第2話

「さぶっ!」


 思わずそんな声が漏れてしまうほどの寒さに身を震わせながら何もない高校生活のために通学路を歩く。神社で自称・恋愛の神様に出会ってから早一週間が経った。

心のどこかで人生に変化が起こることを期待していたがやっぱり何もない。あの出来事は夢みたいなものだった。そう自分に言い聞かせる。


「おはよう地頭。今日も覇気がないな」


「うっせ。似たようなもんだろ」


「僕は覇気を隠せるタイプなんだ。僕の魅力に気付いている子は気付いてる」


「わりと事実だから腹立つわ」


 俺は数少ない友人である鈴原拓斗の腕に軽くパンチを入れた。こいつとは地頭と鈴原で座席が並んだのがきっかけで話すようになった。

 なんとなく雰囲気でアニメやゲームが好きそうだとわかったのでかなり早い段階でオタクをカミングアウトしたのが功を奏して、今では二人一組になる時は必ず一緒に組む仲だ。


「なあ、なんで同じ陰キャのはずなのにお前はそこそこモテるんだ?」


「そりゃあ僕は趣味だけでなく女子ウケも考えてるからね。女性をターゲットにしたアニメも見てみると結構おもしろいよ?」


「そうか? 俺の肌には合わなかった」


「これが僕と地頭の差だね。女性向けコンテンツを楽しめるか否か。モテるかモテないかは詰まるところそういうことなんだよ」


「俺は俺の趣味を理解してくれる女神を待つわ」


「あははは。だからいつまで経っても女子に免疫ができなくてモテない高校生活なんだよ」


「うっせ」


 鈴原の指摘はあながち間違えではないだけに、俺は悪態を付いてだんまりを決め込むしかなかった。女子との会話に慣れないからモテない。モテないから女子との接点がない。だから女子との会話に慣れない。という負のループから抜け出せない。

 それを打破するために神頼みをしたものの小学生の遊びに付き合わされそうになっただけ。事案で通報されてもおかしくない出来事だった。

 そう言えばあの日も風が冷たかったな。隣を歩く鈴原と温め合う気はさらさらないので寂しさと寒さを必死に堪える。


「そういえば今日うちのクラスに転入生が来るらしいよ」


「は? 三学期だぞ?」


 そもそも俺はそんな噂を全く知らなかった。

 ホームルームでの連絡事項はちゃんと聞いているから、陽キャネットワークに伝えられた情報なのだろう。鈴原は俺と同じくそんなに友人が多くないはずなのになぜか学校の情報に通じている。


