第7話


 騒がしい雑踏からまるで無縁と言った風の薄暗い路地裏。

 そこの古い軒並みの中で、一際怪しさ漂う古色蒼然とした店から出てきたハイドは、先ほど購入したばかりの毒薬を見つめがらニヤッと口端を歪めた。

(くくっ……。今度こそこれで奴らを毒殺できるぞ……!)

 手のひらに収まる程度の小さな瓶。その中には、真っ白な粉がふんだんに入っていた。

 スプーン一杯分だけでたやすく人を死に至らしめる毒薬が。

 普通ならこんな危険物、だれとも知らない相手に売ることなどありえないのが、そこはやはり商人が集まる町──表ではともかく、こういった人目を忍ぶような場所なら、毒薬を売買している店もあるだろうと踏んだのである。

(店を探し当てるのに、少々手間を取らされたがな)

 いくら閑散としている裏道とはいえ、まさか危険な品を窓越しに並べるわけにもいかないし、まして下手に看板を掲げようものなら、憲兵などに目を付けられる可能性がある。

 なので大抵は看板も掲げず、密かに表では取引されていないような物品を売っている店が多いのだが、そういうところには目印となる物や案内人が潜んでいるのが裏世界の常識。

 ハイドもそういったものを頼りに、目的の店を訪ねたというわけだ。

 ただ惜しむらくはこの薬、昨日ハイドが使った物とは違って魔族にも即効性がある毒なので迂闊に使えないのだが、まあそこは臨機応変に、自分に害が及ばないよう上手く立ち回って奴らに飲ませればいいだけだ。

 もっとも、その機会が訪ればの話ではあるが。

(さて、最初はだれから狙おうか……?)

 小瓶を懐へと仕舞いつつ、ひとけのない路地裏を一人で歩きながら沈思黙考するハイド。

 別にだれからでもいいのだが、なんとなくユーリだけは後回しにしておきたい気分であった。

 いや決して昨日のような目に遭うのが少し怖いとかそういうわけでは全然ないのだが、やはり始めが肝心だし、なるべくなら幸先のいいスタートを切りたい。

 そういう意味では昨日失敗したばかりの相手よりも、他の奴をターゲットにした方が、気持ち的にも楽なような気がする。

 となると最初はアリアかファイの二択になるが、さて、どう選んだものか。

(そういえばあの脳筋、なにか妙なことを言っていたな。確認がてら、まずはあいつにしてようか)

 確かファイは資金調達をしに行くと口にしていたはず。つまり行くとするなら、賭け事か簡単な仕事か、もしくはなにかしらのコンテストに参加して賞金を狙っているか。

「できたら宿に行ってちゃんと休みたいところだが、仕方ない。虱潰しに探すとするか」

 そう呟いて、未だ痛む足に喝を入れるように太ももを小突いたあと、ハイドはゆっくりとした歩調で表通りを目指した。



 ファイの行きそうなところを求めて、とりあえずこの町の中央広場へとやって来たハイド。

 ごった返す人波に辟易しつつ、ハイドは雑踏からやや離れた位置──階段を登った先の小高い場所からファイの姿を遠目に探していた。

(資金調達するとしたら、この辺りだと思ったのだが……)

 人が混んでいるだけあって、色々な出店やイベントなどがあちこちで開かれているが、肝心のファイが一向に見つからない。

 賭け事は絶対不向きだろうし、仕事をするにしてもこういった場所では接客業が主になるだろうから、あの筋肉バカにそんな真似ができるとは到底思えない。失礼な態度を取って客を逆上させるのが関の山だ。

 なので、おそらく彼女ならば自分の特性を生かした腕力系のイベントに参加するのではないかと考察して、最も人が集中するこの場へと訪れたのだが。

(くそっ。人が多過ぎて探しづらいな……。なんだか目まいもしてきたし……)

 視界いっばいに広がる人間どもに拒絶反応が出てしまったのか、先ほどから吐き気がこみ上げてきて正直辛い。

 今はまだ大丈夫だが、これは早めに発見しないと、こっちの身の方が先にどうかしてしまいそうだ。

 まったく、人間というのはどうしてこう目障りなのだろうか。しかもどいつもこいつも同じような姿をしていて紛らわしいことこの上ないし。

「ん……? 待てよ……?」

 思わずそう呟いて、ハイドは腕を組んで考えに耽り始めた。

 どいつもこいつも同じような姿をしているなら、ファイ以外の人間を別の姿に変えてやればいいのではないだろうか?

 もちろん突然周囲の人間を変化させたらとんでもない騒ぎになるので実際にはやらないが、自身の眼に幻術をかけることによって似たような状況を作り出せるはずだ。

 むしろ余計なトラブルを避けるなら、後者の方が絶対に安全である。

「よし。じゃあさっそく……」

 言うや否や、ハイドは自分の両目を手で覆って魔法をかけた。

 一瞬チクッと眼球に走った痛みに若干顔をしかめつつも、ハイドは手をどかして再び目前の光景を見やった。

 そこには先ほどまでの人の集まりが嘘のように、視界に映っていた人間がすべて野菜へと変化していた。

(おお、これはいい。こっちの方が断然探しやすくなった)

 ニンジンやらジャガイモやらレタスやらが人間と同じように服を着て闊歩するという、なんだかひどくシュールな世界が広がっているが、おかげで体調も戻ってきたし、むしろずっとこのままでいたいくらいである。

 いや、本当にずっとこのままにしたら人の見分けがなにもできなくなるので、さすがに今だけの話ではあるが。

(さてと、あとはあの脳筋を探すだけだな)

 ファイだけは幻術から除外しておいたので、この大量の野菜から人の姿を見つければいいだけなのだが、さて件のファイは一体どこに──

「! もしかしてあれか!?」

 通りの向こう──ちょうどハイドから見てやや正面寄りに位置する店先にて、ファイと思われる後ろ姿が見えた。

 いや、あれは間違いなくファイだ。人混みの一番奥の方にいるので少し見えづらいが、先ほどから店先に並んでいる果物類をしきりに手に取っては今にも涎を垂らしそうな横顔を晒している。

 赤髪の薄着。それでいて食いしん坊。見た目や状況から言っても、ファイ以外にありえない。

(というかあいつ、資金調達に行っていたんじゃなかったのか……?)

 どう見ても道草を食っているようにしか思えないのだが、それともあれにはなにかしら意味のある行動なのだろうか?

(いや、それはないな。あれは確実に食べ物にしか興味が向いていない顔だ)

 きょろきょろと物欲しそうに食べ物を眺めている様から言っても、あれは絶対に油を売っているだけに違いない。あの食欲魔人め。

「……! 動いた!」

 と、呆れるあまり溜め息がこぼれたその直後、ファイがなにかを思い出したようにハッとした表情になって、そそくさと移動を始めた。

 おそらく本来の用事を思い出して、資金調達するための場へと向かったのだろう。

 それを見て、ハイドもすぐさまファイの後を追おうとして──

 どんっ!

 と、突然横から走ってきた人影(見た目はトマトだったが)に激突されて、ハイドはそのまま転倒してしまった。

「いってぇ~っ。って、やっべ薬が!」

 転倒した拍子に懐から飛び出してしまったのだろう、地面に転がっている薬瓶を見て慌てて拾い上げるハイド。

 幸いにもヒビは入っていないようで、これといって変化も見られない中身に、ハイドはほっと胸を撫で下ろした。

「このやろう! どこ見て歩いていやがる! てめえの目は節穴か!」

 安堵するのも束の間、不意に頭上から落ちてきた罵声。

 見るとそこには中年くらいの男が──どうやら今の衝突のせいで幻術が解けてしまったようだ──こちらを凄みながら激昂していた。

 その微塵も悪びれない態度に、思わず「ああん?」と額に青筋を浮かせて胸倉を掴もうとしたハイドであったが、突然なにかに気付いたようにシャツの胸ポケットを叩き始めた男の様子に、伸ばしかけた手を途中で止めた。

「ない! ないぞ! 俺の戦利品がない!」

 どうやら相手も先ほどぶつかった拍子になにかを落としてしまったようで、ひどく焦った様子できょろきょろと足元付近を探り始める男。

 探し物はすぐ見つかったようで、小瓶のような物を拾い上げてほっと息をつく男であったが、その時後方から響いてきた「泥棒~っ!」という怒声に、血相を変えて脱兎のごとく走り去ってしまった。

 その一連の行動に、終始呆気に取られるハイドであったが、

「──ってあのクソやろう! 結局一言も謝らないままどこかに行きやがった……!」

 再びこみ上げてきた怒りに、思わず地団駄を踏んで憤慨するハイド。

 こんなことなら、魔法の一つでもぶっ放しておけばよかった。

 いや、少し頭を冷やせ自分。そんな真似をしたら大混乱を招くどころか、せっかく見つけた標的を逃す羽目にもなってしまう。

 標的を確実に仕留めるためにも、まずは冷静な行動を──

 ん? 標的……?

「そうだ! あいつは!? あいつはどこに行った!?」

 すぐに当初の目的を思い出して、慌ててファイを捜し始めるハイド。

 こんなことで標的を見失っては魔族の名折れだ。

 なにがなんでも、絶対にファイを見つけ出さねば……!



  ☆



 どうしよう。完全に見失ってしまった。

「なにやってんのオレ……」

 自分でも呆れ返るほどの間抜けさ加減に、壁に手を突いて力なくうなだれるハイド。

 今のハイドを第三者が見たら、きっと背中に暗雲を背負っているかのように映っていたことだろう。

 それほどまでに、ハイドはひどく落ち込んでいた。

 まさかちょっと目を離した隙にこんなことになってしまうだなんて。あれからずっと探しても全然見つからないし、一体どこへ行ってしまったのであろうか。

 せめてもう一度幻術が使えていれば、少しは好転していたのかもしれないが、いかんせん一度でも幻術にかかった者はしばらく間を空けないと効果が出ないので、どのみち素面のままで捜索するしか他なかった。

 となれば、こんな人混みの往来の中でファイの姿を探さなければならないわけで。

 あまつさえ人混みが苦手なハイドにしてみれば、いっそ拷問にも等しいわけで。

 そうした結果、ファイを見つける前に限界が来てしまって、こうして喧騒から離れたとある店先の壁にて休憩を取っているという次第だった。

(情けない。情けなさ過ぎる。愚鈍と言っていいくらいのお粗末さだ。せっかく見つけた標的をみすみす逃してしまうだなんて……)

 絶えることのない後悔が降り積もる埃のようにハイドの心を押しつぶしていく。

 こんな姿、魔王様はおろか、他の魔族にも見せられやしない。見られたら最後、恥辱のあまり頓死するレベルだ。

 しかし幸いと言うべきか、こんな人間だらけのところに好き好んで訪れる魔族なんていないだろうし、直接見られる心配はないが、どのみち任務失敗ともなれば恥を掻くのに変わりはないので、いつまでもこうして落ち込んでいるわけにもいかなかった。

(昨夜の件もそうだが、オレはもうちょっと精神を鍛えるべきかもしれないな……)

 ようやく心が落ち着いてきたところで少しばかり己を省みつつ、ハイドはおもむろに顔を上げて後ろを振り返った。

 相も変わらず騒々しい雑踏。人の流れは未だ途絶えることを知らず、さながら濁流のようにどこまでも続いている。

 その濁流の中をもう一度入らなければならないわけだが、とはいえまだ幻術を使うには早いし、ここはいっそ潔く踏ん切りを付けて、他の奴らをターゲットにした方が──


「あれ? もしかしてハイド?」


 と。

 これからどうしようかと考え込んでいたその時で、前触れなく横からひょっこり現れたファイに、ハイドは思わず目を剥いて仰け反った。

「ふぁ、ファイさん!? どうしてここに!?」

「どうしてって、この店に用があったからだけど? ハイドこそ、こんなところでなにやってんだ?」

「へっ? ああいえ、ちょっと歩き疲れてしまったのでしばし休憩をと……」

 ファイの質問に、とっさに浮かんだ言葉をそのまま口にするハイド。

 突然の遭遇に少しばかり声が上擦ってしまったが、あながち嘘というわけでもなかったせいか、ファイは少しも疑う様子もなく「へー。そうなんだー」とあっさり納得して頷いた。よかった、単純バカで。

「で、もう大丈夫なのか?」

「はい、おかげさまで。ところでファイさんは、この店になんのご用が?」

「資金調達だよ資金調達。この店でやるコンテストに参加すんだよ」

「コンテスト?」

 オウム返しに呟いたハイドに、ファイはこくりと首肯して、

「そ、コンテスト。色々あるけど、どれか一つでも優勝すると賞金がもらえんだよ」

「コンテストというのは、一体どういう?」

「早食い勝負だよ。食い物屋なんだから、それくらいしかねえだろ?」

 言われて、ハイドは今さらながら先ほどまで寄りかかっていた店の全体を眺めた。

 よく見ると、そこには確かに料理屋の看板が表に出されていて、少し離れたところにある窓際には『早食いコンテスト開催中!』というポスターが貼られていた。

「なるほど。早食い勝負ですか。確かにファイさん向けかもしれませんね」

「へへ~。そうだろうそうだろう」

 別段褒めたわけじゃないが、嬉しそうに頷きを繰り返すファイ。

「でもそれなら、どうして今ごろになって? 見たところ、もうすでに始まっているみたいですよ?」

「いいのいいの。今やってるのはホットドッグ早食い勝負の方だから。あたしがエントリーしてるのは、そのあとのカレーライス早食い勝負の方。だから、それまで適当に時間を潰してたんだよ」

 なるほど。だから少し前に見かけた時も、悠長に店先の商品を眺めていたわけか。

眺めていたというか、今にも食い物に飛び付きそうな勢いではあったが。

 ともあれ、これはまたとない機会。今度こそこのチャンス、確実に掴んでおきたい。

「カレーライス早食い勝負、ですか」

 そう相槌を打って、ハイドはいかにも興味津々と言った表情を作って先を紡いだ。

「面白そうですね。僕も一緒に付いて行ってもいいですか?」

「え? ハイドも参加すんの?」

「まさか。あくまで観客としてですよ」

「それもそっかー。お前みたいな草食系には、絶対向かない勝負だもんなあ。むしろカレーなんて一口食べただけでも卒倒しそうだもんなあ」

 さすがにそこまで虚弱じゃねぇよ。

「ま、見るだけならいいんじゃね? 別にあたしも困らないし」

 言って、ファイは店先の壁に背中を預けて、軽くストレッチを始めた。

「つっても出番はまだだし、もうちょっと待たないといけないんだけどな」

「え? それならどうして今ここに? もう少し遊んでいてもよかったのでは?」

「いや、この人混みだとスムーズに行けるかわからないし、ちょっと早めに着いていた方が安心だろ?」

 正直意外だ。すごく雑そうな性格だし、実際そうなのだろうけど、こういったことにはもっとルーズな人間とばかり思い込んでいた。案外時間に正確な性分なのかもしれない。

「それに、こうして時間を潰せそうな奴とも会えたしな。こいつはラッキー」

「そう言ってもらえると、偶然とはいえ僕もここに来た甲斐があったというものです」

 本当に、もしもハイドが別の店で休憩を取っていたらここでファイとばったり会うこともなかっただろうし、目的は違えど双方にとってラッキーな事態しか言い様がなかった。

「ま、あと十五分程度だし、それまであたしと話でもしながら時間潰そうや」

「ええ。それはもう喜んで。いくらでも僕で暇を潰してください」

「じゃあさっそくだけど、ハイドって童貞なん?」

 いきなり下世話な話を振ってきやがった。

(……さて、どう答えたものか)

 真偽なんてどうせわからないだろうし、適当に誤魔化してもいいのだが、あとで根掘り葉掘り訊かれるのも面倒だし、ここは正直に明かした方が無難かもしれない。

 なに、童貞なんて恥ずかしいことでもなんでもない。堂々としていればいいのだ。

 生物は皆、生まれた時から未経験なのだから!

「ど、どどど童貞ですがなにか?」

 いけない。思いっきり動揺してしまった。

「あははっ。まさしく童貞っぽい反応だなあ。それじゃあさ、あたしら三人の中で一番ヤりたいって思ってる奴ってだれよ?」

「……その質問に一体なんの意味が?」

 いかにも可笑しそうに目元を緩めるファイを前にして、つい愛想を忘れてぶっきらぼうに問い返すハイド。

「だって、男と女が一緒に旅してんだぜ? もしかしたら、なにかしら間違いが起きる可能性だってあるかもしれないじゃん?」

「僕が皆さんを襲うかもしれないと……?」

「そこまで言わねえよ。昨日初めて知り合った仲だけど、そんな性欲に溢れたような奴には見えないし。それにこれは武道家としての勘だけど、お前ってだいぶ自制心が強そうだしな。だからあたしらの寝込みを襲うような奴だなんてこれっぽっちも思ってねぇよ」

