本編【その柩】

 あの角を曲がれば禎一の家の門扉もんぴが見えてくる。長く続く竹垣に手を置き、私はゆっくりと息を吐く。

 祖母の家から歩いて十分程のところに禎一の家がある。慣れない砂利道を歩いたせいで疲れたこともあるが、昨日からの非日常な出来事に、何を考え、何をしたらいいのか、これは現実なのだろうか、といくつもの考えが頭の中を支配し、歩くのもままならない。

 祖母は、皆に禎一の家に集まるように言っていた。もしかしたら、禎一は何か聞いているかもしれない。聞いていなかったとしても、禎一の家に行けば、何か聞けるかもしれない。

「よしっ」

 気合を入れ、私は足を一歩踏み出す。

 曲がり角を越えると、門扉もんぴの横で難しい顔をしている禎一と浩太の姿があった。二人は竹垣に背を預け、何か話込んでいるように見える。声をかけようと口を開いた時、先に浩太が私に気付いた。

「陽菜、おばさん大丈夫か?」

 浩太が駆け寄ってきた。禎一も後から続いて駆け寄ってくる。

「う、ん。あんま、大丈夫じゃないけど……おばあちゃんに、外へ行くように言われて」

 私は足元に視線を落とした。

 ――先程までいた母の部屋でのことを思い出す。あの後、母は両手で自分の顔を鷲掴み、絶叫した。きながら天を仰ぎ、山での和彦と同じように謝罪の言葉を繰り返していた。

 指の間から覗き見えた大きく見開いた目からは涙が止めどなく流れ落ち、私は母にすがりついて奈々美たちから目を離してしまったことを謝ることしかできなかった。

 壊れたように繰り返す母の謝罪の言葉の中に「ごめんね、ハルナ。たっちゃん……ごめんなさい」と和彦のお父さんと誰かへ向けた言葉を見つけ、私はすがりついたまま母を見上げた。

 母はくうを見つめたまま、謝りながらわらっていた。

「お、かあさん?」

「にゃあ」

 固まる私の問いかけに応えたのはイトだった。布団の上で驚きも逃げもせず、じっと私たちを見つめているイト。それが私には、な光景に見えた。

 その後すぐ、薬湯やくとうを持って部屋に入ってきた祖母から外へ行くよう言われ、私は禎一の家へ向かった。

「そっか。――お前は? 大丈夫か?」

 浩太の声に、私は母の部屋から意識を引き戻された。浩太を見ると、初めて見る彼の不安げな顔があった。いつも自信満々で尊大そんだいな浩太。そんな彼もこんな顔をするのか。彼もこのよく分からない状況を不安に思っているのかもしれない。そう思うと、私はほっとして涙が込み上げてきた。

「……大丈夫、じゃないよ。全然」私は顔を歪め、唇を噛む。「奈々美のことも、和彦のお父さんのことも、何が起こってるか分からないし、おばあちゃんに聞いても答えてくれないし、おか、あさんおかしくなっちゃうし。……私どうしたら」

「うん。……うん、そうだよな」禎一が前に出てきて私の頭を引き寄せた。「みんなで一緒に考えよう。陽菜が知らないことも、あると思う。ここでは話せないから、浩太の家に行って話そう」

「私の、知らないこと?」

 意味深な禎一の言葉に私は彼を見上げると、禎一は何とも言えない顔で遠慮がちに頷いた。

「じゃあ、行くか。そろそろ始まるんじゃないか?」

 浩太が歩き出す。

「始まるって。そういえば、皆ここで集まって何をするの? 奈々美を捜索するための相談? なら私も参加したいんだけど」

 言い終わる前に、「今から、男衆おとこしゅうでしめ縄を準備するんだ。女の陽菜は参加できないよ」と浩太が振り返りざまに言った。

「しめ縄? それって、一本松に巻く『おみのしめ』のこと? 夏に巻くとは聞いてたけど今日だったの? でも、何も今日やらなくても……もっと他にやることが」

「別の日じゃだめなんだ。今年から、今日の八月二日に代わったんだ」

 禎一が静かに言った。

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