第34話

学校…私の母校、富士見台女学園、通称「フジジョ」は、都心部の、ほんのささやかな住宅地に囲まれた高台にあります。今でも丸っ切り見えない訳じゃありませんけれど、昔はその名の通り、学校の敷地のある辺りから富士山が、非常に美しくはっきりと見えたことだと思います。

学校から、在学当時の私の最寄り駅までのルートは、ざっくり大きく分けて三つあって、一つ目は、学校の前の道を道なりに歩いて坂を下って、幹線道路に合流して、坂を下り切ったところの、言ってみれば摺り鉢の底にある、駅の入り口を目指すルート。これは、学校の推奨ルートでもあります。その理由は後でご説明しますけれど。

次に、先程の、学校の前の道を、坂道に入る手前で、学校の塀に沿って右手に曲がって、突き当たりを右に折れて、そのまま学校の敷地に沿って階段坂を下って、それから駅に向かうルート。聞いた話で確かではないですけれど、こちらは、戦時中、敵襲などで幹線道路が使えない時の、非常用のルートとして想定されていたそうです。

そしてもうひとつ、学校の塀に沿って右に折れるまでは二番目のルートと一緒ですけれど、突き当たりを、反対に左手に折れて、別の階段坂を下って駅に向かうルート。こちらは、最初に挙げたルートとは対照的に、余程のことがない限り通ってはいけないルートとされています。そちらの階段坂には、下り口から坂の途中まで、まるでアーケードみたいに、小振りですけれど楠の樹が植わっていて、ある意味視界が悪い感じはしますけれど、…でも二番目のルートの、学校の敷地に沿った階段坂のように、見渡しても、右も左もコンクリートの壁で、花もなく、樹は、学校の敷地の中の、ただ無個性に丸く刈り込まれたイヌツゲばかりなのに比べると、私なんかは、こちらの方が余程心潤う気がします。別に、これは私一人だけの感想という訳ではなくて、クラスの子達や茶道部の先輩方、それに何より、尊敬すべき私の祖母が、私と同じ意見でしたから。祖母なんか、学校に勤めていた頃、最初に挙げた推奨ルートなんか「埃っぽくて」って、ほとんど通ったことがないそうです。

このことは、学校関係者の誰からも、私なんか卒業するまで一度も、その理由を説明されたことはないので、頭に「多分」だの「恐らく」だのが付く、言ってみれば、単なる一OBの、類推による考察でしかありませんけれど、…このルートが、学校側から実質禁止されている最大の理由は、坂を下り切った後、私の在学時の最寄り駅…一番近い駅の出入り口に向かうために、諸に繁華街の、それも真ん中を通らざるを得ないためだと思います。駅前の辺りは勿論ですけれど、坂を下ったすぐの辺りも、料亭やら「隠れ家的レストラン」やらがあったりしますし。…土地柄も土地柄、そもそもが昔からの花街だった辺りですから…。その点、最初に挙げたルートは、繁華街の、いわば外縁を辿るだけで、絶対に繁華街や、そういう「お店」の立ち並ぶ界隈に脚を踏み入れることはありませんから。

さすがに、お小遣い以上のお金を持たない子供が、自分から進んで入るようなお店ではないですけれど、でも、…いわゆる「教育上よろしくない」っていうことなんでしょうね。何しろうちの母校は、表面的と言うか、対外的な売りが「お嬢さん学校」ですから。…それに、多分あちらにしても、そろそろお客が来るような時間帯に、お店の前の、ワンボックスの車が一台通れば一杯になってしまう程度の幅の道を、制服姿の子供、それも女の子に、大勢でうろうろされるのは、さすがに商売に差し支えるでしょうから…。学校からの帰り、つまりそろそろ繁華街が稼働し始める時間帯には、その、三番目のルートは絶対に通らないようにっていうお達しが、…その理由こそ明言されませんでしたけれど、入学前の新入生のオリエンテーリングの時点で、当時の生徒指導の先生と、それから学級担任の先生の二方向から、既にありました。

ただ…このルートは、実は学校と駅との間の所要時間が一番短いんです。こんなことは、入学したばかりの新入生ならともかく、しばらく学校に通ううちに自然と分かってくることです。なので、いざ遅刻間際なんていう時には、どうしたってこのルートを通ることになります。ですから、うちの学校の生徒、それに私みたいなOBなら、このルートの存在は元より、どこをどう通るかなんてことは、たとえ学校の帰りには一度も通ったことがなくても、大抵誰でも知っています。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る