第2話 また会う日まで【後編】



 【5】



「思っていたより早く学校に来れるようになったよね。事件が起きたからまだ数日しか経っていないのに」

 場所は二年四組の教室。放課後のだれもいない教室の中で、僕は窓際の壁にもたれながら、目の前の席に座る黒峰に話しかけた。

「今日なんて、告別式があるはずじゃなかった?」

「ええ。でも私だけ不参加にさせてもらったわ。授業に遅れたくなかったから」

 平然とそう言い切って、黒峰は自分の口の端を指で押し上げる。

 一体なにをしているのかというと、前回に引き続き、笑顔の練習だ。ひとまず微笑んだ時の顔を維持できるようにならないと先に進めそうになかったので、ああして無理やりにでも笑顔を保ってもらっているのだ。めちゃくちゃシュールな光景である。

「よく許してもらえたね。従姉妹の告別式なのに」

「従姉妹と言っても、私とはほとんど交流がなかったもの。葬式には出席してあげたのだし、これ以上関わる義理はないわ」

 仮にも従姉妹が殺されたというのに、まるで赤の他人のように扱う黒峰。交流はなくとも周りの人間から色々言われそうな気がするのだが、黒峰家は親戚付き合いを重要視していないのだろうか。

 ああいや、必ずしもそうとは言い切れないか。本当に親戚付き合いを軽んじているのなら、司法解剖が行われていた間にでも黒峰を登校させていたはずだ。そうさせなかったのは、やはり周りの目を気にしてのことだろう。他人に無頓着過ぎる黒峰がおかしいだけで。

 きっと家族にも、たいそう迷惑をかけているに違いない。

「黒峰は、従姉妹を殺した犯人になにか心当たりはないの? 実はだれかに恨まれていたとか」

 黒峰を呼び捨てにしつつ、僕は訊ねる。前に黒峰と話した時に、別に呼び捨てでもいいと言われたので、それ以来「さん」付けなしで呼ぶようになったのだ。さずがに、他の人に聞かれるとややこしい事態になりかねないので、二人っきりの時でしか呼び捨てにはしないけれど。

 それはともかく、そんな僕の問いかけに対し、

「さあ」

 と、至ってシンプルな答えが返ってきた。

「特に興味もなかったから」

「それはさっきの話を聞いていればわかるし、わざわざ調べたりもしていないんだろうけれど、それとなく親戚から聞いていたりはしてないの?」

「聞いていたかもしれないけれど、内容は覚えていないわ。聞き流していたから」

 本当にどうでもよかったんだなというのが、よくわかる返答だった。

 こいつ、どれだけ他人に興味がないのだろう。そういえば、未だにノートを取ってあげた礼すら言われていない。別に感謝されたいわけじゃないが、なにか一言くらいあってもいいんじゃないかとは思う。

「……黒峰さ、葬式の時は一体どうしていたんだ? えげつないほど淡泊な反応をしているけれど、周りからも相当奇異な目で見られていたんじゃないの?」

「別にどうも。普通に過ごしていたし、周りの目なんて気にしていなかったから、面白可笑しい話なんてなにもないわ」

「むしろ、葬式中なのに面白可笑しいことなんてあったら大問題だよ」

 殺された人も、あの世で浮かばれまい。

「なんていうか、黒峰って本当に変わってるよね」

 今さらなことを、改めて実感するように僕は言う。

「たとえ家族が死んでも、同じリアクションを取りそうな気がする」

「そうね」

 ふと漏らした僕の言葉に、黒峰は頬から指を離し、一切の迷いなく応えた。

「私もそう思うわ」

「………………」

 黒峰の言葉に、僕は思わず押し黙る。

 そして想像する。家族の遺体の前で平然と佇む、黒峰の姿を。

 きっとその時の顔は、今のように死人のような顔をしているのだろうなと、なんとなくそう思った。

 両親の死体の前で、みっともなく狼狽えてしまった僕とは大違いだ。

「ところで碓氷くん。今日とこの間と同じことしかしていないけれど、これって本当に効果があるのかしら?」

「ん? あー、いや、僕も別に顔面の専門家というわけじゃないから、あまり効果を期待されても困るんだけど、でも黒峰はまず表情筋を鍛えるべきという方針は変わらないよ。君は表情が固すぎる。とりあえず少しだけでも笑みを作れるようにならないと、話にならない」

「少しだけ、ね。これでも私、満面の笑みを浮かべているつもりなのだけれど」

「………………………………………………」

 今すぐ自分の顔を鏡で見ろと言いたくなかった。

 そんな鉄仮面みたいな笑顔があってたまるか。

「それにしても、笑顔って思っていたより疲れるものなのね。いつも通りこうして無表情でいる方が楽だわ」

 無表情とは言うが、さっきとなにが違うのだろう。さっぱりわからない。

「これから進路希望調査も書かないといけないし、しばらくは疲労が溜まりそうな作業が続きそうね」

「ああ、今日が期限だっけ? ていうか、まだ書いてなかったの?」

「ええ。まだ進路を決めていないというのもあるけれど、昨日は葬式もあったから」

 そういえば、進路希望調査を渡したその翌々日に殺人事件があったんだっけ。黒峰本人はどうとも思っていなかったみたいだけれど、周りは葬式の準備などでばたばたしていたはずだろうし、進路希望調査なんて書いている余裕なんてなかっただろう。遅れてしまったとしても仕方のない話だ。

「でも、それってやばいんじゃないのか? 今からでも書かないと間に合わなくない?」

「期限を伸ばしてもらったから大丈夫よ。先生があんな事件があったあとじゃ落ち着いて書けないだろうって、一週間ほど伸ばしてもらったわ」

 またずいぶんと長く伸ばしてもらったものだ。ただでさえ提出が大幅に遅れているだろうに、宝満も気前のいいことをしたものである。単純に黒峰を避けているだけの気もするが。

