第7話 愛ゆえに/哀ゆえに【承】
【4】
黒峰が行方不明になってから、二日が過ぎた。
今日も黒峰は学校に来ていない。毎日生真面目に登校していたのが幻影だったかのようにぽっかりと空いた黒峰の席が、いっそう事態の深刻さを物語っているかのようだった。
が、どうやらそう思っていたのは僕だけだったようで、大半のクラスメートは最初から黒峰なんていなかったように過ごしていた。むしろ、厄介者が消えてくれて安堵している節すら見られる。クラスのみんなも、担任である宝満から事情は聞いているはずなのに。
その宝満の話だと、黒峰がいなくなったのは二日前の夕方からのようで、夜になっても帰ってこない娘に心配した母親が警察に通報してみたものの、未だに足がかりが掴めず、現状に至っているのだと言う。
一応、最後に黒峰の姿を見たのが学校の中ということで、教師や生徒たちに聞き込みをしたらしいのだが、元々交友関係がほとんどなかったというのもあって、これという決め手は見つからなかったようだった。
僕もあれこれと警察に訊かれたのだけど、有力になりそうな情報はなにもなく、他の生徒同様、黒峰の教室での様子を伝えるくらいしかできなかった。これでもしいつも通りに黒峰の笑顔の練習に付き合えていたなら、今ごろこんな事態にならずに済んだかもしれないのに。
というのも行方不明になったその日は、黒峰当人から用事があると言われて、放課後はそのまま僕一人で帰ってしまったのだ。特に興味もなかったのでどういった用事があったのかも訊いておらず、僕が帰ったあとにどうしていたかもなにも知らなかった。
警察は事件と事故の両方の線で捜査しているみたいだが、たぶん事故という可能性は低いと思う。最後の姿を見かけたのが学校の中らしいので、不意の病や事故なら、いくらなんでも周りにいた生徒や先生が放っておくはずがないからである。
ついでに言うなら、自分から進んで行方をくらましたという線も考えにくい。あの超が付くほどの面倒くさがり屋な黒峰が下校途中に寄り道なんて──まして家出なんて平仄が合わない。
だからというのもあるけれど、黒峰の特性からいって、なにかの事件に巻き込まれている可能性が高いと、僕は考えていた。
黒峰の特性。
サイコパス吸引体質。
これまでの事件でわかったことではあるが、どうも黒峰はサイコパスに好かれやすい体質をしているみたいなのだ。
しかもそのサイコパスが、どれもシリアルキラーと呼ばれる類の異常者だというのだから、その性質の悪さを如実に語っていると思う。
そんな黒峰だからこそ、彼女の身が心配だった。黒峰とは友達と呼べるほどの間柄ではなかったし、彼女の言動に嫌悪感を抱く時もあったけれど、別に死んでもいいとまでは思わなかった。
それになにより、黒峰にはまだ用がある。僕の目的を果たすためにも、黒峰には無事に帰ってもらわないといけないのだ。
とはいえ、未だ解決の糸口は掴めていない。警察の捜査も進んでいないみたいだし、このままだと悪戯に時間が過ぎるだけだ。早く見つけてやらねば、もしも本当にシリアルキラーと遭遇でもしていたら、どんな酷い仕打ちを受けているか、わかったものではない。
しかしながら、圧倒的に情報が不足している。現状、黒峰が二日前の夕方に消えたということぐらいしか手がかりがない。目撃談も、学校にいた時の様子で止まっている。これでは黒峰の行動をなぞることもできない。完全に行き詰まりだ。
いや、待て。黒峰の行動範囲なんて、あいつの物ぐさな性格を考えれば、それこそ猫の縄張り並みに狭いはずだ。すでに警察が調査済みかもしれないけれど、黒峰の通学路を虱潰しに探索するだけでもなにかわかるんじゃあ──
「どうしたよ新汰。さっきからずっと小難しそうに眉根を寄せて」
と。
二時間目が終わり、次の英語の授業が始まるまで、自分の席で待っていた時だった。
いつの間にか僕の席の前に来ていた向島が、怪訝そうに眉をひそめて声をかけてきた。
「お前が悩み事なんて珍しいな。いつも能天気そうにのほほんとした顔してるのに。あ、まさか恋煩いとかか? もしよかったら、オレが相談に乗るぜ?」
「はは、ありがとう。でも残念ながら、そういうのじゃないよ」
身を乗り出してきた向島に、僕は笑みを浮かべてそう返す。仮に恋の悩みだとしても、彼女いない歴イコール年齢の向島に、相談する気にはなれない。
「ていうか、あれ? 平坂さんは? 少し前に平坂さんと一緒にジュースを買いに誘うって言ってなかった?」
「あー、うん。誘ってみたんだが、ちょっと用事があるって、ついさっき断われて……」
目に見えて落ち込む向島。よく向島は平坂と二人でジュースを買いに行くけれど、どうやら今回は希望通りとはいなかったらしい。まあ、平坂は向島に気があるわけじゃないし、別段不思議でもなんでもないけれど。
「いや、オレよりも新汰のことだよ。恋愛絡みじゃなかったら、一体なにに悩んでるんだ?」
「大したことじゃないよ。ただちょっと気になることがあるだけで……」
「それって、黒峰が行方不明になったのと関係あったりするのか?」
まさか言い当てられるとは思ってなかったので、僕は内心驚いてしまっていた。
「当たってるけど……でも、なんでわかったの?」
「ほら、お前ってよく黒峰の面倒見てたじゃん? ほとんどの奴は黒峰を嫌っていたから、あいつが行方不明になっても全然気にしてねえけど、新汰だけは嫌っている風じゃなかったし、やっぱ心配してんのかなと思ってさ」
あ、オレだって別に嫌ってるわけじゃないぜ? 不気味とは思ってるけどな。
そう弁解するように言う向島。本心ではどう思っているかはわからないが、少なくとも黒峰のことを悪く言うつもりではないようだ。
「まあ、心配ではあるかな。黒峰さん、家出するようなタイプには見えないし」
「いやいや、案外わからないぜ~? 前に小耳に挟んだ情報だけども、黒峰って母親と二人で暮らしてるらしいじゃん。そうなると親は仕事で忙しいだろうし、家事とか任されて不満が溜まって、それで家出したって不思議じゃねえよ」
黒峰の家庭環境にはついては僕もそれなりに把握(主に噂とかで)してはいるけれど、しかし、それだけの理由であの怠惰を人の形にしたような黒峰が家出するとは、到底思えなかった。
まったく黒峰らしくない。
ゆえに、家出という可能性はありえない。
「どっちにしても、無事だったらいいよね。一日も早く、五体満足で帰ってきてくれさえしたら、なにも言うことはないよ」
黒峰の家出説を否定すると色々と面倒な説明をしなければならないので、とりあえず肯定も否定もせず、僕はそう無難に話を締める。近くにクラスメートもいるし、あまり黒峰の話題を出して、周りに嫌悪感を持たれるのは、僕の望むところではない。
それだけ嫌われているのだ、黒峰という少女は。
「にしてもさあ、また物騒な話が出たもんだよなあ。ひょっとしてこの町、呪われてるんじゃねえの?」
「え? なにが?」
「だからさ、最近事件が起き過ぎなんじゃないかって話だよ。まだ黒峰が事件に巻き込まれたどうかはわからんけど、先月と先々月と殺人事件があったばっかだしさ。しかも、どれも無差別連続殺人事件だぜ? 狂ってるとしか言いようがねえよ」
