第8話
「さあ! ホットドッグ早食い勝負も無事に終わりまして、いよいよ最後の種目となりました!
本日トリを飾る種目は、この店の人気料理でもあるカレーライス早食い勝負です! さて、一体だれが勝利をもぎ取るのでしょうか!?」
司会役である大男の口上に、店内を埋め尽くさんばかりの大勢の見物客が怒号のような歓声を上げる。
客のテンションは最高潮に上がっているようで、歓声はいつまで経っても止まず、その視線はすべて店内の奥に設置してある長テーブルに集められていた。
「さて今回集まった挑戦者は五人! 内一人は若いお嬢さんという顔触れです! 果たしてこのむさい男だらけの挑戦者の中で、紅一点である彼女はどんな活躍を見せてくれるのでしょうか! あとポロリはあるのでしょうか!? 期待が高まりますっ!」
『エロ親父かっ!』
『というか、司会の方がむさい男の代表格じゃねえか!』
『せめてそのタンクトップから見える密林級の胸毛を剃れよ!』
そんな客のヤジに、
「胸毛は私のアイデンティティーなので剃れません! むしろ胸毛を剃るくらいなら、他の毛を全部毟り取ってやります!」
とドヤ顔で応える司会。その一歩も退かない態度に客達も気圧されたようで『お、おおう……』と謎の納得をしていた。
「話は変わりまして、これよりルール説明をさせて頂きます!
ルールは至って単純。制限時間二十分の間に、次々に運ばれるカレーライスを一番数多く食べた者が勝利となります。
水のおかわりは自由。場合によってはコップでなくジョッキの使用もありとします。
ただし途中退席や気絶、またはギブアップを口にした時点で敗北となりますので、挑戦者の方々は心してかかってください。
そして最後に、腹が膨れて苦しくなった場合に限り、ある程度衣服を脱ぐことを許可します。しかし、くれぐれも目を覆いたくなるような着脱だけはしないように注意してください!
てめぇらだぞてめぇら! てめぇら男どものことだ! 来たねえブツ晒しやがったらすぐにつまみ出してやっからな! ちゃんと覚えとけ!
あ、そこの赤毛のお嬢さんさんはいくらでも脱いでいいんですよ? いっそ全裸になってくれてもいいんですよ? おっぱいとか出しちゃっていいんですよ!」
『完全にセクハラ発言じゃねぇか!』
『あの司会、大会の趣旨忘れてんだろ!』
『だが、気持ちはわからんでもないぞ!』
『おっぱい! おっぱい!』
司会も司会だが、客もけっこう大概だった。
色んな意味で大丈夫だろうか、この早食いコンテスト。
「ほんと、男ってイヤねえ。下品にもほどがあるわ。ねえ、あなたもそう思わない?」
「そうですね。でも男の子はあれくらい元気があった方がいいと思いますよ」
と。
隣に並ぶ女性──二十歳くらいに見える給仕からの問いかけに、同じ格好をした十代後半くらいの少女は、ニコニコと人懐っこい笑みを浮かべて返答した。
「男の子って、明らかにおっさんにしか見えないのも混じっているんだけど……。って、あれ? あなた、見ない顔ね? もしかして新人さん?」
「あ、はい。このコンテストだけの臨時バイトということで雇ってもらいまして」
「あら、そうなの。まあお互い頑張りましょうね。これで最後の種目だし」
その言葉に、少女──否。魔法で見目麗しい少女に化けたハイドは、この年代に似つかわしい可憐な笑顔で「はい。もちろんです!」と快活に頷いた。
(よし。どうやら怪しまれてはいないみたいだな。しかし、やはり慣れないな。このスカートっていうのは)
エプロンドレスのスカート部分を軽く掴みながら、苦々しく顔をしかめるハイド。
周りの女性給仕の中に違和感なく馴染んでいるだけあって、姿形は普通の愛らしい少女にしか見えないが、当然中身は男のままなので、スカートに対する抵抗感だけはどうしても拭えなかった。
とはいえ、これも任務遂行のためだ。今だけは我慢しよう。
(さて、と。給仕に化けたまではいいが、問題はここからだな)
視線をスカートから挑戦者が座するテーブルへと移して、ファイの様子を見る。