「どう? 一週間の間に書けそう?」

「……いざとなったら、また白紙で出してやるわ」

「堂々巡りになりそうだね」

 宝満の苦悩は、当分続きそうだった。



 そして、そのわずか四日後。

 今度は黒峰の叔母に当たる人物が、他殺体として発見された。



 【6】



 死体は、胸部や腹部を鋭利な刃物で何度も刺された状態で発見された。

 死因は前回の事件と同じ、刃物で刺されたことによる出血性ショック死。

 被害者はこの町に住む五十代の女性で、夕べ、近くの河原で犬の散歩をしていた男性が偶然発見したらしい。

 すぐに救急車が駆け付けたのだが、その時にはすでに、被害者は息を引き取っていたそうだ。

 それから、警察が遺体を回収する流れになったのだが、その後とんでもない事実が判明することになる。

 実はこの被害者、驚くべきことに、この間殺された女性と親子関係に当たる人物だったのだ。

 この衝撃的事件に、マスコミ各社でもトップニュースで報道された。僕も朝から流れたニュースに釘付けになっていた。

 そこで報道された情報ではあるが、警察は殺害方法が酷似していたことから、同一人物による犯行──それも土地勘のある犯人だと考えているらしく、捜査も事件現場付近を中心に捜査が進められているらしい。

 だが一つだけ、同一犯だと考えるには奇妙な点があった。

 今回の事件では、被害者の所持品から盗まれた物が、一つとしてなかったのである。

 色々な憶測が流れてはいるが、これといった有力になりそうな説はなかった。犯人が捕まりさえすれば真相も判明するのだろうが、目撃情報が一切ないらしく、捜査が難航しているようだった。ただでさえ、前回の事件でも犯人を野放しにしてしまったのだ──警察に対する世間の風当たりもますます強くなることだろう。

 ところで、今回もまた親類が殺された黒峰ではあるが、従姉妹の時と同様、しばらく学校を休むことになった。

 それから少しして、葬式の日程が朝のホームルームにて伝えられた。というのも、葬式を開くのがちょうど日曜日で、時間があれば出席してやってほしいと宝満から言われたのだ。言わずもがな、クラスのほとんどが嫌そうな顔をしていたが。この反応から見るに、だれも葬式なんて来やしないだろう。

 ちなみに僕はというと、出席するつもりでいた。

 黒峰を心配してのものではなく、単なる好奇心で。

 前回はそれほど関心なんてなかったのだが、今回の事件によって僕は完全に犯人の人物像に興味を抱いたのだ。

 なぜこんな短期間で殺人を繰り返したのか。血縁関係者のある者を殺したのは、強盗以外の目的があったのか。今回だけ所持品を盗まなかったのはどうしてなのか。興味は尽きない。

 この犯人の行動心理には、どこか黒峰に通じるものがある。人を人として見ていないかのような、サイコパスじみた思想を感じるのだ。

 無論、あくまで推測でしかない。だが、僕の直感がこの犯人はサイコパスであると告げていた。

 実際にサイコパスと一緒に生活をしていた、僕の直感が。

 そしてその直感は、こうも告げていた。

 もしかすると、遺族か参列者の中に犯人がいるかもしれない、と。

 過去に殺人鬼と呼ばれた者たちは、大抵の場合、人を殺すだけに飽き足らず、その親族が嘆き悲しむところを観察して楽しむ傾向にあると聞く。だからこの犯人も、以外と葬式の中に混じっているのではないかと考えたのだ。

 しかしながら、確証があるわけではない。完全なる勘だ。だが仮に犯人が紛れ込んでいるのなら、あわよくばその犯人と会って話がしてみたかった。

警察に逮捕されるその前に。

 そうして僕は、二人目の被害者の葬式に出席することにしたのだった。



 葬式場は僕が通う高校からそう遠くない距離で、自転車で三十分程度のところにあった。

 僕が到着した時にはすでに大勢の人が来ていて、受付で名前を書き、香典だけ払ったあと、さっさと式場に入った。

 まだ葬式が始まるまでに二十分近くあるのだが、たくさんの人でひしめき合っていた。中には葬式が始まる前にハンカチで目頭を抑えている参列者もおり、亡くなられた方がどれだけ慕われていたか、よくわかる雰囲気だった。

 周りを見ると、僕と同じように制服を着ている人は、一人として見かけなかった。無論、僕と同じクラスの人間も、ここに来ていない。まあ、それは予想通りではあるのだが、どうやら一般参列者の高校生は僕しかいないようで、そのせいか、やたら居心地の悪さを感じた。中学生くらいの子ならいるし、僕のことなんてだれも気にしていないだろうけど。

 ところで、葬式に参列しているはずの黒峰ではあるが、辺りを見渡すもどこにいるのか全然わからなかった。遺族側の席に座っていなかったので、おそらく参列者側の席に座っているのだろうけど、ただ前列はほとんど埋まっていたし、僕のいる最後列からも黒峰の姿を探すのは不可能だった。彼女を見つけようと思ったら、一度奥の方まで行って、皆の顔を正面から確認する必要があった。言うまでもなく、勝手に棺のところまで近づくわけには行かない。行くとしたら、焼香の時だけだ。

 とりあえず空いている席に座り、僧侶の読経まで待つ。

 しばらくして、僧侶が祭壇の前に現れた。そして、遺族や参列者に頭を下げたあと、しめやかに葬儀が始まった。

 僧侶が棺に向けて読経を唱える。ニュースで一度顔写真は見たが、こうしてあらためて遺影を見ると、黒峰ほどじゃなくとも容姿が整っているのがわかる。前に殺された女性も綺麗な人だったので、美形が多い家系なのかもしれない。

