第26話
首を振り、一瞬の好奇心から覚醒する。俺が待ってくれと言うより前に、七竈は言葉を続けた。
「実際には葦屋家の持っている工場を、澤達に襲わせると言うのが正しい」
工場という言葉に、思い当たる節はあった。多分、俺の父親が経営していたそれを言っているのだろう。コンクリートと鉄で出来たそこには、当時も二百人程度の作業員が勤めていたのを覚えている。元々は小さなネジ作りの会社だったのを、祖父が広げたのだ。ただそこにあるだけだった山を切り開き、鉄鋼を運び込む道路を作った。その為に、俺の実家は
それだけ大きな場所を、七竈は澤に焼かせようと言っているのだ。その考えを感情は肯定できても、理性は否定していた。それはトメも同じだったらしい。彼は「何を言っているんだ」と小さく呟いていた。そんな呟きにも臆せず、七竈は平気な顔で理論の展開を続けた。
「とりあえず、まずは、ここを出て……幽冥の提案で僕が工場に隠されたことにする。多分、今の澤だったら、血眼になって工場内を探すと思う」
「そりゃ、探しには行くだろうが、態々襲うってことはないだろう。施設の子供が迷子になったから探させてくれ、とか。言い訳はいくらでもある」
トメの言うことは尤もだった。工場の立地を思い起こしても、ここの施設であれば、子供が迷い込むことも、無きにしも非ずと言ったところだろう。
そこで、ふと、思い出す。子供が迷い込んでも仕方が無い立地。それは、今までにも子供が入り込んでいたとしても、おかしくはないと言うことなのだ。俺が住んでいた村の子供や、他の村の子供だって、山で遊ぶような連中なら、休日のそこで遊んでいても何ら不思議ではない。鉄で出来た機械に、巨大なベルトコンベア。遊具のある公園もないような土地に住んでいて、遊び盛りである少年少女に、きっとそこは遊園地のように楽しげな場所に見えるだろう。そんな場所で迷子になった、事故が起きそうだという話が無い方が、不自然なのだ。
「希望的観測を論じさせてもらうが」
そう前置きして、七竈は眉間に皺を寄せた。
「多分、葦屋の工場も
「ここと似た……?」
思わず出た言葉を、七竈が拾い上げる。じっとりと俺を見上げる目は、俺が何も知らないのだということを再確認しているようだった。トメと共に俺を舐め回すように見つめた後、彼は続けた。
「神様を祀っているとか、そういうんじゃないけどさ。多分、うちの父さんと澤、それに葦屋の工場は、同じような集団の中にあるんだと思う」
七竈がそう言うと、トメが「論拠は」と問いを置いた。それをサクリと口に含んで、七竈は小さな唇を震わせた。
「確定要素は無い」
「良い。続けて」
「澤が幽冥を今まで保護しなかったこと」
そう言って、七竈は俺の腕を掴んだ。俺が前のめりに倒れかけると、その隙をついて、服を剥ぎ取る。剥き出しになった上半身に、七竈は唾棄するかのように言い放った。
「表面上だけでも保護だの救済だの謳ってる奴らが、これを放っておくものか?」
指し示されたのは、俺の浮いた肋骨と、それを飾るようにして見える大量の痣。何度も蹴られ、床に叩きつけられた皮膚が、赤黒く変色していた。
「活動資金が有限だというのは事実だろう。だが、これは本来、認知した上で泣く泣く放置するような状況か?」
七竈の中にある僅かな同情と怒りの意味を、俺は理解出来ないでいた。簡単に言えば、自分の状況が哀れであるとは考えていなかったのだ。初対面で澤に言われた「申し訳ない」という言葉に嘘は無いと思えた。それは、俺以上の危機に瀕している子供が、その辺に住んでいると思っていたからだった。現に、俺は何だかんだで雨風を凌ぐ家だけはあって、食べ物だって生ゴミとは言え弟妹たちと分け合う程度には手に入る。学校だって通わせてもらえているし、父親の暴力は日常茶飯事とは言え母親を含めた家族を順々に巡って行われていた。順番が来ない日は普通に眠れていたし、弟や妹が死んだとしても、それは食べ物の分け前が少しだけ増えて、その分だけ暴力が少し増えるだけに過ぎない。
それを、七竈とトメは、異常だと認識していることが、理解出来なかった。二人とも、俺の傷を見るのは初めてでは無いはずだ。さっきまで触れることすらしなかった俺の体を、彼らは考察の種にしていた。
「……保護していただろうな。その上で、このレベルなら、警察に引き渡している筈だ。桃家のような隠れ蓑となる一般人がいる手前、普段の澤ならキチンと対処をしていただろう」
「なら、何故放置した? 既にコイツの妹は虐待死してるんだぞ」
「葦屋に警察が介入されるとまずいから、と。君はそう考えるわけだ、ハラヤ君」
トメの言葉に、七竈は頷いて見せた。数秒、考え込むようにトメは腕を組んだ。トントンと指で何度か腕を叩くと、再び彼は口を開いた。
「葦屋の工場とここが繋がっているなら、尚更、『七竈ハラヤを探している』と言えば良いだけだろう」
俺の父親が、七竈を知っているという確証は無い。だが、トメの言うことは正しかった。話の流れからして、澤と俺の父親は、協力関係に近いものを結んでいるように思えた。
「それで良いんだ。多分、それだけで、澤は工場を襲う」
再び七竈は「希望的観測だが」とトメを嘲笑した。その続きを待つ俺達に、彼は表情を落として言った。
「うちの父さんも、澤も、幽冥の父親も、何か同じ集団に属してはいるけど、仲が良いってわけではないんだよ。ビジネスライクに協力してるってわけでもない。多分、お互いにお互いのことを監視してるっていうか、本当はお互いに蹴落としたいとか切り離したいと思ってるけど、現状がそうさせてくれないって言うのかな。これは本当に妄想だけど、『僕』を育てることが集団内のステータスを上げる決定打になってたんじゃないかな」
その言葉選びは、なんとかして内にある曖昧な思考を形にする試みのようだった。上手くは言えないけど。と、七竈は言葉を添える。それを黙って聞いていたトメは、未だに口を開こうとしない。
「中でもトメは個人的な感情で僕を欲してる。上手くやれば、この機会に父さんから――七竈家から僕を引き剥がせる。だから澤は今、僕をここに留めることに執着している。そこで僕が工場に向かったとしよう。当初は七竈ハラヤを探していると幽冥の父親に言うだろうさ。けど、あっちはそれを知らないか、或いは知っていても隠す筈だ。彼もまた、僕を欲しがっている可能性は高い。澤の執着心を考えれば、それだけで工場を襲う理由にはなる筈だよ」
確定要素は無いけどね。と七竈は鼻で笑った。そんな賭け事のような言葉を、トメは咀嚼する。眼鏡を押し上げ、彼はジッと俺を見た。七竈に投げつけられた服を着直す。傷を見ていたのか、裾を直している間に、トメは俺から目を離していた。
「ギャンブルはあまり得意な方じゃないんだけどな」
ふと、トメはそう言って、頭を掻いた。その目は図書室の外、廊下を見据えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます