第12話 蠢く闇



 はてさて。

 これで容疑者三人──エリカ、霧絵、柊の証言を得られたわけなのだが。

「ダメだ。余計にわからなくなってきた……」

 放課後、まばらに人が通る帰路の中で、奏翔は一人歩きながら溜め息混じりに呟いた。

 三人の話を聞いてからこれまでずっと犯人がだれかを考えていたが、考えれば考えるほど沼にはまる一方だった。おかげで今日の授業は全然頭に入らなかった。

「やっぱり事故当時のアリバイを訊いた方がよかったのかなあ? でもそれだと、犯人だって疑っているようなものだし……」

 それに《調律研究所》の人間からできるだけ日常通りに過ごすように言われているし、あまり迂闊な発言をしたら、それこそエリクシアの存在に勘付いていると他の組織にバレかねない。そうなれば当然向こうも警戒してくるだろうし、最悪、真城のような過激な真似をする輩が現れる危険性もある。事は慎重に動かねば。

 とは言いつつ、このままでは一方的に狙われるばかりだ。早くなんとかしないと。

「う~ん。話を聞いてみたのはいいけれど、これといって不審な点はなかったように思えるし。そもそも、本当に僕の身近な女の子の中に犯人なんているのかなあ? こうして友達を疑うのも心苦しいんだよなあ……」

「なにが苦しいの?」

 と、突然背後から声をかけてきた人物に、奏翔は「どぅわあ!?」と飛び上がらんばかりに肩を跳ねさせた。

「ひ、ひなた!? いつからそこにいたんだ!?」

「ついさっきだよ? というか、わたしを置いてきぼりにするなんてひどいよ!」

 驚愕しながら後ろを振り返った奏翔に、ひなたは頬を膨らませながら怒声を放った。

「帰りのHRの前に、ちょっとした用事があるけれど、すぐに終わるから一緒に帰ろうって約束したのに!」

「そ、そうだっけ? ごめん。ちゃんと聞いてなかった……」

 というより考えることが多過ぎて、耳から入る情報を無意識に遮断してしまっていた。

「んもう。なんだか空返事だったから、ちょっと不安だったけど、案の定だったよ」

 ぷんぷんといっそう頬を膨らませて憤慨するひなた。怒り方が幼児そのものだ。

「なんか、今日は午後からずっと上の空って感じだったけど、なにかあったの? さっき苦しいとかなんとか言っていたみたいだけど?」

「それは……」

 どうやら、独り言をすべて聞かれていたわけではないようだが、さりとて、ここで事情をすべて詳らかに明かすわけにはいかない。

「……えっと、今日の授業でわからなかったところがあってさ、それがずっと気になっていて仕方がないだよね」

「それが苦しいの?」

「そうそう。やっぱわからないことをそのままにしておくのって苦しいんだよなあ。頭の中がモヤモヤするっていうかさ」

「ふ~ん」

「……なんか、全然納得していないって顔だな」

「だって、勉強がわからなくて悩んでるって感じじゃないもん。もっと別な理由で悩んでいるんじゃないの?」

「うっ」

 思わずたじろぐ。さすがはひなた、こういった勘だけは異様に鋭い。

「いや、それはだな──」

「あ、わかった! さてはかなちゃん……」

 どうにか弁解しようとしたその時、ひなたが前のめりになって話を遮ってきた。

「さ、さては……?」

「さてはかなちゃん、今日実装されるスマホゲームのことばかり考えてたんでしょ? 昨日ネットニュースで見たけど、国民的大作ゲームの新規スマホ版が出るんでしょ?」

「……バ、バレたか。実はそうだったんだ。あははは……」

「やっぱり。あんまり夢中になっちゃダメだよ。かなちゃんったら、ご飯を食べるのも忘れてゲームにのめり込んじゃう時があるんだから」

 なんだか知らないが、勝手に解釈してくれたひなたに内心ホッとしつつ、

「わ、わかった。気を付けるよ」

「わかればよろしい。まったく、かなちゃんは世話が焼けるんだから」

「お前にだけは言われたくない」

 ともあれ、疑いが晴れたようでなによりだ。これでようやく犯人探しに集中できる。

 と、そこまで考えたところで。

「犯人、か……」

 未だに「やっぱ、かなちゃんにはわたしがそばにいないとダメだねー」などと恩着せがましいことをほざいているひなたをじっと見つめる。

 よくよく考えてみたら、ひなたも容疑者候補の一人に入るわけなのだが。

「それは……ないなあ」

「へ? なにがないの?」

 間抜け面で訊いてきたひなたに「なんでもない」と首を振る奏翔。

 ひなたに限って、自分の命を──ひいてはエリクシアを狙っていることなんてありえないだろう。これでも幼い頃からの腐れ縁なのだ。だからこそ、ひなたみたいな無邪気を絵に描いたような奴が悪の組織に加担しているはずない。