 長い読経が終わったあと、次は遺族による焼香が始まった。そして、参列者の焼香へと続く。

 と、最前列から数人ずつ棺へと向かう中で、黒峰の姿を見つけた。黒峰は僕と違ってちゃんと礼服を着ていたのだが、なんだか死神を思わせる妖艶な雰囲気を醸し出していた。

 思わず畏怖の念を抱いてしまいそうな、そんな神秘的ななにかを。

 しかも、終始冷然と──至極どうでもよさそうな顔をしているものだから、周囲からかなり浮いて見えた。黒峰のことだから、さっさと終わってほしいとか考えていそうだ。

 この分だと、前回みたいにまた告別式だけすっぽかしそうな感じがするな。黒峰らしいと言えば黒峰らしいが。

 続々と焼香が続く中、ようやく僕の番がやってきた。周りの人に合わせて表情を暗いものにしつつ、棺へと向かって焼香を済ませる。

 自分の席へと戻る際、僕は遺族や参列者の顔をじっと観察するように──けれどさりげない様子を装って全体を見渡した。

 この中に犯人が紛れ込んでいるかもしれない。だが仮に犯人がここにいたとしても、短期間に二人目を殺害して警察の目を掻い潜っている狡猾な奴が、露骨に怪しい挙動をするはずもなく、一見しただけで犯人を見分けることなんてできなかった。まあ、これで犯人を見つけられるくらいなら、警察も苦労しないだろうけど。

 おとなしく自分の席へと戻り、溜め息を吐く。

 やはり、そうそううまくはいかないか。多少サイコパスに詳しい程度の僕が簡単に犯人を特定できるはずもないのだが、落胆も大きい。

 犯人と会えていれば、僕の目的にも近づけていたのかもしれないのに。

 たとえそれが、自分の命を投げ出すような行為だとしても。

 これでは、黒峰のことばかり変人扱いできないなと自分でも呆れつつ、僕は葬儀が終わるのを静かに座して待つ。

 そういえば、その黒峰ではあるが、一度目の前まで行ったにも関わらず、こっちに気づいた様子がまるでなかった。まるで教室にいる時のように、棺や参列者を眺めるでもなく、ひたすら正面だけを向いて静止していた。

 きっと黒峰にしてみれば、僕もその他大勢に変わりないのだろうなと、そう思った。



 つつがなく葬儀が終わり、僕は会場から出ようとする流れに乗って、外へと向かう。

 会場から出ようとする間にもそれとなく怪しい人物がいないかどうか注意深く見ていたのだが、そんな者は一人して見当たらなかった。まあ、葬儀中でも見かけなかったのだから当然か。それ以前に、本当に犯人がいたかどうかもわからずじまいではあるが。

「完全に無駄足だったな……。自業自得だけど」

 自分の勘の悪さに自嘲的な独り言を漏らしつつ、駐輪場へと足を向ける。

 と、その問、こつんと足元になにかが当たる感触がした。

 見ると、それは黒革の財布だった。きっとだれかの落し物だろう。とりあえずそれを拾って、会場へと戻る。受付に渡してこようと思ったのだ。

 会場へ戻ってみると、なにやら男の焦ったような声が聞こえてきた。声のした受付所の方を見ると、今回の葬式を担当したスタッフと喪服を着た男が、なにやら困った様子で話し込んでいた。

「本当に届いていませんか? 絶対この近くで落としたはずなんですけれど……」

「申しわけございません。現在スタッフも会場の中や外を探しておりますが、黒い財布なんてどこにも……」

「すみません。その財布って、これじゃありませんか?」

 話を聞いてピンと来た僕は、女性スタッフに必死に訴えかけている若い大学生風の男に黒革の財布を差し出した。

「ああ! これだよこれ! よかった~。見つかって~」

 財布を受け取った男は、ほっと安堵したように笑みを覗かせた。

「ちなみに、これってどこで?」

「駐輪場へ向かう途中で見つけました」

「あー、バイクを置いてここまで来た時にでも落としたのかな……? いやー、それにしても、本当にありがとう。すごく助かったよ」

 僕の手を握って、感謝の言葉を述べる大学生風の男。見た目は軽薄そうだが、礼儀はちゃんとわきまえているらしい。

「ん? よく見ると君、制服なんだね。ひょっとして高校生?」

「ええ、まあ。この近くの高校です」

「ああ、やっぱり。どこかで見たことがあると思っていたんだ。そこそこ偏差値の高い高校だったよね?」

「いや、どうなんでしょうね?」

 男の問いに、僕は苦笑を浮かべて曖昧に濁す。さすがに「そうですね」などと嫌味な言葉を吐けるはずもない。

「ところで、君も洋子ようこさんの知り合いかなにかなのかな?」

 洋子さんというのは、今回殺された被害者の名前だ。下の名前で呼ぶということは、被害者とそれなりに親交があった人物なのだろうか?