先月の事件なんて、うちの学校の先生が犯人だったわけだし。あんな残酷な真似をした人間が身近にいたなんて、未だに思い出すだけで寒気がしてくるぜ。
そう言って、向島は自分の両腕を抱いてぶるっと身震いした。あの事件が起きてから一か月近くが経とうとしているが、向島のようにまだ恐怖心が根深く残っている生徒も少なくない。ショックで休学していた生徒もぼちぼち登校するようになってきたが、それでも全体数で見ればまだまだ少ない方だ。以前のような状態に戻るには、当分時間を要することだろう。
「まさかとは思うけどさあ、黒峰がいなくなったのも、だれか人を殺して、それで逃げている最中っていう線もあるんじゃねえの?」
せっかく人が黒峰の話題を終わらせたというのに、また蒸し返してきた向島に内心辟易しつつ、
「考え過ぎだよ。確かにここ最近殺人事件が目立ってきているけれど、それとこれとは話は別だし。黒峰さんがそういった快楽殺人鬼に狙われたかもしれないっていう話なら、納得はできるけども……」
「でも、あの黒峰だぜ? 去年オレらを震えさせた、あの黒峰がだぜ? お前だってあいつがまともな人間だとは思ってないんだろ?」
そう言われると、少し反論しづらい。前に平坂も話していたが、黒峰なら人殺しなんて平然とやってのけてしまいそうな危うさがそこにあるからだ。
実際黒峰が、進んでそんな労力に身を費やすとは思えないけれど、人を殺さなければならない状況に追い込まれた時、彼女ならきっと、日課をこなすように容易く他人の命を奪うことだろう。
それに間接的とはいえ、黒峰は先月の事件で、犯人に自殺するよう誘導した経緯もある。黒峰が他人の命に対して無頓着なのは明らかだった。
だからこそのサイコパス。
人を人とも思わない人でなし。
「それにさあ、二日前にオレ、黒峰っぽい奴が校舎裏近くに行こうとしていたところを、ちょっとだけ見かけたことがあるんだよなあ」
「え、ちょっと待って」
突然出てきた黒峰の目撃談に、僕は少し前のめりになりながら向島に問いただす。
「初めて聞く話なんだけど、それ。どうして今まで黙ってたの?」
「さっきも言ったけど、あくまで黒峰っぽい奴を見かけただけだし、不確かなことを言うのはどうかと思ったんだよ」
驚く僕に、向島は気まずそうに頭を掻いて言葉を続ける。
「しかもさあ、その時だれかと歩いていたように見えたんだよなあ。あの黒峰がだれかと二人で歩いている姿なんて、想像できねえだろ?」
それはまあ、一理ある。僕とは放課後によく一緒にいるけれど、でもそれは互いの利害関係を継続するためのものでしかないし、そもそも大前提として、黒峰がだれかを誘うことも誘われることもよしとするはずがない。
とことん怠け者なのだ、黒峰は。
だからというのもあるけれど、確かに向島の目撃証言は、いま一つ信憑性に欠けるものがあった。
しかし。
しかし、だ。
仮に黒峰が、そうしなければならない状況下にいたとしたら?
たとえ彼女が嫌う面倒事でも、どうしても時間を割かなければならない理由ができたのだとしたら?
そう考えれば、あの黒峰と言えども一応は腑に落ちる。
だれかと行動を共にしていたとしても、さほどの疑問はない。
けど問題は、その理由だ。黒峰の場合、自分の生活に直接関係ないことでは決してアクションを起こさないはずだ。
つまり黒峰が動くとしたら、なにか日常生活に支障が出た場合としか考えられない。
まだ推測の域は出ないが、これは、一度学校中を調査すべきか──?
