第4話


「そ、そう落ち込まないでハイドくん。こんな日もあるよ~」

「ユーリさんの言う通りですわ。むしろケガがなかっただけでも幸いでしたわよ」

「でも、やっぱ食べたかったなあ……ポトフ……」

「ファイさん! あなたという人は、ほんとデリカシーというものがないんですのね!」

 とうに太陽も沈み、空に満天の星が瞬き始めた頃。

 ユーリ達は道中に見つけた林の中で、焚き火を囲んで休息を取っていた。

 もっともハイドだけ焚き火から離れて、一人辛気臭く足を抱えて座っている状態ではあるのだが。

 そんなハイドに気を遣って色々と声を掛けるユーリ達(まあ、一名だけ平常運転の奴もいるけど)ではあったが、あまりにもどんよりとした暗い雰囲気に、上手く言葉が見つからないと言った様子だった。

「う~。ハイドくん、全然こっちに反応してくれないよ~……」

「それだけショックだったのでしょう。あんな派手に転んで鍋を落としてしまったら、無理もありませんけれど」

「けっこう自信満々な感じだったもんな。それこそドヤ顔で鍋を持ってくるところだったし。正直あれはちょっとウザかったな」

「もうファイさんったら、そういうのは本当のことだったとしても口に出すべきではありませんわ。ハイドさんが可哀想ではありませんの」

「アリアちゃん、それフォローになってないっていうか、むしろ傷口に塩を塗り込んじゃってるよ……。小声で話してるし、聞こえてないはずだから大丈夫とは思うけど……」

 いや、ばっちり聞こえてしまっている。一語一句はっきりと。

 余計なお世話だろうが、あいつらはもうちょっと慎みというものを知っておくべきだと思う。

 それはさておき問題なのは、今回の失態だ。

 せっかくのチャンスを、まさかあんなドジを踏んで逃してしまうとは。痛恨の極みというか、もはや羞恥のあまり土の中に埋まりたいくらいの気分だ。

 それよりなにより、この超エリートで超優秀であるはずの自分が、凡ミスというのもおこがましいほどの間抜けな失敗をしてしまったという事実が、これ以上なくショックでならなかった。

 それこそ、今日の夕飯が喉に通らなかったくらいに。

(失態だ……。大失態だ……。本当だったら今ごろ勇者達をあの世に葬り去って、意気揚々と魔王城に帰還している最中だったのに……。しかもその勇者達に気を遣わせてしまうとは、いっそ消えてなくなりたい……)

 あれからこうして何度も自戒しているのだが、いつまで経っても心は晴れず、むしろどんどん負のスパイラルに陥ってしまっている。自分でも良くない傾向だとは思っているのだが、心の傷が深過ぎてしばらく立ち直れそうになかった。

(くそっ。どうしてこんなことになってしまったんだ。あの時無理に鍋なんて運ばなければ……。いやそれよりも、慢心しないで毒薬を一つだけじゃなくて他にも用意しておけば、いくらでも命を狙うチャンスなんてあったのに……)

 たとえば先ほどまでユーリ達が食べていた物──キャラバンで購入したばかりの果物や燻製肉などに毒を混ぜることだって可能だったかもしれないのに、魂が抜け出たように放心するばかりで、食事どころか会話に混ざることすらできなかった。

 もっとユーリ達の懐に入り込むチャンスでもあったはずなのに、だ。

 我ながら、万死に値する体たらくである。

 というか、まさか自分がここまで打たれ弱かったとは──とんでもないミスを犯してしまったとはいえ、たった一度のミスでこんなにも心を乱してしまうとは、まるで想定していなかった。

 今まで順風満帆に生きてきた分、その反動がでかかったということなのかもしれないが、さすがにこんなにも辛いものだとは思ってもみなかった。

(……少しばかり、驕り過ぎていたのかもしれないな。優秀過ぎるがゆえに──己の才覚に溺れてしまったがために、こんな穴だらけの作戦を遂行してしまった。予想外の事態を考慮しないまま行動に移すなんて、これでは『謀略のハイド』の名が泣くな……)

