101号室 気付き

「そうか・・・。それで・・・。」

ようやく分かった。

彼がシャッターを切らない理由。

でも、俺はここまで見守ってきたのだ。


そんなよく分からないような理由で簡単に諦めてもらっちゃ困る。

彼がわざわざ遠くのラーメン屋に行っていたのは

実家のラーメン屋の手助けのためだった。


朝早くから夕方までバイトをしたのも写真家の成功を夢みていたからだ。


それなのにシャッターすら切れないなんて・・・。

俺は沈黙していた場を破り、彼に話しかけた。


「でも、新人賞を取った時のあの写真はカメラ越しでも良いと思えたのでしょう?

あの写真は残したいと思えたから撮ったのですよね。」


「え?どうして新人賞のことを・・・?」

驚きを隠せない彼を無視し、俺は続けた。


もう彼の意識に俺の存在を認識させ続ける限界が近い。


「ずっと見ていたんです。あの写真を撮れたあなたなら大丈夫。

 きっと撮れますよ。あなたが残したいと思える瞬間を。

 あなたの言葉を借りれば一瞬の永遠の輝きを。」


「どうしてそう言いきれ・・・。」


不思議そうな彼の疑問の言葉を遮るように、バタンと大きな音がする。


どうやら遊んでいた子供たちの1人が遊具から落ちたらしい。

親たちが慌てていた。

彼も音に反応してそちらを心配そうに見る。

俺はその隙にすっと彼の意識から外れた。


子供が元気よく泣き出すのを確認してから、

彼は視線を戻すが俺がいないことに気づくと辺りを急いで見回す。



俺は変わらず彼の横にいたまま、彼を見ていた。


彼は俺がいないのが分かると、不安そうな表情のまま探すのをやめた。

公園を出ていったり、ベンチから立ち上がったりまでしないのは

俺が薄々探しても無駄な存在と気づいているからだろうか。


いいや、そんなことはどうでもいい。


彼の意識から既に外れている俺は、しばらく経てば彼の頭の中から消える。


なかったことになる。

そうやって矛盾した理をこの世界は直しながら、続いていくのだ。


そのうち彼は俺と話したことを夢か妄想ということにして、片付ける。


それでいい。

覚えておく必要なんてないのだ。


もう決して交じり合うことのない視線を俺は彼に向けたまま、彼の横顔を見ていた。



まだ空虚な、ガラス玉のようなあの瞳を。

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