 そもそも、本当にひなたがエリクシアを狙っているなら、いつでも奏翔から奪うことができたはずなのだ。それなのになにも手を出さないということは、すなわち完全に白ということに他ならない。

 だからこそ奏翔も、無意識ながらひなたを犯人から除外していたのだろう。まあそれ以前に、友達どころか幼なじみまで疑いたくないという心理が働いただけかもしれないが。

「あ。それよりもかなちゃん。今度こそわたしの買い物に付き合ってよ。お母さんにも頼まれた物もあって、けっこう重くなりそうなんだよ~」

 おねだりするように肩を揺さぶってくるひなたに、奏翔は「買い物かー」と空を仰ぎながら呟いた。

「あー、うん。それは勘弁してほしいかな……」

 昨日は色々あってよく眠れなかった上、今日は【破壊者】もとい真城に拘束されて殺されそうになったり、友達を容疑者扱いして話を聞きに回ったり。こうして思い返してみても本当に目まぐるしい一日だった。こんなに心身共に疲弊したのは初めてかもしれない。

「えー? なんでー? いいじゃん。昨日も断ったんだし、今日くらい手伝ってくれてもさー。かなちゃんの朝ご飯とかお弁当を作るための食材だってあるんだし」

「それを言われると痛いものがあるけど、今日だけは本当に勘弁してくれ……」

「ぶー。かなちゃんのけちんぼっ」

 そう頬を膨らませたあと、ひなたはすたすたと先に進んで、くるりと踵を返した。

「もういいもん。かなちゃんの甲斐性なし。明日の朝はかなちゃんの嫌いなオクラ入り味噌汁にしてやるんだから!」

 言って、子供みたくあっかんべーをしたあと、ひなたはいつものスーパーがある道へと足早に走り去ってしまった。

 そんなひなたの後ろ姿を静かに見送ったあと、やれやれと奏翔は肩を竦めて脱力した。

「まったく。あいつは小さい頃からなんも変わってないな……」

 怒りっぽいところとか、仕返しのやり方が幼稚園児レベルなところとか。

 だが、そんな代わり映えしない幼なじみに少し救われているのも事実だ。もしもひなたがそばにいてくれなかったら、不安と緊張感でずっと肩肘を張っていたことだろう。ひなたが普段となにも変わらない陽気さで接してくれるおかげで、どうにか平常心を保てていると言っても過言ではないくらいだ。腐れ縁だのお節介だのなんだの言いつつ、心の中では大切に思っているということなのかもしれない。

 いや、この期に及んで誤魔化すのはよそう。

 ひなたは大事な幼なじみだ。きっとそれは、これからも変わることはない。

「今度は、ちゃんと買い物に付き合ってあげないとな……」

 と、改めてひなたに感謝しつつ、いつも通り帰路を進もうとした、その時だった。

 不意に前方から、自動二輪車──ファットボーイとも呼ばれる大型バイクが、曲がり角からゆっくりとしたスピードで姿を現した。

 しかも意外なことに乗っていたのは女性のようで、胸元は小振りながらも、黒のライダースーツから煽情的なラインが浮き出ていた。顔はフルフェイスのヘルメットで隠れて見えないが、なんとなく美人そうに思える。あくまでも思春期男子の希望ではあるが。

 と、そういった感じでつい見とれていると、ふと向こうと目があったような気がした。

 思わずドキンとしつつ、あまり見つめているのも悪かろうと思い、家路に急ごうとしたその直後。


 黒いライダーがさっと胸元のジッパーを下ろしつつ、映画などでたまに見かけるようなサイレンサー付きの拳銃を取り出したのが視界に映った。


「──っ!?」

 その瞬間、奏翔はとっさに踵を返して脱兎のごとく近くの塀の陰へと駆け出した。

 刹那的にあれが自分の敵だと──おそらく宵町先生が言っていた【抹殺者】だと本能的に察したのだ。

「な、なんで!? なんでこんな……!?」

 昨日は姿を見せず、あくまで事故に見せかけて殺そうとしていたのに、どうして今になって直接手にかけようとしてきた? しかもごくわずかとはいえ、人目だってあるというのにあんな大胆な真似をしてくるなんて。

 意味が、状況がわからない。なにがどうしてこうなっている……!?

 混乱する頭で、それでも必死に逃げる奏翔。どうやら【抹殺者】も逃がす気はないらしく、雄々しくエンジンを吹かしたあと、大音量の稼働音と共に猛然と迫ってきているのが肌でわかった。

 このままではまずい。機動力では完全に向こうの方に分がある上、あっちは拳銃まで所持している。それゆえ、ちょっと離れた位置にいたところで危険度に大差はない。どこかに隠れるか、もしくはバイクが入れない手狭な道にでも逃げない限りは、命はない。

 残念ながら現状バイクが入れそうにない道は見当たらないが、しかしながら不幸中の幸いと言うべきか、田舎の住宅街の中ということもあって、身を隠せそうな場所は所々にある。