「お? どうした、また難しい顔して」
「あー、うん。ちょっとね」
曖昧に言葉を濁して、僕は苦笑を浮かべる。
「ふーん。まあ、いいけどさ。つーか、黒峰の話なんてこの際どうでもいいんだよ。それよりも、今度やる勉強会の件だけどさ……」
話が割とどうでもいい内容へと流れたので、僕は適当に相槌を打ちつつ、黒峰をどう探すかで思案を練り始めた。
【5】
元々調べものは得意な方ではあったけれど、さすがに一個人の情報を集めるとなると、なかなか順調にとはいかなかった。
これが有名人とかだったら、ネットでいくらでも検索できるのだろうけど、生憎と相手はごく普通の一般人──いくら『碓氷新汰』で検索しても、同性同名の関係ない人ばかりヒットするだけで、欲しい情報はなにも得られなかった。
そもそものこの時世、個人情報なんてそうそう簡単に調べられるはずもないのだ。とりあえず、グーグルでも使えばなんとかなるかな? などと甘い考えを広げていた過去の自分を叱責してやりたい。
気を取り直して……というか作戦を変更して、碓氷くんと仲のいい子や担任の宝満先生とかに話を訊きに行ってみることにしてみた。
当初はそれほど期待していなかったけれど、これが意外と私の知らなかった話を色々と聞けることができた。
たとえば、彼の家庭環境。
宝満先生から聞いた話ではあるけれど──最初は渋い顔をしていたけれど、必死に懇願したら、どうにか教えてくれた──どうにも碓氷くんは、母方の祖父母の実家で暮らしているらしく、両親とは一緒に住んでいないらしい。
さらに詳しい話を聞いてみると、元々碓氷くんはこの町の人間ではなかったらしく、二年前に──ちょうどこの高校の入学を機に、ここへ移り住むようになったのだとか。
しかも、聞いてみたらだいぶ遠方から来たみたいで、受験当時は先生方も驚いたらしい。
その反応も無理はないと思う。だって碓氷くんがいたところが結構な都会で、わざわざこんな田舎の高校を受験する理由なんて、皆目見当もつかなかったのだから。
でも、その時は深く追求することもなく、そのまま合格基準を満たして入学という流れになったわけだけど、さすがに生徒となった以上は家庭環境をなにも知らないわけにはいかず、家庭訪問などを通じて碓氷家の内情を本格的に調べることにしたらしい。
そこで、当時の担任教師──つまり碓氷くんが一年生の時の先生に詳しく話を聞いてみることにしてみた。
その先生も、宝満先生の時のように困った顔をしていたけれど、碓氷くんの遠い親戚だと言ったらあっさり信用して話してくれた(大丈夫なのかな、この学校の管理体制)。
それでわかった、碓氷くんの過去。
碓氷くんが両親とではなく、わざわざ田舎にある祖父母の家で一緒に住んでいる理由。
実は数年前、碓氷くんの両親が殺人事件で亡くなっていたのだ。
それも実の娘──碓氷くんの妹さんの手によって。
以下は先生からじゃなく、後々ネットで調べた経緯ではあるんだけれど、仔細を語ると、こうなる。
事件が起きたのは碓氷くんの自宅──まだこの町に移り住む前の家で、碓氷くんが薬局で風邪薬を買って外から戻ってみると、リビングの床で血だらけになった両親を発見したのだとか。
そしてそのそばには、包丁を握った妹さんの、血で真っ赤に染まった姿があったそうだ。
状況から言って、妹さんが両親を殺害したのは間違いなかった。
当時、碓氷くんは十三歳。
妹さんは十歳。
未成年というのもあって、本名や顔は公表されなかったけれど、当時まだ小学生が犯した殺人事件というのもあって、ニュースでも連日話題になったみたいだ(私はほとんど覚えていないけども)。
しかもその犯行動機は未だにわかっていないみたいで、今も妹さんは黙秘を続けているらしい。
それも、終始薄ら笑みを浮かべたまま。
それを聞いた時、私は絶句するしかなかった。
だってクラスメートが殺人事件の関係者だったなんて──それも被害者と犯人がどちらも家族だったなんて、もはや衝撃というレベルを超えていた。
茫然自失になったと言っていいくらいだ。
碓氷くんがなにか闇を抱えていそうなのは、なんとなく雰囲気で察してはいたけれど、まさかここまでのものとは考えもしなかった。ああして自然に学校生活を送れているのが不思議に思えてならない。私だったらトラウマでまともに人の顔も見れないと思う。
