第6話
「ご、ごめんねハイドくんっ。ちゃんと事情も聞かないで叩いちゃったりして……」
「いえ、もう気にしないでください。僕にも非はありますし、それにお互い悪気があったわけじゃないんですから」
と。
いかにも申しわけなさそうに低頭して横を歩くユーリに、ハイドは苦笑して応えた。
「しかも朝からずっとこんな調子ですし。さすがにもうやめにしませんか?」
「でも、まだ叩いたところも赤くなったままだし、すごく痛かったでしょう?」
「それは、まあ。ですが痛みはすでにありませんし、赤みもその内引きますよ。それよりも今は無事に町まで行くことを考えましょう」
そうなのだ。
ハイド達は現在、朝食も早々に次の町を目指して街道を歩いている最中だった。
その道中で先ほどのようにユーリから謝られてばかりいるのだが、それでも罪悪感が拭えないのか、同じようなやり取りを朝から何度も繰り返していた。
これが昨日の時点で誤解を訂正していたら今とは違った状況になったのかもしれないが、悲しいかな、あの時の強烈なビンタで気絶してしまい、そのまま朝を迎えてしまったのである。
おかげで起床した際に、先に起きていたユーリにやたら警戒されるわ、あとで起きてきたファイやアリアにも説明しなければならないわ、そのせいで朝食もちょっとした物しか食べられなかった上に落ち着いて味わえなかったで、実に散々たる時間であった。
まあ、それでもどうにか誤解は解けたし、なによりハイドのムスコさんが無事に済んだだけでも不幸中の幸いかもしれない。
とはいえ、この雰囲気がこの先も続くとなると据わりが悪い。できるなら、次の町に到着する前に解消しておきたいところだ。
こちらの気配に敏感になっているせいで、下手に手も出せないし。
「まさか、わたくしが寝ている間にそんなラッキースケベ的な展開が起きていただなんて……! 羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ま死い羨ま死い羨ま死い羨ま死いうらやま死いうらやま死いうらやま死いうらやま死いうらやま死い死死死死死死死死死死死死死死死死死死死!」
あと、後ろを歩くアリアがなんかめちゃくちゃ怖いし。呪詛みたいなものまで呟き始めているし。
しかも事情を聞いてからずっとこんな風にどす黒いオーラを放ってくる上、血走った眼でハイドを睨んでくるので、居心地が悪いったらなかった。
ていうか、こちとら気絶させられるくらいのビンタを受けているのだが、それでも羨ましいと彼女は言えるのだろうか?
………………。
想像してみたら、なんか普通に言いそうだった。
むしろアリアなら嬉々とした表情で言いそうで、なんとも微妙な気分になった。
……この件はこれ以上触れないでおくとしよう。藪蛇になるだけだろうし。
「それにしても、ユーリの寝相の悪さは相変わらずだなー」
と。
アリアの隣……ハイドの右斜め後方を歩くファイが、まだ少し眠そうにあくびをしながら言葉を発した。
「あたしも初めてあれは見た時は、正直驚いたなあ。まさかユーリがあんな変態だったとは思わなかったし」
「や、やめてよファイちゃん! あれは単に夢を見ていただけで、別にセクハラをしたくてしたわけじゃないんだから!」
「どうかなあ? ユーリ自身が気付いてないだけで、本当は心のどこかに変態なユーリがいるんじゃねえの~?」
「もうファイちゃん! もうもうもう!」
ファイに揶揄われ、あからさまに頬を膨らませて猫パンチのような攻撃を繰り返すユーリ。
が、ファイはそれをひょいひょいと躱し、そのせいで余計怒りを増したユーリがしつこく猫パンチを出して追い立てていた。
そんな猫のじゃれあいみたいなやり取りをそばで見つつ、
「というかファイさん、元から知っていたんですね。ユーリさんの寝相のこと」
と、ハイドは素朴な疑問を投げた。
「おう。そりゃユーリとこうして長いこと一緒にいりゃあな」
ユーリの猫パンチを軽やかに避けつつ、ファイは質問に応える。
「だったら、事前に対処法などを聞かせてくれてもよかったのに……」
「悪い悪い。うっかり言い忘れちゃってさー。ま、あたしだけが悪いってわけでもないんだけどな。ユーリとアリアも忘れてたくらいだし」