 それに、ここは奏翔にとって庭のようなもの。黒のライダーがどこに住んでいるかは知らないが、この町の住人でないのなら、機動力では負けても土地勘なら奏翔の方にある。

 あとは黒いライダーに見つからないよう、上手く隠れるだけなのだが──

「……っ日 くそっ。もう追いついてきた……!」

 背後から聞こえてきた爆音に思わず後ろを振り返ってみると、視界の遠くから左手に拳銃を構えた黒いライダーの姿が見えた。

 まだ距離があるので、無駄撃ちになるような発砲はしないと思うが、それも時間の問題だ。できたら人通りの多いところに出たいが、あれが本当に【抹殺者】だという確証がない以上、下手な行動はできない。

 真城という例外はいたが、仮に《調律研究所》の人間が話していた通り、あれが無関係な人間すら平気で害意を向ける【破壊者】だったとしたら、目も当てられない惨状になるのは必死だ。それだけ絶対に阻止しなければならない。

 とはいえ、サイレンサー(消音装置)を使用しているところを見るに、向こうもなるべく周囲に気付かれたくないはずだ。してみると、ファットボーイなんて音の響くバイクに乗っているのも、奏翔の悲鳴や銃撃音を相殺するためなのかもしれない。

 そう考えると【抹殺者】の線が濃厚な気がするのだが──

 などと少し冷静になってきた頭でそんなことを思考していた最中、すぐ横にあったポリバケツが唐突に吹っ飛んだ。

 黒いライダーの撃った無音の弾丸が、バケツの腹に当たったのだ。

「いっ……!?」

 蓋が宙を飛び、バケツの中身が無惨にぶち撒けられる様子を横目で見て、一瞬動揺して足を止めかけた。

 が、すぐに走行を再開して、T字路を右に曲がる奏翔。そうして、さらに突き当たりの角を曲がったところで、

「あ、あいつ、マジで撃ちやがった……っ!」

 と全速力で駆けつつ、息の乱れた声で吐き捨てるように言葉を漏らす。

 どうかモデルガンかエアガンであってほしいという望みの薄い期待は、先の発砲でたやすく砕かれた。あんな距離から撃ってくるとは思わなかったせいもあるが、まさかこんな町中で本当に拳銃を使用してくるとは。

 いや、今のはきっと威嚇射撃だ。でなければ、あんな遠距離からスコープもなしに動く的めがけて射撃するとは考えにくい。おそらく最初から奏翔は狙っていなかったのだ。あくまでも目的は奏翔の足止めだったのだろう。

 だからと言って、いつ人が飛び出してくるともわからないのに、ああも躊躇なく発砲してくるなんて。奏翔に命中させる自信はなくとも、通行人に当てない自信はあったとでも言うのだろうか。

 だがよくよく周りを見てみると、先ほどから人の姿を見かけない。ひなたと一緒に下校していた時はちらほらと通行人が散見できたはずなのに。

 もしかして、これも黒いライダーの仕業なのだろうか……?

「くそっ!」

 悪態を吐きつつ、できるだけ直線上に並ばないよう、横道を見つけてはすぐさま飛び込むように曲がって黒いライダーの射程圏内に入らないよう努める。

 叶うならば、黒いライダーもどうにか撒ければいいのだが、いかんせん、爆音が遠ざかる気配はない。これでは物陰に隠れてやり過ごそうにも、あえなく発見される危険性の方が高い。現状、とにかく道端の電柱や木々などを背にして逃げ回るしかなかった。

 にしても、どうして黒いライダーはこうもクリティカルに逃走する奏翔を追えるのだろうか。こっちは土地勘のある人間にしかわからないような小道などを走っているというのに。おかげでフェンスや塀を超えてやり過ごすという裏技すら使えない。

 いや、待て。土地勘のある奏翔にすら的確に追いついてくるということは、換言すると向こうにも土地勘があると考えるべきではないだろうか?

 とどのつまり──

「宵町先生の言ってた通りかもしれないってことかよ……!」

 あまり考えたくなかった可能性に、奏翔は渋面になって歯噛みした。

 学校にいた時までは、まだ半信半疑……犯人探しをしていた時ですら罪悪感を覚えるほど自分の行いに疑問を持っていたが、こうして住み慣れた町を難なく縦横無尽に疾走する黒いライダーを見て、友人に対する猜疑心がますます深まってしまった。

 こんな真似ができる奴なんて、それこそこの町を事前に熟知していないと無理だ。容疑のあるあの三人の詳しい住所までは知らないが、もしも本当にあの中に【抹殺者】がいたとするなら、数ヶ月もあれば下見なんて何度もできたはずだろうし、ここら一帯の地理をまんべんなく把握していたとしても、なんら不思議ではない。

 こうして、奏翔を追い詰めるために。

 それも、奏翔の顔見知り──普段友人として接している者が、だ。

 では、その友人とはだれなのか?

 千条院エリカなのか。

 雛月霧絵なのか。

 御影柊なのか。

「一体、どっちが〝抹殺者〟なんだよ……!?」


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