第24話
朝食中、七竈は何も喋らなかった。周囲の母子は昨晩よりも一層明るく言葉を交わしていたにも関わらず、俺達は約二十分を無言に費やしたのだ。おかげで、初めて口にしたコーンスープの味は、よくわからないままだった。
そうして食事を全て胃に収めた頃、昨晩はこちらの様子を伺っていただけの母親や、子供達が、俺達の周りに集まっていた。彼女等は皆一様に「一緒に遊ぼう」と言ったが、七竈は恥ずかしがるフリをして、トメの後ろに隠れた。俺も人見知りのような顔をしてみるが、何故だか目が合った七竈に「行って来い」と促された。多分、毒見だとか、偵察だとか、そういうものとして俺を扱うつもりだったのだろう。トメも「俺達は傍で見てるから」と言って、俺の背を押した。
知らない顔の子供達が、一斉に俺を見つめていた。小さな子供の扱いには、多少は慣れている。慣れているが、ここまでの人数を扱うのは初めてだった。助けを求めてトメと七竈を見るが、彼等は瞬間的に俺から目を反らした。
「遊ぶって言ったって、俺、ここのことわからないから、何処で遊べばいいのかわかんないよ」
俺の服を伸ばす少年に、そう笑って見せる。すると、彼はパッと口を大きく開けた。
「中庭! 中庭で遊ぼう!」
ぐんっと腕を引かれて、そのまま廊下に駆け出す。食器やらは粛々と母親達が片づけているようだった。後ろから七竈達が着いて来ているのを確認して、その僅かな安心感で足を進める。
「いつもはねえ、春兄が鬼で、かくれんぼするんだよ」
春兄が誰を指しているのかは、大体理解は出来ていた。子供達の中に、春馬はいない。昨日聞きかじった話を思い出せば、恐らくは母親のいる病院に向かったのだろうと、その時には考えていた。
「かくれんぼ以外には何かしないの?」
「本を読んでる子もいるよ。おままごとしてる子もいる。あとはねえ、先生たちがお勉強見てくれる」
脈絡の薄い言質を聞き取る。多分、積極的なこの少年こそが、今の年長なのだろう。他の子供と言えば、彼の行動を模倣するように動いていた。俺と七竈以外の子供がどのような過ごし方をしているのかは知らないが、この様子だと、大部屋で複数の母子が寝泊まりをしているのだろう。一歩引いて俺の様子を見ている母親達は、こそこそと談話に精を出していた。自分達がいない所で何を示し合わせたのか、子供達は俺と七竈に気を使っているように見えた。澤達が、母子達にまた何か吹き込んだのかもしれない。本当のところはわからないが、何処か、張りつめた緊張感のようなものは肌感覚で理解出来た。
「無理に俺達と遊ぼうとしなくて良いんだよ」
中庭へ出る窓の前、ポロと口から零れたのは、そんな、諦観に似た何かだった。
「突然湧いて出て来たんだ、頑張って馴染ませようとしなくて良いんだ。寧ろ、俺は息苦しいよ。君達と俺達とじゃ、少なくとも六歳は違う。春馬がどう頑張ってたのかは知らないけどさ、俺は君達の世話係とか、心の拠り所になるつもりはさらさら無いよ」
自分でも、何故こうも冷たいことが言えるのか、理解できていなかった。恐らくは、疲れていたのだろう。澤達の狂気、七竈の至って正気な凶行、捨てるはずだった妹の死体、無事にここから帰ったとしても待ち受けている父親の暴力と恐怖政治。それらが混ざり合って、彼等に八つ当たりしてしまったのだ。何も知らない、知ることが出来ない彼等に対する、精一杯の抵抗。許された語彙で、自分の中の暴力性と疲労感を吐露する。
逸れていた目線を、子供達に戻した。幼年期特有のぎょろぎょろとした人間らしい目が、家で待つ幼い弟妹達と重なった。腹を空かせていない分、媚を売ろうという必死さは無い。けれど、強い困惑が見て取れた。それは母親達も、同じで、俺の見せる反応は予想だにしていなかったらしい。彼女達は後ろに着いていたトメに目を向けていた。彼は表情を変えずに、俺を見下ろしていた。その傍では七竈が僅かな嘲笑を含んだ顔で俺を見ていた。
「……皆、年の離れたお兄さん達が来たから、びっくりしてしまったんだよね。幽冥君が言ってくれた通り、無理に仲良くしないといけないわけじゃないんだよ。お母さん方も、二人に気を使ってくれているのはわかります。仲良くしてやってねって、寝る前に約束してくださってんでしょう」
重い腰を上げるが如く、溜息交じりにトメが口を開いた。それが助け舟になっていることはわかった。
「一応、子供達が率先して動くならと思って見てましたけど……お母さん方が指示して、じゃあ、子供達の不安を煽るばかりですよ」
トメの後ろにサッと隠れた七竈は、不安げな顔をしていた。恐らくは演技なのだろうが、その一つ一つの動きは、可憐で薄命な少女のようで、トメの言葉に説得力を持たせるには十分だった。
それが功を奏したのかはわからない。だが、俺を囲んでいた子供は皆、表情を欠落させて、各々の母の下へ駆け寄った。その様子が。蟻が集った骸を摘まみ上げた時のそれと似ていて、朝食混じりの胃液が喉奥を焼いた。
――――どうも、昨日の夜とは、何かが違う。何か、違和感がある。
母親達のよそよそしさは今に始まったことではない。春馬に気を取られて気付かなかったが、どうにも、子供達の様子が、俺の知る幼い子供のそれではないのだ。
――――人形と呼ぶべきか。或いは、何か明確に隠した目的に沿って動いている蟲とでも言うべきか。
「幽冥君」
考えが纏らないうちに、トメに呼び止められる。顔を上げると、道が出来ていた。海を割るように子供の群れが二つに割れていた。急ぎ足でトメの下に急ぐ。七竈が顔を出していた。その後ろに隠れるようにして、俺は身を翻した。
「まあ、慣れてきたら、仲良く出来るだろうさ。勉強なんか教えてもらうと良いよ。ハラヤ君は凄く頭が良いんだ」
そう言葉を置いて、トメは俺と七竈の背を押した。俺達が振り向いて視界から消えると、子供達の可愛らしい声が聞こえた。楽し気な歓声。異物が排除された輪の中で、母子が歌う。その光景がどれだけ輝いているか、具体的な想像は出来なかった。
日光を見た後の目は、清潔な白い廊下を暗い廃墟のように見ていた。
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