けどそれ以上に謎なのは、そんな碓氷くんがどうして黒峰さんと進んで関わろうとしているかだ。
こう言っては悪いけれど──あくまで直感でしかないけれど、黒峰さんはとても危ない人のように思う。
それこそ、平気で人を殺せそうなくらいに。
きっとそれは、碓氷くんが一番忌避しているタイプの人のはずだ。妹さんがどういった理由で自分の両親を殺害したのかはわからないけれど、そういった絶対超えていけないラインを平気で超えてしまえる人を、碓氷くんが許容できるとは思えない。
妹さんみたいなサイコパスの近くに、自分から関わろうとするとはどうしても思えない。
それなのに、黒峰さんと一緒にいようとしているこの矛盾。
私なりに考えてもみたけれど、結局この矛盾を解消できるだけの根拠はなにも思い付かなかった。
それでも調査を続けていく内に、そんな異常な雰囲気を持つ黒峰さんだからこそ、碓氷くんは近づいたのかもしれないと、逆説的に考えるようになった。
本当はこれ以上、碓氷くんのナイーブな部分に触れるのはよそうかとも思ったのだけど、ここまで来たら最後まで知ろうと思った。
ちゃんと知った上で、碓氷くんを止めなきゃと思った。
だって、黒峰さんの異常性が目的で近づいているのなら、碓氷くん自身も危険な目に遭うかもしれないということだ。その危険が黒峰さんの手で直々にもたらされるものなのかどうかは定かではないけれど、碓氷くんが傷つくところなんて、決して看過できない。
そうして調査を続けていく過程で、私は偶然にも、碓氷くんと黒峰さんが二人で会話しているところを目撃することとなる。
それはとある放課後、忘れ物を取りに自分の教室へと向かっていた時だった。
がらんとした廊下を歩く中、不意に聞こえてきた話し声。
その時は放課後に行う掃除の時間も終えていて、どの教室も人なんていないはずだった。試験前でもないのにわざわざ教室に残っている生徒なんて、よほどの物好きぐらいしかいない。
だから自分の教室から聞こえてきた男女二人の声に、私は眉をひそめた。
ひょっとして、カップルかなにかがいるのかな。もしそうなら、入る時に気まずいなあと思いながら教室を覗いてみると、碓氷くんと黒峰さんが二人だけで話し込んでいた。
しかも、とある殺人事件について、淡々と。
それはここ最近都会の方で起きた通り魔殺傷事件の話で、傍目には無表情の男女が淡々と事件を語っている、まさに異様としか言いようのない光景だった。
でもそれ以上に驚いたのは、碓氷くんの表情だ。
いつもにこやかでいる碓氷くんが──たまに陰のある表情を浮かべはするけれど、決してみんなには悟らせないようにしていたあの碓氷くんが、黒峰さんの前では本性をさらけ出すように冷めた顔をしていたのだ。
けど目の奥だけは鈍く光っていて、特に犯人の動機について黒峰さんに意見を求めていた時は、今までに見たこともないほど真剣な面持ちで聞き入っていた。
いつもと違うその表情に、私は背筋に怖気が走るのを感じた。自分のまったく知らなかった碓氷くんの暗い内面を覗いて、今さらながら躊躇のようなものが生まれてしまったのだ。
これ以上、碓氷くんのプライベートな事情に触れていいものなのかって。
でもそれを見て、私はなぜ碓氷くんが黒峰さんにこだわっていたのか、ようやくわかった気がした。
たぶん碓氷くんは、黒峰さんと関わることで、妹さんの気持ちを理解しようとしているんだと思う。
事件の真相を、自分なりに探っているんだと思う。
あくまで推測でしかない。けど私の推測通りなのだとしたら、それは破滅を行く道でしかない。
いつか黒峰さんの闇に呑まれて、人としての道を踏み外す未来しか待っていないと思う。
黒峰紫亜という女の子は、それくらい危険な気がするのだ。
どれだけ非常識なことを言っているのは自分でもわかっている。他の人から見たら「なにをそこまで深刻に捉えているの?」と首を傾げられても無理はないと思う。
それでも私は、碓氷くんをこのまま放っておく気にはなれなかった。
一度は迷いもしたけれど、やっぱり私は碓氷くんを見捨てることなんてできない。
だから、私は──
碓氷くんと黒峰さんを引き離そうと、この時心に決めた。
【6】
思い出したくもない昔話になるけれど、僕はかつて、実の親から虐待を受けていた時期があった。