「あうっ。そ、それは素直にごめんなさい……」
ファイの言葉に、ユーリはすぐさま攻撃の手を止めてハイドに謝った。
なんだか今日のユーリは、ハイドに頭を下げてばかりだ。
まあ優越感は得られるので、悪い気はしないが。
ちなみにアリアの方はと言うと、そもそも話が聞こえていなかったようで、依然としてハイドを射抜くような鋭い視線で凝視していた。見なかったことにしておこう。
「だいたい対処法つっても、大したことはなにもしてないぞ? あたしが起きてる時はなるべくユーリから離れているだけだし、逆に寝ている時は大抵アリアがユーリの相手をしてくれているから、あたしが実害を被ることもないし」
「え? それってどういう意味ですか?」
「わたくしが説明いたしますわ!」
「どぅわっ!?」
音もなく急に真横から姿を現したアリアに、ハイドは思わず大声を上げて飛び退いた。
こいつ、さっきまで後ろにいたはずなのに、一体いつの間に移動していたのだろう。しかも理由はわからないが、それまでの邪気がすっかり消えて失せて、いっそ晴れ晴れとした表情を浮かべてすらいるし。
(ある意味、こいつが一番厄介な奴かもしれんな……)
行動が読めない、という意味で。
なんにせよ、こいつに対する警戒レベルを少し上げておくことにしよう。また先ほどのようなことがあったら心臓に悪い。
「ユーリさんがファイさんを襲わない理由……それはすべてわたくしのおかげなのです」
と、頼んでもないのに朗々と語り出したアリアに、ハイドは未だバクバクと早鐘を打つ胸を撫でながら「アリアさんのおかげ、ですか?」と相槌を打った。
「その通りですわ。ユーリさんの寝相の悪さは、わたくしも初めて一緒に野宿をした時に知ったのですが、これはチャンス……ではなく、これはいけないと思いまして」
「さっき、チャンスとか言いませんでした?」
「いけないと思いまして!」
強引に押し切られた。
ハイドのツッコミを無理やり聞き流さなければならないほど、都合の悪い話だったのだろうか?
「よく考えてもみてくださいませ。ユーリさんのような可憐な女の子が、無防備にもそばにいる方に抱き付いてあんなことやこんなことをしちゃうんですよ? 同じ女性として、放っておけるものでしょうか? いえ、放っておけるはずなどありませんわ!」
わざわざ反語法まで使って強調しているが、まあ確かにこの先ずっと寝食を共にするのなら、決して看過できない問題ではある。
それはハイドとて例外ではなく、今後もあの寝相の悪さが続くようなら下手に寝込みを襲えないし、ただそばにいるだけでもどんな目に遭うかわかったものではない。
(ま、あくまでも、今後も一緒に旅をするのなら、という前提の話ではあるがな)
なにせ今日中には魔王様に連絡をしないといけない約束になっているし、なによりいつまでもこうして手を拱くつもりなど微塵もない。
今日中には、必ずケリを付けなければ。
とはいえ昨夜の一件もあるし、このままだと全滅させるどころかユーリを殺害することすら厳しいかもしれない。
これが報告書にあった強運のなせる業なのかどうかはわからないし、そんなあやふやなものに負けたなどとは思いたくもないが、似たような状況が続くようなら、長期戦すら覚悟する必要がある。
しかしながら、だれ一人として始末できなかっただなんて情けない報告、魔王様にできるはずもない。
もしもそんな報告してしまった日には、四天王の地位すら危うくなるかもしれないのだから。
だからこそ、最悪ユーリを始末することはできなくとも、せめてアリアかファイだけでも息の根と止めなければ。
その保険としても、一応ユーリの寝相対策を──昨夜のような事態を招かないための対処法を是が非でも心得ておきたい。
(そのためにも、まずはこの僧侶に情報を吐かせないとな)
都合のいいことに、アリアはユーリのことを話したくて仕様がないみたいだし、適当におだててどんどん口を割らせてやろう。
「なるほど。確かにそれは由々しき事態ではありますね」
などと神妙に頷きつつ、
「それにしても、アリアさんは本当に仲間想いなんですね。ユーリさんやファイさんのために、そこまで親身になれるなんて」