ファイはちょうど真ん中の席におり、見るからに空腹を訴える感じで両手にスプーンを握りしめていた。どうやら司会や観客のセクハラ発言は耳に入っていないようだ。相変わらずの食いしん坊キャラである。
だがそれはファイだけではないようで、他の挑戦者達も調理場から漂ってくるカレーの匂いを嗅ぎ取ってか、獰猛な瞳で睥睨していた。
(実力はわからんが、見た目からして屈強そうだし、あいつらもなかなかの健啖家っぽいな。そうなると、序盤中盤あたりは様子見に徹した方がいいかもしれん。だれに毒が当たるかわからないし)
毒。
言わずもがな、少し前にハイドがとある怪しげな店にて購入した、あの毒薬だ。
今は懐に仕舞ってあるが、すぐに取り出せるよう少量だけ包み紙に入れて服の袖に忍ばせてある。あとはカレーライスを運ぶ際に機を見て混入させるだけだ。
この粉末状の毒ならカレーライスに混ぜても違和感はないし、無味無臭だから口にしても絶対に気付かれる心配もない。
しかもこうして給仕に扮しているから、周りから怪しまれることもない。仮に失敗してだれかに追われることがあっても、どこかに隠れて変幻を解きさえすれば簡単に逃げられる自信がある。保身はばっちりだ。
唯一、気になる点があるとすれば……。
(序盤から早いペースでカレーライスを運ぶことになるだろうし、タイミングを間違えると、他の奴に毒入りを渡してしまう可能性があるな。となると終盤──腹が膨れてきたあたりが狙い目か……)
それまで普通に給仕をしなくてはならなくなるが、今さらサボるわけにもいかないし、ここはおとなしく働くしかないか。
「さて、場も温まってきたところでそろそろ始めるとしましょう。てめぇら、心の準備はできてやがるかあああああああ⁉」
『おおおおおおおおおおっ!』
ノリノリで声を張り上げる司会に対し、負けじと窓が割れんばかりの大声を上げる客と挑戦者。
(いよいよだな。最初の内は面倒そうだが、ま、カレーライスを運ぶだけなら大した労働にはならんだろうし、気楽にやるか)
しかしこのあと、ハイドは自分の見込みが甘かったことを思い知ることになる。
☆
「さあて面白くなってきましたあ! ここまで十分近く経過しておりますが、ほぼ拮抗した状態で接戦しております! その中で紅一点である三番が猛烈な勢いで追い抜いていますが、まだまだどうなるかわかりません! 果たして、勝利をもぎ取るのはどの挑戦者になるのでしょうか! てめえら、ひと時も目を離すんじゃねぇぞコラアアアアアアアアアアア!」
『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!』
司会の言葉に煽られる形で、これまでにないくらいの一際甲高い歓声を上げる見物客。
そんな最高にボルゲージが上がっている裏側で、
「カレーライス四皿出来上がり!」
「次! 一番の人のところにお願い!」
「三番の人もじきに食べ終わりそうです!」
「一皿ずつ持っていったんじゃ間に合わないわ! できたら一人二皿で運んで!」
という給仕の焦燥に満ちた声が、店内奥にある厨房から次々と響き渡っていた。
幸いと言うべきか、厨房と会場が壁で隔たれているおかげもあって客には気付かれていないが、厨房ではさながら戦場のごとく怒号が飛び交っており、そこに安らぎの場などどこにも存在していなかった。
むろんそれは、給仕に化けたハイドとて例外ではなく、
(なんなんだこの忙しさは! 挑戦者五人に対して、こっちはオレも含めて七人もいるんだぞ⁉ なのになんでこんなにも追われているんだ!)
と、他の給仕同様に忙しなく動き回りながら心中で愚痴をこぼしていた。
当初の予定では、ファイの様子を窺いながら優雅に給仕をするつもりでいたのに、運べども運べども休まる気配がない。まさしく目が回るような忙しさに、ファイの様子を窺っている余裕なんて微塵もなかった。
(くそっ。これじゃあ毒を仕込む暇もないじゃねえか! あいつら、一体どんな胃袋してんだよ!)
