第6話 愛ゆえに/哀ゆえに【起】
【1】
私にとって『彼』との出会いは、まさに人生の転機と言っていいくらいの出来事だったように思う。
それまでの私は、ただ毎日を無為に消化する退屈な人生を送っていた。それは花の女子高生になっても変わらず、実に淡々と日々を過ごしていた。
言っても、別に家族や友達に恵まれなかったとか、まして肉体的にハンディキャップを抱えていたわけでは決してない。本当にどこにでもある普通の家庭で、どこにでもいる普通の少女として生きてきた。もしも映画かなにかで私のこれまでの人生が上映されていたら、ほとんどの観客が開始五分で居眠りしてしまうくらいに。
これで恋の一つでもしていたら少しは違っていたのかもしれないけど、生憎と、そういった浮いた話は今まで一度もなかった。
なんというか、そういったものにあまり興味が持てないのだ。イケメンは普通に好きだし、友達と一緒に流行りの俳優に年甲斐もなくキャーキャー言える年頃ではあるけれど、それがリアルの話となると、どうにも心が動かなかった。
だから男の子から告白された時も、大抵断っていた。今は友達と遊んでいる方が楽しいの、とかなんとか適当な理由を言って。
実際男の子といるよりは女の子同士で遊んだ方がマシではあるんだけど、あくまでもマシというだけで、楽しいと言えるものではなかった。表面上はいかにも楽しそうに振る舞ってはいるけれど、それは学校で一人浮かないためにやっているだけで、本心ではいつも面倒に感じていた。
つまるところ、私は人間が冷たいのだと思う。友達といるのも、その方がなにかと都合がいいからという利己的な理由からだし、いつも愛想良くしているのも──八方美人だと思われたら面倒なので、たまに悪口を言ったりもするけれど──結局はみんなからちやほやされるためにやっていることだった。
人前で自分を偽るなんて、割とだれでもやっていることだとは思うけれど、私の場合いつでもそこに感情が伴っていないので、他の人よりも性質が悪い気がした。
自分でもずっとこんな人生でいいのかと悩む時がある。でも明確に叶えたい夢があるというわけでもない私に、満足に生きる方法なんてなにも思いつかなかった。
そうして、漠然と不安を抱えて日常を過ごしていた中で、ある日突然転機が訪れた。
それは地元の高校に入学してしばらく経った、ある日のことだった。
数人と友達と一緒につまらない話を交わしながら廊下を歩いていた時、不意にとある男の子が私の目の前に現れた。
瞬間、私は鏡でも見ているような感覚に襲われた。
その男の子は数人と友達と廊下で談笑していて、時折じゃれ合うように互いの体を小突いたりしながら楽しそうにふざけ合っていた。
みんな知らない人ばかりで、正直、印象にも残りそうにない顔ぶれだったけれど、その中で一人だけレベルの高い人が──目を引く男の子がいた。
見た目はカッコ可愛い系の美形で、少し華奢な体付き。清潔感のある制服をラフに着こなして、常に温和な笑顔を浮かべていた。頼み事をしたらなんでも聞いてくれそうというか、いかにもお人好しそうな雰囲気の男の子だった。
けど一目見て、この人も自分を偽って生きているんだろうなというのがすぐにわかった。
それも、渇いた心で。
こんなこと、初めての経験だった。昔から他人の本質を見抜く特技はあったけれど、私とまったく同じタイプの人と会ったことなんて、今まで一度たりともなかったのだ。
だから私は、彼を見た瞬間とても驚いた。その場では露骨に表情には出さなかったけれど、内心『彼』のことが気になって仕方がなかった。その日はずっと上の空になってしまったぐらいに。
いつしか私は、自然と『彼』の姿を目で探すようになっていた。同じ一年生だということは『彼』が履いていた緑色のスリッパ(うちの学校では学年ごとにスリッパの色が違うのだ)でわかってはいたけれど、それ以上の情報はなにもわからなかった。名前すらも。その後、結局『彼』を見つけることができなかったけれど、進級して新しいクラスになった時、私は再び『彼』に驚かされることになる。
いたのだ。新しいクラスに、あの『彼』が。
そこで私は、念願だった『彼』の名前を知ることなる。
──碓氷新汰という名前を。
【2】
七月も上旬になり、本格的に夏が始まろうとしていた。
あれほど鬱陶しく続いていた雨は嘘のようになりを潜め、毎日迷惑なほど暑苦しい陽光を地上に降り注いでいる。梅雨は梅雨で気が滅入るが、これはこれできついものがあった。毎日三十度超えはいくらなんでもはりきり過ぎだろうと文句を言いたいくらいだ。