「いえ、知り合いではありませんが、亡くなられた被害者の親戚に僕の知り合いがいまして、それで出席させていただきました」

「そうなんだ。あ、もしかして、最前列にいた長い髪の女の子だったりする?」

 まさか言い当てられるとは思わなかったので、そのことに少し驚きつつも、

「そうですけれど……でもよくわかりましたね。名前も言っていないのに」

 と、逆に訊ね返した。

「最前列の親戚側席に、君と同い年くらいの子がいたからね。なんとなくそうなんじゃないかなって思ったんだ。けど、そっかあ。あの子の知り合いなのかあ。あの子めちゃくちゃ美人だったから、前の葬式の時もずっと記憶に残ってたんだよね。彼女って彼氏とかいるのかなあ? あ、まさか君がそうだったりとかする?」

「いえ、違いますけど……」

 突然饒舌に喋り出した男に戸惑いつつ、僕は否定する。

 この男、黒峰に気があるのだろうか。だとしたら、ここで止めておくべきか? 黒峰の本性を知る前に。

 とは言え、恋人でもなければ友達ですらない僕が止めるのもおかしな話だと思ったので、結局黙っておくことにした。だが、それなりに興味はあったので、

「気になるんですか? 彼女のことが」

 と、下世話なことを訊ねてみた。

「まあねー。さっきも言ったけれど、あの子美人だし。声をかけようと思ったこともあるんだけど、あの子、いつの間にか会場からいなくなっててさー。だから今日見かけた時は、すごく嬉しかったよ」

 今回も、気が付いた時にはとっくに消えていたけれどね、と微苦笑する男。黒峰のことだから、葬式が終わったと同時にさっさと帰宅したとか、そんなところだろう。実にあいつらしい。

「あ、ごめん。人が亡くなってるのに、こんなこと言うなんて不謹慎だよね……」

「いえ、別に気にしていませんから」

 申しわけなさそうに語調を弱めた男に、僕は嘘偽りなく気持ちを伝える。

 不謹慎ではあると思うが、はっきり言って顔も名前すらよく知らなかった人の葬式なので、特に思うところなんてなにもなかった。せいぜい、気の毒だなと思う程度でしかない。

 無関係な人の死なんて、みんなそんなものだとは思うけれど。

 僕の両親が殺された時も、ほとんどの人が好奇か無関心な目線を向けるだけだったのだから。

「でも、よほど嬉しかったんですね。彼女と偶然会えて」

「うん。これも洋子さんが巡り合わせてくれた運命なのかなって、そんな都合のいいことまで考えちゃったよ。生前も色々お世話になったけれど、亡くなってからもお世話になっちゃうなんて、洋子さんって本当に良い人だよね。だからなおさら、今回の犯人に憤りを感じるよ」

 それまで溌剌としていた笑顔を引っ込めて、いかにも無念そうに歯噛みして男は言う。

「本当、ろくでもない犯人だよね。娘さんばかりか、母親である洋子さんまで殺してしまうなんて。娘さんの葬式に出席した時も、洋子さん、すごく憔悴しきっていて、正直見ていられなかったよ……」

「亡くなった被害者二人とは、以前から親交があったんですか?」

「洋子さんだけとはね。俺のバイト先の同僚だったんだ。とても親切な人で、丁寧に仕事を教えてくれたり、困っていることがあったらすぐ助けてくれたりと、なにかと世話を焼いてくれたものだよ」

「じゃあ、だれかに恨みを持たれるような方ではないと?」

「そうだね。そりゃ中には嫌っている人もいたかもしれないけど、馬乗りになって何度も刺されるほどの恨みなんてなかったはずだよ。あ、でも、洋子さんに特別な感情を抱いている人はいたかもしれないな……」

 気になることをぼそっと呟いた男に、僕は「特別な感情とは?」と問うた。

「洋子さん、以前からストーカーに悩まされていたらしいんだよ。何度か知らない男に後を付けられたことがあるって、前に言っていたから」

「……知らない男、ですか」

「うん。洋子さんの話じゃあ、小太りの男だったみたいだよ。もしかしたら、その時のストーカーが犯人なのかも……」

「それって、前回殺された被害者とも関係があったりするんですか? 警察の調べだと同一犯だという話になっていますが」

「さあ、どうなんだろうね。洋子さんからは娘さんのストーカー被害までは聞いていなかったし。でもストーカー被害に遭っていてもおかしくはないかもね。写真でしか見たことないけど、洋子さんに似て美人だったから」

「そうですか……」

 果たして、これは事件となにか関係があるのだろうか。好意を伝えようとしているのに、何度も逃げるように被害者から拒絶されたストーカーが、ついに不満を爆発させて凶行に及んだ、とか。しかしそうとなると、娘にまで刃を向けた理由がわからない。

 それだけでなく、なぜか今回だけ所持品を盗んでいないのが気にかかる。強盗に見せかけるつもりだったのなら、どうして前回の時みたく所持品を盗まなかったのか。まさか警察の同一犯による犯行という見解は間違いで、実は別人の犯行だったりするのだろうか。

「そのストーカーなんですが、警察に相談したりはしなかったのでしょうか?」

「したらしいよ。けど、まだ実害もない状態だったから、あまり相手にされなかったみたい。日本の警察って、こういうところが甘いよね」

 もし今回の事件の犯人が本当にストーカーだったら、どうするつもりなんだろうね。

 言いながら、男はまだ手に持ったままの財布をポケットに仕舞った。

「さて、俺はもう帰ろうかと思っているけれど、まだなにか聞きたいことはある?」

「ああいえ、長々と引き留めてしまってすみませんでした」

「いやいや、財布を拾ってくれたわけだしね。これくらいどうってこともないよ」

 低頭する僕に、男は快活に笑って踵を返した。

「それじゃあ、俺はこれで。財布拾ってくれてサンキューな」

「いえ、こちらこそありがとうございました」

 手を振る男に、僕も手を振り返して後ろ姿を見送る。

 さて、これで本当に用も済んだことだし、僕もそろそろ帰るとしよう。

 結局、犯人と思わしき人物とは全然会えなかったけれども。



 【7】



 葬式に出席したその翌日。

 大方の予想通り、黒峰は何事もなかったように朝から学校に登校してきた。確か今日、告別式があるにも関わらずに、だ。

 そんな黒峰を見て、クラスメートたちが揃ってざわついたのは言うまでもないが、前回同様、だれも真意を問いただそうとはしなかった。向島なんかは「まあ、黒峰だからな」と謎の理屈で一人納得していたが。謎なのに妙な説得力があるのだから不思議である。

