第27話

 トメの言葉の意味を理解しようとする直前。頭蓋骨が震えた。隣にいた七竈の口から「ギッ」と呻く声が聞こえて、二人同時に頭頂部を殴られたのだと理解する。


「あのさ、その作戦? いや、作戦と言うのも烏滸がましいけど、上手くいくって本気で思ってるのか?」


 まだまだ餓鬼だな。と、トメは小さく笑った。七竈はそんな彼を睨みつけて、床に蹲っていた。何故自分が殴られたのかわからない俺は、丸めた背中にトメの手の感触があるのに気づいた。


「結構な確率で、死ぬよ。ハラヤ君じゃなくて、幽冥君が。ほぼ確実に死ぬ。幽冥君の傷を見れば明らかだ。父親にも母親にも大事にされていない。発見次第、君が消えた元凶だと考えられる幽冥君を、澤は殺すだろう。工場に君を連れて隠れようとするのを見て、父親も彼を殺すだろう。そうやって実の息子が死んだ理由として、君を使う可能性だってある。それくらい粗末に扱われてるんだぜ、この子は」


 そう言葉を吐くトメの表情を見上げた。そこに誰かを心配するような表情は無かった。


「澤の執着心を煽るのは良い。内ゲバさせるのも良い。けど、多分それは、色んな方向に被害が出るよ? ここにいる親子も、何も知らない一般の学生も、幽冥君の住んでいる村の人間にも」


 ――――それで良いの?

 トメの言いたい言葉は、震える脳でも理解出来た。ただ、それが俺や七竈に心を寄せるような言動なのかは、その仮面のような無表情で隠されて、わからなかった。彼の言葉の一つ一つは、真に迫っていなかった。その様子は、リスト化された確認事項を一つずつなぞる様にも見えた。


「それが何?」


 そんなトメの言葉に首を傾げる七竈は、残酷な程に愛らしい姿をしていた。屋敷に閉じ込められていたせいなのか、はたまた生まれつきかはわからないが、恐らく彼には、良心というものが無い。或いは、普通の人間とは全く異なる思考回路を持っている。『友人』と呼んだ俺が死のうと、他の誰が死のうと、その価値に違いは無いのだ。真っ直ぐに彼は『澤から逃げ切る』というゴールだけを見ていた。それが叶うのなら、他の何がどうなろうと、後で考えようという魂胆なのだ。


「死ぬとか、何か状況が悪くなるとか、それは本人がどうするかでしょ。原因が僕にあろうと、僕がそいつらを救う理由は無いね」


 子供らしいと言えば子供らしい、そんな弁解だった。トメが溜息を吐くのを待つ。だが、何秒経っても、彼は静かに息をするばかりだった。


「わかった。君がそれで良いなら、後悔しない自信があるなら、そうすれば良い」


 突き放す様に、トメは言う。そこに感情は内包されていなかった。機械のように処理される言葉の応答を、七竈は小さな溜息と共に受け入れた。


「つまりは、とにかく幽冥君の父親と澤をぶつけて混乱させるってことで良いね?」

「まとめるとそうなる」

「具体性にかけるが、まあ良い。そこは俺が補ってやるさ」


 どうやらトメには何か、考えがあるようだった。彼は頬を掻くと、「ふむ」と一息吐いた。


「少し、修正しよう。まず、澤が執着しているのはハラヤ君だけじゃない。母親の方も、だ。ついでにアレも処理しよう」

「……七竈の母親、生きてるんですか?」


 俺が問うと、宙を見ていたトメの目が、俺を捉える。一瞬、背筋に氷が伝うような感覚が俺を襲った。


「生きてないよ。バッチリ死んでる。死体があるんだ」

「し、死体にしゅう、ちゃく? してるんですか?」


 たどたどしい俺の幼稚な質問は、トメの眉間に皺を走らせる。だが、彼は再び無表情に顔を整えて、口元だけで笑みを零した。


「死体になっても好きって輩もね、いるんだよ」


 昔色々あってね。と、彼は零し、口を閉じた。その「昔」という言葉で、網膜に焼き付いたケロイドの皮膚を思い起こす。澤の身体と、トメの背中。業火に炙られたであろうそれらが、何か因縁めいたものを示しているような気がした。

 そうして俺が思考に溶けようとしていると、七竈が唸った。


「アイツが母さんの身体でというのも気色悪い。捨てに行くか」


 思えば、当初の目的はそれであった。七竈の母親とその愛人、そして俺の妹の死体を廃屋のマンホールに捨てに行く。今までの話を踏まえるに、回収されたのは七竈の母親だけだ。妹の死体はきっと、ケースの中でガスを充満させて蛆に食われていることだろう。弔えなくて申し訳ないと、その心情を脳の隅に置いた。


「と、すると、何処に捨てる?」

「廃屋のマンホール」

「村に持って行かないのか」

「廃屋に行く理由があるからな、半分くらいはついでだ」


 七竈とトメはそうやって行く先を決めているようだった。淡々と進んでいく計画に、俺は乗るしかなかった。およその目的は七竈が全て主導しているが、細やかな部分はトメがまとめていた。ただ、どうもその口の端には、俺をどうにか危険から遠ざける意図が見えた。七竈が俺を囮にするだとか犠牲にする案を出す度に、それをトメが回避する。彼に好かれるような何かをしただろうかと、俺は首を傾げていた。


「……立地的には、廃屋へ行って村に向かうのは、然程難しくはない。工場にハラヤ君と幽冥君を置いて……葦屋の方には俺が顔を出しに行こう」

「本当に匿ってもらうつもりか?」

「出来ればね。出来なくてもどうせ、澤達は車を追って工場に辿り着いて、葦屋と連絡を取るのは確実だし、村と工場を巻き込んで混乱が起きるのは必須だ。ただ、葦屋の方が乗ってくれた方が、少し安全になるかな」


 どうだろう。と、トメは七竈と俺に目線を配った。七竈は「任せる」とだけ言って、一つ欠伸をかいた。俺はただ、首を縦に一度だけ振った。


「ん。なら、まずは車の鍵を手に入れないと」


 でも、と、彼は一言置いて、奥歯を軋ませた。その表情には僅かな煩わしさが見えた。


「鍵を持ってるの、美也子なんだよね。どうしよっか」


 少しだけふざけるように、彼は両手を宙に挙げた。七竈の舌打ちが、耳に痛かった。


「……ここで俺から提案。一人、巻き込めそうな人間がいる」


 そう言って、トメは人差し指で己の唇を撫でた。口の端を持ち上げると、一瞬だけ、彼は楽し気に笑った。そんなふうに見えた。

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