そしてそれは僕だけでなく、周りの人たちも同様にこの暑さにうだれていた。もうじき期末試験もあるというのに、このままだと勉強に支障が出そうだ。まあ、僕は比較的成績上位を保っているので、今回も大丈夫だとは思うけれど。
「うわー。出ましたよ、優等生の余裕発言」
と。
僕の前で紙パックのジュース(りんご味)を啜る向島が、眉をしかめてそんな皮肉の混じった言葉を吐いた。
「オレなんて、夏休みの補習が決まるかどうかの瀬戸際にいるっていうのに」
「それは仕方がないよ。実際に碓氷くん、成績が良いもん。それに補習になるかどうかなんて結局本人次第でしょ。そういうことを言っている内はなにをしてもダメだと思うな」
僻む向島に、その横に立つ平坂が苦言を入れる。
そんな呆れた顔をする平坂に、
「うっ。正論過ぎてなにも言い返せない……」
と、向島があからさまにたじろいだ。
場所は教室前の廊下だった。そこの窓際で、僕らは三角形を描くようにして駄弁っていた。
ちょうど昼休みの中頃というのもあって、僕ら以外にも教室や廊下で騒いでいる者が多く散見できる。けどこの暑気もあって、みんな動き回るようなことはせず、始終服や下敷きをあおいだりしてこの暑さをやり過ごそうとしていた。そろそろ学校側にはエアコンの導入を検討してもらいたいところである。
「でも、マジでどうしようかなあ。これで補習になったら、せっかくの夏休みが台無しになっちまうよ……」
「やっぱり勉強する以外にないんじゃないかな。あと一週間くらいしかないけど、今からでも遅くはないと思うよ?」
「そうは言うけどなあ、新汰。自慢じゃないが万年補習組のオレが、今さら勉強したところでどうにかできるはずがないだろ?」
「本当に全然自慢にもならないね」
あと、胸を張って言うことでもないと思う。
「つーことで新汰。今度オレに試験のヤマを教えてくれ」
「え? いやでも、こういうのって自分で勉強しないと意味ないと思うし……」
「そこを頼むよ新汰~。友達を助けると思ってさ!」
友達だなんて今まで一度も思ったことはないが、お人好しの『碓氷新汰』を演じるなら、ここは頷いた方が適切だろう。
「うーん。そこまで言うのなら──」
「ちょっと! ダメだよ碓氷くん! 向島くんを甘やかしちゃ!」
了承しかけたところで、途中で平坂に止められた。
「向島くんも! そういうことで碓氷くんを頼っちゃだめだよ! 碓氷くん、頼まれたら断れないタイプなんだから!」
「ご、ごめん……」
平坂に叱られ、しょんぼりと肩を落とす向島。惚れた弱みというか、平坂には頭が上がらないようだ。
「まあ、平坂さんの言うことももっともだね。だから試験のヤマは教えられないけれど、その代わりに勉強会くらいなら開いてもいいよ」
「おお! それだけでも十分だ! サンキュー、新汰!」
さっきまで落ち込んでいたのが嘘のように、向島が顔を上げて僕の両手を握る。部活もしていないのにごつごつとした向島が僕の肌に触れて、正直今すぐにも手を振り払いたい気分に駆られたが、表面上は笑顔を取り繕った。不快感が半端ない。
「ひ、平坂さんも一緒にどう? オレたちと勉強しない?」
まるで「俺とお茶しない?」とベタなナンパでもしているかのような口調だった。なんで突然元気になったのかと疑問だったが、こういう魂胆があったからか。
「愛莉も? う~ん」
向島の言葉に、平坂は顎に指を立てて考え込む。
「別に愛莉は補習の心配なんてないけど、碓氷くんがいるなら参加してみようかな。成績も上がりだそうだし」
「っしゃあ!」
露骨にガッツポーズを取る向島。人生楽しそうな奴だ。
「碓氷くん、そんなわけで愛莉にも勉強教えてもらえる?」
「もちろん。平坂さんなら大歓迎だよ」
僕の代わりにうるさい向島の相手もしてくれるだろうし。
「あ、ああ新汰。お前まさか、平坂さんのこと──」
「それはない」
なにやら妙な勘違いをしている向島に、僕は即効で否定を入れる。ほら見ろ、平坂が不思議そうに首を傾げているじゃないか。
「……? 今のってなんのやり取りだったの?」
「なんでもないよ。だよね、向島」
「お、おう! 男同士の意思粗忽だ!」
それを言うなら『意思疎通』だ。安請け合いしてしまったが、ひょっとするとこいつに勉強を教えるのって、相当根気がいるんじゃなかろうか?