ハイドだけでもすでに二十皿以上は運んでいるのに、どこに押し込んだらこれだけの量のカレーライスが胃の中に収まるというのだろう。化け物としか言い様がない。
しかし、どんなものでも限界があるように、終盤になるにつれて、だんだんとカレーライスを運ぶペースが落ちてきた。
「おおっと! ここにきてさすがに辛くなってきたか、残り時間三分といったところで、挑戦者達の顔から苦悶の表情が見え始めてきましたぞおおおおおおおお!」
(そろそろか)
厨房で追加分のカレーライスを受け取りながら、会場から聞こえてきた司会の言葉に、ハイドは人知れず薄ら笑みを浮かべる。
初めはどうなるものかと思っていたが、どうにか余裕が持てるようになってきて本当に良かった。でなければ、せっかくのチャンスをみすみす逃すところだった。
(さて、あとはタイミングだけだな)
毒入りのカレーライスをファイに食べさせるには、まず彼女に上手くカレーライスを手渡す必要がある。
そのためにはファイに手持ちのカレーライスをすべて食べきってもらわないといけないのだが──
「今大会で最も注目が高かった三番のお嬢さんですが、中盤までの勢いはどこへやら、今やどの挑戦者よりも遅いペースでカレーを食しています。これはもう頂点から引きずり落とされるのも時間の問題か!? そしていつになったらポロリが見れるんだっっっ!」
お前はそればっかりか。
壁から顔を少しだけ出して会場の様子を窺いながら、戯けたことばかり口走る司会にジト目で眺めるハイド。だれだ、あんなふざけた奴を司会にしたのは。
いや、それはこの際どうでもいい。今はファイの方が重要だ。
そのファイではあるが、司会も指摘していた通り、明らかにペースが落ちていた。
序盤から中盤にかけてハイペースでカレーライスを食べていたので、未だトップを保っているが、その時の貯金ももはや心もとないほど、他の挑戦者との差が埋まりつつある。司会の言う通り、二位以下に落ちるのも間近といった感じだった。
(もうかなり限界が来てそうだな。よくてあと一皿いけたらいい方か)
そうなると今ファイのところにカレーライスを運ばないと、もう毒殺する機会は得られないかもしれない。
行くとしたら今……まさにファイが手持ちのカレーライスを食べ終わろうとしている今この時しかない!
「よしっ」
気合い十分に、キッチンから持ってきたばかりのカレーライスに手早く毒を仕込んだあと、何食わぬ顔で颯爽とファイのいる席へと向かうハイド。
順番で言うとファイの前に挑戦者の二人がいるわけだが、その二人は先ほど手渡されたカレーライスに手を付けているので、ハイドが補充しにいく心配はない。ただまっすぐにファイの元へと向かうだけだ。
「どうぞ」
「ど、どうも……」
笑顔でカレーライスを渡すハイドに、苦悶の表情を浮かべがら礼を言って皿を受け取るファイ。
(くくく。これが最期の食事だ。存分に堪能するがいい)
このコンテストが始まってからこうして何度も顔を合わせているにも関わらず、微塵たりともこちらの正体に気が付いていないファイに、ハイドは心中で下卑た笑みを浮かべながらそそくさとその場を離れる。
そして厨房に向かう通路に到着したと同時に、すぐさま踵を返して壁越しにファイの様子を覗き見た。時折そばを通る他の給仕が、怪訝な表情でこっちを見たりしているが、すでに修羅場は超えたし、文句は言われないだろう。
それはさておきファイの方だが、ちょうどハイドが運んだばかりのカレーライスを食べるところだったようで、スプーンを震わせながらルーの部分を掬おうとしていた。
(さあ食え! そして今度こそ死ね!)
