。さっきも言ったけど、だれが太助のことを好きなのかまでは教えられないし、あんまり協力もできないぞ?」
「それで十分だ! 輝、サンキュー!」
輝がそばにいてくれるだけでも百人力だ。多少なりとも力になってくれるみたいだし、これで宮永さんたちと話ができる。だれが僕のことを好きなのかも探れる!
よ~し。このまたとないチャンス、必ずこの手で掴んでみせるぜ!
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