「あのさ、一応向島に確認しておくけれど、今のところどの教科がやばいの?」
「保健体育以外、全部」
「………………」
先行きがかなり不安になることを平然と言いやがった。
というか、保健体育以外全部って。お前はスケベ男子の典型例か。
どうやら平坂も同じ感想を持ったようで、二人して半眼になりながら向島を見ていると、
「ち、違うんだって! オレだって勉強はしてんだって! ただ勉強する才能がオレにはないってだけで!」
「向島くん。そういう言い訳はどうかって愛莉は思うな」
「待って! 平坂さん待って! オレの話を最後まで聞いて!」
呆れ顔になる平坂に、向島が慌てて弁明を口にする。
「ほら、勉強する時って集中力と記憶力とかがいるだろ? オレにはそういうのが全然備わってないんだよ。こういうのって生まれつきっていうか、鍛錬したらすぐにどうにかなるもんでもないだろ?」
まあ確かに、その二つがないと勉強なんて続かないだろう。一応そういった能力を伸ばす本なんかもあるけれど、そういった物を読んで本当に集中力や記憶力が伸びたという話はあまり聞かないし、そもそもの話、向島はマンガ以外の本を好んで読むタイプではない。きっと数行呼んだだけで眠りについてしまうことだろう。
「うーん……。まあ否定はしないけどね~」
「でしょでしょ? 平坂さんもそう思うでしょ? だからオレにも黒峰みたいな才能が少しでもあったら、こんなにも勉強のことで悩まずに済んだんだよ」
唐突に出てきた名前に、僕は思わず「黒峰?」と呼び捨てにして繰り返してしまった。
「ああいや、黒峰さんがどうしたって?」
「いやだから、黒峰の話だよ。新汰も同じクラスなんだからわかるだろ? あいつのヤバさ。ありゃ化け物だな。ろくにノートも取っていないのに、授業を受けているだけで学年首位になれるなんて、絶対人間じゃねえ」
化け物は言い過ぎだとしても、気持ちはなんとなくわかる。実際黒峰は教科書以外なにも用意せず、ただまっすぐ黒板だけを見つめて授業を受けている。傍から見たら真面目に授業を受けているのか受けていないのか判断しづらいが、それで成績を落としたことはないようで、教師に注意を受けているところも一度として見たことがなかった。むしろどの教師も黒峰だけ特別扱いしているように思える。そこに黒峰に対する恐怖心も内在しているのだろうが、ちゃんと学年首位という功績を上げているので、当然と言えば当然かもしれない。
そしてそれは他の生徒たちも同じようで、黒峰の待遇に文句を言う者はいなかった。というよりほとんどの人が向島のように化け物扱いしているようで、これといって羨望も嫉妬も抱いていないようだった。こうも次元が違うと、もはや呆れしか湧いてこないものらしい。僕はそこまで成績にこだわりはないので、いまいちよくわからない感覚だが。
そういえば、前に興味本意でどうすればノートを書かずに好成績を取れるのか訊いてみたことがあったのだが、
『どうしてもなにも、先生の話さえ聞いていれば十分でしょう? わざわざノートを取るのも億劫だし』
とのことだった。
やはり黒峰紫亜と僕らとでは、頭の出来が根本から違うらしい。
というよりは、超省エネ志向がなせる離れ業とも言えるかもしれないけども。
その黒峰はと言えば、今も教室のど真ん中で時間が静止しているかのように黒板を凝視していた。相変わらずの人形然とした姿に、今となっては見慣れた光景として受け入れている僕がいた。慣れとは恐ろしいものだ。
反面、まったく表情に変化が見られない黒峰に、暗澹とした気持ちになる僕もいた。
もうかれこれ一か月半以上笑顔の浮かべ方を教えているというのに、微塵たりとも進歩が見られないのだ。今ですら指かなにかで口角を引っ張らないと笑みが作れない始末だ。それも目だけは笑っていない状態なので、正直ホラーでしかない。お化け屋敷にあんなのがいたら、さぞや集客力に貢献してくれることだろう。
などと、終わりの見えない先行きに溜め息をついていると、
「どうした新汰? 急に溜め息なんてついて」
気付けば、向島が僕の顔色を窺うように腰を屈めて下から見つめていた。僕の背後に教室があるので、後ろの方に体を傾けて黒峰を見る僕に、横から覗き込むような形だ。
そんな亀みたいな仕草をする向島に「いや、なんでもないよ」と僕は正面に向き直って首を横に振る。
