第25話

「案外、言葉選びが冷ややかだな、君」


 並んだ本棚の隙間、ハードカバーの背表紙を撫でながら、トメが言った。静かで広々とした図書室には、俺達以外に誰も息をしている者はいない。扉には内鍵をかければ、三人の人間の肺が動く音と、空調のばらけた風の音しか聞こえなかった。学校の図書館とはまた違って、並ぶ本の言葉は理解出来なかった。その本の中身を見せようということも無いトメの様子からして、外と自分達とを隔離したいのだということは見て取れた。


「多分もう口利いてくれないぜ、あれ」

「……必要はない。寧ろ功労賞だ。餓鬼どもと遊んでいる暇はない」


 俺が反抗を返すよりも先に、七竈が唸った。「君達も十分に餓鬼だよ」と一言、トメは落とす。口寂しいのか、彼は唇を自分の薬指で撫でていた。その様子を七竈は見上げて、舌打ちを吐いた。


「おい、お前、車の運転は出来るか」


 七竈はそう言って、トメのシャツを掴んだ。その態度は、昨日の昼頃に見た、あの何処か粗暴な彼そのものだった。


「出来るよ。ただ、鍵が無い」

「鍵があれば動けるのか?」

「昨日使ったばかりだし、細工されていないのは確認が取れている」

「なら、とっとと鍵を取って来いよ」


 本棚に本を収めながら、トメは溜息を吐いた。僅かな皺が眉間を汚す。彼は長い息の最後に、七竈と目を合わせた。


「ここから早く出ていきたいんだろう。わかるよ。澤とか美也子とか、気持ち悪いもんね。だから車を出せって言うんだろ。高速道路に乗って都市部に出れば、確かに脱出は出来る」


 一瞬の怒りを含んだ声色は、七竈に全て向けられていた。ただ、その中にある心配のようなものは、どうやら俺をも含んでいるらしい。トメはコンマ数秒俺の方を見て、膝をつく。目を反らして話を聞こうとしない七竈の顔を掴み、目を合わせる。


「だが逃げたところでどうする? 君は昨日澤と話して何もわからなかったのか? 何故俺達がここで何年も人殺しが出来たと思っている? 俺達が生まれた血筋は、ただの宗教団体だとか、思想集団ではないんだよ。何処に行ったって、澤達は追ってくる。汚いものは全部掃除して、お綺麗な表面晒して元通りのに返り咲くだけだ」


 一転して、籠った熱を吐き出す様に、トメは言葉を垂れ流した。興奮と共に流れ出るそれは、彼の見えない過去を示していた。多分、彼もまた、七竈と似た境遇だったのだろう。彼が「澤とは考え方が違う」と昨晩言っていたのは、これが起因しているのだろう。じわじわと、二人の面影が繋がっていく。人間とは環境で形成されるものというが、その環境という部分で、彼等はきっと、近しい所にあったのだ。

 だが、一点において、七竈とトメは異なっていた。

 

「それを解決する術があるから、こうしてお前を誘ってやっているんじゃないか」


 七竈はかかる息を払うように、トメの頬に手を叩きつけた。


「まずは現状を整理しよう」


 トメの身体を押しのけて、彼はワンピースの裾を翻す。細い指で自身の唇を撫でると、七竈はトメと同じように溜息を吐いた。


「澤桔梗は僕を神になる器だと言っている。僕がいつか、その神とやらとして覚めるのだと、信じている」


 沈黙は肯定として受け入れられた。黙って膝をついているトメの顔は、また感情を欠落させた人形のように見えた。


「その為に奴は僕をここに縛り付けていたい。というか、そもそも、僕が屋敷に住んでいた頃から、そうしたくて堪らなかったんだ」

「……だから美也子が君の家庭教師をしていたのは、君をここに連れ出すためじゃないぞ」

「勿論、それはわかっている。父さんの指示だろ?」


 七竈はトメの反論をそうやって肯定して見せた。動揺も無く、流れるように彼は答えを吐いていく。


「どうせ、この施設の運営に父さん達が一枚噛んでるんだろ? わかってるよ。だからこそ、『澤桔梗』と『この施設』を潰して、現状を突破する手立てがある」

「……聞こう」


 よろしい。と、七竈は鼻を鳴らした。大人を言葉でねじ伏せるのが楽しいらしい。少しだけ上機嫌に、彼はトメに微笑んだ。


「澤桔梗の醜態を、父さんの前に晒す」


 抽象的なそれを、彼は揮った。どうにも理解は出来なかった。続きの言論を待つ。七竈は俺の存在など忘れたかのように、一人演技に興じた。


「澤の僕に対する執着は異常だ。それでも力づくで僕を父さんから引きはがさなかったのは、父さんの方が、立場が上だからだ。そうだろう、お前がああも澤の前で傍若無人を装えるのだって、年齢や表面上の社会的権力を差し引けば、お前の方がこの集団内では上位に当たるからだ」


 それこそ僕のように。付け足した言葉は、なだらかにトメの意思を崩していく。俺にはわからなくとも、彼らには共鳴する部分があるのだろう。トメの精神が揺れていることがわかった。眼鏡で補正された視力のおかげか、彼の眼球が震えているのが見えた。瞬きの回数が増えている。七竈の説得は、上手く彼の心臓を掴んでいるようだった。


「多分、澤は父さんと手を組むしか、現状を維持出来ないんだ。例えば、部外者の監禁やを揉み消すにあたって、父さん或いは父さんのパトロンを頼っている、とか。もしそうなら、父さんが『もう駄目だ』と思えば、この施設の運営や澤自身の活動も、出来なくなるんじゃないか」


 そこまで言ったところで、トメの手が動いた。その一瞬で、七竈は回っていた舌の動きを止めた。唇を一文字に結ぶと、立ち上がったトメを見上げる。


「……希望的観測が過ぎるな」

「僕から見た景色と、それを覆す方法を語っただけだ。不快極まりないここでの生活を数日延長するよりも、ある程度の賭けに出る方が僕にとってはマシなんだよ」


 そうか。と、トメは頭を掻いた。無表情のまま、彼は何か考えるように口を抑えた。


「それで、その醜態ってのは、何を考えているんだ?」


 トメの口から降り注ぐ問い。それを待っていたかのように、七竈は俺の肩を掴んだ。突然のことに、一瞬、四肢の固まる感覚があった。それすらもお構いなしに、七竈は口を開いた。


「こいつの実家を焼く」


 無邪気にそう吐き出す彼の、その言葉の意味は、何度咀嚼しても、理解出来なかった。ただ、そんな七竈の稚拙な提案を「良いな」と思ってしまったのは、事実でしかなかった。

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