と心にもないことを言って、ハイドは相好を崩した。
「いえいえ~。僧侶として、なにより仲間として、当然のことですわ~」
ハイドのおだてに、まんまと気分を良くして頬をだらしなく緩めるアリア。
まあどうせ、ユーリに対する下心が主なのだろうけど。
「謙虚な方なんですね。ますます尊敬です」
自分で言っていて反吐が出るような気分に苛まれつつ、ハイドはそろそろ核心に触れるべく問いを投げる。
「できるなら僕もアリアさんのように皆さんのお役に立ちたいのですが、どうやってユーリさんの寝相を止めているのか、ぜひとも教えていただけませんか?」
「むふふ。そう焦らずともちゃんとお教えしますわ~。元からそのつもりでしたし」
別に焦ってなどいないのだが、ともあれすっかり上機嫌になっているアリアが、もったいぶるように「こほんこほん」と咳払いをしつつ、一息にこう告げた。
「ユーリさんの寝相を止める方法……それは我が身を捧げることですわ!」
言っている意味がちょっとわからなかった。
「……え? 我が身を捧げる、ですか?」
「はいっ! その通りですわ!」
笑みを引きつらせながら問うハイドに、満面の笑みで首肯するアリア。
どうしよう。なんだか聞かない方がいいような気がしてきた。
「ぐ、具体的にはどういう……?」
「具体的には、わたくしがユーリさんの愛撫を──もとい天使のイタズラを一挙に引き受けて、他の方のご迷惑にならないようにすることですわ!」
とどのつまり、もう少しわかりやすく説明すると。
寝相を口実に、ユーリからのセクハラを積極的に受けて喜んでいます!
というわけだ。
「く、くだらねえ……」
「はい? なにか仰いまして?」
「ああいえ、なんて素晴らしい心がけなのだろうと感銘に震えていました」
きょとんとするアリアに、とっさにそう誤魔化して無理やり笑顔を貼り付けるハイド。
危ない。うっかり本心を聞かれるところだった。
「ええ~。ハイドお前、それマジで言ってんの?」
と。
先ほどまで黙って二人の会話を聞いていたファイが、あからさまに眉をひそめて間に入ってきた。
「そんなの、どう考えても変態なだけじゃん。あたしには全然理解できんわ~」
「んまっ! わたくしの崇高な行為を変態の一言で済ませるなんて! 実に許しがたい発言ですわ!」
「だって、実際その通りじゃん」
ハイドもそう思う。心の底から。
「言ってくれますわね。ですが、これまで安眠できていたのはだれのおかげだと思っていますの? このわたくしのおかげだということをお忘れではなくて?」
「へへーんだ。別にアリアがいなくても全然平気だし~。寝ている間に襲われても簡単に避けれちゃうし~」
いや、簡単にセクハラされてましたがな。
しかも、思いっきり胸まで揉まれて。
「あのー、素朴な疑問なんですけど」
と、内心呆れながらアリアとファイの小競り合いを眺めていたハイドであったが、ふと沸いてきた疑問に挙手して訊ねた。
「ファイさんが野宿などで見張り番になった時は、基本的にユーリさんから離れた位置にいるんですよね?」
「おう。その通りだぞ」
「けど仮に、ユーリさんが寝ぼけて皆さんのいるところから離れてしまった時などはどうされるんですか? もしも森の奥にまで行ってしまったら大変ですよね?」
「その時は普通に元のところまで戻しているぞ。さすがにそのままにはしておけないし」
「でも、それだとユーリさんに襲われることになりませんか?」
「おいおい。いくらなんでもあたしのことを甘く見過ぎだぜ。たとえ相手がユーリでも、眠っている奴にこのあたしが負けるはずないだろ」
肩を竦めて言うファイに、ハイドは「なるほど」と頷いた。
確かに武道家としてそれなりの腕前を持つ彼女ならば、いかにユーリの寝相が悪かろうとも、普通に対応できそうだ。
(しかし、結局任務遂行に使えそうな情報はなにも得られなかったな。僧侶と同じ対処法だと本末転倒になるだけだし、かと言って武道家の方法ではオレに不向きだし……)
まあ、君子危うきに近寄らずという教訓を得ただけでも、良しとしておくべきか。状況はなにも好転してはいないが。
と、依然としてままならない現状に内心辟易としていたところで、隣を歩くユーリがさっきから一言も発していないことに今さらながら気が付いた。