 とまれかくまれ、黒峰も登校してきたことだし、放課後になってからいつものトレーニングを始めたわけなのだが──

「なんていうか、全然進歩が見えないな……」

 試しに笑ってみるように指示したのだが、以前となにも変わらない黒峰の無表情加減に、僕は重い溜め息を吐いた。

 いや、早々に習得されても困るし、僕の目的のためにもこのままの関係を維持したいとも思っているのだが、こうも進歩が見られないと、さすがにやる瀬ない気分になってきた。

「黒峰さ、普段から笑顔の練習ってしているの?」

「なぜ?」

 なぜときた。

「いや、君って表情筋が死んでいるようなものだから、普段から笑顔の練習をしておかないと、なかなか綺麗に笑えないと思うんだけど……」

 僕の言葉に「そう」とだけ返す黒峰。納得してくれたのかしていないのか、よくわからない返答の仕方だ。

「厳しいことを言うようだけど、今のままだと笑えるようになるのはかなり難しいと思うよ。僕も昔、感情表現ができなくなって、せめて作り笑いだけでも上手になろうと思って練習したけれど、違和感なく笑顔を作れるようになるまで、けっこう時間がかかったんだ。だから黒峰さんも、放課後以外の時間でも練習をしておかないと、いつまで経っても笑えるようにはなれないと思う。黒峰さん、僕よりもずっと表情が固い方だし」

「……そう。思っていたより笑うのって大変なのね。今でも十分大変なのに」

 まったく大変なようには見えない顔で、黒峰はそう宣う。

「まあ、無理にとは言わないけどね。君には君のペースがあるだろうし」

「そうね。のんびりとやらせていただくわ。別に急を要するものでもないから」

 どうやら、さほど努力するつもりはないらしい。まあ、本人がそう決めたのなら僕から言うことはなにもないが、せめて教えが無駄にならない程度には成長を見せてほしいものだ。

 さて、話に区切りが付いたところで。

「そういえば黒峰、今回も告別式に行かなかったんだな。少し前の告別式にも行かなかったから、たぶん行かないんだろうなとは思っていたけども」

「ええ。面倒だったから」

「………………」

 いやまあ、その答えも予想してはいたけれど、実際にこうして黒峰の口から理由を聞くと、思わず口を閉ざすものがある。

 ていうか前々から思っていたが、こいつ、単に怠け者なだけなんじゃなかろうか。

 これから黒峰を表すもう一つの「無」として、無気力を新たに追加しておくべきなのかもしれない。

「それに、これは周りのためでもあるわ。なぜかは知らないけれど、私が参列するだけでみんなして不快そうに眉をしかめるのよね。昨日、葬式が終わったあとも、お前には故人を偲ぶ気持ちはないのかとかなんとか親戚中に難癖付けられて面倒だったから」

「あー、あんな顔をしていれば、そりゃあね」

 ただでさえ親類が二人も殺されているのに、至極どうでもよさそうな表情を浮かべて葬式に出席されたら、注意の一つもしたくなるだろう。

 まあ黒峰のことだから、どうせ適当に聞き流していたに違いないが。

「あんな顔って、あなた、ひょっとしてあの場にいたの?」

「うん、まあ。ていうか、やっぱり気付いてなかったんだね」

 こっちに一瞥もくれなかった時点で、そうではないかと思ってはいたが。視界には入っていたはずなのに認識すらしていなかったのか。どれだけ僕に興味がないのか、よくわかる発言である。これだけ笑顔の練習に付き合っているというのに、だ。

「なにも関係ないはずのあなたが、あんなところでなにをしていたの?」

「なにも関係ないってこともないと思うんだけど。これでも一応、君とはクラスメートなわけだし」

「けれど、わざわざ葬式に出席する間柄でもないわ」

「そうだね。まあ正直に言うと、ちょっと個人的な目的があって、それで葬式に出席させてもらったんだ」

 目的? と小首を傾げる黒峰。

「うん。満足な結果は得られなかったけれどね。その代わり、犯人に繋がりそうな情報だったら入手したけれど」

「犯人に繋がりそうな情報? そんな物、あそこにあったかしら?」

「物じゃなくて人づてだよ。葬式が終わったあとにたまたま知り合った人がいてね」

 そこで僕は、葬式で出会った大学生風の男の話をした。

「──そんな感じで、その大学生っぽい人に色々と話を聞かせてもらったんだよ」

「………………」

 僕の話を聞き終わった黒峰は、珍しくなにかを考えるように瞑目して、しばらく椅子に座ったまま身じろぎ一つ取らなくなった。

 なんだか声をかけるのも憚れるものがあって、暫し黒峰の反応を静かに待っていると、

「……その話は細部まで合っているの?」

「うん。一語一句まで合っているかと言われたら自信はないけれど、だいたい合っているはずだよ」

 瞼をゆっくりと開けて、その黒曜石じみた大きな瞳をこっちに向けてきた黒峰に、僕は首肯して言葉を返した。

「そう。なるほどね」

 なんだか、とても面倒くさいことになりそうね。

 そう言って、黒峰は盛大な吐息をついた。いや違う。無表情なのでわかりづらいが、たぶん溜め息だ。なんで急に深呼吸をしたのだろうと思わず首を傾げてしまった。

「面倒って、どういう意味? 事件について、なにか気づいたことでもあるの?」

「どうもこうも、碓氷くんはなにも気づいていないの? さっきの話の中で」

 さっきの話?

