第9話

 母さんにちょっと出掛けてくると伝えて玄関を出ると、白兎さんが窓から道路を見下ろしていた。ちゃんと俺の言いつけを守っているようだ。


「おー」


 い。と言い終わる前に白兎さんは俺の背後にワープしていた。さっきまで二階の部屋に居た白兎さんが一瞬で外に出ている。ここまでさらたさすがに神の力を信じざるを得ない。いささかワープの制限が気になるところではあるけど。


「ほっほっほ。どうだ良平。わたしのワープはすごいだろう?」


「うん。すごいよ。でも行き先が限定的過ぎて使いにくそう」


「それは良平の心掛け次第だぞ。どんなへき地でも良平さえ出向けば一瞬でワープできる」


「めちゃくちゃドヤ顔だけどそれってへき地に向かった俺がすごいんじゃない?」


「うむうむ。自己肯定感は大切だぞ」


 白兎さんには俺の嫌味は通じないようで謎のポジティブシンキングで反撃されてしまった。


「みなさんご覧ください。好意を抱く相手ではないのに家まで送るこの優しさ。この優しさは都合の良い男で終わってしまいそうです」


「って、今配信されてるのかよ」


「せっかくのドキドキシチュエーションを無駄にする手はないんだぞ」


「誰がドキドキするか! むしろこんな寒いのに外出することになって最悪だわ」


 ダウンでしっかり防寒しても寒いものは寒い。風通しの良さそうな巫女服は寒くないのかとちょっと気になった。


「白兎さんは寒くないの?」


「ほっほっほ。わたしは……」


 何か言い掛けたところで白兎さんは口を紡いだ。


「ちょっと寒いぞ。チラッチラッ」


 明らかに俺に対して何かを要求するようにチラチラとジト目を向けてきた。きっとここで俺がアクションを起こすことで配信が盛り上がり、白兎さんの懐が温まるのだろう。釈然とはしないが、それなりに稼げれば白兎さんの配信も終わるかもしれない。

 その考えに至った俺はラブコメで培ってきた知識をフル活用する。


「手ぐらいなら温められるけど」


 視線を逸らしてぶっきらぼうに手を差し出した。神様達はこんなのを見て喜んでいるのかと想像するとものすごく俗物的に思えた。


「……お言葉に甘えるぞ」


 白兎さんがどんな顔でこの言葉を言ったかはわからない。

 だけど、俺の右手から熱が伝わり……。


「え? 白兎さんの手、熱くない?」


「ほっほっほ。わたしは神だぞ。暑さ寒さなど神の力で克服できるんだぞ」


「だから風が冷たくても巫女服でいられるのか」


「そういうことだぞ」


 俺の手を握ったまま白兎さんは薄い胸をドンっと張って得意気に言った。


「まあ、その心遣いは嬉しかったぞ。黒星にも伝わるといいな」


「ははっ。黒星さん相手だと恐くて言えないかも」


「ビビるなビビるな。同じデラレンファンなんだぞ」


「そうは言ってもさあ」


 同い年とは思えないくらい大人びている黒星さんとまるで子供の白兎さんとではいろいろとハードルの高さが変わってくる。だからと言って俺は断じてロリコンではない。


「この男、やはりヘタレのようです。わたしのような小さく弱そうな女の子相手には強気に出られても、オトナの女性には手も足も出ない。将来が心配です」


「おい。妙な実況をするな」


「ほっほっほ。しかしコメントは盛り上がっているぞ」


 白兎さんが見せてくれた画面には『事案の予感』『神が犯罪を未然に防いだ説』『手を繋いだだけで湧くの草』などなど、本当に神様のコメントか疑いたくなる生々しいご意見が寄せられていた。


「またもしもの話になるんだけどさ、俺と白兎さんがカップルになったらこの実況生活も終わるの?」


「ああ、それはない。さすがに神と人間の恋愛なんて成立しないし認められないんだぞ」


「そっか。それは残念だ」


「んん? もしかしてわたしに惚れてしまったのか? 無理もない。可愛さで世界を変えられるレベルなんだぞ」


「まさか。さっさとカップルを成立させれば実況される生活から解放されるかなって思っただけだよ」


 惚れた点を否定されて気を悪くしたのか白兎さんはむくれてしまった。


「この男、やはり素直ではありません。せっかく女の子と手を繋げたというのにこの態度。こんなだからこの年なっても恋愛経験ゼロなのです。先が思いやられますが、だからこそ恋愛成就した時の衝撃は大きいと思います。みなさんお楽しみに!」


「なんか俺の評価すげー低くない?」


「低ければ低いほど逆転劇が盛り上がるんだぞ。むしろ良平がちょっと努力すればモテそうな男ならわたしは実況対象に選んでないぞ」


「そうなの?」


「そうだぞ」


 たまたまタイミングが合って選ばれてしまったとばかり思っていた。俺のモテなさが決め手だと言われると悲しくなる。それならもっとまともそうな神社でお願いすればよかった。


「っと、ここでいいぞ。あとは階段を登って鳥居をくぐるだけだ」


「そっか。あと白兎さん」


 おもむろにスマホを取り出してライーンの友達登録画面を開いた。


「白兎さんのそのスマホみたいのってライーンはできる? 今日みたいにいきなりワープされると驚くから、事前に教えてくれると嬉しい」


「ほっほっほ。人間界のアプリは基本的に使えるぞ。ほれ」


「うおっ! 一日で……」


 白兎さんは転入初日で俺を除くクラスメイトとライーンの交換をしていた。


「だったら俺とも交換していてくれよ」


「女子とライーンを交換する練習だぞ。これで黒星とも交換できるな?」


「そっか。俺のために……」


「初めての女子とのライーン交換に涙ぐむ男。彼はどれだけ寂しい青春を送ってきたのでしょうか。想像するだけで泣けてきます」


「って、さっきので配信終わってないのかよ!」


「アフタートークというやつだぞ。常に配信されているという心構えで過ごすといい」


「最悪だ……」


「さすがに凍結されるようなシーンは配信しないから安心するんだぞ」


「いっそ凍結させてやろうか?」


「つ、つまりにわたしに見せつけるということか。まさか良平にそんな趣味があるとは」


「違う! とにかくさっさとライーンを交換しよう。俺は帰る」


 白兎さんにQRコードを読み込んでもらうと俺の画面にアイコンが一つ追加された。こんな風に友達が増えるのは一学期以来だ。


「意外だな。自撮りじゃないんだ」


「ほっほっほ。わたしの可愛い顔が世界に流出したら騒ぎになってしまうんだぞ」


「なら配信もやめようか?」


「それとこれとは話は別だぞ」


「はいはい。わかりました。白兎さん、さすがに今夜はもうワープしないでくれよ。さすがに深夜に外出は母さんを説得できない」


「わかってるぞ。明日に備えてゆっくり休むといい」


 キョロキョロと辺りを見回してもカメラらしきものはどこにも見当たらなかった。

 さすがに白兎さんが側にいなければ実況配信されることもないはずだ。何か悪いことをしているわけじゃないけど誰かに見られているかもという感覚は神経がすり減っていく。


「楽しいって言えば楽しいんだけな」


 本人の前では絶対に言いたくなかった本音をポロっと口に出す。誰かに聞かれてはマズいけど、言葉にすることでちょっとだけ素直になれた気がした。

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