第35話

校門を飛び出した私は、道なりに続く坂道の方へは行かずに、学校の敷地に沿って道を右に折れて、突き当たりを待たずに一番手前の角を左に曲がりました。学校の付近の一区画は、長方形を大小取り揃えて幾つか並べたような区割りになっていて、たとえ手前の角を曲がっても、目的の階段坂には出られます。最初の角を曲がったのは、そうすれば追跡の目を少しでも誤魔化せるんじゃないかっていう、子供の浅知恵でしたけれど、さすがにそうは問屋が卸しませんでした。角を曲がって、他に曲がり角のない、ひたすら真っ直ぐの一本道を半分程走ったところで、後ろから「立花ぁー!!待てえー!!」っていう、完全に引っ繰り返った怒鳴り声が聞こえました。どうやら、押谷教職員は、学校の前の道を、私が駅の方向に走って行く後ろ姿を目撃したらしく、「お姉様方」への叱責を中断して追い掛けて来たようでした。

向こうはさすがに男性の脚力で、距離のある一本道を走るうちに、階段坂の方に曲がる角の少し手前辺りの時点で、両者の距離は先程の半分以下に詰まってきていました。思わず、どうしよう、って、切羽詰まる思いで、角を曲がる直前に天を振り仰いだ時、その角地に建っている、…ああいうのも中層マンションというのでしょうか?確か5階建ての、その集合住宅の最上階の角部屋のベランダに、私は、携帯電話を耳に当てながら、こちらに向かって軽く手を振る人影、…逆光で顔までは判別できませんでしたけれど、女性、それも恐らく私と同じくらいか、それとももう少し歳上くらいの女の子の影を目にしました。

不審に思いながらも、取り敢えずそのまま走りながら、その、階段坂に続く角を曲がった時でした。不意に誰かに腕を掴まれたかと思うと、そのまま肩を、固定するように強く抱き寄せられて口を塞がれ、そのマンションの、半地下になった駐車場の奥の、壁の窪みの暗がりに引き摺り込まれました。

あまりのことに、思わず手足を振り回して暴れそうになりましたけれど、幸い、そこに至る前に、私の口を押さえていた手はすぐに離れて、私の肩を、しっかりと、恐らくは私が下手に飛び出したりしないように押さえている、その当の人物の口元で『静かに』の形を象って、その、人差し指だけを立てた形のまま、今度はそのガレージの天井…私達の頭上と、続いて駐車場の入り口の方向を指し示しました。

それまで気が動転していたせいで気がつきませんでしたけれど、建物の上と、それから、私達のいる駐車場の奥の暗がりとはそれほど遠くない、恐らくは建物の表とで、言葉のやり取り、…と言うより、何やら舌戦めいたものが発生している様子でした。建物の前で、上に向かって甲高く怒鳴っている男性の声は、間違いなく押谷教職員で、建物の上から降ってくる、時折きゃらきゃらという笑い声の交じる若い女性の声は、どうやら、先程、最上階のベランダから、走ってくる私に向かって手を振っていた女の子のものと思われましたけれど、…どうも私は、彼女の声に聞き覚えがあるような気がしました。

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