第9話
「ちきしょう。あともう少しだったのに……っ」
賑やかな中央広場から少し離れた、とある人通りの少ない地区。
ちらほらと空き地も目立つ大通りを歩きながら、元の姿に戻ったハイドは憎々しげに顔相を歪めて愚痴を零していた。
「今度あのやろうに会ったら、容赦なく灰にしてやる。いや、水攻めにしてさんざん苦しめてから殺すべきか? もしくは魔物の餌にでも……」
間違えて毒薬を持ち去っていったバカやろうの姿を思い浮かべながら、ぶつぶつと怨念を込めるように独り言を呟くハイド。
そのどす黒いオーラを放つハイドに、まばらに近くを歩く人が揃って訝しげな視線を寄越していたが、当人はまるでそのことに気付かず、依然として剣呑な言葉を吐き出しながら一人で歩いていた。
(あ、よくよく考えてもみれば、毒薬を持ち逃げされたままなんだよな。まあでもいいか。それであいつが死のうが他の人間が死のうが知ったことじゃないし)
ついでに言うと足を掴まれにくい店で購入したので、仮にその毒が憲兵の手に渡ったとしても、持ち主が判明する可能性は極めて低い。つまりそのまま放っておいても、ハイドになんのリスクもないというわけだ。
(それよりも、武道家の毒殺に失敗して行方がわからなくなった以上、今は僧侶の方が優先だ。おそらくここらにいるとは思うが……)
ハイドが中央広場から離れて、この地区まで来たのはわけがある。
ユーリ達と解散する前、アリアは宿屋の予約を取ったあとに情報収集をすると話していた。
ならば人混みの多い中央広場よりも、こういったある程度落ち着いた場所の方が聞き込みもしやすいだろうと考えて、ここまで訪れたのだ。
やはり人が少ないのはいい。喧騒の中にいた時よりもだいぶ体調もマシになっている。
欲を言えば視界に人が映らなければもっといいのだが、まあそこまで高望みはすまい。
だいいち本当に人がいないところに行こうと思えば、それこそ町の外まで出る必要があるし、それでは任務にならない。だったら多少の不快感は我慢すべきだ。
もはや、そんなワガママが言えるような状況ではないのだから。
さて話は戻ってアリアの行方だが、とうに宿屋の予約は済んでいるだろうし、今ごろ聞き込みの真っ最中のはずだ。
とすると、おそらくこの辺りのどこかにいると思うのだが──
「おっ。見つけた!」
ちょうど十字路を右に曲がったところで、アリアと思われる後ろ姿を発見した。
すぐに近くの塀に身を隠して、ひっそりと動向を窺う。
あの長い金髪に白い法衣──間違いなくアリアではあるのだが、なぜか先ほどからしきりにきょろきょろと周囲を見回していた。
落とし物でもしたのか、はたまただれかを捜索しているのか。とりあえず今のところ、その場を離れる様子は見られなかった。
(はてさてどうしたものか。このまま遠くから命を狙うチャンスを窺うべきか、もしくはいっそオレの方から声をかけてそばに寄るべきか)
前者なら正体を隠したまま動向を窺えるし、後者なら小さなチャンスでも見逃さず即座に対応できるが……。
(ここは声をかけるべきだな。下手に人通りの多いところに移動されたら手も出しにくいし。それならいっそオレの方からひと気のない場所に誘導した方が得策だ)
というわけで。
ハイドは物陰から姿を出して「アリアさ~んっ」と陽気に手を振って歩み寄った。
「あら、ハイドさん?」
不意に後方から現れたハイドに、アリアは少し驚いたようにまなじりを開けて、
「こんなところで奇遇ですわね。体調の方はもうよろしいんですの?」
「はい、おかげさまで。ところでアリアさんはここでなにをされていたんですか? 見たところ、少し困っているような感じですけれど」
「ええ。実は聞き込みの最中に、妙な物を拾いまして……」
「妙な物?」
「これなんですけれど」
と、アリアはずっと手に握っていたらしいそれをハイドに掲げて見せた。
(──! それは……!)
アリアが言う落し物を見て、驚愕に目を剥くハイド。
(オレの毒薬じゃねえか! なんでこんなところに……!)
見紛うなく、それは盗人の男と衝突した際に入れ替わってしまった、毒薬入りの小瓶だった。
てっきりあの盗人にどこかで使われたか売られたものだとばかり思っていたのに、まさかこうしてまた目に触れる時が来ようとは。偶然とは恐ろしいものだ。
しかし、どうしてその毒薬がアリアの手にあるのだろうか。拾ったという話だが、もしやあの盗人、まただれかにぶつかったりして落としたのだろうか。
「あの、これを一体どこで?」
「ちょうどこの近辺ですわ。この辺りで聞き込みしている際に、たまたまこの小瓶が地面に転がっているのが目に入りまして。それで拾って持ち主がわかりそうなものを探してみたのですけれど、ラベルを見ても、変な記号ばかりでなにが書いてあるかわからなくて、どうしたものかと悩んでいるところでしたの」
「なるほど。そういうことですか……」
などと相槌を打ちながら、どうやらまだ毒だとはわかっていないみたいだな、とハイドは人知れず胸を撫で下ろした。
いや、別段毒だとバレても持ち主がハイドだとは絶対わからないと思うが、万が一という可能性もあるし、変に事を荒立てたくはない。
ならばここはなるべく穏便に済ませて、あわよくば毒薬をゲットした方が一番だ。
そのためにもまずは、この毒薬をなんとかせねば。
「よければ、僕にもよく見させてもらえてもいいですか? なにか手かがりになるようなことがわかるかもしれないので」
「ええ。どうぞ」
アリアに手渡された小瓶を受け取って、ハイドは「ふむふむ」と真面目に見ている風を装いつつ、不意にそっぽを向いてこう告げた。
「あれ? あそこにいるって、もしかしてユーリさんじゃないですか?」
「ユーリさん!? どこ!? どこですの!?」
と、アリアが必死の形相でユーリの姿を探している隙に、ハイドは素早く毒入りの小瓶と別の薬(無害)とすり替えた。
「すみません。どうやら僕の見間違いだったようです」
「え!? 見間違い!? 残像とかでもなくて!?」
残像なんて、逆にある方が怖ぇよ。
「いえ、本当にただの見間違いです」
「そうなんですの……。ユーリさんがいるとお聞きしたものですから、すっかり濡らしてしまいましたわ……」
なにが? とは訊かない方がいいような気がした。色んな意味で。
「ところで、持ち主がわかりそうなものは発見できまして?」
「ああいえ、残念ながらなにもわからずじまいです。力になれなくて申しわけないです」
「いえいえ、仕方がありませんわ。わたくしもこういった知識は疎い方ですし」
などと苦笑を浮かべながら、アリアはハイドから小瓶を受け取った。
「……あら? この小瓶、少し変ではありません?」
「へ、変とは?」
訝しそうに眉根を寄せるアリアに、ハイドはぴくっと頬を引きつらせつつ、極力平静を装って問い返した。
「前より少し小振りになったと言いますか、中身も一見白い粉のままのようですが、若干量が増えているような……?」
「き、気のせいですよ気のせい! きっと光の加減とか、そういうあれです!」
いや、実際はアリアの言う通りのだが、バカ正直に言うわけにもいかず、必死に誤魔化そうとするハイド。
(もっと似た奴があればよかったんだが、手持ちの物だとこれしか近いのがなかったしなあ……。こんなことなら同じような物を用意しておくんだった……)
まあ、こんな事態を想定しろという方が無茶な話かもしれないが。
「光の加減、ですか……。そう言われたら、確かにそんな気も……」
「そうでしょうそうでしょう! むしろそれしかありえませんよ!」
「そう、ですか。そうですわね。申しわけありません。おかしなことを言ってしまって」
と、頭を下げるアリアに、
「いえいえ。よく似ているのは事実ですからね」
などと嘯きつつ、ハイドは後ろ手でガッツポーズを取った。
少々強引だったが、どうにか誤魔化しきれたようだ。
「ですが、結局これはどうした方がいいのでしょう?」
「この町の預かり所に行ってみるのはどうです? 落し物ならだいたいそこに集まるでしょうし、持ち主も取りに来るかもしれませんよ?」
その持ち主が他でもないハイド本人なので、取りに来ることなど永遠にないが。
