本編【其の弐】
親子三世代、仲良く縁側に並んで座り、素麺をすする。
目の前には真っ青な空に少しのくすみもない真っ白い大きな入道雲。耳元で大合唱しているのではないかと錯覚してしまうほどの蝉の声。そして足元には、さっき収穫したばかりの野菜が井戸水の入ったたらいにぷかぷかと浮かんでいる。太陽の日差しで水がキラキラと輝き、一段と野菜が美味しそうに見えた。
ちなみに、奈々美がもぎ取ったお尻トマトは仏壇に飾られている祖父の写真の前に置いてある。大好きだった祖父に、と奈々美が置いたのだ。
祖母も母も私も「おじいちゃん、喜ぶね」と言うと「うん!」と嬉しそうに奈々美が頷いた。
「この夏は、奈々美に一番に会いにきてくれるよ」
祖母が言うと、「おじいちゃんおばけなら、怖くないもん」と奈々美は強がりを言った。顔が少しだけ強張っている。
「おじいちゃんおばけは怖くないよ」
母が言うと、「怖くないもん。平気だもん。今きてもいいよ」と奈々美。
「みんないるから怖くないよね」
「怖くないもん!」
意地悪な私の言葉に奈々美は仏壇の前から逃げ出した。
「ごめん。意地悪言ってごめんね、奈々美。怖くないもんね。素麺食べよ、お腹すいたでしょ?」
半泣きの奈々美をなだめ、私たちは縁側に腰かけ今に至る。
素麺をすすりながら、奈々美が「美味しいね」と笑いかけてきた。機嫌が直ったようでホッとする。六年生にもなって一年生の妹を泣かせるなんて、と私は肩をすくめた。
「猫だ!」
突然、奈々美が叫び声を上げた。その声に私はハッと我に返り、顔を上げると畑の方からフサフサの茶色の毛にオレンジ色の縞模様のある猫が、のそり、のそりと近寄ってきていた。
明るい茶色の毛が太陽の日差しで、一瞬、光を纏っているように見えた。隣の奈々美が素麺をごくりと飲み込み、慌てて縁側にお椀と箸を置くと猫に向かって突進していった。
–––綺麗な猫。あと、大きいなぁ。
地元の友達、和ちゃん家のルル–––オッドアイの雄の白猫–––は私が知っている猫の中で一番大きい。そのルルよりも大きい茶トラの猫は、ものすごい勢いで突進してくる奈々美に驚いて「フギャッ」とひと鳴きすると走り出した。
「大きい雄猫だね」
逃げる猫を楽しそうに追いかけている奈々美に苦笑しながら、私は祖母に言った。
「
「そうなの?! あんなに大きい雌猫初めて見た。イトって言うんだ。オレンジの縞模様がすごく綺麗に入ってて
そう言いながら、私はふと違和感を覚えた。
「私、おばあちゃん家に来て初めて猫見た気がする。–––そういえば、ここって犬もいないよね」
私は呟くように口にした。
毎年通っているが、思えば集落の人間以外に生きている生き物を見たことがなかった。山に囲まれた集落なのだから、犬猫だけでなく狸や会いたくないが猪や熊なんかが居てもおかしくなさそうだが、これまでに狸や猪、熊が出たという話を聞いたことはなかった。何故、気づかなかったのか。地元でも野良猫を見ない日はないというのに。
色々考えを巡らせていると、「ここは裏山があるからね」とだけ祖母が言った。
「裏山、か」
私は前に
「入っちゃダメって言われてたから入ったことないけど。そっか、みんな山に入っちゃうからここにはいないのか。食べ物がたくさんあるから下りてこないってことだよね?」
「あそこに動物はいない」
「え?」
「それに今年は、山に入るよ。
祖母が少し厳しい声で言った。
「かむくら。さっきも言ってたよね。『かむくら』って何?」
私が尋ねると、「食べ終わってからきちんと話すよ。胡瓜、美味しいだろ?」と祖母は微笑んだ。食べながら話すことではない、とやんわりと拒否された私は「うん、瑞々しくて美味しいよ」と答えると胡瓜を食べるのを少し急いだ。
「慌てなくていいのよ」
母が言う。私は「うん」と頷いた。
奈々美は相変わらず逃げるイトを追いかけている。持久力は奈々美の方がありそうだ。イトが小さな怪獣に捕まるのは時間の問題だろう。
私は苦笑した。
祖母と母は空いた食器を下げに家の奥へと消えていった。胡瓜を食べ終えた私はひとり天井を見上げ、「話、長くならないといいなぁ」と呟いた。
えっちゃんや他の子どもたちの顔が浮かぶ。一年ぶりに見たえっちゃんはショートカットからボブカットになっていて去年よりも女の子らしくなっていた。綺麗な黒髪には天使の輪がくっきりと出ていた。
うちは、母は綺麗な黒髪だけれど父は色素が薄く髪の毛が茶色がかっている。私は父親似で栗毛色の髪の毛なのであんなに綺麗な天使の輪が出ない。奈々美は私よりも色素が薄く、髪の毛も父親と同じ茶色がかっていた。
きっと他の子もこの一年で成長しているはずだ。
泣き声がする方へ顔を向けると、イトが木の上に逃げていた。そして奈々美がその木の下で声を上げて泣いている。
「あらら、イトの勝ちか」
私が苦笑すると、悔しげに泣いていた奈々美が靴を脱ぎ捨て木に飛びついた。
「な、奈々美!」
私は慌てて立ち上がり、駆け寄ろうとすると背後からいきなり笑い声が耳に届いた。振り返ると母がお腹を抱えて笑っている。
「び、っくりしたぁ。お母さん、笑いすぎだよ」
私は胸に手を当てて大きく息をついた。
「ごめん、ごめん。あの子の行動が読めなさすぎて」母はくっくっと肩を揺らしながら、「奈々美は私が相手するから、あなたは奥座敷に行きなさい。おばあちゃんが待っているから」
「奥座敷? そんなに大事な話なの?」
「そうよ。–––とても大事な話なの」
母は急に真顔に戻ると静かに言った。
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