「そうかあ? なんか珍しく困ったような顔をしているように見えたぞ」
「愛莉にもそう見えたよ? なんだか黒峰さんの方を見て溜め息をついていたように思えるけど、ひょっとしてまたなにか頼まれ事でもされたの?」
きっと平坂は「黒峰係」のことを言っているのだろう。実際よく頼まれ事をされるので迷惑していないと言えば嘘になるが、僕の今の悩みとは全然関係なかった。
しかしながら、ここで本音を明かすわけにはいかない。いくら向島や平坂のような気のいい奴でも、あの犯罪者予備軍の黒峰と懇意にしていると知られたら快くは思わないだろう。別に友達と思っているわけではないが、今ここで僕のイメージが悪くなるのはなにかと厄介だ。なるべく学校生活は無難に過ごしていたいので、ここは適当に誤魔化しておいた方が無難だろう。
「本当になんでもないよ。ただ、今日も黒峰さんは平常運転だなって思っただけで」
「なんだ、そんなことか。つーかあいつの場合、異常なのが平常みたいなもんだけどな。普通に女子高生する黒峰なんて想像もできねえわ」
「あー、なんとなく言いたいことわかるかも。こう言ったら悪いけど、黒峰さんならいつ変なことが起きたとしても、不思議と納得しちゃいそうだもん。やっぱり愛莉たちとは違う人間なんだなあって」
「それって、どういう意味?」
僕の問いに、平坂は少し言いづらそうに眉を八の字にして、
「んー。たとえば犯罪に巻き込まれたりとか、もしくは犯罪を起こしたりとか。黒峰さんって、なにかそういうのに縁がありそうな感じがするでしょ? だからある日突然黒峰さんのことがニュースで流れたりしても、驚きはしても意外には思わないんだろうなって思っちゃうの」
「わかるわー。それ、オレもマジでそう思うわー」
向島が軽薄にそう同意を示すが、僕も平坂の言いたいことはわからないでもなかった。
というより、僕は黒峰の異常性をここにいるだれよりも知っている。
ここ最近世間を騒がせた二つの猟奇殺人事件。その両方の事件に黒峰が深く関わっていたということは、犯人を除けば僕しか知らない。しかもそのどちらの犯人からも好意を持たれていたというのだから、いかに黒峰が普通から逸脱した人間か、言わずともわかることだろう。
それだけでも十分異常だと言えるのに、黒峰自身、いつ重罪を犯すともわからないサイコパスなので、余計危うさのようなものが際立っていた。きっと周りにいるみんなも、僕ほどではなくともなんとなくそういった気配を感じ取っているのだろう。でなければ、黒峰に対してああも警戒心を持つはずがない。
「でもなんか、こういうこと言うと愛莉、すごく嫌な子みたいだよね……」
「いやいや、そんなことないって。他の奴だって似たようなことを陰で言ってたりするって。なあ新汰?」
「うん、僕もそう思う。平坂さん、別に悪意があって言っているわけじゃないんだし。他の人みたいにバカにしたりするよりは断然マシだよ」
「そう、かなあ?」
そうだよ、と僕は笑顔で頷く。そんな僕を見て、平坂も安堵したように「そっか」と胸を撫で下した。
と、そこで五時限目を知らせるチャイムが鳴った。いつの間にか長々と話し込んでいたらしい。
「じゃあ、勉強会についてはまたあとでね」と向島と平坂に言って、僕らは教室へと戻る。
その途中、ふと黒峰の方に視線を向けると、普段通り机に教科書をだけを置いて、まっすぐ正面だけを向いていた。
こうして見ると、本当にいつなにが起きても不思議じゃない雰囲気をしているよな、などと考えつつ、僕は自分の席に着く。
その数日後のことだった。
黒峰が、突然行方不明になってしまったのは。
【3】
彼──碓氷新汰くんとは思っていたより早く打ち解けることができた。
それは彼と同じクラスになって、私が積極的に話しかけたおかげでもあるのだけど、新汰くんの方からも色々と気をかけてくれたのだ。向こうから声をかけてくれる度に、心中で小躍りしていたのは言うまでもない。
まあ、新汰くんは優しくて明るい人なので、私だけじゃなくクラスの大半の子と仲良くなってはいたけれど。
でも、やっぱりプライベートなところまでは触れさせてくれないというか、家族や昔の話になると曖昧にはぐらかされることが多かった。決して露骨に避けるわけではないけれど、やんわりと距離を一定に保ってくるのだ。