「なるほど。確かにその方がよさそうですわね。早速届けに向かいますわ」
「よければ僕も付いて行っていいですか? 他にすることもないので」
ハイドの申し出に、アリアはにこりと微笑んで、
「ええ。全然構いませんわよ」
と頷いた。
そんなこんなでアリアと同伴することになったハイド。
これから向かおうとしている預かり所は、元いた地点から歩いて十五分程度なので、さほど遠くはない。話でもしながら行けば、時間も気にならないだろう。
さて、その話の内容だが。
「それでユーリさんったら、わたくしの頬に付いた生クリームをそのまま舐め取ったんですのよ? いくら両手がふさがっていたからって、そんなことすると思います? もうほんとに可愛い人なんですから~。興奮のあまり、わたくしの方から押し倒してしまうところでしたわ~」
「は、はあ。そうっすか……」
くねくねと腰をうねらせてユーリとの思い出話を語るアリアに、ハイドは笑みを引きつらせながら相槌を打った。
(しまったな……。少しでもこいつらの弱点を探ろうと話を振ったつもりが、まさかこんな惚気話を聞かされる羽目になろうとは……)
しかもこの話、かれこれ五分以上も続いている。その上延々とユーリの魅力を語るだけなので、いい加減耳にタコな状態だった。
(さすがにこれ以上はきつい……。なんとか話題を変えないと……)
しかしながら、なんと言って話を変えたらいいのか。何度か話題を逸らそうと試みたが、そのすべてが失敗に終わっているし、そもそもこっちが話そうしてもアリアがなかなか主導権を握らせてくれないので、突破口が見えずじまいだった。
今のままだと、無駄に時間を浪費するだけ。このまま預かり所に着けば即解散という流れにもなりかねないし、どうにかして弱点を聞き出すか、もしくはアリアだけでも抹殺できるような状況を作らなければ。
(……待てよ。勇者の話題でこんなにもノリノリになってくれるなら、あるいはこれなら……。だが本当にこれで上手くいくのか……?)
ふと頭に浮かんだ妙案に、ハイドは逡巡を覚えつつ、
(いや、どのみちなにもしなければ現状のままなんだ。失敗したからといって大したリスクもないし、ダメ元でも試してみる価値はあるか……)
「それからなんですけど、ユーリさんが突然ソフトクリームをわたくしの胸に落としてしまいまして──」
「と、ところで、アリアさんはどこでユーリさんと出会ったんですか? 確かその時はユーリさん一人で旅をしていたんですよね?」
唐突に話を遮ってきたハイドに、一瞬だけ眉をしかめるアリアだったが、ユーリとの出会いを訊かれてそう悪い気分にもならなかったのか、
「そうですわね。初めてユーリさんと出会った時はお一人だけで旅をしていましたわね」
と口許を緩ませながら語り出した。
「ユーリさんとは元々、わたくしの故郷で出会ったんですの。たまたま立ち寄っただけらしいのですが、運命を感じられずにはいられない出会いでしたわね」
「運命、ですか?」
「ええ。まさしく運命でしたわ。だって絵本に出てくる勇敢な王子様のごとく、わたくしを窮地から救ってくださったのですから」
(王子様とは、またえらく壮言な表現が出てきたな。おまけに性別も違うし……)
ま、あえて口には出すつもりはないが。見るからにうっとりとした顔をしているし、ここで突っ込むのも野暮というものだろう。話が変な方向に脱線するのも面倒だし。
「窮地ということは、なにか危険な目に遭ったのですか?」
「その通りですわ。わたくしの故郷では、前々から魔物による被害が多くて、町の人も困っていたんですの。近くに山があったせいもあるのでしょうけど、そこから来襲してくる魔物が後を絶たなくて……」
「ギルドとかに頼んで魔物狩りを依頼されたりはしなかったんですか?」
「もちろんしましたわ。ですけれど、わたくしの故郷はそれほど資金が潤沢ではない方で……。それに町自体にも戦士が少ないせいもあって、なかなか被害が減らなくて……」
「それで、アリアさんもその被害も遭ってしまったと。でもアリアさんほどの僧侶なら、そんな簡単に襲われそうには思えないんですけどね」