 ずっと自省ばかりしていたのがようやく功を奏してきたのか、ここにきて冷静に自分を見つめ直すだけの余裕が生まれてきた。

 そうだ。今回は気持ちに緩みがあったせいもあって、たまたま上手く作戦通りにいかなかっただけ──むしろ方法自体はなにも間違っていなかったはず。

 毒薬はもう手元にないが、町に行けばいくらでも入手できるだろうし、他にもユーリ達を殺す算段なんていくらでも見つかるはずだ。

 なにせ自分は四天王にして『謀略のハイド』の名を持つ誇り高き魔族なのだから。

 だから、いつまでもめげているわけにはいかない。

 なぜならこの身は、魔王様の理想郷を築くためにあるのだから──!

「……でも、本当にどうしよう。ハイドくん、お昼から全然ご飯も食べてないし、すごく心配だよ~」

「腹が空いたら勝手に食うんじゃね? そしたらすぐ元気になるって。ご飯を食べて元気にならない奴なんて、この世にはいないからな!」

「それはファイさんみたいな健啖家だけでは……? ですがまあ、下手に慰めるのも逆効果かもしれませんし、そっとしておいた方がいいという意味では一理あるかもしれませんわね」

「そうかなあ? けど、ずっとこのままにしておくのも……」

「──いえ、ご心配には及びません。僕ならもう平気ですから」

 と。

 依然としてユーリ達がひそひそと相談(丸聞こえではあるが)していたその時、不意に声を発したハイドが、そのままおもむろに立ち上がって焚き火の方へと歩を進めた。

「それよりも、僕のせいでせっかくの昼食を無駄にしてしまったばかりか、皆さんには余計な心配と大変な迷惑をかけてしまい、本当に申しわけありませんでした」

「そんな、謝る必要なんて全然ないよ! 迷惑だなんてこれっぽっちも思ってないし、ハイドくんだって一所懸命やってくれたことなんだから!」

「そうですわね。感謝はすれど、わたくし達がハイドさんを責める理由なんてなにもありませんわ。それに料理なら、またいつでも作れるのですから」

「あ、だったらあたし、今度はステーキが食べたい! もしくはハンバーグか肉団子かブタの丸焼きか……」

「見事に肉ばかりですわね……。というかブタの丸焼きなんて、設備的に無理があるのでは……?」

「あはは。ファイちゃんは本当に食いしん坊だよね~」

 ハイドの謝罪に、笑顔で応える三人。

(よし。どうやら悪印象は抱いていないようだ。これならまだチャンスはある!)

