外聞 祓

第46話

 幽冥の何か隠そうとしながら語るその口振りからは、僕への気遣いを感じた。僕が彼から離れている間、幽冥は自分の両親を破滅に追い遣っていたらしい。


「ずっと、お前の父親を殺したのも、お前の母親を壊したのも、僕なんだと思っていた」


 熱のない煙草を口先で振る。見上げた幽冥の顔は、にへらと崩れた。少しだけ困ったように眉を下げる。長い溜息の後、幽冥は再び口を開いた。


「もっと早くに教えておけば良かったな」

「いや、良い。勝手に勘違いをしたのは僕だ」


 記憶の混濁は、どうしても戻らず、喉の底から這い出るような不快感は、増すばかりだった。噛み合わない時系列を幽冥の証言で埋めるにも、限界があった。工場で彼を突っぱねたのは他ならぬ僕なのだから、ある意味で自業自得だった。工場で何があったかなど、きっと彼は知らないだろう。僕だって覚えていない。というか、工場に隠れたことさえ覚えてはいないのだ。思えば、僕は幽冥の父親と母親を『害した』という覚えはあっても、どのようにして行ったか、実体験的な記憶はなかった。肉を裂き、骨を抉り出す感触は、忘れるようなものではない。


「話によれば、やはり葦屋も夜咲の一派に入っているんだな」


 唐突に、先生の言葉が僕達の間を滑っていった。


「正確には、祖父までが関わっていたという形かと」

「事件後は祖父母に育てられたんだろ? その時に何か無かったのか」

「その頃の祖父は体調を崩して伏せていましたし、特には」

「お祖母様の方は」

「祖母は今でも交流がありますけど……話に出たこともありませんね。特に『神様』については。無神論を語ることはありましたけど」


 幽冥の言葉通り、彼の祖母は神も信仰も語らない、あの村にしては珍しい老人だった。かつて顔を合わせた時には、老齢にも関わらず背は真っ直ぐで、何処かお嬢様のような、育ちの良さが垣間見えていた。その祖母から生まれたのがあの父親だというのだと考えれば、彼の祖父がよっぽど信仰に厚い人だったのだろう。そう思えば、幽冥の父が狂ったのも、理解を示すことは出来た。


「でも神はいた。お前は出会った、そうだろ」


 妙に神という言葉へ食いつく先生は、表情を強張らせたまま、そう言って幽冥の顔を見上げた。先生の赤毛が、やわらかな店内の光に照らされて、炎のように揺れた。


 ――――僕を放り投げる男。急勾配を転げ落ちる身体。初めて擦りむいた膝と、自分の身体から流れる血の温もり。

 ――――燃える家屋と、それを心地よさそうに眺める幽冥の姿。


 断片的な視界が、網膜に炙り出される。そこに存在しない熱を飲み混んだ。クーラーの効いた空間で、僕はだらだらと汗を流していた。


「七竈?」


 冷め切った珈琲が零れて、膝にかかった。その冷たさで目を覚ます。心配そうに顔を固める幽冥が、僕の顔を覗いていた。眼鏡の反射でその眼は見えなかったが、何処か不安を抱えていることは見て取れた。

 

 その表情は懐かしさを孕んで、僕に記憶を想起させる。次々と浮かんだ記憶は、整合性を失いながらも、僕が求めていたパズルのピースに変換されていた。

 先生と識、そして幽冥が眺める中で、僕は思考していた。脳に浮いているのは、確かにあった過去だった。


 ――――あの夜、工場で僕はを腫らして、結局、その日のうちに工場から出て行くことになったのだ。美也子が誰もいなくなった工場で、燃料だの水だの、電気コードだのをひっくり回していた。幽冥の父の嫌がらせなのか、僕達が乗って来た車両はタイヤがパンクしていて、留石は僕を抱いて、幽冥のいる村まで走ったのだ。

 その道中に、瑠璃という女と再会したのも覚えている。その腕にはバラバラになって肉と内臓を失った春馬がいた。錯乱した彼女は僕の足を掴んで、何か叫んでいた。朦朧とする意識の中で、舌打ちして彼女を振り切ろうとする留石の冷徹な表情だけはよく覚えている。

 僕の足を掴む瑠璃の手が、血で濡れて滑り、勢いのままに僕は留石の腕から放り出されたのだ。そのままゴロゴロと急勾配の山道を転げて、僕は草むらの中に体を埋めた。全身が痛んで、朦朧としたまま、僕は夜の山の中、光を求めて彷徨ったのだ。


「幽冥、お前、何で」


 頭に上った血を冷ます様にして、僕は幽冥に言葉を吐いた。


「何で自分の家に火を点けなかったんだ。何で他人の家に火を点けた。何で、お前、そんなこと出来るタマだったかよ」


 十二歳の僕が眺めていた風景の、その先端。そこには、土壁で守られた自分の家の、その近隣に、次々と火を放っていく幽冥の姿だった。僕が求めた光の先には、彼がいた。土の上を転げまわりながら、辿り着いた先に、彼がいたのだ。確かに、燃える中で鼻歌を歌っている、幽冥が。


「待て、落ち着け、七竈。俺が火を点けて回ったなんて、そんなことしてないだろ。確かに山は燃えたし、それが村に延焼したりはしたけど」

「なら何で僕が一人で山を下りられたんだ。電灯も建物の光もほとんどない山の中を歩いて、何でたまたまお前の住んでいる村を、燃えて消えたあの村を見つけられたんだ。朦朧としていた僕が、何故」

「落ち着け、何か思い出したなら、ちゃんと説明してくれないか。俺は俺の覚えていることしか語れない。それがお前の記憶と違っていても、それが俺の記憶なんだ。俺は火なんて点けてないよ」


 泣き出しそうな顔をしながら、幽冥は僕を宥めるように肩を押しのけた。自分の眼球が揺れているのがわかった。先生は珈琲を飲み干して、長い溜息を吐いていた。


「今日はもうお開きにしよう」


 唐突にそう言って、先生は僕達を引き剥がした。存外力のある先生は、軽々と僕と幽冥の間に空間を作り上げる。零れた珈琲を踏んで、彼はカウンターに目を向けた。カウンターで待機していたらしい喫茶店のマスターは、ゆっくりと微笑むと、テーブルにあった食器類を全て取り去っていく。

 奥歯を鳴らす。どうも釈然としない。色のついた記憶が、幽冥の言葉で焼き去られたような、そんな不快感があった。

 幽冥が困っているのは本当だろう。僕の発言で困らないわけがない。ただ、そのの内訳が、引っかかって仕方が無かった。


「神の――――夜咲母神のことを、七竈が知っていたら良かったんだがな」


 コートを羽織る先生は、僕を見てそう言った。そこに特別な感情は無く、感想としてそう言ったのだろうとは、理解出来ていた。それでも皮肉を言われたような、嘲笑されたような感覚が薄っすらとあって、心臓の周囲がもやもやと曇る。

 そうやって歯を軋ませていると、僕の頭を古びたジャケットが覆った。「あんまり気にするな」と困った様に幽冥が笑っていた。


「気にするも何も、お前が」


 そう言いかけて、僕は口を止めた。彼の唇の角度を見つめる。思い起こしたそれは、朦朧とする視界の中で、僕に優しく言葉を並べ立てていく幽冥の唇。


 ――――何だ、そういうことか。


 幽冥の狡猾さを思い出して、僕は鼻で笑った。眉間に力が入っていた。それを拭って、柔らかく慣らした。

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