「わたくし、その時は寺院暮らしで、両親を亡くして行き場のない子供達の世話をしておりまして、その子供達と一緒にいる時を狙われたんですの。しかもタイミングの悪い時にわたくし以外の僧侶は出払ってしまっていて……」
「あー、それで満足に動ける状態ではなかったと」
確かに、子供みたいな足手まといを一人で守りながらとなると、まともには戦えないだろう。苦戦するのも無理はない。
その点、ハイドだったら早々に見限って逃げているところではあるが。
「そんな時に、ユーリさんがどこからともなく颯爽と現れて、魔物をあっという間に倒してくださったんですの。本当にあの時はカッコ良かったですわ~!」
なるほど。確かにアリアの言う通り、ドラマチックな出会いではある。さすがに王子様という表現は過剰な気もするが。
「けど、それって根本的には解決にはなってないですよね? いや、無事に済んだのは非常に喜ばしいことだとは思うんですけど、状況が改善したわけではありませんし」
話を聞く限り、ユーリはたまたま立ち寄った町で偶然目の前で襲われているアリアと子供達を救っただけで、原因そのものを取り除いたわけではない。あくまでも急場をしのいだだけで、魔物が襲ってくる環境自体はなにも変わっていないままだ。
「仰る通りですわ。ですけれど、ユーリさんが困っている人達を見捨てて放っておくような方に見えまして?」
「見えませんね」
即答するハイド。アリアやファイほど詳しいわけではないが、それでもユーリがかなりのお人好しだということは、これまでの彼女を見れば、付き合いの浅いハイドでもわかる。
そんな彼女が魔物の被害に苦しむ人達をそのまま放置しておくなんて、天地がひっくり返ってもありえるはずがない。
「つまりは、そういうことですわ」
と、間髪入れずに答えたハイドに対し、アリアはそんな判然としない言葉を返してにこりと微笑を浮かべた。さながら、それは自慢の家族を語るような、そんな輝かしい表情だった。
「それって、ユーリさんが魔物の被害を食い止めるのに一役買ったという意味ですか?」
「一役どころか大活躍でしたわ。なにせ、魔物を引き寄せていた原因を見つけてくださったんですから」
「え? ユーリさんがですか?」
「ええ。本人いわくまったくの偶然だったらしいんですけれど、たまたま半分ほど埋もれた状態の魔石を町中で発見されたそうで、なんだか怪しい感じがすると仰るので専門家に見せたところ、どうやらその魔石から発する特殊な力のせいで魔物を引き寄せていたみたいなんですの」
「それはなんというか……すごいとしか言い様がないですね」
ふらっと立ち寄っただけの町で、学者でもない人間が魔物を引き寄せていた原因を勘だけで見抜いてしまうとか、これが赤の他人から聞かされた話だったら絶対疑っていたところだ。
「ふふ。わたくしも同意見ですわ。ですが、実際は一週間以上も滞在した上で見つけてくれたんですのよ?」
「えっ。一週間もですか? 縁もゆかりもない土地なのに?」
「驚きでしょう? それもほとんどタダ同然で働いてくれたんですのよ。町の人達も初めは感謝するよりも戸惑いの方が大きかったですわね。なにか裏があるんじゃないかって」
「まあ、当然の反応ではありますね」
「ええ。でも、結局最後まで見返りを要求することなく町を出て行かれてしまいましたわ。むしろ元凶が判明して自分のことのように喜んでくださって──あんな神様のように素晴らしい方、ユーリさん以外に知りませんわ~」
さながら大切に仕舞った宝箱の中身を話すかのようなアリアの喜色に満ちた表情に、とんだバカがいたものだとハイドは内心毒気を吐いた。いっそ反吐すら出そうだ。
「あれ? しかしそうなると、アリアさんはいつユーリさんと一緒に旅をするようになったんです?」
「ユーリさんが町を出て行かれた時に、わたくしも後日急いで追いかけましたの。町を救ってくれた恩もありますが、ユーリさんの旅に同行して、わたくしもなにか役に立てることをしたいと心から思うようになりまして」
本当はすごく迷ったんですけれどね、と苦笑を浮かべながら、アリアは話を続ける。