 にかっと相好を崩すファイに「信頼してもらえて光栄です」とハイドは小さく頭を下げた。

まあ、実際は一度ユーリの寝込みを襲っているわけなのだが。

 それも性欲なんて生温いものでなく、殺意という物騒極まりない動機で。

「でもだとしたら、一体なにが気掛かりなんです?」

「ほら、さっきも言ったけど男女で旅してるわけだし、その内だれかが恋仲になっちゃうかもしれないじゃん? もしそうなったら、さすがに気まずくて一緒に旅なんてできないなあって思ってさ」

 あ、言っとくけどあたしは恋愛なんて興味ないから、お前とどうこうなろうだなんて微塵も考えちゃいないぜ?

 と最後にそう付けたしたファイに、ハイドは「なるほど」と神妙に頷いて、

「つまり僕の好みを把握しておいて、そういった仲にならないよう事前に注意しておきたかったと?」

「端的に言うと、そうなっちゃうな」

 少し気まずそうに苦笑するファイに、ハイドはようやく腑に落ちたと言わんばかりに浅く息を吐いた。

(だから最初にオレが童貞かどうかを訊いたのか。ずいぶんとストレートな物言いだったが)

 だがまあ、気持ちはわからなくもない。

 ほとんどの童貞は、その場の情事に流されやすいところがあるから。

 もっともハイドは童貞の中でもかなり思慮深い方なので、そんな簡単に欲に溺れたりはしないが。

一時の情事に流されるほど、軟弱な精神はしていない。

 しかしながら、それならそれで疑問が残る。

 なぜファイは、そこまでだれかが結ばれるのを嫌がるのだろうか?

 確かにそれまで共に旅をしていた仲間が突然他のだれかと恋仲になったりしたら、色々と居心地が悪いかもしれないが、さりとて信頼関係が消えるわけでもないし、だいいち数あるパーティーの中にも、恋人同士で旅をしている者達だって多かれ少なかれいるはずだ。

 当然ファイだって、それくらいのことは承知のはず。その上でこういった話をするということは、なにか事情があるせいなのだろうが、果たして訊いたところで普通に話してくれるだろうか。

「……やっぱ気になっちゃうよな。突然こんな話をされたら」

 と。

 表情に出したつもりはなかったが、雰囲気で察するものがあったのだろう、ファイは気まずげに頬を掻いて、

「ユーリ達にはまだ話してないんだけどさ、実はあたし、前に一度だけパーティーを組んでいた時があったんだよ」

 などと追想するように視線を遠退かせながら言葉を継いだ。

「パーティー、ですか?」

「うん。あたしと剣士と魔法使いの三人パーティー」

「……もしかして、その剣士と魔法使いが恋仲になってしまったとか?」

 これまでの話からしておおよそ読めていたが、一応確認のために訊ねたハイドに対して、ファイは微苦笑を浮かべながら「当たり」と人差し指を立てた。

「元々はその剣士と魔法使いの二人旅だったらしいんだけど、あたしが修行の旅で立ち寄った小料理屋でたまたま席が近くなってさ、それからなんだかんだで意気投合してパーティーまで組むようになったんだけど、旅の途中で剣士と魔法使いが良い雰囲気になっちゃってさ、気付いた時にはすっかりあたしは蚊帳の外ってわけ」

 と、そこでファイは自嘲するようにフッと失笑をこぼして、ぼんやりと空を見上げた。

「その剣士と魔法使いってのが元々同じ村の幼なじみで、小さい頃から世界中を旅するのが夢だったらしいんだ。しかも十六歳になったら一緒に旅に出ようって約束までしていた仲だったんだと」

「それは素敵な話ですね。ちゃんと夢を叶えたわけですから」

「それだけ聞くとな。けど問題はここからなんだよ。故郷を出る前はお互いに幼なじみとしか思っていなかったみたいで、恋愛とかそういった仲には一度も発展したことがなかったらしいんだけど、一緒に旅に出て、それからあたしとパーティーを組んでしばらくして、いつの間にかお互いを意識するようになったとかで、気付いた時にはそういう関係を持っちまったらしいんだ」