今まさに毒入りのカレーライスを口に運ぼうとしているファイを遠目に眺めながら、呪詛を込めるように心中で悪罵を吐くハイド。
そうしてハイドが固唾を呑んで見つめる中、ファイはゆっくりとした動作でカレーライスを口の中に入れて──
「おっと、これはどうしたことだ三番! 新たに運ばれたカレーライスを口にした直後、石像のごとく微動だにしなくなったぞおおお!?」
(来た来た来たああああああああ! ついにこの時が来たああああああああああ!)
突如固まったファイを見て、ハイドは心の中で喝采を叫んだ。
やっと……やっとこの瞬間が来てくれた。
まだユーリの仲間を一人始末しただけだが、それでも、ようやく前に進むことができたのだ。これほど嬉しいことが他にあろうか……!
(さて、長居は無用だ。騒ぎになる前に退散しておくか)
勝利の余韻も早々に、さっさとこの場から逃げようとキッチンにある裏口へと向かおうとしたところで──
『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!』
「な、なんだ!? 何事だ!?」
悲鳴でも怒声でもない興奮に満ちた歓声に、ハイドは狼狽えながらも背を返して再びファイの方を見やった。
「んなっ!?」
目を疑うほどの信じられない光景に、瞠若して声を震わすハイド。
それもそのはず。
劇薬を口にしたはずのファイが、死んで倒れるどころか勢いよくカレーライスを胃の中にかっ込んでいる最中だったのだから。
「一体全体これはどういうことだあああ!? 先ほどまで青白い顔をしていたはずの三番が、当初の勢いを取り戻したかのようにカレーライスをかっ込んでいるぞおおおお!」
「おかわりっ! まだまだいけるぜぇ~!」
「ここでまさかのおかわり宣言! 彼女の胃袋は底なしかあああ!?」
すっかり元の体調を取り戻したファイに、驚愕の声を上げる司会。
それはハイドも同様で、完全に面喰らった顔で硬直していた。
(なぜだ!? なぜあいつは死んでいない!? 毒が効かなかったとでもいうのか!?)
混乱する頭で、もう一度薬を確認すべく懐から毒薬の入った小瓶を取り出す。
あの店で手にした時は、きちんと薬の成分を確認したはず。ゆえに、間違えて別の薬を選んだなんてことは──
「は、はああああああ!?」
改めてラベルを目にして、ハイドは素っ頓狂な声を発した。
なんとそこには、
『胃もたれ、食べ過ぎに即効く! ニコニコマークの胃腸薬』
と記載されていたのだ。
(なんで胃腸薬がここに!? 俺はちゃんと毒を選んだはず……いや、待てよ?)
ふと頭によぎったある映像に、ハイドはよく思い出そうと記憶を掘り出す。
そう、確かあれはファイの姿を見失って必死に捜索していた際、突然横からぶつかってきたあの中年の男も、まったく同じ瓶を持っていた。
それでぶつかった拍子にお互い瓶を落としてしまったわけではあるが、もしかしてあの時に瓶が入れ替わった……?
(あのやろう……! あいつさえぶつかってこなきゃ今ごろあの女を仕留めていたはずなのに……! ていうかあいつ、こんなしょうもない物を盗んでどうすんだよ! もっと高価な奴を狙えよ!)
と、怒りに任せて小瓶を床に叩き付けて粉々に割ったその直後、
「ここで制限時間終了! 見事優勝に輝いたのは、紅一点の三番だああああああっ!」
「いえーい! みんな、応援サンキュー!」
先ほどまでとんでもない量のカレーライスを平らげたとは思えないほど天真爛漫な笑顔を振り撒くファイに、見物客も惜しみのない拍手を送る。
そんな、今にも紙吹雪でも舞いそうな祝福ムードに、無意識にほぞを噛んでファイを睨んでいると、
「ちょっとあなた! なにお店の床を散らかしてるのよ! 今すぐ片付けなさいっ!」
背後から突然現れた一番年長の給仕に、ハイドはびくっと肩を跳ねさせて、
「す、すみません! 今すぐ掃除しますうううう!」
と平謝りしながら、慌てて床に散らばった小瓶の破片を片付けるべく箒を取りに走った。
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