「実はわたくし、生まれた時から両親がおらず、ずっと寺院暮らしだったんですの。ですから自分の町から離れたことはおろか、外の世界も本で読んだ程度の知識しかなくて。だから旅に出る直前になって、本当にわたくしみたいな世間知らずが旅に出て大丈夫なのかしらって急に不安になってしまったんですの。
ですが、寺院に暮らす子供達や家族同然のように過ごしてきた僧侶の方々に背中を押されまして。町や寺院のことはなにも心配はいらないから、アリアは自分のしたいことをやるべきだって応援してくれて、それでユーリさんに付いて行く決心を固めましたの。
それからユーリさんと合流して、仲間として迎えてくださって、ファイさんも同行するようになって、気が付いたら魔王城に行くという途方もない目的もできてしまいましたけれど、気持ちは最初のままなにも変わっていません。少しでもユーリさんに喜んでもらえるなら、わたくしはなんだってやりますわ」
そう凛然とした表情で語り終えるアリア。その言葉はハイドの目から見ても嘘偽りのない、晴れ渡った空のような曇りのない瞳をしていた。
(これが人間の言う仲間意識というやつか。魔族にはない発想だな)
ほとんどの魔族は同族に対して上下関係か、もしくは立場が同じでもライバル意識しか持っていないので、人間同士のこういった関係は理解に苦しむが、しかしながらこういった絆と呼ばれる類のものが、人間の強みとなっているのかもしれない。
でなければ、今日まで人間が魔族に対抗できるはずなんてないのだから。
「そこまでアリアさんに想ってもらえるなんて、ユーリさんもさぞや幸せでしょうね」
「……そうでしょうか? もしもそうなら、わたくしも感激の極みですわ」
心にもない言葉を返すハイドに、アリアは心底嬉しそうに目元を緩めて微笑む。
「と言いますか、最近、ユーリさんの可愛いさが尋常なく磨きがかってきていて、もう辛抱がたまらないというか、衝動的に襲ってしまいそうになるんですけれど、わたくし、どうしたらいいと思います!?」
どうでもいいと思います。
というか、さっきまでのシリアスはどこへ行った。
「……えーっと、そうですね。確かアリアさんって、裁縫がお得意なんですよね? それならユーリさんに似た人形でも作ってみたらいかがでしょう?」
と、会話を続けるためにもひとまず真面目に答えたハイドに、アリアは見るからに瞳を輝かせて、
「んまあ! なんて名案なのでしょう! あまりに名案過ぎて、目から鱗どころか眼球がこぼれ落ちて視神経が飛び出しそうですわ!」
表現が的確にグロかった。
いっそ逆に見てみたい。
「さっそく今日の夜にでも作ってみますわ。ハイドさん、的確なアドバイスをくださって本当にありがとうございます。これでしばらくは性欲処理に困ることはなさそうですわ」
「さ、さいですか……」
満面の笑みで礼を言うアリアに対し、逆にハイドは笑みを引きつらせて相槌を打つ。
だれなんだろうか、こんな煩悩まみれな女を聖職者にした奴は。
おかげで聖職者の皮を被った生殖者が世に放たれてしまったではないか。
(だが、そうか。そこまであの勇者に心酔しているのか……)
最初は少しでもアリアの惚気話から脱却するために、興味もないユーリとの出会いを訊いたのだが、まさかこんなにも真剣な想いを抱えていたとは考えもしなかった。
それこそ、ユーリのためなら命を捨てそうなほどに。
(待てよ? この方法なら、あるいは……)
「あ、預かり所が見えてきましたわね」
と。
妙案が浮かんだところで、不意にアリアが前方を指差した。
アリアが言った通り、少し開けた道にぽつんと『預かり所』と看板が掲げられた小さな木造家屋が見えてきた。わずかながら人もいて、利用者もそれなりにいるようだ。
「わたくしはこれからこの小瓶を渡しに行きますが、ハイドさんはどうされますの? 別にわたくしだけでも問題はありませんが、そこまで一緒に行かれます?」
「いえ、急用を思い出したので、僕はここで失礼します」
「そうですの。それでは、また宿屋で」
「はい。またあとで」
手を振って預かり所へと向かうアリアに、ハイドも手を振り返して後ろ姿を見送る。
そうして、完全にハイドから視線を外したところで、