「あの、ユーリさん。先ほどからずっと静かですけれど、どうかされたのですか?」
「……ううん、なんでもないの。ただ、私の寝相ってそこまで悪かったんだなあって思って……」
ハイドの問いに、顔を両手で覆いながら、震えた声で返答するユーリ。
つまり、あれか。ハイド達の会話を横から聞いている内に、恥ずかしくてどうしようもなくなってきたというわけか。
そんなに恥ずかしい思いをするくらいならさっさと治せばいいのにと口が出そうになったが、前からある程度知らされていたみたいだし、治せるのならとっくに治しているかと思って寸前に言葉を呑んだ。つくづく厄介な奴である。
「しかし、あれですね。こうして聞かされると、改めて事前に教えてほしかった情報ですね。今さら言っても仕方ありませんが」
「ご、ごめんねハイドくんっ。本当にごめんなさいっ。少し前にも言ったけど、本当にうっかり忘れちゃって……」
「ああいえ、こちらこそすみません。そんなつもりはなかったのですが、なにか責めるような言い方をしてしまって……」
「つーかさあ」
と、二人して頭を下げるユーリとハイドを見て、ファイが退屈だと言わんばかりにあくびをしながらこう続けた。
「そのやり取り、いい加減やめにしたらどうよ? そりゃ言い忘れたあたしらも悪いけどさあ、元はと言えばハイドのせいでもあるんだぜ?」
「えっ。ぼ、僕ですか?」
完全に寝耳に水なのだが。
「だってさあ、そもそもお前がずっと落ち込んでさえいなければ、普通に寝る前になって気付けたかもしれないわけだし」
「ああ、確かに原因の一端ではありますわね。昨日は色々あって雰囲気が暗めでしたし、わたくしもそこまで気を回す余裕がありませんでしたから」
ファイとアリアに言われて、ハイドは「あー」と気まずげに目線を逸らした。
(認めたくはないが、一理あるか)
それを言われてしまっては、こっちとしても反論しづらい。昨日、ハイドが鍋をひっくり返しさえしなければ、あんな気まずい雰囲気にはならなかったはずのだから。
とはいえ、どちらかと言うと忠告し忘れていたユーリ達にこそ非があると思うし、こちらが折れる道理などない。むしろあの時受けた恥辱と痛みを考えたら、慰謝料すら払ってもらってもいいくらいである。
しかしそれを指摘すると堂々巡りになるだけだろうし、ここは下手に突っ込まない方が無難だろう。
(変に関係をこじらせたくないしな。でないとこの先同行しづらくなるし)
あくまでもハイドの目的はユーリ達を抹殺すること。そこをはき違えてはならない。
「はい! じゃあこれで喧嘩両成敗な!」
ぱんっとそこでファイが唐突に両手を叩いて、にかっと破顔した。
「昨日の件はさっぱり忘れて、これからは普通に過ごそうぜ!」
「そう、ですね。はい。僕もその意見に賛成です」
「うん! 私もその方がいい! みんな仲良くが一番だもんね!」
「まあそもそも、仲違いしていたわけではありませんので、喧嘩両成敗というのもおかしな話ではありますけれど」
「う、うっせーなアリア! こうして元の雰囲気に戻れたんだし、別にいいだろ!」
と、顔を赤らめて憤慨するファイに、ユーリとアリアが可笑しそうに顔を綻ばす。
そんな三人に合わせる形で心にもない笑声を上げながら、
(話も落ち着いたし、次の町に着く前に作戦でも練っておくか)
と、ハイドは思索に耽り始めた。
☆
ユーリ達が目指しているコマースの町は主に商業が盛んであり、いつも様々な売店や催し物などで賑わっている。
その規模は他の町と比べても大きめで、昼夜問わず人の流れが止まらないことから『止まらずの町』とも言われている、活気のある町だ。
その関係もあってか、遠い地からわざわざ訪れる商人も多く、頻繁に情報交換も行われている。中には道端で商談を行う者も少なくないようで、商人を見かけないところを探す方が難しいくらいだ。
というのは、あくまでもユーリ達から聞いただけの話なので、実際のところどうなのかはわからないが、彼女いわく、情報収集をしたいのならコマースの町ほどうってつけのところは他になかなかないのだとか。
情報収集。