虐待と言っても暴力とかそういった苦痛を伴う類いではなく、ネグレスト──いわゆる育児放棄と呼ばれる類いのものだった。
なので、ことさら酷い目に遭ったわけではないけれど、世間一般的な家族のように、親と一緒に遊んだという思い出は、一切なかった。
幸い、衣食住に困りはしなかったけれど、食事にしろ衣服にしろ、金を直接渡すだけで自分たちからはなにもしてくれなかった。ほとんど会話もなかったので、僕からしたらATMで現金を引き下ろしているのとなにも変わりはしなかった。
まあ、僕もその頃から機械的(無口無表情で)に金だけを受け取っていたので、愛想が悪かったのはお互いさまだったのではあるのだが。そもそも親子間が修復不可能なほどに冷え切っていたので、好意的な態度なんて今さら取れるはずもなかった。家にいて安堵できる時なんて、せいぜい両親が働きに出ている時くらいなものだ。
だったらなんで子供なんて生んだのだと疑問を持たれるだろうが、両親はいわゆるでき婚というやつで、世間体を気にして結婚しただけだったのだ。
だから今でも夫婦仲は良くても、子供に対する愛情なんて鼻から持ち合わせていなかった。それなのに僕だけでなく二人目まで作ってしまうのだから、つくづく浅はかというか、罪深い人たちである。
そう──こんな家庭環境だったにも関わらず、僕以外の子供が──妹がいたのだ。
当然妹も親から育児放棄を受けていたのだが、僕とその妹だけは比較的仲が良かった。
同じ境遇下にいたというのもあったのだろうけど、お互いに好み(主に食が)が似通っていたので、なおさら意気が合ったのだと思う。
ただ少し問題があったのが、妹の性格だ。
基本的に妹は、自分に正直というか、興味のない対象には意識が向かない傾向があったのだ。
だからか、妹は周りの人間から変人として敬遠されるようになっていた。
しかし、無理はないと思う。なぜなら、その妹の興味対象というのが──
主に、死体ばかりだったのだから。
いくら好みが似通っている兄妹とはいえ、さすがの僕も死体だけは範疇外だった。
しょっちゅう妹から死体の良さを熱弁されもしたけれど、曖昧に笑みを返すことぐらいしかできなかった。そんな僕を見て、よく妹が残念そうに眉尻を下げていたのを、今でも鮮明に覚えている。
こういうのをネクロフィリアとも言うらしいが、妹の死体好きは昔からのもので、虫や動物の死骸を見つけては目の色を変えて飛びついていた。しかも通学中だろうとお構いなしだったので、僕もなにかと苦労させられたものだ。遅刻したのも一度や二度じゃない。
いつもそんな調子なので、言わずもがな、周囲の人からよく奇異の眼差しを向けられていた。両親なんて特に顕著で、便所虫でも見るかのように嫌悪感をむき出しにしていた。仮にも実の娘に軽蔑の目を向けるとか、どこまでクズなのだろう、うちの両親は。
まあ、両親なんて心の底からどうでもいいのだが、僕だけは妹の良き理解者として接していた。
理解しているつもりだった。
妹もきっと、同じ考えだったと思う。いつでもそばにいたし、互いの気持ちを一番よくわかっていると思っていた。
だが、そうでなかった。
僕は、妹のことなんて微塵たりともわかっていなかった。
今から三、四年ほど前、僕が中学生に上がったばかりの頃、それは起きてしまった。
妹が、両親を殺してしまったのだ。
それも、なんの前触れもなく。
いや、親から虐待されていたわけだし、いつ殺そうと不思議ではなかったのだが、それが動機になったとは考えにくかった。
妹は、両親のことなんて微塵も興味がなかったはずなのだから。
だから、何気なく外から帰ってきた時、血だらけになって倒れている両親と、包丁を握りしめていた妹を見て、ひどく動揺した。
状況から言って、妹が両親を殺したのは間違いなかった。まだ十歳なのに大の大人を二人も殺すなんてすごいな、などとどこかズレた感想を抱きつつ、僕は妹にこう問いただした。
なぜ、その二人を殺したのかと。
すると妹は、不思議そうに首を傾げて、
『お兄ちゃんは、わたしがどうしてこの二人を殺したのか、わからないの?』
その問いに、僕は一時逡巡するように間を置いて、こう返した。
もしかして、ずっとあの二人のことを憎んでいたのか? だから殺したのか?