それは新汰くんに限った話だけでなく、私にも言えることではあるのだけども、新汰くんは私よりも根底的な部分で鉄壁だった。けどそういう距離を感じさせないところが、新汰くんの上手ところだとも思う。
なんというか、新汰くんは人の警戒心を解かせるのが抜群にうまいのだ。
まったく初対面の人たちでも、いつの間にやら場を盛り上げてしまえるくらいに。
表面上は人当たりもいいし、いつもニコニコとしているせいもあるのだろうけど、あんなにもあっさりだれかと仲良くなれる人って、そうはいないと思う。私でも真似できそうにない。
そんな新汰くんではあるけれど、ふとした時に陰のある表情を見せることが度々あった。
本当にたまにしか見せないというか、みんなの視線から外れた時にしかしない表情ではあるけれど、どこか心に闇を抱えていそうな雰囲気が、そこにはあった。
新汰くんがどんな事情を抱えているかは知らない。きっとそれは、平々凡々とした人生を鬱屈に過ごしてきた私とは比べものにならないほどのものなのかもしれない。
けれど、私と似たような──あくまでもパーソナルな問題には踏み込ませない道化のような生き方をしている新汰くんを見て、安心感のようなものを覚えたのだ。
だからこそ、私は彼に惹かれたのだと思う。今まで一度も異性に興味を持ったことがない、この私がだ。
きっと、私は新汰くんに恋をしてしまったのだと思う。今まで人を好きになるという感覚がわからなかったけれど、初めて私は自分以外のだれかに夢中になっていた。
そうして気付けば、私はいつでも新汰くんの方ばかり見つめるようになっていった。
新汰くんが友達と一緒にいる時も。
新汰くんが静かに授業を受けている時も。
新汰くんがどこか空虚に表情を翳らせる時も。
いつもいつも、新汰くんにだけ熱い視線を注いでいた。
新汰くんのことばかり考えていた。
友達でしかないけれど、恋仲にはきっとなれそうにないけれど、それでも私は今の状況に満足していた。新汰くんと同じクラスになれて、友達にもなれて、十分過ぎるほどに幸せを感じていたのだ。
そんなある日のことだった。私の幸せな生活に、ひっそりと暗い影が差すようになったのは。
私のクラスには、黒峰紫亜という問題のある生徒──噂では一年生の時にクラスメート全員をとある行為でドン引きさせたという女の子がいて、どうにも新汰くんがその黒峰さんと懇意にしているらしいというのが、ここ最近になってわかったのだ。
とは言っても、別に付き合っているとかそういう雰囲気はなく、お互いどこか事務的にそばにいる感じではあったのだけれど、私や他の子とは違う距離感に、なんだかとても落ち着かない気分にさせられた。
元々新汰くんが黒峰さんの世話を焼いていて、そのせいで「黒峰係」なんて役割をクラスのみんなから押し付けられていたのは知っていたけれど、でもそれはあくまで仕事の一環みたいなもので、そこに情のようなものは一切ないと思い込んでいたのだ。
だから、新汰くんと黒峰さんが急接近していると知って、私はとても動揺した。
新汰くんと、あのみんなから当然のように嫌われている黒峰さんとが二人きりでいるところなんて、まるで想像できなかったから。
そうして悶々と日々を過ごす内に、私はどうしても理由を知りたくなった。
なぜ新汰くんが黒峰さんにそこまでして構うのかを。
対抗心というのもなかったわけじゃないけれど、新汰くんが私の知らない一面を黒峰さんにだけは見せているのかと思うと、焦燥感めいたものに駆られて仕方がなかった。
でもそれ以上に、新汰くんのことをもっと知りたいと思ったのだ。
新汰くんのことを今まで以上に色々と知れば、黒峰さんよりもだれよりも、彼と親密になれるかもしれないと思ったから。
だから私は、すごく勝手ではあるけれど、新汰くんの現在から過去に至るまで詳しく調べることにしてみた。もちろん、本人には内緒で。
その行為がどれだけ迷惑なものかは、私も理解はしている。逆の立場だったら、たとえ仲のいい子でも、自分の知らないところであれこれと調べられるなんて、気分のいいものじゃない。
それでも私は、もう自分の気持ちを抑えられそうになかった。
そう思い立った翌日には、私は早速行動に移していた。
私の想像を絶するほどの深い闇が、そこにあるとも知らずに……。
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