言わずがな、魔王城の所在地についてだろう。
(ま、ちょっとやそっとで見つかりはしないだろうがな)
それこそ、文字通りの人外魔境と言っても過言ではないので、仮に魔王城の場所がわかったとしても、そうやすやすと足を踏み入れられやしないだろう。
とはいえ、余計な情報を聞き出して各地に拡散される前に、早めにケリを付けておきたいところだ。
魔王様を狙っているのは、決してユーリ達だけではないのだから。
「あっ。みんな見て見て! コマースの町が見えてきたよ~!」
と。
そんな風に黙考していたところで、先頭にいたユーリが嬉々とした表情で不意に前方を指差した。
先ほどまで山道を歩いていたので、ユーリに言われるまで全然気が付かなかったのだが、ようやく下り坂に差し掛かったところで、ハイドにも数キロ先にある町が見えてきた。
(あれがコマースの町か。なんだかんだで野宿先から四時間近くもかかってしまったな)
まあ途中で休憩もはさんでしまったし、その分も加算されているのだが、まさかこんな風に山を登ることになろうとは思ってもみなかったので、割と足にガタが来ていた。
他の奴らは見るからにピンピンしているというのに。
(こいつら、どんだけ体力があるんだ。オレだって決して体力がない方じゃないってのに……)
これも、普段から長旅をしている者とそうでない者の差なのだろうか。
こんなことなら、地図くらい確認しておけばよかったかもしれない。てっきり昨日のような平坦な道がずっと続くものだと思っていたのに、考えが少し甘かった。
「ハイドくん、さっきから口数が少ないけれど大丈夫? 辛いならここで少し休憩しておこうか?」
「い、いえ。お気になさらず。先を急ぎましょう」
心配そうにこちらを振り返って声をかけてきたユーリに、ハイドは微苦笑を浮かべながら応えた。
誇り高き魔族として人間に遅れを取りたくないというのもあるが、実際コマースの町へ行くだけの体力は余っているので、ここで休憩を取って時間を浪費するよりは先へ進んだ方がいいと判断したのだ。
でなければ、歩きながら考え事なんてできるはすがない。
しかしながら雑談に入れないほど疲労しているのは事実なので、町に着いた頃にはまともに思考できないほど真っ白になっていそうだ。
「おいおい、これくらいでもうへばっちまったのか? 情けねぇなあ」
と、一番後方を歩くハイドを見やりながら、ファイがそんな呆れ口調で呟きを漏らした。
「まあ、ハイドさんはわたくし達と比べてまだ旅に出て日が浅い方ですし、そこは仕方ありませんわ」
「あー。それは確かにアリアちゃんの言う通りかも。私達は日頃からよく長距離を歩いているから平気だけど、そうでない人にはきつかったかもしれないねー。もう少しペース配分を考えた方がよかったかな~?」
いや、いくら旅に慣れているとはいえ、ここまで歩いた上に山道まで登っておいて平気でいられる方がおかしいと思うのだが。
などとツッコミを入れたい衝動に駆られたが、なんだか言うだけ野暮なような気がしてやめておいた。
それに、自分から負けを認めたみたいですごく癪だし。
「ま、ハイドも次の町に行くまでは大丈夫だって言ってんだし、そこまで心配する必要もないだろ。さっさと進みたいし」
「確かに、なるべくお昼前には着いておきたいですわね。コマースの町はだいぶ人が多いようですし、あまり遅くなると宿が取れなくなる可能性もありますから」
「ごめんねハイドくん。そんなわけだから、もうちょっとだけ頑張ってもらってもいいかなー?」
「はい。もちろんです」
ユーリの激励に精一杯の愛想笑いを浮かべつつ、ハイドは内心「今すぐベッドにダイブして休みたい……」と弱音を吐きながら、震える足で前へと進んだ。
「つ、着いた~っ」
ようやっとコマースの町に着いたところで、ハイドはもう限界と言わんばかりに地べたに腰を下ろして空を仰いだ。
朝はほんの少し曇っていたが、今では澄み渡るような青々とした空が広がっている。時折吹く穏やかな風が、火照った体にとても気持ちがいい。
風は気持ちいいが、しかしだいぶ足を酷使してしまったようで、もはや指先一つ動かすだけで限界な状態だ。先を急ぐためとはいえ、少々無理をし過ぎたかもしれない。
