読書クラブへようこそ!
おなかヒヱル
一
わたしは五才から右足がない。
夏祭りの夜、お母さんとお揃いの浴衣を着たわたしはプリキュアのお面に綿飴を持ってとてもはしゃいでいた。
どーんどーんと花火が夜空を彩る。
わたしもお母さんも花火に夢中だった。
ふと何かが気になった。
河川敷から打ち上げられる色とりどりの花火。
川沿いの道は封鎖されて警備さんが立っている。
葉桜には等間隔で提灯がぶら下がっている。
向こう岸には屋台が並んで賑わっている。
耳を澄ますと花火の音にまじって水の音が聞こえた。
川に架かる橋の下は真っ暗だった。
橋の真下は少し傾斜して滝のようになっている。
ああ、なっているんだったなと思った。
普段は意識しないけれどそうなっていることは知っていた。
ほぼ毎日その橋の上を通るし、今いるこの道路からも何度か見たことがあった。
何度か見たと言ってもすべて昼間のことでこうやって夜に見たことは一度もなかった。
わたしはいつの間にか花火よりも暗い川を凝視していた。
わたしは左手で握ったお母さんの右手を離してその川に近づいた。
お母さんは花火に夢中でわたしのことを忘れていた。
川の前に来た。
思ったより川の音は大きく迫力があった。
花火の音は聞こえるけれど水音のほうが大きい。
少しして川からはっきりと人の声が聞こえた。
こっちだよと言っている。
わたしはおでこのプリキュアのお面を顔に付けた。
闇からの声を敵と認識したのだ。
右手の綿飴を武器にしてわたしは川に向かった。
あと一歩で川というところで、
「サユリ!」
お母さんの声だった。
警備員さんとお母さんが全力で駆けている。
わたしはお母さんのところに戻ろうとした。
その時、右足を何かに掴まれた。
とっさに目をやった川面にはぼんやりと蝉のような顔が浮かんでいた。
引っ張られたと思ったらベッドの上だった。
知らない天井だった。
わたしはそのままの体勢で右足をさすろうとした。
何もなかった。
膝から下がなかった。
冷たいシーツの感触があるだけだった。
お母さんは川に引きずり込まれたわたしを救けて闇の餌食になった。
遺体はまだ揚がっていないとのことだった。
もともと活発な性格ではなかったわたしはこの夏の出来事を境にさらに内に籠もるようになった。
高校は新宿だった。
お父さんの仕事の都合で東京に引っ越したのだ。
高校一年生だったわたしは読書クラブに入った。
身体的な理由で運動部には入部できなかった。
べつに入りたいとも思わなかった。
団体競技は見るのもイヤだった。
五才からひとりで過ごすことの多かったわたしはチームプレーの意味がわからなかった。
みんなで協力して敵のチームよりたくさん得点して勝利する。
勝ったらさっきまで敵だったチームと握手をして健闘を称えあう。
観客も拍手を惜しまない。
みんな嬉しそうだ。
だからなんだというのだ。
わたしにはさっぱり理解できなかった。
わたしは嬉しくなんかない。
静かにしてほしい。
読書の邪魔だから。
東京に来て新宿のど真ん中にある学校でもわたしはひとりだった。
ある日、校庭のすみにある桜の下で声をかけられた。
わたしは読んでいた『春の雪』に栞を挟んだ。
「いつもここで本を読んでるよね。もしよかったらこれ」
丸眼鏡のおとなしそうな女のコ、手渡されたチラシは読書クラブの入部案内だった。
「部活というほどのものではないんだけどね。本を読むのが好きなコで集まってるの。ただ本を読むだけ。ほんとにただそれだけの活動だから。興味があったらのぞいてみてね」
わたしはチラシの地図を頼りに読書クラブを訪ねた。
胸が高鳴った。
もしかしたらひとりではなくなるかもしれない。
そこは校舎の極北にある倉庫のような部屋だった。
さっきわたしが読書をしていた桜の近くだった。
重そうな鉄扉のプレートには手描きで読書クラブと書いてある。
わたしはおそるおそるノックをした。
「はーい」
さっきの人の声だ。
鉄扉は以外にも軽そうに開いた。
「来てくれたんだね。さぁどうぞ。本以外は何もないけど」
部屋の中は本で溢れていた。
文庫を中心に並べられた立派な本棚が壁一面をおおっている。
左の本棚は新潮文庫、『潮騒』から『天人五衰』まで揃えられたオレンジ色の背表紙が特に目を引いた。
その隣の本棚は角川文庫、昭和に出版された書籍がほとんどで山田風太郎作品のピンクの背表紙がズラリと並ぶ。
すぐ横には横溝正史の黒い文庫が不気味に陣取っていた。
視線を右に移すとハヤカワ文庫の水色の背表紙が目に飛び込んで来た。
下のほうにはサンリオSF文庫もあった。
数えてみた。
197冊全部あった。
居並ぶ歴代のSF作家たち。
わたしにとっては神も同然だった。
鳥肌も忘れて、わたしは『ティモシー・アーチャーの転生』を夢中で読んだ。
誰も声をかけては来なかった。
読書クラブは本を読む。
ただそれだけでいいのだ。
季節が一周して春が来た。
読書クラブはわたしを入れて五人、内四人は三年生の先輩たちだった。
この一年、部長をはじめ読書クラブのメンバーで続けられた必死の勧誘活動はついに実を結ばなかった。