 普段通りに接してくれるユーリ達に、ハイドは密かに片手でガッツポーズを取りつつ、静々と燃える焚き火の前に腰を下した。

「はい、ハイドくん。ご飯まだ食べてなかったよね? なにも調理してない物ばかりで悪いけど……」

 と、少し申しわけなさそうに果物類を手渡してきたユーリに、ハイドは苦笑を浮かべつつ両手で受け取って、

「いえいえ、とんでもない。むしろ謝るべきは僕の方です。自分から炊事係を担当しておきながら、結局なにも働いていないのですから」

「ううん、気にしないで。事情が事情だし、仕方ないよ。それにご飯なんていつでも作れると思うし」

「お気遣いいただきありがとうございます。次こそはちゃんと料理が出せるよう、頑張りますので」

「おお、ハイドやる気満々だなあ。これは牛の丸焼きも期待しちゃっていいのか!?」

「いえ、さすがに牛の丸焼きは無理があるかと……」

 無茶を言うファイに、ハイドは笑みを引きつらせながら言葉を返す。

 というか、なんでブタの丸焼きよりもグレートアップしているのだ。

「と、ところで、皆さんはこれからどうされる予定ですか?」

 ユーリからもらったリンゴを袖で拭きつつ、ハイドはとっさに話題を変えて問いを投げかけた。

「わたくしはほつれた衣服などの補修をする予定ですわ」

「アリアちゃん、お裁縫得意だもんねー。私は剣を研ぎ直すか、あとは次に行く町までの準備をするくらいかなあ。薬草の残りを数えたりとか」

「あたしはもう寝るぜ~。ご飯食べたばっかりで眠いし」

「ダメですわよファイさん。今日はファイさんが最初に見張り役をする番なんですから。事前に決めておいたことですし、わたくし達が寝ている間にいつまた魔物が襲ってくるとも限らないのですから、ちゃんとやっていただけないと」

「あ、うっかり忘れてたわ。たは~、面倒くせえ~」

「……でしたら、僕が最初にやりましょうか?」

 いかにも億劫そうに不満を漏らしたファイに、ハイドは自ら挙手して言った。

「皆さんにはさんざんご迷惑をかけてしまいましたし、これくらいのお詫びはさせてください。なにより、こういうのは新人が先にやるべきだと思うので」

「えっ。マジでいいの!?」

「ええ。お任せください」

(その方が、こっちとしても好都合だしな)

 人が就寝している時ほど、隙だらけの状態はない。結局毒殺作戦は失敗に終わってしまったが、ユーリ達が寝静まったあとなら、いくらでも命を狙いたい放題だ。

 この好機、今度こそ決して逃すわけにはない。

(元から寝込みを襲うつもりでいたが、ありたがいことに向こうから機会を寄越してくれるとはな。これで余計な手間をかけず、スムーズにことを進められる)

 一時は運に見放されたのかと暗澹たる気分でいたが、どうやらまだ運は尽きていなかったようだ。

「ラッキー! じゃああたしは二番目ってことで、あとはよろしく~♪」

 言うが早いか、その場でごろんと横になって、すぐに寝息を立て始めたファイ。

「わ。ファイちゃん、もう寝ちゃったー」

「相変わらず、食べるのと眠るのだけは人一倍早いですわねえ。しかもちゃっかり順番を代わってもらっていますし」

「ファイちゃんらしいけどね~」

 などと苦笑しつつ、ユーリはそばにあったリュックから防寒用のシーツを取り出して、気持ち良さそうに寝ているファイの体に優しくかけた。

「……やれやれ。まるで子供みたいですわね。ユーリさんもわざわざシーツをかける必要なんてありませんでしたのに。どうせ交代の時間になったら起こさないといけないのですから」

「でも一応、ね。風邪引いちゃうといけないし。それよりハイドくんの方は本当に良かったの? 最初に見張り番ってことで」

「ええ。先ほども言いましたが、新参者である僕が積極的にやらなければならないことだと思いますので」

 気遣うように眉を八の字にして訊ねてきたユーリに、ハイドは笑みを偽って応える。

 別に最後でも暗殺計画に支障はないが、こういうのは手早く終わらせた方が気分もいい。

 こいつらと同じ空気を吸うだけでも、虫唾が走るのだから。

「そう? でもあんまり無理はしないでね?」

「はい。ですがユーリさんやアリアさんも、早めに寝ておいた方がいいですよ? 今日は長距離を歩いただけでなく、魔物とも戦っているんですから」

「うん。やることだけ済ませたら、すぐに寝かせてもらうね」

「わたくしも裁縫が残っておりますので、そのあとにさせてもらいますわ」

(ちっ。まだしばらくは様子見ということか)

 こっちとしてはさっさと就寝してもらいたいのだが、そうそう思惑通りに動いてはくれないか。

 まあ、いいだろう。

 今はなにも手出しできないが、皆が寝静まる時は必ず訪れるのだから。

 そんな風に己を静めながら、ハイドは手にしているリンゴを皮ごと齧った。

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