本編【其の壱】

 見慣れた田園風景が目の前に広がり、私は急いで窓を開けて身を乗り出した。顔にかかる髪の毛を手で払いのけながら、大きく右手を振って友達の名を叫んだ。

 背中を向けて田んぼで作業をしていたひとりの子どもが振り返ると、嬉しそうな笑顔を作り、「陽菜ひなちゃーん!」と両手を振って叫んだ。

 集落には八人の子どもがおり、毎夏帰省しているので、子どもたちとも自然と仲良くなっていた。その中でも、彼女、えっちゃんは親友と言ってもいいくらいなんでも話せる友達だった。

「あとで遊びにいくねー! おじさん、おばさん、お疲れさまでーす」

 大きく手を振りながら、小さくなっていくえっちゃん家族に声をかけた。作業を止めておじさんもおばさんも手を振ってくれ、私は、ああ、やっぱりここはいいなぁと嬉しく思った。

「ナナも行く!」

 隣に座る妹の奈々美が私の服を引っ張った。

「うん、一緒に行こうね。お母さん、着いたらすぐ遊びに行っていい?」

 運転する母親に顔を向けると、「今、まだ十一時だからお昼過ぎてからにしなさい。山木やまきさん家もお昼食べなきゃいけないでしょう?」と返ってきた。

 えっちゃんのお父さんとうちの母は同級生だったので、前まではお互いに文吾ぶんご沙耶子さやこと呼び合っていた。二人だけでなく他の同級生たちも名前で呼び合っていたけれど、ひとりの同級生の奥さん––他県から嫁いできた人らしい––が名前呼びを嫌がったらしく、それからはみんな苗字で呼び合うようになった。大人たちが話しているのを聞いた––聞こえてしまった––私たちは「大人って面倒だね」と言い合ったのをふと思い出した。

「そっか、分かった。じゃあ、一時になったら行こっか」

 奈々美に向かって言うと嬉しそうに「うん」と頷き、「ママ、ナナお腹すいた」とお腹をさすった。

「さっきあれだけ食べたのに?!」運転しながら母が驚嘆し、「おばあちゃん家にもうすぐ着くから素麺茹そうめんゆでてあげるよ」

「ナナ、私のおにぎりも食べてたよ。お菓子も全部食べちゃったし。奈々の胃はブラックホールだよ」

 私は笑いながら、奈々美の周りに散乱するお菓子の空袋をゴミ袋に片付け始める。

「陽菜ありがとう。奈々美ももう一年生なんだから自分で片付けようね」

 母がバックミラー越しに私たちを見ながら言った。

「はぁい。お姉ちゃん、ありがとう」

「一緒に片付けようね」

「うん!」

 私は目を細め、五つ下の奈々美の頭を撫でた。

 集落の中でも高台にある祖母の家。そこにつづく坂道に入ったことに気づいた私は、家に着くまでに後部席の片付けを奈々美と始めた。そして、今日は何して遊ぼうかと集落の他の子どもたちの顔をいくつも思い浮かべた。

 私たちの乗った車の音が聞こえたのか、祖母が穏やかな笑みを浮かべながら私たちを迎えるために家から出ていた。

「よぉ来たね」

「おばあちゃん、元気だった?」

 私と奈々美が駆け寄ると、「元気、元気。毎日、畑仕事しとるよ」と祖母は家の前に広がる手入れされた畑に目をやる。私もつられて畑に視線を移すと、トマトにピーマン、茄子に胡瓜、艶やかに育った野菜が宝石のようにキラキラ輝いて見えた。

「陽奈、手伝って」

 母が荷物を家の中に運んでいた。

「おばあちゃん、奈々美お願い」

 私は車へ駆け寄り、母と一緒に車から荷物を運び出した。

「なんか、今年荷物多くない?」

 ボストンバックを運びながら私が尋ねると、「今年は特別なんよ」と母ではなく祖母が答えた。

「特別?」

 私が祖母に向き直り、聞き返した。

「今年は三十年振りに神座かむくらを行うんだよ」

「かむくら?」

「陽奈、お前が舞うんだよ」

「まう?」

 理解できずに困惑している私を祖母が、「詳しい話はあとにしようね。奈々美のお腹の虫が我慢できんって鳴っとるわ。素麺茹でるから、二人は畑から食べたい野菜を取ってきな」と奈々美の頭をぽんぽんと触れた。

 私はよく分からないまま、「分かった! 奈々美、行こっ」と小さな妹の手を引いて畑へ走り出した。

「お姉ちゃん、かむらって何?」

 走りながら奈々美が上目遣いに聞いてきた。

「『かむくら』ね。何だろうね、お姉ちゃんもよく分かんない。あとで教えてくれるって言ってたし、分かったら教えてあげるね。あ、その胡瓜面白い」

 アルファベットのJに似た胡瓜を指差すと「ほんとだ。ナナが取る」とすかさず奈々美が胡瓜の前に足を止めて掴んだ。

「いいよ、ちゃんと持っててね」

 私は道具置き場から籠とハサミを持ってきて茎から胡瓜を切り離すと、奈々美は満面の笑みで籠に胡瓜を置いた。

「次はトマト!」

 奈々美が真っ赤に熟れたトマトを掴むと、クルクル回して軽く引っ張る。ヘタを残してトマトが取れた。

「上手ね」

 私は残ったヘタの部分を切り離しながらそう言うと、奈々美が誇らしげに「へへ」と笑った。そしてふと、祖母の家の裏にある山に目をやり、ぴたりと動かなくなった。笑みも消え、不思議そうな表情をしている。

「どうしたの?」

 私が尋ねると、奈々美が「なんかいる」と短く答えた。

「なんかって」

 私は奈々美が見つめている山の方を見る。

 大きな入道雲を背負った裏山は、青葉をつけた木々が隙間なくひしめく様に生えている。見ているだけで、雄々しく若々しい木々が押し寄せてくるような迫力があった。

「なんかって」

 私は同じセリフを言いながら奈々美に視線を戻すと、彼女は既にハート型のトマトに夢中になっていた。

 私はくすりと笑い、「可愛いトマトだね」と言うと「お尻トマト!」と奈々美は嬉しそうに叫んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る