「行けっ」
とアリアの背中に向けて追尾用の羽虫──ハイド特製の魔法生物を空に放った。
「よし。あとは準備を進めるだけだな」
しっかりとアリアを追跡する羽虫を見据えながら、ハイドは獰猛な笑みを浮かべた。
☆
「ふむ。こんなものか」
場所は変わって、ひと気のないとある寂れた家屋の裏側。
そこに黒髪に黒い瞳の可憐な少女──もとい、ユーリの姿に化けたハイドが、薄汚れた窓で全身を確認しながら満足げに頷いていた。
(くくく。我ながら完璧な変幻だ。これならだれが見ても正体が男だとは気付くまい)
自画自賛するかのごとく、己の魔法の出来に惚れ惚れとするハイド。
だが、なにも趣味や酔狂でこんな姿になったわけではない。
これもアリアを屠るため──その作戦の下準備に過ぎないのだ。
(相当あの勇者に入れ込んでいたみたいだったしな。この姿なら、ちょっとおかしな挙動を取ったくらいでは気にも留めないはずだ)
これが、数十分前にアリアと二人で話をしている最中に浮かんだ妙案。
先ほどハイドが述べた通り、ユーリに化けて相手が油断したところを狙うというものだった。
むろん、ユーリ本人とだけは絶対鉢合わせしないよう警戒しなければならないし、いくらユーリと瓜二つの姿形と言えど、なるべく言動や動作に注意しておく必要もあるわけだが。なにがきっかけで正体が見破られるとも限らないので。
「さてと、準備も終わったところで、さっそくあの僧侶を探すとするか」
言って、ハイドは手早く空中に魔法陣を描いたあと、羽虫の視界と繋がるよう、魔法陣に意識を集中させた。
すると魔法陣の中から一筋の光が生まれ、徐々に陣全体に広がっていった。
やがてその光は人の視界のようにどこぞの町並みを映し出し、そしてとある女性の後ろ姿を頭上から見下ろしていた。
「よしよし。ちゃんと後を追っているな。さすがはオレの作品だ」
女性、もといアリアの後ろをきちんと追尾している羽虫の出来に満足しつつ、
「ここは、最初にあの僧侶と会った場所か? なんでまた戻ってきたんだ?」
おそらくあそこで聞き込みを再開するためなのだろうが、別に預かり所周辺でも良かったはず。なのにわざわざあんな離れたところにまで戻ったのは、なにか意味があってのことなのだろうか?
『いませんわねー』
と。
ハイドが思考を巡らせている間に、映像の中のアリアがきょろきょろと辺りを見渡しながら声を発した。あの羽虫には姿を映すだけでなく、周辺の音まで拾うことができるのだ。
それはともかく先ほどの発言だが、だれか特定の人物でも探しているのだろうか。
聞き込みをするだけなら、別段だれでもいいはずなのだが……。
『ハイドさんは見間違いとは仰っていましたけれど、もしもという可能性もありますし、やはり放置できませんわ。ユーリさん成分を補給するためにも!』
「って、まだ鵜呑みにしてたんかいっ!」
しかも、自分の仕事を放っておいてまで。
こいつはもう、色んな意味で手遅れかもしれない。ユーリ成分とか意味不明なことまで口走っているし。
「……まあいいや。さっさと行ってしまおう」
呆れるあまり嘆息しつつ、アリアのいるところを目指して歩き出した。
「うわ、まだ探してたよ……」
物陰からアリアの様子を観察しながら、思わず顔を渋面にさせて一人呟くハイド。
いや、こっちとしては好都合ではあるのだが、あんな真剣な表情でユーリを探している様を見るのは、なかなか恐怖を感じさせるものがあった。
しかし、及び腰になっている場合ではない。今のこの姿ならアリアも必ず油断してくれるはず。あとはそこを狙うのみだ。
「よし。行くか」
軽く両頬を叩いて己を鼓舞したあと、ハイドはいつものユーリと寸分違わぬ緩い表情を作って、アリアの前に姿を現した。
「アリアちゃ~ん。調子はどう~?」
「!? ユーリさん!? やはりこの近くにいらしゃったのですね!」
ユーリとまったく同じ声音で駆け寄ってきたハイドに、さながら大好きな飼い主に呼ばれたかのごとく満面の笑みを浮かべるアリア。なんだが尻尾を大きく振っている幻影すら見えてきそうだ。
「もしかして、ずっと私のこと探してたの?」