『ちがうよ』
じゃあ、死体を見たかったのか? 今まで人間の死体は生で見たことがなかったから、それでこの二人を殺したのか?
『ちがうよ。人間の死体には興味はあったけれど、殺したのはそんな理由じゃないよ』
だったら、どうして殺したりしたんだ?
それが最後の問いかけとなった。
僕の言葉を聞いて、妹は失望したように瞳を翳らせ、ついで諦観するように薄ら笑みを浮かべたあと、こう呟いた。
『……そっか。結局お兄ちゃんは、そっちを選ぶんだね』
言っている意味がわからず、必死に思考を巡らす僕に対し、妹はさらにこう続けた。
あたかも、呪いの鎖をかけるように。
『お兄ちゃんなんかに、わたしの気持ちなんてわかるはずない』
その後のことは、あまりよく覚えていない。ただ瞠若しながらも、どうにか警察に通報したのだけは記憶に残っている。
当然ながら、妹は駆け付けた警察官によってすぐさま逮捕された。
妹と一緒に逃げようという考えは、鼻からなかった。逃げたところですぐに捕まるだろうと思っていたし、こんな幽鬼的な雰囲気を放つ妹と共に行動する気になんてなれなかった。
あれだけ気が合っていたのに。
いつも一緒にいたのに。
まるで手からガラス細工が落ちて粉々になったように、僕らの関係はあっさり崩壊してしまった。
あるいは、いつかこうなる運命にあったのかもしれない。元々親がネグレストだったせいで生まれた歪な関係だったし、お互いに依存し合っていたのもあると思う。
狭い平均台を、兄妹二人でくっ付きながら歩くように。
きっと背中を一押しするだけで終わってしまうような、そんな脆い関係でしかなかったのだろう。
ちなみに僕が通報している間、妹は一切逃げる素振りを見せなかった。すべてがどうでもいいといった風に始終虚空を見つめるだけで、もはや抜け殻と言ってもいいくらいだった。
そんな妹の姿を見て、僕はますますわけがわからなくなった。
なぜ妹は、こんな愚行を犯してしまったのか。
こうなってしまう前に、止めることはできなかったのか。
考えても考えても答えは出ず、気づけば中学卒業を間近に控えるまでの年月が流れていた。事件があってからずっと、学校なんて一度も行かなかったが。
というより、行けなかったと言った方が正しいか。精神的な理由でしばらく入院していたせいもあるし、妹があんなとんでもない事件を起こしたのに、学校になんて行けるはずもなかった。
だから、考える時間はいくらでもあった。しかしながら、僕はずっと答えを見つけられずにいた。
苦肉の策として、少年院にいる妹と面会しに行くという手もあったのだが、素直に答えを口にしてくれるとは思えなかったし、なによりこれは自分の力で答えを導かなければならない気がした。
もう妹とは前のような関係には二度と戻れないだろうけど、それでも、僕のたった一人の家族だ。両親を殺害したという罪は決して消えはしないが、さりとて、過去の楽しかった思い出だって消えたりはしない。
消すことだってできない。
ゆえに、僕だけは妹の真意を見つけるべきなのだと思う。
たとえ、一生涯かかったとしても。
結局僕は、中学には一度も行かず、地元を離れて母方の祖父母の家に厄介になることとなった。
祖父母は両親と違って良識のある人で、どうやら妹が殺人事件を起こしてからずっと僕たちのことを気にかけてくれていたようだった。なので、僕の退院が決まった時、祖父母の方からうちに来ないかと誘ってくれたのである。
僕としてもありがたい申し出だった。あの事件があってから、だれが僕を引き取るかで親戚中がもめていたみたいだし──入院中、看護婦さんたちが陰で僕の親戚の話をしていたのをたまたま聞いたのだ──そんな邪険にされそうな所になんて、絶対行きたくなかった。
だから祖父母の提案は、僕にしてみれば救いの手も同然だった。地獄に仏とはまさにこのことである。