「それって、犯人は二人目の被害者のストーカーかもしれないってこと? 前回の被害者とどう関係していたかわからないし、ひょっとしたら警察の見解とは違う別々の犯人による犯行って線も考えられそうだけど……」

「あなたはなにを言っているの? そんなわけないでしょう?」

「……じゃあ、どういうわけなんだ? 黒峰には犯人がだれなのかわかっているの?」


「だれもなにも、碓氷くんはすでに会っているはずよ。その犯人に」


「…………、は?」

 数秒だけ間を開けて、ぽかんと口を開ける僕。

 僕と犯人がすでに会っていた? いつ? どこで?

「本当に気付いていないの? ちゃんといたはずよ。あなたが会った登場人物の中で、もっとも怪しい人物が」

 依然として感情を読ませない常闇のような瞳を向けて、黒峰は言う。

 そうは言われても、思い当たる節がない。そもそも登場人物からして、葬式で会ったスタッフとか遺族だとか、正直あまり印象のない人ばかりだし。参列者に至っては、数が多くて顔すら覚えていないし。

 けど、しいて言うなら。

 僕が話した中で、一番印象深かった人はと言えば──

「あの、大学生風の男……?」

 自分で言っておいて、まったく現実味がなかった。

 あんな陽気そうな人が犯人? いや、人を見た目で判断するのはどうかと思うが、しかし、人の体を何度も刺し殺すような人間には見えなかった。リアルが充実していそうというか、毎日楽しそうに生きている印象しか持てなかった。

「でもそれは、あなたの勝手な印象でしょう?」

 僕の意見に、黒峰は真っ向から否定する。

「世界中の殺人犯のだれもが、いかにも凶暴で凶悪そうな人とは限らないわ。一見普通そうに見えた人が、とんでもない事件を起こすことなんて珍しくもなんともないわ」

 確かに、それこそ日常茶飯事と言えるくらい、よくテレビなどで見聞きする話だ。普段はおとなしい人だとか、近所では愛想のいい人で知られていた人物が実はとんでもない凶悪犯だったなんて、ごくごくありふれた話である。

 だから、それ自体は納得できる。

 だが──

「やっぱり、にわかに信じがたいな。一度しか話していない僕がこんなことを言っても説得力がないけれど、殺人を犯すような人とは思えない。だいたい、あの人が犯人だという根拠は一体なに? まさか勘だけで言っていたりとか?」

 黒峰みたいな異常人格者なら、直感だけで同類を見極められそうな気もするが、僕の話を聞いただけで実際に会ったこともないはずだ。なのにたったこれだけの情報で、果たして犯人だと言い切ることなんて可能なのだろうか。

「勘なんかじゃないわ。それに根拠だなんて……犯人自ら犯行を自供しているじゃない」

「自供……?」

「よく思い出してみて。その男に、だれか被害者に恨みを持っていないかどうか質問した時、彼がなんて答えたか」

 黒峰に言われて、僕はあの時の会話を反芻する。


『じゃあ、だれかに恨みを持たれるような方ではないと?』

『そうだね。そりゃ中には嫌っていた人もいたかもしれないけど、馬乗りになって何度も刺されるほどの恨みなんてなかったはずだよ』


 確か、僕の質問にあの人はこう返したはずだ。その時の彼に、別段おかしな様子は見られなかった。

 これのどこに犯人だと断定できる部分があるんだ? 適当に言って、僕をからかっているだけなんじゃないのか?

「おかしな点が必ずあるはずよ。犯人しか知りえないはずの、奇妙な言葉が」

 考え込む僕に、黒峰が更なるアドバイスを送る。

 犯人しか知りえないもの。つまり殺害当時でしか知りえないもの。

 そこまで思案を巡らせて──


 ぞっと怖気が背中を撫でた。


 あった。確かにあった。犯人しか知らないはずのものが……。

「馬乗り……」

「ええ。どういう体勢で被害者を刺したかなんて、犯人しか知らない情報のはずよね?」

 その通りだ。どの報道番組でも複数刺されたとだけ放送されていたが、どういった体勢で刺したかとまでは言及していなかったはずだ。

 だから、横から刺した可能性だってあるはずなのに、馬乗りなどとはっきり言い切れるはずがないのだ。

 それこそ、犯人でもないかぎり。

「……まさか、本当にあの人が? だったら、あのストーカーの話は一体なんだったんだ?」

「どこまで真実を語っていたかはわからないけれど、疑いを自分から逸らそうとしたのは間違いないでしょうね。あわよくば、その話を周囲に広めてもらって、警察の包囲網から逃れようとか姑息なことを考えていたんじゃないかしら。推測でしかないけれど」

 要は、まんまと犯人に騙されたのよ、碓氷くんは。

 黒峰がさして興味もなさそうに呟いた。対する僕はというと、驚愕と困惑とで言葉が出なかった。こんな風に僕が戸惑うなんて、一体いつ以来だろう。

 それでも、どうにか気持ちを落ち着けさせたあと、

「けど、動機は? 前回は強盗目的だったとして、今回だけなにも盗まなかった理由が釈然としない」

「今回だけ盗む必要がなかっただけよ。あくまでも今回は、私の叔母を殺すことだけに意味があったのだから」

「……それって、どういう意味?」

 まるで動機すら把握していると言わんばかりの黒峰の口調に、僕は眉をひそめる。

「これまでの話の中で、犯人が動機を語っているところなんてあった?」

「直接は語っていないわね。けれど、間接的に理由を語っていたわ」

 間接的に? つまり、動機を臭わせていた部分があったということか?

 わからない。どこにそんな情報があった? 二件の犯行の違いに一体どんな意味がある?

