二
「やっはりしあわへっへひほそへそへはろへ」
「う、うん、そうだね。やっぱりしあわせってひとそれぞれだよね……」
読書クラブの部室で大量のいなり寿司をほおばりながら幸せについて熱弁する身長ニメートルの巨大少女。
なんとも異様な光景である。
けど、なんか楽しい。
昨日の今ごろはこの部室にわたしひとりだった。
読みかけのショーペンハウアーの『幸福について』について、こうして誰かと語り合えてるなんて夢にも思わなかった。
きっと読書はひとりで読んで誰かと語り合ってはじめて完結するのだろう。
そう考えると、わたしが今まで読んで来た本はまだそのほとんどが終わっていないのかもしれなかった。
「ところで」
わたしはさっきから気になっていたことを聞いてみた。
「こちらのかたは?」
黒装束に黒髪の、手甲脚絆に草鞋を履いて、背筋を伸ばしてパイプ椅子に腰掛けている。
まるで忍者みたいだった。
「こいつは忍者の
やっぱり忍者だった。
忍部くんはわたしに向かってコクリと頷いた。
あいさつのようだ。
「こ、こちらこそよろしくお願いします。稲荷口サユリです。読書クラブへようこそ」
この学校に、というか現代の日本に忍者がいるとは思わなかった。
忍部くんは狐のような細い目で益荒男さんのいなり寿司をチラチラと見ている。
きっと食べたいのだろう。
「そんなに食べたかったら食べればいいじゃん。はい」
益荒男さんは忍部くんにいなり寿司を手渡した、瞬間。
ドゴーン!!!
「な、なんだ?!」
隣から凄まじい爆発音。
わたしたちは慌てて廊下に出た。
やっぱり隣の部屋だ。
扉が吹っ飛んでモクモクと煙が立ち込めている。
「ここはたしか特撮部の部室だったはず。いったい何が」
「狐太郎、見てきて。誰かいるはずだから」
忍部くんはコクリと頷いて煙の中に消えた。
一分も経たない内に三人を抱えて戻って来た。
「引井くんとその仲間たち!」
わたしは特撮部部長の引井くんは知っていたけどあとの二人のことは知らなかった。
「ぼ、ぼくは、現実には興味がないんだぁ……がくッ」
引井くんはわけのわからないことを口走って人事不正におちいった。
こんなわけのわからない言葉を引井くんの遺言にしてはいけない。
引井くんはいい人なのだ。
「引井くんしっかり! 益荒男さん忍部くん、引井くんとあとの二人を保健室まで運んでください。このままでは引井くんが」
「先生を呼んだほうが早いかもしれない。僕が行きましょう」
そう言った瞬間に忍部くんは走り出してあっと言う間に保健室の先生を連れて来た。
「やれやれ、派手にやったね。すぐに良くなるからそこに三人並べて」
見たことのない先生だった。
保健室の先生なら白衣を着ているはずなのにこの先生は黒衣を着ていた。
外見もとても若い。
高校生と言っても通用するぐらいの若さだった。
アイドル然としていてどこか不思議なオーラを纏っている。
あとこれは益荒男さんにも言えることだけど、なんとなく神々しさを感じる。
「はい」
パンッ
先生は三人に向けて手を叩いた。
「うっ……うん? ぼくは」
「引井くん!」
引井くんとゆかいな仲間たちが目を覚ました。
「じゃあボクはこれで。あとはよろしくね」
立ち去ろうとした先生は何かを思い出したらしく立ち止まった。
「そうそう、自己紹介がまだだったね。ボクは
「わ、わたしは稲荷口サユリです。こちらこそ、ご教示よろしくお願いいたします」
立ち去ろうとした先生はまた何かを思い出したように立ち止まった。
「ボクのことを名前で呼ぶ時は大黒って呼んでね。司馬に先生だと小説家みたいだから」
立ち去る大黒先生、今度は何も言い忘れてはいないようだった。
「さて、一件落着したみたいだし部室に戻っていなり寿司の続きでも食べますか、と言いたいところだけど、あんたたちあの爆発はいったい何なの。部室で何をしていたの。言いなさい」
益荒男さんはニメートルの長身からまるでキリンが猫に話しかけるみたいに引井くんに顔を近づけた。
「セリだよ」
引井くんは消え入るような細い声でボソッと言った。
「何セリって。あの築地とかでやるやつ?」
「違うと思うよ。魚のセリで爆発はしないと思うよ」
「舞台の仕掛けだよ。奈落から舞台へ上がる装置」
「そんなもん作ってどうするの」
もっともな疑問だった。
そんなものを作ってどうするのだろう。
「この学校の屋上へ行く。そこで映画を撮るんだよ。新宿を舞台にした映画を」
「屋上だったらエレベーターで行けるでしょ?」
「いや、行けない。この学校の十階から上は関係者以外立ち入り禁止になっている」
それはわたしも聞いたことがあった。
一部の教師と生徒会長以外は十階以上には昇れないと。
「ちなみに、この学校って何階まであるの?」
「ちょうど百。隣の都庁の約ふたつ分」
「何それ、ほとんど行けないんじゃん」
「この学校が学校であるという事実が幻想なんだ。西新宿の再開発で用途も明かされぬまま建設されたこのビルそのものが何かの陰謀なんだよ」
引井くんは手招きをしてわたしたちを特撮部の部室へといざなった。
そしてウルトラマンのソフビが置いてある真上の天井を指差した。
一畳分ぐらいの穴が空いていた。
人ひとりは余裕で通れそうだった。
「まさか、爆破して屋上に行こうとしてた?」
益荒男さんがおそるおそる訊いてみた。
引井くんはコクリと頷いた。
だいたい合ってるようだった。
「天井の色が一箇所だけ違うから調べてみたんだ。ドローンを飛ばして測ってみたらちょうど四百五十メートル。設計ミスなのかはわからないけど、空洞が屋上の手前まで続いていた」
「それで、爆破してしまえと」
引井くんは再びコクリと頷いた。
見かけによらず大胆な性格のようだ。
「もうちょっと静かにやろうと思ったんだけどね。火薬の量を間違えたみたいだ」
引井くんは照れくさそうに笑った。
ぽっちゃりしていかにもオタクな引井くん、やっぱり悪い人ではなさそうだった。
「あ、申し遅れました。特撮部部長の
「あっ、ご丁寧にどうも。読書クラブの益荒男ユキです」
「読書クラブ部長の稲荷口サユリです」
「知ってるけどね」
「うん」
昨日から何度目の自己紹介だろう。
自己紹介をするたびに、仲間が増えるような気がした。
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