「あくまで噂だけどね。足利先生が職員室で転入生がどうって話をしてたんだって」


「へえ、それは知らなかった」


「地頭って本当に僕以外の友達居ないよね。二年でクラスが別になったらヤバくない?」


「その時はお前のクラスに遊びに行ってやる。もうどっちのクラスに所属してるかわからないレベルで馴染んでみせるからな」


「その心意気で自分のクラスに馴染みなよ」


「ゲームの話ができて学校の話題を仕入れられる。俺はお前がいればそれでいいんだ」


「地頭、誤解を生む発言は控えようか?」

 メガネを掛けた地味めな女子が俺達の方を見て頬を赤らめている。俺と鈴原に恋をしている表情ではなく明らかにカップリングとして見ていた。

 同じオタクだからわかる。俺も妙に仲の良い女子をそういう目で見ることあるし。


「冗談はさておき俺と鈴原はたぶん来年も同じクラスだ。足利先生は俺の交友関係が狭いことを考慮して同じクラスにしてくれるはずだ」


「僕もできれば地頭と同じクラスにはなりたいけどね。ディープなオタクでそれなりのコミュ力がある人間って貴重だし」


「コミュ力? 俺とは無縁に思えるが」


「いやいや、地頭は女子と話すの苦手でウェイな会話ができないだけでキャッチボールはそれなりにできるでしょ。酷いのは本当に酷いからね」


「ま、まあ毎日ゲーム実況を見てトークの勉強をしてるからな」


 女子と普通に話せる鈴原から褒められ気がしてちょっと気分が高ぶった。謙遜の意味を込めてただの趣味であるゲーム実況を勉強なんて言ってしまった。


「実況が勉強になるかは置いといて地頭だって慣れれば女子とも普通に話せるさ」


「おいおい。俺をおだてても何も出ないぞ」


「別におだててないよ。ただ、僕にだけ彼女ができるのは不公平だなって思ってさ」


「は?」


 覇気のない俺が、この瞬間だけ雑魚敵を気絶させるような王の資質を見せた気がする。


「だから、僕だけ彼女がいて地頭はいつまでも独り身じゃ劣等感に押し潰されちゃうでしょって話」


「違う違う。なんでいきなりお前に彼女ができるんだよ」


「いやあ、バレンタインに何人からか呼び出されててさ。全員の気持ちには応えられないから今から選ばないといけないんだ。こんな状況だから彼女ができるのは確定かなって」


「鈴原お前、媚薬とか使ったのか?」


「そういう発想がモテない男って感じだよ」


「この際、俺に対するディスは受け止める。だけどな、いつも俺とつるんでるお前がいつ女子とそこまで親密になれるんだ?」


「地頭がゲーム実況を見てる間とか?」


「なっ……いや、でもお前だって実況を見てるじゃ……」


「うん。見てるよ。それと同時に動物の動画も見てる。やっぱり動物は女子ウケがいいね。無難に盛り上がる」


「おま……俺の知らないところでそんなことを」


「モテるための努力かな。僕は運動神経がないから部活で活躍するのは無理、成績は地頭に負けてる。そうなればあとは女子にウケる話題を増やすしかないからさ」


「マジか鈴原」


「うん。マジ」


 俺の体はガタガタと震えていた。寒さのせいではない。同族だと思っていた鈴原がモテるために結構頑張っていたことを全く知らなかった自分に戦慄していた。

 鈴原が言った通り成績は俺の方が良い。なんなら学年でもかなり上位だ。


 だから俺に勉強を教わる女子が現れてそこから恋愛に……みたいな妄想をした。いや、期待していた。だけど実際は俺よりも少し順位が下だけど声を掛けやすい陽キャが教師役になり、俺は黙々と勉強に勤しんだ。

 高校生は勉強できるやつがモテるという言葉を信じていたのに完全に裏切られた。モテる努力の方向を間違えていたことに今更になって気付いてしまった。


「だから地頭も少しは女子ウケするコンテンツに目を向けよう? 仮にモテなくてもその話題でまた盛り上がれるし」


「俺は二窓ができないタイプなんだ。だからといって誰かのチャンネル登録を解除する気はない。今追ってる実況者さんはこれからも応援していきたい」


「んー。でもさ、彼女ができたら多少は実況を見る時間も減るわけじゃない?」


「一緒に見れば問題ない! やっぱり俺は同じ趣味の女神と出会う可能性に賭ける」


「地頭がそれでいいなら無理強いはしないけどさ。転入生がその女神だといいね」


「はは。さすがにそれはできすぎだって。男子が転入してくるか、女子だとして陽キャが先に手を出して俺はそれを指をくわえて見てるだけだ」


「よくもまあそんなにも卑屈になれるね」


「俺は現実を見てるだけだ。夢は画面の向こうにある。例えば実況者ののろみんさんなんかは」


「あー、はいはい。声が可愛いVは魂もきっと可愛いよ」


「わかってるじゃないか。俺はのろみんさんみたいなお姉さんが良い」


「地頭が想像するようなお姉さんならすでに彼氏がいると思うけど?」


「うっさいうっさい! Vの魂は純潔なんだ。彼氏とは無縁の清らかな存在なんだ」


「じゃあ地頭にもチャンスがないじゃん」


 鈴原からの冷静な指摘に目頭がじわっと熱くなった。

 バーチャルヨーチューバー。本人ではなく3Dのアバターを画面に映して実況する人達をこう呼ぶ。外見は当然のようにオタクの趣味嗜好に合う感じに作られており、声もアニメに出そうな甘くとろけそうな場合が多い。