「やっぱり、怨恨とか? 前回は単なる強盗目的だったけれど、つい誤って殺してしまって、それで自暴自棄になった犯人が、前々から恨みを抱いていた被害者の親も殺そうとしたとか」

「それはないと思うわ。そこまで憎んでいる相手なら、たとえ同僚でも葬式に参列にしようだなんて普通は思わないもの。それこそ仮病を使ってでも」

「………………」

 まったくもってその通りだ。ぐうの音も出ない。

「さっきも説明したけれど、金銭や怨恨目的とかではなかったのよ。もっと利己的な──サイコパス的な動機によるものがあったはず。今回の事件は特にね」

「サイコパス……」

 それは、僕が追い求めているもの。

 僕の目的。

 僕が理解しなければならない、人として最も醜悪な存在。

「金銭や怨恨目的でもないサイコパス的な理由……。それって一体どんな……」

「あるじゃない。前回はともかく、今回は一つだけ。叔母を殺すことで犯人が得する明確な理由が」

 一向に答えを見いだせない僕に、黒峰は実にあっさりとした口調でこう続けた。


「叔母を殺せば、また私に会えるっていうメリットが」


 それを聞いた瞬間、全身の肌が一気に粟立つのを感じた。

 しばし言葉の意味を咀嚼できず、僕は呆然とした態で、

「殺せば、また黒峰に会える……?」

 と、再確認するように復唱した。

「ええ。私は会ったことがないけれど、その男は私に気があったのでしょう? けれど声をかけようにも、すぐ私がいなくなるせいで、名前もなにも訊けなかった。だから今度は従姉妹の家族……つまり、私の叔母を殺した。そうしたら、葬式でまた私に会うことができるから」

「そ、それだけの理由で……?」

 たったそれだけの理由で、人を殺したって言うのか?

 人の命を、奪ったというのか?

 黒峰に会いたいという、そんなくだらない目的のためだけに?

「いや、待って。それって少しおかしくない? だったら最初の葬式の時に出席した理由は? 犯人はその時、まだ黒峰のことを知らなかったはずだろ? 一目惚れだったって話していたぐらいなんだから。犯人がわざわざ殺した人間の葬式に出る意味がわからない」

「犯人が話していた内容が真実なら、私の叔母とバイト先が同じだったのでしょう? だったら同僚の娘の葬式に出ないわけには行かなかったんじゃないかしら。詳しくは知らないけれど、職場の人間関係って、そういうのを気にしたりするものでしょう? もしも自分一人だけ葬式に参加していないみたいな事態になったら、後々気まずいでしょうし。もしくは──」

「……もしくは?」

「単純に、遺族や関係者の悲しむ顔が見たかったとか。理由としては前者の方がもっともらしいけれど、私に会うためだけに殺人を犯すような人間なのだし、こっちの方がサイコパス的にはしっくりくるわね」

 どっちにしても、私からしてみれば気色の悪い男でしかないけれど。

 冷ややかな瞳でそう言って、黒峰はその艶やかで長い黒髪を無造作に手で梳いた。

 あたかも、常識でも語るかのような口振りで。

 その考えは、一度は僕も考えていたことではあった。

 犯人は、遺族の悲しむ顔を見るために、葬式に参列するのではないかと。

 でもまさか、そんな狂った奴が本当にいるとまでは思っていなかった。僕が葬式に参列したのも、あくまでその可能性が少なからずあるというだけで、本気で信じ込んでいたわけではなかった。いたらラッキーぐらいにしか、思っていなかったのだ。

 あまつさえ、それが黒峰と会うためだったなんて、一体だれが想定できるというのだろうか。

 常人では決して辿り着けそうにない、こんな狂った動機になんて。

「黒峰は、どうやってそんな考えに至ったの? 好きな人と会うためだけに人を殺すなんて、普通なら思い付かないよね?」

「そうかしら? 私は割とすぐに思い付いたわよ。もしも犯人と同じ立場だったら、私も同じことをしていたでしょうから」

 こともなげに言う黒峰に、僕は肺腑からすべての空気を吐き出すように深い嘆息を漏らした。

 胃の奥でなにかが蠢くような気持ち悪さがある。消化しきれないものを無理やり喉に突っ込まれたような、そんな感覚。ともすれば、黒峰が放つ瘴気じみた雰囲気に呑まれて、気がおかしくなってしまいそうだ。

 もう一度気持ちを落ち着けるように一息ついたあと、僕は重く口を開いた。

「……今でも信じられないけれど、たぶん君の推理で合っているんだろうね。証拠うんぬんはさておくにしても、現状、あの人が一番怪しいのは事実なわけだし」

 言って、僕は不意に椅子から立ち上がり、机の上に置いてあった鞄を手に取った。

 黒峰にはまだ訊ねたいことが多々あるが、今はそれどころではない。今最優先すべきなのは、犯人の凶行をこれ以上繰り返さないことにある。

「ちょっと今からでも警察署に行って、さっきの話をしてみるよ。信じてもらえるかどうかはわからないけれど、このまま放っておいたらまた次の犠牲者が出るかもしれないし」

 奴はあの時、黒峰に声をかけることができなかったと話していた。つまり、名前もなにも訊けていない以上、黒峰に会うためだけに、被害者の家族を再び殺害する可能性が非常に高い。

 正直、この犯人ともっと話をしてみたかったという気持ちもあるのだけれど、新たな犠牲者を出してまで目的を果たそうとまでは思わなかった。

 顔も名前もよく知らない人が死んでも、さして心は痛まないけれど、止められるかもしれない犯行を放っておくほど、僕は人間をやめていない。

 それに、あの犯人には僕の顔と在籍している高校を把握されている。今後、自分の失態に気づいた犯人が僕を消しに来るとも限らないし、不安の芽は早々に摘んでおくべきだ。

「黒峰も一緒に来る? 少し歩くことになると思うけど」

「やめておくわ。二人で行く必要もないでしょう?」

 しれっとした口調で言葉を返す黒峰。またいつ親戚が殺されるともしれないのに、随分と淡泊な反応だ。もしかしたら黒峰自身、その殺人犯に命を狙われる可能性だってあるかもしれないと言うのに。