「それは……色々と気まずいものがありますね」

 自分でも想像してみて、かなり嫌なものがあった。

 ただでさえ三人しかいないパーティーなのに、自分以外の仲間がデキてしまっているとか、気まずいにもほどある。

「だろ? 会話に混ざりにくいし、目のやり場にも困るし、ほんと気疲れする毎日だったぜ。いや、向こうも気を遣ってくれていたのか、一応こっちにも配慮してあからさまにいちゃつくことはなかったけど、ついうっかり熱烈なキスしている現場に遭遇してしまった時とか、冷や汗が止まらなかったなあ。ま、それはお互い様なんだろうけど」

「確かに、それは気まずいなんてレベルではありませんね」

 たとえるなら、母親にエッチな本を読んでいるところを目撃されてしまった時のような、それくらいの災難である。

(にしても、まさかこいつも人並みに苦労していたとはな。なにより、こいつがそこまで気を配れる奴だったとは思わなんだ)

 まあでも、それくらいでないと武道家なんて務まらないか。

 単純な膂力や俊敏さだけでなく、相手の心理を読む力だって、武道家に必要な技術のはずだろうから。

「そんな状態が少しだけ続いたんだけど、やっぱお互いどんどん気まずくなっちゃってさ。次第にその空気の中にいるのが耐えきれなくなって、結局あたしの方からパーティーを抜けちゃったってわけさ」

「無理もないですね」

 むしろハイドだったら、問答無用で蹴り飛ばしていたと思う。

 もちろん、相手が自分よりも弱い立場だったらの話ではあるが。

「でも、引き止められたりはしなかったんですか? 気まずい雰囲気だったとはいえ、向こうにしてみれば貴重な戦力だったはずでしょうし」

「一度もなかったなあ。苦々しい笑顔で『そっか。残念だよ』としか言われなかったよ。たぶん向こうも本心ではほっとしてたんじゃねえかな。あたしが抜けてくれて」

 二人だけでも十分強い方だったしなと付け加えるファイに、ハイドは「なるほど」と頷いた。

(つまり、戦力よりも恋人との濃密な時間を選んだというわけか。とんだ阿呆だな)

 はっきり言って愚行以外のなにものでもないが、人間は理屈よりも感情を優先させやすい生き物だし、存外珍しいことでもないのかもしれない。まったくは理解できないが。

「初めてパーティーに誘われた時はすごく嬉しかったんだけどなあ。難しいもんだよな、人間関係って」

「だからユーリさんと出会う前は、ずっと一人旅を?」

「まあな。元々は一人で修行の旅に出ていたし、元に戻ったと思えばどうということもないんだけど、しばらくの間はちょっぴり寂しかったなあ」

「その間にもう一度どこかのパーティーに入ろうとは思わなかったんですか?」

「いや、全然。だってまた同じようなことがあったら面倒だし」

「けど、それならどうしてユーリさん達のパーティーには入ったんですか? 女性だけだったからですか?」

「それもあるけど、なんつーか、居心地が良いんだよなあ。初めてユーリとアリアに会ったのが、魔物に襲われているところを偶然見かけて助けに入った時なんだけど、初対面のはずなのに、二人共、あたしのことをめちゃくちゃ信頼してくれてさ。しかも、あたしのことよく知らないはずなのに魔物がうじゃうじゃいる中で背中まで預けてくれたんだぜ? ぶっちゃけ信じられないだろ?」

 確かに、ちょっと耳を疑うレベルではある。

 それだけお人好しという証左なのだろうが、ハイドにしてみれば警戒心がなさ過ぎるとしか言い様がない。

 まあ、そのおかげでこいつらに近付けたわけでもあるのだが。

「それから魔物を倒したあとに、ユーリの方から仲間にならないかって声をかけてくれてさ。最初の内はどうしようか迷っていたんだけど、一生懸命に誘ってくれるユーリを見ていたら、なんだか一緒に旅をするのも悪くないかなって思うようになってきて、気付いた時には頷いてたあとだったよ」

「つまり、ユーリさんにすっかり絆されてしまったと?」

「まあ実際その通りなんだけど、だってすげえ純粋な瞳でこっちを見ながら誘ってくるんだぜ? こんなの断りようがねえだろうよ。めちゃくちゃ信頼してくれてるわけだし」

 たとえるなら、子犬が尻尾を振ってこちらの顔を見上げてくるような感覚か。

 なんとなく気持ちはわからないでもない。あくまでも相手が人間ではなく愛玩動物だった場合に限るが。

「だからっていうか、そんなユーリの信頼を裏切るような真似だけは絶対にしたくないんだよ。別に裏切った経験なんて一度もないけど、今度こそずっとお互いを支え合えるような関係になりたいんだ。いつまで続くかはわからないけど、別れの時に心から笑って再会を誓い合えるような、そんな終わりを迎えるためにも」