「春で、サユリちゃんがひとりになっちゃうね」
卒業式は来週だった。
「大丈夫です。わたしこういうの慣れてますから」
部長は俯いた。
少し寂しそうだった。
「本はあのまま置いていくね。無理だけはしないで」
春の風が通り過ぎた。
わたしは手櫛で髪を梳いた。
「去年、この桜の下で声をかけてくれてありがとうございました。とても、嬉しかったです」
「こちらこそ、読書クラブに入ってくれてありがとう。あの時、サユリちゃんが入部してくれなかったら……」
何かに気付いたように、部長は言葉を切ってまた続けた。
「読書クラブを護ろうとはしないでね。もしこのまま誰も来なかったら、そこで辞めてもいいから。お願いだから、無理だけはしないで」
この一年、学校中に撒かれたビラはことごとく不発に終わった。
もう誰も、読書には興味がないのかもしれなかった。
「サユリちゃんを、ひとりにしてごめんね」
わたしは桜を見上げた。
花弁も蕾も葉っぱもない枝だけの桜、空はよく晴れて二月にしては暖かかった。
「わたしひとりでも読書クラブを続けて行きます。わたしはこの右足を、ハンデだと思ったことはありませんから」
三月、先輩たちは卒業してわたしはまたひとりになった。
慣れていたはずのひとりがとても寂しく思えた。
そうだった、ひとりとは寂しいことだった。
早く仲間がほしかった。
仲間を、
「仲間を見つけないと」
四月、新入生たちが校門をくぐる。
わたしは膝の上に勧誘のビラを載せて外に出た。
校内では少しでも良質な新入生を獲得しようとありとあらゆる運動部が勧誘活動を行っていた。
「おお、でけぇ。見てみろよ、あれが噂の……」
ざわつく生徒たち。
なんだろう?
誰かいるのかな。
わたしは近くにいる男子に聞いてみた。
「あの、すみません。いったい何の騒ぎですか?」
「新入生にとんでもないやつが入って来たんだよ。何でも中学の時に十以上の部活をかけもちしてその全てで全国大会優勝なんだって。しかも絶世の美女で身長も二メートルを超えてるんだってさ」
そんなバカなと思った。
中学の時に十以上の部活をかけもちしてその全てで全国大会優勝、絶世の美女で身長が二メートルを超えている女子校生なんているわけがない。
まるでマンガの世界ではないか。
しかし疑心よりも好奇心のほうが勝ったわたしは人混みをかき分けて話題の中心へと向かった。
いた。
周りから頭ひとつどころかふたつもみっつも抜けている高身長の美少女。
色白で銀髪のロングヘアー。
エヴァンゲリオンのように手足が長い。
バスケ部にサッカー部に野球部にと、主将たちが自ら勧誘に性を出している。
わたしは勧誘のために車椅子を前に進めた。
そして止まった。
こんなにたくさんの人から必要とされている人が読書クラブなんかに入るだろうか。
運動神経抜群の絶世の美少女。
経歴を聞くかぎりおそらく百年にひとりの逸材だろう。
そんなすごい人がわたししかいない部活とも呼べないようなただ本を読むだけの活動に付き合ってくれるわけがない。
わたしは引き返そうとした。
そしてまた止まった。
「でも」
前向きな、でも。
わたしの自称長所。
「もしかしたら入ってくれるかもしれない。駄目でもともと、当たって砕けよう」
人垣を突破した車椅子は百年にひとりの逸材の前に出た。
わたしは東京タワーを見上げるように車椅子から大きな美少女を仰ぎ見た。
大きな美少女もわたしを見た。
そして思いきって声をかけた。
「も、もしよかったら読書クラブに入りませんか? ここでお待ちしています」
周りからは失笑、読書クラブ? 何それ。
わたしはビラを鷲掴みにして美少女に差し出した。
美少女は何も言わずに受け取った。
わたしはUターンをしていそいそと読書クラブに戻った。
肩で息をする。
疲れた。
やることはやった。
恥ずかしかったけど後悔はない。
綺麗な目だった。
悪い人ではなさそうだった。
わたしは余ったビラを机の上に置いた。
深呼吸をひとつ。
窓から桜を眺めた。
読書クラブの前には桜があった。
一年生の時にわたしが読書をしていた桜の木。
先代の部長に声をかけてもらった桜の木。
たぶん、あの美少女は来ないだろうな。
また明日、勧誘をがんばろう。
わたしは読みかけの文庫に手を伸ばした。
「おかしいなぁ、ここらへんのはずなんだけど」
廊下から声がする。
誰だろう。
道に迷っている?
「あー、あったあった。読書クラブ、ここだ」
ノックもなしにドアノブが回って鉄扉が開いた。
開けっぱなしの窓から風が入って桜が舞った。
「さっきこのビラをもらったんだけど覚えてるよね? だってさっきだもんね」
身長ニメートルを超えるアルビノの美少女だった。
「私は
突然のことで驚いた。
ドキドキしながらわたしも自己紹介をした。
「わ、わたしは
何だかよくわからなかったけど大変なことになりそう予感だけはハッキリとわかった。
部長、頼もしい仲間がひとり増えました。
そしてわたしは続けて言った。「読書クラブへようこそ」
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