 いや、それも含めて、黒峰にとっては大した問題ではないのだろう。彼女にとって最も優先すべき事柄は、いかにして楽ができるどうかにあるのだから。

 ともすれば、黒峰にしては珍しくここまで長々と推理を披露したのも、こうして僕に警察署へと行かせるためでもあったのかもしれない。

 殺人犯に命を狙われるのも面倒だけど、警察署に足を運ぶのもそれはそれで面倒だとか、きっとそんな感じの理由で。

 ここに来て、ようやく黒峰の本質のようなものが見えてきた。


 つまりこいつは、究極的に怠惰な人間なのだ。

 他人どころか自分の命ですら、後回しにできてしまうくらいに。


 おそらく、黒峰くらいなものだろう。これほどまでに──異常なまでに物事を面倒がる奴なんて。

 だから、これ以上はどう誘ったところで無意味だろう。

 黒峰にとって、余計な体力を使ってまで優先されるべき問題ではないのだから……。

 あ、そうだ。教室から出ていく前に、最後にこれだけは訊いておこう。なんとなく答えは読めているが、どうしても本人の口から直接聞きたかったのだ。

「なあ、黒峰。ちょっと前に、とても面倒くさいことになりそうとかって言っていたけれど、あれって結局どういう意味だったんだ?」

 僕の問いかけに、黒峰は「ああ、そんなこと」と特にどうとも思っていない口調で呟いて、さらにこう繋げた。


「また葬式に出なきゃいけないかもしれないなんて、考えるだけでとても面倒くさそうでしょう?」


 その返答に、僕は露骨に眉をしかめた。

 形容しがたい不快感が胸を撫でる。黒峰の無機質な表情を──人の命なんて紙切れと同価値としか思っていないような真っ黒な瞳を見ているだけで、吐き気すら催してくる。

 やっぱり、黒峰は狂っている。

 今回の犯人と同じか、それ以上に狂ってしまっている。

 取り返しがつかないほど、壊れ果てている。

 再認識させられる。黒峰紫亜という少女の異常さを。

 普通の人とはまるで違う、人の皮を被った化け物なのであると。

 でも、だからこそ。

 そんな彼女だからこそ、僕は──



 【8】



 数日後、僕の証言を警察が信用してくれたのもあったのか、次の殺人が起きる前に犯人は逮捕された。

 犯人は近くに住む二十歳の大学生で、二人目の被害者と同じバイト先の人間だった。つまり葬式で僕に話していたことは、すべて事実だったというわけだ。警察の捜査が難航しているのを見て、つい油断してしまったのかもしれない。結果的にそれで犯人逮捕に繋がったので、警察としては嬉しい誤算だったわけではあるが。

 この逮捕劇は各局でも大きく取り上げられ、犯行の様子や動機などが詳らかに報道されるようになった。

 まず、一人目の被害者に関しては純粋に強盗目的だったそうで(ギャンブルにはまっていたとかで、金に困っていたらしい)最初は殺すつもりなんてなかったが、思っていたより激しい抵抗を受け、やむなく殺してしまったと、警察の取り調べでそう供述している。

 それがバイト先の同僚の娘だったわけなのだが、犯人はそうと知らないで犯行に及んだらしい。まあ、簡単に金を奪えそうな相手ならだれでもよかったと語っていたそうなので、どっちにしろ狙われていた可能性は高かったのだが。犯行当時、被害者はひと気のない夜道を一人で歩いていたので、なおさら狙いやすい状況だったのだろう。

 しかも、苦痛に歪む顔を見るのが楽しくて、つい何度も刺してしまったと言うのだから、この犯人の異常性を如実に語っている。

 けど、これだけならまあ、過去に何度か実例もあるし、世間もそれほど驚きはしなかっただろう。

 葬式で好きな女の子と会うためだけに二人目の殺人を犯したという、常軌を逸した動機を知るまでは。

 その少女とは、仕事の関係上で出席した一人目の葬式の際にたまたま見かけたらしいのだが、その時、一瞬で心を奪われたそうだ。

 しかしながら、その少女と面識を持てないまま葬式が終わってしまい、結局名前を知ることもできず、彼女と会えない日々を悶々と過ごしていたそうだ。

 そんなある日、さながら天啓のように、犯人はふとした時に彼女と会える方法を思いついた。


 ──そうだ。彼女と会えないのなら、会えるように仕向ければいい。

 ──あの殺した奴の身内をまた殺せば、きっと葬式で彼女と再び会える。


 そうして彼は、再びその手を血に染めることになった。

 一人目の被害者の親を殺して、その葬式でもう一度愛しの彼女と会うためだけに……。

 あとは知っての通りだ。その恋した少女が黒峰だったというのは、世間には知られておらず、ついでに僕という情報提供者がいたことも警察が秘匿してくれたおかげで、日常生活に支障が出ることもなかった。

 その後の黒峰はというと、特別変わった様子もなく、いつも通りの生活を淡々と過ごしている。黒峰にしてみれば、これで面倒な葬式に出ないで済むとか、その程度の認識でしかないのだろう。つくづく人間性が破綻している。

 こうして密かに黒峰を巻き込んだ事件は、世間を大いに騒がせつつも、一応の終わりを告げたのであった。



 余談。

 数年後、この犯人は死刑を宣告されることになるのだが、心境を訊ねに来たとある雑誌記者に対し、次のような発言をしたのだという。

「こんなことなら、真っ先にあの黒髪の女の子を殺しておくべきだったよ。そしたら、天国でまたあの子と会えたのに……」


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