「んーっ、どうにかお昼前に到着できたね~」
言って、両腕を真上に伸ばして軽くストレッチを始めるユーリ。
あれだけ歩いてストレッチができるだけの体力があるだけでも驚きだが、それでも筋肉が凝る程度には、さすがのユーリも疲労を覚えたようだ。
「みんなお疲れさま。ハイドくんも、ここまでよく頑張ったね」
「い、いえ。こちらこそ僕のせいで余計な時間を取らせてしまってすみませんでした」
労いの言葉をかけてくるユーリに、ハイドは未だ息が上がった状態で謝罪を口にする。
人間ごときに頭を下げるなんて屈辱以外のなにものでもないが、しかし事実は事実。
そこはきちんと認めた上で謝罪せねば、それこそ人間以下の畜生に成り下がるだけだ。
「ううん。そんなの気にしなくていいよ。ハイドくんはなにも悪いことなんてしてないんだから」
「だよなー。しいて言うなら、足腰が弱いだけだもんなー」
「しーっ。ファイさんったら、余計なことを口にするんじゃありませんの!」
しれっとした顔で言うファイに、慌てて叱声を飛ばすアリア。
本当にこいつは、いちいち本音を漏らさないと気が済まないのだろうか。この本音だだ漏れ魔め。
「にしても、本当に人が多いなあ。人の流れが全然止まんねえや」
ファイの言葉に、ハイドは改めて眼前の光景をぼんやりと眺めた。
ファイの言う通り、人が絶えず町中を歩いており、まるで途切れる気配がない。
ある者は食材屋に。またある者は武具屋に。またまたある者は仕事を求めてギルドへと、見ているだけで忙しない感じだ。
それは道行く人だけでなく店を開いている商人も同じで、露天商から屋台、珍しいものでは占いや大道芸など、様々な催しで大変賑わっていた。
「じゃあ、ここで一旦解散しようか」
と、しばらく待ちゆく人の流れを眺めたあとで、不意にユーリがひょいと一歩前に出てこちらへ振り返った。
「そうですわね。昼食にするには少し早いですし、ここでそれぞれの用を済ました方が建設的ですわ」
「おう。その方があたしも助かるぜ。でないと後々困るし」
困る? とファイの言葉に首を傾げるハイド。
あの大喰らいのファイが昼食をあとにしないといけない用とは、一体なんだろうか?
「それでは、わたくしはさっそく宿の予約を取っておきますわね。それと魔王城に関する情報も集めておきますわ」
「私は旅に必要な物を補充しておくね。キャラバンじゃ買えなかった物もあるし」
「そんじゃ、あたしはいつも通り資金調達と行ってくるぜ」
言って、さっそくそれぞれの目的を果たしにどこぞへと向かうアリアとファイ。
この様子だと前々から役割が決まっていて、町に着くたびに同じことを繰り返しているのだろう。
「ハイドくんはもう少しここで休んでいていいからね。そのあとは自由にしてくれていいから」
「え? 僕はなにもしなくていいんですか?」
「うん。疲れているだろうし、それにこの先もずっと私達と一緒に旅をするなら、色々と必要になる物もあるかもしれないでしょ? だから今回は好きにしていていいよ」
なるほど。それはこちらとしてもありがたい。
これだけ大きな町なら調理に必要な道具や香辛料も一通り揃えられるだろうし、なにより毒薬などの殺しに使えそうな物も調達できるはすだ。
(それに、こうしてバラバラになってくれるということは、各個撃破のチャンスでもあるしな)
昨日は全滅させるどころかユーリすら仕留めずじまいに終わってしまったが、向こうからばらけてくれるなら渡りに船──仲間に邪魔されずに事を済ませるには絶好の機会。
たとえ全員を始末することはできなくとも、だれか一人くらいは今度こそあの世送りにできるはずだ。
いや、はずじゃない。必ずあの世に送ってみせるのだ。
『謀略のハイド』の名に懸けて──!
「それじゃあハイドくん、私、そろそろ行くね」
「あ、はい。お気を付けて」
笑顔で手を振るユーリに、それまでの邪な思考を引っ込めるようにハイドも微笑を浮かべて、遠くなっていく背を静かに見送る。
さて、ひとまず今のところは、この疲れを少しでも癒すことに専念するとしよう。
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