「ええ! ええ! ハイドさんがここでユーリさんを見かけたと仰っていたので、もしやと思ってずっと探しておりましたの!」
「別に探さなくても、またあとで会えるのにー」
「だってだって、待ちきれなかったんですもの! 一秒でも早くユーリさんの顔を見たくて……いえ、ユーリさんの息を存分に吸いたくて!」
なんか、気持ち悪いことを言ってきた。
今さらではあるが、なぜユーリはこんな奴と一緒に旅をしているのだろうか。
「ああユーリさん。相変わらず素敵ですわ~。その愛くるしい瞳も、もちもちとしたほっぺも、可愛いらしい唇も………………???」
「? どうしたのアリアちゃん? 急に首を傾げたりして」
「……いえ、なにか違和感があると言いますか、なんだかわたくしの知っているユーリさんと少し違うような気がしまして」
鋭い。だてにユーリのことばかり見ていないというわけか。
「き、気のせいだよアリアちゃん。私は至っていつも通りだよ?」
「そう、ですわね。すみません、変なことを言ってしまいまして」
全然大丈夫だよ、と笑みを貼り付けつつ、
(……ビビった~。もう少しでバレるかと思ったぜ)
と内心安堵するハイド。
「あら? ユーリさん、右の脛に白い粉のようなものが付いていますわよ?」
「えっ?」
言われて足元を見てみると、確かに右足の脛に白い粉のような物が付着していた。
(あ、そっか。給仕に化けた時に割った瓶の中身か)
おそらく瓶を割った拍子に胃薬の粉がハイドの脛のところまで飛んできてしまったのだろうが、あの時は慌てていたせいもあって全然気が付かなかった。あのままずっと給仕の姿でいたら気付けたかもしれないが、すぐに元の姿──つまりローブを着た姿に戻ってしまったせいもあって、今の今までこんなものが付着していたとは全然気が付かなかった。
(この姿に化けて窓で確認した時もざっとしか見なかったしな。なんか薄汚れていたし)
まあ、これくらい手で払えば済む話だし、別に問題視するようなことでもないが。
そう思い、自分の脛に手を伸ばそうとしたところで、
「いけませんわユーリさん。その美しい手が粉で汚れてしまいます。わたくしがハンカチで綺麗にしますので、じっとしていてくださいまし」
「え? あ、うん」
別に粉ぐらい全然気にしないのだが、特に断る理由もないので言われた通りに静止するハイド。
ややあって、
「はい。これで綺麗になりましたわ」
「ほんと? ありがとうアリアちゃん」
「いえいえ。これくらいお安いご用ですわスーハースーハーっ」
「って、なにしてるのアリアちゃん!?」
突然前振りもなくハンカチに鼻を押し当てて匂いを嗅ぎだしたアリアに、ハイドはドン引きした表情で訊ねた。
「なにって、ご覧の通りですわ。ユーリさん成分を補給していますの」
「いや、説明されても全然わからないままなんだけど!?」
しかもまた、ユーリ成分なんていう謎成分が出てくるし!
「ていうか、私にはハンカチの匂いを嗅いでいるようにしか見えないんだけど!?」
「ええ。傍目には先ほどユーリさんの脛を拭いたばかりのハンカチを嗅いでいるようにしか見えないでしょう。ですがわたくしにとってはこれが一番のリラクゼーション方法なんですの。言わばわたくしにとって精神安定剤も同然ですわ! スーハースーハーっ!」
精神安定剤というか、危ない薬をキメているようにしか見えないのだが。
「…………んん?」
と。
もはや言葉も出ないほど呆れていると、不意にアリアがピタッと動きを止めて怪訝に眉をひそめ始めた。
そして、そのまま数秒したのち、
「これは………………違いますわ」
「? 違うってなにが?」
「これはユーリさんの匂いではありませんわっ!」
突然怒声を上げたかと思えば、今度は力任せにハンカチを地面へと叩き付けたアリアに、ハイドは唖然とした面持ちで問うた。
「あ、アリアちゃん? 急にどうしたの……?」
「よくも騙しましたわね……。しかもあろうことか、愛しのユーリさんに化けてわたくしを謀ろうとするなんてっ!」
(ば、バレた!? なんで!?)
心当たりはまるでないが、もしや自分でも気付かない内に、なにかおかしな言動でもしてしまったのだろうか?