 そこまで言って、ファイは小休止を入れるように深呼吸したあと、ニッとはにかんだ。

「それが、ユーリと一緒に旅をする理由だよ。あ、念のため言っておくけど、アリアだってちゃんと信頼してっからな? あいつの法術には何度も助けられてるし、たまに口喧嘩をする時もあるけど、なんだかんだで気は合ってるしな」

「ええ。それは見ていてわかります。喧嘩するほど仲が良いとも言いますしね」

「ま、たいていユーリが仲裁に入ってくれるおかげでもあるんだけどな」

「なおさら良いパーティーじゃないですか。羨ましい限りです」

「羨ましいって、お前なあ……」

 と、なにか引っかかることでもあったのか、ファイは聞こえよがしに嘆息を吐いたあと、

「いいかハイド。そのパーティーの中には、ちゃんとお前も入ってんだからな?」

「でも僕なんて、昨日仲間に入れてもらったばかりの新参者ですし……」

「関係ねぇよ。他でもないユーリがハイドを認めたんだ。だったらあたしも、お前のことを信じるだけだよ。つっても最初の内は反対しちまったし、今さら言ってもあんま説得力ないかもしれんけど」

 たははと気恥ずかしそうに苦笑を浮かべるファイに、ハイドは「あー」と吐息混じりの声を発した。

(言われてもみれば、オレがパーティー入りを頼んだ時、真っ先に渋い顔をしていたのはこいつだったな)

ファイにしてみれば、またパーティー内で不和が起きてしまうのを恐れてのことだったのだろうが、しかしながら、ずいぶんとしょうもない理由で反対してくれやがったものだ。おかげで無駄に時間と労力を浪費してしまったではないか。

(ま、この借りはいつか必ず返すとして、ひとまずこいつが勇者に対して絶大な信頼を寄せてくれているとわかっただけでも良しとするか)

 その信頼は、時として足元を掬う落とし穴ともなる。

 ユーリを人質にしてしまえば、それだけでなにも手出しができなくなるだろうし、他にもユーリをダシになにかしら謀ることだって可能になる。

 策略を練る上で、これは良い材料となりえるだろう。

 それと今回、ファイが新参者であるハイドに対し、それなりに信頼を寄せていることも判明した。

 ということは、作戦の成功率がぐっと上がってくれるということに他ならず、ユーリ達を倒す上で、これほど喜ばしい情報はない。

(とりあえず、今はこの信頼を失わないよう気を配らないとな。むしろさらに好感度を上げて、いつでもすぐに騙せるようにしておかねば)

 と、少しの間黙考していたせいだろうか、不意にファイが気まずげに頬を掻いて、

「あ、すまん。やっぱ気を悪くしちまったか?」

「え? いえいえとんでもない。こんな素性のよく知れない相手にそこまで言ってくださって、思わず感極まっていました」

「なんだよー。ちょっと心配しちまったじゃねえかよ~」

 照れ隠しなのか、ばんばんと力強くハイドの背中を叩くファイ。

 よほどハイドの返答が嬉しかったのか、その加減を知らない叩き方に「げほげほっ」と咳き込んでいると、突然「わーっ!」という歓声が、すぐそばの店内から響いてきた。

 これまで歓声自体は時折耳に入ってきたが、この轟きようからして、ホットドッグ早食い勝負が終わったのだろう。

「おっ。ようやくあたしの出番が来たようだな」

 と、ハイドの背中から手を放したファイは、ぱんっと豪快に拳を手のひらに打ち付けて、勝ち気に微笑んだ。

「そんじゃ、ちょっくら行ってくるわ。ハイドはこれからどうすんだ?」

「できれば僕も店内で応援したいところなんですが、あいにくとこれから用事があるんで、これでお暇します。吉報、期待していますよ」

「おうよ! ばっちり稼いでくるぜ!」

 そう言ってぐっと親指を立てたあと、子供のように小走りで店内に入っていくファイ。

 その後ろ姿を見送りながら、ハイドは人知れずニィと口端を歪めた。

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