四
たまに、靖国通りの大ガード下で雅楽を奏でるおじさんがいる。
わたしは誰の邪魔にもならないように少し離れた場所からその演奏に耳をすませる。
わたしが新宿に来た日、この龍笛を聴いてゆっくりと深呼吸をした。
たくさんのビルにたくさんの人。
田舎育ちのわたしは都会というだけで不安だった。
受け入れてもらえるだろうか。
深呼吸を終えるころ、不安のほとんどは消えていた。
魔法のような龍笛、星のようなネオン。
ため息は夜空に消えて摩天楼に吸い込まれた。
あの龍笛は上京した人のために奏でられているのかもしれなかった。
新宿でよかったなと思った。
もしちがう街だったら、今でもきっと不安だったかもしれないから。
わたしはUターンをして小田急百貨店に向かった。
エレベーターに乗った。
屋上に着いた。
庭園の隅に鳥居があった。
扁額には小田急豊川稲荷と書いてある。
子どもの頃、お母さんとよく本院にお参りをした。
その分霊である。
わたしは新宿へ来た時からここの参拝を続けている。
車椅子から降りたわたしはけんけんをしながら鳥居をくぐった。
賽銭箱に手をついてそのまま左足を折って座った。
小銭を入れた。
目を瞑って手をあわせた。
神様の名前とマントラを唱えた。
「おんしらばったにりうんそわか なむとよかわだきにしんてん」
稲荷口サユリです。
新宿に導いてくださってありがとうございます。
読書クラブは新しい部員も増えて何とかやっています。
たいへんな毎日だけど、わたしは元気です。
ここからのお願いは聞いてくださらなくても大丈夫です。
誰にも、叶えることはできないと思うので。
「もう一度、お母さんに会いたいです。
右足も元に戻って、家族三人で豊川からやり直したい。
そしてまたお母さんといっしょに新宿に来たい」
祈りを終えたわたしは賽銭箱に手をついてバランスを取った。
左足で立って鳥居にしがみついた。
車椅子に戻って出入口に向かった。
ふと思った。
神様の願いは誰が叶えるのだろう。
わたしは車椅子を止めて振り返った。
豊川稲荷のうしろには東急歌舞伎町タワーが見えた。
沈みゆく落陽が、新宿を染めていた。
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