しかも祖父母は僕の進路も気にかけてくれて、祖父母の家に移り住む前に、向こうの高校のパンフレットをいくつか持って来てくれたりもした。入院中も勉強はしていたし、幸いにも受験シーズン前だったので、いつでも高校へ通える準備はできていた。学費も工面してやると祖父母に言われていたので、金銭的な心配は一切なかった。ますますあのクズ母の両親とは思えない。
とはいえ、さすがにそこまで面倒を見てもらうわけにもいかなかったので、それだけは丁重にお断りしようと思ったら、
『子供が大人に遠慮なんてするもんじゃない。それに今まで孫がいるとわかっていてもなにもしてやれなかった。だから、これくらいの罪滅ぼしはさせてくれ』
と、言ってくれた。
と言うのも、僕の母と祖父母は昔から折り合いが悪かったらしく、母が別の県で住むようになってからというもの、ほとんど会いにすら来なかったようなのだ。それは父も同様で、僕も妹も両方の祖父母と顔を合わした記憶なんてまるでなかった。というより、祖父母が見舞いに来るまで、そういった存在がいたことすら知らないままでいた。
どうやら祖父母は、そのことをずっと気に病んでいたらしく、それで僕を引き取ろうと思い立ったらしい。
そこまで言われてしまっては、僕も断る理由はない。というより、両親の遺産もそれほどあるわけじゃないし──中流家庭だった上に、夫婦間で使う金には遠慮がなかったので、貯金なんてさほど残っていなかったのだ──今後を考えると、出来るだけ出費は抑えたいのが本音だった。
そんな経緯で、僕は祖父母の厚意に甘えさせてもらうこととなり、こうして不自由ない生活を送らせてもらっている。
今も変わらず、妹の呪いにずっと縛られながらも……。
話は現在に戻って、学校の裏庭。
そこで僕は、黒峰の行方を知る手がかりがないかどうか、辺りをくまなく探索していた。
向島の目撃情報が勘違いとかでなければ、黒峰はこの学校のどこかで消えた可能性が高い。
と、思うのだが、それらしき物は放課後になっても見つかっていない。休み時間を利用して聞き込みなんかもしてみたのだが、黒峰を放課後の校舎裏で見たという人はいなかった。向島もはっきりと見たとは言ってなかったし、こうなってくると、人違いという線が濃厚な気がしてきた。
「骨折り損だったかな……」
頬に垂れる汗を手の甲で拭って、僕は吐息混じりに呟く。
微かに空が朱色に染まり出してはいるが、それでもまだまだ日は高く、気温も依然として暑いままだ。こまめに水分補給を取ってはいるが、このままだと干からびてしまいそうである。
一旦建物の陰に避難して納涼を取る。鞄の中に入れておいたペットボトルのお茶を取り出してみると、この暑さですっかりぬるくなっていた。二、三十分前に自販機で買ったばかりなのに、どれだけ暑いのだ今日は。
うだるような暑さに辟易しつつ、僕はお茶を飲んで喉を潤す。その過程で、なんとなく周囲を見渡す。
うっすらと雑草の生えた地面。左手側は教師専用の駐車場まで繋がっていて、右手側は巨大な室外機を超えた先に、運動場がわずかに顔を覗いているのがわかる。そして正面にはフェンスで仕切られた土地があり、その向こうには鬱蒼とした森が広がっていた。
先月、とある事情で黒峰とここを訪れたことがあるのだが、前に比べて蚊が増えたこと以外は別段変わった様子は見られない。景観もなにもかもそのままだ。
やはり、黒峰はここに来ていないのだろうか。そうなると、もう僕にはどうすることもできない。あとは黒峰の無事を信じて、警察の捜査に頼るだけになってしまう。文字通りお手上げ状態だ。
「……もう少しだけ探してみるかな」
これ以上なにかが見つかる気なんてしないが、もしもという場合もある。可能性がほんのちょっとだけでもあるなら、その可能性に賭けるべきだろう。
そう思い、ペットボトルを鞄の中に仕舞って捜索を再開した、そんな時だった。
「…………ん?」
しばらく歩いたところで、とある部分になにか違和感のようなものを抱いた。
一体なんだろうと、近くで目を凝らしてみると、そこには──
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