いや、今はそんなことを考えている場合ではない。早くなんとかしないと、この全身から殺意を放っているアリアに、本気で殺されかねない。
「ひ、ひとまず落ち着いてアリアちゃん! なんか今にも人を殺しそうな剣幕だよ!?」
「……当然ですわ。あろうことか、愛しのユーリさんに化けてわたくしを騙そうとしたんですのよ? これはもう万死に値しますわっ!」
「さ、さっきからなにを言っているの? 化けるとかなんとか、私は正真正銘、本物のユーリだよ?」
「嘘おっしゃい! 他の人は騙せても、わたくしの目は──いえ、わたくしの鼻は誤魔化せませんわ! なぜなら、ユーリさんの甘くとろけるような至高な香りではなく、まるで男性のような匂いがハンカチに染み込んでいたのですから!」
犬か!
ていうか、変態か!
「どうりでここで会った時から妙な気がしていたはずですわ。よく見ると本物のユーリさんよりもまつ毛の本数が三本ほど少ないですし、いつもより鼻がコンマ一ミリほど高いですし、笑う時にちらっと見える八重歯がほんの少しズレてますし!」
ドが付く変態だった!
(つーか、なんでそんな微細な部分まで把握してんだよ! 完全にトレースしたとまでは言えないが、それでも親の目ですら見抜けないほどの完成度で化けたはずだぞ!?)
それをまさか匂いだけで見破るとは、一体こいつの嗅覚はどうなっているのだろうか。本当に人間か?
「くそっ! だが、まだこれで終わったわけじゃねえ!」
言うや否や、すぐさま後退してアリアから距離を取るハイド。
偽物とバレはしたが、正体までバレたわけでない。だったらいっそこのままの姿で、こいつを始末するのみ。
いくら偽物とわかっていても、仲間の姿した相手を躊躇なく討てるはずがない!
「──そうですわね。まだ終わっていませんわ」
と、ハイドが攻撃態勢に入った途端、アリアも応戦するかのようになにかの構えを取って、厳かな口調でこう告げた。
「まだ、お仕置きが全然済んでいませんもの」
瞬間。
構えたアリアの右手から淡い光の粒子が集まり、煌々と輝き出した。
そしてその光は次第に輝きを増し、それに連なって風船のように膨張し始めた。
「な、なんすかそれ……?」
本能的に危機を感じて思わず引け腰になるハイドに、アリアはにっと勝気な笑みを浮かべて、
「これは、我が寺院に代々伝わる奥義、その名も『内蔵炸裂血飛沫拳』ですわ!」
やたらエグい奥義名だった。
「え? いや、え? お前って僧侶じゃないの? なにその武道家みたいな奥義」
「僧侶だからって、攻撃手段がなにもないわけではありませんわ。それにこの『内蔵炸裂血飛沫拳』は手にすべての法力を集めて一気に標的へと放つ、立派な奥義。後衛で支援しかできない僧侶なんて、もはや時代遅れですわ!」
その代わり、その日は一切法術が使えなくなりますが。
そう付け加えつつ、さらに法力を右手に集中させるアリア。どうやらハッタリなどではなく、本当に奥義を放つ気でいるようだ。
(いや、冷静になれオレ。大層自信があるようだが、所詮は僧侶の技。このオレの魔法に比べれば、どうということもないはずだ!)
「はんっ! やれるものならやってみろ! だがその前に、オレの魔法がお前を灰にしているだろうけどな!」
「あら、それは逆に好都合ですわ」
「…………は?」
「なぜなら『内蔵炸裂血飛沫拳』には、ありとありゆる攻撃魔法ならびに防御魔法を無効化する力が備わっていますから」
「なにそのチート!?」
防ぐことすら不可能とか、いくらなんでもデタラメ過ぎる!
「さあ、覚悟してくださいまし!」
まずい。あの目はマジだ。今言ったことも、本当のことに違いない!
「待て待て待て! 落ち着け! 話せばわかる!」
「問答無用ですわっ!」
蛇に睨まれたカエルのごとく、怯えながら少しずつ後ずさるハイドに、アリアは裂帛の気合いと共に、法力を集中させた右手を勢いよく突き出した。
「内蔵炸裂血飛沫拳──っ!」
アリアの右手から放たれた凄まじい光の奔流に、悲鳴すら上げる間もなくあっさり呑み込まれてしまったハイド。
そしてそのままろくに抵抗もできず、ハイドは遠く彼方へと吹っ飛ばされてしまったのであった。
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