 競争が激しいバーチャル実況業界で俺が特に注目しているのがのろみんさんだ。

 和服に身を包みはんなりとした関西弁がとても癒される。それに加えてゲームの腕前もなかなかのものでランクやレートもかなり高い。

 ただ単にファンというだけでなく、純粋にプレイヤーとしても尊敬している。


「今は高校生だから出会うきっかけがないだけで大学生になって行動範囲が広がったらVの魂と街で偶然会うかもしれない。その日に備えて俺はゲームの腕を磨く。これが俺のモテるための努力だ」


「はいはい。夢があって素敵ですね」


「……俺は本気だ。実況者と結婚する。デートの様子も実況動画にしてもらって他のオタクにマウント取りたい」


「うわ。趣味悪」


「夢くらい見させてくれよ。相手が実況してくれれば会話が止まって気まずいこともないだろうし」


「完全に相手任せなのが最悪じゃん。地頭がおもしろアクションをして実況ネタを提供するならともかくさ」


「ネ、ネタくらい提供してやらあ。激辛料理を食べたり水の中に飛び込んだり、それでデートが盛り上がるならなんでもする」


「ん? 今なんでもって」


「……こういうやり取りができる彼女、ほしいな」


「急に現実に戻るのやめなよ。心にくるよ」


「……うん」


 ああ、鈴原は本当にいいやつだ。性別が逆だったら絶対に付き合いたい。そんな風に考えた時に俺はハッと気が付いた。


「恋人って友達の先なんだよな。まずは女友達を作るところから始めないと」


「え? そのレベル? 中学生くらいの時に気付いてなかった?」


「はっはっは! 中学時代は今以上にクラスの隅にいたからな! 鈴原みたいな情報通の友達もいなかったし」


 正確には友達と呼べる人間すらいなかった。が、見栄を張って若干表現を濁してみた。

 一応話をする程度の仲のクラスメイトはいたけどたぶんお互いに友達とは思っていない。現に高校に進学してから一度も連絡を取っていない。

 鈴原がいるから別にいいんだけどさ。って、俺、鈴原のこと好きすぎるだろ。


「あーあ、転入生が実況者だったりしねえかな」



「さすがに高校生で地頭が求めるような声が可愛くて、背はキスをしやすい身長差でおっぱいが大きい実況者はいないと思うよ?」


「甘いな鈴原。さらに俺は黒髪ロングをご所望だ。ただしアバターの髪色は何色でも可。むしろピンクとかの可愛い」


「……いつかそんな人と出会えるといいね。応援してるよ」


「哀れみの目で言うのはやめてくれないか?」


 非オタならともかく同じ穴のムジナとも言える鈴原にドン引きされると心へのダメージが大きいんだ。


「ま、地頭が多少なりとも転入生に興味を持ってくれてよかったよ。彼女持ちになったら僕もクラスの中心に近付くわけだし、その時に地頭がいないと寂しいしさ」


「鈴原……」


 ここが人目の多い通学路でなければ熱い抱擁を交わしていたかもしれない。それくらい鈴原の体温を全身で感じたかった。

 俺を差し置いてモテてるのはズルいなんてちょっと考えてしまったけど、こんな良いやつに彼女ができなかったら俺なんて女友達すらできないと思う。

 鈴原に彼女ができることは俺にとっても希望の光になるような気がしてきた。


「俺、鈴原と出会えて本当に良かった」


「なに卒業式みたいなテンションになってるの? 僕達の高校生活はこれからだ」


「打ち切りみたいだからやめろ」


 こんな風にオタクっぽい会話を自然にできる友達がいる。恋愛的な青春イベントは何もないけど友情的な意味では充実している。

 俺は自分の高校生活が何もないと思っていたことを反省した。

 そして数十分後、俺はこの何もなさが幸せだったと後悔することになる。

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